クルルのおじさん 料理を楽しむ

名古屋の魅力

名古屋市が実施した「都市ブランド・イメージ」という調査があります。昨年11月に日経新聞が「ショック!『魅力最低都市』返上へ市が動く」の見出しで、かなりの紙面を割いて記事にしましたので記憶・印象に残っている方もいらっしゃると思います。この調査は、名古屋市観光文化交流局が行ったもので、調査期間は2016年6月1日から6月6日、国内主要8都市(札幌市、東京23区、横浜市名古屋市京都市大阪市、神戸市、福岡市)で在住5年以上の20-64歳の男女を対象に各都市それぞれ418人ずつの回答を得たもの。結果報告は2016年7月に公表されています。

 

名古屋市は、全国8都市のなかで最も市民推奨度が低く、魅力に欠ける街、都市イメージが確立されていない」というのが市政情報に掲載されている総括です。調査を担当して結果を総括された方にとってのショックが一番大きかったと推察します。僕は、大阪生まれの大阪育ちですので、この日経の記事を見た時に大阪との比較ではどうだったのか?興味を持っておりました。最近ようやく市政情報を覗きました。傷口に塩を塗るつもりは全くありませんが、最大のショックは(僕は関西・大阪人ですから言ってしまいますが)名古屋市からすると ”あの大阪市よりも魅力度の評価が下であった” ということじゃないですかね。調査手法・調査結果で面白いと感じたところを(大阪との比較も含めて)纏めてみま した。

シビックプライド=愛着を感じているか(愛着度)、誇りを感じているか(誇り度)、友人・知人に自分の住んでいる都市に買い物・遊びで訪れることを薦めるか(推奨度)という調査です。愛着度と誇り度は大阪が最低。特に、誇り度はダントツの最低です。これは大阪人であれば ”そうやろなあ” という感じです。抵抗が無い。推奨度は名古屋が最低。これもダントツの最低です。でも大阪は愛着度と誇り度が最低にもかかわらず、推奨度については名古屋の2倍以上のポイントがある。大阪人は「大阪なんかもうどうしようもないで、あかんわ」と言いながら、知り合いに対しては「結構おもろいとこ一杯あるで、はよ遊びにおいで」と言ってるような、いかにも大阪らしい回答かと思います。

●魅力度について=調査対象の8都市のなかで「最も魅力的に感じる」「最も魅力に欠ける」と思う都市を選ぶ調査です。何だかんだ言いながらも誰しも住んでいるところに愛着がありますから、自分の住んでいる都市を一番と回答するであろうと予想しました。結果はその通りで、愛着度、誇り度が最低である大阪を含め7つの都市では自分が住んでいる都市を「最も魅力的に感じる」と回答。しかし、これは驚きですが8都市のなかで名古屋だけが、自分の住んでいる名古屋よりも東京・京都の方を「最も魅力的に感じる」との回答。結果は、名古屋が「最も魅力的に感じる」で最下位、「最も魅力に欠ける」では最上位となっています。要するに魅力無し、魅力に欠けるまち、との評価です。ちなみに、大阪が両方ともに名古屋の次に付けています。名古屋の謙虚さ・遜る気持ちがこの結果に反映されたのでしょうね。

●訪問意向=それぞれの都市を買い物や遊びで訪問したいか?という「訪問意向」調査です。これも、名古屋市が最もポイントが少ない=ドンべ、大阪がその次。これは可哀そうなくらい差がついており、最下位の名古屋は1.4ポイント、次の大阪でさえ16.8ポイントと桁が違っている。他の都市は25ポイント以上、最上位の京都は37.6ポイント。名古屋を訪問する人がいるのが不思議と思うくらいの酷い結果です。

 ●都市のイメージ=「魅力的に感じる」理由を回答してもらい、一つの回答理由が概ね7割以上の支持がある場合、その都市のイメージが確立されているとの捉え方です。分かりやすいのは京都=「歴史がある」(のが魅力と感じる)が90%を超えています。京都は歴史があるという都市イメージが確立されていると評価するわけです。「食べ物が美味しい」=札幌、福岡。「都会的である」=東京。「おしゃれな店がある」=神戸。大阪の理由は変わってますが「活気がある」(なんのこっちゃと言いたくなりますが)。以上、それぞれ全てが7割以上の支持を得ています。名古屋の魅力がある一番の理由は「食べ物が美味しい」ですが、52.5%しか無い。僕も「名古屋めし」は大好きですが、確かに、札幌、福岡に比べるとB級グルメ的なイメージがあり、これを都市のイメージだと言うにはやや憚れる気持ちがあるかも知れないと思います。横浜「おしゃれな店がある」53.9%と合わせて、都市イメージが確立されていないと評価されています。

 

確かに、調査対象の都市名を見ると、相対評価ですから、この中で上位になるのは厳しいものがあろうかと思われますが、寄りにもよって、あの大阪より評価が低いという結果になってしまった。名古屋にとっては一大事という受け止め方です。大阪の場合は、こういう調査結果が出ても、多分、冗談・シャレの世界にしてしまう。愛着度、誇り度が最低であったことなど、喜んでウリにしてしまう。この調査結果は、名古屋以外ではあまり知られていないと思いますが、吉本の芸人が知ったら、間違いなくギャグネタにして笑い飛ばす対象にしていると思いますね。それが面白くて、また観光客・訪問客が増えたりして。

市政情報の総括の欄に「名古屋市は本調査結果を打開するために、市民の皆さまと一緒に名古屋の魅力を向上・発信するための戦略策定に取り組みます」と記載されていました。超真面目なコメント。この堅い真面目さが名古屋の良いところだと再認識しました。

 

そもそも何のために名古屋の魅力向上を図ろうとするのか説明が無いように思いますが、まあそれはチョット横に置いたままにして、一方では、名古屋は住みやすいとの評価は確立されています。同じく名古屋市が実施している調査で「住みやすい」(=住みやすい、どちらかというと住みやすい、の合計)は 90.9% と大変に高い評価結果となっています。この調査は名古屋市市民経済局が毎年一度行う市政世論調査で、住みやすさ、市政の評価・要望などについて、昨年度は7月28日から8月9日に実施、12月に結果公表されています。市内に居住する18歳以上を対象、有効回収は1070人の調査です。「魅力度、愛着・誇り・推奨度」vs「住みやすさ」の対照的なこと。これが名古屋なのかなと何か納得出来たような感じがしています。

 

 散歩しながらツラツラ考えると、名古屋・愛知・中京というのは、やはり、日本のど真ん中。質素・堅実・真面目、トヨタさんに代表される「ものづくり」、意外に知られていない食品・農業王国。これ以上明確なイメージは他の都市・地域には無いように思っています。

それにしても、家康さんは徳川幕府が安定してからも、どうして拠点を江戸から中京地域に戻さなかったのでしょうね。秀吉さんが大阪を拠点としたのは、当時の経済の中心であったこと、瀬戸内海から博多、朝鮮半島そして中国・東南アジアルートに繋がる重要性、京都との距離等々から理解出来そうな気もしますが(・・蛇足ですが、”大阪は日本一の境地(=重要な場所)である” と看破したのは信長さんだそうです。ブラタモリの受け売りです)。

江戸・東京と比較すれば京都との距離もまずまず、地理的には間違いなく日本のど真ん中、生まれ故郷にも近い名古屋城を拠点にしても良かったろうに。そうなっておれば、今頃、間違いなく名古屋は日本の政治・経済・文化の中心になっていたかと思います。ただし、今の東京のようにとは言いませんが、随分と住みにくくなっていたかも知れませんね。

  

犬も歩けば棒に当たる。以前から一度行ってみたいと思っていたお店に散歩の途中で全く偶然に出くわしました。自分でもビックリ、ビンゴ!、感動の出会い。

『スイートオブオレゴン』、チーズケーキの専門店。

風邪でやや鈍った体をシャキッとさせようと約3.5時間のウォーキング。カラダを動かせば何か良いことがあるもんですね。小さなチーズケーキを買って帰りました。もちろん、評判以上の美味しさでした。

 

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 更に、その後で、商店街で駄菓子屋さん、八百屋さんを見つけました。これも間違いなく「名古屋の魅力」と思います。昭和世代は安らぎを感じます。野菜を買い込んで、クックパッドの💛クルルのキッチンに「筑前煮」をツクレポしました。

 

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共生微生物

年あけ風邪のためマンションで休養していた時に読んだ本の一冊です。

『あなたの体は9割が細菌-----微生物の生態系が崩れはじめた-----』

著者は、アランナ・コリンさん。イギリスのサイエンス・ライター。生物学の学士号・修士号、および、進化生物学の博士号を取得されている方。女性です。生年月日は不詳。大変に刺激的、啓蒙的な内容で、考えさせられることが多い本だと思います。是非、ご一読をお薦めします。例によってタイトルがキャッチコピー的だと思いますが、原題は『10% HUMAN』ですから、あまり原題の意から乖離することもなく上手く関心を持たせる表題になっていると思います。

 

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誤解を恐れずに内容を纏めてしまうと、「抗生物質vs腸内微生物の生態系、および、微生物の生態系を修復することについての考察・示唆」、ということだと思います。著者は自分の体験を踏まえてドンドンと話を展開します。著者の表現力・展開力が大変に面白いです。それから、翻訳本は訳される方の文章力がすごく大切だと思っているのですが、この訳者の方の力量は素晴らしいです。両方のバランスがよくて、難しい内容でありながらサスペンス的な興味を持たせてグイグイと引っ張っていきます。

NHKの人気番組にためしてガッテンというのがありますが、人気の秘密は「へえっ、そうだったのか。合点がいった。」と思わせる内容と構成になっているからと思うのですが、この本も、なるほど、と思わせるところが随所に出てきます。いくつか紹介します。

 

・最近では、花粉症、アトピー性皮膚炎、自己免疫疾患・心の病気・自閉症、等々、僕たちの回りに余りにも多くの人々がこれらの症状に苦しんでいるので、もはや、これが世の中の普通の状態と思いがちです。しかし、著者は、21世紀病という言い方で、これらは「ヒトにとり普通の状態でない、おかしい状態である」ことを厳しく問い直します。確かに、これらは「おかしい」ことなんだ、当たり前のことであるハズがないということを改めて認識させられます。

・お料理の本に、食べる人にとっての健康の観点から「あなたの体はあなたの食べたもので出来ている」という表現がされていることがよくありますが、この著者は、「あなたは、あなたの(体の中にいる)微生物が食べたもので出来ている」と表現します。微生物=細菌、ウイルス、菌類、古細菌などは、もっぱら腸を中心に僕たちの体の中に何んと100兆個が共生しているそうです。100兆個!です。

・ヒトの消化器系の構造、すなわち、大腸は微生物のホームグラウンドであり、微生物は食物繊維が大好き。虫垂は一見何の機能も果たしていないと思われた時期があったが、実は、その微生物の大切な待機場所であること等々から、ヒトは本来、肉食動物ではなく、植物を主食としてきた雑食動物であると説明します。説得力があります。改めて納得させられます。 

・マイケル・ポーランが「本物の食べ物をたべよう、食べ過ぎずに。そして、野菜中心に。」と言っているのを大変に評価しています。直感的に確信をつかんでいると。野菜は人体のバランスを良くしてくれていることが合点出来ます。野菜大好きおじさんとしては、改めて、よしよし、と思った次第です。

 (マイケル・ポーランは、1955年生れのジャーナリスト、カリフォルニア大学バークレー校の教授。『人は料理する』の著者。僕の最初の記事「料理って?」で紹介した本です。この本に彼の名前が出てきて何か古い知人に再会したような、嬉しく思いました。)

 

・最終の第8章「微生物生態系を修復する」の件は、あっと驚く方法により、予防が治療に勝るということの考察・示唆です。敢えて内容は記載しませんので、是非、ごゆっくりと読書を楽しんでください。

 

やくざ映画を見た男性の観客は映画館を出た時、ほぼ全員、自分自身が高倉健か、菅原文太の気分になっているとか。いかり肩になっていたり、眼光が鋭くなっていたり。この本を読んでいる時、僕は、自分の腸内で微生物が共生している、そして、戦っているところが目に浮かぶようでした。それから、昔、「ミクロの決死圏」、というSF映画を見たことを思い出しました。調べてみたら1966年の映画でした。秘密の技術(=物質をミクロ化する)を使って極小(ミクロ)になった主人公が患者の人体の中に入り込んで治療を行うという凄く漸進な発想のSFスパイアクション仕立てのスペクタクル映画です。この原題は「fantastic voyage]と場違いなノドカなタイトルであったことを発見しました。タイトルとしては邦画タイトルの圧倒的な勝ちだと思います。この秘密の技術があれば、そのうち、ヒトの共生微生物ともご対面が出来るんだ、弱っている微生物クンを再生・修復することも出来るだろうにと妄想しました。

 

本の面白さをうまく伝えることが出来ず忸怩たる思いです。近年、免疫力について沢山の本が出版されていますが、ヒトの体、食事と健康の分野に興味をお持ちの方には特にご一読をお薦めする一冊です。とにかく、共生微生物が100兆個です。ヒトが自前でその機能を自分のモノにするには大変なエネルギーと時間がかかるところを100兆個の共生微生物にその機能を「アウトソーシング」しているそうです。このような表現に出会えるだけでも僕は感動してしまいます。

  

風邪の薬を飲んでいるので、僕の微生物クンが弱ったのではないかと心配になりました。おじやを作って日向の平兵衛酢ポン酢で頂きました。両者ともに元気になりつつあります。

 

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 大根とニンジン入りの春の七草粥風おじや、平兵衛酢ポン酢を垂らして。・・・見かけよりも美味しく頂けました。

 

大雪 

一月の第二週から風邪をひいています。最近は、たかが鼻風邪とバカにせず素直にお医者さんに診てもらうようにしています。年を取ると治りが遅くなっているように思うので、長引かせたくないですから。予想通り、鼻風邪でした。鼻水とくしゃみが止まらない。喉が思った以上に腫れているとのことでした。インフルエンザではなかったので一安心。金曜日は念のため会社をお休みにさせてもらって家で休養しました。夜の会食、土曜日の予定は全てキャンセル。外には出来るだけ出ず、マンションの中に閉じこもる生活になっています。熱はそれ程高くは無く、寝込むほどのものではありません。丸々一日中、閉じこもっていると、何も用事がなくとも外に出たい、外の空気が吸いたくなります。買い物をする必要がある訳では無いのですが、気晴らしも兼ねて近くのスーパーに買い物に行きました。

近頃は便利なもので休んでいてもメールの交信で簡単に近況の確認も出来てしまいます。友人からお見舞いを頂きました。「・・・単身で風邪をひくと何とも寂しいもの。メシと風呂、汗をかいた下着などの洗濯等々。調子が悪い上に、全部自分でやらなければならない。いやはや・・・」。この友人も単身赴任の経験のある方で、まことにおっしゃる通り。気力が弱っている相手にわざわざダメ出しをしてきてくれるこの親切さには、アタマが下がる思いがします。傷口に暖かく塩を塗り込んでくれる友人がいるというのは本当に有難いことだと痛感しました。”ほっといてくれー”と思いながらも、普段の単身おひとり様の気軽さの裏返しで、病気の時のこのモノ寂しさにはホトホト参ってしまいます。

 

スーパーの総菜・食品コーナーを見ても、もともと食欲が無いわけですから、あまり気晴らしにもなりません。しかし、その時、お疲れ様コーナー=賞味期限切れに近い食品をデイスカウント価格で売っている棚の上に、「春の七草」のセット、フリーズド・ドライもの、を発見。この瞬間、風邪薬で普段以上に朦朧としている頭脳がやや機能を回復し、留守宅で食べた七草粥を思い出し、それと同時に、いまのマンションにしまってあった電気お粥鍋マシーンの存在が見事に蘇りました。この鍋は、おじや・お粥・雑炊の専用の道具で、材料を入れてセットすれば後はスイッチを押すだけの優れもの。1-2回使った後、しまい込んだままになっていました。理由は分かりませんが、俄然、やる気が出てきて賞味期限切れに近い春の七草粥セットを買い込み、その晩は、春の七草の雑炊を作りました。病気で体力・気力が減退していても、文明の進歩で、マシーンが単身おひとり様の強い味方になってくれました。食欲はそれ程無かったですが、お腹に優しいモノを簡単に作ることが出来て、満足して美味しく頂けました。

 

天気予報では、14日の土曜日から日本列島は強い寒気に覆われ、広い範囲で大雪が懸念されていると。丁度、この土・日曜日は大学入試センター試験です。この冬、一番の冷え込みということですから、受験生の方々は十分に準備して対応されます様に。

僕の大学入試の時も稀に見る大雪の日でした。大学だけでは場所が十分でないためでしょうか、僕たちの受験は大学のある神戸の地元高校で分散して受けることになっていました。”地元神戸の受験生が有利やないか。これは不公平や”などと嘯いておりましたが、今から思えば、隣の大阪にいながらこんな文句を言っていたわけで、遠方から泊りがけで受験に来ている方々も多数いたわけですから、全く、自分本位な高校生であったかと思います。とにかく予想以上の積雪でした。雪対策を全くやっていなかった僕は底がツルツルの靴を履いており、駅からの道を普通に歩くことさえ困難で体力をかなり消耗しました。更に更に、受験場所の高校に入るところが結構な登り坂になっていて、雪が氷になりつつあるその坂を一人で立って登ることが出来ない。滑りに滑って、ヘトヘトの状態に、”かくなるうえは、四つん這いになってでも登らねば”、と思いかけた時、見るに見かねた係の方が両脇を持って支えてくれました。やっとのことで坂を上り切り教室に到着したのは、試験の開始時間ギリギリになっていました。体力には自信はあった方ですが、息を整える余裕もなく、集中力を失っているのが自分でも分かるほどでした。”もはやこれまでか”と思った時に、開始時間を一時間ほど繰り下げるとのアナウンスがあり、文字通りホッと一息。助けられたと思いました。

合格発表の日、朝一番に大学の掲示板を見に行きました。合格を見届けて、そのまま友達と時間を潰して、家に帰ったのは夕方になってから。結果を心配していた母親からたいそう叱られました。『不合格、ショック、最悪の事態、・・・』悪いことばかりを心配していたようです。申し訳ないと思いつつも、煩く言う母親に「うるさいなあ、落ちるわけないやろ、そんな心配することないで」などと不遜なことを言ったように思います。その場にいた、兄が上手く取りなして収めてくれました。兄からは、その後すぐに母親のいないところに連れていかれ、一言注意されました。「あほかお前、ちゃんとあやまっとけ!」。

 

 天気予報の通り、週末は各地で大雪となりました。センター試験も、14日の午前中で9会場で試験開始時間の繰り下げがあるなど対応が大変であったようです。僕は、結局、金・土・日の三日間のお休みになりました。晴耕雨読ならぬ、風邪のため閉じこもりの読書。メール、電話以外は外部との接触がほぼ無しの状態が三日間続きました。今の僕にはこれくらいが限界かと思います。一人で無人島の生活には向いていないかと痛感しました。お陰様で、本は沢山読めました。

 

その中の一冊、「あなたの体は9割が細菌」ーー微生物の生態系が崩れはじめたーーアランナ・コリン著、矢野真千子訳。河出書房新社

今回は、体調不調もあってか、メランコリックなお話になったかもです。この本も病気で体調がよくない時に読むのはややツライところがありますが、大変に面白い本です。別途、元気になってから紹介したいと思います。

 

日経の土曜日「プラス1」にポン酢の有名ブランドが紹介されていました。大好きな日向の平兵衛酢が入っていません。日向の平兵衛酢を知らずして、ポン酢を語ることなかれ、と言いたいです。 「平兵衛酢=へベす」と読みます。

 

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自慢の調味料、写真の真ん中が、日向のへべす(平兵衛酢)使用の「幻のへべすポン酢」。雑炊にももちろん合います。美味しく頂きました。そのほか湯豆腐にも最高です。池波の正ちゃんにも教えてやりたかったなあ。小鍋だてにも絶対合いますよ。

 

正月の風景

あけましておめでとうございます。年末年始は、留守宅・我が家に戻り、のんびりと過ごしました。大晦日の夕方、体重計に乗ったところ前年同時期より約4㎏減少していることを確認出来ました。特に減量しようとナニをした訳では無く、多分、前年に比べて仕事上の忘年会・会食の機会が減ってくれたお陰と思っています。僕はお酒大好き人間なので、会食の時には間違いなくお酒を飲みますが、飲んでも食事の量が変わらない、いや、かえって沢山食べてしまうという体質?のため、飲む機会が多い=体重が増加する、という構図になっていました。

少し心がけたことは、食べ過ぎた・飲み過ぎたと感じた時には、翌日は、自分が本当にお腹がすいたと思うまで食事をとらない。特に週末は、金曜日の夜に飲みすぎ・食べ過ぎ状態になった時、土曜日が家で休息出来る場合には、朝ごはんは食べない(食べる気がしない)、それから、お腹がぐうーっと信号を発信してくれない限りお昼ごはんも食べない。夕方、間違いなくお腹が減ったと感じてから食べる。但し、水分は十分に補給します。朝から、ミネラルウオーターは飲みますし、お茶=日本茶は大好きです。以前は、規則正しいことがカラダに良いと信じ込んでいたので、二日酔いの翌日の朝ごはんも、お腹がすいたと思わなくとも食べていました。これを修正して自分の体の声に素直に耳を傾けるようにしています。これが食事の仕方として健康の観点から適切なのかどうか知りませんが、美味しいものを頂きつつ、ある程度の体重管理をしたいと思う時、まあ、やむなしの方法かなあと思っています。

 

元旦の夕方、朝からの飲みすぎ・食べ過ぎを反省しつつ、街を散歩しました。なんと!(というほどのことではないのかも知れませんが)、大手の百貨店系のスーパーが正月初日からオープンしておりました。コンビニは年中オープンしてくれているという認識はありましたが、スーパーは元旦はさすがにお休みと思っていました。お店を覗いたところ、食品・総菜コーナーでは刺身をはじめ、ほぼ、通常通りのラインアップとなっていたようです。おせち料理を家庭で準備するという必要性はほぼ完全になくなったかと思います。もはや、おせち料理はデパート・コンビニ・料理屋・総菜屋さんで売っているものをハレの日に買う料理、てな感じですかね。

1月8日付けの日経・文化欄に歌人の馬場あき子さんが ”1945年の大みそかの夜「何を食べたか」”についての随想を寄稿されていました。その最後の件に「今年の大晦日、ついにわが家の食卓にも手作りならぬ料理が並ぶようになった。色彩豊かな御馳走を眺めながら、あの日の大晦日の切実な食への思いがよみがえり、食の原点を忘れていく今日に感慨無量であった」と書かれていました。世代的には僕の母親に近い方ですから、僕らよりももっともっと感慨無量かと思いますが、僕らの世代でも結構感慨深いものを感じます。

 

お正月には、朝からお酒を頂きます。おせちがツマミで、お雑煮がメインデイッシュのような。今年は、長女のダンナが元旦を付き合ってくれました。二人の長男(僕の孫)が今四か月なので、長女のダンナの里帰りにはまだ連れて行かないほうがよいだろうとの判断。朝、うちの家に連れてきて、うちで一杯やってから、その足でダンナだけ長野の実家に大急ぎで移動するという忙しいスケジュールです。何やら申し訳ないような気がしましたが、お陰様で僕は飲む相手が出来て楽しくお酒を頂くことが出来ました(彼もお酒大好き人間なので)。

 

うちのお雑煮(今回初めてレシピをカミさんに教えてもらいました)は、すまし仕立てです。角モチを焼いて、具はカシワ、大根・人参・里芋、なると、絹さや、みつば・ゆずの皮。出汁はアゴ出汁、味付けは、薄口しょうゆ、白だし、みりん少々とか。結構、具たくさんです。僕は大阪の母親のお雑煮と同じかと思っていたのですが、大阪では、丸モチであったらしい。すまし仕立ては同じですが、具は、かしわ、茹で白菜、蒲鉾のみであったと。そうそう、そうでありました。大阪の実家は丸モチでした。長い年月の間にカミさんなりに自分の実家とダンナ(僕のこと)の実家の味を融合させて今の形を造り上げたのか?。一緒に気持ちよくお酒を飲んでいた長女のダンナが、自分の実家(長野県下伊那郡)でも同じ系統(すまし仕立て)の雑煮であり、うちの家の雑煮と味も結構似ているとコメント。すまし仕立ての雑煮の味は地域によってそれ程大きな差はないのかとも思いました。関西は、味噌仕立てが多いようですから、僕の実家の雑煮が変わっていたのかとも今更ながら思いました。

 

櫂美知子さんの「食の一句」に面白い句があります。

===  馴染むとは 好きになること 味噌雑煮 === 西村和子

”「すまし汁」から「味噌仕立て」への転換・・・ときに妥協し、口論しながもゆっくりと馴染んでゆく味。年明けを祝う一椀の湯気にこそ、家族の歴史があるのでは” と解題されてます。

兄の亡くなった嫁さんの神戸の実家は味噌仕立てであった由。この句とは逆に「味噌雑煮」から「すまし仕立て」に転換していたんだ。うちの家は「すまし」から「すまし」だから平穏な転換だったと思うのですが、それでも、結構イロイロな家族の歴史が刻まれているのでしょう。 

 

三が日の後、いったんは単身生活に。名古屋の単身マンションで教わったばかりのお雑煮(モドキ)に挑戦してみました。おモチは無し。それなりのモノに出来上がったのですが、やはり、何かピンとこない。風情に欠ける。モチが入っていないせいか、一人だけで食べる食事だからか、はたまた、お雑煮(含む、モドキ)とはそもそもお正月三が日に頂くから美味しい料理なのか。 

 

7日、また、留守宅・我が家にて七草粥を頂きました。七草粥セットの野菜を使ってです。余り文学的センスがあるとは思えない長男が以前から七草は諳んじています。これは57577調の威力と思っています。これも日本と日本人の歴史なんでしょうね。

=セリ・ナズナ ゴギョウハコベラ ホトケノザ スズナスズシロ これぞ七草

食べ過ぎのお正月の後には、確かに胃腸を整えてくれる、ホッとするお粥さんだと思います。思わずお代りをして食べ過ぎました。七草粥を食べ過ぎて体重が増加したらシャレにならないと思いますが、久しぶりに体重計に乗ったところ、予想通り年末からは順当過ぎる増加ぶりでした。ただし、サクタイ(昨年同時期・同期間との対比の意味、一種の業界用語です)では、まだ減少幅を維持しており一安心しました。

 

本年もよろしくお付き合い下さい。健康一番でやっていきたいと思っております。

 

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 えらぶのユリ。三号鉢も無事に発芽してくれました。みんな元気に花を咲かせられるかな。2017年1月9日撮影。

 

餅つき

小さい時、物心がついて以降、年末になると餅つきが楽しみでした。毎年、暮れの30日だったと思います。その頃は、おじいちゃんが家で溶接工場(”こうば”と発音します)をやっていました。溶接技術を持っている下町の鍛冶屋さんというイメージです。その日のお昼まで仕事をして午後には仕事収め、大掃除。工場をキレイに方付けてから、餅つきの準備を開始します。しっかり者のおばあちゃんが総司令官です。貧乏な家の割には、随分と立派な餅つき道具を揃えていました。普段どこに仕舞っていたのか分かりませんが、どこからか白御影の石うすを持ち出し、木のしっかりした台の上に設置。一方では、鉄のかまどにマキを入れ火を起こします。このかまどはおじいちゃんの手作りであったと思います。昔の人は何かにつけ手慣れたものでした。セイロを4-5段は重ねてモチ米を蒸しにかかります。あっという間に準備完了。夕暮れ時になり、会社勤めをしている母親がニコニコ顔で元気に帰宅。ご近所では餅つきをするところは無かったようで、皆さんが通りすがりに暮れの挨拶もかねて声をかけてくれます。当時の年末というのは、”一年なんとか生活出来たなあ、無事に年を越せそうでお互いに何よりや”、というほっとした気配が強く漂っていたように思います。

 

兄と僕は、何の役にも立たず足手まといの状態。母親がセイロのお米の蒸れ加減をチェックする時に、一つまみ口に入れるのですが、これを分けてもらい食べるのが好きでした。ホクホクとして美味かった。

 餅つきは、おじいちゃんがモチをつく係。おばあちゃんと母親は割烹着を着て、手拭いを姉さん被りにして。交代でモチが杵にくっつかないように水を足したりモチを返したりするコネ係。お互いに掛け声をかけて、エッさホイさと元気よく。一ウス出来上がるたびに、これも極めて手際よく形を整えていきます。最初は、大きな鏡餅を作ります。二段か三段の鏡餅2セット分は作っていたような。その後はナマコに形を整えます。木の箱にドンドンと入れていく。その間にも、次から次に蒸しあがってくるので、おじいちゃんは一人でモチをつきっぱなしの状態。セイロ4-5段分を二回転ほどの量はついていたと思います。今から思えばよくあんなに沢山の餅をついていたものだと感心します。最後の一ウスか二ウスの餅は、小さくまとめ、その場で食べます。アンコか黄な粉をたっぷりとまぶして。近所のかたもよく心得たもので、この頃になると、また寄ってきて声をかけてくれます。おばあちゃんは皆さんにモチを大判振舞いするのが大好きでした。近所の人も一緒になって、みんなでワイワイガヤガヤ言いながら食べていました。特におじいちゃんは餅が大好きで、兄と僕に”モチを食べると元気になるぞ、もっと食べないと大きくならないぞ、食べろ!食べろ!”とうるさいほどでした。つきたてのモチは確かに旨いです。僕は黄な粉をまぶして食べるのが好きでした。意外とのどには詰まらないものです。ナマコ状の餅は、固まってから大きなカメに入れて水でヒタヒタに浸して保存していました。沢山作るのでかなり長い間、おやつに頂いていた。朝ごはんもモチだったのかも。火鉢でモチを焼いて、プーっと膨らんでくるのが面白かったです。焼いたモチはもっぱらしょう油をつけて頂いてました。

 

おじいちゃんが工場を閉じるまで、餅つきは毎年継続しました。最後の何年かは兄と僕が二人で餅つき係をしました。おじいちゃんは力は強かったのですが、流石に年のせいで腰が痛くなっていました。兄と僕に餅つきのコツを一生懸命教えようとしてくれました。小さい時は、大きく見えた工場ですが、閉鎖した後から振り返ってみるとると、よくこんな狭いスペースで溶接工場なんぞやっていたものだと驚くほどの狭さでした。

 

鏡モチというのは、年神様(歳神様)に対してのお供えだそうです。年神様がやってきて鏡モチに落着いてくれる。だから鏡モチには神様の魂が宿っているという受け止めかたです。鏡餅を小分けにするときは”鏡開き”と言います。切るというのは忌み言葉とのこと。小さくした餅を配るのがお年玉(年神様の魂、魂=玉、だからお年玉だそうです)。年神様の魂が宿っているから、家長さんがそれをみんなに配り、それを頂いたみんなは生命力が強くなると。お雑煮を頂くのも同様の考え方のようです。昔は、なかなか味のある行事があった訳です。

おじいちゃんは、大変に信仰心の篤い人でした。「餅を食べると元気になる、力が出る」と言っていたのは、ひょっとすると、心底、年神様の魂を信じていたからかも知れません。鍛冶屋仕事をしている割には、読書が好きで、かなり難しい人文科学系の本を読んでいたようです。

おばあちゃんは、前にも書きましたが、合理的な考え方の人でした。あれだけの量の餅つきをしていたのも、餅を沢山作り保存して食べるほうが、お米を買うよりも経済的だと考えていたからかも知れません。おじいちゃんがお餅大好き人間だということもあったのでしょう。とにかく、このお二人は良いコンビであったと思います。

餅つきは一人では出来ませんから、大騒ぎしながら、自ずとみんなで協力しあいます。餅を作り上げるというのは、自然に家族の連帯感を高めて、喜びを分かち合うことになっていたように思います。

僕の長男が幼稚園児の時に、幼稚園の餅つきの行事があり、それこそ昔取った杵柄で久しぶりに餅つきを手伝ったことがありました。今思い出しても、蒸されたコメが一突きごとにまとまって、ほどよい固まりになっていくのを体感するのは、やっていて大変に達成感があります。一つの快感ですね。確かに神様が宿ってくれそうな感じもします。

それにしても、家で使っていた餅つきの道具一式は一体どうしたんだろう。残しておかなかったのが今となれば返す返すも残念です。

 

9月からですが、読んで頂いて本当にありがとうございます。よいお年をお迎え下さいませ。来年もよろしくお付き合いのほど。

 

 

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 大好きな日向、その4。2016年10月撮影。クルスの岬から日向灘を望む。写真の左側(海側)から見ると「叶」という字に。この岬から願い事をすると「叶」うとか。よい年になります様に。

ザワ―クラウト(風)

男が料理すると材料代には糸目を付けないと揶揄されることがありますか、これは一部の見栄を張る方か、よほど金銭感覚が欠如している方だけのことで、それ以外の方々には該当しないと思っています。特に自分で料理する時には、これは僕のケースだけかもしれませんが、腕に自信が無いので失敗を恐れて高級食材を使うのが怖いという気持ちになります。やはり、美味しそうな旬の新鮮なモノをそこそこ妥当なお値段で買う、というのが持続する楽しみかと。週末ののんびり土曜日であれば名古屋で言えば柳橋中央市場に出かけて行けば、旬の美味しいものをお値打ちに分けてくれる。この年齢になると時間をかけて出来ることがあれば、喜んでやらねばと思います。その為には体力を維持しておかなきゃあ。時間と体力の勝負を楽しまねばもったいないと。

逆にそこまでしなくとも、近所の八百屋さん、食品スーパーにも美味しそうな野菜が並んでいますから、見かけるとついつい丸ごと一個買ってしまいます。「食品ロス」で書いた通りです。本日は、クルルのおじさん流「キャベツ一個の捌き方」です。ちょっと恥ずかしいですが。久しぶりに(サボっていましたので)クックパッドの「クルルのおじさん」のキッチンを覗きましたが、結構真面目にレシピを投稿していたのを思い出して楽しくなりました。すでに掲載したレシピの中にキャベツを使用するものがかなりありました。


一つを除けば、あとはいかにも関西コナモン系料理でした。最近の世間の風潮に反逆するかのごとき炭水化物リッチなシリーズです。これにキャベツをたっぷりと入れます。四つ目のチャーハンは、酢玉ねぎをテーマにしたレシピですからキャベツは”適宜”としましたが、酢玉ねぎに遠慮しなければもっとキャベツをたくさん入れても美味しく頂けます。他のレシピには”キャベツ:1/8個くらい”と書きました。以上の四品を料理すれば2-3日で、一個のキャベツの半分くらいは美味しく頂いて消化することが出来ます。まだ、レシピには載せていませんが、これ以外にも、

〇僕でも出来る 野菜いっぱい韓国風ラーメン

〇僕でも出来る 野菜いっぱいチャンポン

等々が僕でも出来るシリーズのレシピです。やはり、関西コナモン系です。今年はキャベツが高かったから、キャベツを少なめにして、もやしをたっぷりと使いました。もやしさんに感謝です。

さて、キャベツの半分くらいは消化出来る目途が立っているというユトリを持って、キャベツに相対します。このユトリが大事だと思っています。いよいよ本日のメインテーマ「ザワ―クラウト(風)」です。(註:本当は(風)を外せれば良いのですが、現状は、まだ(風)=もどき、です。)

 

昨年末、子供たちが名古屋のマンションに大挙して泊まりに来てくれた時に、朝、みんなに、ホットドッグを作って出しました。トーストしたロールパンにザワ―クラウト風をたっぷり乗せて、その上にアツアツのフランクフルトのソーセージ、粒マスタードで。上手く出来たと思ったのですが、包丁でそれを1/2にカットする段階でグチャグチャとなってしまいました。残念、最後の詰めが甘かった。娘のダンナ二人(彼らは料理が上手い)が一応は褒めてくれました。クミンシードの風味が面白いと。

ホットドッグに挟んであるアレがザワ―クラウトだと理解したのは意外と最近のことでしたが、ホットドッグそのものを初めて食べたのは本場ニューヨークででした。

 

あれは1974年。米国に長期出張=実務研修と言えばカッコ良さそうに聞こえますが、実質は、丁稚奉公。独身時代の懐かしい思い出です。当時、景気は悪かったですが、日本人から見るとアメリカはピカピカに輝いていた時代でした。ドルは値打ちがありました。高かった。280円くらいだったかと。JFK空港に到着して一人でマンハッタンのホテルに。”タクシーの運転手にちゃんと英語が通じるかいな?”。

クイーンズボローブリッジの手前で突然目の前にバアッとNYKの摩天楼がそびえ立ちます。”ああ、これがアメリカかいな、こんな国と戦争したんや”と誰しもが思う気持ちになります。高速道路を走っている日本車が、フルサイズのアメ車に比べるとなんと小さく、貧相に見えたことか。

ホテルで前任者と待ち合わせ、横にある大衆食堂でビールとハンバーガーなどを注文、ほっと一息。フライドポテトの量の多さ、車だけでなく何かにつけサイズが大きいのに驚いたような。

 

10日間ほどで引き継ぎは終了し前任者が帰任。まだ友達もおらず、仕事にも慣れず、連日夜遅くまで残業。食事はいつも一人、安い簡易食堂で。その簡易食堂がけっこう豪華に思えました。ピザは1/4切れでも大きくて食べきれないほど。イタリアンの大衆食堂ではパスタに舌鼓、それまではケッチャプのスパゲッテイ・ナポリタンしか知らなかったのかも。中華料理屋は、持ち帰りが可能で随分と助かりました。当時から、焼きそば、チャーハンは大好きだった。最初の下宿は、キッチン無し(あっても何もしなかったと思いますが)、バストイレ付きワンルーム。日本レストランはありましたが、随分と値段が高かった。また、特に日本食を食べたいとは思わなかった。

 

そんなある日。寒い日でした。例によって夜遅く退社し、いつもの地下鉄のホームに降りていく階段の近くで、屋台のホットドッグ・スタンドを発見。安い!。アツアツのパンにソーセージとザワ―クラウト、マスタードをたっぷりとかけて、ハフハフ言いながら法張り食いました。旨かった。”アメリカ社会では底辺の連中でも、こんな美味しいものを食べとんのか、豊かな国や”(当時は、NYKの地下鉄は物騒な乗り物で警察官が車両に乗り込んで警戒しているような状態でした)。

三か月ほどして、仕事にも慣れ、生活のパターンが一応確立出来ました。友達にも恵まれ快適なNYK生活に。約二年間、事故も無く充実した独身生活を楽しむことが出来ました。

 

ザワ―クラウト=ドイツの家庭料理、”すっぱいキャベツ”という意味らしいです。この酸味は酢の味ではなく、キャベツの乳酸発酵によるものとのこと。僕もレシピ本を読んで、二度、挑戦しました。一度目は成功とはいえませんが、それらしいモノが出来ました。もう一段、発酵を進ませるのがよさそうと二度目をトライ。これが完全に失敗。腐敗臭が出ました。それ以来、臆病になって再挑戦出来ていません。失敗を恐れ、”風”、で満足してます。お酢をたっぷり使った煮込み料理です。スパイスには凝っていて、クミンシードが合うと思っています。いつかきっと本物を成功させたい。自然に気分が高揚して”よし、作ってみよう”と思うのを待っています。

 

ソーセージと煮込むとシュークルート、これはフランス語とのこと。アルザス風シュークルートが有名です。僕もソーセージは大好きで、よくやります。僕の料理でやれば、「ザワ―クラウト風アルザス風シュークルート」と呼ぶのかしら。・・・そのうち、クックパッドの「クルルのおじさん」のキッチンにアップしますから、覗いて下さい。

 

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えらぶのユリ。一号鉢、二号鉢は発芽。さて三号鉢は?。2016年12月24日撮影。メリークリスマスです。

 

食品ロス、続き

食品ロスを削減するために、一消費者が出来る簡単で大切なことは、①買いすぎない、②買ったら使い切る、③作ったら食べ残さない、ことと言われます。単身生活で料理に興味を持っており、かつ、野菜大好きおじさん(=僕のことです)もよく理解はしているのですが、お店で旬の野菜を見ると美味しそうと思い、ついつい買ってしまいます。買うときには一応料理のイメージはあるので、その通り、料理します。でも、買いすぎているので、使い切れず残ります。また、料理したものも、多く作ってしまうので、食べきれず残ることが多いです。(注:以前は、作ったものは無理しても食べ切っていたのですが、体重増加に直面して最近は残すことを罪と思わないようにしています。)

料理したが使い切れなかった食材、そして食べ残した料理、これを捨ててしまうと食品ロスの発生となります。さてどうするか!。

 

ここで展開料理の思想です。誰しも残った同じ物を何日も食べ続けることを想像すると嫌になります。同じものを食べるのは嫌ですから、もしその状態が継続すると、その次の段階では料理そのものをやろうという意欲さえも無くしてしまう。食べることを楽しむ、料理を楽しむという気持ちが大切なのに、それが逆に嫌になってしまったら、それこそ本末転倒だ。

辰巳芳子先生の展開料理の要諦は、「時間を創れる」ようになるべし、読者の方が生きていき易くなるように時間を贈りたい、と書かれてます。その背景にあるのは、毎日の家事を繰り返すことの相克を解消したいという考えだそうです。相克の原因とは深層部で自己の尊厳が傷つくから、と看破されてます。料理研究家というよりも宗教指導者か哲学家ですねえ。僕は多分既に感化され、時には反発しながらも熱心な信者(理屈っぽい、天の邪鬼の信者ですが)になっていますが、これは素晴らしい鋭い指摘であると感心しております。

「買いすぎて 料理はしたが 余らせて 捨て去ることの 侘しさぞこれ」(孔瑠々)というのは「家事を繰り返すことの相克」の一つに該当することだと思います。この相克を解消する方法の一つが展開料理であろうと。料理することを楽しみながら、美味しく食事を味わいながら、そして、自己の相克を解消して、食品ロスを削減する。かなり肩に力が入った言い方ですが、相変わらず、理屈をコネないと納得できない世代です。

 

ちなみに教祖さまの辰巳先生はもっとしつこく掘り下げてものを考えられるようで、あの福岡伸一博士との対談もされています。福岡博士の「動的平衡」を読んで、辰巳先生の方から博士との面談を希望されたとか。”何故、食べるのか?”をとことん追求したいと思われた由。辰巳先生の「この国の食を守りたい」(筑摩書房、2009年6月第一刷)の第四章は福岡伸一博士との対談。「料理することは、いのちあるものの中で人間にだけに許された一つの自由」と言っておられます。

 

常備菜とか作り置き料理というのも、同じ思想で考える方が理に適っているように思うのですが・・・。辞書を引くと「常備菜=普段から用意しておく副菜。日持ちがして、まとめて作り置きに出来るおかず。きんぴら、佃煮、煮豆、ひじきの煮物など。」と解説されてますが、ここに「余った食材で作る料理」という概念も入れても良いのではないでしょうか。わざわざ材料を買ってきて作るのもアリでしょうが、使い切れなかった・余った材料で作るのが、結果として、常備菜・作り置き料理と考える方が自然な流れと思うのですがね。

僕の料理力のレベルと経験でこんなことを言ってられるのも技術の進歩のお陰だと感謝してます。冷蔵・冷凍・解凍の技術進歩がなければ、このような考えに至ることはなかっただろうと。今の時代に生きてて良かったわい。冷凍して保存して解凍して温めて、その工程をちょっと工夫すれば、美味しく頂けることを発見出来る時もある。楽しいですね。これが出来る日本の料理の流れ、日本の料理そのものに感謝です。食品ロスを発生させない仕組みが日本の料理の中に組み込まれているのではと日本の料理を礼讃してます。

  

 ちなみにアメリカでも食品ロスは問題になっています。10月16日の日経記事ですが、「米国では40%の食品が廃棄されると推定されている。米環境保護局によると、埋め立て処理される食品は、3500万トンに上る。」

公表されている日本の食品ロス 632万トンと桁違いな多さで、数字の把握の仕方に整合性があるのか不確かのように感じます。面白いのは、アメリカでは政府・農務省と環境保護局が削減目標を設定して、官民挙げて削減に取り組んでいると。その一環として、廃棄されるであろう食品を寄付に回す(これにはコストがかかります)流通業者に対して税制面での優遇をはじめとして経済的な刺激を与えて削減に取り組んでいると。また、余った食品を生活困窮者に無償で配るフードバンク活動も大変に盛んであるとのこと。削減目標を達成するには「技術やビジネスモデルにおけるイノベーション」が重要とされているとか。いかにもアメリカ的な対応の仕方かと思います。

前述の「賞味期限のウソーー食品ロスはなぜ生まれるのか」の著者、井出留美さんは、日本で初めてのフードバンク団体の広報を委託され、その団体を「食品産業もったいない大賞食料産業局長賞」の受賞に導かれたとか。日本でももっともっと官民を挙げての対応が必要なのでしょうね。

 

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 大好きな日向、その3。大御神社のさざれ石。「君が代は・・・さざれ石の巌となりて」です。2016年10月撮影。