クルルのおじさん 料理を楽しむ

直島

直島・宮浦港に展示されている「赤かぼちゃ」草間彌生さんの作品。かぼちゃというよりもてんとう虫のお化けか仮面ライダーの怪物のように思えますが、見ていて全く飽きない、印象に残る作品です。つつじ荘の方には同じく草間さんの作品「南瓜」が展示されています。こちらは渋い黄金のナンキンです。2018年12月4日撮影。

 

 

直島に行って来ました。瀬戸内の「アートの島」です。安藤忠雄(のオッサン)さんがマスタープランを作成して、美術館を設計したことで有名なところです。安藤のオッサンの大フアンで本の目利きの師匠から以前に紹介されたことが頭に残っておりました。今回、カミさんと二人で宮崎・日向・博多・長崎を訪問する機会がありましたので、その帰路、思い切って直島に立ち寄ることにしました。

 

 

博多から新幹線で岡山に。ローカル線を乗り継いで宇野駅、5-6分歩いて宇野港に。それからフェリーに乗って。それぞれ乗り継ぎの待ち時間があるので岡山から直島には約二時間ほどかかりました。外国人の多いこと。それも欧米人風の、年配の方も、若い世代も。どことなくアートの気配を漂わせているカッコよい人たちが多数いました。もちろん、近隣の韓国、中国、台湾の方も沢山。ハイ・シーズンでは無いので空いていたと思いますが、それでも結構な人数の訪問客です。その半分以上が外国人。

 

直島は岡山県からの方が場所的に近いですが、所在は香川県です。香川県香川郡直島町。島の南側がアートの地域。町長さんと地元地域出身の実業家の方が協力して1989年ごろから安藤のオッサンのマスタープランに沿って「人と文化を育てる」島作りを目指した由です。

 

 

宮浦港に近い旅館を予約しました。博多を早く出たので、昼前には旅館に到着。荷物を預けられれば良いと思っていましたが、案内のお兄ちゃんが親切な人で”部屋は空いていますから”と快く中に入れてくれたので軽く休憩することが出来ました。島の地図をもう一度確認して、早速、島巡りに。運良く一日一本だけの「地中美術館」行きのバスに間に合いました。一番のお目当ての美術館に直行。

 

地中美術館の入口手前の歩道沿いの景色。美術館に展示されているモネの作品を期待させてくれます。美術館では入口のゲートを一歩入ったところから撮影は一切禁止。館内にあるカフェでも撮影禁止。徹底されています。

 

展示されているのは、クロード・モネ、ウオルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの作品と安藤忠雄設計の建築。これだけです。これらが”恒久設置”されています。作品と建築が一体となった美術館です。今から行かれる方のために詳細は記載しません。これだけの美術館ですが、素晴らしいの一言。僕はタレルの空間に度肝を抜かれました。カフェのサンドイッチも美味しかったです。

 

 

直島の南部を時計の文字盤に置き換えると宮浦港は10時くらいのところにあります。7時くらいのところに地中美術館を初めとする美術館、5時くらいのところにつつじ荘のバス停、1時くらいのところが本村エリア=家プロジェクト。普通は宮浦港からは時計回りにバスが運行しているのですが、この一日一回の便は逆時計回りに地中美術館に直行してくれます。地中美術館の後、近くの李兎換(Lee Ufan、カンは火偏です)美術館まで歩いて行きました。その後、つつじ荘のバス停からバスで移動するつもりでしたが、待ち時間が30分ほどあり。曇り空で雨の気配もあるものの旅館で借りた傘もあり、過去数日間の食べ過ぎ・飲み過ぎを少しでも解消させようとノンビリとバス路線に沿って歩いて行きました。

 

本村エリアには焼杉の黒い外壁の家が沢山残っています。風情ある街並みです。街の景観を損なわない様に配慮しての「家プロジェクト」。この写真のお題は「角屋」。この家のほかに5-6か所の作品があります。お題「南寺」はまたまた安藤のオッサンとタレルさんの作品でした。この空間にも感心させられました。面白い!。別途、「ANDO MUSEUM」もあります。オッサンさんの作品が紹介されています。”何回見ても、このオッサンのスケッチ、デッサンの線はホンマにきれいやわ。なんであの顔からこんなにキレイな線が出てくるのやろ”と不思議に思います。

 

 

本村エリアのバス停=役場前で休憩、この町役場がまたまたレトロな建物。これも家プロジェクトかと思うほどですが、これは本物。中ではちゃんと皆さんお仕事をされていました。島を紹介・展示するコーナーがあり。金の採掘、銅の精錬所等々が説明されていました。漁業とアートの島かと思っていたので、やや驚きました。

 

結局、バスの時間が中途半端なので、歩いて宮浦港の旅館に戻りました。これで島の南部地域のオヨソ3/4を歩いたことになります。歩いた時間は延べ1時間45分ほど。旅館のお風呂で汗を流してから夕食に。鯛のお頭付きの活き作りをそれぞれに出してくれました。お腹も空いていたので沢山出されたお料理を夫婦共に完食。”このお値段でこの料理は嬉しいなあ”。到着時の親切なお兄ちゃんがこの宿の若旦那でした。お客の接待から、料理、片付けまでほぼ一人でやっている由。”料理人を目指していたがこの旅館の跡を継ぐことになった。古い、設備の悪い旅館なので、せめて料理で喜んで貰おうと努力している”とのことでした。爽やかな好青年。美味しかったです。これからも頑張ってください。

 

旅館の食堂の壁に李美術館のLee Ufanさんの直筆がさり気無く掛けてありました。Leeさんもここに泊ったのか、食事に立ち寄っただけなのか聞けず終いでした。美術館にはこの絵のタッチのような彫刻、置物、絵が屋外、屋内に展示されています。

 

 

翌朝はのんびりと島を後にしました。フェリーから島を見ていると中部を過ぎて北部の辺りになると山のなかの煙突から白い煙が棚引いていました。土砂か鉱物かを貨物船に積み込んでいるところも。家に帰ってから島の歴史を調べてみると、土壌は農業には適さないところで漁業以外の産業もなく貧困で人口減少に悩まれていた由。「アートの島」を目指された先達の皆さんのご苦労を知りました。

 

 

(オマケ)に、例によって料理の写真、今回は、小雪鍋・part-II=「牡蠣の小雪鍋」を載せようと思ったのですが・・・撮影に失敗。湯気のためボヤケてしまいました。鍋は美味しかったです。今回は直島訪問記でした。

 

 

 

 

 

三木清『人生論ノート』

物見の丘。あいち海上の森センター内の施設。風よけに透明の板でカバーされており、向こう側の鳥は張り付けてある写真。本物の鳥が中に入ろうとして透明の板にぶつからないように。この後、近くの物見山に登りました。2018年11月25日、撮影。

 

 

またまたNHKです。「100分de名著」という番組。11月は「三木清『人生論ノート』」でした。2017年4月放送のアンコールです。『同期会、2018年』(2018年10月31日)で記載した通りですが、三木清さんの故郷=龍野を訪問した帰路に本屋さんを覗いたら、この番組のテキストに出会ったものです。

毎週月曜日の夜に25分の放送があり、一カ月で4回=100分で名著を紹介する番組です。最近、テレビはNHKを見ることが多くなりました。製作にもお金をかけている印象を受けます。民放が所謂お笑い系のタレントがゴチャゴチャ出てきて大騒ぎしているのと対照的かも。といってもお笑い系をバカにしている訳では全くありません。念のため。

 

番組は録画して自分の好きな時間にお酒を飲みながらユックリと観ました。大きな声の大きな顔をしたタレントさんと女性のアナウンサーが喋り過ぎかと心配しましたが、指南役と紹介されていた哲学者=岸見一郎さんが冷静に分かりやすくお話をされていたのが印象的でした。

 

録画を見るのと並行してこのテキストを読みました。テキストも岸見さんが優しく解説しているのでスムーズに読むことが出来ました。若い頃、多分、高校生の時に一度は読んだことがあると思っていましたが、何となく思い出すようなところも出てきました。

 

 

この「人生論ノート」は、当時、雑誌「文學界」の編集長をしていた小林秀雄から ”一般向けの哲学エッセイ” を連載して欲しいとの依頼を受け、それに応じて昭和13年から16年(1938年から1941年)にかけて執筆、連載したものを一冊にまとめたもの。昭和16年(1941年)8月に刊行されています。ナチス・ドイツポーランド侵攻が1939年9月、日本軍の真珠湾攻撃が1941年12月という時代のことです。文庫版は、戦後の昭和29年(1954年)に刊行され108刷りの超ロングセラーになっている由。

 

掲載された最初のテーマが「死」、それから「幸福」と続きます。最後のテーマが「希望」。時代背景を考えると長い期間の連載を続けられたものだと感心します。岸見さんの解説でも ”戦争の重苦しい空気が影響を及ぼしている、あえて難解な書き方を選んでいると思われるところも多い” とのこと。当時の三木清の日記にも「狂人の真似をしなければ正しいことが云えない時代かもしれない」と記載があったそうです。このような難解な本が刊行されるやベストセラーになったのですから、日本という国の民度は本当に高かったんですね。一番最後のテーマが「希望」というのも大変に象徴的です。

 

岸見さんは ”この本は今の時代にこそ再読されるべき一冊” と指摘していますが、確かに今読んでも新鮮な印象を与えてくれます。最初は、喋りすぎかと思ったお二人、伊集院光さんと島津友理子アナウンサーも回を重ねるごとに岸見さんとの波長も良くなり間合いも良くなりました。「100分de名著」とはよく名付けた番組名と思うようになりました。

 

 

三木清の本が懐かしいと思ったので、別途、文庫本の「哲学ノート」を買ってきて読んでみました。やはり、難解でした。散歩がてらに偶に行く図書館でも、三木清の本を探してみましたが見つけることは出来ませんでした。評論、哲学史等々をパラパラと見ていたら、三木清の著書:「構想力の論理」=ロゴスとパトスとの弁証法的統一を解明しようとするもの、等々の記載がありました。昔、図書館で同じように読んだ記憶があるように思いました。また、当時、難しい言葉使いをハシャイでいたような記憶を懐かしく思い出しました。

 

三木清は、終戦の年の3月に疎開先で逮捕され獄中で終戦を迎えたそうです。8月の終戦時にも釈放されず、衛生状態が極端に酷い刑務所で病気に感染。終戦一か月後の9月に病死。48歳の若さです。まさに「無念の獄死」であった由です。獄中の困難を生き抜いて、戦後の自由に言論を展開できる時代に活躍できる機会を持てれば良かったことでしょうね。もっともっと分かりやすい言葉で表現で沢山の著書を残すことが出来ていれば良かったのになあと思います。

 

『同期会』で龍野を訪問した効用で、この年になり改めて『人生論ノート』に触れることが出来ました。内容は今も昔も相変わらず良く分からないような、そして、分からなくても分かったような気分を感じています。嬉しい限りです。

 

 

「物見山」の頂上から遥か名古屋中心部を。山歩きの友人から"名古屋市内から近くて安全な山歩きコース”として「物見山」を紹介してもらいました。標高は328mの低山ですが、初めてのコースで久しぶりに一人だったので、かなり緊張しました。標識も良く整理されており無事に往復出来ました。海上の森センター内を散策する時間も含めて3時間ほど山歩きを楽しめました。2018年11月25日、撮影。

 

 

小雪鍋」です。ホントはこれが本日のメインイベント。

前置きが長くなりますが・・・24節気の一つに「小雪」(=しょうせつ、と読みます)というのがあって本年は11月22日だそうです。僕の長男の誕生日です。そして長男の長女(=僕の孫)の名前が「小雪」(=こゆき)です(『出産読本』2018年3月13日をご参照ください)。大変な巡り合わせと驚きました。

「星たちの座談会・地球号の未来」というブログの11月21日付けの記事に紹介されていました。そして、その記事に掲載されていた料理が「大根麺のヘルシー豚バラみぞれ鍋」でした。冬のあったか鍋レシピコンテストの優秀賞とのこと。僕はこれを「小雪鍋」と名付けました。

●大根をピーラーで細く麺状にする。別途、大根おろしを準備する。鍋に大根麺を敷き詰めて、その上に白菜・ネギ・豆腐と豚バラを乗せ、昆布だしを張る。大根おろしを乗せて温めれば良し。ポン酢等で。簡単ですが大変に美味しい!。大根を麺とおろしで楽しめます。もっと大根おろしを大量に準備すればよかったと反省。ブログのレシピ材料には人参、玉ねぎ、水菜、等々も。2018年11月28日、料理と撮影。

 

 

『Ryuichi Sakamoto:CODA』

 名古屋市千種区東山公園・植物園のライトアップ。今年は天気が異常すぎたせいか紅葉の当たり年では無さそうとのことでしたが、池の周りの景色はそれはそれは何とも言いようのない幽玄の世界でした。2018年11月17日、撮影。

 

 

テレビの番組表で11月10日・土曜日の真夜中、正確に言えば11月11日・日曜日の午前零時から映画「Ryuichi Sakamoto:CODA」(2017年日米)が放送されるというのを目にしました。最近、坂本龍一さんに関係することに興味を持っていたので、早速に録画の手配をしました。

 

 

戦場のメリークリスマス」という映画があります。この原作を書いたのはロレンス・ヴァンデルポストというオランダ系の英国人の方です。彼は第二次大戦中に日本軍の捕虜になり、その時の体験を書いたのが「影の獄にて」という小説なのですが、この小説が後に「戦場のメリークリスマスMery Chrisitmas, Mr.Lawrence)」の題名で映画化されました。日本の鬼軍曹ハラと捕虜のロレンス英軍中佐の間の「友情」を描いたものとのこと。まだ僕は原作も読んでおらず映画も見ていないのですが、この映画のテーマ音楽を作曲したのが坂本龍一で、この映画には俳優として日本軍大尉役で出演しています。

 

 

このテーマ音楽に興味を持っていた時に、偶々、河合隼雄さんの『大人の友情』(朝日新聞社、2005年2月初版)という本を読んでいたのですが、ほぼ最終章に近いところでこの話が紹介されていたのです。「境界を超える友情」という章で、ハラ軍曹とロレンス中佐の友情の成立を解析しています。"捕虜収容所での全く立場の正反対の二人が自分の世界に立った対話をしていたものが、両者がそれぞれの世界に半歩踏み込んだことで深い友情を結ぶことになった”という「大人の友情」です。

原作は知らない方がほとんどだと思いますが、映画のほうは、監督:大島渚、出演者がハラ軍曹:ビートたけし、大尉:坂本龍一、英軍少佐:デヴィッド・ボウイという異色のメンバー。テレビの宣伝で軍曹役のビートたけしが「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」と話かけるシーンが何度も何度も繰り返し放送されていたことを記憶されている方も多いかと思います。ビートたけしはこの頃から大変に存在感のある役者だったですね。尤も、この映画は1983年公開作品ですから、このテレビの宣伝シーンを覚えているのはかなりの年代の方だけですかね。

  

 

河合隼雄さんのこの本『大人の友情』には「裏切り」とか「友の出世を喜べるか」とか「友情と同性愛」とか、いつもながら結構きわどい切り口からの記述が沢山あります。一方では、「夫婦の絆」=「戦友」という見立てもされていて、やはり、このオッサンはただモノでは無いと感じます。オモロイおっさんです。

 

 

 

Ryuichi Sakamoto:CODA』は1時間42分の長編ドキュメンタリー映画でした。2012年から2017年の坂本龍一の軌跡を描いたもの。「坂本龍一の音楽と思索の旅」と紹介されていました。”時間が長すぎる”と感じることは全く無く楽しむことが出来ました。

 

冒頭、『3.11』で津波に襲われた宮城の高校を2012年に訪問しているシーン。その高校の講堂に置き去りにされている死骸のようなピアノ。その弦を弾き、鍵盤を叩いて音を出している坂本龍一の姿に驚きました。そのあと、避難所として使われていた中学校でのコンサートで「戦場のメリークリスマス」が演奏される場面が。ヴァイオリンとベース、もちろんピアノはご本人の演奏。やはり、良い曲、良い演奏だなあと感じ入りました。彼は名ピアニストでもあります。

 

坂本龍一ご本人は2014年にガンを宣告された由。その治療のため活動を停止していた時でも敬愛する映画監督からの依頼には「No!」という事が出来なかったと。曲・音楽作りに心血を注いでいる様が自然体で描かれています。

懐かしいYMO時代のロスアンゼルスでのコンサートの映像、映画音楽を製作している風景、当然「戦場のメリークリスマス」の映画シーンも織り込まれていました。また、森の中に入って行って「音」を拾い集めるシーンとか、雨だれの音をバケツを頭から被って聞いているシーンとか、「音」そのものに対する感性の高さは流石に”世界の坂本”ですねえ。

病気のほうは何とか克服されているのでしょう。彼が「No!」と言えなかったアレハンドロ・G・イニヤリトウ監督の映画「レヴェナント、蘇りし者」の音楽が何とも象徴的でした。

調べたら坂本龍一は1952年1月生まれ。年齢不詳のような風貌ですが、一学年後輩のオッサンでした。これからも元気に活躍を続けて欲しいものです。

 

 

映画「戦場のメリークリスマス」を観たいと思って最大手のDVDレンタル店に行って調べてもらったのですが”今はもう取り扱いしていない”と。

”ない”と言われると余計に手に入れたくなるのですが、残念ながら今日に至るまで、まだ観ることが出来ておりません。

 

 

最近「梅干し」を使う料理に凝っております。 と言っても、同じ系統の料理のみですが・・・。一回目の「鰯の梅干し煮」。2018年11月7日、料理と撮影。

 

 「鰯の梅干し煮」三回目。さすがに、これが最も良く味付け出来ていたと思います。盛り付けに失敗。開いたところが見苦しい。2018年11月16日、料理と撮影。

別途「秋刀魚の梅干し煮」もやってみました。これは久しぶりに圧力鍋を使って。”骨”も全く気になりませんでした。撮影を忘れておりました。残念。

 

 

 

 

『アメリカ農家の12カ月』

愛知・東海自然歩道の「岩巣山」に山歩きに行きました。尾張瀬戸駅から車で15分くらいで登山口のある岩屋堂公園に。最高標高499m、のんびり山歩きです。登山口から往復3時間程度。展望は結構開けており、はるか名古屋の中心部が一望できます。登山口の公園では「もみじ祭り」が開催されており沢山の人が来られていました。写真は「もみじ祭り」の会場=岩屋堂公園。夜はライトアップされます。2018年11月10日、撮影。

 

 

アメリカ農家の12カ月』、例によって神田神保町の古本屋で見つけた本です。1986年8月から1989年1月にかけて、アメリカ中西部ミズリー州で農場を営む夫婦・家族の朝から晩まで、種まきから収穫までを克明に描いたノンフィクションです。著者はリチャード・ローズさん、1937年カンサスシテイ生まれ。「原子力爆弾ができるまで」で1988年のピュリッツァー賞受賞作家。一年間、この農家・農場で生活を共にして書き上げたもの。1993年7月に日本語訳初版、同年10月に二刷。定価3,800円のものですが、1/10以下のお値段で売られていました。

 

以前にも書いたかも知れませんが、僕は商社時代の前半には大豆・油糧種子の取り扱いの仕事をしていました。1988年という年は課長をしていた時代で、大豆・穀物相場が大暴騰した時だったのです。本を手にした時に、瞬時に当時のことが思い出され、当然即買いしました。もともとの定価であれば買ってないでしょうから、古本屋さんというのは本当にありがたい存在だと思います。

その後数ヶ月の間、積んだままになっておりましたが今般の整理整頓で改めて読んで見ようと思いました。これも本棚効果です。思い切って本棚を設置してよかったと思っています。

 

 

穀物ベルトと呼ばれるアメリカ中西部の農家の仕事振りと生活そのものを本当に克明に描写しています。全346頁のハードカバーですが、著者が大変に筆力のある方だからでしょう、一気に読ませる面白さです。大おじいちゃん=大祖父の時代にドイツから移民した一族で、四代目・1939年生まれのバウアーさんが主人公。奥さんと子供=長男、次男、長女の三人、犬が二匹の家族。四世代の農家にして主人公の時代には約1,200エーカーの農地を耕作する農家になっています。この耕作面積の大きさでアメリカ中西部ではまだ大きめの中堅農家。1エーカーというのは、約4,000m2です。日本の農家の平均耕作面積は、2~3ha(ヘクタール)。北海道の平均でも25~28ha。1,200エーカーというのは約480haですから、桁違い・想像も出来ないほどの大きさです。これを夫婦二人で耕作している。長男はやや障害を持つ大学生、次男はアメフトのレギュラー選手の高校生で彼が農場を継いでくれそうな気配、長女はまだ9歳。トウモロコシ、大豆が二大作物ですが、これ以外にも豚、牛、鶏を飼育している。男の子二人は学校が休みのときには農作業の手伝いに家に帰って来ますが普段は寮での生活です。

 

 

実は、僕がまだ担当者の時、1980年前後のころですが、産地視察と称してアメリカ中西部イリノイ州を中心に大豆・トウモロコシ畑を一人で車を運転して3~4日かけて延べ1,000㎞以上も走り回ったことがあるのです。当時の課長さん(『先輩』等々で何回も登場して頂いている敬愛する大先輩です)が「可能な限り現場に触れる機会を持とう」という考えだったので実現させてもらったもの。自分で計画して出張したもののやはり大変な一人旅でした。

それでも、道中、農家に飛び込みで立ち寄ってインタビューを試みたり、戦車みたいなコンバインの運転席に乗せてもらったり、懐かしい思い出です。インタビューした時に、小さなお子さんがいたので「将来何になりたいのか?」と誘導尋問のような質問をしたら、予想以上にはっきりと「パパの跡を継いで立派な農家になるんだい!」と胸を張って答えたのにビックリ仰天したことを思い出します。イメージ的にはまるでこの本の主人公のバウアー農場にお邪魔したようなものです。

 

 

これだけ大きな農場を経営していても、決して、バウアーさん家は裕福ではないとの描写でした。質素で堅実な農業一家。アメリカの農業政策が過去10年に大きく変更され、そのしわ寄せが影響していることも説明されています。農業機械、作物、複雑な農政の仕組み等々も丁寧に分かりやすく紹介されています。日本語訳も良く出来ており、それぞれの専門家に助言をもらって翻訳作業をしたとのこと。

 

1988年はアメリカ中西部を熱波・大干ばつが襲った年だったのですが、幸いにバウアーさんの農場は作物が開花・成熟に向かう時期に降雨に恵まれたそうです。よかったですね。つい少し前の事のように思い出しますが、既に古き良き時代のアメリカの様子であったのかも知れません。

 

 

中間選挙の後のトランプ大統領のインタビューは醜かったですねえ。CNNの記者がロシア疑惑或いは中米からの移民キャラバンについての質問をしたのに対して、大統領の言葉とは思えない全く酷い返答でした。「黙れ、もう十分だ、マイクを置け、貴様は無礼だ、CNNは恥を知れ!」。

その翌日には、大統領が、ロシア疑惑に係わる捜査を一切コントロールしようとしない法務長官を実質解任したことが報道されています。

 

 

内田樹が著書『街場のアメリカ論』のなかで、トクヴィルが「アメリカ人は統治者の選択を誤る」、しかし「アメリカの統治システムはうっかり間違った統治者が選出されても破局的な事態にならないように制度化されている」と指摘していることを評価していました。読んだ時には、僕も”なるほど、その通りだ”と納得したものでしたが、ここまで酷い状況は想定出来ていなかったのではなかろうかと最近は心配になっています。

 

 

セサミストリート」が1969年に放送開始されて以来、ずっと「ビッグバード」役を務めていた俳優さんが84歳で引退されると報道されていました。当時、アメリカ大好き人間の僕はかなり熱心な視聴者でした。記事を見ていて、この俳優さんが「オスカー」役もしていたことを初めて知りました。オスカーはゴミ箱に住んでいる脇役のキャラですが、なんともインパクトがありました。

やはり、あの時代のアメリカというのは夢があり希望があり、ワクワク・ドキドキを世界に発信している国だったのだと思います。 

 

 

同じく「もみじ祭り」の川沿いで。陽の光を浴びた紅葉。携帯の画面ではモット鮮やかに見えるのですが‥。残念。

紅葉を楽しんだ後は、近くのスーパー銭湯に移動してゆっくりと休憩。運転のMさんには申し訳ないことながら、他のみんなとビールで乾杯しました。旨い!。

 

 

おまけです。「野菜たっぷりラーメン」。とりあえずの完成形。スープはダシに鶏ガラ顆粒、うまみ・コク味ペーストを加えて。別途、フライパンで野菜=もやしは必須、きのこ、キャベツ、ピーマン、ニンジン等々をニンニクと唐辛子を加えて炒めました。もやしはくれぐれも炒め過ぎない様に。

器にスープを入れ麺と野菜を加えてから自慢の自家製チャーシューを乗せて、胡椒、ゴマ油とラー油をお好みで振り掛けたら完成!(チャーシューもニンニクが効いているので食後はやや匂いが気になるかな?)。チャンポンと野菜たっぷりラーメンの区別はまだよく分かっておりません。2018年11月9日、料理と撮影。

 

 

 

 

同期会、2018年

今年二回目の姫路城。まだ紅葉には早い時期ですが、城内に四季桜がチラホラと咲いておりました。雨が心配されていましたが、気持ちの良い秋の日になってくれました。2018年10月26日、撮影。

 

 

今年も大学のゼミの同期会に参加することが出来ました。このブログを書き始めてからは三年連続して参加出来ています。元気でみんなの顔を見れるのが何より嬉しく、有難いことだと思います。

今年の趣向は、一日目、14:00にJR姫路駅に集合、姫路城を見学。その後、龍野に移動、国民宿舎「赤とんぼ荘」に宿泊。二日目、たつの市「龍野」散策、民家風の小料理屋で昼食、解散。地元在住が幹事役をしてくれました。

 

 

今年の参加も7人。但し、メンバーは若干は入れ替わりがありました。昨年、一昨年のことは、それぞれ2017年11月12日『同期会、一年の後』、2016年11月3日『同期会』を見て頂ければ嬉しいです。

 

●「晴耕雨読」のI君は今回も参加。昨年はタイミングを逃し、彼が畑仕事を継続しているかどうかを聞くことが出来なかったのですが、区の畑を借りての野菜栽培はマスマス順調に継続していると。「畑の面積も大きくして、野菜の種類も増やした。自分で育てた野菜は何と言っても”旨い!”。市場・スーパーに出荷されるモノは本当の旬が外れているのがよく分かる。熟れたトマト、逆に若いキュウリ、レタス。これらは自分で栽培して初めて味わうコトが出来る美味しさである」とのことでした。改めて感心。大変に恐れ入りました。

 

●今回幹事役のD君。前回は欠席だったので二年ぶりでしたが、「ピアノレッスンも楽しく継続している。新しくイタリア語会話の教室に通い始めた」。面白かったのがその理由です。「一人でフィレンツエに旅行することにした。現地では自炊の出来るマンションに泊まる。のんびりと街を散策、音楽・美術を楽しみたい。せっかくイタリアに行くのだから、この際、言葉も少しは出来た方がよいと思ったから」とのこと。僕が面白いと思ったのは、彼は大変な愛妻家なのに、何故一人で行くのに拘ったのかが不思議な感じでした。「これは、以前から一人で行こうと決めていた。この旅行が自分で実りあるものと感じれば、また次回を考えたいと思っている」とのことでした。

 

思い起こせば一昨年の会の時、皆さん『卒業』の時期を迎え、”自分の生活、夫婦・家族との生活=「ヨメハンとの間合い」をイロイロと考えているんやなあ”、と感じたモノでした。そう言えば「料理教室」のA君も相変わらず伊豆の別荘での生活を楽しんでいる由、一人の時は外食はせず、もっぱら料理教室の成果を堪能していると。僕が名古屋での隠れ家生活を継続することにしたキッカケの一つがこの仲間達の生活ぶりに影響を受けたものと感じます。まあ「逆も真なり」かも知れませんが。オモロイ友達がいてくれるというのは本当に有難いことと感じています。

 

 

龍野に来たのは初めてでした。姫路からローカル線に乗って4-5駅。パンフレットには「『播磨の少京都』と呼ばれている閑静な城下町」と。昔から盛んな食品産業として「揖保乃糸そうめん」、「うすくち醤油」が有名なところです。それぞれ立派な資料館があります。うすくち醤油の代名詞のようなヒガシマル醤油の本社・工場もあります。

文化の香る土地柄からでしょう、龍野からは多くの詩人、思索家が生まれています。記念館には三木露風さん、内海青潮さん、矢野勘治さん、三木清さんの文献・資料が展示されていました。三木露風さんは詩人、「赤とんぼ」の歌ですね。僕たちが泊まった「赤とんぼ荘」の名前も勿論ここから来ています。矢野勘治さんは俳人、一高寮歌「春爛漫」「嗚呼玉杯に」で有名。内海青潮さんは詩人、書道家三木清さんだけは良く知っていると思ったのですが、その著書の名前が出てこない。資料館で「人生論ノート」等の説明を見て漸く思い出せました。かなり情けない。間違いなく手に取ったことがある本だとは思うのですが、内容は全く記憶にありませんでした。これも更に情けない。

ちなみに露風さんと清さんは姻戚関係では無さそうです。三木というのはこの地に結構多い苗字のようです。

 

 

来年は大阪または滋賀あたりでのんびりと集まろうということになりました。みんな元気で再会出来ます様に。

 

 

帰路、本屋に立ち寄り三木清さんの著書を探してみました。見当たらず帰ろうとした時、雑誌の平積みのところで、2018年11月号NHKテキスト『人生論ノート 三木清』アンコール放送、が目に飛び込んできました。オオマイゴド、これは縁だ!、即買いしました。放送も見てみようかしらと思っています。

  

 

二日目のお昼。閑静な城下町の奥にある小料理屋さんに。「じょんの庵」。ご亭主はアメリカ人。まだお若いのに日本文化に堪能の様子。趣のあるお料理を楽しめました。先代からの友達で付き合いのある大阪の地ビール箕面ビール」、カリフォルニアのNo.1ブランドの有名ワイナリーの”お隣”のブドウ畑からのワイン等、洒落たアルコールもお値打ちに提供してくれていました。2018年10月28日、撮影。

 

 

旅行中「赤とんぼ荘」の食堂・喫茶の一角でやっていたリサイクル展でチェコスロバキアの花瓶を買いました。彩色がキレイだったので。名古屋の隠れ家の本棚の前で記念撮影。この花瓶は昭和45年に旅行された方が買ってきたモノ。時空を超えて僕の隠れ家に。250円!でした。感謝。2018年10月29日。

 

蛇足;今回の旅行には内田樹『街場の文体論』を持参。この本も本棚効果で、本の整理・収納をしていたら出てきました。一度、読んだはずなのにあまり覚えておらず、漸く読み進むに連れて思い出すことが出来ました。やはりこのオッサンは面白い。ついでに『レヴィナス』三部作の一冊も出てきました。これは旅行カバンのなかで眠っていました。そのうちに読んでみようと思っています。

 

 

オマケ。最近凝っているチャンポン風ラーメン。これは美味しく出来た!。写真ではそう見えないのが残念。野菜たっぷり・シャキシャキもやし入り。チャーシューは自慢の自家製です。チャンポンと野菜ラーメンとは何が違うのですかね。こんど勉強しておきます。2018年10月29日、料理と撮影。

 

本棚

世田谷区の豪徳寺。カミさんのお母さんの弟さん=我々のおじちゃんの七回忌の帰路「豪徳寺が近くにあるから寄ってみたい」とおばあちゃんが言い出しました。カミさんの弟=僕の義弟の運転で連れて行ってもらいました。30分ほど散策。招き猫で有名なお寺です。同じような年齢のご家族が散策されていて、お年寄りがシルバーカー(お年寄り用の歩行補助の手押し車)を駆使して軽快に動いておられました。カミさんがその方に使い勝手をお聞きしたら”大変に便利、安心”とのことでした。早速に、おばあちゃんに勧めたのですが「カッコ悪い」の一言でした。2018年10月7日、撮影。

 

 

 

名古屋の隠れ家に引っ越ししてから早いモノで半年チョット経過しました。月のうち、ほぼ半分は神奈川の自宅で過ごし、残り半分は隠れ家での生活を楽しんでいます。たまにカミさんの査察が入ります。荷物は最初の数週間で一応は整理したのですが会社生活の時のモノも含めてイロイロな書類、資料、それから書籍・・・というか本、雑誌の類ですね・・・が沢山残っていて、引っ越し前から積んだままの状態になっていました。引っ越しの際、思い切って捨てるべきは捨てようと思ったのですが、その時には”後でもう一度見てみたい”と思い隠れ家に持っていったモノモノです。

 

 

整理するにも容れ物が無い。以前から本棚の容量が全く不足していると感じていたので、思い切って新しく本棚を買ってしまいました。この年になって、身辺整理を始めなければならない年齢になって、新しく家具を買うというのは、ちょっとマズイ、流れに逆行しているかとも思ったのですが、片方で、自分だけの書斎的な空間を持ちたいと思っていたのも間違いの無いところなので、この際、自分が素直にやりたいと思うことを実行しようと決断しました。まあ、それ程大袈裟なものではないのですが・・。

 

 

本棚というのは、今までは扉のついた大きなモノを買って使っていましたが、これら立派な本棚は見栄えは良いがスペースをとってしまうし、使い勝手もあまり実用的では無い。

長女が結婚するまえに自分の部屋に置いていた本棚が気に入ってました。デザイン良し、収容スペースを含め機能的に優れている。高さ180㎝、横幅70-80㎝くらいの結構大きなモノですが、厚みが薄めに設計されている。上下二段になっており、下部は通常の厚みを持たせているが、上部はほぼ本の厚み程度に絞ってある。お値段も手ごろ。課題は自分で組み立てる必要があること。

 

 

通販商品なのでネットで注文しました。”配達時間等々の指定は受けられません”と注文要領に記載されていましたが、ダメもとでイロイロとこちらの希望を書き込んだら、ほぼ希望通りに手配してくれました。幸先良し、組み立て作業するのにも気持ちの良いスタート。説明書がしっかりしていました。”まず製品の全体像をイメージして下さい”との記載に助けられました。

約3時間で組み立て完成。倉庫部屋に置いてあった段ボールに入れたままの本、書類の整理を開始。新しい本棚に、ジャンル別に並べました。収まりも良く、かなり満足。ふと底部に目が行きました。底部の基盤に溝が走っている。”これは何や、模様かいな?” そんな訳が無い。後ろの背板を埋め込む溝でした。底部の前後を逆にして組み立ててしまった。瞬間、全てヤリナオシ?!かと思いましたが、構造的には問題無さそうなので、目を瞑りそのままにしてあります。

  

 

料理の本が多いことに我ながら驚きました。料理研究家小林カツ代さんの文庫本を捜していたのですが、自分が思っていた以上に何冊も出てきました。多数いらっしゃる料理研究家のなかでも、僕はこの人が好きです。とは言え、これだけ何冊も買っていたとは。そして、捜していた本とは別に、忘れていた一冊を発見。

小林カツ代「働く女性の急げや急げ料理集」・・時間がないからこそおいしいモノを作る・・』、大和書房。1982年に第一刷発行、1987年7月新装版第10刷。僕の母親=大阪のおばあちゃんが亡くなった後、大阪の実家の遺物整理をしていた時に見つけた本でした。僕の祖父=大阪の大おじいちゃんは読書家でしたが、母親=大阪のおばあちゃんも結構難しい本を遺していました。それらのハードカバーの難しい本の横にチョコんと恥ずかしそうに並べられていたもの。

大阪の実家で料理の本なんて見たことが無かったように思います。1987年というのは、大おじいちゃん、大おばあちゃんは既に亡くなっていた年代ですから、これは、おばあちゃんがその年=65歳になって改めてお料理の本を買って勉強しようとしたのか、はたまた、一回りは年下のカツ代さんの考え方に癒されたくて随筆を読むように読んだものか、とイロイロと推理しました。ところどころにページの端を折り曲げて印をつけてありました。僕もやってしまいますが、あまり良い方法では無いと思います。図書館で借りた本にやってはいけません。

 

 

カツ代さんの極意は「時短料理」と言われています。それも単なる「スピード料理とは違う」と。タイトルの通り「働く女性」の味方として、家事を減らす、料理の手間を減らしつつも、ちゃんとした家庭料理を作りたい。本当は「女性」だけでなく「誰も」が料理するように、タイトルは「働く夫婦の」とか「働く家族の」とかにしたかったそうです。

1970年代から1980年代は、家庭料理の献立料理本がブームとなった時代とのことですが、当時の手間をかけて作るのが料理という概念に挑戦して、それまでの常識を覆すような料理を提案したのがカツ代さんとか。

結構、挑発的な言葉も出てきます。「ササッと出来るやさしい料理が、下準備いろいろ料理に比べて味が劣ることが無ければ、何を憶することがありましょう」とか「(この料理は)あきれるほど簡単だけど見栄えがする点が何より良い」とか。

ちゃんとした料理という観点からは「急ぐ料理というのは一品だけ早く出来ても仕方がない、献立として並び終わるまでが早くなくては意味がない」なんて記載もあります。なかなかの名言かと。

 

カツ代さんが売れっ子になったのが1980年代とのことで、この本は油の乗り切っている時の本かと。最近のレシピ本のように、材料何々、料理の順番①②③…という風な書き方をしていない。写真も無し、ほのぼのタイプのイラストのみ。調味料等々の投入量も結構アバウト。全て文章で記載されている。その語り口が良し、フアンを魅了するところかと思います。

 

 

大阪のおばあちゃんは「働く女性」の典型でした。会社を定年退職して、孫に囲まれるようになり、本当に一息ついた時に、このような考え方を提供してくれたカツ代さんの本に我が意を得たりと思ったのかとも思います。

この本を大阪の実家で見つけたこと自体を全く忘れておりました。忘れていたものの、その後、僕も小林カツ代さんのフアンになったのは、この本の影響が頭のどこかに残っていたモノか。それとも、単にたまたまカツ代さんの考え方におばあちゃんと同じ関心を持ったものか、やっぱ親子なのですかね。

 

 

この後、数日してから同じ本棚をもう一つ注文しました。今度はさすがに完璧な組み立てが出来ました。会社生活、仕事関係、生臭い読み物はお蔵に入れたままにして、今からの自分の好きな世界の本を重点的に並べて見ました。部屋の景色が良くなった様に感じています。

カツ代さんの別な料理本を捲っていたら「かに玉」の作り方が書いてありました。旨そう。そのうちに、やってみたいと思います。

  

 

会社の先輩の絵。ご退任後に絵画教室に通われ、今では、その会の中心になられている。風景画ばかり描かれていると思っていたら、人物画も教室の練習で描く時もある由。その時の一枚とか。モデリアーニに匹敵する構図バランスである!素晴らしい!と感心。これ以外にも自慢の風景画を展示されていました。名古屋市中区のギャラリーで。2018年10月11日撮影。

  

久しぶりに神奈川の自宅にて。「野菜たっぷり・チャンポン風ラーメン」。具を別途フライパンで料理してからスープ、麺に加えました。上手く出来たと思ったのですが、ウーン、味がいま一歩、決まらなかったです。残念。2018年10月15日料理と撮影。

 

 

名古屋を想う

平兵衛酢。 3月後半に植えてから順調に育っています。丈は最初の苗木のほぼ二倍程度に伸びました。夏の間は虫に食べられて大変。そろそろ寒さ対策が必要になるのかしら。日向の専門家の意見・教えを請わなければ・・・。2018年10月9日、撮影。

 

 

久しぶりに神奈川の自宅でノンビリとテレビを見ていましたら、NHKの「#ネタドリ・首都圏情報」という番組で”エスカレーターに止まって乗る運動”を紹介していました。エスカレーターは、関西・大阪圏を除けば、左側に止まって乗る=右側は空けておく=急ぐ人は右側を歩く(稀には走る人もいるかも)というのがほぼ常識化していますが、障害者・高齢者の安心・安全のため左右両側ともに止まって乗りましょう!、「エスカレーター、止まって乗りたい人もいる」というキャンペーンを実施している理学療法士の方の活動を紹介したものです。2020年の五輪パラを目指して”誰にも住みやすい優しい町=東京”にしようという取り組みの一つとしてNHKがネタドリしたもの。

 

 

この理学療法士さんの患者さんの一人が足が不自由な方。杖をついて歩いているものの階段を上る時には、右手で手すりを支えながら登らないとバランスが上手く取れない。エスカレーターの左側止まりでは安心して乗っていられない。何とか右側止まりで乗れないモノか、と悩んでいたもの。エスカレーターに乗る時の本来のルールは、全く形骸化しているとは言え「両側ともに止まって乗る」というものであることを再確認して、このキャンペーンを開始された由。一部の鉄道・駅ではこのキャンペーンに同調して、構内アナウンスで”エスカレーターは二列で立ち止まって乗ってください。歩かないでください。止まって乗りたい人もいらっしゃいます。急ぐ方は階段をご利用ください”と呼びかけをするところも出てきているとか。

 

 

かなり以前、このブログで名古屋の地下鉄について、次のように記載したことがあります。2017年4月21日付けの『名古屋の不思議』から抜粋です。

「・・・名古屋の地下鉄のエスカレーターに乗る度に不思議に思うことがあります。かなり大きな張り紙が出ています。一文字づつ「走」「ら」「な」「い」「で」「下」「さ」「い」「、」「歩」「か」「な」「い」「で」「下」「さ」「い」「。」と書いてあります。駅は忘れましたが、「急ぐ人は階段を」、「健康のためには階段を」と言う張り紙もありました。最初は(嫌味で無く)何を言いたいのか全く理解出来ませんでした。・・・しばらくしてから、もっと小さな張り紙に「危険ですから云々」とあるのを発見。なるほど、危険だからじっとしておれ、という意味だったのかと理解が出来ました。でも、東京、大阪等々で、こんな大きなモノに一文字づつ「走・ら・な・い・で」「歩・か・な・い・で」と書いてある表示を目にした記憶が無い・・・」

 「・・・モノ知りの友達にこのことを話したところ、エスカレーターで以前、事故があった。それで安全な乗り方を徹底しようという動きがあって、その一環としてこのような注意書きが増えたのであろうと・・・。エスカレーターの安全基準というのは、ステップに立ち止まって利用するのが前提になっている由。ステップに巻き込まれる、挟まれる事故が多いそうです。・・・」

「公共の場所での事故、その場所を管理している役所の責任、ついつい過剰な対応ぶりにつながるのかしらとも思います。もちろん、事故の当事者だけでなく、周辺にいる、特に赤ちゃん・子供連れ、お年寄りが、もらい事故に巻き込まれないように注意することは必要ですから、事故を起こさない、事故に巻き込まれない工夫は必要だと思います。それにしても名古屋の地下鉄は何故これほどまでに過剰なアピールをしているのやら。・・・スマートでないですよね。「魅力の無い街」の理由の一つになっているかもしれません。・・・」

 

 

 随分と手厳しいことを記載していたのですが、ネタドリの通り「優しい町」作りの取り組みの一環として「エスカレーターに止まって乗る運動」というのはアリかなあ、と思いました。回りの人への”優しさ”乃至は”思いやり”という観点からのキャンペーンというのは説得力がありそうに思います。名古屋の地下鉄も視点をチョット変えてアピールを工夫したら、もっと、共感を呼ぶことになるのではと思いました。

 

 

ついでに、名古屋市が実施した2018年度の「都市ブランドイメージ調査」のことですが、残念ながら前回調査に続いて、名古屋市は全国8都市で「最も訪れたくない街」だったそうです。前回の調査のことはこのブログで記載しましたが( 2017年1月31日『名古屋の魅力』をご参照ください)、今回の調査でも、名古屋を訪問したいという人は突出して少ないまま。前回同様、他都市では地元を「最も魅力的」と答えるのに対して、名古屋だけは唯一、他都市が魅力的だと答えているそうです。都市ブランドイメージ=ダントツの最下位です。

名古屋の市長さんは記者団にイメージ向上の具体策として「名古屋城天守木造化、世界で一つの魅力をつくらないと」とご自身の目玉施策の重要性をアピールされていたそうです(日経9月6日記事より)。

あまり”優しい街”とか”思いやりのある街”とかを魅力ポイントとしてカウントされていないようですね。チト残念です。

 

 

ちなみに、第三者が行っている調査では名古屋市は結構上位にランク付けられています。これも日経記事(10月4日付け)ですが、森ビルのシンクタンクである森記念財団都市戦略研究所の調査では、東京を除く都市の中で名古屋市は総合で堂々の第4位。ビジネス、生活のしやすさなどでの評価で、各道府県72都市を対象としたものです。一位は京都市、次いで、福岡市、大阪市、そして第4位が名古屋市です。何をターゲットにしてアンケート調査をしているのか大切な点だと思いますが、マアマア立派なモンですよね。

 

 

 得意の「ソーメン・ゴーヤ・チャンプルー」。これは名古屋の隠れ家でのモノですが、神奈川の自宅で料理したら結構、評判が良かったです。一安心。2018年10月2日、料理と撮影。