クルルのおじさん 料理を楽しむ

食品ロス

 11月30日の日経新聞に「野菜ショック=高騰騒動=混乱続く給食=全国で献立変更」の記事が出てました。今秋の野菜価格の高騰で学校給食の予算が不足、そのため一部の市町村では給食の中止を決定した。しかし保護者からの大反発を受け撤回せざるを得なくなった云々、全国の至る所で混乱が発生しているとの報道です。確かに夏以降の野菜価格の高騰ぶりはビックリでした。レタス大好き、キャベツ大好きの僕は、いつも一玉買ってバリバリ、ムシャムシャと食べていましたが、さすがに丸ごと買うのを躊躇するほどの高騰ぶりでした。夏の台風が本州にいくつも上陸した。特に北海道では観測史上初めて台風が三つも直撃した。秋雨前線の停滞、それに伴う日照不足により、産地での大減産につながったと言われています。北海道帯広市では10月以降、価格の高騰のため給食に出す地元の生ホウレンソウの手当てが難しくなり、遥か宮崎県の冷凍品に変更せざるを得なかったとか。さすがに11月の後半になると出荷量の回復があり農水省の価格動向調査では前週比10%から20%程度の下落になっているようです。早く落ち着いて欲しいと思います。

 

値段が高くなり過ぎると売る方も買う方もそれぞれ自衛の為に工夫をします。いつも通っている食品スーパーでも、今まで以上にハーフサイズ、クオータサイズでの売り方が増えたように思います。買う方も高いので丸々一個買うのは抵抗がありますから、小さいサイズを買って遣り繰り・始末する工夫をします。食べ残して捨てるなんてことになると、もったいない、という気持ちがより強くなるからでしょう。僕は買った野菜、食材は使い切るほうです。残して捨てるのが癪だから。意地になっても使い切ろうと思う方です。要はケチだからと思うのですが・・・大阪では「ケチとは違う、始末するんやでえ」と言います。一世を風靡したんNHKの朝ドラ「ごちそうさま」で主人公の杏ちゃんが姑のようなお姉さんにいけずされた場面で出てきておりました。違いは分かるように思うのですが、僕の場合は始末する技を持っていないから・・・単純にケチだからと思います。また、捨てるのが惜しいから少々無理をしても残さないで食べてしまいます。料理をやり始めて体重が順調に増えてしまったのは、食い意地が張っているのと、ケチなのが原因かと思っています。クルルのおじさん流のレタス一玉、キャベツ一玉の捌き方は、別途、記載したいです。

 

 野菜の値段が高騰するというのは困ったことですが、買った野菜を使い切れず・食べきれず、挙句の果てに捨てることになる=「もったいない」と思う気持ちが再認識されるのは良いことかも知れません。もったいないが強くなると「食品ロス」というのは間違いなく減少するのでしょうね。食品ロスというのは、食べられるのに捨てられてしまう食品のこと。もちろん生鮮品だけでなく加工食品、全ての食品が対象になります。政府広報によれば「日本国内の食品ロスは632万トンに達している。これは全世界の食糧援助量の3倍の規模」とのことです。食品ロスのうち330万トンは事業系の食品ロス、つまり、食品メーカー・小売り・飲食店での規格外、返品、売れ残り、食べ残り。残りの302万トンが家庭での食べ残し、調理の時の過剰除去、期限切れに伴う廃棄、ということだそうです。なんと家庭で発生している食品ロスが半分近くあることになります。期限切れの問題についてはイロイロと議論がされています。賞味期限、消費期限の設定の在り方自体が、この食品ロスに大きな影響を与えているとの指摘も多くなりました。もともと食品安全の観点から制度化されているものが、特に賞味期限については、日本の消費者の期限に対する感性の高さ、日本の食品流通・小売店の対消費者アピールの精度の高さから、賞味期限の範囲の中で更に1/3ルールと称せられる納品期限、販売期限が設定される商慣習となっています。このあたりの事情は、最近、出版された「賞味期限のウソーー食品ロスはなぜ生まれるのか」井出留美著、幻冬舎新書に詳しく書かれています。著者は元食品メーカーに勤務されていた経験がある方で、生産側・消費者側の両方から見てフェアーに分かりやすく記載されていると思います。卵の賞味期限の記載は、全くその通りと膝を打ちたくなります。卵は棚の手前から順に買えば不都合は全く無く、かつ、全体で見れば食品ロスの削減に繋がることがよく理解出来ます。

経済学でいう合成の誤謬というのがありますが、僕も一消費者として、消費者一人ひとりの効用の追及が社会全体では不効用に繋がってしまうことが心配になります。この著者は「他人が決めたことを鵜呑みにするのをやめ、自分で考え、感じ、行動する」ことを進められてますが、このような啓蒙活動を継続していくことは食品ロスを削減するために大切なことだと思います。蛇足ですが、本のタイトルは出版社が決めてしまうのでしょうが「XXXのウソ」というのは誤解を与える表現かと。せめて「本当の賞味期限」とか「賞味期限のホント」とするほうが著者の言いたいことを表しているように思います。これではインパクトに欠けるからですかね。

 

かなり昔(中学後半時代かしら)に見たアメリカ映画。アン・マーガレットとステイーブ・マックイン(だったと思う)、普通の家庭のシーンです。夫婦(恋人?)が食事をしている。料理(血も滴るようなステーキです)を食べた後、食べ残したものを、それもステーキのかなりの量が残っているお皿を、ゴミ箱に、何の迷いも無く、ばさーっ!とひっくり返して捨て去りました。まだお肉は高級食材の時代「おいおい、そんなもったいないことするなよお」映画の内容は記憶にありませんが、このシーンだけは強烈な印象を残しました。最近、このシーンを思い出した今の冷静な僕が改めて考え結論つけたことは、アメリカ食文化には展開料理の思想は存在しない!、ということでした。

・・・続く

 

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2016年12月10日、ゴルフ場で野菜売りのおじさんから大根一本を100円で買った。葉っぱ付き。その晩の料理=大根葉っぱのチャーハン。

 

 

単身所帯が>1/3!

国勢調査というのがほぼ5年に一度行われています。今年の10月26日に総務省が2015年度国勢調査の確定値を公表しました。国の最も重要かつ基本的な統計調査と言われてます。もっぱら人口、人口構造に関心が寄せられます。今回話題になったのも、総人口が(国勢調査としては)初めて減少に転じたこと、そして、お年寄り(75歳以上)の人口が子供(14歳以下)の人口を上回ったことです。新聞一面に報道されていました。高齢化社会がますます顕著になっていることが国勢調査でも確認されています。やはりそうか!、と思ったのは、総所帯数に占める単身所帯の比率が34.6%と1/3を越していること。一人暮らし=単身世帯とか単独世帯と表現されてますが、一人暮らしの性別の年齢分布では男性は25-29歳が一番多い。男性の単身世帯の四割を占めるそうです。一方、女性は80-84歳が最も多い。高齢の女性の一人暮らしが目立つようです。女性は平均寿命が長くダンナさんに先立たれて一人暮らしをするケースが多い。女性70歳代の19.6%、80歳代以上も19.0%に達するそうです。また男女を合わせても、男女65歳以上の6人に1人は一人暮らしとのことです。

 

改めて考えると、僕の母親も最後は大阪で一人暮らしでした。育て上げた息子二人(もちろん兄と僕のことです)は実家を離れ仕事中心に海外、東京での生活になり、その後、それぞれ東京、神奈川に自分の家を構えました。母親本人は住み慣れた大阪の家を離れることなど考えようともしなかった。自分が会社を定年退職した後は、近所のおばちゃん連中、趣味の会のお友達等々の地域のお付き合いに恵まれ、食事会、趣味の会、旅行、それも海外旅行を満喫していたように思います。行く先々で写真を撮りまくり、アルバムに一枚づつ丁寧に張り付け、感想をメモ書きして、我々が返るたびに自慢して喜んで解説してくれました。兄弟ともに話を聞かない男達ですから、「一生懸命話をしているのにちゃんと聞いてくれない」とよくぼやいていたように思います。申し訳ないことでした。旅行の話となると、大阪のおばちゃんは世界最強だと思います。特に群れた時の迫力は、話を聞いているだけで傍に近寄り難くなります。傍若無人、怖いものなし。大阪のおばちゃんは指一本で車を止める・・・これは関西の方にしか分からない表現かもしれませんが。行く先々での買い物、食事の度に添乗員の方は大変であったろうに、お店の方にも迷惑かけたやろなあ。僕の母親の時代が大阪のおばちゃんの全盛期かと思います。今では近隣の大国の爆買いの女性が凄まじく見えますが、あの時代の大阪のおばちゃんからするとカワイイものかと思います。

 

僕も家族を持ち子供たちも少し落ち着いてからは、毎年、大阪に里帰りして年末年始は大阪の実家で過ごすようになりました。この時だけは贅沢をして馴染みのお店にフグを食べに行く。カミさんと娘二人はよく母親の話を聞いてくれていたように思います。長男も意外に話に耳を傾けていたかな。うちのカミさんは結婚以来、母親と上手く合わせてくれていました。別々に住んでいて、日々一緒の生活ではなかったのが良かったのでしょう。但し、すき焼き鍋を囲む時だけは、ほぼ毎回ひと悶着ありました。味付けの仕方が大阪と東京とでは異なる。東京・池袋生れ育ちのカミさんは教えられた通りにやるのですが、母親はそれでも一言二言、苦言を呈します。鍋奉行の役を渡してしまうのが忍び難かったのか。いくつになっても息子の結婚相手に息子を奪われたと思うのか。そのうちに子供達もすっかり慣れて二人のやり取りをニコニコしながら眺めていたように思います。

 

母親が一回目に倒れた後も、医者先生の許可をもらい車椅子に乗せて、同じフグの店に行くことができました。お店の大将が気を利かせて車椅子でも席につけるように段取りをしてくれました。いつものように、母親は自分はあまり食べず子供たちに「たくさん食べなさいよお」と勧めてばかりでした。贅沢なご馳走は自分はさて置き子供・孫に食べさせようというのが食事の風景になっていました。この時には、カラダが弱っていて、実際にあまり沢山は食べられなくなっていたのでしょう。一回目は一人暮らしで家にいる時に倒れました。心原性脳塞栓症、いわゆる脳梗塞です。ご近所さんが発見して救急車を呼んでくれました。幸い意識はしっかりしていましたが、リハビリは大変であったようです。歩くのも大変、車椅子を操作するのも大変、手も不自由になり書くことが困難な状態に。半年かかって筆を持てるようになり、ほぼ一年で字が書けるようになりました。看護婦さんが回復ぶりに驚き、入院先の掲示板のポスター・催し物の案内状に字を書くことを勧めてくれ、母親も褒められたのが嬉しく喜んで時間をかけて字を書いていました。頑張り屋さんです。二回目に倒れた以降は、意識が無くなりました。施設も代りました。次女が婚約・入籍した年でした。年末に我が家のいつものメンバーに次女のダンナも加わり一緒にお見舞いに行ってくれました。彼が、意識の無い母親の耳元に大きな声で「彼女をきっと幸せにします!」宣言をしてくれました。反応がないはずの母親ですが、目元が緩んでうっすらと笑顔を浮かべたように見えました。僕が勝手に泣いていたからかもしれません。その晩は、母親を施設に残したまま、いつもの店にフグを食べに行きました。店の大将が話を聞いて「ええおばあちゃん孝行されはったなあ」と喜んでくれました。そして、おばあちゃんが一緒に来れないのを寂しそうにしてくれていました。それでもフグは美味しかったです。その翌年の2月に亡くなりました。享年90歳でした。

 

母親は一回目に倒れて以降は、リハビリ中、車椅子に乗って家の様子を見に行ったことはありましたが、結局、最後まで家に戻って生活することは出来ませんでした。人に迷惑をかけることを極端に嫌がっていましたから、倒れてからも子供たちと一緒に住んで世話になることは希望してなかった、考えもしなかったのでしょう。自分の家には帰りたかっただろうと思います。やはり自分の住み慣れた家で最後は過ごしたかったろうと思います。単身所帯が>1/3の話に戻りますが、やはりこれだけお年寄りの単身所帯が多くなっているというのは大変な問題だと思います。僕自身はまだ自分自身に対する介護力を高めていけると思っていますが、一人暮らしを維持できる仕組みを整えること、社会全体で言えば、食事・排泄・入浴の看護力のインフラを整備することは喫緊の課題かと思います。上野千鶴子さんの言う「在宅ひとり死」を実現するための仕組みの構築は貴重な提言だと思います。

そう言えば「おひとりさま」は今年の流行語大賞には選ばれなかったですね。予想が外れ残念です。まだ年寄りだけのテーマなのか、世間一般では関心が薄いのかとやや寂しい気がします。

 

 今夜ものんびりと一人メシを楽しみます。母親を偲んですき焼き鍋でもするかな、いやいやこれはやはりみんなで囲まねば。ここは池波正太郎さんの湯豆腐だ。久しぶりにぬるめの燗で一杯やろうっと。

 

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大好きな日向の景色、その2。大御神社の横にある洞窟の奥から入り口を見返ると昇龍が見える。2016年10月。

 

 

和食ブームと昭和の思い出

2013年に和食(日本料理)がユネスコ無形文化遺産世界遺産)に登録されました。海外でも日本食がブームになっていると多々報道されています。昔から有名な、お寿司、天ぷらをはじめ、鰻、焼き鳥、蕎麦、うどん、丼モノまで。当然、日本酒も。海外での日本食レストラン、日本の食材も大人気の由。「割烹」は世界に通じる最強の料理だと嬉しくなります。

世界遺産の登録に際し評価された点については新聞、雑誌でよく解説されていますが、改めて整理すると、①旬の食材を大切に使っている。季節感がある、②食材そのものの自然の美味しさを大切にしている、③健康面から見ても栄養バランスが良い、④日本の伝統行事と結びついており食が日本の文化そのものになっている、ということかと思います。和食と日本料理は同じなのか違うのかという議論もあるようですが、感覚的に言えば、和食というと質素なイメージ、日本料理は豪華なお値段の高いお料理かと。和食=一汁三菜、かなり前の経団連の会長をされた土光敏夫さんがお家で食事風景の取材を受け、めざし、菜っ葉、みそ汁、玄米ご飯がTVに放映され話題になったのを思い出します。放送当時、ああ、経済界の偉い方でも本当に質素な食事をしてるんだなあと感慨深かった。あのイメージが和食=一汁三菜にピッタリかと思っています。但し、後付けの解説では、あの放送は、当時、行政改革を引っ張っていた土光さんが計算づくで世論を味方に付けるためにやった、とも言われています。普段ずっと質素な一汁三菜ではなかったのかも知れません。土光さんの風貌とめざしが似合っていた、絵になっていたので印象深く残っているのでしょう。

 

僕は昭和25年生れですが、幼い時の思い出は、この時に放映された土光さん宅の食事風景のイメージに近いものでした。僕の家も慎ましい暮らしをしていましたが、日本全体が貧しい時代でした。小さな暗い土間。七輪で魚を焼いていた。冷蔵庫は密閉された箱に氷を中に入れて室温を下げるという代物でした。そのための氷を氷屋さんが売りに来ていました。ご飯もかまどで炊いていた。ご飯と味噌汁、お魚は焼き魚か煮魚、野菜の炊いたん、おひたし、あえもの。海藻なんかもよく出てきたような。お肉はハレの日にすき焼き鍋をして食べさせてもらえるだけ。そうそう、お豆腐。豆腐屋さんが「とーふ、とーふ」と声を出し自転車・リヤカーに乗せて町内を回って売っていました。今から思えば本当に貴重なたんぱく源、僕は大好きでした。美味しかった。僕のおばあちゃんは豆腐屋さんが通り過ぎて行ってしまわないように、買いたいときには目印の旗を立てて豆腐屋さんに知らせるようにしていました。祝日に国旗を立てる筒に、豆腐の旗を立てていた。そのうちに旗が立っていなくとも豆腐屋さんが「おばあちゃん、今日は旗立てるの忘れてるんちゃうか」と声をかけてくれるようになっていました。大変なアイデアばあちゃんであったと感心します。合理的な考え方をする人だったようです。恐かったけど。食事は狭い部屋でちゃぶ台を囲んでみんな一緒に食べていました。一家団欒という気配ではなかったと思いますが、とにかく、一緒に食べていました。食事の準備、後片付けが大変であったからでしょう。ラジオの時代でした。外で暗くなるまで遊び、腹ペコになり家に帰る。いつも同じような食事に文句ばかり言っていたように思います。「またこれやあ!」。でも、ただただ空腹を満たす食事が十分に美味しかった。

 

その頃の日本は、ほとんどの人が暮らし向きが日々向上していることを実感していた時代であったと思います。いつ頃からか、台所は板の間に改修されステンレスの流し台になっていました。ガスも普及した。練炭はもう使われなくなった。氷を入れる必要の無い電気冷蔵庫が出てきた。氷売りのおじさんは仕事を変えたのでしょう。

この頃からか、食事の風景も少しづつ変わってきたと思います。八百屋さん、魚屋さん、たまにはお肉屋さんから食材を買ってきて、失礼な言い方をすればワンパターンの和食を作っていたおばあちゃんですが、コロッケとか、カツとかを総菜屋さんから買ってきて食卓に乗せるようになりました。会社勤めをしていたお母ちゃんが見様見真似で自分で作るようになりました。カレーライスも登場。すっかり人気のメニューになりました。街には、ハンバーグとかスパゲッテイ(パスタでは無い!)のお店もポピュラーになっていました。」

 TVが普及しました。皇太子殿下と美智子様の結婚式、ケネデイ大統領の暗殺、東京オリンピックの開催、あっという間に高度成長の時代に雪崩れ込んで行ったような。NHK の今日の料理は2007年が50周年ですから、大体、辻褄があうように思います。暮らし向きがよくなり、台所もキレイに道具・器具も便利になった。一汁三菜に象徴されるワンパターンの和食ではなく、新しい材料も豊富になり、少し手間をかけ工夫した日本料理、一方では、和食に対する洋食が人気を集めるようになりました。そして相変わらずすき焼き鍋はご馳走でした。鍋を囲んでテレビのお笑い番組を見ながら一家団欒らしさも楽しめるようになりました。お肉はまだ贅沢品で、いつも兄と争奪戦をしておりました。

 

おばあちゃんの味、世に言うおふくろの味も、世の移り変わりで変化していくのでしょう。僕も遅まきながら自分で料理に興味を持って以来、日本の料理の良さを大事にしたいなあと感じる時があります。

ちゃんと出汁を取る・・・と言いながら滅多にやっていません。旬を大切にする・・・季節感がある日本と日本の食事は素晴らしいと思います。バランス良い食事にする・・・これはかなり心がけているつもり。行事とヒモツク料理であれば楽しいなあ・・・そういえば、うちの長男が中学生の時、試験か試合かで仲間と一緒に弁当持参で臨んだとき、みんなの弁当が全てカツ=勝!だったと。母さん連中が示し合わせてカツにしてくれた。これは母さんにやられた!と喜んでいました。これも立派な日本の文化だと思います(ダジャレ文化かな)。

 

和食は洋食に対するもので、和食という言い方がされるようになったのは明治以降に海外との交流が深くなってから。意外と近年のことだそうです。「洋」が広まったお陰で、もともとあった「和」を意識したものとか。いかにも日本人的な捉え方で面白く思います。日本・日本人は新しく入ってくるモノを上手く消化して、借り物ではなく自分のモノにしてしまう。カレーライスは絶対に日本の料理だと思います。既に日本の食事に定着した洋食、もともとの和食、両方が合わさったその全てが日本の料理、日本の食かと。最近は更にアジア・アフリカ等々のお料理も日本の料理・食になってきていると嬉しくなってきます。

少し前の新聞記事に結婚についてのアンケート調査結果の解説記事が出てました。「小学生までに人間的な触れ合いをする機会が多いほど適齢期になった時に結婚願望が強くなる。よって少子化対策の一つとして家族行事、地域活動に参加させ人間的な触れ合いを体験できる環境作りを!」と随分と理屈っぽい記事がありました。そんな体験をすることが出来ない環境で暮らしている子供たちがいることが問題なんやろう、と言いたくなりますが、確かに、小さい時に一家団欒を経験していたら、いい年になったら自然と自分の家庭を持ちたいなあと思うことでしょう。「鍋を囲む」なんてのは最高の触れ合いの場だと思います。家族はもちろん、仕事でも、友達とでも。そのうちに「日本の料理の素晴らしさ=鍋を囲んで少子化に歯止めをかけた素晴らしい民族とその料理」なんて評価をされることに繋がると楽しいですね。

 

追伸・・・池波正太郎さんのエッセイでは、「小鍋だて」でお銚子を一本、渋い男の一人鍋の晩酌風景が描かれています。囲んでも良し、一人でも良し。やはり、日本の食はクールですね。うん?鍋はホットかな。・・・。

  

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 2016年10月、大好きな日向の景色。大御神社から日向灘を望む。この後ろの山側に君が代に歌われる「さざれ石」の巌がある。

 

 

 

COOL JAPAN

NHKの番組で「COOL  JAPAN]というのがあります。日本に滞在しているイロイロな国の方(学生っぽいのから社会人まで)にスタジオに集まってもらい、日本の面白いところを語ってもらう番組。テーマは日本の伝統、文化が中心になっていると思いますが、外人の方がそれを見た時に「いいねっ!、カッコいいね!」と思うところを意見交換させる。築地市場で早朝から行列が出来る寿司屋さんとか、東京下町で落語家が外人に粋な蕎麦の食べ方を教えるとか、本屋さんで買った本にカバーをかけてくれるのは日本だけでそれが面白いとか、日本人からすれば何ら特別のことでは無いと思うことが外人さんから見ると凄く新鮮に感じているところが面白い。蕎麦にワサビを添えて啜りながら食べるなど、日本人でも知らない食べ方で、なかなか小粋だねえ、と思うところも出て来ます。進行役のおじさんもあまり出しゃばりもせず上手く外人さんをリードして話をさせていて好感が持てます。

 

海外の方の見方を気にする、海外からの評判に影響されやすいと言うのは、日本乃至は日本人の意識に刷り込まれている性格なのですかね。最近の観光本のなかに「外国人だけが知っている美しい日本」なんていうのがあります。著者はチューリッヒ生れのスイスの方。日本に興味を持っている・旅行を考えている海外の方を対象とした旅行情報サイトを運営されている。日本人の奥さんを持たれて日本に住まれており、サイトに掲載する情報は全て自分たちが実際に見て確認したもの。日本について大変に信頼出来る人気のサイトとのことです。サイトは海外の方に対してのモノですが、この本は当然日本人向けに書かれたものです。副題に「スイス人の私が愛する(日本の)人と街と自然」とある通り、日本人に対して日本の良いところをスイスの方に教えてもらうという趣向の本です。こんなことまで外人の方の見方を持ち出すのかと変な感じがしますが、一読しますと、確かに色々な角度から日本の良いところを紹介してくれてます。著者が強調しているのは、訪れる外人に対して日本人が意識しないでやっている親切さ・自然なおもてなしが大変に素晴らしいことだと。「落し物が戻ってくる奇跡の国」、日本人が自分では気ついていないサービスの良さが訪れる外人には大変に評価が高いのですよ!と力説しています。 

 

日本に対して「クール」との言い方がされたのは、日本のアニメが海外で人気を集めた時の表現として印象に残っています。それまでは日本というと経済の力。かつては政治家でさえトランジスタの商人と揶揄されたり、一時はお金にモノを言わせてニューヨークにあるアメリカの象徴のようなビルを買ってしまうとか、とにかく、経済(カネ)の力、が話題になることがほとんどであったように思います。文化という観点からはフジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ等が変に有名になったり、または、一部のマニアックなフアンがお茶、お花、歌舞伎、能・狂言に関心を持っていた程度で最近言われる日本の文化的な側面を評価するムキは極めてすくなかったと思います。

 

経済力があるからこその日本だったと思うのですが、バブルが崩壊した1990年代から2000年代初め、バブルの崩壊で身も心もズタズタになっていた日本の姿を厳しくえぐった本があります。当時の日本は全くクールどころではなかったと思うのですが、これでもか、これでもか、と思う位、厳しい指摘をしている本です。

「犬と鬼」--知られざる日本の肖像ーー、アレックス・カー、講談社。著者は1952年、米国生まれ。2002年4月第一刷発行。

当時、仕事で付き合いのあった同年配のアメリカ人がプレゼントしてくれました。この方も長く日本に滞在しており日本語も達者で日本の政治・経済に一言ある方でした。確かこの本の著者とも親交があったかと思います。表紙の写真が凄い。手前は昔ながらの日本の田園風景、奥の方に里山里山の山肌に幾何学的な模様が散りばめられている。最近流行りのアートの一種かと思うくらいキラキラしている。よーく見ると、ギャアッ!となります。丸坊主の山肌がコンクリートで固められている風景です。

タイトルの「犬と鬼」は、韓非子に出てくる故事から。「犬は描きにくく、鬼は描きやすい」。著者自ら、故白洲正子さんのご自宅で「犬馬難、鬼魅易」という短冊をご本人から見せてもらい、その意味を教えてもらったそうです。

派手なモニュメント(ハコモノ)にお金をつぎ込むことは簡単なのだ、という著者の言いたいことを表紙の写真が怖いくらいに表現しています。この風景も当時の日本人にとってはそこら辺にある当たり前の風景、何の抵抗も無く目にしていたと思います。著者に言わせると日本人の感性は溶けてしまっている、その最たるものの一つがこの写真。また、町中に張り巡らされている電線。電線を埋めることを考えず、電柱をブロンズ色で被うことに金を使っている。白浜が無くなり、松林が消えた。かろうじて僕ら昭和の20年代生まれ世代には記憶に残っているキレイな白浜、松林。それがなくなり、工業地帯になり住宅街になった。それが経済成長の姿。景色が変わるということは生活がよくなる=良いことだと思っていた時代かも知れません。日本人は細かいところには拘るが、大きなところまで広げたうえでの全体を考えていないから、鬼ばっかりの風景になっているんだ!という指摘です。

帯の宣伝には、海外のメデイアの書評として「日本人への愛のムチだ」とか「日本の政治指導者は国家と国民に恐ろしい犠牲を払わせた」とか、この本が「常識に還る動きに貢献することを望む」とか好き勝手なことが記載されています。

 

この本が出版されてから10数年経過しました。日本は良い方向に変わってるのですかね?(確かに、電線・電柱は主要な都市の表玄関では地下に埋められるようになったと感じます。著者に感謝!?)。海外の日本を見る目=「クール ジャパン」!、良く日本の国民性を理解してくれるようになったということですかね?東北大震災の時の助け合いのシーン、ヒトを慮る気持ち、日本人の僕たちが見ても感動して頑張れっ!と応援したと思います。おもてなし!、東京オリンピックのプレゼンは今となればやや気持ち悪いですが、日本人の持っているおもてなしの心って大切にしたいですよね。日本ってやっぱり良い国なんだ(と思いたい)。

 

ため息が出ますが、今回のアメリカの大統領選挙は醜くかった、と言うしかないと思っています。主義主張よりも好き嫌い(嫌い嫌い)の非難合戦。勝負が終わったら相手を称えてノーサイドのはずが、今回はノーサイドにならない。選挙後のデモも異常なほどの盛り上がり様。国を分断する人間を新しい指導者に選んだ。これも健全な民主国家、これがアメリカ的なんだとの見方もありますが、生活格差、人種・性別・移民に対する偏見を言いつらい国を分断した候補者が選ばれてしまった。勝った後でお茶を濁した言い方に変えようとしても一度心に刻まれたことを忘れる訳にはいかないのではと心配になります。時間が解決してくれる話では無いように思ってしまいます。日本はどうなんやろ、日本は意外とましな国なんやろうか???とイロイロとアタマを巡らせてしまいました。日本は本当にクールなのかなあ。いまでも「鬼」ばっか造ってるんやないやろうねえ。

 

独り言です・・・はあ、今回はテーマが重たくなったなあ。小粋にお蕎麦でも食べにいこうか。最近、料理の話題が出てこないねえ。「料理を楽しむ」がどっかいってしもうた。そうや、和食=世界遺産、これこそクールジャパン。食べ過ぎ・飲みすぎには注意して久しぶりにのんびりと家メシを楽しもう・・・・。

結局、今晩は、「僕でも出来る 一人分・韓国風ラーメン鍋」にしました。レシピはCPの「クルルのおじさんのキッチン」に(そのうち)アップしておきますので是非覗いてください。

 

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2016年11月 東山公園の紅葉

 

 

ひと手間

 「ひと手間かける」っていい言葉ですよね。「ひと手間を加える」、「ひと手間を惜しまない」。「ひと」が無くて「手間」だけだと「手間がかかる」=邪魔臭い、という感じがして、どちらかというと否定的なニュアンスが強い言葉に思いますが、「ひと手間かける」となると随分と肯定的な、柔らかくて丁寧な言葉に感じられるように思います。ひと手間かけて面取りをする、というような言い方は日本料理の独特な表現のような感じがして好きです。ひと手間かけて、面取りをする・出汁を取る・小骨をとる・薄皮を剝ぐ・アクをとる等々、料理のレシピ本の中によく出てきます。ひと手間かけることで得られる美味しさを理解できれば、ひと手間かけることを厭わなくなるそうです。

但し、偉そうに言ってますが、この言葉は好きなのですが実際に料理をするときにはせっかちな僕はまだそのひと手間をかける余裕がありません。いかにもその通りだと頭では分かるのですが、作業する時には、どうしても面倒と思う気持ちが先に立ちます。邪魔臭いと思ってしまうと料理仕事が嫌になって先に進まなくなりますので、結局、端折るべきはどんどん端折ってしまいます。まあ大体こんなもんやろ、えいやっで勝負している訳です。

 

ここでまた辰巳芳子先生の登場です。奥が深いドキッとするような名言です。曰く「面倒が先に立つ方は、人類が初めて鍋を知った時の興奮を想像してみましょう。気後れする方は、大昔の炉端の光景を。彼らはその鍋でいのちの保証を喜び合ったに違いありません」(辰巳芳子の展開料理)。人類が初めて鍋を知った時、などという言い回しに出会うとワクワクして嬉しくなってしまいます。この方の食べ物・料理に対する考え方には本当に驚かされています。こういう風にモノを捉えられる感性は大切にしたいと思う訳です。

 

一方で、台所仕事・料理は過酷で危険な労働であった、との見方を紹介している本もあります。 「キッチンの歴史」。副題に「料理道具が変えた人類の食文化」とある通り、スプーンや包丁、鍋・釜、オーブン、冷蔵庫、電子レンジなど、古今東西の料理道具、調理器具の歴史をたどりながら、それが人類の食文化をどのように変えてきたのかを考察したユニークな本です。著者はビー・ウイルソン、1974年イギリス生れ、ケンブリッジ大学の博士号を持つ女性ジャーナリストです。真田由美子訳、河出書房新社、2014年1月初版発行。初版発行時の新聞書評を見て買いました。面白い件があります。

曰く、「人類の歴史で料理はずっと過酷な労働だった。台所で行われる主な二つの料理行為、切ることと加熱することは危険な行為だ。今日でも生死にかかわる問題であることを私たちは忘れがちだ。道具の進化によって、料理は使用人ではなく自らが行うものとなり、また楽しむものとなった」。「料理は長い間、狭い場所で汗と熱と煙にまみれながら危険を覚悟で従事する仕事であり、世界の多くの地域ではまだこうした労働環境が続いている。実際に発展途上国では毎年150万人もの人が料理をする時に室内で燃やす火からでる煙で亡くなっている」そうです。訳者後書きにある通り「料理道具の歴史を題材に、豊かな生活とは何かを現代人に考えさせる文化論」です。

 

こう考えると、僕が料理するぞ!と台所に向かっていけるのは、まさに文明開化、技術進歩のおかげ、感謝するしかありません。なんと台所仕事が楽になったことか、これだけ楽になったのだから楽しんで料理する、料理を楽しめる時代を楽しむようにしないと先達に申し訳ない。これだけ楽になったのだから、ひと手間かけることくらい厭ってはいけない、と相変わらずアタマではよく理解出来るのです。理解をしたアタマが、料理をする時にはカラダに楽しめ、楽しめと言っているような気がします。だんだんとカラダも楽しんできていますが、メンドウが出てくるとカラダは正直に反応してしまい、まだ「ひと手間を楽しむ」域には達していない状態であるというところです。

 

先日、兄の家で法事がありました(「台所」を参照ください)。お互いの家族が集まって亡くなられた奥様を偲んで明るく楽しく歓談。メインの食べ物は近くの寿司屋さんから取り寄せた(実際には、兄の次男がわざわざ取りに行ってくれた)お寿司ですが、なんと、副菜・つまみに兄の手料理が出てきました。それも亡くなられた奥さんが家の庭に植えていた蕗(フキ)、零余子(むかご)を自分で摘み取り、自分なりに煮たり蒸したりしたもの。奥さんが元気な時に料理していたのを覚えていて、見様見まねで料理したとか。”むむっ、出来る。あんた料理なんか全然できひんかったんとちゃうのん”、僕のレベルを超える技を持っているのではと驚きました(「台所」で書きました僕が教えたレシピ(炊き込みご飯です)は、大変に役に立っていると評価してくれていました)。

兄は僕から見ても仕事一筋人間。家でも話すことは大半が仕事の話、乃至は、仕事で付き合いのある方の話。世に言う家庭的な話題は不得意な方で、顔も強面、仕事以外は何かにつけ不器用。この日も同様の会話が進行するなかで、このフキとむかごのお皿を出したときだけは、珍しくちょっと照れているようで、思わず可愛い奴やなあ、と思いました(弟が兄を表現する言葉としては不適切かもしれませんが)。こんな、かわゆいとこあったんや。奥さんの思い出を大切にして、奥さんが育てたフキとむかごを、ひと手間かけて料理した美味しいお皿でした。身内の話ですが、正直ちょっと見直しました。

 

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2016年10月、沖永良部島のえらぶのユリの球根をプランターに。芽、出てくれるかな。

 

 

 

同期会

大学のゼミの同期会に出席してきました。ゼミの同期生は15人。個別のお付き合いは卒業後もそれぞれ続いていたのですが、全体として集まることはありませんでした。それが60歳を超えた辺りから「ゼミの同期会やろう」という声があちこちで高まり、まとめ役がいてくれたお陰で年に一度開催出来るようになりました。毎年10人前後が参加。今年は、兵庫県の舞子にある由緒あるホテルで一泊二日の開催です。8人が参加しました。40年位ぶりの再会となる友もいました。懐かしい限りです。元気にお酒を飲む人、健康に留意して控えめにしている者、もともとあまり飲めない方、イロイロですが、お風呂に入り、ゆっくり食事をして、それなりにアルコールも入ると場の空気は昔の学生時代に戻っております。近況報告を行い、いつもながらの昔話が一巡すると、やはり話題は、健康、生活、家族の話となります。

 

「60歳を超えた辺りから」というのは、サラリーマンとして定年を向かえた頃、ということです。同期生各位のお仕事としては企業のビジネスマンが一番多いですが、役所、大学教授、自営業・他と多岐に亘ります。定年後のパターンとしては、自分の特技を生かしたボランティア活動、ゴルフ三昧、旅行、各種の習い事、もちろん、仕事をしている人もいます。皆さん色々と工夫をして、これらを組み合わせて毎日を充実させていらっしゃる。その中で、印象に残った毎日の過ごし方を少し紹介します。文にするとよくある事例でお終いですが、学生時代のあいつがこんなことするようになったんかいな、と面白がっている次第です。

晴耕雨読!。近所の畑を借りて野菜中心の作物作り。畑仕事は全くの素人であったが貸し手の農家さんが親切に指導して下さるとのこと。感心するのは、作物作りを生活の中心にして一日を組み立てている。毎日、散歩に行くような気分で畑に。畑仕事で汗を流し、その後は図書館で読書三昧。これを文字通り日課として継続し、すでに数年続けている由。最近では、作物コンクールで賞をもらうほどの腕前になったとか。もともと読書家・研究肌の方、野菜を育て出来たものをみんなに配って喜んでもらい、大好きな読書をして毎日を充実させてらっしゃる。聖人君子と驚くだけで、これは僕にはマネが出来ないかなあ、凄いなあと思いました。奥さんがこの生活パターンに関与されている訳では無いとのことでした。今年はお野菜価格が高騰の折、ご近所さんが喜ぶでしょう。

②料理の教室。これは僕も大変に興味がある分野なので面白かった。有名な料理教室に通っている。もともと釣りが大好きなので、自分で釣果を捌きたいという一心から。偶然にも友人が同じ教室に通っていて、授業のあとで一杯やるのが楽しみになっている。既に一年以上は通っているようと。彼も(僕とほぼ同じく)この年になるまで、男子厨房に入らず、の生活をしてきた男子であります。奥さんに習った料理を作っているのかは聞きそびれました。

③ピアノ教室。この方はそれまでは全くピアノを弾いた経験は無かった。子供たちが家を出て、残されたアップライトのピアノを見ているうちに弾いてみたいと思った由。大きなピアノ教室で、小さな子供達と一緒にレッスンを受けている。子供たちの上達に負けないように自分自身が頑張っているのが自分で面白いと感じていると。すでに一年以上は続けることが出来ている。そのうちに子供たちに交じって発表会にも出てみたいと。僕自信も、最近、音楽・コンサートに関与することがあるので、興味深く拝聴しました。僕が関心をもっていることは、また、別途、紹介させて頂きます。

 

男は仕事がある限り、どうしても「外」での生活が中心になっています。定年を向かえる、仕事を終える、ということは、男が家に入る時、ということになります。一方、奥様方はそれまでずっと家を守り、家を中心にした自分の世界を持っており、その世界の中にはダンナの存在は無い、ということだと思います。世に言う熟年離婚とやらも、このミスマッチから生じるものなのでしょう。同期会でみんなと話して面白いと思うのは、定年後の「内」の世界にスッと入っていける方がいる反面、片方では(こちらの方が多いように思います)、奥さんと24時間ずっと一緒にいる生活にかなり抵抗を感じる、乃至は、奥さんの従来の生活のパターンを崩すことを慮っている方がいます(僕は後者かと思います)。どちらも奥さんと仲が悪いという訳では無く、お互いを慮る気持ちがあるから。晴耕雨読も、ピアノ教室も、料理教室も、奥さんとの生活の観点からすると距離感に工夫しながらも、奥さんとの付き合い、触れ合い、間合いを大切にして、お互いのそれぞれの生活をレスペクトして共生していこうとしている。

 

「男おひとりさま」を書いた後、上野千鶴子さんに興味をもっています。順序が逆だと笑われますが、正直、それ以前はどういう主義主張の方か存じておりませんでした。ブログを見た方から彼女についてのイロイロなコメントを頂いたので、彼女の代表作と思われる本(学術書では無い)を二冊ほど紹介してもらい読んでみました。「ザ・フェミニズム」(これは小倉千加子さんとの対談集)と「女ぎらいーニッポンのミソジニー」(これは読む前に誤解してミソロジーと思い込んでいたので読み始めてひっくり返りそうになりました)。僕自身がフェミニズムについても上野千鶴子さんについても全く理解していなかったことがよく分かりました。本のカバーには「上野千鶴子が男社会の宿痾を衝く」と出版社のいつもながらの宣伝文句があります。解析力・洞察力の鋭いことには本当に感心しましたが、やはり、男の目から見ると、随分と一方的な見方やなあと思いました。ご本人の後書きにある通り「批判するなら、お勉強してからにしてよね。まあ、抵抗勢力が本を買って読んでくれたらめっけもの」ということですから、僕は二冊も(最初の本をいれると三冊も!)買ってしまいましたら、マンマと術中にハマったんでしょうね。でも、フェミニズムと言っておられますが、結婚という形はやはり大事だと思います。その形が造り出す家庭・家族って有難いものですよね。大切にせなあかんわ。

  

奥さんとの距離感一つとっても、同期の方々の「内」の世界での過ごし方にイロイロなパターンがあるように、本当に色々な間合いがあると思います。とにかく、人間一人で生きていくものではなかろうかと。僕たちの世代は、結構、奥さんのことを大切に思いつつ、「内」の世界と格闘し始めているんだとの思いを新たにした同期会でありました。

 

 2016年10月22日、舞子から明石海峡大橋、遥かに淡路島を望む(同期会、友・撮影)

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先輩

僕が最初に勤めた会社は世に言う「総合商社」で、関西・繊維系、最近でも極めて存在感のある会社です。今でも個性的な方が多いと思いますが、僕の先輩にもユニークな方が沢山いらっしゃいます。その最たる方のお一人が「炒り豆腐の思い出」それから「私の本棚」の欄でも出てくる当時の課長さんです。

 

この先輩は課長であったころ「ゴルフは本を読めば上達する」という固い信念を持たれていました。「そんなアホな、本読んで上達できるんやったら世話ないわなあ」というのが僕も含め周りの反応でした。信念の人は強いのです。本を読むからには徹底して読む。「10冊、20冊ではダメだ。100冊の本を読めばゴルフの全てが分かる。100冊だぞ!」と言われても凡人の僕にはピンと来ませんでした。

 

結果を先に言いますと、後日、この方は本当にシングルプレーヤーになってしまったのです。有言実行の方ですから、確かに100冊以上のゴルフの本を読まれたのでしょう。但し、この方は会社人として最高の立場にまでなられた方ですから、お仕事の上でも沢山の回数をプレイをする環境に恵まれた。それで結果的にシングルになれたのだ、というのが専らの解釈です。

しかし、僕自身、単身生活になってからはプレイの回数だけで言えば多分負けないくらいのラウンドをこなしていると思うのですが、あいかわらず、シングルにはほど遠い状態。ついつい100冊の本の威力を信じてしまうような気持になります。「僕はそこまで本を読まなかったからかなあ」なんて弱気になってしまうわけです。冷静に考えれば、もっと妥当な理由は、単純に運動神経、練習量、上手くなろうというガッツの問題があるのでしょう。

この先輩は第一線を退かれた後も、執筆活動、講演活動を精力的にこなされています。少し前に,「これだけたくさんの本を出されたのだから、次は、ゴルフの本ですねえ」と冷やかし半分に言ったつもりが、ご本人はかなり真剣に 考えられているようでした。・・・本当に出版されたら一体誰が買うのでしょうかねえ(影の声)。

 

料理の本を読み始め、料理を自分でやるようになってから、時々、この先輩の当時の話を思い出します。「よしっ、それなら僕は料理本を沢山読んで料理の名人になろう」なんて思ったりして。今でもこのコンセプトは密かに温めているのですが、ある時、家族に話をしたら場にシラーとした鳥が飛んでいるような気配になりました。だがしかし、偏屈な天の邪鬼からすると、近年の調理器具の発達、調理インフラの大幅な改善、材料の扱い易さ、等々の技術進歩を冷静に勘案すると、あながち頭から否定されるものでは無いと思うのです。

「料理は頭で創るもの・・実技は後からついてくる・・」てなタイトルで日野原先生のようなインパクトのある方が本を出せば結構いけそうに思うのですがね。

 

これを書いている時に、何んと、僕のブログに対して初めての書き込みを拝見致しました。それも二人の方から。数行のコメントとは言え、ちゃんとした感想・ご意見・励ましの言葉で感激しました。

もともと反応を期待して書いている訳ではないはずですが、やはり、反応があるのは嬉しい。自分の予想を超えるくらいに嬉しい、気分が高揚している。

野球、サッカーのヒーロー選手がインタビューで大きな声でフアンの方々に「ありがとございまーす、応援、よろしくお願いしやーす」と言ってますが、余り好きではありません。プロがファンに迎合したらアカン。長嶋茂雄はそんな挨拶はしてなかったぞ。もっと自分に自信をもって孤高をつらぬけ、と言いたくなるのですが、何のことは無い、二人の方からメッセージを頂いただけで「宜しくお願い致します」とヘラヘラと喜んで反応している次第であります。

 

執筆活動を続けておられるこの先輩の本はベストセラーにもなっています。ほとんどが企業経営、政治経済についてですが、エッセイのような本もあり、若い時の本の読み方についての記載がありました。「傍線を引き、これっ!と思うところはノートに書き写していた」そうです。そんなノートが何冊もあり、最近、たまたま見つけて懐かしく思った由。へえー、このおっさんでもこんな工夫・努力しながらチャンと読んでいたんだ、と妙に納得、安心したのを覚えています。はい、僕も赤ペンで傍線を引きまくりながら読んでいます。書き込みも一杯してしまいます。だから読んだ本を人にお貸しするのは恥ずかしです。残念ながらノートは付けておりません。

この先輩は、ベストセラーの本を含め多くの本の印税収入を全て寄付に回されています。「名誉とカネのためではない。自分の書きたいことを書くために寄付に回すんだ、俺は読者にも迎合していないぞ」(註:これは僕の全くの独断の解釈です)との大先輩の矜持が読み取れるようで楽しいです。

昭和のおじさん世代から言うと、こういうのが COOL! かな。

 

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                ・・・・2016年10月14日、彦根城、朝7時ごろ