クルルのおじさん 料理を楽しむ

読書三昧;”頭休め”vs『ホモ・デウス』

次女の長男=僕の初孫、現在、4歳2か月。彼が世に出した記念すべき第一作です。タイトルは「自画像」。特徴をよく表現出来ていて驚きました。爺バカの典型で”末はピカソか!”と喜んでおります。それにしても、彼の世代が見ることになるであろう次の世紀は、どんな世の中になっているのでしょうねえ。2019年1月、次女撮影。

 

 

”読書の達人”のお友達から、五木寛之さんの「知の休日---退屈な時間をどう遊ぶか」という本を頂きました。集英社新書、1999年12月第一刷、2005年4月第11刷。ちょうど『ホモ・デウス』でお腹がいっぱいの時だったのでのんびりと読ませて頂きました。(『ホモ・デウス』は1月10日付けの『サピエンス全史』、1月20日付けの「ちょいと良い話、その2.」を参照ください。)

 

 

面白いもので、僕の気持ちを寛之さんがいきなり忖度してくれていました。「はじめに」の章で、寛之さんが読者からのコメントを紹介しています。「いつも面白く読ませてもらっている」「あなたの本は、”頭休め”にはもってこいの内容だ」。ご本人は”やや引っかかるところがないでもない。でも、よく考えるといいところをついている”と懐の深い受け止め方をしてらっしゃる。僕もちょうど”頭休め”の本を欲しておりました。本との出会いとは面白いモノだと思います。ちょうど良い時に巡り合うものです。

 

 

寛之さんの解説では、”頭休め”とは心身の緊張をゆるめること、しかし、ゆるめきってしまう=だらけることとは違う。要するに「緊張のしすぎは困る、といって、ゆるみきってしまうのは、もっとよくない」というものでした。同感です。

 

タイトルの「知の休日」の「知」という字には「ココロ」と振り仮名をふっても良いし、「アタマ」と読んでもよい、と。本の帯には「頭と心に心地よい刺激を与える、新しい緊張感のある休日の提案の本」と宣伝されていました。このところは、ご本人が、本文のなかでもっとうまく表現されてます。

曰く、

「この本で紹介するのは、読者のひとり一人が勝手に自分流のやり方を発見するためのサンプルにすぎない」。そして、高光大船さんの言葉、「人の手本にはなれんが、見本ぐらいにはなれる」を引用されております。

寛之さんの”頭休め”の工夫が一杯詰まった本で、本文構成は「xxと遊ぶ」という流れになっています。第二章以降、「体と遊ぶ」「アートと遊ぶ」「車と遊ぶ」「声と遊ぶ」「靴と遊ぶ」「夢と遊ぶ」「何とでも遊ぶ」と続きます。

もちろん、第一章は「本と遊ぶ」。

”一冊の本の中の一行が頭に残るのは、何気なく読んだ言葉が、錐をもむようにこちらの魂に突き刺さってくるときである”。

”声に出して読む。漱石や鴎外の作品などは、声に出して読めば、いままで感じられなかったことが体で感じられる”。

文筆家の方のこういう表現は凄いなあ、と感じます。寛之さんの頭休みの工夫は、”面白くやる、ワクワクしながらやることが基本”になっていることを理解することが出来ました。

 

 

散歩がてらに近所の図書館に行きました。1月29日に橋本治さんが死去されており、彼の大のフアンである ”読書の達人”のお友達から追悼のメールをもらいました。恥ずかしながら全く読んだことのない方でしたので、図書館で作品を探してみようかと。亡くなられて貸し出しが増えているのか余り沢山の蔵書はありませんでした。「巡礼」という小説と「大不況には本を読む」という新書本を借りました。寛之さんの棚を見ると「人生の目的」「こころ・と・からだ」というのがあったので、これもついでに借りました。寛之さんには”ついで”で申し訳ありません。

やや体調が悪かったので、外出を控えて、隠れ家でノンビリと”頭休め”を続けようかと。三日ほど読書三昧でした。

 

肝心の橋本治さんの本ですが、「巡礼」は頭休めには余りある重たいテーマでした。独特の節回しのようなものも感じられて面白かったですが、まだ、治さんの良さがピンと来ていないかも。やはり、次回は彼の代表作、面白そうな作品、「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」とか「小林秀雄の恵み」を読んでみたいと思います。お友達の案内で内田樹さんのブログを覗いたら、あの樹さんが「橋本治さんへの追悼」記事を何回にも分けて載せていました。影響を受けた三人の中のお一人に挙げており、この三人ともが逝去されたことを残念に思っている旨を素直に記載されておりました。改めて橋本治さんのご冥福をお祈り致します。

 

 

それにしてもハラリさん、です。”頭休め”の読書三昧で、ココロ、アタマ、魂、ワクワク、感じること、気持ち、という言葉が出てくる度に『ホモ・デウス』に戻ってしまいます。言葉ではなく、本そのものが、グサッと突き刺さっているような。

 

『サピエンス全史』には、生物のチャンピオンになった人類が将来「自然選択の法則を打ち破り、生物学的に定められた限界を突破する」危うさが書かれていましたが、『ホモ・デウス』では、更に突っ込んで「人間は心と体をアップグレード、神のヒト=ホモ・デウスに自らをアップグレードする」「テクノロジーは人間の手に負えなくなる」可能性が書かれています。それも大変に具体的に、臨場感のあるタッチで。

 

「人間の頭脳には、知能と意識、がある。知能は問題解決に、意識は喜怒哀楽、感じること。人間は両方を補い合うが、AIは知能のみ。問題解決には最適であるが、意識=感情、主観は無い」という見方は変わってはいないと思いますが、AIとバイオ・生命科学の急速な進歩により、特に「生物学者が”生き物はアルゴリズムである”と結論付けた途端、生物と非生物の間の壁は取り崩され、コンピューター革命は機械的なものから、生物学的な大変動に変え」たとの見方です。

意識というものの解明はまだ十分には進んでいないとのことですが、「生き物はアルゴリズム」であり、「生命はデータ処理」であるというのが既に科学界の定説になっている由。「人間の心や意識は、脳のなかでニューロンが信号を発し、データを処理しているだけである」「意識や意思を持った”私”でさえ”虚構”なのだ」「AI=人口知能が急速に発展し、あなた自身よりもあなたについて詳しく知るようになる」云々。

 

僕が説明しようとすると三文SF小説としか思えないですが、ハラリさんの凄いところは、最先端技術の知識、事例説明がムチャ具体的で説得力があること。その最先端の技術が意味するところを歴史学者としての考察を通じて解きほぐしていくことが出来るところ。

 

 

改めて本を手に取ってみたら表紙の帯に、山際壽一さんの言葉が掲載されていました。『サピエンス全史』下巻には「進化と文明の歴史を幸福の視点から問い直す」、同じく『ホモ・デウス』下巻には「科学技術の終焉か?パンドラの箱が今開く」。人類学者、霊長類学者の観点から、是非、NHK「90分de名著」等で、解説・論表してもらったら面白そうだなあと思います。

 

まだ、ハラリさんを食べ過ぎて胃モタレ感が残っているような状態です。これは決して食あたりではないと思うのですがね。

 

 

 お題「冬を乗り越えようとしている鉢植え」。やや春の兆しが、と思いきや今週は大変な寒波到来です。皆さま、くれぐれもご自愛のほど。2019年2月8日撮影。

 

 

オマケ。じゃこ入りニラ玉炒め。じゃこをカリカリに炒めてからお酒で煮詰める。いったん取り出す。卵を半熟程度に、塩コショウして、これもいったん取り出す。ニラを炒めて豆板醤を加え、じゃこ、卵を戻し入れる。お酒のつまみです。冷えてもソコソコ美味しい。1月31日、料理と撮影。

大”阪”なおみ

日経新聞、2019年1月29日掲載。大坂なおみ選手の写真記事広告。

 

 

テニスの大坂なおみ選手が1月26日にメルボルンで行われた全豪オープン女子シングルスで優勝しました。昨年の全米優勝に続いて、グランドスラム=テニスの四大世界大会を二連覇したことになります。彼女は、1997年生まれとのことで、まだ21歳。この若さで、世界ランキングも一位に上り詰めました。

勝戦はもちろんTV観戦しましたが、今回の大会は、放送された彼女の試合はほとんど見ることが出来ました。平日でものんびりと家でTVを観ることが出来る嬉しさ・楽しさです。暇なときTVをダラダラ付けておくのは主義に反するので、見たいものだけをチャンと見るように心がけています。最近は録画して見ることも簡単に出来るようになったので、時間を拘束されることはあまりなくなりました。でも、スポーツの試合だけは結果が分かってしまっては、興味が半減します。一生懸命にやっているプレイヤーには申し訳ないですが、結果を知ってしまっては観ていても面白味がありません。決勝以前のなおみ選手の試合も録画して後で見ることがありましたが、その際には、ニュース、ネット記事で結果を見てしまうことが無いよう、結果が耳に入ることの無いように注意して(録画を)観ます。

 

なおみ選手の試合はとにかく面白い。”凡ミスは多いがショットの切れには目を見張るものがある。肝心な時の詰めが甘いと感じるが、追い込まれた時の集中力がこれまた凄い。楽勝に思える時でも勝手にドタバタして苦労するし、もうダメかと思うところからよく盛り返す。ハラハラドキドキ、プロの試合の面白さを堪能させてくれる”と感じています。

 

そもそもシード選手は試合数がもっと少ないものだと思っていました。ベスト8の一つ手前くらいから出てくるものかと思っていたら、そこに行くまでに少なくとも三試合は戦っていました。ちょっと調べてみましたら、本戦は、128人でスタートし、64人→32人→16人→ベスト8となり、順々決勝、準決勝、そして決勝戦で勝って漸くチャンピオンとなる由。これが本戦ですが、実績の無い選手は更に過酷な日程で設定されている予選を勝ち抜いて初めて本戦に出場してくる訳です。

 

メジャー大会本戦の最初の1,2回戦の試合を見るのは滅多にない機会でした。通常、準決勝か決勝を観るだけで満足して喜んでいます。TVで放送されないことも大きな理由の一つでしょう。今回は、贔屓の選手が最終チャンピオンにまで上り詰めてくれたので、途中の試合も観戦することが出来ました。予選から勝ち上がってきた選手、乃至は、世界ランキングのずーと下位の選手の気迫には感心しました。素人の目にはどちらがランキング上位なのか分からない、何故この選手がこれほど下位のランキングなのか分からないような選手がゴロゴロいるように思います。世界レベルでの選手層の厚さ!、改めてメジャー大会のチャンピオンになることの大変さを痛感します。

 

 

優勝後のインタビューは、相変わらず、小さい声で恥ずかしそうに受け答えしていました。彼女にとっては当たり前のことでしょうが英語で受け答えが出来るのは素晴しいことですね。全米の決勝の時、負けたセリーナ・ウイリアムズ選手への贔屓の裏返しでなおみ選手にブーイングが出ましたが、優勝インタビューでは多分涙を流しながら”セリーナを尊敬して憧れていた”ことを素直に話して会場から万来の拍手を集めました。彼女の性格の素晴らしさですが、あれは日本語を通訳してでは起こりえなかった感動であったと思います。

 

 

翌日の新聞にも”なおみ節、ユーモアたっぷり、シャイで飾らない人柄”等々を称賛する記事がだくさん書かれておりました。僕は、彼女は北海道の生まれ・出身かと思っていました。何かのおり、彼女のおじいちゃんがインタビューされた時の北海道のイメージが強かったのです。 記事を読むと大阪生まれとのことで、かつてインタビューで「出身地と同じ名字なのはなぜか」と質問されたのに対して「大阪で生まれた人の名字はみんなオオサカなの」と愛嬌たっぷりに答えていたそうです。

 

”そうなんや、大阪生まれの大坂なおみちゃんやったんや”、と更にフアン度がアップしました。 1997年10月16日生まれ、大阪市中央区出身とのことです。小さい時に、お隣の西区の靭テニスセンターで練習していた由。

このブログでも何回も登場します僕の高校も大阪市中央区です。僕は隣の城東区ですから一緒ではありません。西区の靭公園あたりには同期生の実家がゴロゴロとあったはず。それだけのことなのですが、元関西大阪人としては何やら大変に嬉しく思っております。このテニスセンターはいまでもあるはずですから、きっと入会希望が殺到しているのではと思っています。

 

 

冒頭の写真、1月29日の日経新聞です。なおみ選手のスポンサーをしている日清食品の広告記事ですが、この会社も大阪生まれ・大阪育ちの食品会社。カップヌードルはいまや世界のブランドになっていますが、創業期のころのご苦労はいまのNHK朝ドラでも感じられるところ。良い意味での大阪のイメージが残っている大阪・関西を代表する食品会社です。この宣伝も、赤と黒の色調で漫画的な手書き文字で表現した関西的な、吉本的な味のあるモノだと評価してます。会社の名前、製品の名前を小さくしているのも好感が持てました。

 

 

この広告と同じ日の記事に、「全豪オープンテニス『アジア重視』。中国・韓国マネーで大会が拡大している。観客数・賞金が過去最高に」との解説が載せられていました。日本企業に触れられていないのがやや寂しいように思いました。また、たまたま、その紙面の上の欄に「大阪万博再び!関西系財閥グループが全力を挙げて取り組む」云々の記事が出ていました。

 

 ”そうや、大坂なおみ選手=大阪出身=2025年の大阪万博のキャラクターに!なってもらえばエエやんか。この会社となおみ選手にお願いして、大坂なおみちゃんが大阪万博を応援しているアピール広告を出してもらえば、きっと、盛り上がるやろう。2025年=なおみ選手はまだ27歳。アブラの乗り切ったころに違いない。四大大会を全て制覇して、きっと、テニス界の世界の女王になってるやろ。・・・まあ、まだだいぶ先の話だから、タイミングを見ながらやってもらうほうが良いかとは思うが・・・”。僕は大阪万博よりは愛知の「ジブリパーク」を応援したいと思っていますので、これは、何んとも大阪のおばちゃん的な発想かと自分でも可笑しくなりましたが、大”阪”なおみ選手にも是非、大阪万博に関与して欲しいものです。それまでには、いまの英語の受け答えと同等レベルで日本語も堪能になっていて、インタビューでは大”坂”弁で会場を沸かせてくれたらサイコーでしょうね。

 

 大阪と大坂の違いとは?・・・「坂」がもともと使われていたが、「坂」の字は縁起が良くない=士が反逆するとか、土に返るとか。その為、明治時代に大阪に変えられた由の説明が書いてありました。真偽のほどは分かりません。

もっとも、なおみちゃんにはどちらもOSAKAでしょうから全く興味・関心の無い話でしょう。

彼女の国籍について。「現在のなおみ選手は日米両国の二重国籍。日本の法律では、22歳までにどちらかを選択する義務がある」らしいです。本年10月16日が22歳の誕生日ですから、そのころにかけて話題になるかもしれません。うやむやにしておいても罰則等は無いとのことですが、有名人の悩ましさで日本人としてのオリンピックへの参加の是非が問われることになるかも知れないとか。何がどうなっても、「大阪」の「大坂なおみ」選手でいて欲しいですねえ。

 

 

 

名古屋市科学館で開催展示されている「スイーツ展」に行ってきました。高校の同期会の集まりです。名古屋での同期会は人数が少ないこともあり中身が濃いのです。折角に集まるのだから何かオモロイことをしよう・観よう・聴こうという趣旨で、毎回、何か工夫して楽しんでいます。今回は、いつもの仲良し四人組に加え、大阪からわざわざこの会に参加するためにもう一人が来てくれました(本当は、都合よく仕事の出張があったから)。僕が昨年まで勤めていた会社の担当役員がこの展示会で、科学館の学芸員さんに資料提供等々イロイロとお手伝いをしたので、その成果を楽しみに行きました。勝手な評論=関西弁で辛辣な感想を大きな声で話しながら、一時間以上かけて真面目に見させて頂きました。面白かったです。

大阪から出てきたオッサン(=高校だけでなく大学も同じお友達なのです)は、まだ仕事は現役なのですが、なんと、この数年、僕と同じくピアノを習っていることが判明しました。ピアノの魅力を感じる人が沢山いるんやなあ、と嬉しくなりました。はたまた、お互いそれぞれにボケ防止の為かも。2014年1月29日が僕のピアノ記念日です。5年が経過して6年目にはいりました。

 

 

「牡蠣のネギ塩炒め」。隠れ家ではなくて神奈川の自宅で、珍しく僕が料理しました。隠れ家の台所ではナニをドコに置いてあるか、ほぼ完全に把握出来ているのですが、自宅の台所では勝手が違う。思わず「人の家の台所は使い難いわ」と言ったら、カミさんからエラく怒られました。スミマセン。

料理は意外と上手く出来たかと。牡蠣をよく洗って、片栗粉をサッとまぶして炒める。一旦取り出す。同じフライパンでネギを十分に炒めてから、牡蠣を戻しいれる。味付けは塩だけ。きょうの料理クックパッドを参考にして。2019年1月29日、料理と撮影。

 

 

 

ちょいと良い話、その2.

神奈川県大和市諏訪神社。カミさんの案内で今年の初詣に行きました。家から歩いて30分ほどの処にあります。由緒のある立派な神社ですが、恥ずかしながら今まで知りませんでした。近くにこんな落ち着いた神社があったことに驚きです。今年は地元を再訪しようかなあ、と思いました。2019年1月15日、二回目の訪問時に撮影。

 

 

1月中旬、予定通り新幹線「ぶらっとこだま」で神奈川に移動しました。こだま号も意外に混んでいるもんです。二人掛け席のお隣にお客さんがいて、やや窮屈な感じ。幸い、しばらくしたら途中の駅で下車してくれました。その後は誰も席に来ず。ゆったりと寛いで二席分を専有、「ホモ・デウス」に集中しました。名古屋から新横浜まで2時間半の旅。僕が集中して読書出来るのは一時間ほどですから、休憩を挟んでちょうど二回のインターバルを消化出来ることになります。オモロイ本を読んでいる時はあっという間に時間が経過してくれます。

 

 

新横浜からはJR横浜線に乗り換えます。15分程度の乗車時間ですが、続きを読みたいので、キャリーバッグの上に手さげカバンを乗せたものを片手で持って、もう片方で本を開いたまま。普段、移動の際は荷物は一つだけなのですが、この日はゴルフの衣類と若干のお土産がありキャリーバッグを使っていました。

幸いに横浜線はそれ程混雑はしていない。入口付近に立ち留まらず奥の方に。先に乗り込んだオニイチャンが空いている席に座ったので、その前に立って「ホモ・デウス」を開きました。読書を再開しようとした時、座ったばかりのオニイチャンが立ち上がり「どうぞ、お座りください」。

席を譲られる経験はほとんど無いので、多分、僕は怪訝な顔をしたのでしょう。睨んだわけでは無いと思いますが「なんやお前、俺はそんな年寄りやないで」てな顔をしていたのかと思います。咄嗟の事に素直な反応が出来ない1950年生まれのダメなところです。それでも、そのオニイチャンは大変に良く出来た方なのでしょう、嫌な顔一つすることなく、丁寧に「荷物が多いから大変だと思います。是非、お座りください」と僕の心の内を見透かしたが如く、配慮ある、説得力のあるコメントをして座席を譲ってくれました。今度は素直に”これは一本取られた。完敗”と受け止めて席に就かせて頂きました。お陰さまで「ホモ・デウス」も更に読み進むことが出来ました。

下車する時、まだ、近くに乗っていらっしゃったので、一言「ありがとう。助かりました」と声を掛けました。一瞬、驚いた様子でしたが、それでも「どういたしました。お気をつけて行ってください」とまたまた丁寧な挨拶を返してくれました。立場が逆であれば、僕はせいぜい「いえいえ、どうもどうも」とか、「どういたしまして」程度のボケっとした反応しか出来ていないであろうに。

年齢不詳の風貌。二十歳前後のような?でも、もう少し年はとっているのかも知れません。学生さんか社会人かも分かりません。センスの良いカジュアルな格好をしていました。とにかく、気持ちの良い真摯な対応と受け答えに痛く感心しました。久しぶりにホンワカと良い気持ちになって家に帰りました。 

 

 

もう一件。

翌日は、高校の同期会に参加しました。何度も書いている通り僕の高校は大阪のど真ん中にありますが、今回は、東京・神奈川在住の卒業生の集まりです。大阪からわざわざこの為に出てきている方もおられました。

地下鉄に乗って会場に。引き続き「ホモ・デウス」を離さず。立って読んでおりました。前の席には、西洋人のユダヤ系とも思えるオニイチャンが座っていました。「ホモ・デウス」の著者=ユヴァル・ノア・ハラリさんはイスラエル人です。本の表紙の裏には写真が載っています。TV番組で表情も声も馴染みになっています。この時点では、すでに上巻の半分以上は読んでおりました。相変わらずの鋭い切り口、圧倒的な知識量・情報量、それを基にした物語の展開力・描写力にワクワクしている時ですから、それらしき人を見ると全てハラリさんに見えてしまいます。

頁を繰るときに栞を落としてしまいました。ヒラリひらひらとハラリさんの顔を掠めて足元の床に着地。地下鉄はやや混んでおり、しゃがんで拾い上げるのは回りの方に迷惑になるかとそのままにしていました。床に落ちた栞、ほとんどゴミのようなものです。その時に、何とハラリさんが丁寧に拾い上げてくれました。爽やかな笑顔、流ちょうな日本語で「落ちましたね、ハイどうぞ」と返してくれました。思わず、こちらも、ニコっとして「ありがとうね」。何の衒いもない素直な目が印象的でした。お陰様で、その夜の同期会も楽しく過ごすことが出来ました。

 

自然体で親切にして頂くと大変に気持ちが良くなるものですね。”日本はやっぱ良い国やなあ”と思いつつ、最初に『ちょいと良い話』を書いたのを振り返ってみると、2016年10月16日のブログで紹介していました。まだ、ブログを書き始めてから余り時間が経っていない頃のことです。”おいおい、それ以降は「ちょいと良い話」は無かったのかよお”とも思いましたが、”いやいや、記載するタイミングが無かったからだ”と自分を納得させました。

 

 

「ホモ・デウス」上・下巻ともに、数日後、今度は新横浜から名古屋に向かう「ぶらっとこだま」で読了しました。ハラリさんの未来の考察は大変にショッキングな内容ですが、これは「予言ではなく可能性として捉えるべき」だとのご本人の言葉です。「現在の選択肢を考察」することで「私たちの選択が変わり、その結果、予測が外れたなら考察した甲斐があったというものだ」との観点から執筆されているとのことです。ご自分のモノの見方、考え方を分かりやすく読者に伝えようと努力されているのが、よく理解出来て好感を持ちます。

 

最近、読書する時には、オモロイと思う箇所には鉛筆で線を引いて読んでいますが、上・下巻ともに、結果的にはほぼ毎頁に沢山の線が引かれておりました。今の心境は、久しぶりに中身がむっちゃ濃い本を読み終えてお腹がいっぱいになった状態です。しばらくは余韻を楽しんで、この本の内容の消化に励むのがよさそうな、そんな気分に浸っております。当分は重たい本は遠慮して、肩の凝らない大好きな料理・食べ物の本を読んでのんびりしようかと。

  

 

親切な行い!、たまには『ちょいと良い話』に遭遇してホンワカと気持ちが良くなるような人と人に繋がり。ハラリさんの考察するバイオテクノロジーとコンピュータアルゴリズムの行きつく可能性の世界ではこういう気持ち、感情というのは一体どうなっているのでしょうねえ。ハラリさんも今の子供たちが大きくなった時のことをイロイロと心配してましたが、僕も改めてアレヤコレヤ考えさせられています。

一方で、相変わらず電車の中でスマホをいじくっている人の何と多いこと。座っている人の8-9割、立っている人でも半分以上でしょうね。すでに慣れっこの風景とは言え、ハラリさんの本を読んだ後では、尚更、気持ち良くない。僕は意地でも本を読み続くてやるぞ、と思っています。

 

 

前回の『ちょいと良い話』、2016年のことなのですが、フランス人形のような女の子はもう大きくなってるだろうなあ。そう言えば、最近、パン屋さんには行っていない。明日、時間があれば行ってみようかと思います。

『ホモ・デウス』は自分の中でうまく消化出来れば、改めて、紹介したいと思っています。それにしてもハラリさん。歴史学者として、過去から現在、そして未来に対する考察までやってしまって、これから後、世に問うテーマは一体何が残されているのでしょうか。楽しみでありますが、もし、著述される時には、読むのが怖いような気もしてしまいます。

 

 

同じく大和市の深見城跡。遊歩道としては余り整備されてはいませんが、その分、この辺り一帯はまだ自然が残っています。このお城の北東方面は境川からの急な斜面に遮られて天然の要塞であった由。近くに東名高速道路が走っているのが信じられないほどの静けさ。家から大周りすると往復で1.5から2時間歩くことになります。

 

 

 

おまけ; 隠れ家にて一人料理。家に置いてあった「オレンジページ」を参考にして。メインは白菜なのです。白菜を細切りにして塩に漬ける。牛肉と一緒にオイスターソース・タレで20分ほど煮てトロトロ状態に。その後、細く切ったピーマン、人参を加えて更に数分煮たら出来上がり。現物はもう少し赤と緑がキレイだったのに!、残念。ヌル燗の酒にも合います。2019年1月18日、料理と撮影。

 

『サピエンス全史』

『サピエンス全史---文明の構造と人類の幸福』。原書のタイトルは「Sapiens---A brief history of Humankind」。さり気無い表現でクールですね。2019年1月10日撮影。(今、気づきましたが、下巻の帯に書いてある池上彰氏、白熱対談!というのが再放送されたのですかね)。

 

 

『サピエンス全史』 を再読しました。キッカケはまたまたNHKの番組に刺激を受けたからです。最近、僕はNHKにはかなり刺激を頂いているように思っています。チャンと料金を支払いしていますので何も後ろめたさは無いのですが、ニュース番組はやや食い足りないものの、特集番組とかドキュメンタリー番組とかは値打ちがあると評価しています。

 

年末年始は今年もゆっくりとのんびりと過ごしました。年末に家族全員集合の食事会、夫婦二人だけの大晦日とお正月、親戚との賀詞。コスパの大変に良い定例行事です。この期間は全く自堕落に過ごします。僕の頭はそのように刷り込まれているようで、ついつい動くのが億劫になりボケっとテレビを見る機会が多くなります。大晦日紅白歌合戦、良いですねえ。この二年ほど、内容が充実していると思います。今回は、サザンとユーミンが圧巻でした。チコちゃん、表情に変化なかったのが残念。箱根駅伝、新年のスポーツはグッドです。次女家族が鶴見中継所で東海大を応援していました。食べて飲んで、お陰様で本年も素直に体重アップしてしまいました。

 

週末は、名古屋の隠れ家に移り、名古屋のお友達との新春ゴルフを楽しみました。所謂、初打ちです。その後、日曜日からの三日間は一切予定無し。体調管理(体重調整)を主眼に、散歩、ウオーキング、読書、料理、音楽を楽しみたいなあ、と。反省を込めて、少しは食事を節制しようかと?。 

 

 

ノンビリ日曜日、まだ、正月気分が抜けきらない状態でお昼からお酒を頂いてテレビを見ていました(注釈;普段は原則アルコールは夜しか飲ンでいません、念のため)。

 NHKBS放送で、「『衝撃の書』が語る人類の未来(再放送)、「サピエンス全史」、「ホモ・デウス」」が放送されていました。前編は午後の一時から、後編は二時から。テレビを見ながら自慢の本棚に飾ってあったこの本を取り出しました。

 

 

『サピエンス全史---文明の構造と人類の幸福』は、上下巻ともに、2016年9月30日に初版が発行されています。僕が買ったのは、上巻、2017年2月2日、第14刷。下巻、同年1月25日、第6刷。出版と同時にベストセラーになっていたと思います。2017年の2月初めに買ったモノと思います。買ってすぐに読みました。とにかく面白かった。

 

「何故、人類が生き残り、繁栄できたのか?!」。著者は「認知革命」「農業革命」「科学革命」が歴史の道筋を決めた!と指摘しています。食料・食品の仕事に従事してきて、かつ、料理大好き人間の僕としては、いきなり「調理をする動物」「火を手なずけたこと」の記述が出てきてワクワク・ドキドキしたことをよく覚えていました。また「農業革命」が格差の始まりであったとの見方は大変な驚きでした。種の繁栄を”DNAの数の増加”という観点から眺めると「小麦が人間を家畜化した!」という見方にも驚かされたものです。

 

「認知革命」というのは最近の言い方をすれば「モノガタリ」能力ということになるのでしょう。「虚構が協力を可能にした」、これも以前から指摘されていたことではあると思うものの、ここまで鮮やかな記述はなかったのではと感心します。テレビでは、もっと過激なお話でした。著者は日本の修行僧を思わせる風貌です。インタビュアーの池上彰さんの巧みなリードもあるのでしょう。「”天地創造”はハリー・ポッターのお話と同じ。虚構である。”神”はポケモンと同じ、実際には存在しない!」と。この人、原理主義的過激派から狙われたりしないのかと心配になります。

 

 

『サピエンス全史』の続編で、『ホモ・デウス』上下巻が出版されていることは知っていましたが、柳の下の二番煎じ、かと感じて買うことは控えておりました。でも、改めて、このテレビ番組をみて『サピエンス全史』を再読すると、この著者が言いたいのはこの二番目の本に書かれていることなのかしらと思うようになりました。

『サピエンス全史』の一番最初、第一章の第一頁に「科学革命は歴史に終止符を打ち、何か全く異なる展開を引き起こす可能性が十分ある」と何やら暗示的な記載がされています。

 

 

著者、ユヴァル・ノア・ハラリさんは、1976年生まれのイスラエル歴史学者。バイオテクノロジーとAIの進化をベースにした次元の異なる次の革命の可能性を想定しているようです。テレビのインタビューでは真剣な表情で「人類は神になろうとしている。これは比喩では無い」とのコメントをしていました。「人間の頭脳には、知能と意識、がある。知能は問題解決に、意識は喜怒哀楽、感じること。人間は両方を補い合うが、AIは知能のみ。問題解決には最適であるが、意識=感情、主観は無い」。また「テクノロジーの進歩は人間の手に負えないモノになる」とも。インタビュアから「それでは、これから人類はどうしていけばよいのか?」との質問には「自分を知ること。人間力を鍛えること。テクノロジーを追うだけではなく現状に満足する方法を考えること」等々、すごく平板なコメントです。「人間は『幸福』になったのか?この本でそれを問いかけている」とのコメントが印象的でした。このオニイチャンの頭の中では、一体全体、人類の世界がどんな風に見えているのか覗いてみたくなります。

 

 

本屋さんをブラブラしていたら、やはり、この本に出会いました。『ホモ・デウス---テクノロジーとサピエンスの未来』。上下巻ともに2018年9月30日、第一刷。本屋さんに置いてあったのは、上巻は2018年10月2日、第二刷。下巻が2018年10月4日、第四刷。何故、下巻の刷が早いのか不可解ですが、買いました。

 

 『ホモ・デウス---テクノロジーとサピエンスの未来』。これも原書のタイトルはシンプルに「HOMO DEUS---A brief history of tomorrow」です。2019年1月10日撮影。

 

明日は神奈川に移動します。今回は「ぶらっとこだま」を初めて利用します。利用する際の制約が多く時間は「のぞみ」に比較すると倍近くかかりますが、割安料金なので読書を楽しむには有難いサービスかと。『ホモ・デウス』を読むのが楽しみです。

 

一月上旬の体重調整は上手くいかず、中旬以降に持ち越しとなりました。

本年も宜しくお付き合いくださいませ。

今回で100回目になりました。

 

  

追記;兼高かおるさんがご逝去されたことが報じられていました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

おまけ:久しぶりに「タジン鍋」料理。かぼちゃ、玉ねぎ、にんじん、ピーマンを炒めて、酒を加えて蒸し焼きに。櫛が通るくらいになったら、ソーセージを加える。柔らかくなったら溶けるシーズとケッチャプをかけて。ワインに合います。2019年1月9日、料理と撮影。

平成最後の・・・

大阪・御堂筋、本町の交差点辺り。東京・原宿にも負けず、ビューテイフルでした。高校の同級生と二人で忘年会を楽しみました。2018年12月21日、撮影。

 

 

 

年末が近づくにつれ、「平成最後のナントカ」という言葉が目に着くようになりました。平成最後の冬、平成最後の天皇誕生日、平成最後のクリスマス・・等々。今の天皇陛下のご退位が2019年4月30日、皇太子さんの即位が同年5月1日とすることが、昨年末、天皇陛下のご意向を受けて閣議決定されていますから、本年の5月以降の出来事は全て「平成最後のナントカ」に相当しています。

 

平成最後の大納会日経平均は20,014円と辛うじて二万円台を維持。平成元年=1989年末が史上最高値の38,915円で、その後1990年以降は下落に転じました。平成の最初の20年間はバブル崩壊の「失われた20年」と言われたものです。平成21年=2009年3月にはバブル後の最安値7,054円を着け、その後、ナンだカンだありましたが、なんとか”半値戻し”で平成最後の大納会を終えたことになります。

 

何回も記載している通り、僕も仕事生活を本年6月で卒業しました。改めて「平成」の時代を自分史的に振り返ってみると、平成元年=1989年=39歳で怖いモン知らずの時から、平成30年=2018年=68歳で無事に仕事生活を卒業するまで、それなりに波乱万丈の30年間であったなあ、と感慨深いモノがあります。昭和生まれの三人の子供たちも平成の時代にチャンと30歳年を取り(当たり前や)、それぞれ結婚して子供(僕の孫)にも恵まれました。有難いことです。とにかく健康と安全を祈りたいです。天皇陛下の挨拶にも「とにかく(日本では)戦争の無い時代=平成であったことがよかった」てな主旨の言葉があったと思いますが、その通りだと思います。

 

少なくとも「明治」以降「生前退位」は初めてのことだそうです。「昭和」が終わったのは、昭和64年=1989年の新年早々1月7日に天皇陛下がご崩御された日。即日、新元号に関する会議が招集され「平成」と決定。翌1989年1月8日から「平成」がスタートした訳ですから、その前年(1988年=昭和63年)末に”これが昭和最後の年末だ”と確定していた訳ではありません。天皇陛下のご容態が良くないとの話で、なにかにつけて自粛ムードが広がっていたことはよーく覚えていますが・・。

 

日本人と元号の間合いというのは人によって立場によってイロイロと異なるとは思いますが、一つの区切りと認識して、特に生前退位等により年末にその時代を振り返りながら新しい時代に思いを馳せる。年末の過ごし方としては、結構意義があるのかも知れないなあと感じております。

 

 

来年、新しい年号になって、その翌年2020年には東京オリンピックパラリンピック。それから2025年には大阪万博の開催も決定しました。僕の高校の同級生の大多数は大阪生まれの大阪育ちですから、同期会の近況報告には「少なくとも2025年まで生きる目標が出来た!」と開催決定を喜んでいる書き込みが見られます。1970年の大阪万博の時はナント20歳、2025年=75歳で二回目の大阪万博を元気に観ることが出来れば、これは”あっ晴れ!目出度い!”。僕も、今から楽しみです。

 

一方、以前『愛・地球博公園⇒「ジブリパーク」に』(2017/6/24を参照下さい)で記載した通り、愛知では、2005年の愛・地球博の理念を継承して、愛・地球博公園200ヘクタールに、宮崎俊監督の「となりのトトロ」の世界を再現する計画が発表されています。こちらは2020年代初めの早い時期にオープン予定。

このブログに、”僕は(開催の申請をしている)大阪万博よりもジブリパークを応援したいと考えています”と書きました。ジブリパークを応援したいという考え方に変わりはありませんが、開催決定したからには大阪万博も是非頑張って欲しいですね(お金の遣り繰りがどうしても心配でしょうがないのですが)。やはり大阪生まれの血が騒ぎます。

 

更に、2027年には、リニア中央新幹線=品川ー名古屋間・40分!が開業される予定です。はい、その時には77歳になっています。尤も、こちらの方は移動時間の短縮が最大の狙いでしょうから、最近の僕にとってはどれだけ有用なものと思えるか疑問ですが。移動中の読書の時間は奪われたくないなあ。今は、逆に在来線で時間をかけての旅行に関心を強くしています。とにかく、日野原さんが言ってらっしゃったように”先の予定を楽しみにする”というのは良いことですよねえ。

 

 

仕事生活「卒業」から半年、神奈川・名古屋の半々生活は予想以上に快適に続けております。それなりに充実した「日々、新しい生活」を出来ているのかなと。この生活パターンを選んだのはイロイロと理由があるのですが、いままで記載していないことがあります。これも大きなファクターであるので、平成最後の年末のブログに書いてしまいます。

ピアノのレッスンを名古屋で受けています。原則、週に一回。一回は一時間。新年1月で5年目に入ります。毎年1月29日が僕のピアノ記念日。それまで鍵盤に触れたこともほとんど無い全くの素人のレベルからスタートしました。よちよち歩きのピアニスト(と言えるかどうか)。でも、料理と同じくらい楽しんでやっています。ピアノ、音楽で新しい世界が広がったようにも。ピアノのことは、また、新年になってから、改めて書きたいと思っています。

 

 

今夜は、平成最後の紅白歌合戦。今年の流行語大賞は僕の一押しの『そだねー』でしたが(これも『平昌オリンピック』2018/2/28をご参照下さい)、トップテンには「チコちゃんに叱られる!」の「ボーっと生きてんじゃねーよ!」も入っていました。面白い番組。ネットの噂では紅白の司会にチコちゃんが登場するとか。フェイクだと言われているそうですが、僕は出てくるものと思っています。最近のNHKは結構アドリブが好きだから(先ほど、新聞のTV欄を見たら「チコちゃん岡村も登場」と書いてありました)。

その時の興味は、あのチコちゃんの表情を舞台=リアルの場でどう表現するのか?テレビの番組でのあのチコちゃんの生き生きとした表情はCG技術の賜物だと信じておりますが、生放送の舞台ではどういう技を駆使して表情を表現するのでしょうねえ。大変に楽しみにしております。

 

 

今年も一年お付き合い頂きありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

 

名古屋市千種区平和公園。僕の散歩道。気に入っているスポットです。大回りすると一周、歩いて一時間以上かかります。平成年末最後の散策でした。2018年12月22日、撮影。

 

 

おまけ:「小雪鍋」オリジナル二回目。前回の材料に、小松菜,油揚げを加え、へベスのポン酢で頂きました。この鍋は失敗知らず。平成年末最後の隠れ家での料理でした。日本酒が美味い。2018年12月22日、料理と撮影。

 

 

蒼太の包丁

東京、原宿から表参道にかけての交差点。久しぶりに大都会のクリスマスシーズンの景色を見て。「やはり東京は豪華絢爛やなあ」と感じ入りました。この近くの蕎麦屋さんで以前の会社の仲間と楽しく忘年会をしました。2018年12月12日。

 

 

「蒼太の包丁、銀座・板前修行日記」、全41巻を読破しました。と言ってもそれ程自慢することではないのですが。僕としては一気に読まず、じっくりと味わいながら読み終えた面白さです。『知の巨人vs全41巻』(本年9月10日付けのブログを参照ください)で紹介した通り、僕の長女のダンナが僕の誕生日祝いに名古屋の隠れ家に全巻揃えて送り届けてくれました。

 

副題に「板前修行日記」とある通り板前になる蒼太くんの修行物語です。下町の人情味溢れる人々との触れ合いを通じて、蒼太くんが成長していく姿を折々のお料理の紹介も含めて描かれています。ストーリーと料理を一緒に楽しめるのが面白い。

 

料理人、特に日本料理の料理人さんというのは世に言う料理研究家とは全く違う人種なんだなあと改めて納得します。「修行」というのはイロイロな世界、特に職人さんの世界では当たり前のことなのでしょうが、もはや死語になっている分野もありそうかと。一方では、その道を極めるためにわざわざ辛い修行を重ねる若者も出てきているようにも。報道されるのは、それだけ少数だから取り上げられるのでしょうね。自分自身は何年も修行を重ねるのは不得意なタイプだと思ってますが、自分では出来ないだろうと思うから余計に頑張って修行している人は応援したくなりますね。

 

この連載は終盤になると物語がイロイロなところで急展開していくのですが、その一つにまだ一人前の板前でない=修業中の三人組が大衆向けの料理屋に挑戦したい、転向したい、というクダリが出てきます。修行に耐えられない、修行が嫌になったという意味では全くなく、お客さんとフェイスtoフェイフで接することが出来て、お客さんの喜ぶ顔を目の当たりに出来る嬉しさを実現したいという前向きな意味での転向なのですが、僕としては、やはり修行を完遂してから次の展開に向かってほしいなあ、と感じてしまいます。これも年のせいですかね。どうも親父目線でモノを見てしまうのかも。

 

さらに物語では蒼太くん本人を取り巻く環境にも大きな変化が起こってきます。最終章ではそれなりの結末となって終わっているのですが、なんとかく尻切れトンボとも感じる終わり方。やや釈然としないので、僕よりもこの漫画に精通している長女のダンナと真剣に意見交換をしました。”どうも続編があるらしい。既に発売されているかも。そして、続編で、もう少しスッキリした終わり方、全てハッピーエンドの終わり方に繋がっていくのではなかろうか”との見方。さすがに読みが深い。気になったので調べてみると、この連載が終了したのは掲載されていた雑誌そのものが廃刊になったためとか。とにかく一旦連載を打ち切らざるを得なくなったということらしい。そう理解して最終41巻の巻末挨拶を読むと原作者、漫画家のお二人とも「じつは本当の物語はこれからだったりします」とか「わたしのなかでは”蒼太の包丁”はまだ終わっておりません」とかモロに後ろ髪を引かれているようなコメントが記載されていました。人気漫画も雑誌経営との兼ね合いで大変な影響を受けるモノなんですねえ。

 

 

蒼太くんの下宿先の隣に、おばあちゃんが一人でやっている大衆居酒屋があります。立ち飲みのお店、千円でベロベロになるほど飲める安い店=センベロというそうです。蒼太君の弟子=まだ「追い回し」クラス、そして前述の三人組が休日を利用してこの居酒屋のお手伝いをします。普段は本格的な日本料理店で働いている料理人(の見習い)ですから、普段は出来ない大衆料理を工夫する場面が出てきます。イカの煮つけ缶詰めを使ったツマミとか、オニオンスライスの作り方と各種のタレとか。超簡単な立ち飲み居酒屋料理でも料理人のひと手間が加わると次元の違う料理になる。ひと手間の大切さ。面白いですねえ。嬉しいですねえ。

 

 物語は、東京オリンピックに向かって続いていくそうです。いつの日か蒼太くんとその仲間たち全員がハッピーな姿で本当の完結を迎えることを祈りたいと思います。2025年・大阪万博も決まりましたから、そこまで続くかもしれませんね。

 

 

話が変わりますが、「知の巨人vs全41巻」の「知の巨人」というのは小林秀雄さんのことですが、彼の「考えるヒント」には続編が出ており「考えるヒント2」「考えるヒント3」も買ってしまいました。「考えるヒント2」の最初の章は「忠臣蔵」をテーマにした考察で、これはかつて確かに読んだことがあるような微かな記憶が蘇りました。この小林秀雄の切り口は面白い。

この考察には全く関係ないのですが、赤穂浪士が討ち入りしたのは12月14日です。そして、この日は次女の誕生日なのです。大発見したように思ったのでラインで家族のみんなにその旨を発信しました。

瞬時に「今頃何を言っておるの」「前からミンナ知っておるよ」と優しくも棘のある反応が返ってきました。そう云われてみると確かに次女が生れて直ぐに、そのようなことを話題にしたことがあったような。ボケかな。チコちゃんにどなられそうや、こわっ。

 

もう一つ大発見がありますので、めげずに記載しますが、「小林秀雄」の名前と長女のダンナの名前は一字違いだということに気付きました。小〇秀雄、×林秀雄、小林秀△、小林□雄。〇、✖、△、□の一つだけに一文字いれて正解を当てられた方には「今年の一皿」のサバ缶を一個プレゼントします。

  

 

2018年度の「今年の一皿」は「鯖」と発表されました。これはぐるなび総研が「人々の共通の遺産として残すために、その年の世相を反映、象徴する食」を選んでいるものだそうです。「サバ缶」が注目されたことが選定の理由。災害に見舞われた一年、防災意識の高まり=「缶詰め」等の非常食の再評価。および、青魚に含まれる必須脂肪酸EPA,DHA人気を反映したもの。

今年は青魚に凝っていましたので、早速にやってみました。世相を反映してサバ缶料理のレシピが沢山掲載されてましたので適宜参考にさせて頂いて。小松菜、それからやはり”しょうが”ポイントだと思います。青魚の臭みが気にならなくなります。結構見栄え良く出来た(と自己満足)。2018年12月11日、料理と撮影。

ちなみに2017年の今年の一皿は「鳥むね肉料理」、2016年は「パクチー料理」、2015年は「おにぎらず」。なるほどねえ、と納得です。

 

富士山に白雪。晴れた日にお目にかかると何回見てもいいもんですねえ。それにしても最近のスマホの写真の性能の良いこと。「私にも写せます」という古ーいCMがありましたが、嬉しい限りです。2018年12月17日、撮影。

 

直島

直島・宮浦港に展示されている「赤かぼちゃ」草間彌生さんの作品。かぼちゃというよりもてんとう虫のお化けか仮面ライダーの怪物のように思えますが、見ていて全く飽きない、印象に残る作品です。つつじ荘の方には同じく草間さんの作品「南瓜」が展示されています。こちらは渋い黄金のナンキンです。2018年12月4日撮影。

 

 

直島に行って来ました。瀬戸内の「アートの島」です。安藤忠雄(のオッサン)さんがマスタープランを作成して、美術館を設計したことで有名なところです。安藤のオッサンの大フアンで本の目利きの師匠から以前に紹介されたことが頭に残っておりました。今回、カミさんと二人で宮崎・日向・博多・長崎を訪問する機会がありましたので、その帰路、思い切って直島に立ち寄ることにしました。

 

 

博多から新幹線で岡山に。ローカル線を乗り継いで宇野駅、5-6分歩いて宇野港に。それからフェリーに乗って。それぞれ乗り継ぎの待ち時間があるので岡山から直島には約二時間ほどかかりました。外国人の多いこと。それも欧米人風の、年配の方も、若い世代も。どことなくアートの気配を漂わせているカッコよい人たちが多数いました。もちろん、近隣の韓国、中国、台湾の方も沢山。ハイ・シーズンでは無いので空いていたと思いますが、それでも結構な人数の訪問客です。その半分以上が外国人。

 

直島は岡山県からの方が場所的に近いですが、所在は香川県です。香川県香川郡直島町。島の南側がアートの地域。町長さんと地元地域出身の実業家の方が協力して1989年ごろから安藤のオッサンのマスタープランに沿って「人と文化を育てる」島作りを目指した由です。

 

 

宮浦港に近い旅館を予約しました。博多を早く出たので、昼前には旅館に到着。荷物を預けられれば良いと思っていましたが、案内のお兄ちゃんが親切な人で”部屋は空いていますから”と快く中に入れてくれたので軽く休憩することが出来ました。島の地図をもう一度確認して、早速、島巡りに。運良く一日一本だけの「地中美術館」行きのバスに間に合いました。一番のお目当ての美術館に直行。

 

地中美術館の入口手前の歩道沿いの景色。美術館に展示されているモネの作品を期待させてくれます。美術館では入口のゲートを一歩入ったところから撮影は一切禁止。館内にあるカフェでも撮影禁止。徹底されています。

 

展示されているのは、クロード・モネ、ウオルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの作品と安藤忠雄設計の建築。これだけです。これらが”恒久設置”されています。作品と建築が一体となった美術館です。今から行かれる方のために詳細は記載しません。これだけの美術館ですが、素晴らしいの一言。僕はタレルの空間に度肝を抜かれました。カフェのサンドイッチも美味しかったです。

 

 

直島の南部を時計の文字盤に置き換えると宮浦港は10時くらいのところにあります。7時くらいのところに地中美術館を初めとする美術館、5時くらいのところにつつじ荘のバス停、1時くらいのところが本村エリア=家プロジェクト。普通は宮浦港からは時計回りにバスが運行しているのですが、この一日一回の便は逆時計回りに地中美術館に直行してくれます。地中美術館の後、近くの李兎換(Lee Ufan、カンは火偏です)美術館まで歩いて行きました。その後、つつじ荘のバス停からバスで移動するつもりでしたが、待ち時間が30分ほどあり。曇り空で雨の気配もあるものの旅館で借りた傘もあり、過去数日間の食べ過ぎ・飲み過ぎを少しでも解消させようとノンビリとバス路線に沿って歩いて行きました。

 

本村エリアには焼杉の黒い外壁の家が沢山残っています。風情ある街並みです。街の景観を損なわない様に配慮しての「家プロジェクト」。この写真のお題は「角屋」。この家のほかに5-6か所の作品があります。お題「南寺」はまたまた安藤のオッサンとタレルさんの作品でした。この空間にも感心させられました。面白い!。別途、「ANDO MUSEUM」もあります。オッサンさんの作品が紹介されています。”何回見ても、このオッサンのスケッチ、デッサンの線はホンマにきれいやわ。なんであの顔からこんなにキレイな線が出てくるのやろ”と不思議に思います。

 

 

本村エリアのバス停=役場前で休憩、この町役場がまたまたレトロな建物。これも家プロジェクトかと思うほどですが、これは本物。中ではちゃんと皆さんお仕事をされていました。島を紹介・展示するコーナーがあり。金の採掘、銅の精錬所等々が説明されていました。漁業とアートの島かと思っていたので、やや驚きました。

 

結局、バスの時間が中途半端なので、歩いて宮浦港の旅館に戻りました。これで島の南部地域のオヨソ3/4を歩いたことになります。歩いた時間は延べ1時間45分ほど。旅館のお風呂で汗を流してから夕食に。鯛のお頭付きの活き作りをそれぞれに出してくれました。お腹も空いていたので沢山出されたお料理を夫婦共に完食。”このお値段でこの料理は嬉しいなあ”。到着時の親切なお兄ちゃんがこの宿の若旦那でした。お客の接待から、料理、片付けまでほぼ一人でやっている由。”料理人を目指していたがこの旅館の跡を継ぐことになった。古い、設備の悪い旅館なので、せめて料理で喜んで貰おうと努力している”とのことでした。爽やかな好青年。美味しかったです。これからも頑張ってください。

 

旅館の食堂の壁に李美術館のLee Ufanさんの直筆がさり気無く掛けてありました。Leeさんもここに泊ったのか、食事に立ち寄っただけなのか聞けず終いでした。美術館にはこの絵のタッチのような彫刻、置物、絵が屋外、屋内に展示されています。

 

 

翌朝はのんびりと島を後にしました。フェリーから島を見ていると中部を過ぎて北部の辺りになると山のなかの煙突から白い煙が棚引いていました。土砂か鉱物かを貨物船に積み込んでいるところも。家に帰ってから島の歴史を調べてみると、土壌は農業には適さないところで漁業以外の産業もなく貧困で人口減少に悩まれていた由。「アートの島」を目指された先達の皆さんのご苦労を知りました。

 

 

(オマケ)に、例によって料理の写真、今回は、小雪鍋・part-II=「牡蠣の小雪鍋」を載せようと思ったのですが・・・撮影に失敗。湯気のためボヤケてしまいました。鍋は美味しかったです。今回は直島訪問記でした。