クルルのおじさん 料理を楽しむ

朝市

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おでんを作りました。”いしかわ”さんの豆腐製品と朝市で僕らの隣のお店で売っていたコンニャクを使って。熱めのぬる燗で一杯。おでんの煮込みが薄く味が決まらなかった。はんぺんが縮んだのも残念。2018年2月3日撮影。(註:翌日、味を整えたら納得出来るおでんになっていました。一安心。)

 

 

2月3日、土曜日。「おとうふ工房いしかわ」さんが主宰する朝市に行きました。早朝5時半過ぎに家を出て。こんなに朝早く家を出るのは、留守宅の神奈川にいる時に千葉方面にゴルフに出かける時くらいかしら。まだ、外は暗かったです。愛知県高浜市に向かいました。同社の石川社長は『お酢の話、その2』(2017年7月17日)で書いた通り、南三河食文化研究会を主宰されていて、地域の文化、特に食文化を大切にされています。本業は豆腐製品の製造・販売ですが、その枠に留まらず、ショップ、レストランの展開から、最近、聞いたところではクラフトビールの運営まで。この方のキーワードは、””旨いと安全・安心を通じて皆さんに喜んでもらうこと””と理解しています。

 

高浜市に”いしかわ”さんの本社工場があるのですが、隣接する場所に「おとうふ市場大まめ蔵」という名前の豆腐製品ショップ、レストランを運営されています。その駐車場を開放して青空市場を開催。毎月第一土曜日、7時から9時までです。もちろん、自社製品の販売促進・宣伝を兼ねてのものですが、それ以上に、地元の方々に貢献したい、という石川社長の心意気が出ている企画だと思います。地元の方が、喜んで足を運んでくれる、楽しく買い物をしている笑顔を見るのが嬉しいなあ、という石川社長の気持ちが大きいと感じます。

 

 

僕が朝市の会場に到着したのは7時チョット過ぎた頃でしたが、すでに沢山の方が来場されていました。”いしかわ”さんの豆腐製品だけでなく、地元・地域の方々が商品提供をされていて大変に活気のある朝市です。地元の農家さんが農産物を提供したり、地元・地域の食品メーカーさんが自社の製品を提供したり。こんにゃく、納豆、菓子、粉モノ、惣菜等々、ホッとするような安心感のある食材が出店されています。きっと、南三河食文化研究会のメンバーの方々も石川社長さんの考え方に共鳴され協力、出店されているのでしょう。

 

 

『クルルのサトウキビ収穫体験会』(2017/12/24)で書きましたが、クルルの工場で育てているサトウキビも、そろそろ最後の収穫時期になりつつあります。担当の役員が以前からキビジュースをこの朝市で提供しようと考えており、ずっとタイミングを測っておりました。2月の朝市が時期的には最も良さそうだということになり、この日の前日遅くに皆で協力してキビの刈り取り作業を行い、葉を除去して50-60㎝に裁断、300本程度をコンテナに詰め込みました。そうです、キビは新鮮さが命です。早朝、自慢の圧搾マシーンも会場に持参し設置完了、クルルの幟も立てて、地元の皆さんに美味しいキビジュースを試飲してもらおう、お砂糖の良さを味わってもらおう、と準備万端です。

 

たまたまですが、1月22日(月曜日)のNHKの”あさイチ”で、「基本の調味料シリーズ、驚き!砂糖マジック」が放送されました。フェアーな観点から砂糖を紹介してくれて、砂糖の良さをアピールしてくれました。大変な反響がありました。個々の企業でも、そして業界でも啓蒙アピール活動はやっているつもりなのに、全く、反応の大きさ・広さが違います。さすがテレビ、天下のNHKのパワーだと痛感しました。

 

 

この”いしかわ”さんの青空朝市でも、キビジュースが大好評でした。7時の開始から9時の終了まで、継続して順番待ちの列が出来ていました。嬉しいですねえ。沢山の人に試飲して頂きました。「この辺りでもキビは育つんですねえ」「この面白いマークは良く知っとるけど、砂糖工場が碧南にあるとは全く知らなんだよ。」「あさイチ、見たよ。お砂糖、いいねえ!」「これを植えたら芽が出て来るのかねえ?」お土産に持って帰りたいとのご希望も結構ありました。「家で植えてみたい。」「家に持って帰って家人に割いてしゃぶらせてみたい。」僕の会社の連中は、普段、最終消費者の方々との接点がそれ程ある訳では無いので、リーダーの役員と二人の若手の社員も、朝早くからやっていることに地元の皆さんから大変に良い反応を頂いて喜んでいました。よかった、よかった。

 

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 キビジュース試飲会の風景。右隣は、ピザの販売店。後ろに見えるのが「大まめ蔵」のショップ・レストランですが専用のピザ釜が作られていて本格的なピザを頂けます。そこは豆腐屋さん、生地の上に厚揚げ・油揚げ、野菜をトッピングされてました。レストランでは、旬のとうふ定食、田楽、がんもが人気とか。ショップには、豆腐製品、湯葉トーカンスー、豆腐ベースの総菜、パン、ドーナッツが。次回はショップでの買い物方々、レストランに食べに来たいものです。左隣には、コンニャク屋さんが出店。おでん、味噌田楽、炒り煮を試食出来ました。美味しかった。買って帰って冒頭のおでんを作りました。

 

 

この日は節分。開始から一時間ほどたったころ石川社長がド派手な帽子をかぶって登場。トラックの荷台に乗って節分の豆まきです。笑う門には福来る、炒り大豆の子袋を配り捲り。炒り大豆が無くなってしまって、追加で同社のきらず揚げ、納豆も大サービス。もう朝市の会場は完全にお祭り状態です。

 

 

やっと一段落して改めてご挨拶。お話をしましたら、今日は、なんと石川社長の誕生日ということでした。「地元の皆さん、お客さんが喜んでくれたら本当に嬉しい」と。”いしかわ”さんの会社のHPを覗いて頂けるとよく分かりますが、企業理念が「全ての人を幸せにしたい」です。普通の社長がこんなパフォーマンスとかこのような理念を書くと、かなり鼻に着いたりするものと危惧しますが、石川社長の人とナリに接すると””このおっさんは、心の底から、そう思ってやっている人や””と実感します。日本人って素晴らしい民族だなあ、と元気をもらえます。僕はこの社長とこの会社を応援したいなあと感じています。

 

 

前回、チラッと書きましたが石川社長とは大変な縁があります。『炒り豆腐の思い出』の業界の重鎮さん。この重鎮さんのライバル会社に、昔、石川社長は努めていらっしゃって大豆の取引、豆腐会社の経営を勉強されていたのです。この会社の社長さん、僕もずっと懇意にさせていただいた方で僕が仕事を変わった後も30年近くずっと交信をさせて頂いていました。4文字のお名前で〇賀 正〇、中の二文字を繋げると「賀正」となる誠に喜ばしいお名前。重鎮さんがずっと年上ですが、重鎮さんと賀正さんは大変に仲が良かった。大変に良いライバルであられました。お二人ともご立派な経営者さんであったと改めて思い出します。この賀正さんも、昨年11月に亡くなられました。石川社長ご夫妻は今でもこの賀正社長を大変に敬愛されています。

 

 

共通の知人がいることも更に確認出来て、僕にとっては何十年ぶりの方になりますが、石川社長が会食の予定も設定してくれました。ちょっとしたキッカケから、新しい輪(古い輪なのかな?)が広がるのは嬉しいですね。「話」が広がって「和」になると楽しいですよねえ。

 

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 名古屋の地下鉄東山線、一社(いっしゃ)駅の近くにある”いしかわ”さんの販売店。とうふや豆蔵・一社店「まめぞうデリ」。表に素朴な言葉が記載されてます。ほのぼのとした気分にさせてくれます。一家団欒が浮かんでくるイメージですね。

東山線の駅名には、あれっと思うのがあります。この一社(いっしゃ)駅の次の駅は上社駅と書きます。”かみやしろ”と読みます。

 

 

 

 

高尾山

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高尾山薬王堂の天狗様。天狗様は大権現の随身で神通力を持っているとか。薬王堂は1300年の歴史を持つお寺です。社殿前方には鳥居があります。寺院の中に神社がある神仏分離以前の典型例だそうです。2018年1月8日撮影。以下も同様です。

 

 

1月8日、月曜日・成人の日の祝日、早速、高尾山に挑戦しました。年末年始に考えた今年の挑戦テーマの一つです。神奈川の自宅から、近くて安全・安心、手軽に行けます。ちょっと時間がある時に思いついたら、朝早く出発すれば午後早々には帰ってこれるはずで、この手軽さが有難いと感じています。正月に自堕落な生活をして体重も素直に増加してしまいました。山歩きをすれば、鈍らな体も少しは緊張感を取り戻すでありましょう。

当日、カミさんはもともとの予定が入っており僕一人だけの山行です。以前書いた通りですが、ちょっと険しい山に一人で行くのは怖いと感じるようになっていますが、それを感じさせないのが高尾山の良いところだと思います。登山口には9時ころに着いていたいと思うのですが、逆算しても自宅を8時前にゆっくり出発して十分到着出来る。近いことは有り難い。天気予報は晴れでありましたが、寒さ対策と雨対策だけはキチンと慎重に装備をして。携帯電話、ipadも忘れないように注意。おまけにチョット仰々しいと思いましたが両手ストックまで準備して出発しました。

 

 

八王子から中央線に乗り換え高尾方面に。車内は登山客でいっぱいです。いずれも腕に(足に)自信満々の面々、高尾山にしょっちゅういらっしゃってる気配の方々です。やはり、お年寄りが圧倒的に多い(お年寄りと言っても、僕と同年配かしら)。京王線に乗り換え、高尾山口駅に。

ゆっくりと支度を整え、入念に準備体操をして、さて、どちらの道を行けばよいのか。下調べしたルートは6号路。ケーブルカー、リフトは使わない。登りはとにかく歩いて行くぞ。帰りは疲れ具合を見て考えよう。登りは、最も自然な風情のありそうな登山道を行きたい。それが6号路。

ケーブルカーの駅から6号路への登山道に入ると、あんなに沢山いらっしゃった登山客が急に少なくなりました。やや意外な感じ。何故だろう?。

なだらかな山道です。僕がイメージしていた通りで歩きやすく心地よく山歩きを楽しめます。これは気持ちが良い。予定時間よりも早く琵琶滝に無事に到着しました。 

 

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琵琶滝。もともと高尾山は山岳修験のお山です。この琵琶滝と蛇滝の二滝は水行道場として一般にも開放されている由。申し込めば行衣も借りることが出来て、入滝指導もやって頂けます。滝に打たれて身を清める!邪念を払う!。やってる方はいませんでした。やはり一月は寒いでしょうね。

 

 

 琵琶滝を後にして一路、山頂を目指します。道路・方角の標示は丁寧に出ているので山頂への道を間違えることはありません。但し、自分の歩いているのが6号路を辿っているのかどうかは不明になりました。かなりの急な山道になってきます。岩場もあり。

””オイオイ、予想よりも本格的な山道やんか。これは山歩きというよりは山登りや””。歩いている人も少なくなり、前後に登山客がいなくなってきます。やや弱気になり始め、かつ、体力を心配し始めた時に「山頂」の立て札を目にしました。正直、ホッと一安心。急に開けた広場に出てきました。街に出たような気配です。舗装もしてある。茶店、お土産屋さんが何軒も並んでいる。展望台あり。BBQ設備まで完備されています。見晴らしも良し、スカイツリーも見えました。結局、厳しい山道は、ほんの15-20分程度のものだったのでしょう。あっという間に登頂完了か、チト物足りないなあ(少し前には不安を感じていたのに現金なモノです)と思ったのですが。

””ちょっと待てよ。高尾山口駅からまだ一時間も経過していない。これが本当に山頂かしら””。展望台から降りて広場に行くとテントが張ってあり案内役らしきオジサンが座ってました。

 

恐る恐る、恥ずかしながら「ここが山頂なのですよねえ??」とお聞きすると「ははは、はあー、山頂はまだ先です。この先を道なりに行けばよいですよ」と。

””なんと、ここは山頂ではなかったの。これからまた踏ん張らないといけないのかしら””とまた疲れが出てきました。その辺りはケーブルカーの駅の近くの広場で、散歩がてらに普段の恰好のままの登山客・参拝客が沢山いらっしゃいます。道路もずっと舗装されていて、皆さん、山頂を目指して気楽に登っていくような様子です。これなら僕も心配なさそうだ、何とかなるだろう、のんびり行こうかと気を取り直して前進しました。

 

 

ケーブルカーの駅からは、なだらかな登り道になっているのですね。足場も全く問題ありません。門前町を散策する感じです。有名な浄心門を経由して更に先に進みます。階段は苦手なので女坂を経由してタラタラと歩いて行くとこれも有名な薬王堂に到着。天狗さんとご対面です。さらに道なりに行くと高尾山山頂。599m。山頂というのか展望台というのか。立派な売店もあります。山支度した格好の人もいれば、普段着の方も沢山いらっしゃる。売店ではビール・お酒も置いてあります。ケーブルカーを利用すれば、軽いハイキング、散歩がてらに来ることが出来るのが人気の秘密なのでしょう。でも、このケーブルカーの傾斜は日本一の急勾配とのこと。距離は短いですが登るルートによっては結構厳しい工程であるのが理解出来ました。やはり低い山でもナメたらアカンと実感します。

 

 

寒かったので茶店でキノコ汁を頂きました。カラダがジーンと暖まります。山頂で暖かいモノを頂けると本当に美味しく思います。こんなに旨いものは他では味わうことは出来ません。次の機会には自分でコッヘルとコンロを持参して、ゆっくり自前のスープを味わいたいなあ。孫を連れて(連れられて)三世代で来たいものだわ。孫に山頂でスープをご馳走するなんて最高かも知れませんね。

 

 

初めてのこともあり、それなりの充実感を味わうことが出来ました。ゆっくり休憩して体力を回復してから帰路に。下山は苦手です。僕の膝はあまり上等ではありません。登りで無理をすると、その疲れが下りで出てきます。負担をかけ過ぎると下りの時に踏ん張りがきかなくなる時があります。

先ほどのテントのオジサンに挨拶しつつ下りのルートをアドバイスしてもらいました。一番、安全かつゆったりしているという一号路を選択。これが高尾山の表参道だそうです。念のため持参した両手ストックを使って出来るだけ膝への負担を少なくするようにしました。完全舗装のなだらかな下りです。膝も悲鳴をあげないで何とか大丈夫でしたが、舗装道路は膝への負担があるなあと感じます(贅沢な話ですが)。この道は頂上へのメインな道ですから、食材・飲み物・資材等を運ぶため舗装が必要であることは良く理解が出来ますが、欲をいえば、自然の道を残す工夫も出来たらもっと素晴らしい登山道、散策道になるでしょうね。自然と共生して欲しいと思います。 

  

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 高尾山山頂。599m。ブラタモリによると高尾山一帯の植物の種類の多さは大変なモノだそうです。イギリス全土に匹敵するほど植物の種類が多いとか。単位面積当たりでは圧倒的にNO.1の由。都心から近くて手軽に登れることもあり、年間300万人の来場者・登山客が来られているとのことです。一日当りほぼ一万人、やはり凄いですね。

 

 

12時過ぎには無事に下山完了。高尾山口駅の近くには、温泉もありますが湯冷めして風邪を引くのが心配だったので今回は入りませんでした。長女のマンションが帰路の途中にあるので電話してから押しかけました。風邪で調子を崩していたので、食料等を調達して差し入れをしましたが、本当は孫の顔をみたかったからです。ダンナは祝日にもかかわらず出勤中。彼は酒飲み友達なので残念でした。電話をすれば、すぐに飛んで帰ってくるのは分かり過ぎるほど分かるのですが、それでは、休日出勤している意味が無くなってしまう。昔の僕もそうだったなあ、亡くなったおじいちゃん=カミさんのお父さんに誘われたら、仕事・付き合いを放り投げて飛んで帰ってました。ただ一緒にお酒を楽しく飲む為に。一人でお酒を飲んでいるとカミさんが遅れて到着、合流しました。高尾山制覇を自慢しつつ、調子に乗って次回は家族で登ろうと話をしました。長女の長男(=僕の孫)は、一才半。今後どれ位で、一緒に山歩きできるようになるのかしらと楽しみになります。山頂で美味しいスープを作ってやるからねえ。

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高尾山山頂のキノコ汁。熱々です。旨かったあ!。

 

 

 

古本屋さん

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 大阪市中之島図書館。近くのホテルでお客さんと新年会がありました。次の予定まで時間が余ったので一人でプラプラ散歩しつつ懐かしの図書館に。外観はほぼ変化無し。かつて昭和40年代前半!!には自習室がありましたが、もはやそのようなスペースは無くなっていました。2018年1月11日撮影。

 

 

地下鉄の本山駅の交差点から数分のところにお気に入りの古本屋さんがあります。本山駅は、名古屋の東山線名城線が交差している駅で、名城線を南に一駅行くと名古屋大学南山大学中京大学等のキャンパスがあり、東山線で東に一駅行くと東山動植物園平和公園があるところです。名古屋駅から地下鉄で15-16分ほどの便利なところで、近くには覚王山、自由が丘、東山公園、八事等々、名古屋で人気の高い評判の良い住宅街が広がっている地域です。

 

この古本屋さんは、本山の交差点から名古屋大学方面に歩いてすぐのところ、ビルの半地下にあります。表通りが若干の坂道になっているので階段を半階分ほど降りる。入り口はやや奥まったところにあります。店の外、入り口の横に古い本棚を利用して古本が置いてあるのが表通りから覗き込むと目に入ります。表通りには、注意して見ればお店の看板が出ていますが、僕が最初に気づいたのはこの店の外の通路に置いてある本の棚でした。””おお、こんなところに本屋さん、それも古本屋さんのようだ””てな感じです。日が差し込んでこないし、雨風の心配も無さそうなので本が痛む心配もない(と思います)、古本屋さんに適した環境です。古本屋以外では、ちょっと渋い喫茶店が似合うかもしれません。扉を開けて中に入ると、とにかく、古本屋の風情が漂っています。それほど広いお店ではありません。本の棚がやや迷路っぽく並んでいるのも面白い。

 

お店の一角に狭い番台のようなスペースがあり、その隅っこにお店の人がひっそりと座っています。いつも同じ方がいるので、多分、この方がこの店のご主人なのでしょう。痩せ型、細面・髭面、当然、やや長髪。ジーパンに下駄が似合いそうな、いかにも古本屋さんというイメージの方です。愛想は悪いというのではなく、愛想が無い=そこにいるという気配がしない。年齢は不詳ですが、結構まだお若いと思われる。このお兄ちゃんが即席ラーメンを食べているところは絵になるだろうなあとか、はたまた、かつて70年代の学生運動の闘志であったのだろうかと想像してしまうような気配です(全く時間軸が合わない僕の勝手な想像です)。

静かな店内、お客が入って行っても、どこかの居酒屋みたいに「いらっしゃい!」なんて声は間違ってもかかりません。この店、誰もいないのかしらと思わせるような雰囲気で、ゆっくりと本を見て回ることが出来る空気が漂っています。

 

 

何時お邪魔してもお客さんは精々一人か二人いるだけ。これでよくお店を維持出来ているなあと心配になるほどです。昔、街の本屋さんは、お店に来て本を買ってくれるお客さん以外に、地域の学校に教科書を納める権利を持っているのが大きな収益源になっていると聞いたことがありますが、古本屋さんにも何かベーシックな収益源があるのですかね。

この界隈は名古屋での僕の散歩コースです。東山公園平和公園を散歩した後で、ぶらり立ち寄ります。だいたい何冊か買ってしまいます。それでも定価で一冊分程度で収まります。何か随分と得をしたような充実感。こんなお値段で『スピリットを揺さぶってくれる方々』=オモロイおっさん、おばはん達と出会えるキッカケを与えてくれるなんて、古本屋さんに感謝、感謝ですね。

ご主人とは勘定をする時にだけ言葉を交わしますが、意外と丁寧かつ親切そして清潔感があります。この落差がまた面白い。

 

 

 

一方、東京、神保町の古本屋街。こちらは、専門書、専門分野に特化したプロのお店が多くあります。美術書、古書の専門店とか、文学・哲学・社会科学・演劇・芸術・自然科学それぞれの専門分野の本を集中して取り扱っている店とか。司馬遼太郎さんが執筆を開始する時には、そのテーマの資料を根こそぎ買い求めるので、この界隈の本屋さんでも、そのテーマに関連する書籍が一冊も無くなってしまったとか有名な逸話が残されています。また、幸いな事に空襲の被害にも合わなかったとのことです。

 

メインの通りの北側と南側で本屋さんの数が全く違っています。通りの北側=南向きのお店は日当たりが良い。日当たりが良いのは、古本屋にとってはマイナス材料。強い日差しを浴びると店頭の本が傷んでしまうから。古本屋は、南側=北向きに軒を連ねて並んでおり、北側=南向きには食堂、喫茶店等々が店を出しています。世間一般では南向きの住宅が好まれるのに業種によっては常識が異なっているのですねえ。

 

仕事の関係で同じ地下鉄沿線の近くの駅に時々行く機会がありますので、時間がある時には神保町辺りにも足を延ばします。以前、その筋の先輩から””あんたの好きそうな本が置いてあるはずやでえ””と教えてもらったお店がこの通りの一角にあります。

以前から「食の歴史」とか「食の文化」の本には興味を持っていましたが、最近は、その中で「昭和の時代」のことを綴った本(随筆風のモノ、紀行文的なモノ)に興味を持っています。大正から昭和初期にお生まれの方々が、昭和50-60年代くらいに執筆されている本。余り高価な本には抵抗がありますから、安い文庫本を物色しています。本の横幅のところはセピア色に変色しているような本ですが、さすがに神保町の古本屋さん、本の保存状態はキレイなものです。最近買った文庫本で、表紙を捲ったら、著者直筆の「謹呈xxx先生」日付・サインが書かれているモノがありました。その本の初版・第一刷です。xxx先生、著者のサイン入りの謹呈本は、やはり古本屋さんには流さない方が良いかと思いますが。これも時の流れですかね。

 

 

 

古本屋というのかナント言えばよいのか「BOOK OFF」というお店も凄いなあと感心してます。本、それも漫画本・コミックス、CD、衣類、カバン、おもちゃ、ゲーム等々、多分、それぞれのご家庭で眠っていたであろうこれらのモノを再活性化させたというのが凄い。商売として大変な目の付け処、新しいビジネスモデルを構築された。この創業者の方はたいしたもんだと思います。

 

僕は専らCDを買いに行きます。最初はおっかなびっくりでしたが、音も正常でありました。1000円以下で名曲、名演奏家に触れることが出来る。奇跡のピアニスト、天才と言われる辻井伸之クンの演奏を最初に聞いたのもBOOK OFFのCDでした。昨年末には、民放BS番組で彼のドキュメンタリーが三回も放送されてましたが、どれも素晴らしいものでした。この放送と相前後してBOOK OFFで「今日の風、なに色?」と「のぶカンタービレ!」の二冊を見つけて買いました。いづれも辻井クンのお母様が出版されていた本。多分、書店で見ても買っていないだろうなあ。廉価で提供されていたからついつい買ったんだろう。涙を流しながら感激して読みました。辻井クンの一層のフアンになったように感じています。古本屋さん(それと図書館!)というのは、本当に良いものですねえ。(すみません、本屋さんそのものも大切なモノだと思っています。)

 

 

 

本屋大賞がすっかり有名になりました。この二年は、たまたまだと思いますが、ピアノ・クラッシック音楽を題材にした作品です。2017年は『蜜蜂と遠雷恩田陸さん。幻冬舎。第156回直木賞と第14回本屋大賞のダブル受賞。浜松国際ピアノコンクールを舞台にした力作です。2016年は『羊と鋼の森』宮下奈都さん。文藝春秋。第13回本屋大賞。これはピアノの調律師さんを主人公にした作品。

これらがキッカケになってピアノ、クラッシックの世界がもっともっと関心が高くなると良いですねえ。次の大賞の題材は、食事・料理・食の文化になるのではないかと密かに楽しみにしております。

 

蛇足ですが、本屋大賞の本屋さんには古本屋さんは含まれていないのでしょうね。二番煎じはダメかも知れませんが「古本屋大賞」なんてのもあったら面白いかと(これにはBOOK OFFは入らない方が良いかもしれませんが)。

古本屋さんが「埋もれている名著を再び蘇らせる」!。対象は初版から少なくとも10年以上経っている本に絞るとか。面白そうでしょう。

 

 

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 図書館の隣にある中之島公会堂。かつて、安藤のおっちゃんは、この外観を変えずに内部に球体を埋め込むような斬新な改造を提案したとか。実現したものを見てみたい気もしますが、臆病な僕はやはり今のままでエエやんと思っています。同2018年1月11日撮影。

 

 

年末年始そして新しい年・2018年

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2018年1月7日、新幹線の車窓からipadで撮影。雪を被った晴れの日の富士山!誠に新年を飾るに相応しい山だと思います(結構きれいに撮れた!と自分でビックリ自画自賛しております)。

 

新年明けましておめでとうございます。

 

お陰様で例年以上にのんびりとした年末年始を過ごすことができました。大晦日は、NHK紅白歌合戦を最初から最後まで一度もチャンネルを変えることなく完全視聴しました。後日の評価でも、ウッチャンを始め司会進行が良かったとか、全体の構成が良く出来ていたとか大変に評価が高かったそうですが、僕もそう思います。最近、歌番組はほとんど見ないし、歌謡曲・ポピュラー音楽に接する機会も少ないので、初めて視聴する歌手がかなり大勢いましたが、これは年を取るにつれそうなってくるのでしょうね。新年にこの話をしたら、各ご家庭で紅白の思い出がイロイロあることが再確認出来て面白かったです。僕らの中学校時代前後が紅白歌合戦の最盛期でないですかね。おじいちゃん、おばあちゃん、親たちが演歌・歌謡曲を楽しんでいるうちに、ポピュラー音楽、フォーク、グループサウンドなんか出てきて。ジジ・ババが”こんなうるさいのはアカンな。歌詞も分からん。やっぱ、演歌がええなあ”と自分達の知らない歌手をケチョンケチョンに貶しながら楽しんでいた。中高校生は、”古い歌は同じもんばっかでおもろないやろ。年寄りは何も分からんくせに煩いなあ”と思いながらも一緒に見て楽しんでいた。当時は、大晦日に紅白を見るのが国民的行事だと、自慢して喋っている高校生もいました。二世代乃至は三世代が同じ屋根の下で一台のテレビを囲んで、お互いに勝手な批評をしながらの一家団欒であったかと。

最近は家に複数のテレビがあるでしょうから、一台のテレビを囲んで家族一同が勢ぞろいしてみる機会は少なくなっているのかも知れません。そもそも三世代同居という構成もあまり見られなくなっていますかね。

 

 

今回、我が家では、僕とカミさんの二人だけの紅白歌合戦でした。2018年、僕は仕事生活から完全卒業する年です。いったい、どんな生活パターンになるのやら。お互いに期待?と不安を感じつつ、今までの生活とどう折り合っていくのがよいのやら、お互いの間合いを測りながらお互いを牽制する、まあ、紅白を見ながら楽しい禅問答をやっていたというところです。

完全に意見が一致するのは、とにかく元気=健康であらねば!と。健康でなければ話にならない。美味しいモノを楽しく頂ける、美味しいモノを食べに外に出ていける、美味しいモノを食べに旅行にも行ける(註;もちろん、お酒も含みます)。そういうことが出来る健康な状態は是非とも維持したい。まずは、足腰を強化しよう。強化と言っても、年寄りのことですから衰えを防ぐという意味です。

 

思い起こせば、昔は、丹沢方面の山登りに家族一緒に行ったこともあります、長男とは一泊二日で富士山に登ったし。素人登山家としてはイロイロと挑戦した方かも。しかし、最近は”山登り”という言葉には二人ともかなりビビッてしまいます。億劫になっている。せいぜい”山歩き”のイメージで行ける処があればよいなあ。そうだ、我が家から、そこそこ近くて便利、安全で手頃なのは高尾山。ブラタモリでも取り上げられていたではないか。いざとなれば、ケーブルカー、リフトも設置されているから、無理をしないでそちらに逃げることも出来る。いろいろなルートがあるはずだから気軽に行く習慣となればよいなあと。家にあったガイドブックを見ると、高尾山の標高は599mでした。低い山ですが、登山のスタート地点の標高も低いので標高差は結構あるはずです。400m位は有るように思います。低い山といっても山は山。決して侮ってはいけない、ナメてはいけないと思います。

 

 

元旦を全くのんびりと過ごし、二日も午後に兄の家で新年会の予定があるものの、引き続き、のんびりと。毎年、二日と三日は、箱根駅伝が楽しみです。東京、神奈川に在住の方は、駅伝のルートにも親近感・臨場感があるでしょうし、出場校と何らかの繋がりがある方も沢山いらっしゃるでしょうから関心が大変に高い。テレビの放送も随分と前から全国放送になったお陰で全国的にも人気スポーツ番組に。テレビ放送のお陰で高校球児ならぬ全国の高校陸上選手の憧れの舞台になっている。

 

箱根駅伝というのは、大学駅伝競技の一地方大会、という位置づけです。関東の大学しか出場していない。関東以外にも陸上が強い大学はあるだろうに。なんで関西地方の大学が一校も出場してないんや、おかしやないか。以前から不思議に思っていましたが、単純な話で、これは関東の地方大会だから。主催は、関東学連(学生陸上競技連盟)で読売新聞社が共催です。関東の大学にしか参加資格が無いということです。駅伝のなかでは人気・知名度は抜群ですから、この世界でも東京一極集中が起こっているように思います。

 

朝早く起きだして7時からの放送を見ました。スタートが7時かと思っていたのですが、スタートは8時で、一時間前からの放送。今までの記録、大会の歴史の紹介がされていました。スタート前の各大学の緊張感が伝わってきます。最初のランナーのプレッシャー。これは本当に大変そう。黙想している者、ストレッチを繰り返している者、それぞれに鍛え上げた集中を高めるルーティンがあるのでしょう。

 

5区が有名な箱根の山登りです。標高差はナント約800mもあります。一説には864mとも言われております。高尾山の標高599mよりも高い。標高差で言えば、多分二倍近くあることになる。高尾山は天狗で有名ですが、箱根駅伝に出てくる選手達は、皆さん、天狗並みですねえ。歩いても大変な山道を、一気に駆け抜けるんだから。登り5区(20.8㎞)の区間一位は、法政大学の青木くん、1時間11分。区間新記録です。法政は往路5位でしたが、登りの最終区では区間一位を取れてよかったですね。下り6区(同じく20.8㎞)の区間一位は、優勝した青山学院大学の小野田くん、58分。小野田くんがここで東洋大を抜いて一位に。そのまま青学が最後までトップを譲らず独走して史上6校目の4連覇を達成しました。ちなみに小野田くんは愛知県豊川高の出身。今年の大天狗さんですね。

 

この大会には前年10位までのシード校と厳しい予選を勝ち抜いた10校の合計20校が参加しますが、それ以外に本戦に出場できない各大学からの選抜チーム=関東学生連合チームもオープン参加しています。箱根駅伝を走ること自体が素晴らしいことでしょうから、このオープン参加は大変に良い仕組みだと感心して見ていますが、残念ながらオープン参加というのは順位無し、公式記録無しという扱いだそうです。せめて記録には加えてあげたいですね。

 

往路完全優勝東洋大、総合4連覇の青学大はもちろん参加各校、全ての選手に拍手ですね。もちろん、オープン参加の選手にも。

 

 

という訳で、僕の今年のテーマは「外に出よう、新しい出会いを」。紅白と箱根駅伝との脈略が自分でも分かりませんが、本年、会社・仕事を離れてからどれだけの方とお付き合いが出来るか、交流を深めることが出来るか。日野原さんの三つの言葉の一つ「創めること(はじめること)」にトライして見ようかなと考えています。「書を捨てよ街に出よう」(これはチョット意味が違うかな)、ブログに閉じこもらないで外に出て、新しい出会いを見つけたいなあ。ブラタモリのオープニングの唄=井上陽水が歌っている”””テレビなんか見てないで、どこかに行こうよ”””アレ、いい歌ですよね。

 

 

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 「おとうふ工房いしかわ」さんのトーカンスーで作った僕の得意料理「炒り豆腐」。

『お酢の話、その2.』(2017/7/17)で書きました「南三河食文化研究会」代表の「おとうふ工房いしかわ」の石川社長ご夫妻(奥様は副社長さんです)と昨年末に会食しました。小伴天はなれ「一灯」で長田社長・料理長のお料理を頂きました。石川社長さんと僕とは大変な共通項・接点があることを発見。盛り上がってしまいました。別途、ご本人の了解を得てから書きたいと思います。

 

お土産に「おとうふ工房いしかわ」の豆腐製品をイロイロと頂きました。マーボ豆腐、お刺身湯葉、厚揚げ、油揚げ、等々、一つひとつに大変な工夫がされており楽しさ溢れる商品です。大豆=豆腐大好きな僕はのけぞって喜びました。

その中の一つが、トーカンスー。

トーカンスー=「豆」「干」「糸編に糸」と書きます。説明には、「国産大豆の豆乳をにがりで寄せ、極限まで水をきってシート状にした豆腐を裁断して麺に仕上げた」「大豆のたんぱく質を豊富に含みコシのある食感」「中国では合え物や炒め物の具としてポピュラーな食材」とのことです。僕は初めて使った食材でした。食べたことは有ったかも知れません。食感が好きです。カミさんは知っていました。これは炒り豆腐に適していると閃いたのは僕です。大ヒットでした。

 

 本年もよろしくお付き合いください。

 

感謝;スピリットを揺さぶってくれる方々へ

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神奈川の自宅、えらぶのユリが元気に芽を出し始めました。2017年12月31日撮影。

 

 

今年もあと僅かになりました。イロイロな事があった一年ですが、何んとか平和で元気に年を越せそうです。ありがたいことです。

 

 

大好きな日野原先生と音楽評論家の湯川れい子さんの語り合いを纏めた「音楽力」(海竜社、平成16年10月第一刷、12月第4刷)という本を古本屋さんで見つけたので買って読みました。古本屋さんは、最近頓にお気に入りの場所となっていて定期的に通う店が出来ました(古本屋さんのことは別途書いてみたいと思ってます)。この本の第2章「芸術が持つ大きな力」、この中で日野原先生が「音楽は魂に直接働きかける力を持っている」と仰せです。先生はご存知の通りキリスト教徒ですが信仰者としての考えが基にあり、同時に、お医者さんとしての知識・経験を踏まえて「人は、心と体と魂の三つで成り立っている」とお考えです。そして「魂=スピリット、スピリチュアリティーが人をつき動かす」と。

 

前置きが長いですが、タイトルの『感謝;スピリットを揺さぶってくれる方々へ』の「スピリット」はそういう意味で使いました。最初は「頭を揺さぶってくれる方々」と書いてみたのですが、どうもニュアンスが違うなあ、暴力問題と誤解されるかも知れない。その次は「脳に刺激を与えてくれる方々」と書いたのですが平板過ぎるし。その時に、この日野原さんの”スピリット、魂”という言葉に 出会いました。ああ、そうか、僕の言いたいことは、「頭=脳=心」よりも「魂=スピリット」なんだわ。日野原さん、やっぱ良いこと言ってるなあと感心しました。まあ、カッコつけて難しい言い方をしていますが、平易に言えば「オモロイ方々への感謝」という意味です。

 

という訳で、感謝する第一番は日野原先生になるのですが、この一年の間にも、イロイロとスピリットを揺さぶって頂いた=オモロイ方々と接することが出来ました。

 

 

その1.11月の日経新聞私の履歴書」は文化人類学者の石毛直道さんでした。12月は野球の江夏豊さんでしたから、二ヵ月続いて所謂おエライ方の出番が無かった。これに載ることを期待して沢山の各界トップのOBの方が順番待ちをしていらっしゃるそうですから、イライラされているかも知れませんね。うがった見方をすれば、各界でイロイロな事件・トラブルが発生していますから、その影響があったのかも知れません。とにかく、読者の目からは、この二ヵ月は大変に面白い「履歴書」でありました。林真理子さんの小説と併せ、日経を最終頁から読んでいる読者が増えていると思います。

  

石毛さんは前から”オモロイおっさんやなあ”と思わせる方です。何がキッカケか定かではありません。「食いしん坊の民族学」等とにかく沢山の本を書いている学者さんです。

この石毛のおっさんは1937年の千葉市生れ。考古学をやりたくて二浪して京都大学に入学。民族学文化人類学に進路を変え、1970年代前半には、食の研究、食文化の研究にのめり込むことに。梅棹忠夫さんとか小松左京さんとか素晴らしい恩師、先輩、友人に恵まれた。京都の懐は深い、京都大学は面白いと感じさせます。最も、京都、京都大学には、その半面、変わったヤツも多いのは事実だと思います。

 

食文化研究の出発点として「人間は料理をする動物である」ことと「人間は共食(これは、キョウショク、と読みます。訓読みをすると気持ち悪くなります)をする動物である」という二つのテーゼを考えたそうです。いま読んでも面白い視点だと感心します。

 

 

その2.日経ビジネスの新春合併号の「家族を考える」特集記事に京都大学の総長さんが出てました。霊長類学者の山極寿一さん。この方も京都がおもろいなあ、と感じさせる方のお一人かと思います。

動物と人間の「家族の起源」を解明してこられた由で、曰く、人間は家族の外に共同体があり、緩やかに繋がっている。この二重構造(家族という単位とその外側にある共同体という二重の構造)は人間だけに見られる特徴だそうです。その理由が、共同の食事と子育て。「共食」によって家族と共同体という二重構造が成立したとの見方です。

その構造の中でお互いの共感を確認し、連帯感を高めるのを「音楽的コミュニケーション」と呼ばれています。音楽や祭り、儀礼を通じてお互いに繋がっている感覚。言葉が無くても、身体の五感、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚を最大限に使って繋がっていく。言葉以外のコミュニケーションを通じて人間は家族と集団を行き来するすべを獲得していったとの捉え方です。

観点は違うように思いますが、なにやら日野原先生のスピリットにも通じていきそうな考え方で楽しくなりますねえ。京都「共食」学派ですかね。大阪だと「食倒」文化になりますが。

   

 

その3.安藤のおっさん。安藤忠雄さん。この方も以前からお名前は良く存じておりましたが、きっかけはchaさんが薦めてくれた乃木坂の国立新美術館で開催された「安藤忠雄・挑戦」を見たこと。”あんな顔しとって、こんなキレイな絵・デッサンを描くんや”と感心しました。設計のコンセプトが凄いですが、アピール・宣伝も凄く上手い由。コンペで勝つためには言葉も必要だから本も面白いと、これはchaさんの受け売りです。安藤忠雄展が評判になっている時に「安藤忠雄の奇跡」なんて本の広告をちゃっかりとドーンと新聞に掲載してました。もっとも、これは出版社の編集本だから、おっさんがやっている訳ではないのですかね。もう少しお近づきになりたいと思ってます。

 

 

その4.米原万理、内田樹。このお二人は1950年生れ、僕と同じ年齢です。万理さんは早く逝ってしまわれて本当に残念なことです。このお二人を本格的に紹介してくれたのは、読書の達人=本の目利きの師匠からでした。また、鍋の「戦艦ヤマト」のドラゴン先生も万理さんの著書を片っ端から収集していた大のフアンです。

 

 

そうなのです。オモロイ方から、その方がオモロイと思っているオモロイ方々を紹介してもらって、それを自分もオモロイと共感出来るのは、大変な楽しみ、喜びです。

 

 

その5.そのほか、玉村豊雄、種村季弘、出井宏和。玉村さんは『料理って?』(2016/9/2)で書いた通り「料理の四面体」で存じていましたが、あとのお二人は古本屋さんで偶然に知り合いになりました。お会いした訳ではありません。古本を見つけただけです。確か内田樹が言っていたと思いますが、本屋で、その本が自分を読んでくれと呼び掛けてくる、ということは有り得ると思っています。

 

 

小山実稚恵さん・讃歌』(2017/12/10)で勢い余って「料理は芸術に昇華するものか?」なんて書いてしまいましたが、出井宏和さんが「食は三代・東西食文化考」(新潮文庫、昭和60年8月初版第一刷)の中で面白い言い方をされてました。曰く、

・・・「すべての芸術は全く無用です。無用であるからこそ美しい」とワイルドは言ってます。それに対して私はこう考えます。「食というものは有用である。だからこそ美しくなければならない」ーーこのことは、古今東西の人々が料理文化をひたする高揚させてきた思想の源泉です。・・・(註:ワイルドというのは、オスカー・ワイルドのことで、この一節は出井さんが耽美主義者ワイルドが1900年に没したホテルを訪ねた時のものです)

もう少し、出井さんを引用しますと、

・・・料理水準を高く保つためには、高い民度を保持していくのが条件です。それにはまず平和であることです。(中略)腹が一杯になればよい、文化などは何の経済的利益ももたらさないと考えている人々が戦争をするのです。・・・

著者の出井さんは関西割烹「出井」のご主人。パリ、香港、モスクワ等々で料理修行をされた由。本の解説(石原慎太郎さんでした)によると、「かつての若旦那も齢五十路にかかって先代の跡を立派にとった大旦那になっている」とのことです。引用を続けます。

・・・料理は文化です。(中略)一方、芸術的であるとかと煽てられ、必然性のない装飾過多の料理を作るのは文化を逸脱した行為です。私の考える料理文化は(中略)、音楽は音、絵画は色、彫刻は形であると同様に、味が大きな要素なのです。・・・

 

この表現は良いなあと感じてます。音楽は音、料理は味。達人がこのように受け止めているとすると、凡人は、きっと、音楽で感動し、絵画に魂を揺さぶられるように、料理にも驚きと感激を感じるかと。その時、料理は芸術に昇華している(かな)。

 

 

ちょっと捻じれる話かも知れませんが、石毛のおっさんが「食いしん坊の民族学」(中央文庫、昭和60年9月第一刷)のなかで、科学の観点から「文化と味の価値観」なる記載をされています。おっさん曰く、

・・・科学とは客観的な記述に耐え得るものについての考察である。形、色、音は映像とか録音とかという手段でなんとか記録にとどめることができる。しかし、味は記録することが出来ない。味は一回性の情報なのである。

・・・科学の軌道に乗らないモノで、現実の世界では意味をもつものはいくらでもある。味もそのような事柄である。味を普遍的な同じ目盛りの物差しを用いて科学として記述することが出来なくとも、文化としてとらえることは可能であろう。

 

 

結構イロイロな方々が、食べること・料理・味についての思索を真剣にされていると感じられて楽しくなります。今の時代の良い意味での豊かさに感謝したいと思います。

 

 

今年も大晦日の日になりました。ゆく年くる年。来年はどんな年になりますやら。クルルのおじさんにとっては今までの会社生活から完全に卒業する年になります。「会社離れ」がスムーズにいくかな?。ほぼ準備は出来ていると思うものの、人間、その時になってみないとどういう化学反応が起きるのか分からないとも言いますし、一方では、少し余裕が出来れば、オモロイ方々ともっとお近づきになりたいなあ、とも期待しています。とりあえずは、そういう方々への感謝、感謝で一年の締め括りです。

 

 

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 東京都心では初雪が観測されたとか。冬の空、冬の雲。それにしても電柱、電線が多いなあ。『COOL JAPAN』(2016/11/20)で書いた通りですが、「犬と鬼」のアレックスの指摘は鋭いなあと改めて感じます。神奈川の自宅周辺。2017年12月31日撮影。

 

 

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 気持ちだけでも締め飾りを。2017年12月31日撮影。

 

・・・・・・皆さま良いお年をお迎え下さいませ・・・・・・

 

 

 

 

クルルのサトウキビ収穫体験会

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 12月3日(日曜日)碧南のクルルの工場で育てているサトウキビ畑で、サトウキビ収穫体験会を開催しました。

 

 

『沖縄=ゴーヤチャンプルー』(2017/10/10)の写真欄で紹介した通りですが、「クルルのサトウキビ収穫体験会」を開催することが出来ました。台風・強風の影響で幹が傾き倒伏の被害発生が懸念された時期もありましたが、関係者の熱心な世話の甲斐が有り良く育ってくれました。もともと逆境に強い作物です。強風で傾いて曲がってしまっても、茎が折れてしまわない限り再び成長して伸びていく回復力が強い作物です。

 

クルルの工場でサトウキビを栽培し始めてから早いモノでもう三年目。”砂糖を製造・販売している会社として、サトウキビそのものをもっともっと地元の方々に紹介して砂糖の良さをアピールしていこう”と社内の有志がイロイロと苦心しながら栽培を開始したものです。昨年からは、”一般の人にも収穫体験をしてもらおう”ということで第一回目の収穫体験会を開催したのですが、ナント、この地域では珍しく寒風・吹雪の日に重なってしまいました。それでも、30から40名ほどの方々が参加して下さり、自分達が思っていた以上に地域・地元での関心が高いことを感じ取ることが出来ました。”この行事は是非続けてやっていきたい!”と社内でも一段と弾みが着きました。

 

二年間の反省と経験を基に、生育状況の管理、糖度の上昇度合いの把握(こういうのはメーカーですので得意分野です)をやりながら体験会の開催日程を決定。地元の行政、メデイア、新聞にも協力してもらい体験会の開催案内と来場募集を行いました。主催者の狙いとしては、”地元中心にサトウキビに関心を持ってもらえれば嬉しい。来場者のターゲットは、やはり、家族だ。それも親子だけでなく、三世代=ジジ・ババと親子の三世代となればもっと素晴らしい。きっと、サトウキビに対する感慨、思い出はジジ・ババ世代の方がなにがしか強く持っていることだろう。農作業もお年寄りの方が経験豊富であろう。三世代が交流出来る場となって、その時に、子供たちがジジ・ババをレスペクトする場面が一つでも出てくれば素晴らしいことだ”。

 

 

いよいよ収穫体験会の日を迎えました。今年はお天気に恵まれ、気持ちの良い晴天です。午後一時の受付開始の時には、既に沢山の方々が到着されており受付に列ができるほどになりました。嬉しい誤算。

受け入れの流れとして考えていたのは、①受付⇒②キビを小さくカットしたキビ・スティックを噛んで味わってもらう⇒③キビ・ジュースを飲んでもらう⇒④キビ畑で収穫体験⇒⑤その間に、主催者がキビ・ジュースから黒砂糖を手作りして、出来立ての黒砂糖を味わってもらう⇒⑤刈り取ったキビを裁断して適宜お土産にお持ち帰り、というものでしたが、②の段階で、もう会話が盛り上がって前に進まない。

 

僕は小さい時から都会育ち(いわゆる下町ですが)でキビが育っているところなど見たことはありませんでしたが、町内の行事とかお祭りのお店とかでサトウキビが売られているのは良く目にしましたし、買って皮を剥いでもらい噛り付いて味わったことを覚えています。最初は、”なんじゃこの棒みたいなものは”と思ったわけですが噛めば甘い汁が出てくる、”おお、これは魔法の食べ物だ”と驚きました。

サトウキビの原産地は東南アジア、現在のパプアニューギニア島辺りと言われていますが、初めて、このキビを噛り付いた人は、さぞかし、ビックリ仰天したものと今更ながら思います。

予想通り、僕と同世代っぽいオジサン、オバサン(ジジ・ババ)は懐かしがってキビ・スティックに噛りついていました。若い人、子供たちはなかなか無い機会でしょう。初めて見た方もいらっしゃったような。”なんじゃ、これ”という表情です。お年寄りの話「昔はリヤカーに積んでサトウキビを売りに来ていたもんだ。甘いモノがなかなか手に入らず、スティックのキビを噛んで出てくる甘い汁が美味しかった。懐かしい。苦労していた時代を思い出すわ。」

そうなんですよ。甘いモノが手に入らない時の、甘いモノの価値は凄いと思います。このお年寄りの周りには若い家族連れの方々も加わり、”固いなあ、でも、いい甘さだなあ”と噛り付いていました。

 

 

その後は、キビ・ジュースの試飲コーナー。キレイな薄緑色のジュースです。爽やかな香り、収穫したばかりのフレッシュなキビ・ジュースの美味しさは格別です。『沖縄旅行、その2.』で書いてしまいましたが、日本最大のサトウキビ産地のキビジュースよりも間違いなく美味いです。新鮮だから。

 

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 これがサトウキビの圧搾マシーン。当初一台のみであったが、この日のために二台目も手配。流れがスムーズになるように。上段の穴に外皮を剥いたキビを一本づつ投入すると、下段の蛇口からきびジュースが出てくる。60~80㎝程度のキビで紙コップに7合目くらいは取れる。紙コップに受けて試飲。皆さん、飲む前はややおっかなびっくりであるが、口に入れた途端に表情が変わる。優しい、爽やかな甘さにビックリ。お代りの注文も沢山ありました。

 

 

そしていよいよ収穫体験です。ご来場者には、園芸ハサミ、作業手袋、ビニール袋を準備しました。本当は、鎌で根元をスパっと切るのがサトウキビを収穫した充実感が感じられると思うのですが、鎌の使用は大人でも危険度が高い。子供さん連れが多いことを考慮した結果、安全第一、ケガをしないことを最優先して、園芸バサミを使用してもらうことにしたものです。お陰様でケガ・事故は皆無でした。何よりでした。

  

 

皆さん、収穫作業に夢中、楽しくやっていました。冒頭の写真です。農作業というのはやりだすと自然に周りにいる人を気にかける、自然に助け合う、自然に協力するものですね。改めて気が着きました。期待通り、ジジ・ババは昔取った杵柄で園芸バサミを器用に使い込んでお孫さんからレスペクトされていました。

農耕民族、日本人のDNAに刷り込まれているのでしょう。もう、家族・知り合いの枠を離れて、老いも若きも子供たちも、協力して園芸ハサミで刈り取り、一緒になってそのキビの外皮をむしり取る、きびを適度な長さに切断するのを支えやったり、持ち帰りやすくキビを紐で縛るのを手伝ったり。一家総出、全員参加の収穫作業です。

 

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 新鮮なキビ・ジュースから黒砂糖を製造。クルルの社員が研究と練習を重ね手作り黒砂糖に挑戦です。普段、クルルの工場でグラニュー糖、上白糖、三温糖、ザラメ糖、液糖を製造しているプロ達もお鍋で黒砂糖を造るのは勝手が違う。煮詰めたあと、㏗調整に食用石灰を投入し、空気を抱き込むように混ぜる。このタイミングと力加減、スピードが難しい由。うまく結晶化してくれれば成功。失敗すれば情けないアメ状の塊になるだけ。本場の沖縄の黒砂糖工場でもこの匙加減が職人技だそうです。

 

 

沖縄、鹿児島のサトウキビ産地にある分蜜糖の原料粗糖工場では、収穫時には、刈り取られたサトウキビを満載したトラックが列をなします。一日に何百トン何千トン単位の処理をする規模です。一方、黒砂糖(含蜜糖)の工場は、概して小規模の工場で、零細な家内工業的な工場もあります。近年、黒砂糖の良さが見直しされてはいますが、消費量が増加する訳ではなく、労働条件の厳しさ等々を考えると経営的には決して楽なものではありません。

 サトウキビは収穫された後、切り取った株から新しい芽が出てきます。これを「株出し」と言います。新しい苗は植える時期で「夏植え」、「春植え」と区別されています。茎を30㎝ほどにカットし横に並べて土に埋めると節のところから芽が出てきます。

秋の後半、気温の低下と共に茎の成長が緩やかになってくると茎中の糖分が上昇します。12月頃から収穫。何度も言いますが、刈り取り後放置すると直ぐに糖分が劣化、品質が低下してしまうので、収穫後、速やかに製糖工程に搬入する必要があります。

 

沖縄県、鹿児島県がサトウキビの主産地ですが主要産地は県内の離島です。自然環境は概して厳しい中で、サトウキビが離島の主要作物、主要産業になっています。生産農家さんは大変な苦労をされている訳ですが、それでも、サトウキビの存在が、離島に仕事を生み出し、その地に住んで生活する人々を支えていることになります。最近のお隣の国の動きを見ていると、国防の観点からも貴重な作物だと痛感しています。

 

 

後日、社内で反省会をした際、ご来場者は193人であったことが報告されました。男性が85名、女性が108名。19歳以下の方が78名、その内10歳以下のお子様は61名でした。嬉しい限りです。キビにはまだ余裕がありましたから、来年以降は、安全面での管理を行える主催者側の人員体制をしっかりして、もっと広い範囲、多くの方々に声をかけていこうと考えてます。 

 

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 お見事、クルルの黒砂糖の完成。即、試食会。「できたて!黒砂糖」。これも大好評でした(量が少なかったからかも知れません)。撮影は全て2017年12月3日。

 

中日新聞に収穫体験会の模様が掲載されました。後付けで、写真を添付します。

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 中日新聞の記事、フリモかわらの記事を掲載します(2017/12/31)。

 

小山実稚恵さん・讃歌

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 名古屋市東山動植物園の「紅葉ライトアップ」。都会のど真ん中で紅葉ライトアップを楽しめます。今年は特に紅葉が鮮やかとか。2017年11月19日、撮影。

 

 

初めて小山実稚恵さんのコンサートを聴いたのは今年(2017年)の4月でした。宗次ホールの10周年記念コンサート。当時は、恥ずかしながらそれほど有名なピアニストさんとは存じておらず、一緒に行った会社の仲間=Kちゃんから説明を受けて説教をされる始末。このKちゃん、一時はピアニストを志したレベルの弾き手なので、そういう方からすると、”この小山さん”を認識していないことが信じられないという驚きの様子。僕はややしょげ込みながらも ”そんなこと言われても知らなかったのだからしょうがないやろ。何か文句あんのか” と心の中で嘯きながら、気持ちを落ち着かせておりました。それも一瞬のこと。演奏が始まって、本当にビックリ。それまでに何回も宗次ホールでピアノ演奏は聴いていたのに、全く、音が違う。ピアノの音を表現するのに適切かどうか不安ですが、何か「ドカーン!」てな響き。弾いている小山さんの集中力が凄い。ゾーンに入っているというのはこういう状態を言うのだろうと見ていて(聴いていて)感じられる気配です。一方では、不思議なくらいの平静さ。曲の合間に、拍手への返礼のお辞儀をされますが、爽やかとしか言いようがない表情。あれだけ迫力のある演奏がウソのような平静さ。きっと脈拍数も全く変化が無いものと思われます。

アンコールに三回も反応してくれました。義理のアンコールでは無い、これがアンコールだ。正に演奏者と聴衆が一体になっているという空気が充満していました。

 

終了後、ホールでCD即売のサイン会。Kちゃんは、記念のCDを買って憧れの小山さんのサインを貰おうと。宗次オーナーさんがいらしゃって小山さんをエスコートしていたので、サイン待ちの列にならんでいるKちゃんと小山さんとの写真を撮らせてもらうことをお願い、快くご了承を頂きました。Kちゃんは憧れの小山さんとの2ショットを撮影してもらい大満足。僕も今までのコンサートの中で間違いなく一番感激したコンクールでありました。

 

 

このことを親しくお付き合い頂いている地元のピアニストの先生に話したところ「我が偏愛のピアニスト」(青柳いずみこ著、中央公論新社)という本を貸してくれました。青柳さんというのは、現役のピアニストであり、かつ、文筆家。ピアノ、音楽に関するイロイロな執筆をされています。この本は青柳さんの独断=偏愛で選んだピアニストとの対談集で、その一つに小山さんが登場していました。

青柳さんに言わせると、「 小山さんはピアノ留学経験無しで、チャイコフスキーショパンの二つの国際ピアノコンクールに入賞した『純国産の世界的ピアニスト』」。また「ステージに強いピアニスト」との紹介をされています。全く、同感。あの集中力、聴衆を引き寄せる力は凄い。更に、小山さんの「手」はピアノの指導者から見ると何千人か何万人に一人の手だそうです。もちろん、単にグローブのように大きい手という意味ではありません。

 

対談のなかで小山さんの話で面白いのは「スポーツ観戦が好き。テニスでも野球でも、何故、あのボールがあの位置に飛んで行くのかを考え込んで観戦している」とか。また、これは笑って納得しましたが「『ズオーン』という音を出したい」と。ご本人の目指すところの音の一つの表現ですが、「ズオーン」という言い方が大変に面白かった。僕は、コンサートで「ドカーン」という音を聞きましたが「ズオーン」とは同義であろう。とすると僕の耳は小山さんが出したがっている音を聴いたことになる。大したもんだ。

また、青柳さんが「ステージに強いピアニスト」と評する通り、ご本人もコンサートで弾いていると、気持ちが良くなり、高揚してノリノリになるとのことです。僕が聴いたコンサートではまさにノリ捲っていたのかと嬉しくなりました。

 

 

 

『同期会、一年の後』(2017年11月12日)に記載したコンサートは僕にとって二回目の小山さんのコンサートでした。これは「音の旅」と題して、全国6都市で2006年から2017年のナント12年間に渡り24回やってらっしゃるリサイタルシリーズの最終回です。

先ほどの青柳さんの「我が偏愛のピアニスト」の対談でもこの「音の旅」が話題になっていますが、コンサートを開始する時点で、既に最終回のプログラムは決められていたそうです。最初にバッハのクラヴィーアⅠ-1が来て、シューマンブラームスショパンと続き、最後にベートヴェンのソナタ32-111で終わる。

実際にその通りのプログラムでした。12年24回のコンサートを開始する時点で最終回の演目をイメージしていたそうですから大したものだと思います。

 

この時のコンサートでは、終了時に、宗次オーナーさんが花束を持って登壇されました。普段の講演の時には、冗談・シャレの連発で話しだすと止まらない宗次さんですが、この時は珍しく声が上ずっていました。これだけ聴き込んでいる方でも感激していたんでしょうね。

 

僕にとっても最初のは衝撃的なコンサート、そして、今回は大変に素晴らしいコンサートでした。次回、三回目が楽しみです。パンフを見たら、来年の春には、アンコール公演が予定されているそうで、今から楽しみです。

 

 

 

このコンサートの前に、また件のピアニストの先生から今回は小山さんご自身が出された本『点と魂と』を借りて読んでいました。副題が「スイートスポットを探して」となっています。スポーツ選手から始まりイロイロな分野の達人の方との対談をベースにしたもの。小山さんの極意を垣間見ることが出来ます。

●「テニスのラケット、野球のバット、ゴルフのクラブ・・・スイートスポットという観点からはピアノも同じ」と。

●「スポーツもライブである、あの臨場感、生の迫力、選手の気迫、これらが好きで好きでたまらない」。ご自分のコンサートでのノリノリが改めて納得出来ます。

●脱力と集中、感覚の磨き方、体幹を鍛える・・・「スポーツだけでなく、どんな仕事や創作にも『スイートスポット』がある。それは、仕事のコツであったり、心や身体の整え方であったり、達人は『仕事の極意』を独自の方法で会得されている。」とのことです。

僕の感性は、小山さんを「体育系求道者的ピアニスト」と命名しました。

  

 

これを書いている時に、NHKで「第86回 日本音楽コンクール」ピアノ部門のドキュメンタリーが放映されました。若手のピアニストの登竜門、ファイナリスト4人のそれぞれの様子が生き生きと。そう言えば、本年の第156回直木賞(そして第14回本屋大賞も)受賞作は『蜜蜂と遠雷』(恩田陸さん、幻冬舎)で浜松国際ピアノコンクールを題材にした傑作でした。長編でありましたが一気に読んだことを思いましました。

「太陽の棘」で絵画、「蜜蜂と遠雷」で音楽=ピアノの感動を楽しむことが出来ました。「みをつくし料理帖」で料理も楽しみましたが、ちょっと意味が違うような気がします。料理の感動は芸術の域に届くものでしょうか。料理は芸術に昇華するものでしょうか?。

 

 

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同じく東山の動植物園。実際には、もっと幽玄の風情が漂っておりました。 写真の技量の無さを痛感します。ドラゴン先生やきっちゃんはキット見たとおりの景色を撮影出来るのでしょうね。残念。