クルルのおじさん 料理を楽しむ

カズオ・イシグロ、その2.

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 北海道、支笏湖の観光船。支笏湖は透明度の高い湖。乗船して地下の座席に着くと湖底が見えるように設計されている。座った途端にヒメマス、ニジマスがお出迎え。お客様との最後になるであろう懇親会に参加してきました。皆さんに感謝の気持ちをお伝えすることが出来ました。感謝、感謝です。2018年5月25日撮影。

 

 

かなり前に、電子書籍と在来の本の比較をしている記事を読んだことがあります。普通の本の良さ=電子書籍では感じられないであろうことの一つに、普通の本は読んでいて残りの枚数が分かる。その時点で半分まで読んだとか、残り1/3になったとかが 一目瞭然に感じられることを挙げられていました。久しぶりに500頁近い長編小説を読み終わりましたが、最後の最後までハラハラドキドキ、まだ、終わらないで頂戴、もっと続けて欲しいと感じながら、あっという間に、全部、読み終えてしまいました。やはり、頁を自分で捲りながら、今、この物語のどの辺りにいるのかを感じながら読む方が楽しいと思います。

 

 

カズオ・イシグロさん著「忘れられた巨人」。文庫本で478頁の長編力作です。長編小説としては「わたしを離さないで」以来10年ぶり、短編集「夜想組曲」からも6年ぶりの作品の由。2015年に発表されて、日本でもすぐに翻訳出版されたそうです。前回の『カズオ・イシグロ』でテレビ番組=「文学白熱教室」の事を書きましたが、この番組は「忘れられた巨人」の日本での販売プロモーションを兼ねた企画で来日された時に収録されたもののようです。本を読み終えてから、もう一度、借りたビデオ録画を見てみました。

 

「発表直後の講演だから、内容の詳細は言えないが」と前置きしながら、この小説の骨子を紹介されていました。アーサー王伝説を土台にしたファンタジー的な舞台設定です。「みんなが出来事を忘れていく、記憶が朧げになっていく。その原因は、ドラゴンの魔法の息。ドラゴンを退治すれば記憶が戻るはずとの見方が多いのだが、いやいや、嫌な記憶を封印することで平和が保たれているのだから殺してはならないという空気も結構強い」。主人公は老夫婦、そして、戦士と少年、賢者、さらに老騎士と面白いキャラクターが登場します。イシグロさんは嫌がるのでしょうがファンタジー映画を見ているような素晴らしい展開です。

 

 

イシグロさんの解説によると、

「この物語では語り手の口調が一貫していない。それが物語の進展とともに、徐々に正直になっていく。信頼が置ける様になってくる。すなわち、現実に正面から向き合う様子が描かれている。」

更に、怖い話を例をとって話されていましたが、

「第二次世界対戦中、フランスでは、強い強制があったわけでは無いにも拘わらずナチスドイツへの多くの追従があった。人々は疑心暗鬼になっていた。戦後、ドゴールはフランス国民は”全員が”勇敢にナチスに立ち向かったと信じている状況を作り出した。そうする以外に国をまとめる方法はなかった。」

「現在に至る社会でも状況は変わっていない。ルワンダの状況、南アフリカアパルトヘイト、ユーゴの状況、いたるところに”葬り去られた記憶”がある。」

最初この番組を見た時には、この件は、ほとんど印象に残っていませんでしたが、結構、この本のことを触れられていたのを認識しました。

シャレになりませんが、僕は自分自身の記憶がすぐに消えてしまっていることにかなりの危機感を感じました。いや、これは記憶以前の問題でそもそも番組を見ても何も頭に入っていないのかと一層、不安になりました。これもインパクトの強いこの小説の影響を受けたからだと思いたいのですが。

 

 

講演での彼の解説を説明するとエラク理屈っぽい小説のような印象を与えることになるかと懸念しますが、この小説自体は全くそんなことはありません。素晴らしいファンタジーであり、老夫婦のラブストーリーであり、そして、サスペンス小説です。冒頭に書いた通り、最後の最後までハラハラドキドキ、最後の最後に何が起こるのか!。これは今から読まれる皆様の為に控えさせて頂きます。

最終章に近いところは東京から名古屋に向かう新幹線のなかで読んでいました。あと、わずかで読破できそうというところで名古屋駅に到着してしまいました。読むのを中断するのが残念なので、そのまま駅構内の喫茶店に突入して読み終えました。多分、30-40分ほどの時間だったと思いますが、時間の経つのを忘れておりました。

 

 

 「辛うじて記憶が残っている間に息子に会いたい。記憶がなくなったらお互いの愛も消えていくのでは」と心配しつつ息子を探す旅に出る二人。強い絆と愛情で結ばれている年寄りのご夫婦が主人公です。寓話も至る所にちりばめられています。島への渡し船に一緒に乗船するためには船頭さんの質問をクリアーする必要があります。クリアーしなければそこで夫婦は別れ別れになってしまいます。愛情、信頼が問われます。この話が最後までサスペンス的な緊張感を持たせています。

 

 

原題は「the buried Giant」。英語を逐語訳すれば「埋葬された巨人」とか「葬られた巨人」になろうかと思いますが、「忘れられた巨人」と訳されて小説のタイトルとなっています。地中に葬られ忘れられていた巨人(思い出したくない嫌な記憶)が動き出す恐怖。読みようによっては、ドラゴンの魔法をかけられていること自体を忘れてしまうようになることの恐ろしさ、を言ってるのかも知れませんねえ。

 

 

イシグロさんは、「何故、小説なのか」に大変に拘っていますが、小説の手法として「記憶」というものを意図的に駆使して物語を進めているそうです。演劇、映画・テレビのドラマ等々では表現出来ないモノ、紙の上・小説でしか描けないモノ。それが、記憶という表現方法だと。30年前の記憶と10分前の記憶を織り交ぜて物語を展開していく手法であるとおっしゃってます。それにしてもイシグロさんの素直な語り口には改めて驚いてしまいます。自分の小説の云わばノウハウ=イメージの育て方、小説の構成についての手法、書き方等々、手の内を全く平気ですべて曝け出しているような感じです。これが彼の言う「思いを伝える、感情を分かち合う」ということにも繋がっているのでしょうね。

 

 

久しぶりにbook offに行きました。以前、行った時には、イシグロさんの本を見つけることが出来なかったのですが、この日は、”ハヤカワ”のコーナーが目に入ったので探してみると置いてありました。”そうや、イシグロさんは外国人作家に属しておるんだわ”。以前、僕は日本人作家のア・イ・の欄を探していたのでした。ホンマ、アホですねえ。

置いてあった三冊を買ってきました。「遠い山なみの光」「日の名残り」「わたしを離さないで」。当分、電車に乗っている時間が短く感じそうです。

 

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良い本を読んで気分充実。 久しぶりの二品の料理。

①もやしを食べる為の焼きそば。ニンニク・しょうがをたっぷり。お肉は明宝ハムと合いひき肉、ピーマン・人参・玉ねぎ、油揚げと竹輪も。麺の味付けは醤油とお酒とお酢。最後に胡椒と唐辛子で辛めの味付けに。塩は使わず。

②アボガドサラダ。キュウリ、玉ねぎ、らっきょ漬けを全て微塵切りに。アボガドも同様に細かくカット。

アボガドは皮を剥くのが邪魔くさそうに思っていましたが、先日、カミさんから手ほどきを受け簡単だと理解出来ました。今、アボガドの皮むきにハマっています。撮影技術の拙さが残念。2018年5月29日撮影。

 

カズオ・イシグロ

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神奈川の留守宅の平兵衛酢の苗木です。手前の永良部のユリが沢山大きく育っているので、やや分かり難いかも。当初50㎝程度の苗木でしたが、こちらでも順調に育ってくれています。新しい枝は既に20㎝程度伸びています。2018年5月21日撮影。

 

 

散歩の延長でプラプラと近くの図書館に入りました。特に何を探すでもなく本棚を覗いていたら カズオ・イシグロさんの本が置いてありました。ちょうど出張に行くタイミングだったので、あるだけ借りてきました。「浮世の画家」「わたしたちが孤児だったころ」「夜想組曲」の三冊。

 

 

イシグロさんのことは恥ずかしながら、昨年、ノーベル文学賞に輝かれた時まで、殆ど知りませんでした。辛うじて名前は聞いたことが有る程度の認識。ノーベル賞を受賞されてから、多くの記事を目にして、そして、興味を持つようになりました。単純な話がキッカケです。週刊新潮の記事に、戦前、イシグロさんの祖父が中国・天津に渡りお仕事をされていた時のことが記載されており、その時に勤務されていた会社が僕が務めていた総合商社であったというだけの話です。それだけのことで一気に距離を近く感じるようになりました。この週刊誌の記事は、イシグロさんを分かりやすく紹介していて好感の持てる記事であったと思います。

 

 

その記事を読んだ時には、僕はまだイシグロを一冊も読んだことは無い状態。ノーベル賞の受賞というのは大変なもので、すっかり、時の人になっています。新聞、雑誌、テレビの番組等々で、情報が勝手に入ってくる。一冊も作品を読まないうちに、その作家の周辺情報をこれだけ知ってしまうというのは、今までに無かったことかも知れません。

 

 

経歴がユニークです。1954年、長崎生まれ。僕よりも4歳年下です。父親の仕事の関係で5歳でイギリスに渡ることに。当初は短期間、例えば一年ほとで帰る予定で考えていたものが、父親のお仕事(=海洋学者さんです)が現地で評価されてイギリス滞在が長期化。そのまま英国に滞在を続け、英国籍を取得。一時は音楽家、それもロックスターを目指したそうですが、方向転換して作家に。本人もインタビューで答えている通り、日本人家庭で育ったものの、家庭の外では完全にイギリス人として育った。学校では日本人は一人もいない。イギリス人以上に完全なキングズイングリッシュを身に着けた方の由。

 

 

僕が彼に興味を持っていることに興味を持ってくれた知り合いが、テレビ番組のビデオを貸してくれました。今年の新春に放送されたNHKの番組「文学白熱教室」。再放送です。昨年、ノーべル賞を受賞されたのに伴いアンコール放映されたもの。この番組中で、ご本人が自分の年齢を「今、60歳」と仰ってましたから、受賞よりずっと前の2014年か2015年ごろの番組かと思います。

イシグロさんご本人が学生相手に「小説とは何か?、何故、小説なのか?」を語りかける形式で、学生さん(日本人が中心のようですが、欧米・アジア系らしき外国人も参加している。日本人と思われる方も英語を流ちょうに操っている。日本での番組と思いますが、これも面白い構成だと思いました。)からも自由に質問が飛び交って、それに真摯に受け答えするイシグロさんの姿勢に大変に好感が持てました。まず、表情と声が良い。お顔つきもなかなかにハンサム、気品のある顔と言って良いのではと思います。

 

 

最初の長編二作は日本を舞台にした小説。僕が借りた「浮世の画家」が二作目。1986年の発表ですから、30歳代前半の作品。ご本人の言葉によると「薄らいでいく記憶を保存しておきたい」という強い気持ちが執筆の源にあるとか。「戦前に一世を風靡した画家が、戦後、時代遅れになってしまう様を描いたもの」と淡々とコメントしていましたが、日本人以上に日本のことを瑞々しく描写していると大変に関心しました。イシグロさん自身が実際には知らない「日本という世界」のイメージは祖父の影響を大きく受けて出来上がっているとのことです。

原書は当然英語ですから、この本は翻訳されたものですが、この翻訳が素晴らしいと思いました。日本生まれで日本人の顔つき・風貌をした作家が英国で英語で書いた日本を舞台にした小説。それを日本人の方が翻訳して、僕が読んでいる。何やら不思議な感覚です。翻訳は飛田茂雄さん。飛田さんは巻末にコメントを記載されてますが、「人間の独善性に対する厳しい批判」そして「年じゅう自己正当化しなければ生きていけない弱い人間に対する深い同情」と多分イシグロさんが描きたかったことを簡潔に評価されています。飛田さんは2002年にご逝去。翻訳されたものは、イシグロさんのお母様がお読みになって、その翻訳の日本語が素晴らしいことをイシグロさんにお伝えになっていたとのことです。

また、イシグロさんの小説の各章には、その時の年月が記載されているのですが、この本の最後の章は、1950年6月。1950年が大好きな僕はこれも気に入った理由の一つになっているのかも知れません。

 

この翻訳された日本語の本を読んだ後で、英語で書かれている原書を読むことが出来れば面白いだろうなあと思いました。日本人の感性が表現されている小説だと思いますが、それをナマの英語で表現したら、どのように書かれているものなのかしらという興味が沸いてきております。

 

 

この日本を舞台にした二作がそれぞれ英国での権威ある賞を受賞してイシグロさんは英国で作家としての地位を確立されたのですが、ご本人は、”日本のことを題材にしている日本生まれの英国人の作家”という評価には不満があったそうで、ご自分としては、もっと普遍的なテーマを扱っていると自負されていたと。これが、第三作目の「日の名残り」につながっていくとのことです。この三作目で、英国文学の最高峰と言われるブッカー賞というのを受賞。”日本”という注釈無しの”英国人の作家”として最高水準の一人との評価を揺るぎないものにされたそうです。

ご本人に言わせると「小説の舞台は動かすことが出来る。ジャンルも変えることが出来る。アイデアの奥深いところに価値がある。」とのことです。この本も読んでみたいですね。

 

 

このテレビ番組でのご本人のお話「何故、小説なのか?」は大変に興味深いものでした。素直な真摯な語り口が大変に印象的な。「(曖昧な)記憶を通して語る」ことの小説の手法としての面白さもよく理解できるような気がしました(最も、昨今の日本の国会での答弁に出てくる「私の記憶のたどる限り」云々は全くシャレにならないと思いますが。蛇足です)。

 

図書館に返却に行き、また、本棚を覗いてみたら「忘れられた巨人」がありました。これは2015年の発表。借りてきました。今日からまた出張に出るので道中の読書が楽しみです。ちなみに出版社はすべて早川書房。何かの記事に、地道に翻訳出版を続け良質の海外の作家を日本のフアンに送り続けているハヤカワを評価するコメントが出ていましたが、全く、同感です。これからも良い作家を発掘・紹介して欲しいものです。感謝。

 

 

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名古屋のマンションの平兵衛酢の苗木。こちらの方が、生育が早い。新しい枝は50㎝程度に成長。前回掲載以降に虫が発生、葉っぱを食べられてしまいました。殺虫剤は一切使用せずに退治したらその後は発生していません。多分、苗木の土の中に卵が着いていたのかと。虫よけにミントの鉢を置いてみました。オマジナイ。2018年5月24日撮影。

 

東名走破

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 東名高速のパーキングエリアで。ちょっとした公園があって山々の向こうに良い角度で富士山を展望出来る。薄曇りのお天気がチト残念でした。2018年4月29日撮影。

 

 

4月末に、カミさんと一緒に東名を走破しました。自宅から出発して横浜町田🆋で東名高速に入り名古屋のマンションまで。毎日もっと長い距離を走っている遠距離のドライバーさんがいらっしゃいますから「走破」というほど大袈裟なものではないのですが、僕にとってはかなり久しぶりの長距離ドライブ。時間をかけてよいので、ひたすら安全運転を心掛けました。

運転は僕だけです。カミさんも免許書は持っているのですが、そして「交代で運転しようか」と言ってくれるのですが、今までほとんどずっとペーパードライバー。今更、運転を再開して、万が一・・・。やはり、事故が怖いので運転はご遠慮して頂いています。僕が一人で運転できなくなった時にどうするかが問題かも知れませんが、まあ、それはその時に考えればよかろうと。

 

車はホンダのCR-V、日向時代からの自慢の四駆です。もう12年選手。既に何世代も前のモデルです。最近のクルマが全般的に何やら劇画的にゴテゴテしているのと比較すると、かなりスマートだと評価しています。僕が日向から名古屋に戻った時から、このホンダは留守宅に留めてあります。長男がたまにドライブしたり、僕が帰った時に買い物に行くか、ほんの偶にゴルフに行くときに利用する程度。バッテリーが上がらないように注意が必要な使用頻度です。

 

 

 大型連休前半の二日目なので渋滞の程度が心配でした。自宅から横浜町田🆋に入るまで16号線の渋滞が心配でしたが、数年前に途中の246号線との交差点が高架に整備され、昔の酷い渋滞はなくなっていました。車が空いていれば10分程度で行ける距離なのですが、ここは渋滞が当たり前で1時間以上かかることがよくありました。道路整備の効果が出ています。感謝。東名に入ってから厚木🆋辺りまでは、相変わらず車が多かったですが、ナントか流れている。40~60~80㎞程度のスピードで走れたように思います。最初は、とにかくゆっくりと安全に運転しようと思っていた僕にとってはちょうど良い混み具合でありました。

 

 

その後は大変にスムーズな流れになりました。僕の場合、安全運転とは車間距離を十二分に保つこと。もともと、前後の車との距離を詰めるのも詰められるのも嫌いです。制限速度をチョット超えたくらいで、走行車線中心で、そして休憩を多くとって運転しました。

 心なしか、一昔前に比べて、皆さんの運転が大人しくなったように感じました。昔は、やや混んでいる時には、隙あらば追い抜かそうとカリカリした運転をしているドライバーがいたり、空いている時は、後ろから凄いスピードで詰めてきてドケドケと威嚇するような運転をする人が大勢いらっしゃったように思いますが、心なしか少なくなったように思いました。走行車線をのんびりと運転していたからそう思ったのかも知れません。

 

ゆっくりノンビリ運転を続けてお昼は静岡辺り休憩。急ぐ旅ではない、安全第一なのですが、昔のイメージでいえば、もう名古屋の近くに着いていてもおかしくない時間が経過しています。人の体は面白いもので、ゆっくり安全に運転していれば、それほど疲れを感じることは無いだろうとイメージしていたのですが、久しぶりに運転席で固まって運転している訳ですから、それだけで十分に疲れてくる。 ”ゆっくり運転するというのも却って疲れるもんやなあ”と。

運転に慣れてきたというのもあってか、それ以降は、それなりのスピードで、追い越し車線も頻繁に走ってメリハリをつけた運転に切り替えました。但し、車間距離だけは十二分に保って。その方が心地よい緊張感を感じることが出来て、却って、体が楽に感じました。やはり、自分なりの楽なペースというのがあるのですかね。

 

 

 名古屋でのメインイベントは、名古屋でお世話になっている方の結婚式・披露宴。この席に僕たち夫婦で出席するように声をかけて頂いたので。新婦さんはプロのピアニスト。演奏活動を続けながら、ピアノの教室を開いていらっしゃる方。出席しているお友達もほとんどが音楽家の方々です。披露宴は、簡潔なご挨拶のあとは美味しい食事を頂きながらの演奏会という感じでした。とりわけ、新婦さんの弟さんのピアノの演奏が素晴しかった。彼は本格的にピアノを習っていたのは幼年期のみということなのですが、この日のために練習を重ね、堂々とした熱演ぶりでありました。いわゆるアマチュアの方の演奏は彼一人であったと思いますが、その日、一番の拍手を浴びていました。ご家族の結婚式・披露宴の席で男の子(彼は立派な成人男子です、念のため)がお祝いのピアノ演奏を披露するというのは良いもんですねえ。 

 

 

二番目のテーマは、カミさんに名古屋の新しい住居の住み心地をチェックしてもらうため。ついでに、車があるので各種の買い物。

カミさんが滞在中は、基本的には私が料理を作りました。といっても、前回紹介した「炭水化物系主食のみ但し野菜は結構沢山摂っている」料理であることに変化はありません。朝はトースト・レタスサンド、または、ご飯と納豆・豆腐定食。夜はもちろん「戦艦ヤマト」の各種チャーハン。隠し味=レタス・サンドにワサビ、チャーハンにはショウガ(これは隠し味とは言わないのかしら)は結構、評価が高かった。この2か月ほどの自分の料理に対してちょっとは自信がつきました。

 

 

家のなかで毎食ずっと同じ系統のものを食べると当然ストレスが発生しますから、近隣の散策を兼ねて、普段一人では行かない近くの食堂にも足を運びました。といっても二軒だけですが。到着した日の夜は、そば屋さん。名古屋は美味しいそば屋さんがあちこちにあるわけではないと思います。また、名古屋では麺類と言えば、蕎麦よりも”きしめん”、乃至は、味噌煮込みうどん、カレーうどん等々”うどん”の方が有名かも。このそば屋さんでも、冬は味噌煮込みうどんが人気メニューの由。”ええっ、そば屋でうどん系も出すのかいな”と思いつつも、随分と繁盛しているお店でした。開店早々に行ったのですが、ほぼ、満席の状態。ボクの経験からは、混んでいるそば屋は旨い→旨いそば屋の酒とつまみはほぼ間違いなく美味しい。ここもアタリでした。気持ち良くほろ酔い気分になりました。

 

もう一軒は、レトロなたたずまいの洋食屋さん。NHKの朝ドラの舞台になりそうな昭和の香りがするお店。近くの人が食べていたのが美味しそうに見えたので「あれと同じもの頂戴」と注文したら、大きなお皿にオムライス、メンチカツ、サラダが一緒盛りされて出てきました。このボリュームでこの値段はお値打ちである。オムライスを外で食べるのは久しぶりでしたが、やはりプロの味。美味しかったです。おなか一杯になりましたが、残さないで全て食べてしまいました。次回は好きな本を持参して単品料理とコーヒーを注文して、のんびり喫茶店代わりに利用させて頂ければありがたいなあと思いました。

 

 

あっと言う間に帰る日に。帰路は、最初から自分のペースで運転しました。初めて、新東名を通りました。清水を過ぎた辺りだったと思いますが、また富士山がキレイに見えました。尾根沿いに雪が残っている。北斎の版画のような景色です。往路と同様にやや曇り空ですが、富士の裾野のキレイなこと。普段、新幹線から見る景色とはまた違った風情がありました。これは残念ながら写真を撮ることが出来ませんでした。

僕の車のナビは古いバージョンのものなので新東名の一部は検索できない状態でした。画面のなかでホンダが道無き道を走っている。ナビが行先の修正を叫んでナント煩いことか。これは早めに最新のにアップしておく方が良さそうですね。また、新東名はトンネルが多いことを実感しました。運転していて景色を楽しめないというのは寂しいですね。

復路は、最初から、それなりにスピードを出して運転し休憩も短時間で済ませたので、ずいぶんと早く留守宅に帰り着くことが出来ました。事故なく往復できて何より、何より。

 

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留守宅に戻って。愛車ホンダCRーV。走行距離はまだ7万キロ程度。燃費は良くないですが運転していて安定感があります。このモデルはCR-Vの二代目(のはず)。購入時、三代目の発売が迫っていましたが、デザイン的にはこちらの方が完成度が高いとのディーラーさんの話に納得して買ったもの。今でもこのデザインは好きです。飽きが来ません。2018年5月4日撮影。

  

 

7月以降、月に何度かは、名古屋ー横浜を往復する生活をするつもりをしてます。カミさんも移動する機会が増えそう。二人分の交通費を考えると、やはり、新幹線よりも車のほうがコストセーブになるようです。コスト面だけでなく、安全面と、疲れ具合も考えないと。それから、やはり、何か面白いこと、楽しいことに出会えるかどうか。新幹線は本を読めるから良いですが、乗っているだけでは何も面白みはありません(よね)。時間の制約が少ないというのが、面白いことアップにつながるようにならないかなあ。

車か新幹線かと考えていましたら、バス、という選択肢もあることを聞きました。ボクの頭にはバスという発想はありませんでした。高速バス、時間はかかるが値段は安い。結構、快適であると沢山のフアンもいらっしゃるそうです。安全面は?。そりゃ大丈夫なんでしょうねえ。一度トライしてみようかしら。

 

秋口には、公式行事で夫婦で宮崎・日向に出かける予定があります。今回の東名走破でホンダもまだまだ頼りになることが確認できましたし、僕の体力、運転技術もまだ一応は対応できそうなので、神奈川から名古屋経由で、どーんと日向まで、愛車を駆使して行ってみようかとも。関西、四国の知り合いを訪ねながらの気楽なドライブをやってみるのもオモロそうですね。

 

 

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玄関横の鉢植えの数が増えました。花が咲いているというのはナカナカに良いもんです。改めて気にいっております。2018年5月6日撮影。

 

 

 

新しい住いでの生活・諸々

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 3月末に植えた平兵衛酢の苗木が順調に生育しています。新しい枝が沢山出てきました。植えてから20㎝以上伸びていることになります。2018年4月27日撮影。

 

 

2月に引っ越しをしてから早いもので二か月以上経ちました。2月28日付け『平昌オリンピック』で書いた通り引越し当初はお湯が出ない生活を余儀なくさせられましたがお陰様ですっかり落ち着いてきました。玄関には花を鉢植えしたり、室内でも、今まで使っていなかった壺を引っ張り出して花を活けてみたり、ベランダには、ご存じ、平兵衛酢の苗木を植えました。冒頭の写真の通り、文字通りスクスクと育っているようです。いまは、食べるためのバジルを鉢植えして楽しんでいます。古いマンションとは言え新しい住まいでの生活をスタートしたことによるものかと思います。

 

 

もっぱら使っているのは居間・台所と書斎兼寝室。それ以外の部屋はまだ荷物置き場になっています。段ボールの一部はそのままの状態。ひょっとすると開けることのないままに次の移動を迎えることになるのかも。和室だけは早めに整理整頓しておかねば。今は孫の世話で大変な(と言いつつ、結構、喜んでやっているように思いますが)国許からの査察がいつ何時入るかも知れません。

 

 

一番の環境の変化は、駅・繁華街・買い物をする場所から遠いこと。僕はこちらでは日常生活に車は使っていませんので買い物等々には自分の足だけが頼り。この場所を選んだ時には、

”通勤で地下鉄の駅に行くのも、ちょっとした買い物に行くのも、やや遠めの不便な場所である。歩くしかないがそれも健康に良かろうから、ちょうど良い場所だと考えよう”

と思って決めたものでした。以前のマンションは、逆に言えば便利過ぎるほど便利な場所。地下鉄の駅まで徒歩2分、周辺にはスーパー、コンビニ、クリーニング屋さん、本屋さん、喫茶店・食堂・飲み屋さん、日常生活に必要なモノは何でもほぼ5分の距離圏。

 

 確信犯でこの場所に引越しした訳ですが、やはり、遠いモノは遠い。特に、引越し後、生活資材を買うのに最寄りのホームセンターに何度か足を運びましたが、そこそこ重くかつカサのある荷物を持っている時の駅までの距離が遠いことの大変さを実感しました。”こりゃ、大変やわ。僕はこの場所で生きていけるのかしら。”と珍しく弱気になってしまいます。

 

また、料理に費やする時間が短くなりました。ないしは、新しいメニューに挑戦(オーバーな表現ですが)する機会が減ったように思っています。以前は、新聞、雑誌、ネットの料理記事を見て、面白そう=美味しそうと思ったら、気持ちに余裕のある暇な時には、すぐに近所のデパート・スーパー・八百屋さんに食材を買いに走ったものでした。「思い立ったが吉日」です。近かったから全く抵抗がありませんでした。

 

 

食事・料理というのは自分の生活・気分が反映して面白いものだなあ、と感じています。

引っ越し当初は、荷物の整理が出来ていなかったので、そこにあるモノを食べて飢え?を凌いでいました。お米の在庫があるのはナント有難いことかと。ご飯だけは当初から炊きました。断捨離の不得手な性格が幸いしてか、引越し荷物のなかに、たくさんの缶詰、レトルト食品、即席麺があったので大変に重宝しました。これはこれで美味しいのですが、やはり、連日食べると飽きる。フレッシュなモノを食べたいなあと。ニュアンスはやや違うのですが、作り立てを食べたいなあと。野菜と肉を買ってきて、チャーハン生活が始まりました。少し余裕ができてからは、焼きそばも定番メニューとなりました。「戦艦ヤマト」は大活躍しております。IHではなく、ガスコンロの火力の強さがこの中華鍋の威力を更に発揮させているように思います。更に、ラーメン・ちゃんぽんモドキの麺類もかなりの頻度で登場するようになりました。

朝食は、ごはん+納豆と豆腐をベースにした和定食。乃至は、トースト(1/8カットのもの)にワサビとマヨネーズ、キュウリの薄切りを乗せ、ハムエッグを置き、その上から大量のレタスでカバーして包丁で二切れにカット=トースト・レタスサンドの出来上がりです。大きい口を開けてガブリとかぶりつくと旨いです。レタスが安くなったのが大変に嬉しく思いました。

 

という訳で「炭水化物系主食」を中心とした食生活をしております(野菜は大好きなので、たくさん加えるようにしています。また、どういう訳か、ビール・日本酒・焼酎・ウイスキーの類が品切れしたことはありません)。

要するに、おかず、つまみの類が無い食事です。そして、つまみが無くてもサケは飲める、ということが改めて分かりました。

 

自分の料理の実力がよく分かります。一々レシピを見て作らないといけない料理は今は邪魔くさいから全然手がつかない。 ボクの料理のレベルでは”これを作って食べたいなあ”と思うときには、よし、つくるぞ!と気合を入れて買い物に行って材料を揃えて、そして料理を作る(買い物に行ったついでに余分なおつまみもついつい買ってしまいます)。今の新生活では、まだ、料理以外にやりたいこと、やらなければならないことが沢山あるので、身に着いていない料理をやってみようというガッツが沸いてこない。更に、買い物に行くのに遠くて時間がかかるから、ついつい億劫になってしまう。買い物に行ったときには、想像力が欠如していて”アレをつくるからコレを買っておこう”なんて知恵は出てこない。いつもの豆腐、納豆、各種野菜等々を買うだけ。これが「炭水化物系主食のみに近い但し野菜は結構沢山摂っている食生活」の説明になるかと思います。

 

 

とは言うものの時間が経過するに連れ、慣れとは面白いもので、ようやく最近になり駅までの歩く時間・距離が気にならなくなってきました。往路はやや下りなので散歩気分で気持ち良く歩ける。復路は当然登りです。「チトしんどい。疲れている時、荷物を持っている時、それから、チョット飲んで気持ち良くなっている時、これは辛い」と感じていたのですが、人間の頭と体というのは、よく出来ているようで、それなりの対応が出来てきているように感じます。自然にゆっくりと時間をかけて歩くようになったり。今年の春は特に暖かい、いや暑いですから、復路では汗をかく、嫌だなあと思っていたのですが帰ってからすぐにシャワーを浴びるようになりました。暖かくなってきたからシャワーも気持ちが良い。うまく出来ているものです。車の無い生活で荷物運びの大変さを感じさせられましたが、最近は、山歩き用にではなくリュックの便利さがよく認識できるようになりました。

また、街の通りを歩く時間が長くなると、いろいろな景色も見えてくるようになりました。この通りにはこんなに沢山のハナミズキが植えられていたのか、とか、ツツジがキレイにさいておるねえ、とか。はたまた、街中の公園で小さな子供達が元気に遊んでいるのをに出くわして”おー、結構たくさんの子供たちが(この辺りには)おるんや”と楽しくなったりとか。

 もともと歩くのは好きですが、更に一歩進んで、もっと歩くのを楽しめるようになれればいいなあと。逆に言えば、駅までの往路、復路を歩けなくなったら、この場所での生活をギブアップするときなんでしょうねえ。

 

今の時代から改めて思えば、水道・ガス・電気が無い時代の昔々の人にとっては、炊事・料理は大変な作業だったんでしょうね。水汲み、火を熾す。炊事、家事だけで一日が過ぎてしまっていた。とは言え、その時代ではそういう生活が当たり前だから不便を感じてなかったんでしょうかね。いずれにしても、今の生活をもっと楽しんで「楽しんで料理、楽しんで街歩き」をしたいものです。

 

 

そろそろ、国許からの視察もありそうです。連れ合いも孫の世話のお手伝いで大忙しながら、やや落ち着いてきた様子。5月の連休には名古屋で公式行事の予定もあり。久しぶりに車を運転して神奈川から一緒に名古屋に来てみようかしら。  

 

f:id:hayakira-kururu:20180501070039j:plain 4月25日に愛知県の大村知事が「ジブリパーク」の基本デザインを発表。「ハウルの動く城」「もののけ姫」などの作品をモチーフに愛・地球博記念公園内に5つのエリアを整備する方針。2022年度中の開業を目指すそうです(2018年4月26日、日経新聞)。

 

ジプリパーク構想は順調に進んでいる様子です。引き続きエールを送りたいと思います。この時まで元気に歩ける状態を是非、維持していたいものです。新しい住まいでは寝室を「サツキとメイの家」の書斎のような部屋にしたいなあと思っています。

 

訃報二件。高畑勲さん。4月5日ご逝去、享年82歳。後輩の宮崎駿さんとスタジオジブリを創設。「火垂るの墓」は凄いとしか言いようがないアニメでした。加藤廣さん。4月7日ご逝去、享年87歳。ナント75歳直前に「信長の棺」で小説家デビュー。「信長の棺」ほか本能寺三部作はいずれもベストセラーに。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

 

1950年生れ、その2.

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 雨上がりの平和公園。新しいマンションから公園の入口まで徒歩5分。最初の坂を登ったお気に入りの場所。今日は会社をお休み。用事が午前中に早く終わったので、昼からのんびりと散歩。引っ越ししてから初めて平和公園ウオーキングです。名古屋市千種区。2018年4月19日撮影。

 

 

面白い本を紹介してもらいました。

「東大入試中止1969、ある受験生カップルの軌跡」、大坂谷吉行さん著。ご本人が発行者、いわゆる自費出版の本です。

 

僕が昔務めていた会社(=関西系の総合商社)の同期会のネットワークがあります。皆さん会社務めから引退・解放されて悠々自適の生活?を送っている方々がほとんど。一部の方はまだ現役生活をされています。同期会として飲み会、ゴルフ会を数か月に一度は催しています。幹事がいわゆる自然体の方で、彼の存在がこの会が上手く運営出来ている大きな要因だと思っています。懇意にしている友人からこのネットワークでこの本の紹介がありました。

 

僕たちの年次は昭和48年入社なのですが、この年に大学を卒業した方々のほとんどが大学入学した時=昭和44年=1969年が「東大入試中止」の年です。この本はこの東大入試中止をテーマで書かれている小説です。時代環境がまさに自分達そのものですから件の友人からは「きっと懐かしみを覚えながら読める」本との紹介のコメントが添えられていました。

 

早速、注文しようとしたのですが、これは自費出版されている本。ネット注文でも引っかからない、行きつけの本屋さんでも取り扱っていない。紹介してくれた友人に聞いて著者のメールアドレスを教えてもらいました。こんな注文の仕方は初めての経験です。

 

メールの返信が無かったので手に入れるのは難しいのかと諦めかけていたら、数日経ってから本が郵送されてきました。結構、簡単・便利なものです。自費出版という出版のやり方もネットの利用が便利になったおかげで、もっと、盛んになるかも知れませんね。但し、支払いは本を受け取った後で銀行振り込みにて行いましたが、発行者からすると代金回収のリスクというのは覚悟しなければならないのでしょうね。

 

 

著者は、大坂谷(おおさかや、と読みます。珍しいお名前です。)吉行さん。当然、1950年生まれです。札幌市生まれで、札幌市立美香保中学校、札幌南高校を卒業。大学入試の時に「東大入試中止」となり進路を大きく変更して北大建築工学科に。卒業後に東大大学院都市工学課程に入り修士および博士課程を修了。現在は、室蘭工業大学名誉教授、工学博士。自ら”バイリンガル作家”と謳われていました。

 

著者がこの本を書いたきっかけは、学生さんとの会話のなかで、ほとんどの学生がかつて東大入試中止があったことを覚えていない、乃至は、かなりの学生がそもそもそんな事があったことすら知らなくなってきている。そう感じているときに、後輩に当たる東大の学生との会話で「東大入試中止は、東大の公式HPに記載されていない」という事実を知ってしまった。著者なりに思うところがあって、東大本部広報課に「意図的な隠蔽ではないか?」と厳しく問い合わせたと。

結果、2018年1月19日から、東大のHPの「沿革」欄に、「昭和44年1月 昭和44年度入学試験の中止を決定」との一行が挿入されたとのことです。 著者としては、この入試中止を自分なりに書いたもので残しておきたいという気持ちでこの小説を自費出版された由。

 

 

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この本の表紙です。何ともセンスを疑ってしまうような表紙ですが。昭和の時代の貸本屋にあった三文漫画を思い出すような。そうなんです。思い出しましたが、僕たちの小学生のころ町には貸本屋さんがありました。貸本屋さん専門の漫画・小説が置いてあって大変に繁盛していました。同世代人が持っているこのレトロ感を狙ったのかしら。もちろん、この本は漫画ではなくて小説です。

 

 

ストーリー自体は、まあ平板なものです。 本のタイトルの通り「ある受験生カップルの軌跡」=青春純愛小説です。主人公は、著者ご本人のように感じられますが、とにかく、秀才中の秀才で、中学時代から高校入試、更には、大学=東大入試を見据えての物事の組み立て方が凄いの一言。同時代にこんな風に考えながら中学・高校時代を生きていた同世代のヤツがいたのだなあ、と感心しました。受験を軸にした「カップルの軌跡」も小説としてそれなりに面白いのですが、やはり、同世代人としては、その時々の出来事が取り上げられているのが何んとも懐かしい。ちなみに、この主人公は、高校時代からススキノで飲む習慣があったそうです。これには完敗・脱帽です。

 

1963年11月22日、米国テキサス州ダラスでのケネデイ大統領暗殺。1964年10月、東京オリンピック。1969年7月、アポロ11号、人類初めての月面着陸。1970年、大阪万博。1973年10月第四次中東戦争=第一次オイルショック、1974年にかけての日本での狂乱物価、等々。これらの出来事がカップルの軌跡と共に記載されており、僕自身の同じ年の記憶を辿りながら忘れていたことも思い出して懐かしく、切なく、また、楽しくなりました。(全くの余談ですが、僕の長男の誕生日が11月22日です。)

  

ご存知「愛と死を見つめて」。マコとミコの二人の文通を書籍化したもの。映画は、1964年9月公開。吉永小百合さん、浜田光男さんが主演。当時の中学・高校生は皆涙して感激した。小百合ちゃんが国民的なスターになった作品の一つかと思いますが、この本の主人公の見方が面白い。「マコさんはこの本がベストセラーになって大金を手にした。まだ若いのであるから、いつまでも、亡くなってしまったミコさんを引きずらないほうが良いと思う。」てなことをカップルの会話のなかで話している。ナント冷静な。当時の僕とは大違いだ。

 

この本には出てこなかったと思いますが、僕の学校で「堀江謙一太平洋ひとりぼっち』」という映画(1963年の公開)を校内で上映して生徒に感想文を書かせたことがありました。大多数は「困難を克服してやり遂げた、凄い日本人だ!あっぱれ!」と称賛したものでしたが、一人だけ「失敗して救助を求めるケースとか、その場合は世間に迷惑をかけていまう、また、親兄弟の心配ぶり等々を本当に充分に考えたのかしら」と批判的な感想を述べた生徒がいました。当時、”ほかの大多数の当たり前の感想とは異なる意見を持って、それを堂々と主張している面白いヤツがいるなあ”と感心しました。「愛と死をみつめて」のクダリで何故こんなことを思い出したのか不思議ですが何かにつけて懐かしい事々でした。

 

「愛と死を見つめて」とか「太平洋ひとりぼっち」とか、「東大入試中止」と一緒で今では知らない方の方が多いのでしょうね。

 

 

 後日、会社の同期会のネットワークで、僕たちの会社の同期の一人が、この本の著者と高校の同期生、同じテニス部で一緒に活動をしていたことが分かりました。著者さんは最近もお元気にススキノで飲んでいらっしゃるようです。世の中、広いようで狭いものです。とにかく、この年になると元気にオサケを楽しめることに感謝ですね。1950年生れの大坂谷さんの益々のご活躍にエールを送りたいと思います。

 

 

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 平和公園ウオーキング・続き。青空の下、ユーカリの木。東山動物園のコアラのためのユーカリの植林のはずです。古い枝をいったん落として新しい枝・葉の成長を促している。晴天。平日の午後ですが、結構、散歩・ウオーキング・ジョギングしている方が沢山いらっしゃいました。はい、やはりお年寄りの方が多いです。

 

 

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同じく平和公園。青空を撮るときに電線、鉄塔が視野に入らないことは良いことだと思います。猫洞池の近くの芝生広場の木。公園に至る街並みにはハナミズキの花が咲いています。ツツジはもうピークを過ぎつつあるのかなあ。あっという間に梅雨、アジサイの時節になるのでしょうね。

 

 

ビックリ仰天

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 三月にシンガポールに行きました。二泊+機中泊の旅。ホテルの部屋でハウスキーピングの方が洒落た対応をしてくれたのでメモで褒めたところ翌日お返しのメモを添えてくれました。タオルが象さんになって出されていました。なかなかの技ですよね。もちろん相手の方にお会いした訳ではありませんが、筆談でもコニュニケーションが出来たというのが何やら楽しく感じました。3月24日撮影。

 

 

 

ラソンの賞金に一億円!?ビックリ仰天しました。ご褒美というには桁が違い過ぎる金額。たまたま平昌オリンピックが閉幕したタイミングでメダリストへの報奨金のことが記事になっていたこともあり、その金額の差の大きさに何やら釈然としないものを感じてしまいました。

 

注目のマラソンは、2月25日の日曜日に行われた東京マラソンでのこと。設楽悠太(ホンダ)選手が日本新記録をマークして日本勢最高の二位となりました。16年ぶりの日本新記録ということでマスコミ・新聞各紙も大きく報道しておりました。彼は箱根駅伝のスター選手ですから僕もニュースを見て「よくやった、あっぱれ」とエールを送りました。その時は賞金一億円は知りませんでした。翌日の新聞記事で賞金一億円を初めて知って、ビックリ仰天。

 

”誰がそんなお金を出すんや!。国民の税金が使われているんと違うんかいな。そもそも誰がそんなことを勝手に決めたんや!”。というのが第一印象。別に設楽選手に文句を言う筋合いは全く無い話ですが、貰った選手にまで変な印象を抱いてしまう。やっかみなのでしょう。賞金を出すのが悪いと思う訳では無いのですが、金額の妥当性とか他の競技とのバランスとかイロイロなことを考えないと不公平な印象をもってしまうと強く感じました。皆の納得を得られないと折角の日本新記録を素直に喜べなくなってしまうような気がしました。僕の狭量のなせる気持ちかも知れません。

 

 

日本実業団陸上競技連合」という社団法人が2015年3月の時点でマラソンの記録に対して褒賞を出すことを発表していたそうです。この法人は1964年の東京オリンピックに先立つ1957年に結成されており「選手の育成・強化を通じて日本の陸上競技会の発展に寄与することを目的」とした歴史のある由緒正しい団体のようです。少なくとも国民の税金がこの褒章に使われている訳ではなさそう。企業の協賛・寄付が原資になっているような印象を受けます。なんとなくホッとしました。

 

設楽選手はこの日本新記録褒章の一億円に加えて、主催の東京マラソンから二位賞金四百万円、同じく日本新記録ボーナス五百万円をゲット。”2時間6分11秒”で一億九百万円を得たことになるようです。おまけに所属するチームに対しても「監督・チーム賞」が準備されていてホンダチームには五千万円。更に、この大会で5位に入った選手にも日本記録挑戦奨励賞として一千万円、同じく監督・チーム賞が五百万円与えられたと。ナントも手厚いご褒美かと思いました。

 

 

ちなみに平昌五輪メダリストへの報奨金は、新聞報道によると、金メダルに対してはJOC日本オリンピック委員会)から五百万円、日本スケート連盟から五百万円、合計で一千万円になります。団体追い抜きとマススケートで二つの金メダルを獲得したスピードスケートの高木奈那選手が合計で二千万円をゲットしたそうです。これが全選手のなかで最高金額のはずです。四年に一度の大会で見事に日の丸を挙げた選手に対してのご褒美という意味からは、誠に抵抗のない、違和感のない金額水準でなかろうかと感じます。

一方では、僕の大好きなカーリングでは報奨金の規定がないそうです。練習場の確保に苦労しつつも、今回、多くの日本人に夢と感動を与えてくれたチーム・選手を考えるとやや不憫な気になってしまいます。もちろん報奨金目当てに頑張った訳では無いでしょうが、比較してしまう対象が表面に出てくると人間の心理というのは微妙なところがありますよね。

 

 

陸上競技に話を戻すと、男子100mで何時誰が10秒の壁を破るか、というのは大変な関心事であったと思いますが、何でマラソンにだけこれだけ手厚い報奨金を制度化しているのですかね。それとも僕が知らないだけで、10秒を切った桐生選手はそれなりのご褒美をゲットしているのかしら。ゲスの勘ぐりになってしまったり。嫌らしい。

まあ、2015年に褒章制度を発表してから三年間、一億円の対象者がいなかった訳ですから、”やっと制度の効果が出てきた”、という意見・見方が大勢を占めているのかも知れません。

設楽選手のお父様は「うれしい反面、胡坐をかいてしまわないかと心配だ。」とおっしゃったそうです。親父の気持ちはよく分かりそうに思います。

 

天の邪鬼の僕は、次回また彼が日本新記録を更新したら世論的にどういう反応が出るのか心配になります。一回に一秒づつ記録を更新してオリンピックまでのマラソンで複数回も日本記録を更新したら、もう、悪役扱いにならないかしら。はたまた、この褒章金制度の資金が底を着いたから、”はい、もう報奨金は出ません”、という時が来たら、これはこれで不公平の極致になったりしないかとも。更には、一億円、いや、何億円単位の褒章を出したはいいが、肝心のオリンピックでメダルを取れなかった時には、誰かの責任問題になったりしないのですかね。

 

カーリングのように褒章制度がない競技の選手で日本で初めての金メダルを取ったりしたら、その選手は何か割り切れないモノを感じてしまうかもしれませんね。

 

唯一、分かり易いだろうなあと思うのは、ビルゲイツさんくらいの大金持ちが全くの個人の好みで、例えば自分が大のマラソンフアンだから「よっしゃ、俺が賞金だしたるから、気張って走れや。いつまで賞金を出すかは分からへんで。一戦ごとの勝負や。俺の気分次第や。」というような漫画的なノリのほうが理解しやすいように思います。誰も何も文句言えないでしょうね。

  

 

僕らの世代=前の東京オリンピックを知っている世代は「オリンピックは参加することに意義がある」と真面目に刷り込みされています(いました)。アマチュアスポーツマンシップが大切なことなんだと。改めて考えるとプロスポーツ選手とアマの選手の違いは何なのでしょうかね。分かりそうで分からないような気持ちになっております。

 

 

米大リーグ、エンゼルス大谷翔平選手が大活躍です。打者として三試合連続のホームランを打った後、4月8日には本拠地アナハイムで先発出場して7回を一安打無失点、なんと毎回の12三振を奪って開幕2連勝。9日には米大リーグの週刊MVPを受賞したことが発表されました。彼は昨年の11月にポステイングシステムを活用して大リーグ挑戦を決めたそうですが、前年に大リーグ機構のルールが改訂されており26歳未満であることからマイナー契約に甘んじるしかなかったそうです。松坂選手、ダルビッシュ選手、田中選手に比較すると一桁違う金額での移籍ですが、それも止む無しと判断したと。お金のことを考えれば移籍のタイミングはずらした方が有利であったのに、当時すでに現地のマスコミで「金ではなくて夢の実現の為に」と評価されていたそうです。モチベーションはお金だけで左右される訳ではない。

設楽選手のお父さんのご心配、もっともなことと思いますが、この際、いっそのこと東京オリンピックまでプロ宣言して日本新記録の更新とオリンピックでの金メダルを目指すと言い切る方がフアンが増えるかも知れませんね。モチベーションももっと高くなるかも。大谷選手の顔が晴れ晴れとしているのが大変に印象的です。

 

 

全くの蛇足ですが、本当のビックリ仰天は、スポーツの世界では無くて、最近の財務省の「森友」「加計」、自衛隊の日報問題のほうでした。残念ながら、こちらはビックリ仰天を通り越して、開いた口が閉まらない状態になり、今では、公文書の改ざんや隠蔽に驚きすら感じなくなってしまったような。こんなことに慣れてしまいつつあることが本当に怖いことだなあと感じている今日この頃です。政府・行政そのものが税金の無駄遣いに思えてくるとやはり日本はヤバいですよね。ああコワっ。

 

その瞬間、感動を与えてくれるスポーツ・芸能・芸術の世界は益々大切にしなきゃあ、と痛感します。もちろん、お料理も。 

 

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 シンガポールマーライオン公園。プロジェクションマッピングで新しいマーライオンが浮かび上がってます。この海側に有名なマリーナベイサンズホテルがあります。僕たちが駐在していた時にはこんな景色は無かった。全て新しく埋め立て造成された地区です。相変わらず国を挙げての開発には目を見張ります。SFの映画に出てくるような光景です。

到着した当日の夜です。このベイ沿いのオープンハウスのレストランで久しぶりにチリクラブを頂きました。陽が陰るとそれなりに過ごしやすくなり、タイガービールが大変に美味かったです。大満足でした。昨年末にシンガポール駐在になった甥っ子にも会う機会を持てて充実の二泊+機中泊でした。3月22日撮影。

 

 

 

 

平兵衛酢の苗木

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桜が満開です。名古屋の気象台は3月27日に名古屋市内で桜の満開を発表、平年より7日、昨年より10日早いそうです。近所の散歩コースの小学校。桜が似合う風景、やはり、お城と学校ですかね。2018年3月26日撮影。

 

 

平兵衛酢の苗木を植えました。新居の古いマンションのベランダで鉢植えにしました。確か昨年の初夏のころ、収穫されたへベスの実を頂いた時に、ふと自分でも育てられないモノかと思い立ち、日向にいる友達に問い合わせたところ苗木の配布会が行われていることが分かりました。これは良かった、植えてみよう!。

この友達に”すぐに送って頂戴”と気安く頼んだのですが、苗木のことですから、年中、手配できるものではなく、また、苗木として適したものだけを配布する必要があることから、年に一回だけの配布会で、年末に申し込みを締め切って翌年開けに準備して発送するというものでした。苗木が十分に準備出来なくて、申し込みの本数に全ては応じ切れない時もあるとのことでした。

 

年明けに日向の友達から連絡があり、8本の苗木を頂けることとなりました。三月下旬に配送の連絡が入りました。名古屋の単身生活マンションに一本、留守宅に一本、レモンの木を育てている兄きのところに一本。「戦艦ヤマト」のドラゴン先生が”俺も植えてみたい”と強い希望があったのでドラゴン先生に三本。残りの二本を会社の仲間に。サトウキビの収穫体験会を頑張ったトウナル役員、それから、日向出身の元気印のエキプロくんに一本づつ。みなさん喜んでくれて、それぞれお庭に地植えしたり、鉢植えしたり。育て方を説明したものが意外となく、件の友達には聞いてみたのですが、「庭に植えて普通に育てておけば勝手に身を付けてくれますよお」と気のない返事。多分、よく出来た彼の嫁ハンがキチンと管理・育成されているのでしょう。また、かつて碧南から日向に単身赴任していて今は岐阜の自然のなかでの生活を楽しんでいる山男クンに以前に問い合わせたことがあるのですが、彼は「岐阜の山奥でも冬の寒さにやられることなく育っています」とのことでありました。

 

近年は、名古屋市内でも雪が積もる時が結構ありますから、寒さ対策、雪対策にやや心配なところが残っていますが、今からの半年ほどでしっかりと根を張って、まずは、順調に生育していることを確認したいところです。どれくらいの時が経てば、実をつけてくれるものか、楽しみと不安が交差するところです。

 

 

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新居の古ーいマンションのベランダに鉢植えしました。身の丈、約60㎝。2018年3月29日撮影。

 

 

平兵衛酢=へベスは日向市の特産です。僕が愛飲しているへベス果汁のボトルに書いてありますが「平兵衛酢とは宮崎県日向市富高で発見された柑橘類の果実」。江戸時代の末期に富高村の長曾我部平兵衛さんが自生するへベスを発見して自宅庭先で栽培したのが始まりとされています。平兵衛さんの酢=平兵衛酢=へベスと呼ばれるようになったと。ちなみに「富高」は今でも日向市の中心部の地名で残っており、富高高校は日向市の中でも優秀な高校として誉れが高い。いま開催されている選抜甲子園野球大会に初出場したはずです。日向の僕たちの会社・工場にも多数の卒業生が働いてくれています。

 

 

へベスを初めて口にしたのは日向に赴任したその日のことでした。夜、件の友達の馴染みの居酒屋に連れていってもらいました。お酒大好きの二人、とりあえずのビールを飲んでから「次はサケにしましょうか」とのお薦めに、「はい、よろこんで」と答えました。出てきたのは、焼酎。「いやいや、ちゃうちゃう、サケゆうたら日本酒やんか、日本酒ちょうだい」と言ったところ、ここの大将がオカミさんに「おーい、このお客さん、日本酒、ていうとるよ、日本酒あったかねえ」と大声で聞いています。「なんでやねん、居酒屋やったら日本酒置いてないわけがないやろに」。

「いやいやxxさん(僕のこと)、日向ではサケと言えば焼酎ですよ」との友達の一言に、郷に入れば何とか、というよりも、お酒であれば何でもおいで、の僕は全く躊躇なく焼酎を頂きました。そこでいきなり出てきたのがへベスでした。「紅茶にレモンは分かるが、焼酎にカボスとか入れるのかいな?」。「カボスとちゃいますよ。これは平兵衛酢=へベスといいます。焼酎に合いますよ」。

 

 

なるほど、よく見ると、この柑橘は皮が凄く薄いのです。とってもジューシー。焼酎の味を損なうことなく柔らかく飲み易くしてくれる。これは危険、飲み過ぎそう。その通り、よく飲みました。二人で中ビンを軽く一本以上は開けたかと。驚いたのは、出てくる料理にもへベスを絞って汁をかけて頂く。お野菜に良し、焼き魚にも良し、唐揚げにも良し。同じく食材の味を損なうことなく食味をよくしてくれるような。

この飲み会ですっかり日向に愛着が沸いたわけですから、お酒飲みは本当に幸せな人種であると思います。母親に感謝です。この居酒屋には家族が日向に遊びに来た時もお邪魔しました。家族も全員、大変に喜んでおりました。日向のお気に入りのお店になって、その後も何回も行きました。楽しい思い出が一杯あります。

 

 

赴任後、結構早めに、九州各地のお客さんへの挨拶回りしました。挨拶回りの最後は同じ宮崎県の日南市のお客さんを訪問しました。楽しく歓談して日向に戻ってしばらくしたら、宅急便の不在通知が届いていました。平日は時間帯の都合がつかず受け取ることが出来きません。週末の土曜日か日曜日の夕方に漸く受け取ることが出来ました。ナント、日南で有名な一本釣りのカツオがまるまる一本。”ぎゃあ、こんなもん、どないしたらええんや”。当時は、まだ、自分では全く料理をしていない時ですから、自分で捌くなんてことは考えもしない(情けないですが、もし今いただいたとしても、自分で捌く技はありません)。件の友達に相談したら、いとも簡単に「あの大将に頼んだら良いですよ」と。その日お店は休みだったと思うのですが、嫌な顔一つせずに店を開けて調理してくれました。日向の人は優しいのです。

 

カツオ一本、さあ捌いて料理することは出来るようになりましたが、”ちょっと待て、誰が食べるんや?食べるのを手伝ってくれるヤツを探さねば”。とは言え、時すでに皆さんご家庭で夕餉の支度が出来上がっている時間帯。”迷惑な話やろなあ”と思いつつも、友達に手伝ってもらって電話をかけまくりました。一人でボチボチやっているとポツリポツリと結局4-5人が苦笑いしながら集まってくれました。家の晩御飯を食べてから顔を出してくれたヤツもいれば、夕食を途中抜け出してわざわざ参加してくれたヤツもいました。刺身から、煮物、揚げ物、カツオ尽くし。へベスもかけまくり。結局は週末の大宴会になってしまい、唐揚げはお土産にお持ち帰りに。大将とオカミさんには大変にお世話になりました。会社の仲間とも突然のサプライズの懇親会が出来て、親しみが一気に増しました。有り難いことでした。

 

普通、一度にこれだけ食べてしまうと、美味しいものでも嫌いになることがあるのかもしれませんが、幸いなことに、いまでもカツオは好きですし、へベスはそれ以来、大のフアンになっています。

 

 

平兵衛酢の木、『体質改善』2017年8月12日、に写真を掲載しましたが、2m程の高さに育てて剪定して枝張りを広げると実が良くなり、収穫も便利に出来るようです。今までの記載の中でも紹介した通りですが、おじや、雑炊、お粥、湯豆腐、稲荷納豆、黄身乗っけナットドーフ、もちろん、焼酎にも大変に良く馴染みます。最近は、冷奴、各種サラダにも、要は何にでも使っています。自分が育てたへベスで食事を頂ける、焼酎を飲めるというのは楽しいだろうなあと。各所で植えられたへベスがちゃんと育って沢山の実をつけて欲しいものです。

 

 

3月23日の日経に「野菜の高値一服、レタス卸値、前年比2割安」との記事が出ていました。「昨秋から続いていた葉物野菜の高値が一段落した。東京・大田市場のレタスの卸値は年初の5分の1に下落、一年前に比べて2割安い。キャベツ、白菜も前年並みに戻った」と。”実感が無いなあ。とにかく、この冬は鍋物を味わう機会を逸した。レタス、キャベツは高値の花のような存在であった”と感じていましたが、昨日、久しぶりにスーパーの食品売り場に行ったらレタスが一個88円で売られていました。迷わず一個買いました。当分、「1/8カットトースト+マスタード&マヨネーズ、ハムエッグきゅうり乗っけ、上からたっぷりレタスでカバー」サンドを楽しみたいと思います。

 

 

日向のお店はその後10年ほどしてから店仕舞いされました。 

 

 

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古いマンションのベランダからの景色。春や春。モクレンがほぼ満開。花が咲いて急に景色が艶やかになりました。2018年3月27日撮影。

 

 

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オマケ。大須観音の梅(これ梅ですよね)。一つの木に白梅、紅梅が咲き誇っていました。見事な枝ぶりです。2018年3月29日夕方撮影。