クルルのおじさん 料理を楽しむ

和食ブームと昭和の思い出

2013年に和食(日本料理)がユネスコ無形文化遺産世界遺産)に登録されました。海外でも日本食がブームになっていると多々報道されています。昔から有名な、お寿司、天ぷらをはじめ、鰻、焼き鳥、蕎麦、うどん、丼モノまで。当然、日本酒も。海外での日本食レストラン、日本の食材も大人気の由。「割烹」は世界に通じる最強の料理だと嬉しくなります。

世界遺産の登録に際し評価された点については新聞、雑誌でよく解説されていますが、改めて整理すると、①旬の食材を大切に使っている。季節感がある、②食材そのものの自然の美味しさを大切にしている、③健康面から見ても栄養バランスが良い、④日本の伝統行事と結びついており食が日本の文化そのものになっている、ということかと思います。和食と日本料理は同じなのか違うのかという議論もあるようですが、感覚的に言えば、和食というと質素なイメージ、日本料理は豪華なお値段の高いお料理かと。和食=一汁三菜、かなり前の経団連の会長をされた土光敏夫さんがお家で食事風景の取材を受け、めざし、菜っ葉、みそ汁、玄米ご飯がTVに放映され話題になったのを思い出します。放送当時、ああ、経済界の偉い方でも本当に質素な食事をしてるんだなあと感慨深かった。あのイメージが和食=一汁三菜にピッタリかと思っています。但し、後付けの解説では、あの放送は、当時、行政改革を引っ張っていた土光さんが計算づくで世論を味方に付けるためにやった、とも言われています。普段ずっと質素な一汁三菜ではなかったのかも知れません。土光さんの風貌とめざしが似合っていた、絵になっていたので印象深く残っているのでしょう。

 

僕は昭和25年生れですが、幼い時の思い出は、この時に放映された土光さん宅の食事風景のイメージに近いものでした。僕の家も慎ましい暮らしをしていましたが、日本全体が貧しい時代でした。小さな暗い土間。七輪で魚を焼いていた。冷蔵庫は密閉された箱に氷を中に入れて室温を下げるという代物でした。そのための氷を氷屋さんが売りに来ていました。ご飯もかまどで炊いていた。ご飯と味噌汁、お魚は焼き魚か煮魚、野菜の炊いたん、おひたし、あえもの。海藻なんかもよく出てきたような。お肉はハレの日にすき焼き鍋をして食べさせてもらえるだけ。そうそう、お豆腐。豆腐屋さんが「とーふ、とーふ」と声を出し自転車・リヤカーに乗せて町内を回って売っていました。今から思えば本当に貴重なたんぱく源、僕は大好きでした。美味しかった。僕のおばあちゃんは豆腐屋さんが通り過ぎて行ってしまわないように、買いたいときには目印の旗を立てて豆腐屋さんに知らせるようにしていました。祝日に国旗を立てる筒に、豆腐の旗を立てていた。そのうちに旗が立っていなくとも豆腐屋さんが「おばあちゃん、今日は旗立てるの忘れてるんちゃうか」と声をかけてくれるようになっていました。大変なアイデアばあちゃんであったと感心します。合理的な考え方をする人だったようです。恐かったけど。食事は狭い部屋でちゃぶ台を囲んでみんな一緒に食べていました。一家団欒という気配ではなかったと思いますが、とにかく、一緒に食べていました。食事の準備、後片付けが大変であったからでしょう。ラジオの時代でした。外で暗くなるまで遊び、腹ペコになり家に帰る。いつも同じような食事に文句ばかり言っていたように思います。「またこれやあ!」。でも、ただただ空腹を満たす食事が十分に美味しかった。

 

その頃の日本は、ほとんどの人が暮らし向きが日々向上していることを実感していた時代であったと思います。いつ頃からか、台所は板の間に改修されステンレスの流し台になっていました。ガスも普及した。練炭はもう使われなくなった。氷を入れる必要の無い電気冷蔵庫が出てきた。氷売りのおじさんは仕事を変えたのでしょう。

この頃からか、食事の風景も少しづつ変わってきたと思います。八百屋さん、魚屋さん、たまにはお肉屋さんから食材を買ってきて、失礼な言い方をすればワンパターンの和食を作っていたおばあちゃんですが、コロッケとか、カツとかを総菜屋さんから買ってきて食卓に乗せるようになりました。会社勤めをしていたお母ちゃんが見様見真似で自分で作るようになりました。カレーライスも登場。すっかり人気のメニューになりました。街には、ハンバーグとかスパゲッテイ(パスタでは無い!)のお店もポピュラーになっていました。」

 TVが普及しました。皇太子殿下と美智子様の結婚式、ケネデイ大統領の暗殺、東京オリンピックの開催、あっという間に高度成長の時代に雪崩れ込んで行ったような。NHK の今日の料理は2007年が50周年ですから、大体、辻褄があうように思います。暮らし向きがよくなり、台所もキレイに道具・器具も便利になった。一汁三菜に象徴されるワンパターンの和食ではなく、新しい材料も豊富になり、少し手間をかけ工夫した日本料理、一方では、和食に対する洋食が人気を集めるようになりました。そして相変わらずすき焼き鍋はご馳走でした。鍋を囲んでテレビのお笑い番組を見ながら一家団欒らしさも楽しめるようになりました。お肉はまだ贅沢品で、いつも兄と争奪戦をしておりました。

 

おばあちゃんの味、世に言うおふくろの味も、世の移り変わりで変化していくのでしょう。僕も遅まきながら自分で料理に興味を持って以来、日本の料理の良さを大事にしたいなあと感じる時があります。

ちゃんと出汁を取る・・・と言いながら滅多にやっていません。旬を大切にする・・・季節感がある日本と日本の食事は素晴らしいと思います。バランス良い食事にする・・・これはかなり心がけているつもり。行事とヒモツク料理であれば楽しいなあ・・・そういえば、うちの長男が中学生の時、試験か試合かで仲間と一緒に弁当持参で臨んだとき、みんなの弁当が全てカツ=勝!だったと。母さん連中が示し合わせてカツにしてくれた。これは母さんにやられた!と喜んでいました。これも立派な日本の文化だと思います(ダジャレ文化かな)。

 

和食は洋食に対するもので、和食という言い方がされるようになったのは明治以降に海外との交流が深くなってから。意外と近年のことだそうです。「洋」が広まったお陰で、もともとあった「和」を意識したものとか。いかにも日本人的な捉え方で面白く思います。日本・日本人は新しく入ってくるモノを上手く消化して、借り物ではなく自分のモノにしてしまう。カレーライスは絶対に日本の料理だと思います。既に日本の食事に定着した洋食、もともとの和食、両方が合わさったその全てが日本の料理、日本の食かと。最近は更にアジア・アフリカ等々のお料理も日本の料理・食になってきていると嬉しくなってきます。

少し前の新聞記事に結婚についてのアンケート調査結果の解説記事が出てました。「小学生までに人間的な触れ合いをする機会が多いほど適齢期になった時に結婚願望が強くなる。よって少子化対策の一つとして家族行事、地域活動に参加させ人間的な触れ合いを体験できる環境作りを!」と随分と理屈っぽい記事がありました。そんな体験をすることが出来ない環境で暮らしている子供たちがいることが問題なんやろう、と言いたくなりますが、確かに、小さい時に一家団欒を経験していたら、いい年になったら自然と自分の家庭を持ちたいなあと思うことでしょう。「鍋を囲む」なんてのは最高の触れ合いの場だと思います。家族はもちろん、仕事でも、友達とでも。そのうちに「日本の料理の素晴らしさ=鍋を囲んで少子化に歯止めをかけた素晴らしい民族とその料理」なんて評価をされることに繋がると楽しいですね。

 

追伸・・・池波正太郎さんのエッセイでは、「小鍋だて」でお銚子を一本、渋い男の一人鍋の晩酌風景が描かれています。囲んでも良し、一人でも良し。やはり、日本の食はクールですね。うん?鍋はホットかな。・・・。

  

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 2016年10月、大好きな日向の景色。大御神社から日向灘を望む。この後ろの山側に君が代に歌われる「さざれ石」の巌がある。

 

 

 

COOL JAPAN

NHKの番組で「COOL  JAPAN]というのがあります。日本に滞在しているイロイロな国の方(学生っぽいのから社会人まで)にスタジオに集まってもらい、日本の面白いところを語ってもらう番組。テーマは日本の伝統、文化が中心になっていると思いますが、外人の方がそれを見た時に「いいねっ!、カッコいいね!」と思うところを意見交換させる。築地市場で早朝から行列が出来る寿司屋さんとか、東京下町で落語家が外人に粋な蕎麦の食べ方を教えるとか、本屋さんで買った本にカバーをかけてくれるのは日本だけでそれが面白いとか、日本人からすれば何ら特別のことでは無いと思うことが外人さんから見ると凄く新鮮に感じているところが面白い。蕎麦にワサビを添えて啜りながら食べるなど、日本人でも知らない食べ方で、なかなか小粋だねえ、と思うところも出て来ます。進行役のおじさんもあまり出しゃばりもせず上手く外人さんをリードして話をさせていて好感が持てます。

 

海外の方の見方を気にする、海外からの評判に影響されやすいと言うのは、日本乃至は日本人の意識に刷り込まれている性格なのですかね。最近の観光本のなかに「外国人だけが知っている美しい日本」なんていうのがあります。著者はチューリッヒ生れのスイスの方。日本に興味を持っている・旅行を考えている海外の方を対象とした旅行情報サイトを運営されている。日本人の奥さんを持たれて日本に住まれており、サイトに掲載する情報は全て自分たちが実際に見て確認したもの。日本について大変に信頼出来る人気のサイトとのことです。サイトは海外の方に対してのモノですが、この本は当然日本人向けに書かれたものです。副題に「スイス人の私が愛する(日本の)人と街と自然」とある通り、日本人に対して日本の良いところをスイスの方に教えてもらうという趣向の本です。こんなことまで外人の方の見方を持ち出すのかと変な感じがしますが、一読しますと、確かに色々な角度から日本の良いところを紹介してくれてます。著者が強調しているのは、訪れる外人に対して日本人が意識しないでやっている親切さ・自然なおもてなしが大変に素晴らしいことだと。「落し物が戻ってくる奇跡の国」、日本人が自分では気ついていないサービスの良さが訪れる外人には大変に評価が高いのですよ!と力説しています。 

 

日本に対して「クール」との言い方がされたのは、日本のアニメが海外で人気を集めた時の表現として印象に残っています。それまでは日本というと経済の力。かつては政治家でさえトランジスタの商人と揶揄されたり、一時はお金にモノを言わせてニューヨークにあるアメリカの象徴のようなビルを買ってしまうとか、とにかく、経済(カネ)の力、が話題になることがほとんどであったように思います。文化という観点からはフジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ等が変に有名になったり、または、一部のマニアックなフアンがお茶、お花、歌舞伎、能・狂言に関心を持っていた程度で最近言われる日本の文化的な側面を評価するムキは極めてすくなかったと思います。

 

経済力があるからこその日本だったと思うのですが、バブルが崩壊した1990年代から2000年代初め、バブルの崩壊で身も心もズタズタになっていた日本の姿を厳しくえぐった本があります。当時の日本は全くクールどころではなかったと思うのですが、これでもか、これでもか、と思う位、厳しい指摘をしている本です。

「犬と鬼」--知られざる日本の肖像ーー、アレックス・カー、講談社。著者は1952年、米国生まれ。2002年4月第一刷発行。

当時、仕事で付き合いのあった同年配のアメリカ人がプレゼントしてくれました。この方も長く日本に滞在しており日本語も達者で日本の政治・経済に一言ある方でした。確かこの本の著者とも親交があったかと思います。表紙の写真が凄い。手前は昔ながらの日本の田園風景、奥の方に里山里山の山肌に幾何学的な模様が散りばめられている。最近流行りのアートの一種かと思うくらいキラキラしている。よーく見ると、ギャアッ!となります。丸坊主の山肌がコンクリートで固められている風景です。

タイトルの「犬と鬼」は、韓非子に出てくる故事から。「犬は描きにくく、鬼は描きやすい」。著者自ら、故白洲正子さんのご自宅で「犬馬難、鬼魅易」という短冊をご本人から見せてもらい、その意味を教えてもらったそうです。

派手なモニュメント(ハコモノ)にお金をつぎ込むことは簡単なのだ、という著者の言いたいことを表紙の写真が怖いくらいに表現しています。この風景も当時の日本人にとってはそこら辺にある当たり前の風景、何の抵抗も無く目にしていたと思います。著者に言わせると日本人の感性は溶けてしまっている、その最たるものの一つがこの写真。また、町中に張り巡らされている電線。電線を埋めることを考えず、電柱をブロンズ色で被うことに金を使っている。白浜が無くなり、松林が消えた。かろうじて僕ら昭和の20年代生まれ世代には記憶に残っているキレイな白浜、松林。それがなくなり、工業地帯になり住宅街になった。それが経済成長の姿。景色が変わるということは生活がよくなる=良いことだと思っていた時代かも知れません。日本人は細かいところには拘るが、大きなところまで広げたうえでの全体を考えていないから、鬼ばっかりの風景になっているんだ!という指摘です。

帯の宣伝には、海外のメデイアの書評として「日本人への愛のムチだ」とか「日本の政治指導者は国家と国民に恐ろしい犠牲を払わせた」とか、この本が「常識に還る動きに貢献することを望む」とか好き勝手なことが記載されています。

 

この本が出版されてから10数年経過しました。日本は良い方向に変わってるのですかね?(確かに、電線・電柱は主要な都市の表玄関では地下に埋められるようになったと感じます。著者に感謝!?)。海外の日本を見る目=「クール ジャパン」!、良く日本の国民性を理解してくれるようになったということですかね?東北大震災の時の助け合いのシーン、ヒトを慮る気持ち、日本人の僕たちが見ても感動して頑張れっ!と応援したと思います。おもてなし!、東京オリンピックのプレゼンは今となればやや気持ち悪いですが、日本人の持っているおもてなしの心って大切にしたいですよね。日本ってやっぱり良い国なんだ(と思いたい)。

 

ため息が出ますが、今回のアメリカの大統領選挙は醜くかった、と言うしかないと思っています。主義主張よりも好き嫌い(嫌い嫌い)の非難合戦。勝負が終わったら相手を称えてノーサイドのはずが、今回はノーサイドにならない。選挙後のデモも異常なほどの盛り上がり様。国を分断する人間を新しい指導者に選んだ。これも健全な民主国家、これがアメリカ的なんだとの見方もありますが、生活格差、人種・性別・移民に対する偏見を言いつらい国を分断した候補者が選ばれてしまった。勝った後でお茶を濁した言い方に変えようとしても一度心に刻まれたことを忘れる訳にはいかないのではと心配になります。時間が解決してくれる話では無いように思ってしまいます。日本はどうなんやろ、日本は意外とましな国なんやろうか???とイロイロとアタマを巡らせてしまいました。日本は本当にクールなのかなあ。いまでも「鬼」ばっか造ってるんやないやろうねえ。

 

独り言です・・・はあ、今回はテーマが重たくなったなあ。小粋にお蕎麦でも食べにいこうか。最近、料理の話題が出てこないねえ。「料理を楽しむ」がどっかいってしもうた。そうや、和食=世界遺産、これこそクールジャパン。食べ過ぎ・飲みすぎには注意して久しぶりにのんびりと家メシを楽しもう・・・・。

結局、今晩は、「僕でも出来る 一人分・韓国風ラーメン鍋」にしました。レシピはCPの「クルルのおじさんのキッチン」に(そのうち)アップしておきますので是非覗いてください。

 

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2016年11月 東山公園の紅葉

 

 

ひと手間

 「ひと手間かける」っていい言葉ですよね。「ひと手間を加える」、「ひと手間を惜しまない」。「ひと」が無くて「手間」だけだと「手間がかかる」=邪魔臭い、という感じがして、どちらかというと否定的なニュアンスが強い言葉に思いますが、「ひと手間かける」となると随分と肯定的な、柔らかくて丁寧な言葉に感じられるように思います。ひと手間かけて面取りをする、というような言い方は日本料理の独特な表現のような感じがして好きです。ひと手間かけて、面取りをする・出汁を取る・小骨をとる・薄皮を剝ぐ・アクをとる等々、料理のレシピ本の中によく出てきます。ひと手間かけることで得られる美味しさを理解できれば、ひと手間かけることを厭わなくなるそうです。

但し、偉そうに言ってますが、この言葉は好きなのですが実際に料理をするときにはせっかちな僕はまだそのひと手間をかける余裕がありません。いかにもその通りだと頭では分かるのですが、作業する時には、どうしても面倒と思う気持ちが先に立ちます。邪魔臭いと思ってしまうと料理仕事が嫌になって先に進まなくなりますので、結局、端折るべきはどんどん端折ってしまいます。まあ大体こんなもんやろ、えいやっで勝負している訳です。

 

ここでまた辰巳芳子先生の登場です。奥が深いドキッとするような名言です。曰く「面倒が先に立つ方は、人類が初めて鍋を知った時の興奮を想像してみましょう。気後れする方は、大昔の炉端の光景を。彼らはその鍋でいのちの保証を喜び合ったに違いありません」(辰巳芳子の展開料理)。人類が初めて鍋を知った時、などという言い回しに出会うとワクワクして嬉しくなってしまいます。この方の食べ物・料理に対する考え方には本当に驚かされています。こういう風にモノを捉えられる感性は大切にしたいと思う訳です。

 

一方で、台所仕事・料理は過酷で危険な労働であった、との見方を紹介している本もあります。 「キッチンの歴史」。副題に「料理道具が変えた人類の食文化」とある通り、スプーンや包丁、鍋・釜、オーブン、冷蔵庫、電子レンジなど、古今東西の料理道具、調理器具の歴史をたどりながら、それが人類の食文化をどのように変えてきたのかを考察したユニークな本です。著者はビー・ウイルソン、1974年イギリス生れ、ケンブリッジ大学の博士号を持つ女性ジャーナリストです。真田由美子訳、河出書房新社、2014年1月初版発行。初版発行時の新聞書評を見て買いました。面白い件があります。

曰く、「人類の歴史で料理はずっと過酷な労働だった。台所で行われる主な二つの料理行為、切ることと加熱することは危険な行為だ。今日でも生死にかかわる問題であることを私たちは忘れがちだ。道具の進化によって、料理は使用人ではなく自らが行うものとなり、また楽しむものとなった」。「料理は長い間、狭い場所で汗と熱と煙にまみれながら危険を覚悟で従事する仕事であり、世界の多くの地域ではまだこうした労働環境が続いている。実際に発展途上国では毎年150万人もの人が料理をする時に室内で燃やす火からでる煙で亡くなっている」そうです。訳者後書きにある通り「料理道具の歴史を題材に、豊かな生活とは何かを現代人に考えさせる文化論」です。

 

こう考えると、僕が料理するぞ!と台所に向かっていけるのは、まさに文明開化、技術進歩のおかげ、感謝するしかありません。なんと台所仕事が楽になったことか、これだけ楽になったのだから楽しんで料理する、料理を楽しめる時代を楽しむようにしないと先達に申し訳ない。これだけ楽になったのだから、ひと手間かけることくらい厭ってはいけない、と相変わらずアタマではよく理解出来るのです。理解をしたアタマが、料理をする時にはカラダに楽しめ、楽しめと言っているような気がします。だんだんとカラダも楽しんできていますが、メンドウが出てくるとカラダは正直に反応してしまい、まだ「ひと手間を楽しむ」域には達していない状態であるというところです。

 

先日、兄の家で法事がありました(「台所」を参照ください)。お互いの家族が集まって亡くなられた奥様を偲んで明るく楽しく歓談。メインの食べ物は近くの寿司屋さんから取り寄せた(実際には、兄の次男がわざわざ取りに行ってくれた)お寿司ですが、なんと、副菜・つまみに兄の手料理が出てきました。それも亡くなられた奥さんが家の庭に植えていた蕗(フキ)、零余子(むかご)を自分で摘み取り、自分なりに煮たり蒸したりしたもの。奥さんが元気な時に料理していたのを覚えていて、見様見まねで料理したとか。”むむっ、出来る。あんた料理なんか全然できひんかったんとちゃうのん”、僕のレベルを超える技を持っているのではと驚きました(「台所」で書きました僕が教えたレシピ(炊き込みご飯です)は、大変に役に立っていると評価してくれていました)。

兄は僕から見ても仕事一筋人間。家でも話すことは大半が仕事の話、乃至は、仕事で付き合いのある方の話。世に言う家庭的な話題は不得意な方で、顔も強面、仕事以外は何かにつけ不器用。この日も同様の会話が進行するなかで、このフキとむかごのお皿を出したときだけは、珍しくちょっと照れているようで、思わず可愛い奴やなあ、と思いました(弟が兄を表現する言葉としては不適切かもしれませんが)。こんな、かわゆいとこあったんや。奥さんの思い出を大切にして、奥さんが育てたフキとむかごを、ひと手間かけて料理した美味しいお皿でした。身内の話ですが、正直ちょっと見直しました。

 

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2016年10月、沖永良部島のえらぶのユリの球根をプランターに。芽、出てくれるかな。

 

 

 

同期会

大学のゼミの同期会に出席してきました。ゼミの同期生は15人。個別のお付き合いは卒業後もそれぞれ続いていたのですが、全体として集まることはありませんでした。それが60歳を超えた辺りから「ゼミの同期会やろう」という声があちこちで高まり、まとめ役がいてくれたお陰で年に一度開催出来るようになりました。毎年10人前後が参加。今年は、兵庫県の舞子にある由緒あるホテルで一泊二日の開催です。8人が参加しました。40年位ぶりの再会となる友もいました。懐かしい限りです。元気にお酒を飲む人、健康に留意して控えめにしている者、もともとあまり飲めない方、イロイロですが、お風呂に入り、ゆっくり食事をして、それなりにアルコールも入ると場の空気は昔の学生時代に戻っております。近況報告を行い、いつもながらの昔話が一巡すると、やはり話題は、健康、生活、家族の話となります。

 

「60歳を超えた辺りから」というのは、サラリーマンとして定年を向かえた頃、ということです。同期生各位のお仕事としては企業のビジネスマンが一番多いですが、役所、大学教授、自営業・他と多岐に亘ります。定年後のパターンとしては、自分の特技を生かしたボランティア活動、ゴルフ三昧、旅行、各種の習い事、もちろん、仕事をしている人もいます。皆さん色々と工夫をして、これらを組み合わせて毎日を充実させていらっしゃる。その中で、印象に残った毎日の過ごし方を少し紹介します。文にするとよくある事例でお終いですが、学生時代のあいつがこんなことするようになったんかいな、と面白がっている次第です。

晴耕雨読!。近所の畑を借りて野菜中心の作物作り。畑仕事は全くの素人であったが貸し手の農家さんが親切に指導して下さるとのこと。感心するのは、作物作りを生活の中心にして一日を組み立てている。毎日、散歩に行くような気分で畑に。畑仕事で汗を流し、その後は図書館で読書三昧。これを文字通り日課として継続し、すでに数年続けている由。最近では、作物コンクールで賞をもらうほどの腕前になったとか。もともと読書家・研究肌の方、野菜を育て出来たものをみんなに配って喜んでもらい、大好きな読書をして毎日を充実させてらっしゃる。聖人君子と驚くだけで、これは僕にはマネが出来ないかなあ、凄いなあと思いました。奥さんがこの生活パターンに関与されている訳では無いとのことでした。今年はお野菜価格が高騰の折、ご近所さんが喜ぶでしょう。

②料理の教室。これは僕も大変に興味がある分野なので面白かった。有名な料理教室に通っている。もともと釣りが大好きなので、自分で釣果を捌きたいという一心から。偶然にも友人が同じ教室に通っていて、授業のあとで一杯やるのが楽しみになっている。既に一年以上は通っているようと。彼も(僕とほぼ同じく)この年になるまで、男子厨房に入らず、の生活をしてきた男子であります。奥さんに習った料理を作っているのかは聞きそびれました。

③ピアノ教室。この方はそれまでは全くピアノを弾いた経験は無かった。子供たちが家を出て、残されたアップライトのピアノを見ているうちに弾いてみたいと思った由。大きなピアノ教室で、小さな子供達と一緒にレッスンを受けている。子供たちの上達に負けないように自分自身が頑張っているのが自分で面白いと感じていると。すでに一年以上は続けることが出来ている。そのうちに子供たちに交じって発表会にも出てみたいと。僕自信も、最近、音楽・コンサートに関与することがあるので、興味深く拝聴しました。僕が関心をもっていることは、また、別途、紹介させて頂きます。

 

男は仕事がある限り、どうしても「外」での生活が中心になっています。定年を向かえる、仕事を終える、ということは、男が家に入る時、ということになります。一方、奥様方はそれまでずっと家を守り、家を中心にした自分の世界を持っており、その世界の中にはダンナの存在は無い、ということだと思います。世に言う熟年離婚とやらも、このミスマッチから生じるものなのでしょう。同期会でみんなと話して面白いと思うのは、定年後の「内」の世界にスッと入っていける方がいる反面、片方では(こちらの方が多いように思います)、奥さんと24時間ずっと一緒にいる生活にかなり抵抗を感じる、乃至は、奥さんの従来の生活のパターンを崩すことを慮っている方がいます(僕は後者かと思います)。どちらも奥さんと仲が悪いという訳では無く、お互いを慮る気持ちがあるから。晴耕雨読も、ピアノ教室も、料理教室も、奥さんとの生活の観点からすると距離感に工夫しながらも、奥さんとの付き合い、触れ合い、間合いを大切にして、お互いのそれぞれの生活をレスペクトして共生していこうとしている。

 

「男おひとりさま」を書いた後、上野千鶴子さんに興味をもっています。順序が逆だと笑われますが、正直、それ以前はどういう主義主張の方か存じておりませんでした。ブログを見た方から彼女についてのイロイロなコメントを頂いたので、彼女の代表作と思われる本(学術書では無い)を二冊ほど紹介してもらい読んでみました。「ザ・フェミニズム」(これは小倉千加子さんとの対談集)と「女ぎらいーニッポンのミソジニー」(これは読む前に誤解してミソロジーと思い込んでいたので読み始めてひっくり返りそうになりました)。僕自身がフェミニズムについても上野千鶴子さんについても全く理解していなかったことがよく分かりました。本のカバーには「上野千鶴子が男社会の宿痾を衝く」と出版社のいつもながらの宣伝文句があります。解析力・洞察力の鋭いことには本当に感心しましたが、やはり、男の目から見ると、随分と一方的な見方やなあと思いました。ご本人の後書きにある通り「批判するなら、お勉強してからにしてよね。まあ、抵抗勢力が本を買って読んでくれたらめっけもの」ということですから、僕は二冊も(最初の本をいれると三冊も!)買ってしまいましたら、マンマと術中にハマったんでしょうね。でも、フェミニズムと言っておられますが、結婚という形はやはり大事だと思います。その形が造り出す家庭・家族って有難いものですよね。大切にせなあかんわ。

  

奥さんとの距離感一つとっても、同期の方々の「内」の世界での過ごし方にイロイロなパターンがあるように、本当に色々な間合いがあると思います。とにかく、人間一人で生きていくものではなかろうかと。僕たちの世代は、結構、奥さんのことを大切に思いつつ、「内」の世界と格闘し始めているんだとの思いを新たにした同期会でありました。

 

 2016年10月22日、舞子から明石海峡大橋、遥かに淡路島を望む(同期会、友・撮影)

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先輩

僕が最初に勤めた会社は世に言う「総合商社」で、関西・繊維系、最近でも極めて存在感のある会社です。今でも個性的な方が多いと思いますが、僕の先輩にもユニークな方が沢山いらっしゃいます。その最たる方のお一人が「炒り豆腐の思い出」それから「私の本棚」の欄でも出てくる当時の課長さんです。

 

この先輩は課長であったころ「ゴルフは本を読めば上達する」という固い信念を持たれていました。「そんなアホな、本読んで上達できるんやったら世話ないわなあ」というのが僕も含め周りの反応でした。信念の人は強いのです。本を読むからには徹底して読む。「10冊、20冊ではダメだ。100冊の本を読めばゴルフの全てが分かる。100冊だぞ!」と言われても凡人の僕にはピンと来ませんでした。

 

結果を先に言いますと、後日、この方は本当にシングルプレーヤーになってしまったのです。有言実行の方ですから、確かに100冊以上のゴルフの本を読まれたのでしょう。但し、この方は会社人として最高の立場にまでなられた方ですから、お仕事の上でも沢山の回数をプレイをする環境に恵まれた。それで結果的にシングルになれたのだ、というのが専らの解釈です。

しかし、僕自身、単身生活になってからはプレイの回数だけで言えば多分負けないくらいのラウンドをこなしていると思うのですが、あいかわらず、シングルにはほど遠い状態。ついつい100冊の本の威力を信じてしまうような気持になります。「僕はそこまで本を読まなかったからかなあ」なんて弱気になってしまうわけです。冷静に考えれば、もっと妥当な理由は、単純に運動神経、練習量、上手くなろうというガッツの問題があるのでしょう。

この先輩は第一線を退かれた後も、執筆活動、講演活動を精力的にこなされています。少し前に,「これだけたくさんの本を出されたのだから、次は、ゴルフの本ですねえ」と冷やかし半分に言ったつもりが、ご本人はかなり真剣に 考えられているようでした。・・・本当に出版されたら一体誰が買うのでしょうかねえ(影の声)。

 

料理の本を読み始め、料理を自分でやるようになってから、時々、この先輩の当時の話を思い出します。「よしっ、それなら僕は料理本を沢山読んで料理の名人になろう」なんて思ったりして。今でもこのコンセプトは密かに温めているのですが、ある時、家族に話をしたら場にシラーとした鳥が飛んでいるような気配になりました。だがしかし、偏屈な天の邪鬼からすると、近年の調理器具の発達、調理インフラの大幅な改善、材料の扱い易さ、等々の技術進歩を冷静に勘案すると、あながち頭から否定されるものでは無いと思うのです。

「料理は頭で創るもの・・実技は後からついてくる・・」てなタイトルで日野原先生のようなインパクトのある方が本を出せば結構いけそうに思うのですがね。

 

これを書いている時に、何んと、僕のブログに対して初めての書き込みを拝見致しました。それも二人の方から。数行のコメントとは言え、ちゃんとした感想・ご意見・励ましの言葉で感激しました。

もともと反応を期待して書いている訳ではないはずですが、やはり、反応があるのは嬉しい。自分の予想を超えるくらいに嬉しい、気分が高揚している。

野球、サッカーのヒーロー選手がインタビューで大きな声でフアンの方々に「ありがとございまーす、応援、よろしくお願いしやーす」と言ってますが、余り好きではありません。プロがファンに迎合したらアカン。長嶋茂雄はそんな挨拶はしてなかったぞ。もっと自分に自信をもって孤高をつらぬけ、と言いたくなるのですが、何のことは無い、二人の方からメッセージを頂いただけで「宜しくお願い致します」とヘラヘラと喜んで反応している次第であります。

 

執筆活動を続けておられるこの先輩の本はベストセラーにもなっています。ほとんどが企業経営、政治経済についてですが、エッセイのような本もあり、若い時の本の読み方についての記載がありました。「傍線を引き、これっ!と思うところはノートに書き写していた」そうです。そんなノートが何冊もあり、最近、たまたま見つけて懐かしく思った由。へえー、このおっさんでもこんな工夫・努力しながらチャンと読んでいたんだ、と妙に納得、安心したのを覚えています。はい、僕も赤ペンで傍線を引きまくりながら読んでいます。書き込みも一杯してしまいます。だから読んだ本を人にお貸しするのは恥ずかしです。残念ながらノートは付けておりません。

この先輩は、ベストセラーの本を含め多くの本の印税収入を全て寄付に回されています。「名誉とカネのためではない。自分の書きたいことを書くために寄付に回すんだ、俺は読者にも迎合していないぞ」(註:これは僕の全くの独断の解釈です)との大先輩の矜持が読み取れるようで楽しいです。

昭和のおじさん世代から言うと、こういうのが COOL! かな。

 

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                ・・・・2016年10月14日、彦根城、朝7時ごろ

 

 

ちょいと良い話

僕の単身マンションは、名古屋駅から地下鉄で20分ほどの駅の近くにあります。所謂、文教地区かと思います。チョット奥に入ると閑静な住宅街、駅の近くはコンビニ、スーパー、本屋サンを含む商店街があります。商店の中には、フランス人(と思われる)ダンナさんがやっているパン屋さんがあります。近隣の町からもお客さんがワザワザ買いに来る評判のお店です。このご家族が偶然同じマンションの住民で、最初にエレベーターでご一家とお会いした時には、それだけで嬉しく思いました。奥様は日本の方ですが、子宝に恵まれていらっしゃって、それはそれは可愛いいフランス人形のような女の子もいらっしゃいます。また、ご長男(と思いますが)の子は将来アランドロンのような映画俳優になるかと思わせるような。たまにエレベーターで一緒になる時、見ていてこちらも楽しくなるようなご家族です。

 

このマンションは安全管理がよく出来ていて、入り口は二重扉、自分でカギを持っているか、または、訪問するおうちの方に開錠してもらわないと入れない構造になっています。二重扉の内側に新聞ポストがあり、このポストの扉も同じ鍵で開閉するようになっています。マンションの入り口の鍵、ポストの扉の鍵、自分の部屋のドアの鍵が一つで全てこなせる様になっている訳です。

先日、出張に出る時(後で、荷物も多く時間も急いていたからと反省したのですが)新聞を取り出した後、ポストの扉に鍵をぶら下げたままマンションを出てしまいました。本人は全くそのことに気が付いておらず、出張先でこのマンションの管理会社の方から電話を頂いてビックリ。

「鍵がポストにぶら下がったままになっていますよお」。僕は、電話の方がその時にマンションにいるものと思いましたから、

「今、出張で出ているので、鍵を預かっておいて頂戴」と言ったところ、

「いえいえ、マンションの住民の方から管理事務所に連絡があったもので、私は事務所にいるので取り行けない。まだ、ぶら下がったままのはずだから、早く、自分で回収するように」と冷たい(当たり前の)返事。

「そんなこと言っても、単身住まいで、今日は家族は来ていないし、本人は出張で明日の夕方まで不在。治安上問題だろう。なんとかならないのか。住民が困っている時に助けるのが管理会社の役割だろう!!」と逆切れして、親切な事務所の方に食って掛かる始末。言ってしまった途端に自らの身勝手な屁理屈・言い分に恥ずかしくなりました。この方は大変によく出来た方で僕のそんな言い分に声のトーンを荒げることなく冷静に、

「何か出来ることがあるか考えてみます」と収めてくれました。

電話を切った後、少しは冷静にどう対応したらよいのかを考えました。

スペアの鍵は留守宅にある。仕事を早く切り上げて留守宅に立ち寄り鍵をピックアップして日帰りで帰る。よし、これしかない。うーん、ちょっと待てよ。会社にもスペアの鍵を置いてなかったかな?。会社に電話を入れ、事情を説明して探してもらいましたが、スペアの鍵は無し。やむなし。やはり出張を日帰りに切り上げ、とにかく急いで帰って回収しよう。

お昼前、また、管理会社の方から電話がありました。

「まだ、鍵がぶら下がったままですよお。どうしますか?」のんびりした問い合わせです。

「出張を早めに切り上げて今日の夜には帰ることにした。それまで、どうしようもない。鍵を取られないことを祈るのみですよ」と言いましたら、

「いえいえ、今、私はマンションのポストの所にいて目の前に鍵がぶら下がっているのです。どうしますかあ?」ということでした。

”あほかお前は、それを早よ言わんかいな”、流石に、これは口には出しませんでした。スペアの鍵は留守宅で入手出来ることを説明して、相談した結果、鍵をポストに入れてもらうことが安全・簡単な受け渡しの方法だと意見が一致。ホットしたところです。

その後、会社で心配している連中に安心してもらおうと電話を入れたところ、担当が”とにかく現場に行って対応を考えてみる”とマンションに向かっていることが分かりました。有難いやら、申し訳ないやら、すぐに連絡を取って戻ってもらいました。駆けつけようとしてくれたことがすごく嬉しかったです。

お陰さまで、その日は、もともとの出張を予定通りこなし、夜は一安心してお酒を美味しく頂きました。翌日の夕方、マンションに帰り、ポストの中の鍵を確認。お礼とお詫びの電話を管理会社に入れました。どなたが通報してくれたのかを問い合わせたところ、

「連絡は二人の方からあった。個人情報の問題があるので名前は言えない」と筋の通った話。部屋番号だけを教えてもらいました。手元にあった若干のお茶・菓子を包んで、順番に回りました。一件目はすぐに出てきてくれました。優しい親切そうな奥様で無事に鍵を回収できたことを喜んでくれました。二件目はドアのチャイムを鳴らしてもなかなか反応が無く、お留守かと引き返そうとした時にドアが開きました。フランス人(であろう)パン屋さんのご主人でした。経緯を説明しようとしたもののキョトンとした顔で、そりゃこんな話を日本語で説明されても”なんのこっちゃ”と思うでしょう。困ったなあ、と思ったときに、奥の方から、奥さんの声が聞こえてきました。

「そうなんですよ。鍵がついたままだったので、電話いれたんですよお」と言いながらアランドロンのお兄ちゃんとフランス人形の女の子と、もう一人、赤ちゃんを抱きながら顔を出してくれました。皆さん良い表情でニコニコ笑って無事鍵が回収できたことを喜んでくれました。僕も、ちゃんとお礼に回ってよかったなあとほんわかとした楽しい気持ちになりました。

 

通報の電話を入れてくれる、事務所からわざわざ出向いて鍵を確保してくれる。「ひと手間」をかけるか・かけないかの話ですが、困った時、自分の周りに「ひと手間」をかけてくれる方がいらっしゃるということは本当に嬉しいなあと思いました。

 

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・・・フクロウ・・・福郎・・・ひと手間かける人に福が来ますように。

 

 

 

男おひとりさま

 「おひとりさまの最後」と言う本が話題になっています。著者は、上野千鶴子さん。東京大学の名誉教授。この16年間「おひとりさま」の老後と介護を見つめ続けていらっしゃるとか。申し訳ないですが、僕はまだこの本を読んでいません。週刊誌に特集記事があったものからの抜粋・要約です。

 

一人で在宅で死んだら「孤独死」と言われることに対して「大きなお世話と言いたい」とおっしゃってます。逆に「家にいたい」は年寄りの悲願である。在宅で死にたい、と思っている高齢者は五割を超していると。

「在宅ひとり死」を実現させるための条件を明確に提示され、そのための啓蒙活動をされています。1948年のお生まれ(女性には珍しくプロフィールにはっきりと記載されてます)ですから、僕よりもちょっとだけ先輩になります。お写真を拝見するとイキイキとした表情をされています。
 

驚いたのは、高齢者の独居世帯率が25%あるということ。非婚の方に加え、既婚者の死別・離婚による独居を合わせると四世帯に一世帯が独居だそうです。単身赴任も実質的に独居に入るでしょうから、僕のような生活をしている方を含めるともっと比率は高くなるのでしょう。

 

「三つの介護力がなければ独居は出来ない」由。食べること、出すこと、清潔を保つことの三つの力。食事介護、排泄介護、入浴介護となります。僕はまだ三つとも自分自身に対する介護力があるので単身生活が出来ているんだ!ということを改めて認識し、納得させられた次第です。

 

料理を楽しむ・・・美味しい料理を食べる、自分の食べるモノを自分で料理する、料理の本を読んで食べることを楽しむ・・・ことを通じて、自分自身に対する食事の介護力を維持して「おひとりさま」の生活を元気に続けたいなあとしみじみと感じました。

 

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 ・・・沖縄のシーサー、元気に単身生活を続けられますように、魔除け・・・

 

ここまで書いてから、たまたま、上野さんの本を見つけたのでチャンと買って読んでみました。題名は「男おひとりさま道」。章の見出しを見るだけでも何をおっしゃりたいかが分かりそうな。「男おひとりさま」にはかなり耳が痛い内容で、かつ、解説の田原総一郎さんが記載されてますが、「手厳しいだけではなく「男ひとり者」にとって大いにためになる、また、何んとかやっていけそうだという自信を付けてくれる書」かと思います。

第一章「男がひとりになるとき」以下「下り坂を下りるスキル」「よい看護はカネで買えるか」「ひとりで暮らせるか」、そして最後の第5章は「ひとりで死ねるか」と続きます。「男というビョウキ」というクダリがありますが、「自分の弱さを認められないのが男の弱さだ」と。それを「男というビョウキ」と表現されております。はい、多分、全くその通りなのでしょう。

この本は、上野さん著の「おひとりさまの老後」から冒頭に記載しました「おひとりさまの最後」の中間に書かれた本です。ご自分で「男性の方が老いを受け入れにくいような気がする。なぜだろうか?」との観点から書かれたと。

 

ちょっと茶化して言えば、僕の結論は「やはり、男の方がずうーとシャイだから」。また、オンナの名誉教授からとやかく言われるのは、それこそ「大きなお世話や」と言いたいところですが、なにせ男というビョウキの身ですから、ここは謙虚に上野先生が提示されている「男の七戒」と「「男おひとりさま道10カ条」とを頭に入れつつ、シャイな自分を奮い立たせ、改めて、料理を楽しんで「単身おひとりさま」の生活を充実させたいなあと思っています。

 

たまたまが続きますが、本日(10月12日)の日経に、「おひとりさま」食品花盛り、というタイトルの記事がでてました。内容は「個食化」対応の商品・サービスの記事ですが、日経が「おひとりさま」という見出しを使っていることに面白さを感じました。

上野先生、今年の流行語大賞は決まりかな?!。

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 2016年10月16日、日本経済新聞