クルルのおじさん 料理を楽しむ

4月からの生活、その2.

 蓬莱寺山の登り口。ここから延々と石畳の階段が続きます。1,400段強。行きはヨイヨイ、帰りは怖い。下山時は、膝がガクガクしておりました。急に気温が低下した日で、風が強かったこともあり山歩きしている間ずっと寒い位でした。2019年3月23日、撮影。

 

 

3月23日、土曜日に山歩きに行きました。奥三河にある蓬莱寺山。鳳来寺本堂、鳳来寺東照宮、等々見どころがたくさんある700m弱程度の山です。昔の会社の仲間と。ほぼ同年配の三人組です。そのうちの一人が少し前から、造園業者(植木屋さん)に再就職していました。趣味と実益を兼ねてのお仕事。僕と同じくゴルフとお酒大好き人間なので小遣い稼ぎには結構よい仕事の由。もともとはエンジニアさん。その経験を生かして仕事を探した方が、条件的には有利な仕事があったはずだと思うのですが、彼としては”全く新しい分野に挑戦してみたかった”と。もともと好きだった庭イジリに磨きをかける為、それ以前に約半年ほど植木・剪定の講習を受講した上で、勤め先を紹介してもらったそうです。アッパレな心構えだと思います。

 

彼は僕よりは少しは若いものの既に60代中後半。勤め先は、親方と息子の二人でやっている造園業者で、親方さんはたたき上げの職人さん。年寄りの新入りに対して、全く容赦なし。初日からかなりのハードワークを与えられた由。週に3-4日の勤務ながら、当初はぐったりと疲れ果て、帰宅後、食欲もない状態であったとか。

 

仕事姿の写真を見せてくれました。もともと彼は、見ようによってはその筋の人のようにも見える痩身、精悍な顔立ち、短髪=ほぼ坊主頭です。法被姿はもう何十年ンも植木屋さんをやっている剪定のプロのようにも見受けられました。その日は、立派な一本のヒバの木を任され、一日がかりで仕上げた由。仕立て方は、僕たち仲間が見る限りでは立派なもの。「大したもんや」と絶賛したところ、親方も褒めてくれたのであるが一本の木を仕上げるのに親方は1時間程度でやってしまう。”そんなボンボンみたいな仕事してたら金は貰えへんで”と(実際には三河弁で)扱き下ろされたとか。やはり職人さんの世界は厳しい。

 

最初の親方のシゴキ方がよかったのか、最近は、親方とのコンビにも慣れてきて、リズムよく仕事が出来るようになった。親方も”結構、スジがよさそうだ”と褒めてくれるとか。今では、家に帰って、カミさんと一緒に楽しく美味しく食事と晩酌を頂けるようになったそうです。そう言えば、山歩きしている足取りも軽快そのものでありました。 

 

 

 「仏法僧 仏法僧となく鳥の 声をまねつつ 飲める酒かも」若山牧水

鳳来寺山は”ブッポーソウ、ブッポーソウ”と鳴く(と言われる)コノハズクが棲息しているので有名です。山全体が国の名勝・天然記念物に指定されている由。牧水は、僕の大好きな日向市(昔の臼杵郡東郷町)出身で、お酒大好き歌人です。下山途中の道端に刻まれていました。同じく2019年3月23日、撮影。

 

 

 

孫育てでは全くの戦力外の僕は、4月から週二回ほど、ある会社の顧問としてお勤めを再開することにしました。4月1日、月曜日に初出勤。その会社の全社集会に顔を出しました。新年度を向かえて、会長さん、社長さんからの示達があり、昇格・昇進の辞令交付式、新入社員紹介と挨拶、その後に、受け入れ出向者の挨拶がありました。最後のオマケで、年寄り顧問(僕のことです)まで紹介していただき、更に挨拶する時間まで頂きました。”新入りの立場で挨拶するのは勝手が違うなあ”と思っているところに、ツッコミを入れるのが大好きな会長さんが、この日も、待っていたとばかりに適度な茶々を入れてくれたので、挨拶の前に、二人で掛け合い漫才をしているようになってしまいました。「少なくとも皆さんの仕事の邪魔をせずに、この会社がもっと良い会社になるよう尽力したい。明るく楽しく挨拶を交わせれば嬉しい」等々、結構、真面目に挨拶をしたと思っているのですが・・・?。

  

自分の席について、事務的な説明を受けてから会社の社員食堂で昼食。丁度、新元号の発表がされようとしている時でした。「令和」(レイワ)。発表される直前の雑談の中で、僕は大きい声で「少なくとも”和”という字は入ると思う」なんてことをお喋りしていたのですが、どんぴしゃりだったので、皆さん、びっくりしていました。僕のココロは、この会社の社名の一文字に「和」が入っているので、盛り上げようと思って「和」を紹介したものでした。全くの偶然、僕に霊感はありません。

久しぶりに会社の事務所で過ごす一日。9か月ぶりのことになりますが、長年の会社勤めが体に染みついているのか、ネクタイを締めての通勤を含めて、結構、心地よく楽しむことが出来た一日となりました。

 

 

 

そして、本日。4月10日は、鯱城学園の入学式です。こちらは、本当の新入生。文字通り、ピカピカの一年生。とは言うものの周りを見渡すと、僕は年少組であろうかと思うほど。故日野原さんもビックリされるでありましょう。元気なおじいさん、おばあさんがたくさんいらっしゃいました。3月の説明会の時に、僕が”年寄り大学”と言ったら、係の人から「xxさん、”年寄り大学”ではありません。そして”年寄り”という言葉はダメです。皆さん、元気に勉強したいと思っているのです」と注意されました。”なるほど、そりゃそうだろう。「おばあちゃんとは言わせない」に通じるところがありそうだ”と納得して反省しました。

 

正式な名称は「名古屋市高年大学鯱城学園」と言います。設立の趣旨は「高齢者の生きがいづくりと地域活動の核となる人材の養成を目的として」。今回が「第34回入学式」。学長は名古屋市長さんです。ご本人自らが式に出席され得意の名古屋弁を駆使して予定時間を上回っての学長挨拶をされました。今年は602名が入学したそうです。ご来賓の挨拶では「平成最後の入学式、令和最初の新入生」とエールを贈られていました。きっと、あちこちの入学式、入社式で使われているフレーズなのでしょうね。

 

 

入学式風景です。伏見ライフプラザビルの5階から9階までが学園施設。5階の鯱城ホール=600人以上収容出来る立派なホールでの入学式です。「入学者誓いのことば」を代表の方が述べられているところ。この学園の設立の趣旨を踏まえての立派なご挨拶でした。 後ろから頭を撮ってしまうとやはり”高年大学”という印象を強くしてしまいますね(新入生のみなさま方、失礼しました、スミマセン)。2019年4月10日、撮影。

 

 

僕の選んだ専門講座は、ナント、「園芸」なのです。僕は鉢植えの観葉植物を育てたり楽しんだりするのは好きなのですが、畑仕事の経験は皆無。野菜を育てたことも無し。庭の手入れもちゃんとやったことはありません。気が向いたときだけハサミを入れたりしますが、切ったら切りっぱなし、一番タチが悪い作業ぶりだったと反省しております。

 

この講座では、座学だけではなく学園が提携している専用の農園、畑で実習が出来るようになっていて、屋外での活動がメインになるようです。野菜作りもあれば、樹木の剪定ももちろん有り。そして、この講座では、チームで作業をするので、自分が都合悪く世話を出来ない時でもクラスメートがカバーしてくれる。チームで助け合って秋の収穫を向かえることが出来るとのことです。説明会で「自分で育て、自分で収穫した野菜を味わうことが出来ます。格別な味がしますよ」とのお話を聞き素直に胸を弾ませているところです。

 

樹木の剪定も授業に入っています。今から、二年で、どれだけの技を身に着けることが出来るものか。冒頭の造園業者に勤める彼とは、技量の差は歴然だろうなあ。あちらは給料もらって仕事するプロ、こちらは授業料払って勉強するアマ。これから二年間でその差は更に拡大するのでしょうね。二年の後、彼の足元くらいに追い付いていれば嬉しいのですがねえ。

 

オマケ;名古屋で一番旨い焼き鳥屋さん。錦三のやや外れにあります。細い路地の奥、カウンター席のみ。詰め込まれても10人チョットしか入れない広さ(狭さ)。親父さんの焼き加減はこれぞ職人ワザ、とにかく旨い。僕は、最近、職人ワザに関心が高いのです。この店の常連で、わざわざ知多半島の先から定期的に食べに来ている方にこの日もすっかりご馳走になってしまいました。感謝です。2019年4月10日、撮影。

 

庖丁を研ぐ

 おじさんに研いで頂いて、生まれ変わった庖丁です。小出刃と柳刃。本文をご参照ください。2019年3月26日、撮影。

 

 

このブログで庖丁のことは何回も書いていますが、2018年8月20日付けの『京都、送り火』で一大決心をして「有次」の庖丁を買ったことを記載しました。昔から親しくお付き合いしている方がそれを読んでくれて、”使っていない庖丁がある。立派なものだから使ってもらえるなら譲ってあげる”と本当に立派な庖丁を頂戴したのです。出刃、小出刃、柳刃(刺身)、薄刃(野菜)の四本セット。鞘がついていて銘が刻まれている由緒ありげな庖丁です。ただし、かなり長い間、手入れされていないのでサビが出ており、また、若干ながら刃こぼれがある状態でした。僕は自分で包丁を研ぐワザを持っていないので、使ってみたいと思いつつも、そのまま神奈川の自宅でお蔵入りとなっていました。

 

 

名古屋の隠れ家から最寄りの駅に出る途中に昔ながらのタバコ屋さんがあるのですが、二ヵ月ほど前のある日、そのタバコ屋さんの駐車場(車は置いていなくて、鉢植えの植木、花をキレイに飾ってあるスペース)で庖丁を研いでいるオジサンがいるのを見かけました。タバコ屋のおじさんと世間話をしています。「有次」を買って以来、庖丁を研ぐことには関心を持っていましたので、立ち止まって研ぎの作業を見ながらオジサンたちの会話を聞いていました。月に一回ほどはこの場所に来て”庖丁研ぎ”をしているらしい。若干の心付け程度の料金は取っているようですが、ほぼボランテイア活動として庖丁研ぎをされているような印象を受けました。僕と同じような年回りの様子。急いでいる時ではなかったので僕も世間話に入れてもらいました。

 

 

本職は刃物屋さんではなくて、電器会社(電話会社だったかな?)に勤務されていた方でした。とにかく、昔から刃物・庖丁を研ぐことが大好きで、周りから変わった趣味を持っているヤツだと言われてきた由。退職後に縁があってこのタバコ屋さんと知り合い、この場所で庖丁研ぎをやるようになった。

「料理をするのが好きだから、庖丁を研ぐのが好きになったのですか?」とお聞きしたら「自分で庖丁を使って料理をするのが好きなわけでは無い」とのことでした。”確かに変わったオッサンや。よおやっとるなあ。”と思いましたら、

「最近、世間では庖丁を研ぐ人が少なくなってきている。自分が庖丁研ぎを引き受けると、近所、地域の方が大変に喜んでくれる。それが嬉しいから続けている」とのこと。近頃では、かなり遠方の方が話を聞きつけ、庖丁を持参して研ぎのお願いに来たりするようにもなっている由。確かに、横の棚を見ると結構な本数の庖丁が新聞紙に包んで置いてありました。

「皆さんが”(やって頂いて)助かります!”と喜んでくれるのが励みになります。自分の居場所がここにあるようにも感じられますねえ」と大変に素晴らしいコメントを頂きました。

 

 

3月の庖丁研ぎの日は、僕が隠れ家にいる日でありました。事前に自宅から庖丁を隠れ家に持って来ておいて、その当日には開始早々に四本の中から二本の包丁を持参して研ぎをお願いに行きました。幸い、他に人は居なかったので、おじさんの斜め横に座り込んで見学しつつ研ぎの勉強をさせてもらいました。約一時間、メモを取ったり、おじさんの許可を得てスマホで録画したり、真剣に家庭科実習の授業を受けたと言ったところです。

 

 

和庖丁は、右手で持って構えた時、上から見て右側が表です。表面は湾曲しています(知りませんでした)。その湾曲の度合いに応じて、おおよそ、1/3づつを均等に研いでいく。手前から先に押し出すように研ぐ。手前に引き戻す時は砥石に滑らせているだけ。特に初心者は押す時にだけ研ぐことを心掛けるべし。

このおじさんの流儀で、初めて研ぐ包丁は荒研ぎ(あらとぎ)に時間をかける。研ぐ人のクセがありバランスが悪くなっている庖丁が多いので、それらはその時点で修正しておく必要がある。また、錆が出ていたり、刃こぼれが酷い物も、荒研ぎを丁寧に行う必要がある(恥ずかしながら僕の持参した庖丁がその状態でしたので丁寧に解説してくれたように思います)。しばらく研いで”カエシ”が出てきたら裏を研ぐ。裏面はフラットです。砥石全体を使って。表と違って押すのではなく、手前に引いて研ぐ。裏はあまり長い時間、多くの回数を研ぐものではない。無駄に鋼を減らすことになってしまう。指先がセンサーである。また、研いでいる時の砥石と庖丁の抵抗の強弱をよく感じながら研ぐ。危険防止のための注意点等々も親切に説明してくれました。最も、当日、ご本人は不注意で指を切っており「これが悪い見本です。たまには猿も木から落ちます。トホホホ」とニコニコとコメントしていました。結構、剽軽なおじさんです。

「キレイに研げた時には、抵抗がスッーと無くなることを感じられるようになる。自分はこの時の達成感が堪らなくスキで、それで庖丁研ぎをやっているのかも知れない、云々」と。本業の職人さん以上に、職人さん気質を持たれた含蓄のある教えの言葉でありました。

  

 

荒仕上、仕上げをして頂き、あっという間に出来上がり。新聞紙を取り出し、試し切りです。スーッと切れるのに驚いたのですが、ご本人は「いやいや、これではお金を貰うレベルではないのです」と。もう一度、仕上げの研ぎをされました。改めて、新聞紙を取り出して試し切り。「音が違いますよ」と。確かに、最初の時は若干ザラザラと切れたような印象を受けたのですが、今回は、それこそ音も立てずに庖丁の重さだけでスーッと切れていく様な切れ方です。再度、驚き。”職人さんのプロのワザや!これは凄い!”。隠れ家に戻り、写真を撮りました。冒頭の写真です。

 

 

庖丁の鋼は、柔らかい程よく切れるそうです。その代わりチビルのも早いと。有次さんの話をナルホドと思い出しました。 

 庖丁を一本、研ぎ潰すぐらいの気持ちで研いでみればコツをつかむことは出来るそうです。砥石は、ホームセンターで売っているモノで、とりあえずは十分とのこと。最低、二本は必要。荒研ぎと仕上げと。出来れば、三本は持っておきたい。「ご自分でやってみて上手くいかなかった時には、ここに持ってくれば、キレイな状態に戻してあげるから、心配しないで練習してみてください」と誠に温かいお言葉。この日に持参しなかった残りの二本、出刃と薄刃を自分一人でトライしてみようという気持ちに”今は”なっているのですが、果たして出来るものかどうか・・・?。

 

 

「この包丁は良い庖丁ですよ」と最後に褒めてくれました。「吸い付くように切れるはずです。この柳刃を使えば美味しく刺身を引けます」とのこと。”吸いつくような切れ味”というのは、僕も有次で感じるところで合点がいくのですが、それは、専ら、肉・野菜を切っている時の感触なので、やはり刺身を引くというのは、庖丁もさることながら、腕前・技量の差が大きいのではなかろうか。相変わらず、魚は捌いたことが無い、全くの素人の料理大好きおじさんなので、不安が先に立ちます。

思い出して、初期のブログ、2017年6月11日付け『庖丁』を見直しましたら、ナント偉そうに、庖丁の持ち方、握り方を解説していました。いま読み直すと恥ずかしい限りです。また「有次と庖丁」の本の紹介をしていて、「割烹=割は庖丁で切る、烹 は煮る」ということだと自慢して記載していました。「魚を捌いて、刺身を引いて」は今でも、やったことがありません。今度こそ、トライしてみよう。 それにしても、何種類もの庖丁を用途別に持っているとは、改めて日本料理の奥深さと繊細さを感じております。

 

 

こんな事を記載していて、また一年経過しても、やはり、柳刃包丁バゲットを薄く切る時に使っているだけだったら僕は一体どうしたらよいでしょうねえ。

 

 

 神奈川の自宅の桃の花がほぼ満開です。お世話になっている先生が無事に赤ちゃんをご出産!。本当にキレイな女の子。最近では珍しいと思いますが「子」を付けられ「桃子」ちゃんと名付けられました。ついつい桃の花の写真をメール添付してお送りしてしまいました。2019年3月28日、撮影。

 

 

 

 

 

 

4月からの生活

 大阪環状線天満駅、北側の商店街に渋ーい呑み屋が立ち並んでいる一角がありました。昭和の景色が残っている、これぞ大阪!。僕の原風景かも。学生時代の体育会クラブの同期の集まりです。僕はこの一角にあるお店に入りたかったのですが、もう少し先のビルの一角にあるもっと上品なおでん屋さんに行きました。卒業後、小学校の先生になった同期のかつての教え子さんがやっているお店。”教師と教え子の関係もなかなか良いモノであるなあ”と嬉しくなりました。おでんも勿論美味しかったです。2019年3月12日、撮影。

 

 

長男が医科大を卒業しました。医師の国家試験にも無事に合格。4月からは所謂、研修医として母校の大学病院勤務になります。1980年生れの長男、普通の卒業生とは一回り以上も年長の新米医師の誕生です。

 

 

数年前、突然「医者になるためにもう一度大学に入り直したい」と言い出されたときは正直ビックリしました。その時点ですでに学業生活とはかなりのブランクがあった年齢です。そもそもが高校・大学一貫校育ちの所謂「文系」畑です。大学受験のしんどさを味わったことはありません。医者になる以前の問題で、医学部入学そのものが、30歳を超えている”おっさん”にとってチャレンジして実現可能なものなのか?!。

  

 

本人も十分に自分のポジションを自覚しているらしく、僕に言い出す前にイロイロと調べ十分に覚悟した上でのコトのようでした。かなり以前から医学部受験のための勉強はやっていたようで、学力的にはそれなりの自信をもっている様子。年齢的な問題が一番のネックの様に感じているようで、僕もそれが心配でした。受験資格にダメとは明文化されていないもののイロイロと内規がありそうな気配です。はっきりしたことは分らないのですが、そのような制約が無い大学もあるとのことを信じるしかありませんでした。一方、卒業後の国家試験の受験資格には年齢の制限は無いことは確認が出来ました。

  

親=僕に対しての要望は「自分なりに入学後の6年間の学費は蓄えた。この年になって申し訳ないが学生生活を送る上で今までと同じように食事と部屋をそのまま提供続けて欲しい」との事でした。”一応、言ってることに筋は通っている。それまでの中途半端な生活(彼は堅気な仕事についていた訳ではなく、ナント、世に言うパチプロで稼いでいたのです)を続けるのに比べると雲泥の差がある。なんでもっと早い時期にそう思ってくれなかったのか”とは感じましたが、”思い立ったが吉日、考えこめば出る時は無し”です(本来の意味とはかなり違いますが)。本人が真面目にチャレンジしようとすることに異議があろうはずは無く賛成して激励しました。

 

 

一人だけでの受験勉強には苦労していた様子でした。話合った結果、予備校にも通うようになりました。あっという間に入学試験。国公立大学の試験では筆記は通過したものの面接で厳しいことを言われて悔しい思いもしたようです。幸い、今の大学に無事に合格することが出来ました。一学年が110名程度、歴史のある医科専門の大学です。ノンビリした校風、スキンシップを大切にしているような雰囲気に助けられてか、年の差も気にすることなく同級生とも親しい仲間になり、傍から見ていても勉強もクラブ活動等も一生懸命にやっている様子でした。自分と同じ年くらいの先生に教えてもらうような場面もあったそうです。楽しくかつ真剣に人生二回目の学生生活を過ごしていたように思います。

 

 

最大の、そして最高の嬉しい誤算は、在学中に今の嫁さんに出会えたことでしょう。彼女も同じ医科大の学生、長男より4歳の年下ですから他の学生と比較すると長男と同様にかなりの年長さんになります。但し、長男とは違ってそれまでのキャリアは素晴らしいものです。そのキャリアを一旦横に置いて、ある強い決意のもとに医学を志した。縁が有って長男と知り合い、あれよあれよという間にゴールイン。いい歳の二人ですが文字通りの学生結婚。大学から数名しか参加できない一か月ほどのアメリカ研修に二人揃って参加することが出来て、周りからは”新婚旅行を兼ねて海外研修に行った初めてのケースだ”と祝福されていました。昨年一月には「小雪」ちゃんにも恵まれ、学業と子育てを両立しながら、明るく楽しい家庭を築いているように思います。

  

 

卒業の式典に、親バカ振りを発揮してカミさんと一緒に参加してきました。卒業式は大学の講堂で。夜は、帝国ホテルで謝恩会が行われました。やはり医科大は派手なのでしょうか。

卒業式では、成績優秀者の対象となって表彰を受けていました。長女を授かってからは、パパ、ママともに学業と育児を両立させるのに大変な苦労をしていたので、”最終年度にかけては成績が下がってしまった”とボヤいている場面もありましたが、6年間を通算しての成績をベースにした表彰とのことで立派な銀杯を頂いていました。第二席とのことです(書いていて、自分でも全くの親バカの極致だと思うのですが、嬉しくて記載しています)。

 

 

一旦、マンションに戻りお弁当の昼食。嫁さんママは朝から実習の授業で不在。小雪は、嫁さんのお母さんが面倒を見てくれています。小雪に卒業証書を見せたり、表彰の銀杯を見せたり、長男パパが抱っこしている写真を撮ってやったり。小雪も、周りが喜んでいることが分かるのか、いつも以上に上機嫌でパパに笑顔を振りまいていました。長男パパも、おしめの取り換えを慣れた手つきでやっています。”こいつは立派にちゃんとイクメンをやってるんだなあ、エライ”。僕は三人の子供に対して全くやったことがありませんでした。

嫁さんママは臨床実習の授業から帰宅したと思ったら、小雪の保育園のことで、すぐに外出。二人は卒業式の様子を話し合う時間も無い程です。”こいつら、よお、やってるなあ”と改めて感心しました。両方のお母さんも慣れたもので、阿吽の呼吸でそれぞれの役割を大変にスムーズに熟してくれていました。ご苦労様です。ありがたいことだと思います。

 

現在の嫁さんママの最大の悩みは小雪ちゃんとのスキンシップに十分な時間を取れないこと。朝、まだ小雪が寝ている間に登校。夕方~夜に帰宅するときには、すでに休んでいることもある。小雪の笑顔を見れない、話が出来ないのが寂しい由です。

  

4月以降、嫁さんママはいよいよ5年生、長男パパは研修医。ママが卒業するのに、そして、パパが一人前のお医者さんになるのに、あと二か年はかかります。それぞれ、学業・仕事と子育てを両立していく大変ハードな生活が続きます。小雪は両方の母親が入れ替わり泊まりこんで長期戦で孫育てをすることにしているそうです。パパ、ママ、両方のお母さんの協力で長丁場を乗り切ってほしいなあ。小雪の笑顔がパパ、ママ、みんなの活力源になっている様子。とにかく健康で、元気で、明るく頑張ってほしいなあと思います。戦力外の僕はただただ祈るばかりです。

 

 

夜の謝恩会では、長男が総合司会をやっておりました。多分、卒業生のなかで最年長さんだから。先生方、来賓の方々のご挨拶のあと、改めて卒業式で表彰を受けた卒業生の挨拶もありました。司会者の長男も登壇して挨拶。結構、マジに自らのことを話し、無事に卒業できたことについて皆さんへの感謝の言葉を述べ、そして最後に、かなり取って付けたようにではありましたが、両親への感謝の言葉を話してくれました。やや眼鏡が曇るように思いましたが、嬉しく携帯のカメラ機能を駆使して写真を撮りまくっておりました。カミさんもべそをかきながらニコニコしていたように思います。何時まで経っても親は親、親ばかは永遠です。

  

 

続・地元再訪。オオカンザクラが満開です。前回掲載のカンザクラはすでに葉桜になっていました。神奈川県大和市の泉の森公園・ふれあいの森。2019年3月16日、撮影。

 

追伸;

戦力外の僕は、4月から週に二日ほどお仕事を再開することにしました。また、鯱城学園という年寄り大学の講座を受講してみようとも思っています。いずれも隠れ家をベースにして。自宅と隠れ家を行ったり来たりの生活がまだまだ続きます。料理と本を楽しんで、秘かにピアノのレッスンにも精を出して励みたいなあと。そのうちに隠れ家生活について記載したいと思っています。

 

 

居酒屋ヒデさん

地元再訪。神奈川県大和市の「泉の森公園」。野外に能舞台があります。昔は、ここでシーズンになると薪能をやっていました。向かって右側が広場になっていて薪能の時には、五段以上のかなり大掛かりな観客席が設置されていました。最近はどうなのかしら?。久しぶりに散歩で足を延ばしました。2019年3月5日、撮影。

 

 

三月最初の土曜日、長女家族のマンションに遊びに行きました。長女家族とは、今年のお正月に神戸にある僕の一族のお墓詣りに一緒して以来。僕の二番目の孫=彼らの長男は現在、二歳と半年。正月に会ってから二か月しか経っていませんが成長ぶりが本当に楽しみです。うちのカミさんからは”そんなに急に大きくなる訳がない”といつもの爺バカを指摘されますが、普段よく会っていないおじいちゃんの目には二か月でもその変化が分かる(様に思う)のです。

 

長女のダンナさんは、このブログでも何回か登場しています。あの「小林秀雄」さんと一文字だけ字が異なる名前です。「蒼太の包丁」全41巻を贈ってくれた料理大好き人間。

料理の腕前は相当なものです。『知の巨人vs全41巻』(2018年9月18日)でも書きましたが、少なくとも「焼き方」以上のレベルと評価しております。仕事はかなり忙しく、週末のお休みの時でも学校に出ている時が結構多いらしいので、手間をかけさせたくないから、かれらのマンションの近くにある美味しそうなお店で気楽に昼食でも、と思っていたのですが・・・。メールでやり取りをしていたところ”「居酒屋ヒデさん」を開店します”との嬉しい返信がありました。

 

 

若干の買い物を済ませ11時ごろにマンションに到着。ドアを開けると孫がバアッと顔を出してくれます。もっとも、僕が近づこうとするとすぐに離れていきますが。とにかく元気そうでなにより。荷物を置いて、コートを脱いで、そして手をチャンと洗ってから着席。手を洗わないと孫に触れることを許してもらえません。最初は”俺をバイキン扱いかよお!”とあまり良い気分ではなかったのですが、今はすっかり納得して素直に手順を踏んでおります。はい、全ては可愛い孫に触れるため。

 

 

ヒデさん=長女のダンナさんは、一人、厨房(マンションの台所ですが)で黙々と調理中でありました。”むむむっ、調理している姿が何やらサマになっている。傍目で観ても手際が良さそう。また一段と腕を上げたか”てな印象を持つのは、贈ってもらったマンガを読んだ影響ですね。軽く挨拶したあとは料理人の邪魔をすることなく、孫とのスキンシップに集中。リビング一帯は彼のプレイグラウンドです。とにかく動くのが大好き。ここかと思えばまたあちら。”お前は牛若丸か!”と思うほど。「疲れを知らない子供の様に」という歌詞がありましたが、二歳半にしてすでにおじいちゃんはフォローするのが大変なほどの運動量になっております。組みワザ、寝ワザではこちらのモノだとプロレス技を駆使しましたが、激しい抵抗を受け長くスキンシップを楽しむことは出来ません。”ひょっとすると臭いのせいか?”、僕は体臭とは無縁だと思っていますが、豊臣秀吉の晩年の逸話を思い出し恐る恐るカミさんと長女に聞いたところ「男の人は嫌がるみたい。女の人だとニコニコして抱かれているよ」と。これも素直に納得してしまいました。孫と遊ぶこと約30分、ちょうど良いタイミングでお料理の準備が出来上がりました。

 

 

この日のメニューは、

・菜の花のペペロンチーノ風

・新玉ねぎとワカメのサラダ

・サーモンの和風カルパッチョ

・生ハムのモッツアレラチーズ添え

・鯛のカルパッチョ・レモン風味

カニクリームのフライパンコロッケ

・きのこのアヒージョ

バケット

 

日本の居酒屋というよりもスペイン・バル風居酒屋かと。よくこれだけ準備しようと思ったものだ。全体のバランスも良く取れている。メインはフライパンコロッケですが、ホワイトソースの粉がダマにならないでうまくクリームが出来上がっていました。カミさんも感心する出来栄え。僕は菜の花のペペロンチーノ風、きのこのアヒージョを高く評価。お酒のつまみにベリーグッです。自分でやると、なかなか味が決まらない。「次回は是非、牡蠣のアヒージョを」とリクエストしたら「牡蠣はハードルが高いです」との慎重なコメント。”そうか具材により調理のコツというものがあるということか、僕は何でも同じパターンでしか調理していなかった”と思い知らされました。

それでも、僕が料理した「牡蠣とネギ塩炒め」(『大”阪”なおみ』2019年1月30日の写真を参照ください。嬉しいことに彼も僕のブログの読者です)の事は褒めてくれていました。単純なもので上級者から褒められると大変に嬉しいものです。

 

今回の料理で最も時間がかかっているのは「生ハムのモッツアレラチーズ添え」とのこと。チーズに生クリームを浸透させるのに一晩寝かせる方が美味しい、との理由から。同じように見えてもちゃんとひと手間かけているから美味しい味が出せるのか。またまた目から鱗です。アヒージョのスキレッドもよく手入れが行き届いているような印象を受けました。爺バカならぬ、義父バカです。

 

ビールで乾杯した後は、ちゃんと白ワインを準備してくれていました。お昼のお酒は酔いが回ります。四月以降のお互いの生活パターンの変化も話題にして。あっという間に、ワインが二本、カラになっておりました。出された料理も完食。

 

 

食後、マンションの敷地内の公園に。バランス・バイク=ストライダーという製品(=ペダルが着いていない自転車)ですが、これは面白い。牛若丸の得意種目の由。公園の一角になだらかに凸凹をつけてある子供達用の遊びスペースがあります。ストライダーに乗ると、幼児でも一人で足で地面を蹴って軽快に動くことが出来ます。そして凸凹の頂上からは両足を浮かせて一気に坂を駆け降りる。大人が自転車で坂道を下るのと同じことです。幼児の時に自分一人の力でこれだけのスピードの感覚を得られるのは、これは凄いなあと。スピード感覚が身に着くのと同時にバランス感覚を養うのにも大変に良さそう。ペダルに足が届くようになれば、自転車にも抵抗なく乗れるようになるのでしょうね。くれぐれも安全第一で。 

 

 

「泉の森公園」の先には、「ふれあいの森」が広がっています。カンザクラが一本だけ、ほぼ、満開の状態で咲いていました。実際はもう少し鮮やかな色です。撮影技術の至らなさ。残念。2019年3月5日、撮影。

 

 

 後日、メールをやり取りしていたら、 ”またのご来店、心よりお待ちしております”との嬉しいお便りが来ておりました。いやあ、もはや「焼き方」どころではなかった。すでにシェフである。是非、また「居酒屋ヒデさん」にお呼ばれしたいものです(これで名前の一文字はバラしてしまいましたが、許して頂戴)。

 

大失敗でした。折角の料理の写真を撮るのを完全に忘れていました。次回は必ず忘れずに撮りますからねえ。

 

 オマケ。「豚の角煮」と煮卵。シェフ・ヒデさんに教えてもらったレシピで。『出産読本』(2018年3月13日)を参照ください。一年経ってから初めてトライしてみました。今まで、料理本を見ながらの自己流では、あの角煮の柔らかさがでなかったのですが、今回は、それなりに出来たかなあと。一晩、寝かせるというのが大事なポイントなのかと思っています。それにしても盛り付けのセンスが悪いなあ。反省です。2019年3月10日、料理と撮影。

 

 

 

 

『ボヘミアン・ラブソデイ』

 

2月中旬にカミさんと二人で映画を観に行きました。

ボヘミアン・ラブソデイ』

昨年来、映画の目利きの友達から”是非に”と強く薦められていた作品です。”「クイーン」のリードボーカルの伝記ドラマを映画化したもの”ということ以外、何の予備知識も持っていませんでした。ただ一つ”音楽”がキーワードの映画ということだけは理解していましたので、音響設備を売りにしている映画館を探しました。幸い、さほど遠くないところにTOHO cinemas/IMAX大型スクリーンの映画館で上映されていました。

映画館に行くのは随分と久しぶりのこと。窓口でチケットを買う時、年齢を聞かれ高齢者割引の対象であることが分かりました。一方では”IMAXスクリーン”なるものには料金にプレミアムがついており、結局は当たり前の料金を支払ったように思います。そのプレミアムの分、スクリーンの画質と音響に期待が高まりました。

 

 

平日であったのでゆったりと座ることが出来ました。それでも結構な入場者で半分程度は埋まっていたような印象を受けました。”やはり、凄い人気なのだ” 。飲み物は持参していた(これ、本当は反則技かも知れません)ので、ポップ・コーンを一つだけ買ってツマミながら観ることにしました。塩味の利いたポップコーンで、カミさんからはイエローカードが出ていました。いよいよ、上映開始。

 

 

いきなり、反っ歯の薄汚いお兄ちゃんが登場してきた時には「おいおい、こいつが主人公なのかよお??」と信じられない印象を受けました。しかし、そんな心配を吹っ飛ばすようなテンポの速い畳みかけるような展開です。あれよあれよ、という間にクイーンがスターダムに駆け上っていきます。原作も然ることながら脚本が大変にしっかりしている。ダサいとしか言いようのなかった反っ歯のお兄ちゃんもあっという間にスターらしい格好に、そして、スターそのものの風貌に変貌を遂げていきます。

映画では主人公=リードボーカルのフレデイ・マーキュリーが苦労して音楽を勉強したことは端折ってありますので、彼が天性の素質だけで、その声の美しさと豊かさ、それと彼のパフォーマンスだけで、一瞬にして、一夜にしてスターになってしまったかのような印象を持たせてしまいます。”そんなに上手くいくはずないやろオ”とややついていけない感がありましたが、そんな理屈に合わないことも問答無用と言わんばかりの力技でトップスター、トップグループに発展していく様が描かれています。

 

新曲を構想する時のクイーンのそれぞれのメンバーの真剣ななかにもユーモアに溢れた活動ぶり、フレデイの生き様がイロイロとねじれていく様子、それがクイーンの活動にも悪影響を与え大変な紆余曲折が・・・、これらがテンポの速い展開で進みます。そしてクライマックスは、あの「ライブ・エイド」のコンサート。

偶々ですが、この映画を観た数日後に、アカデミー賞を4部門を受賞したことが報道されました。音響編集賞、録音賞、編集賞が含まれています。このコンサートのシーンは、まるでほんもののフレデイが、クイーンが、本当の大観衆のなかでパフォーマンスをやっているかの如く表現されています。アカデミー賞も当たり前だ!。

プレミアム料金を払って”IMAXスクリーン”で観た甲斐が間違いなくありました。映画のなかのコンサート会場の大観衆と同じように、映画館にいる我々観客も臨場感に浸ってクイーンと一体となって楽しむことが出来ました。

 

 

自宅に戻り、YouTubeで「ライブ・エイド」の実況を改めて見ました。映画の俳優さん達が、それぞれクイーンの実際のメンバー=本物にそっくりなことにビックリ仰天。

LIVE AID」=一億人の飢餓を救う!、アフリカ難民救済のチャリティーコンサートです。1985年7月13日に行われています。漸くにして、当時、大変な話題になっていたことを朧げに思い出しました。間違いなく世界の超有名ミュージシャン、グループが総出演した20世紀最大のコンサート。その中でクイーンのパフォーマンスが他を圧倒した。クイーンが伝説のロック・バンドになったのは、まさに、この瞬間であったことが実感されました。

 

 

本物のフレデイ・マーキュリーは、1991年に45歳の若さで死亡。エイズでした。逆算すると1946年生まれになります。チョット先輩ですが、ほぼ僕たちと同年齢。僕たち世代には古き良き思い出の一つとして頭に刻まれているのだと思います。

映画の達人さんに観たことを報告しました。すぐに返信がきて”最後のクレジット(オマケ)の映像で泣けた。「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、フレデイが最後に吹き込んだ曲”とのことです。

同じく映画を観た日に、古い友人とメール交信をやっていた際、偶然、彼もカミさんと一緒にほんの数日前にこの映画を観て感動していたことが分かりました。”夫婦一緒に、同じ時期に、何と奇遇な”。久しぶりのメール会話がこの映画のお陰で大変に盛り上がりました。この映画で「フレデイ」「クイーン」「ライブ・エイド」、あの時代を思い出した人が日本中のあちこちでキットたくさんいらっしゃるんでしょうね。

 

 

映画を観てクイーンとの距離が近くなったせいでしょう。2月22日朝、日本の誇る無人探査機「はやぶさ2」が、地球から約3億㎞離れた小惑星「りゅうぐう」に着陸成功したことが報道されていました。そのNHKニュースのなかでギターのブライアン・メイが「ブライアン博士=天体物理学博士」としてお祝いメッセージで登場していました。大変なタレントさんです。

そして、2月24日、第91回アカデミー賞が発表され、フレデイ役のラミ・マレックが主演男優賞、前述の賞を含め合計4部門を受賞。ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラーは、この映画の音楽総指揮を執っていたそうです。日経によると「今年の授賞式は司会者が不在で、クイーンの演奏で始まった」そうですから、ブライアン博士は大忙しだったのでしょう。おめでとうございます。

 

長男夫婦にも話をしましたら”嫁はんが前から見たい”と言っていたことが再度判明。早速にうちのカミさんが小雪チャンの面倒を見に行き、二人は久しぶりに映画鑑賞に出かけることが出来た由です。『ボヘミアン・ラブソデイ』の話題一色の2月中下旬となりました。

何故か、映画解説者の故淀川長治さんのことを思い出しました。

「映画、いいですね、いいですね。良い映画は本当にインパクトがありますね。また、観たいですねえ。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ・・・」

  

 

 名古屋にも美味しいそば屋さんがあります。名古屋駅と栄の繁華街の間に昔ながらの商店街、住宅街が残っていますが、その街の民家を改修した、コ洒落た料理屋、割烹、居酒屋が人気です。フレンチ、イタリアンもあります。「那古野」(那古野村=ナゴヤむら、とか、那古野町=ナゴノちょう、とか読まれるようです)と呼ばれる一帯、四間道(シケミチと読みます)界隈のそば屋さん。右側は十割そば、左側は二八そば。お値打ちのお店です。2019年2月26日、食事と撮影。

 

追伸;名古屋のど真ん中にテレビ塔がありますが耐震改修工事のため2019年1月7日から全施設休業中。この名古屋テレビ塔のキレイな時の写真を掲載しようと友達のカメラマンさんに写真を提供してもらっていたのですが、このブログに張り付けることが出来ませんでした。僕のワザの至らなさ。残念、そして、kissyouチャン=カメラマンさん、掲載できず、ごめんね。なお、テレビ塔は2020年夏にリニューアルオープンの予定です。

 

 

 

子供食堂

青山墓地(東京都港区)の夕暮れ。むかーし、この辺りでよく花見をやったものでした。夕方、会社を終えてからが多かったですが、それ以前には、平日のお昼にやったことも。豪快なボスがいらっしゃって、お客さんにも参加してもらい、お昼から飲めや歌えやの大宴会。昭和の古き良き時代のことです。昔は周辺には、さほど大きなビルは建ってなかったのですが、いまはナントかヒルズとかタワービルが周りに立ち並んでいます。景色は随分と変わりました。桜はまだでしたが、梅が咲いていました(これ、梅ですよね?)。2019年2月18日、撮影。

 

久しぶりに長い期間、神奈川の自宅で過ごしました。昔の会社の友達との飲み会があったり、子供たちの家具の移動を手伝ったり、カミさんと映画を観にいったり、兄と食事したり。四月からイロイロと忙しくなりそうなので、今のうちにノンビリしておこうと(この一年はほぼずっとノンビリしてるんですが、スミマセンね)。その中で今回のメイン・イベント!です。

 

子供食堂」のお手伝いに行ってきました。地元、大和市には4か所か5か所の「子供食堂」活動をしてらっしゃるグループがあるそうですが、そのうちの一つに。運営されている方とカミさんが顔見知りであったので、紹介してもらいました。地元で保育園を経営されている方が中心になって、保育士さん、管理栄養、衛生管理のプロの方々、料理と子供大好きなボランテイアおばちゃん等々、錚錚たる女性陣です。お一人若いお兄ちゃんがいらっしゃったのでややホットしたのですが、彼は事務局的役回りで部屋の外にいて受付・整理を担当。結局、マンションの部屋の中に男性はボク一人。改めて、”これは軽はずみに大変な場に来てしまった。プロ集団の中で役立たずの木偶の坊が一人の構図”と身が縮む思いがしました。しかし、そこは皆さん、さすがにプロ。木偶の坊の扱いにもなれてらっしゃるようでお客様扱いすることなく「あれやって、これやって」と適宜適切な指示を出してくれました。

 

子供食堂」は、”当たり前に家で食事が出来ない子供たちに無料で温かい食事を提供する場”と理解していましたが、この子供食堂の運営のコンセプトは”地域の子供たちが集まって、楽しく一緒に食事をすること”というふうに考えられています。食事に困っている子供たちとそうでない子供たちを見分けることは大変だし、そもそも子供たちを区別しない方が良い。柔軟に対応しよう。温かい食事を一緒に楽しんで食べる場を提供することが大切だ、との考えです。100%賛成です。

 

場所は地元の小学校から徒歩数分の便利な場所にあるマンションの一階。3LDKのスペース。月に一回の開催です。行政から食材費相当の支援はあるものの、運営されている皆さんは、食材の安全・安心、栄養バランスにこだわりを持たれて運営されているので、持ち出しになるケースが多いとか。それでも地域のネットワークに支えられて活動を継続出来ているとのことです。もちろん、全員がボランティア活動として参加されています。

 

本日の献立は、炊き込みご飯、お雑煮、ホウレンソウのごま和え、果物(文旦)。それとは別に、「おにぎりコーナー」。3時頃には皆さん集合されてテキパキと準備開始。毎回、次回の献立をどうするか打ち合わせを行い役割分担を決めて当日までの準備・段取りをしているそうです。5時に開場するのですが、10-15分前には、ドアの前には子供たちが既に列をなして待っています。順番・整理の仕方にもイロイロ工夫されています。お兄ちゃんが一人ずつに整理券を配る。合言葉は「フェアに」。ズルをしてはいけない、させてはいけない!。子供たちは大人が思う以上に頭が回転しますから順番待ちの仕組みに欠陥があると、例えば、一人を席取り役にして並ばせておいて、並んでいない子供があとで横入りするやり方を考案してしまう。そんなことを考えさせないように「フェアに」。

 

5時の開場とともに元気な挨拶をしながら子供たちが続々と入ってきます。食事する場所は、3LDKの奥にある二間続きのスペース。これを一つにして小さなテーブルを6っ程並べてあります。それぞれに4-6人ぐらいが車座に座れるように配置してある。すぐに全席満席に。これでほとんど足の踏み場も無いくらいの状態です。それぞれの席に食事を運ぶのは運営者側の女性陣。参加者が少ない時は、子供たちが自分で台所に行ってそれぞれの料理を運んで席で食事する方法をとっていたのだそうですが、人数が多くなり満席の状態になると、給仕・配膳をする方がスムーズ・効率的だから。子供たちは、結構、行儀よく配膳されるのを待っています。”いただきまっーす!”の元気な声。食事が配られて一瞬の間は食べるのに集中するのか静かになりますが、ものの10分もしないうちに、また元気な声「お代り、くださっあーい」「お前、残すんじゃあねえヨ」とか楽しそうな声が聞こえてきます。

 

そして「おにぎりコーナー」。一番小さなテーブル席を「おにぎりコーナー」にしてあります。子供たちが自分でおにぎりを握って食べることが出来るように。小さなお皿にラップを敷いて塩を振ってご飯を乗せてラップでくるんで整えて食べる時にノリを巻く。係の大人が一人は席についていて、小さな子供には手伝って一緒におにぎりを作ってやり、大きな子供にはラップを切って渡してあげる。それだけの単純業務。女性陣は追加の料理と相変わらず配膳作業で大忙しで、この役回りが僕に振られてしまいました。

 

何を隠そう、恥ずかしながら不特定多数の子供たちを相手にするというのは全くの不得意分野。ベテランの女性にやり方を指導して頂き席を交代して僕が座ると、順番待ちをしている子供たちも一瞬引いたような気配が。”そりゃ、そうだろう、木偶の坊っぽいオッサンが目の前によいしょと座ったら怖いよなあ。こちらも緊張してるのが伝わるんだろうなあ”。自宅からエプロンは持参していましたが鉢巻用の手拭いは忘れたのでスカーフ(バンダナ)をお借りしました。やはり衛生管理が第一ですが、誰が見ても全く様になっていない。子供たちが引けてしまうのも無べなるかな。

 

しかし、そこはやはり、おにぎりの力!、です。会話が無いまま、ラップを切って渡したり、小さい子にはご飯をよそってあげたりしていると場も落ち着いてきました。「もっとご飯を入れて」とか「ノリを巻いて下さい」とか可愛い注文も。そのうちには「ノリが無い」「サケを出して」「梅干し、ください」とかの要求も出てきました。それでも概してみんなゼントルマン(&ウーマン)。これが大阪の子(悪ガキのイメージです。大阪のよい子たち、ゴメンね)であれば、「おっさん、やること遅いなあ」と間違いなく相手を見透かして突っ込みを入れてくるに違いない。大和市の紳士淑女の子供たちに感謝でした。

この子供食堂は夕方の5時から7時まで(最大7時半程度までの延長もあり)ですが、この夜は、その間にほぼ三回転。子供50人強、大人10数人の合計70人程度の入場者であったそうですが、5時半ごろに交代してから終了までの間、おにぎりコーナーは途切れることがなく子供たちがおにぎりを楽しんでくれていました。

最後のほうでは、サケのフレークは品切れとなり、ノリも底を着き始めました。炊飯器はフル回転。最初は大きなボールにご飯を移して(火傷しないように)冷ましてからおにぎりコーナーに持ってきてもらっていたのですが、「ご飯、まーだ?」コールに負けて、炊き立てのアツアツのご飯を届けてもらいました。子供たちも「あつい!あつい⁉」と大騒ぎ。火傷させないようにだけは十分に注意しましたが、アツアツのご飯をみんなでフーフー言いながら、おにぎりを握るのも子供たちにはキット楽しくて良い体験になったに違いない。ご飯は結局、この夜、4升分を消化したそうです。1升は10合で、約1.5㎏(炊飯前ベース)ですから、約6㎏のお米。味付け(の具)にはお塩以外にも、サケのフレーク、梅干しを準備されていましたが、一番シンプルなご飯にお塩、それを握ってノリで巻くおにぎりが一番人気でした。おにぎりは最高の団欒ですね。日本の食生活の象徴だと感じました。

お米の消費が減っていることがイロイロな面で問題にされていますが、こんなに楽しくおにぎりの味を楽しんだ子供たちが元気に育ってくれれば、お米の未来も明るいと思います。ご飯、おにぎりは日本人のDNAにしっかと組み込まれているのだと実感しました。

 

終わった後はササッとあと片付けをして、そして、キチンと反省会をされていました。スペース・人員に余裕があれば、食べた食器を自分で洗うようにしてもらうとか、お箸の持ち方を楽しく教えてあげるとか、小さい子供への配慮を自然に出来るように席を工夫するとか、前向きな意見が沢山出ていました。近い将来には、もう少し大きくて便利なスペースを利用出来る可能性が出てきているとのことです。益々の皆さんのご活躍、ご発展をお祈りしたいと思います。

 

 

 青山やぶ蕎麦。2018年9月10日付けの『知の巨人vs全41巻』でも掲載しましたが、お店の佇まいに全く変化なし。この日は早く到着したので、冒頭の写真にある懐かしの青山墓地を散策しました。今回も四人が集まり楽しく歓談。女将さんも相変わらずお元気でした。約二人は痛飲。一人は僕のことです。反省。2019年2月18日、撮影。

 

 おまけ;『猪鍋』です。鹿児島の猪を地元の猟師さんがご自分で捌いて送ってくれたもの。切り口のなんと鮮やかなこと。名古屋の繁華街のど真ん中、錦三丁目(錦三=キンサン、と呼ばれています)にあるメンバーズクラブで。土曜日にプライべートの食事会として特別に料理してもらっています。お味噌は滋賀県の特製「とりやさいみそ」を使用。もう15年間、継続しています。この日は、約6名が参加。第一回目の時はみんな50代でありました。月日の経つのは早いモノです。あと少なくとも10年は継続したいと念じております。2019年2月9日、撮影。

読書三昧;”頭休め”vs『ホモ・デウス』

次女の長男=僕の初孫、現在、4歳2か月。彼が世に出した記念すべき第一作です。タイトルは「自画像」。特徴をよく表現出来ていて驚きました。爺バカの典型で”末はピカソか!”と喜んでおります。それにしても、彼の世代が見ることになるであろう次の世紀は、どんな世の中になっているのでしょうねえ。2019年1月、次女撮影。

 

 

”読書の達人”のお友達から、五木寛之さんの「知の休日---退屈な時間をどう遊ぶか」という本を頂きました。集英社新書、1999年12月第一刷、2005年4月第11刷。ちょうど『ホモ・デウス』でお腹がいっぱいの時だったのでのんびりと読ませて頂きました。(『ホモ・デウス』は1月10日付けの『サピエンス全史』、1月20日付けの「ちょいと良い話、その2.」を参照ください。)

 

 

面白いもので、僕の気持ちを寛之さんがいきなり忖度してくれていました。「はじめに」の章で、寛之さんが読者からのコメントを紹介しています。「いつも面白く読ませてもらっている」「あなたの本は、”頭休め”にはもってこいの内容だ」。ご本人は”やや引っかかるところがないでもない。でも、よく考えるといいところをついている”と懐の深い受け止め方をしてらっしゃる。僕もちょうど”頭休め”の本を欲しておりました。本との出会いとは面白いモノだと思います。ちょうど良い時に巡り合うものです。

 

 

寛之さんの解説では、”頭休め”とは心身の緊張をゆるめること、しかし、ゆるめきってしまう=だらけることとは違う。要するに「緊張のしすぎは困る、といって、ゆるみきってしまうのは、もっとよくない」というものでした。同感です。

 

タイトルの「知の休日」の「知」という字には「ココロ」と振り仮名をふっても良いし、「アタマ」と読んでもよい、と。本の帯には「頭と心に心地よい刺激を与える、新しい緊張感のある休日の提案の本」と宣伝されていました。このところは、ご本人が、本文のなかでもっとうまく表現されてます。

曰く、

「この本で紹介するのは、読者のひとり一人が勝手に自分流のやり方を発見するためのサンプルにすぎない」。そして、高光大船さんの言葉、「人の手本にはなれんが、見本ぐらいにはなれる」を引用されております。

寛之さんの”頭休め”の工夫が一杯詰まった本で、本文構成は「xxと遊ぶ」という流れになっています。第二章以降、「体と遊ぶ」「アートと遊ぶ」「車と遊ぶ」「声と遊ぶ」「靴と遊ぶ」「夢と遊ぶ」「何とでも遊ぶ」と続きます。

もちろん、第一章は「本と遊ぶ」。

”一冊の本の中の一行が頭に残るのは、何気なく読んだ言葉が、錐をもむようにこちらの魂に突き刺さってくるときである”。

”声に出して読む。漱石や鴎外の作品などは、声に出して読めば、いままで感じられなかったことが体で感じられる”。

文筆家の方のこういう表現は凄いなあ、と感じます。寛之さんの頭休みの工夫は、”面白くやる、ワクワクしながらやることが基本”になっていることを理解することが出来ました。

 

 

散歩がてらに近所の図書館に行きました。1月29日に橋本治さんが死去されており、彼の大のフアンである ”読書の達人”のお友達から追悼のメールをもらいました。恥ずかしながら全く読んだことのない方でしたので、図書館で作品を探してみようかと。亡くなられて貸し出しが増えているのか余り沢山の蔵書はありませんでした。「巡礼」という小説と「大不況には本を読む」という新書本を借りました。寛之さんの棚を見ると「人生の目的」「こころ・と・からだ」というのがあったので、これもついでに借りました。寛之さんには”ついで”で申し訳ありません。

やや体調が悪かったので、外出を控えて、隠れ家でノンビリと”頭休め”を続けようかと。三日ほど読書三昧でした。

 

肝心の橋本治さんの本ですが、「巡礼」は頭休めには余りある重たいテーマでした。独特の節回しのようなものも感じられて面白かったですが、まだ、治さんの良さがピンと来ていないかも。やはり、次回は彼の代表作、面白そうな作品、「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」とか「小林秀雄の恵み」を読んでみたいと思います。お友達の案内で内田樹さんのブログを覗いたら、あの樹さんが「橋本治さんへの追悼」記事を何回にも分けて載せていました。影響を受けた三人の中のお一人に挙げており、この三人ともが逝去されたことを残念に思っている旨を素直に記載されておりました。改めて橋本治さんのご冥福をお祈り致します。

 

 

それにしてもハラリさん、です。”頭休め”の読書三昧で、ココロ、アタマ、魂、ワクワク、感じること、気持ち、という言葉が出てくる度に『ホモ・デウス』に戻ってしまいます。言葉ではなく、本そのものが、グサッと突き刺さっているような。

 

『サピエンス全史』には、生物のチャンピオンになった人類が将来「自然選択の法則を打ち破り、生物学的に定められた限界を突破する」危うさが書かれていましたが、『ホモ・デウス』では、更に突っ込んで「人間は心と体をアップグレード、神のヒト=ホモ・デウスに自らをアップグレードする」「テクノロジーは人間の手に負えなくなる」可能性が書かれています。それも大変に具体的に、臨場感のあるタッチで。

 

「人間の頭脳には、知能と意識、がある。知能は問題解決に、意識は喜怒哀楽、感じること。人間は両方を補い合うが、AIは知能のみ。問題解決には最適であるが、意識=感情、主観は無い」という見方は変わってはいないと思いますが、AIとバイオ・生命科学の急速な進歩により、特に「生物学者が”生き物はアルゴリズムである”と結論付けた途端、生物と非生物の間の壁は取り崩され、コンピューター革命は機械的なものから、生物学的な大変動に変え」たとの見方です。

意識というものの解明はまだ十分には進んでいないとのことですが、「生き物はアルゴリズム」であり、「生命はデータ処理」であるというのが既に科学界の定説になっている由。「人間の心や意識は、脳のなかでニューロンが信号を発し、データを処理しているだけである」「意識や意思を持った”私”でさえ”虚構”なのだ」「AI=人口知能が急速に発展し、あなた自身よりもあなたについて詳しく知るようになる」云々。

 

僕が説明しようとすると三文SF小説としか思えないですが、ハラリさんの凄いところは、最先端技術の知識、事例説明がムチャ具体的で説得力があること。その最先端の技術が意味するところを歴史学者としての考察を通じて解きほぐしていくことが出来るところ。

 

 

改めて本を手に取ってみたら表紙の帯に、山際壽一さんの言葉が掲載されていました。『サピエンス全史』下巻には「進化と文明の歴史を幸福の視点から問い直す」、同じく『ホモ・デウス』下巻には「科学技術の終焉か?パンドラの箱が今開く」。人類学者、霊長類学者の観点から、是非、NHK「90分de名著」等で、解説・論表してもらったら面白そうだなあと思います。

 

まだ、ハラリさんを食べ過ぎて胃モタレ感が残っているような状態です。これは決して食あたりではないと思うのですがね。

 

 

 お題「冬を乗り越えようとしている鉢植え」。やや春の兆しが、と思いきや今週は大変な寒波到来です。皆さま、くれぐれもご自愛のほど。2019年2月8日撮影。

 

 

オマケ。じゃこ入りニラ玉炒め。じゃこをカリカリに炒めてからお酒で煮詰める。いったん取り出す。卵を半熟程度に、塩コショウして、これもいったん取り出す。ニラを炒めて豆板醤を加え、じゃこ、卵を戻し入れる。お酒のつまみです。冷えてもソコソコ美味しい。1月31日、料理と撮影。