クルルのおじさん 料理を楽しむ

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大雪 

一月の第二週から風邪をひいています。最近は、たかが鼻風邪とバカにせず素直にお医者さんに診てもらうようにしています。年を取ると治りが遅くなっているように思うので、長引かせたくないですから。予想通り、鼻風邪でした。鼻水とくしゃみが止まらない。喉が思った以上に腫れているとのことでした。インフルエンザではなかったので一安心。金曜日は念のため会社をお休みにさせてもらって家で休養しました。夜の会食、土曜日の予定は全てキャンセル。外には出来るだけ出ず、マンションの中に閉じこもる生活になっています。熱はそれ程高くは無く、寝込むほどのものではありません。丸々一日中、閉じこもっていると、何も用事がなくとも外に出たい、外の空気が吸いたくなります。買い物をする必要がある訳では無いのですが、気晴らしも兼ねて近くのスーパーに買い物に行きました。

近頃は便利なもので休んでいてもメールの交信で簡単に近況の確認も出来てしまいます。友人からお見舞いを頂きました。「・・・単身で風邪をひくと何とも寂しいもの。メシと風呂、汗をかいた下着などの洗濯等々。調子が悪い上に、全部自分でやらなければならない。いやはや・・・」。この友人も単身赴任の経験のある方で、まことにおっしゃる通り。気力が弱っている相手にわざわざダメ出しをしてきてくれるこの親切さには、アタマが下がる思いがします。傷口に暖かく塩を塗り込んでくれる友人がいるというのは本当に有難いことだと痛感しました。”ほっといてくれー”と思いながらも、普段の単身おひとり様の気軽さの裏返しで、病気の時のこのモノ寂しさにはホトホト参ってしまいます。

 

スーパーの総菜・食品コーナーを見ても、もともと食欲が無いわけですから、あまり気晴らしにもなりません。しかし、その時、お疲れ様コーナー=賞味期限切れに近い食品をデイスカウント価格で売っている棚の上に、「春の七草」のセット、フリーズド・ドライもの、を発見。この瞬間、風邪薬で普段以上に朦朧としている頭脳がやや機能を回復し、留守宅で食べた七草粥を思い出し、それと同時に、いまのマンションにしまってあった電気お粥鍋マシーンの存在が見事に蘇りました。この鍋は、おじや・お粥・雑炊の専用の道具で、材料を入れてセットすれば後はスイッチを押すだけの優れもの。1-2回使った後、しまい込んだままになっていました。理由は分かりませんが、俄然、やる気が出てきて賞味期限切れに近い春の七草粥セットを買い込み、その晩は、春の七草の雑炊を作りました。病気で体力・気力が減退していても、文明の進歩で、マシーンが単身おひとり様の強い味方になってくれました。食欲はそれ程無かったですが、お腹に優しいモノを簡単に作ることが出来て、満足して美味しく頂けました。

 

天気予報では、14日の土曜日から日本列島は強い寒気に覆われ、広い範囲で大雪が懸念されていると。丁度、この土・日曜日は大学入試センター試験です。この冬、一番の冷え込みということですから、受験生の方々は十分に準備して対応されます様に。

僕の大学入試の時も稀に見る大雪の日でした。大学だけでは場所が十分でないためでしょうか、僕たちの受験は大学のある神戸の地元高校で分散して受けることになっていました。”地元神戸の受験生が有利やないか。これは不公平や”などと嘯いておりましたが、今から思えば、隣の大阪にいながらこんな文句を言っていたわけで、遠方から泊りがけで受験に来ている方々も多数いたわけですから、全く、自分本位な高校生であったかと思います。とにかく予想以上の積雪でした。雪対策を全くやっていなかった僕は底がツルツルの靴を履いており、駅からの道を普通に歩くことさえ困難で体力をかなり消耗しました。更に更に、受験場所の高校に入るところが結構な登り坂になっていて、雪が氷になりつつあるその坂を一人で立って登ることが出来ない。滑りに滑って、ヘトヘトの状態に、”かくなるうえは、四つん這いになってでも登らねば”、と思いかけた時、見るに見かねた係の方が両脇を持って支えてくれました。やっとのことで坂を上り切り教室に到着したのは、試験の開始時間ギリギリになっていました。体力には自信はあった方ですが、息を整える余裕もなく、集中力を失っているのが自分でも分かるほどでした。”もはやこれまでか”と思った時に、開始時間を一時間ほど繰り下げるとのアナウンスがあり、文字通りホッと一息。助けられたと思いました。

合格発表の日、朝一番に大学の掲示板を見に行きました。合格を見届けて、そのまま友達と時間を潰して、家に帰ったのは夕方になってから。結果を心配していた母親からたいそう叱られました。『不合格、ショック、最悪の事態、・・・』悪いことばかりを心配していたようです。申し訳ないと思いつつも、煩く言う母親に「うるさいなあ、落ちるわけないやろ、そんな心配することないで」などと不遜なことを言ったように思います。その場にいた、兄が上手く取りなして収めてくれました。兄からは、その後すぐに母親のいないところに連れていかれ、一言注意されました。「あほかお前、ちゃんとあやまっとけ!」。

 

 天気予報の通り、週末は各地で大雪となりました。センター試験も、14日の午前中で9会場で試験開始時間の繰り下げがあるなど対応が大変であったようです。僕は、結局、金・土・日の三日間のお休みになりました。晴耕雨読ならぬ、風邪のため閉じこもりの読書。メール、電話以外は外部との接触がほぼ無しの状態が三日間続きました。今の僕にはこれくらいが限界かと思います。一人で無人島の生活には向いていないかと痛感しました。お陰様で、本は沢山読めました。

 

その中の一冊、「あなたの体は9割が細菌」ーー微生物の生態系が崩れはじめたーーアランナ・コリン著、矢野真千子訳。河出書房新社

今回は、体調不調もあってか、メランコリックなお話になったかもです。この本も病気で体調がよくない時に読むのはややツライところがありますが、大変に面白い本です。別途、元気になってから紹介したいと思います。

 

日経の土曜日「プラス1」にポン酢の有名ブランドが紹介されていました。大好きな日向の平兵衛酢が入っていません。日向の平兵衛酢を知らずして、ポン酢を語ることなかれ、と言いたいです。 「平兵衛酢=へベす」と読みます。

 

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自慢の調味料、写真の真ん中が、日向のへべす(平兵衛酢)使用の「幻のへべすポン酢」。雑炊にももちろん合います。美味しく頂きました。そのほか湯豆腐にも最高です。池波の正ちゃんにも教えてやりたかったなあ。小鍋だてにも絶対合いますよ。

 

正月の風景

あけましておめでとうございます。年末年始は、留守宅・我が家に戻り、のんびりと過ごしました。大晦日の夕方、体重計に乗ったところ前年同時期より約4㎏減少していることを確認出来ました。特に減量しようとナニをした訳では無く、多分、前年に比べて仕事上の忘年会・会食の機会が減ってくれたお陰と思っています。僕はお酒大好き人間なので、会食の時には間違いなくお酒を飲みますが、飲んでも食事の量が変わらない、いや、かえって沢山食べてしまうという体質?のため、飲む機会が多い=体重が増加する、という構図になっていました。

少し心がけたことは、食べ過ぎた・飲み過ぎたと感じた時には、翌日は、自分が本当にお腹がすいたと思うまで食事をとらない。特に週末は、金曜日の夜に飲みすぎ・食べ過ぎ状態になった時、土曜日が家で休息出来る場合には、朝ごはんは食べない(食べる気がしない)、それから、お腹がぐうーっと信号を発信してくれない限りお昼ごはんも食べない。夕方、間違いなくお腹が減ったと感じてから食べる。但し、水分は十分に補給します。朝から、ミネラルウオーターは飲みますし、お茶=日本茶は大好きです。以前は、規則正しいことがカラダに良いと信じ込んでいたので、二日酔いの翌日の朝ごはんも、お腹がすいたと思わなくとも食べていました。これを修正して自分の体の声に素直に耳を傾けるようにしています。これが食事の仕方として健康の観点から適切なのかどうか知りませんが、美味しいものを頂きつつ、ある程度の体重管理をしたいと思う時、まあ、やむなしの方法かなあと思っています。

 

元旦の夕方、朝からの飲みすぎ・食べ過ぎを反省しつつ、街を散歩しました。なんと!(というほどのことではないのかも知れませんが)、大手の百貨店系のスーパーが正月初日からオープンしておりました。コンビニは年中オープンしてくれているという認識はありましたが、スーパーは元旦はさすがにお休みと思っていました。お店を覗いたところ、食品・総菜コーナーでは刺身をはじめ、ほぼ、通常通りのラインアップとなっていたようです。おせち料理を家庭で準備するという必要性はほぼ完全になくなったかと思います。もはや、おせち料理はデパート・コンビニ・料理屋・総菜屋さんで売っているものをハレの日に買う料理、てな感じですかね。

1月8日付けの日経・文化欄に歌人の馬場あき子さんが ”1945年の大みそかの夜「何を食べたか」”についての随想を寄稿されていました。その最後の件に「今年の大晦日、ついにわが家の食卓にも手作りならぬ料理が並ぶようになった。色彩豊かな御馳走を眺めながら、あの日の大晦日の切実な食への思いがよみがえり、食の原点を忘れていく今日に感慨無量であった」と書かれていました。世代的には僕の母親に近い方ですから、僕らよりももっともっと感慨無量かと思いますが、僕らの世代でも結構感慨深いものを感じます。

 

お正月には、朝からお酒を頂きます。おせちがツマミで、お雑煮がメインデイッシュのような。今年は、長女のダンナが元旦を付き合ってくれました。二人の長男(僕の孫)が今四か月なので、長女のダンナの里帰りにはまだ連れて行かないほうがよいだろうとの判断。朝、うちの家に連れてきて、うちで一杯やってから、その足でダンナだけ長野の実家に大急ぎで移動するという忙しいスケジュールです。何やら申し訳ないような気がしましたが、お陰様で僕は飲む相手が出来て楽しくお酒を頂くことが出来ました(彼もお酒大好き人間なので)。

 

うちのお雑煮(今回初めてレシピをカミさんに教えてもらいました)は、すまし仕立てです。角モチを焼いて、具はカシワ、大根・人参・里芋、なると、絹さや、みつば・ゆずの皮。出汁はアゴ出汁、味付けは、薄口しょうゆ、白だし、みりん少々とか。結構、具たくさんです。僕は大阪の母親のお雑煮と同じかと思っていたのですが、大阪では、丸モチであったらしい。すまし仕立ては同じですが、具は、かしわ、茹で白菜、蒲鉾のみであったと。そうそう、そうでありました。大阪の実家は丸モチでした。長い年月の間にカミさんなりに自分の実家とダンナ(僕のこと)の実家の味を融合させて今の形を造り上げたのか?。一緒に気持ちよくお酒を飲んでいた長女のダンナが、自分の実家(長野県下伊那郡)でも同じ系統(すまし仕立て)の雑煮であり、うちの家の雑煮と味も結構似ているとコメント。すまし仕立ての雑煮の味は地域によってそれ程大きな差はないのかとも思いました。関西は、味噌仕立てが多いようですから、僕の実家の雑煮が変わっていたのかとも今更ながら思いました。

 

櫂美知子さんの「食の一句」に面白い句があります。

===  馴染むとは 好きになること 味噌雑煮 === 西村和子

”「すまし汁」から「味噌仕立て」への転換・・・ときに妥協し、口論しながもゆっくりと馴染んでゆく味。年明けを祝う一椀の湯気にこそ、家族の歴史があるのでは” と解題されてます。

兄の亡くなった嫁さんの神戸の実家は味噌仕立てであった由。この句とは逆に「味噌雑煮」から「すまし仕立て」に転換していたんだ。うちの家は「すまし」から「すまし」だから平穏な転換だったと思うのですが、それでも、結構イロイロな家族の歴史が刻まれているのでしょう。 

 

三が日の後、いったんは単身生活に。名古屋の単身マンションで教わったばかりのお雑煮(モドキ)に挑戦してみました。おモチは無し。それなりのモノに出来上がったのですが、やはり、何かピンとこない。風情に欠ける。モチが入っていないせいか、一人だけで食べる食事だからか、はたまた、お雑煮(含む、モドキ)とはそもそもお正月三が日に頂くから美味しい料理なのか。 

 

7日、また、留守宅・我が家にて七草粥を頂きました。七草粥セットの野菜を使ってです。余り文学的センスがあるとは思えない長男が以前から七草は諳んじています。これは57577調の威力と思っています。これも日本と日本人の歴史なんでしょうね。

=セリ・ナズナ ゴギョウハコベラ ホトケノザ スズナスズシロ これぞ七草

食べ過ぎのお正月の後には、確かに胃腸を整えてくれる、ホッとするお粥さんだと思います。思わずお代りをして食べ過ぎました。七草粥を食べ過ぎて体重が増加したらシャレにならないと思いますが、久しぶりに体重計に乗ったところ、予想通り年末からは順当過ぎる増加ぶりでした。ただし、サクタイ(昨年同時期・同期間との対比の意味、一種の業界用語です)では、まだ減少幅を維持しており一安心しました。

 

本年もよろしくお付き合い下さい。健康一番でやっていきたいと思っております。

 

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 えらぶのユリ。三号鉢も無事に発芽してくれました。みんな元気に花を咲かせられるかな。2017年1月9日撮影。

 

餅つき

小さい時、物心がついて以降、年末になると餅つきが楽しみでした。毎年、暮れの30日だったと思います。その頃は、おじいちゃんが家で溶接工場(”こうば”と発音します)をやっていました。溶接技術を持っている下町の鍛冶屋さんというイメージです。その日のお昼まで仕事をして午後には仕事収め、大掃除。工場をキレイに方付けてから、餅つきの準備を開始します。しっかり者のおばあちゃんが総司令官です。貧乏な家の割には、随分と立派な餅つき道具を揃えていました。普段どこに仕舞っていたのか分かりませんが、どこからか白御影の石うすを持ち出し、木のしっかりした台の上に設置。一方では、鉄のかまどにマキを入れ火を起こします。このかまどはおじいちゃんの手作りであったと思います。昔の人は何かにつけ手慣れたものでした。セイロを4-5段は重ねてモチ米を蒸しにかかります。あっという間に準備完了。夕暮れ時になり、会社勤めをしている母親がニコニコ顔で元気に帰宅。ご近所では餅つきをするところは無かったようで、皆さんが通りすがりに暮れの挨拶もかねて声をかけてくれます。当時の年末というのは、”一年なんとか生活出来たなあ、無事に年を越せそうでお互いに何よりや”、というほっとした気配が強く漂っていたように思います。

 

兄と僕は、何の役にも立たず足手まといの状態。母親がセイロのお米の蒸れ加減をチェックする時に、一つまみ口に入れるのですが、これを分けてもらい食べるのが好きでした。ホクホクとして美味かった。

 餅つきは、おじいちゃんがモチをつく係。おばあちゃんと母親は割烹着を着て、手拭いを姉さん被りにして。交代でモチが杵にくっつかないように水を足したりモチを返したりするコネ係。お互いに掛け声をかけて、エッさホイさと元気よく。一ウス出来上がるたびに、これも極めて手際よく形を整えていきます。最初は、大きな鏡餅を作ります。二段か三段の鏡餅2セット分は作っていたような。その後はナマコに形を整えます。木の箱にドンドンと入れていく。その間にも、次から次に蒸しあがってくるので、おじいちゃんは一人でモチをつきっぱなしの状態。セイロ4-5段分を二回転ほどの量はついていたと思います。今から思えばよくあんなに沢山の餅をついていたものだと感心します。最後の一ウスか二ウスの餅は、小さくまとめ、その場で食べます。アンコか黄な粉をたっぷりとまぶして。近所のかたもよく心得たもので、この頃になると、また寄ってきて声をかけてくれます。おばあちゃんは皆さんにモチを大判振舞いするのが大好きでした。近所の人も一緒になって、みんなでワイワイガヤガヤ言いながら食べていました。特におじいちゃんは餅が大好きで、兄と僕に”モチを食べると元気になるぞ、もっと食べないと大きくならないぞ、食べろ!食べろ!”とうるさいほどでした。つきたてのモチは確かに旨いです。僕は黄な粉をまぶして食べるのが好きでした。意外とのどには詰まらないものです。ナマコ状の餅は、固まってから大きなカメに入れて水でヒタヒタに浸して保存していました。沢山作るのでかなり長い間、おやつに頂いていた。朝ごはんもモチだったのかも。火鉢でモチを焼いて、プーっと膨らんでくるのが面白かったです。焼いたモチはもっぱらしょう油をつけて頂いてました。

 

おじいちゃんが工場を閉じるまで、餅つきは毎年継続しました。最後の何年かは兄と僕が二人で餅つき係をしました。おじいちゃんは力は強かったのですが、流石に年のせいで腰が痛くなっていました。兄と僕に餅つきのコツを一生懸命教えようとしてくれました。小さい時は、大きく見えた工場ですが、閉鎖した後から振り返ってみるとると、よくこんな狭いスペースで溶接工場なんぞやっていたものだと驚くほどの狭さでした。

 

鏡モチというのは、年神様(歳神様)に対してのお供えだそうです。年神様がやってきて鏡モチに落着いてくれる。だから鏡モチには神様の魂が宿っているという受け止めかたです。鏡餅を小分けにするときは”鏡開き”と言います。切るというのは忌み言葉とのこと。小さくした餅を配るのがお年玉(年神様の魂、魂=玉、だからお年玉だそうです)。年神様の魂が宿っているから、家長さんがそれをみんなに配り、それを頂いたみんなは生命力が強くなると。お雑煮を頂くのも同様の考え方のようです。昔は、なかなか味のある行事があった訳です。

おじいちゃんは、大変に信仰心の篤い人でした。「餅を食べると元気になる、力が出る」と言っていたのは、ひょっとすると、心底、年神様の魂を信じていたからかも知れません。鍛冶屋仕事をしている割には、読書が好きで、かなり難しい人文科学系の本を読んでいたようです。

おばあちゃんは、前にも書きましたが、合理的な考え方の人でした。あれだけの量の餅つきをしていたのも、餅を沢山作り保存して食べるほうが、お米を買うよりも経済的だと考えていたからかも知れません。おじいちゃんがお餅大好き人間だということもあったのでしょう。とにかく、このお二人は良いコンビであったと思います。

餅つきは一人では出来ませんから、大騒ぎしながら、自ずとみんなで協力しあいます。餅を作り上げるというのは、自然に家族の連帯感を高めて、喜びを分かち合うことになっていたように思います。

僕の長男が幼稚園児の時に、幼稚園の餅つきの行事があり、それこそ昔取った杵柄で久しぶりに餅つきを手伝ったことがありました。今思い出しても、蒸されたコメが一突きごとにまとまって、ほどよい固まりになっていくのを体感するのは、やっていて大変に達成感があります。一つの快感ですね。確かに神様が宿ってくれそうな感じもします。

それにしても、家で使っていた餅つきの道具一式は一体どうしたんだろう。残しておかなかったのが今となれば返す返すも残念です。

 

9月からですが、読んで頂いて本当にありがとうございます。よいお年をお迎え下さいませ。来年もよろしくお付き合いのほど。

 

 

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 大好きな日向、その4。2016年10月撮影。クルスの岬から日向灘を望む。写真の左側(海側)から見ると「叶」という字に。この岬から願い事をすると「叶」うとか。よい年になります様に。

ザワ―クラウト(風)

男が料理すると材料代には糸目を付けないと揶揄されることがありますか、これは一部の見栄を張る方か、よほど金銭感覚が欠如している方だけのことで、それ以外の方々には該当しないと思っています。特に自分で料理する時には、これは僕のケースだけかもしれませんが、腕に自信が無いので失敗を恐れて高級食材を使うのが怖いという気持ちになります。やはり、美味しそうな旬の新鮮なモノをそこそこ妥当なお値段で買う、というのが持続する楽しみかと。週末ののんびり土曜日であれば名古屋で言えば柳橋中央市場に出かけて行けば、旬の美味しいものをお値打ちに分けてくれる。この年齢になると時間をかけて出来ることがあれば、喜んでやらねばと思います。その為には体力を維持しておかなきゃあ。時間と体力の勝負を楽しまねばもったいないと。

逆にそこまでしなくとも、近所の八百屋さん、食品スーパーにも美味しそうな野菜が並んでいますから、見かけるとついつい丸ごと一個買ってしまいます。「食品ロス」で書いた通りです。本日は、クルルのおじさん流「キャベツ一個の捌き方」です。ちょっと恥ずかしいですが。久しぶりに(サボっていましたので)クックパッドの「クルルのおじさん」のキッチンを覗きましたが、結構真面目にレシピを投稿していたのを思い出して楽しくなりました。すでに掲載したレシピの中にキャベツを使用するものがかなりありました。


一つを除けば、あとはいかにも関西コナモン系料理でした。最近の世間の風潮に反逆するかのごとき炭水化物リッチなシリーズです。これにキャベツをたっぷりと入れます。四つ目のチャーハンは、酢玉ねぎをテーマにしたレシピですからキャベツは”適宜”としましたが、酢玉ねぎに遠慮しなければもっとキャベツをたくさん入れても美味しく頂けます。他のレシピには”キャベツ:1/8個くらい”と書きました。以上の四品を料理すれば2-3日で、一個のキャベツの半分くらいは美味しく頂いて消化することが出来ます。まだ、レシピには載せていませんが、これ以外にも、

〇僕でも出来る 野菜いっぱい韓国風ラーメン

〇僕でも出来る 野菜いっぱいチャンポン

等々が僕でも出来るシリーズのレシピです。やはり、関西コナモン系です。今年はキャベツが高かったから、キャベツを少なめにして、もやしをたっぷりと使いました。もやしさんに感謝です。

さて、キャベツの半分くらいは消化出来る目途が立っているというユトリを持って、キャベツに相対します。このユトリが大事だと思っています。いよいよ本日のメインテーマ「ザワ―クラウト(風)」です。(註:本当は(風)を外せれば良いのですが、現状は、まだ(風)=もどき、です。)

 

昨年末、子供たちが名古屋のマンションに大挙して泊まりに来てくれた時に、朝、みんなに、ホットドッグを作って出しました。トーストしたロールパンにザワ―クラウト風をたっぷり乗せて、その上にアツアツのフランクフルトのソーセージ、粒マスタードで。上手く出来たと思ったのですが、包丁でそれを1/2にカットする段階でグチャグチャとなってしまいました。残念、最後の詰めが甘かった。娘のダンナ二人(彼らは料理が上手い)が一応は褒めてくれました。クミンシードの風味が面白いと。

ホットドッグに挟んであるアレがザワ―クラウトだと理解したのは意外と最近のことでしたが、ホットドッグそのものを初めて食べたのは本場ニューヨークででした。

 

あれは1974年。米国に長期出張=実務研修と言えばカッコ良さそうに聞こえますが、実質は、丁稚奉公。独身時代の懐かしい思い出です。当時、景気は悪かったですが、日本人から見るとアメリカはピカピカに輝いていた時代でした。ドルは値打ちがありました。高かった。280円くらいだったかと。JFK空港に到着して一人でマンハッタンのホテルに。”タクシーの運転手にちゃんと英語が通じるかいな?”。

クイーンズボローブリッジの手前で突然目の前にバアッとNYKの摩天楼がそびえ立ちます。”ああ、これがアメリカかいな、こんな国と戦争したんや”と誰しもが思う気持ちになります。高速道路を走っている日本車が、フルサイズのアメ車に比べるとなんと小さく、貧相に見えたことか。

ホテルで前任者と待ち合わせ、横にある大衆食堂でビールとハンバーガーなどを注文、ほっと一息。フライドポテトの量の多さ、車だけでなく何かにつけサイズが大きいのに驚いたような。

 

10日間ほどで引き継ぎは終了し前任者が帰任。まだ友達もおらず、仕事にも慣れず、連日夜遅くまで残業。食事はいつも一人、安い簡易食堂で。その簡易食堂がけっこう豪華に思えました。ピザは1/4切れでも大きくて食べきれないほど。イタリアンの大衆食堂ではパスタに舌鼓、それまではケッチャプのスパゲッテイ・ナポリタンしか知らなかったのかも。中華料理屋は、持ち帰りが可能で随分と助かりました。当時から、焼きそば、チャーハンは大好きだった。最初の下宿は、キッチン無し(あっても何もしなかったと思いますが)、バストイレ付きワンルーム。日本レストランはありましたが、随分と値段が高かった。また、特に日本食を食べたいとは思わなかった。

 

そんなある日。寒い日でした。例によって夜遅く退社し、いつもの地下鉄のホームに降りていく階段の近くで、屋台のホットドッグ・スタンドを発見。安い!。アツアツのパンにソーセージとザワ―クラウト、マスタードをたっぷりとかけて、ハフハフ言いながら法張り食いました。旨かった。”アメリカ社会では底辺の連中でも、こんな美味しいものを食べとんのか、豊かな国や”(当時は、NYKの地下鉄は物騒な乗り物で警察官が車両に乗り込んで警戒しているような状態でした)。

三か月ほどして、仕事にも慣れ、生活のパターンが一応確立出来ました。友達にも恵まれ快適なNYK生活に。約二年間、事故も無く充実した独身生活を楽しむことが出来ました。

 

ザワ―クラウト=ドイツの家庭料理、”すっぱいキャベツ”という意味らしいです。この酸味は酢の味ではなく、キャベツの乳酸発酵によるものとのこと。僕もレシピ本を読んで、二度、挑戦しました。一度目は成功とはいえませんが、それらしいモノが出来ました。もう一段、発酵を進ませるのがよさそうと二度目をトライ。これが完全に失敗。腐敗臭が出ました。それ以来、臆病になって再挑戦出来ていません。失敗を恐れ、”風”、で満足してます。お酢をたっぷり使った煮込み料理です。スパイスには凝っていて、クミンシードが合うと思っています。いつかきっと本物を成功させたい。自然に気分が高揚して”よし、作ってみよう”と思うのを待っています。

 

ソーセージと煮込むとシュークルート、これはフランス語とのこと。アルザス風シュークルートが有名です。僕もソーセージは大好きで、よくやります。僕の料理でやれば、「ザワ―クラウト風アルザス風シュークルート」と呼ぶのかしら。・・・そのうち、クックパッドの「クルルのおじさん」のキッチンにアップしますから、覗いて下さい。

 

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えらぶのユリ。一号鉢、二号鉢は発芽。さて三号鉢は?。2016年12月24日撮影。メリークリスマスです。

 

食品ロス、続き

食品ロスを削減するために、一消費者が出来る簡単で大切なことは、①買いすぎない、②買ったら使い切る、③作ったら食べ残さない、ことと言われます。単身生活で料理に興味を持っており、かつ、野菜大好きおじさん(=僕のことです)もよく理解はしているのですが、お店で旬の野菜を見ると美味しそうと思い、ついつい買ってしまいます。買うときには一応料理のイメージはあるので、その通り、料理します。でも、買いすぎているので、使い切れず残ります。また、料理したものも、多く作ってしまうので、食べきれず残ることが多いです。(注:以前は、作ったものは無理しても食べ切っていたのですが、体重増加に直面して最近は残すことを罪と思わないようにしています。)

料理したが使い切れなかった食材、そして食べ残した料理、これを捨ててしまうと食品ロスの発生となります。さてどうするか!。

 

ここで展開料理の思想です。誰しも残った同じ物を何日も食べ続けることを想像すると嫌になります。同じものを食べるのは嫌ですから、もしその状態が継続すると、その次の段階では料理そのものをやろうという意欲さえも無くしてしまう。食べることを楽しむ、料理を楽しむという気持ちが大切なのに、それが逆に嫌になってしまったら、それこそ本末転倒だ。

辰巳芳子先生の展開料理の要諦は、「時間を創れる」ようになるべし、読者の方が生きていき易くなるように時間を贈りたい、と書かれてます。その背景にあるのは、毎日の家事を繰り返すことの相克を解消したいという考えだそうです。相克の原因とは深層部で自己の尊厳が傷つくから、と看破されてます。料理研究家というよりも宗教指導者か哲学家ですねえ。僕は多分既に感化され、時には反発しながらも熱心な信者(理屈っぽい、天の邪鬼の信者ですが)になっていますが、これは素晴らしい鋭い指摘であると感心しております。

「買いすぎて 料理はしたが 余らせて 捨て去ることの 侘しさぞこれ」(孔瑠々)というのは「家事を繰り返すことの相克」の一つに該当することだと思います。この相克を解消する方法の一つが展開料理であろうと。料理することを楽しみながら、美味しく食事を味わいながら、そして、自己の相克を解消して、食品ロスを削減する。かなり肩に力が入った言い方ですが、相変わらず、理屈をコネないと納得できない世代です。

 

ちなみに教祖さまの辰巳先生はもっとしつこく掘り下げてものを考えられるようで、あの福岡伸一博士との対談もされています。福岡博士の「動的平衡」を読んで、辰巳先生の方から博士との面談を希望されたとか。”何故、食べるのか?”をとことん追求したいと思われた由。辰巳先生の「この国の食を守りたい」(筑摩書房、2009年6月第一刷)の第四章は福岡伸一博士との対談。「料理することは、いのちあるものの中で人間にだけに許された一つの自由」と言っておられます。

 

常備菜とか作り置き料理というのも、同じ思想で考える方が理に適っているように思うのですが・・・。辞書を引くと「常備菜=普段から用意しておく副菜。日持ちがして、まとめて作り置きに出来るおかず。きんぴら、佃煮、煮豆、ひじきの煮物など。」と解説されてますが、ここに「余った食材で作る料理」という概念も入れても良いのではないでしょうか。わざわざ材料を買ってきて作るのもアリでしょうが、使い切れなかった・余った材料で作るのが、結果として、常備菜・作り置き料理と考える方が自然な流れと思うのですがね。

僕の料理力のレベルと経験でこんなことを言ってられるのも技術の進歩のお陰だと感謝してます。冷蔵・冷凍・解凍の技術進歩がなければ、このような考えに至ることはなかっただろうと。今の時代に生きてて良かったわい。冷凍して保存して解凍して温めて、その工程をちょっと工夫すれば、美味しく頂けることを発見出来る時もある。楽しいですね。これが出来る日本の料理の流れ、日本の料理そのものに感謝です。食品ロスを発生させない仕組みが日本の料理の中に組み込まれているのではと日本の料理を礼讃してます。

  

 ちなみにアメリカでも食品ロスは問題になっています。10月16日の日経記事ですが、「米国では40%の食品が廃棄されると推定されている。米環境保護局によると、埋め立て処理される食品は、3500万トンに上る。」

公表されている日本の食品ロス 632万トンと桁違いな多さで、数字の把握の仕方に整合性があるのか不確かのように感じます。面白いのは、アメリカでは政府・農務省と環境保護局が削減目標を設定して、官民挙げて削減に取り組んでいると。その一環として、廃棄されるであろう食品を寄付に回す(これにはコストがかかります)流通業者に対して税制面での優遇をはじめとして経済的な刺激を与えて削減に取り組んでいると。また、余った食品を生活困窮者に無償で配るフードバンク活動も大変に盛んであるとのこと。削減目標を達成するには「技術やビジネスモデルにおけるイノベーション」が重要とされているとか。いかにもアメリカ的な対応の仕方かと思います。

前述の「賞味期限のウソーー食品ロスはなぜ生まれるのか」の著者、井出留美さんは、日本で初めてのフードバンク団体の広報を委託され、その団体を「食品産業もったいない大賞食料産業局長賞」の受賞に導かれたとか。日本でももっともっと官民を挙げての対応が必要なのでしょうね。

 

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 大好きな日向、その3。大御神社のさざれ石。「君が代は・・・さざれ石の巌となりて」です。2016年10月撮影。

 

 

 

 

食品ロス

 11月30日の日経新聞に「野菜ショック=高騰騒動=混乱続く給食=全国で献立変更」の記事が出てました。今秋の野菜価格の高騰で学校給食の予算が不足、そのため一部の市町村では給食の中止を決定した。しかし保護者からの大反発を受け撤回せざるを得なくなった云々、全国の至る所で混乱が発生しているとの報道です。確かに夏以降の野菜価格の高騰ぶりはビックリでした。レタス大好き、キャベツ大好きの僕は、いつも一玉買ってバリバリ、ムシャムシャと食べていましたが、さすがに丸ごと買うのを躊躇するほどの高騰ぶりでした。夏の台風が本州にいくつも上陸した。特に北海道では観測史上初めて台風が三つも直撃した。秋雨前線の停滞、それに伴う日照不足により、産地での大減産につながったと言われています。北海道帯広市では10月以降、価格の高騰のため給食に出す地元の生ホウレンソウの手当てが難しくなり、遥か宮崎県の冷凍品に変更せざるを得なかったとか。さすがに11月の後半になると出荷量の回復があり農水省の価格動向調査では前週比10%から20%程度の下落になっているようです。早く落ち着いて欲しいと思います。

 

値段が高くなり過ぎると売る方も買う方もそれぞれ自衛の為に工夫をします。いつも通っている食品スーパーでも、今まで以上にハーフサイズ、クオータサイズでの売り方が増えたように思います。買う方も高いので丸々一個買うのは抵抗がありますから、小さいサイズを買って遣り繰り・始末する工夫をします。食べ残して捨てるなんてことになると、もったいない、という気持ちがより強くなるからでしょう。僕は買った野菜、食材は使い切るほうです。残して捨てるのが癪だから。意地になっても使い切ろうと思う方です。要はケチだからと思うのですが・・・大阪では「ケチとは違う、始末するんやでえ」と言います。一世を風靡したんNHKの朝ドラ「ごちそうさま」で主人公の杏ちゃんが姑のようなお姉さんにいけずされた場面で出てきておりました。違いは分かるように思うのですが、僕の場合は始末する技を持っていないから・・・単純にケチだからと思います。また、捨てるのが惜しいから少々無理をしても残さないで食べてしまいます。料理をやり始めて体重が順調に増えてしまったのは、食い意地が張っているのと、ケチなのが原因かと思っています。クルルのおじさん流のレタス一玉、キャベツ一玉の捌き方は、別途、記載したいです。

 

 野菜の値段が高騰するというのは困ったことですが、買った野菜を使い切れず・食べきれず、挙句の果てに捨てることになる=「もったいない」と思う気持ちが再認識されるのは良いことかも知れません。もったいないが強くなると「食品ロス」というのは間違いなく減少するのでしょうね。食品ロスというのは、食べられるのに捨てられてしまう食品のこと。もちろん生鮮品だけでなく加工食品、全ての食品が対象になります。政府広報によれば「日本国内の食品ロスは632万トンに達している。これは全世界の食糧援助量の3倍の規模」とのことです。食品ロスのうち330万トンは事業系の食品ロス、つまり、食品メーカー・小売り・飲食店での規格外、返品、売れ残り、食べ残り。残りの302万トンが家庭での食べ残し、調理の時の過剰除去、期限切れに伴う廃棄、ということだそうです。なんと家庭で発生している食品ロスが半分近くあることになります。期限切れの問題についてはイロイロと議論がされています。賞味期限、消費期限の設定の在り方自体が、この食品ロスに大きな影響を与えているとの指摘も多くなりました。もともと食品安全の観点から制度化されているものが、特に賞味期限については、日本の消費者の期限に対する感性の高さ、日本の食品流通・小売店の対消費者アピールの精度の高さから、賞味期限の範囲の中で更に1/3ルールと称せられる納品期限、販売期限が設定される商慣習となっています。このあたりの事情は、最近、出版された「賞味期限のウソーー食品ロスはなぜ生まれるのか」井出留美著、幻冬舎新書に詳しく書かれています。著者は元食品メーカーに勤務されていた経験がある方で、生産側・消費者側の両方から見てフェアーに分かりやすく記載されていると思います。卵の賞味期限の記載は、全くその通りと膝を打ちたくなります。卵は棚の手前から順に買えば不都合は全く無く、かつ、全体で見れば食品ロスの削減に繋がることがよく理解出来ます。

経済学でいう合成の誤謬というのがありますが、僕も一消費者として、消費者一人ひとりの効用の追及が社会全体では不効用に繋がってしまうことが心配になります。この著者は「他人が決めたことを鵜呑みにするのをやめ、自分で考え、感じ、行動する」ことを進められてますが、このような啓蒙活動を継続していくことは食品ロスを削減するために大切なことだと思います。蛇足ですが、本のタイトルは出版社が決めてしまうのでしょうが「XXXのウソ」というのは誤解を与える表現かと。せめて「本当の賞味期限」とか「賞味期限のホント」とするほうが著者の言いたいことを表しているように思います。これではインパクトに欠けるからですかね。

 

かなり昔(中学後半時代かしら)に見たアメリカ映画。アン・マーガレットとステイーブ・マックイン(だったと思う)、普通の家庭のシーンです。夫婦(恋人?)が食事をしている。料理(血も滴るようなステーキです)を食べた後、食べ残したものを、それもステーキのかなりの量が残っているお皿を、ゴミ箱に、何の迷いも無く、ばさーっ!とひっくり返して捨て去りました。まだお肉は高級食材の時代「おいおい、そんなもったいないことするなよお」映画の内容は記憶にありませんが、このシーンだけは強烈な印象を残しました。最近、このシーンを思い出した今の冷静な僕が改めて考え結論つけたことは、アメリカ食文化には展開料理の思想は存在しない!、ということでした。

・・・続く

 

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2016年12月10日、ゴルフ場で野菜売りのおじさんから大根一本を100円で買った。葉っぱ付き。その晩の料理=大根葉っぱのチャーハン。

 

 

単身所帯が>1/3!

国勢調査というのがほぼ5年に一度行われています。今年の10月26日に総務省が2015年度国勢調査の確定値を公表しました。国の最も重要かつ基本的な統計調査と言われてます。もっぱら人口、人口構造に関心が寄せられます。今回話題になったのも、総人口が(国勢調査としては)初めて減少に転じたこと、そして、お年寄り(75歳以上)の人口が子供(14歳以下)の人口を上回ったことです。新聞一面に報道されていました。高齢化社会がますます顕著になっていることが国勢調査でも確認されています。やはりそうか!、と思ったのは、総所帯数に占める単身所帯の比率が34.6%と1/3を越していること。一人暮らし=単身世帯とか単独世帯と表現されてますが、一人暮らしの性別の年齢分布では男性は25-29歳が一番多い。男性の単身世帯の四割を占めるそうです。一方、女性は80-84歳が最も多い。高齢の女性の一人暮らしが目立つようです。女性は平均寿命が長くダンナさんに先立たれて一人暮らしをするケースが多い。女性70歳代の19.6%、80歳代以上も19.0%に達するそうです。また男女を合わせても、男女65歳以上の6人に1人は一人暮らしとのことです。

 

改めて考えると、僕の母親も最後は大阪で一人暮らしでした。育て上げた息子二人(もちろん兄と僕のことです)は実家を離れ仕事中心に海外、東京での生活になり、その後、それぞれ東京、神奈川に自分の家を構えました。母親本人は住み慣れた大阪の家を離れることなど考えようともしなかった。自分が会社を定年退職した後は、近所のおばちゃん連中、趣味の会のお友達等々の地域のお付き合いに恵まれ、食事会、趣味の会、旅行、それも海外旅行を満喫していたように思います。行く先々で写真を撮りまくり、アルバムに一枚づつ丁寧に張り付け、感想をメモ書きして、我々が返るたびに自慢して喜んで解説してくれました。兄弟ともに話を聞かない男達ですから、「一生懸命話をしているのにちゃんと聞いてくれない」とよくぼやいていたように思います。申し訳ないことでした。旅行の話となると、大阪のおばちゃんは世界最強だと思います。特に群れた時の迫力は、話を聞いているだけで傍に近寄り難くなります。傍若無人、怖いものなし。大阪のおばちゃんは指一本で車を止める・・・これは関西の方にしか分からない表現かもしれませんが。行く先々での買い物、食事の度に添乗員の方は大変であったろうに、お店の方にも迷惑かけたやろなあ。僕の母親の時代が大阪のおばちゃんの全盛期かと思います。今では近隣の大国の爆買いの女性が凄まじく見えますが、あの時代の大阪のおばちゃんからするとカワイイものかと思います。

 

僕も家族を持ち子供たちも少し落ち着いてからは、毎年、大阪に里帰りして年末年始は大阪の実家で過ごすようになりました。この時だけは贅沢をして馴染みのお店にフグを食べに行く。カミさんと娘二人はよく母親の話を聞いてくれていたように思います。長男も意外に話に耳を傾けていたかな。うちのカミさんは結婚以来、母親と上手く合わせてくれていました。別々に住んでいて、日々一緒の生活ではなかったのが良かったのでしょう。但し、すき焼き鍋を囲む時だけは、ほぼ毎回ひと悶着ありました。味付けの仕方が大阪と東京とでは異なる。東京・池袋生れ育ちのカミさんは教えられた通りにやるのですが、母親はそれでも一言二言、苦言を呈します。鍋奉行の役を渡してしまうのが忍び難かったのか。いくつになっても息子の結婚相手に息子を奪われたと思うのか。そのうちに子供達もすっかり慣れて二人のやり取りをニコニコしながら眺めていたように思います。

 

母親が一回目に倒れた後も、医者先生の許可をもらい車椅子に乗せて、同じフグの店に行くことができました。お店の大将が気を利かせて車椅子でも席につけるように段取りをしてくれました。いつものように、母親は自分はあまり食べず子供たちに「たくさん食べなさいよお」と勧めてばかりでした。贅沢なご馳走は自分はさて置き子供・孫に食べさせようというのが食事の風景になっていました。この時には、カラダが弱っていて、実際にあまり沢山は食べられなくなっていたのでしょう。一回目は一人暮らしで家にいる時に倒れました。心原性脳塞栓症、いわゆる脳梗塞です。ご近所さんが発見して救急車を呼んでくれました。幸い意識はしっかりしていましたが、リハビリは大変であったようです。歩くのも大変、車椅子を操作するのも大変、手も不自由になり書くことが困難な状態に。半年かかって筆を持てるようになり、ほぼ一年で字が書けるようになりました。看護婦さんが回復ぶりに驚き、入院先の掲示板のポスター・催し物の案内状に字を書くことを勧めてくれ、母親も褒められたのが嬉しく喜んで時間をかけて字を書いていました。頑張り屋さんです。二回目に倒れた以降は、意識が無くなりました。施設も代りました。次女が婚約・入籍した年でした。年末に我が家のいつものメンバーに次女のダンナも加わり一緒にお見舞いに行ってくれました。彼が、意識の無い母親の耳元に大きな声で「彼女をきっと幸せにします!」宣言をしてくれました。反応がないはずの母親ですが、目元が緩んでうっすらと笑顔を浮かべたように見えました。僕が勝手に泣いていたからかもしれません。その晩は、母親を施設に残したまま、いつもの店にフグを食べに行きました。店の大将が話を聞いて「ええおばあちゃん孝行されはったなあ」と喜んでくれました。そして、おばあちゃんが一緒に来れないのを寂しそうにしてくれていました。それでもフグは美味しかったです。その翌年の2月に亡くなりました。享年90歳でした。

 

母親は一回目に倒れて以降は、リハビリ中、車椅子に乗って家の様子を見に行ったことはありましたが、結局、最後まで家に戻って生活することは出来ませんでした。人に迷惑をかけることを極端に嫌がっていましたから、倒れてからも子供たちと一緒に住んで世話になることは希望してなかった、考えもしなかったのでしょう。自分の家には帰りたかっただろうと思います。やはり自分の住み慣れた家で最後は過ごしたかったろうと思います。単身所帯が>1/3の話に戻りますが、やはりこれだけお年寄りの単身所帯が多くなっているというのは大変な問題だと思います。僕自身はまだ自分自身に対する介護力を高めていけると思っていますが、一人暮らしを維持できる仕組みを整えること、社会全体で言えば、食事・排泄・入浴の看護力のインフラを整備することは喫緊の課題かと思います。上野千鶴子さんの言う「在宅ひとり死」を実現するための仕組みの構築は貴重な提言だと思います。

そう言えば「おひとりさま」は今年の流行語大賞には選ばれなかったですね。予想が外れ残念です。まだ年寄りだけのテーマなのか、世間一般では関心が薄いのかとやや寂しい気がします。

 

 今夜ものんびりと一人メシを楽しみます。母親を偲んですき焼き鍋でもするかな、いやいやこれはやはりみんなで囲まねば。ここは池波正太郎さんの湯豆腐だ。久しぶりにぬるめの燗で一杯やろうっと。

 

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大好きな日向の景色、その2。大御神社の横にある洞窟の奥から入り口を見返ると昇龍が見える。2016年10月。