クルルのおじさん 料理を楽しむ

鯱城学園『文化祭』、11月14~16日。

鯱城学園第34期園芸科、文化祭・展示作品「苔玉」。園芸一年生(34期生)は一人ずつ全員が作って展示しました。背の高いのが「ヤブコウジ」、赤い葉が「万両」、赤い実が「チェッカーベリー」。それぞれを育てると大きく成長するのですが、苔玉にすると根が大きく張らないので、ずっとこの大きさ(小ささ)を保ってくれるそうです。赤い葉の万両は、園芸家の吉田篤先生が作り出した自慢の品種。大変に珍しい万両とのことです。家族にラインで写真送付したら、色・形・バランスが良いと褒めてくれました。嬉しいですね。2019年11月13日、撮影。

 

 

2019年11月14日(木曜日)、10:00、「いよいよ待ちに待った文化祭です!」と開会宣言があり、第34回鯱城学園の文化祭が始まりました。会場は名古屋市高年大学鯱城学園(伏見ライフプラザ内)です。主催は鯱城学園学生会。この日、学生の皆さんは9:40に専門学科のクラスごとに集合点呼をしたあと、5階の鯱城ホールにて開会式が行われました。全席自由席ですが、自然にクラスごとに集まって座りました。

”「待ちに待った」というほどの高揚感は無いけどなあ?”とうそぶきながらも、皆さん元気に大きな声でご挨拶です。

例によって、僕の備忘録として時系列に沿って文化祭の模様を記載します。お付き合い下さい。 

 

 

2019年11月13日(水)、文化祭、前日。最終準備・展示パネル等々の設営の日。文化祭の行事は、各専門学科のクラス単位で行うものと、各クラブごとに行うモノの二種類があります。全学生は、必ず専門学科を専攻していますし、同時に、いずれかのクラブに所属することがマストになっていますから、一人で必ず二つ行事に参加することになります。そして行事は大きく二つに分かれています。展示行事とホール行事。展示行事は、専門学科やクラブの活動ぶりを紹介したり、各自の制作した作品を展示するもの。普段は教室として使っている部屋を展示室として作品を展示しています。ホール行事は、大ホールの舞台に立って、芝居・寸劇、歌・楽器、踊り・ダンス等々の普段の活動の発表会です。

 

この日、文化祭の幹事さんは朝から準備のために登校。一般学生は12:30ごろに各学科、または各クラブに集合。自分の作品を持参して展示したり、グループの共同作品を展示する作業をします。僕は隠れ家から園芸科の作品「苔玉」とパソコンクラブの展示作品を持参しました。役員・当番の方々が展示室の準備を完了してくれているので、自分の作品をそれぞれの教室の所定の位置に展示するだけ。すぐに準備は完了しました。

  

一段落してから、あちこちに見学に。ホールではリハーサルをやり始めたとのことで、園芸科・四班のマドンナが出演予定のダンスクラブのリハーサルを四班の仲間たちと見学に行きました。初めてのダンスの舞台で流石のマドンナも緊張気味、仲間たちからは”もっと背筋を伸ばせっ!、笑顔、笑顔!”と小さい声ながらも声援(ヤジ)が送られていました。

 

 展示は3フロアに亘っており、一覧するだけでも大変なボリューム。クラス・クラブ併せて34のグループが作品展示をしている由です。ホールでの発表は同じく31のグループによるものとか。仲間の作品がどこに展示されているかを掴んでおいて、この日は終了です。準備は万端、イヨイヨ明日から三日間の文化祭です。 

 

  

2019年11月14日(水)、第一日目。冒頭に記載した通りの開会式で文化祭がスタートしました。園芸科の展示室には、僕達一年生、それから二年生、そして「趣味の園芸」クラブの作品が展示されています。

僕達一年生の作品は、一回の授業で作った、それこそ一夜漬けの「苔玉」ですが、二年生は4月から準備を開始して半年以上かけて作り上げた「盆栽」。展示振りもなかなか堂にいったもので粋な感じに仕上がっていました。

 実は、この前の週に高校時代の同期会の集まりがあり、名古屋城本丸御殿の見学会をしたのですが、城内に入るところで園芸科の教務担当の先生とバッタリ出くわしました。城内で行われている「名古屋城菊花大会」に、鯱城学園の先輩の作品が展示されているので見学に行った帰りと。これは大変なご縁!。時間はたっぷりとあったので、僕たちも寄り道をして「菊花大会」展示を見学に行きました。菊花大会の展示の一部門として盆栽の作品があり、さらにその一角に鯱城学園の現役・OBの作品が展示されておりました。見事なものでした。

 

文化祭の展示室で二年生の方にお聞きしたところ、各自が二鉢の盆栽を制作し、一つを名古屋城の菊花展に出展。もう一つを学園の文化祭に展示しているとのこと。”なんとまあ、園芸科に一年間、在籍するだけで、こんな専門家のような盆栽を作ることが出来るのか”とビックリです。来年はこの「盆栽」に僕たちが挑戦することになるらしい。とても自分にできる訳がない!とプレッシャーを感じますが、苔玉もそうでしたが、講師先生のご指導が良いから出来るようになるのであろうと気楽に考えることにしました。

 

 もう一つの「趣味の園芸」クラブの方々の作品も立派なモノばかり。聞けば、こちらは鯱城学園に二回目に入学された方々がクラブ活動として好きな「園芸」を楽しんでいるケースが多いとのこと(註;鯱城学園は二回まで入学することが可能ですが、同じ専門学科の受講を継続することは出来ない仕組みになっています)。要するに、こちらも二年以上の園芸の経験者がほとんどですから、実質、僕たちの大先輩になる訳です。道理で展示作品の一つひとつが個性豊かで完成度が高いはずだと納得しました。

  

園芸科の展示室の特色は、お土産を準備していること。花の種、花の苗、野菜の苗、観葉植物の苗等々。配布するのは決まった時間帯だけですが、お持ち帰り自由(但し、おひとり様一回には一品だけ)。毎年の園芸科の慣例のサービス行事になっています。

 

  

2019年11月15日(金)、二日目。

この日の午後が僕達4班の担当時間です。12:00過ぎには、ほぼ全員が集合。頼りになる班長さんがこの日だけ都合が悪く欠席で「代わりをよろしく」と頼まれておりました。班長さんの代わりが務まるとは思えませんが、とにかく安全第一を心掛けて展示室を見守っておこうと。4班のみんなは件のスーパーレデイ提供の種をポッドで育てた「絹さやエンドウ豆の苗」を持参。班長さんは事前に、エンドウ豆の苗に加えて、数が不足した時のために、別途、自分の農園で育てている他の野菜の苗も準備してくれていました。この心遣いがホントに偉い!。

 

僕は、このエンドウ豆の苗を隠れ家で自分でも育ててみたかったので、2-3ポッドを内緒で隠れ家に温存しました。その代わりに、ちょっと恥ずかしかったのですが、以前の授業で頂いた斑入り植物「錦笹」をポッドに挿し木して増やしたモノを4-5ポット持参して辻褄を合わせました。”持って帰ってくれる人が誰も出てこなかったら寂しいなあ”と心配しながらでした。

 

一時から配布を開始。「園芸の展示室では花や野菜の苗を無料配布」していることは、毎年のことですから知っている人はよーく知っています。一時前には配布開始を待つ人が出てきました。そして一時には長い行列が。僕達の想定以上の混雑状態。準備したビニール袋に入れて渡すだけでも大変なのですが、”育て方はどうするの?”、”肥料は?”、”支柱が必要では?”等々イロイロな質問・意見が出され対応に時間がかかります。順番待ちでイライラしてそうな人もいるような。また「おひとり様、一回に一品だけ」と貼り紙が出ているのに二つ三つ欲しがる方も。てんやわんやの状態ながらも、言い争いにならないところが鯱城学園の学生さんの良く出来たところです。皆さん、日ごろの講義から楽しいコミュニケーションが大切なことを十分に認識、そして、ユーモアを理解されています。

 

一時間も経過しないうちに、準備したお土産は全てお持ち帰り頂き、楽しく配布会は終了しました。心配していた「錦笹」ですが、全くの杞憂。配布の棚に載せたとたんに「あっ、こんな笹が欲しかった」と数名の方が持って帰ってくれた由。クラスの方、クラブの方からも余分があれば欲しいと声をかけて頂けました。ホッと一安心、嬉しかったです。

この日の収穫がもう一つ。普段、班の活動にあまり積極的でなかったおじさん(偏屈で気難しそうなおじさん)がいるのですが、その方ともこの展示会の当番の場で結構長く話が出来ました。これも文化祭効果かも知れません。話が弾むというほど盛り上がった訳ではありませんが、初めてコミュニケーションが取れたようにと思います(多分)。次週以降は楽しく挨拶できるかも知れません。

 

 

2019年11月16日(土)、三日目。あっというまに最終日です。この日は、パソコンクラブの方です。午後13:00~14:00が僕の担当時間。早めに登校して、園芸の展示室に立ち寄り、昨日、好評だった「錦笹」のポッドを追加で提出しました。見ると他のメンバーの方も追加のお土産を持参されて来ているような。照れて「沢山育って、余ってしまって邪魔だから」などと言ってますが、喜んで持って帰ってくれる方の笑顔を見て嬉しくなったからだと思います。

  

パソコンクラブの当番は、展示室でクラブのパッピを着て、来場者から何か質問等があれば分かる範囲で対応すれば良いだけ。僕の担当時間には何人かの先輩・同級生が一緒でしたから楽しいコミュニケーションの場になりました。このクラブでは普段から一年・二年生が一緒に授業を受けています。先生が教える内容を先輩の二年生が新米の一年生に丁寧に説明して助けてくれています。

 

4月以降の授業は、①まずパソコンを一人で立ち上げられるようになること、②手始めに「ワード」を使えるようになること、そして、③ワード機能を駆使して文化祭での展示作品を制作しよう、ということでやってきました。

 

各自が自分のパソコンを教室に持参して授業を受けるのですが、困ったことに僕のパソコンには「ワード」は入っておらず、事務的には同じワープロ機能である「ドキュメンツ」を使って文章作り等々をしておりました。今までは何も不便は感じていなかったのですが、③の文化祭の展示作品を制作する段階になると両者の機能の差は一目瞭然。 

ワード機能を駆使した作品を制作するのは僕の「ドキュメンツ」のワザでは無理なので、クラスの中で一人だけ別な路線に。このブログを紹介することを作品そのものにすることにしました。先生のご指導を受けて、模様・デザインを取り込んだり、ブログの埋め込みを添付したり、ブログのQRコードを作成・添付したり、新しいワザを勉強させて頂きました。作品には氏名を記載するのですが僕の作品は「クルルのおじさん」で展示することで了解を頂きました。

 

 

      

左が「クルルのおじさん」の作品。中が園芸科の同級生の作品です。生まれて初めてパソコンに触った全くの初心者さんが先生と先輩のご指導でこのような作品を作るまでに。ユーモアがあって楽しい作品に仕上がっていると感心しました。右はパソコンクラブのクラブ代表(二年生)の作品。とてもワープロ作品とは思えない出来栄え。作り方の説明を聞きましたが、いまだに理解出来ておりません。もう、これはプロの作品ですね。

               

 

最終日は、14:50に閉会式 。その後は直ぐに撤収作業を開始。皆さん、決してさぼったりしません。掃除も一生懸命です。奉仕の精神、皆のためになることを楽しんでやろうという気持ちが充満しています。あっという間に展示物を撤去、部屋を元通りの状態に戻して、机・椅子をセット。すぐにでも授業を受けることが出来る状態になりました。

 

全て終了後、園芸科の四班有志で反省会。近くの喫茶店に移動してお茶をしました。鯱城学園のグループが大勢いらっしゃって打ち上げ会や反省会をされています。大変ににぎやか。入ってきた若いカップル(アベックではありません)がかなり怪訝な表情、”今日はお年寄りの集まりの日か?、老人の日って祝日があったかな?、あれは敬老の日だろ”なんて顔をしていました。

 

 

〇園芸科の同級生・仲間たちの作品。 その1.陶芸クラブ。

 

        

 

         

 

左上;四班で席がお隣り、農園では畑がお隣りの方の陶芸作品。上級者です、感心しました。径は30㎝ほどはある大型の作品です。色・形ともに素晴らしいとしか言いようがない。

右上:園芸の隣の班の方の作品。次回からいよいよ轆轤に挑戦するそうです。

左下;四班の優しい班長さんの作品。人柄が作陶にも出ているか!?。

右下;四班の最年少男子(多分)。天目茶碗。実物は写真よりももっと渋い色が出ていました。園芸の展示室に別途作陶した花瓶を持参、スーパーレデイの赤唐辛子を入れて飾ってありました。隠れ家に持って帰ろうと狙っていたのですが、残念、誰かに先を越されてしまいました。

  

 

〇園芸科の同級生・仲間たちの作品、その2.絵手紙クラブ。

 

         

左;四班、件のスーパーレデイの作品。スーパーレデイというよりも姉御というのが相応しいかと思うようになりました。

右;四班髄一の知性派タイプの方の作品。絵手紙の極意は”下書き無しで一気に描ききる”ということらしいです。

 

 

◎これら以外にも、書道、水彩画、水墨画、写真の展示では、レベルの高い作品が多数展示されていました。また、この学園の学生さんらしい「福祉」「環境」をテーマにした研究・啓蒙活動の展示にも大変に興味を惹かれるものがありました。素晴らしい活動であると感じています。

 

鯱城学園『文化祭』、前夜

名古屋市千種区平和公園です。9月に比べると”パンパスグラス”(学習効果ですね!)が大きくなっているような。もう直ぐ、本格的な紅葉の季節ですね。2019年11月9日、撮影。

 

 

 

10月30日、水曜日、鯱城学園の共通講座です。この日が、文化祭前の最終講義になります。次週は、準備の為に休講。この日のお題は『ルーヴル美術館への招待~名画を読み解く~』、講師は美術史解説家の矢澤佳子さん。フランス国立ルーヴル学院で「図像学」を学ばれた方。「図像学」というのは、絵画や彫刻などで表現される”図像”の意味やその由来などを研究する学問とのこと。講師の先生の説明では、「映画『ダ・ヴィンチ・コード』で主人公のラングトン教授が次々に秘められた謎・暗号を解読していきますが、イメージ的にはこのような学問です」とのこと。ダン・ブラウンの本は一時よく読んでいましたし、映画もほぼ全て見ていたので(ラングトン教授役は、あのトム・ハンクスが演じていました)”これは面白い講義に違いない”と興味深々。

 

 

第一部は、ルーヴル美術館の全体の説明・解説。ご存じの通り、パリの中心部にあり地下鉄の駅が三駅に跨る大きさと。名古屋で言えば、名古屋駅-伏見駅-栄駅に跨ってずーっと全てが美術館というイメージ。学生時代に貧乏旅行をしてパリに行ったことを思い出しましたが、ひたすら広い・大きな美術館であることは間違いないと思います。常時の公開作品が約三万点、保管されている作品は25万点もあるそうです。「古代オリエント~エジプト~ギリシャ・ローマの美術工芸・彫刻・絵画」と聞いているだけでお腹がいっぱいになりそうな。フランス人には古代エジプトマニアが多いそうですが、若い時にルーヴルでその時代の作品を見たことが後々まで影響を与えていることが多いとか。納得できそうです。

続いて、超有名作品の簡単な紹介をされました。「ハムラビ法典」「ミロのヴィーナス」「サモトラケのミケ」「モナリザ」等々。そうでした。昔、訪問した時は、ひたすらこれらの超有名作品を探しまくったものです。作品を鑑賞するというよりも、オリエンテーリングでそのポイントを外さずに辿っただけのような忙しさでした。「ヴィーナス」「ミケ」の迫力ある展示に比較して「モナ・リザ」の小さいことに驚いたことを思い出しました。懐かしい思い出です。

 

 

第二部では「名画を読み解く」と題してルーベンス作の大型絵画、24枚の連作「マリー・ド・メディシスの生涯」の解説です。後日、改めて調べてみたところ、近代以前の美術作品では、その当時の社会的、宗教的なメッセージを表現するものが多く、作品を制作する際の約束事(=例えば、百合は純潔を表し、持っている方は聖母マリア様)が決められている。その約束事を守って表現することで観る人もそのメッセージを理解することが可能になっていると。簡単に言えば、その約束事を研究するのが「図像学」(と理解しました)。

この連作の解説で、都市、国にもそれを表す「擬人像」があること、正義、思慮、寛容、豊穣等々の概念にも「擬人像」があることを教えてもらいました。無実とか平和、母性愛にも同じく「擬人像」があるそうです。例えば、マリーさんが初めてフランスのマルセイユに入国する時の作品には、フランスの「擬人像」、マルセイユの「擬人像」、名声の「擬人像」が描かれている由。マリーさんの息子さんはルイ13世だそうですが、息子さんとの仲違いの後に和解の申し出を受ける作品には「用心深さ」の擬人像まで登場しているそうです。ダン・ブラウンの小説ではラングトン教授は「宗教象徴学」の専門家となっていますが、どうもこの「宗教象徴学」というのはダン・ブラウンが創り出した世界なのかも知れません。小説の冒頭には「この小説の記述は、全て事実に基づいている」と記載されていますが、ここからすでに彼の世界に引き込まれているように思います。勿論、この先生の講義は、謎解きの様なものではなく、真っ当な「図像学」の観点から説明されていました(と思います)。

 

 

お昼はいつもの様に持参した弁当を食べて、午後は園芸の専門講座。この講座で「苔玉」を作ってそれを展示することで「文化祭」への対応は十分であると考えていました。ところが・・・、講座の前に文化祭の説明があり、この段階で問題があることが判明。二年生とのすり合わせに誤解があったのか、幹事さんの間での意思の疎通が十分でなかったのか、園芸科の一年生としての文化祭への対応にイロイロと不備があることが分かりました。授業のあとで急遽、クラス全体の打ち合わせをすることに。僕は授業の後に予定を入れていたので参加出来ず。翌々日、農園実習があるので、その時に打ち合わせさせてください、と班長さんにお願いして退出しました。 

 

 

11月1日、金曜日。早朝から農園での実習です。この日は大忙し。植えてあるダイコン、カブ、ニンジンの間引きと追肥。ジャガイモ、ネギに土寄せと追肥。新たに、コマツナ、ホウレンソウ、シュンギクの種まき。普段よりも長時間の重労働。作業を終えてから、班長さんから集合がかかりました。「先の打ち合わせで、文化祭への対応として各班ごとに展示室での掲示資料を作成することが要請された、本日、出席メンバーで四班としての対応を話し合いしたい」と。その日は5人のみの参加でしたが、皆さん、予想されたことなので快く了解。近くのイオンモールで昼食を取りながら打ち合わせをすることになりました。

 

 

各班ごとに要請されたのは、大判の用紙に(模造紙の大きさ、愛知ではB紙という呼び方が一般的とか)園芸科一年生の各班ごとの活動状況を纏めて掲示する必要があるというもの。班で集合できる日は、この日の次には文化祭までには一回か最大でも二回しかない。時間がオセオセになっています。”なんで今頃になって、こんなことを要請してくるんやあ!”と皆さん思っていても口には出されない=大人の集まりです。今日中に具体的な掲示資料の内容を決めて、作成の準備を開始しなければ間に合いません。

真面目で優しい班長さんは、 二つのパターンの資料案を準備されていました。写真資料の準備もされているし内容も面白そうなもの。時間が限られていることだけが悩ましいところ。ここで件の凄腕のスーパーレディが登場。文化祭での来場者へのお土産に四班の皆さん一人ひとりに絹さやエンドウ豆の種子を準備して配布してくれた方です。「時間が無いので一気に完成出来るものを考えてきた。他の班が農園での作物の生育・収穫に焦点を当てているようなので、自分達の四班は、教室での講座をテーマにしては如何か」と。レイアウトも準備して来られました。今までの園芸講座を写真と文章で紹介するものを、段取り良く整理されていました。”とにかく時間が無い。次週の水曜日の午後だけで仕上げてしまう必要がある”。5人で相談結果、この凄腕のスーパーレディの案を採用することに決定しました。これで二回目、四班の危機?を救った救世主ということになります。班長さんの準備頂いた案はボツにするのは勿体ないので来年の文化祭に使おうということになりました。

 

 

緊急事態にはより一層、結束が固まるものです。班長さんの人徳・お人柄とスーパーレディのナイスサポートを基にして、昼食時の打ち合わせで各自の担当を決め、ほぼ目途がたちました。班長さんもようやく一安心。凄腕の救世主に感謝、感謝。この日の歓談で、班長さんはお酒が飲めないvsスーパーレデイは酒豪であることが分かりました。結束が固まったところで、文化祭が終了したら四班で打ち上げをやろうということになりました。

僕は次週の水曜日も参加出来ない状況であったので、隠れ家に戻ってから、宿題に出された講座の内容、感想コメント等の書き込み資料を整理してメールで幹事さんに送付しました。後日、確認したところでは、段取りよく準備して臨んだので、その午後だけで四班の掲示資料は無事に完成させることが出来たとのことです。 

10月30日の午後の園芸講座で「苔玉」は何とか準備できました。講師は前週に続き、園芸家の吉田篤さん。アシスタントの方と二人で、それこそ、手取り足取りで制作を手伝って頂きました。隠れ家では、スーパーレデイ提供の絹さやエンドウ豆の種も無事に発芽し何とか順調に成長してくれています。 掲示資料も出来上がったことだし、これで文化祭を楽しく迎えることが出来そうです。

 

 

一方のクラブ活動のほうですが、僕は「パソコンクラブ」に属しています。こちらも大変な苦労?があったのですが、クラブの教師先生と二年生の指導よろしきを得て展示作品は完成しております。次回のブログでは、文化祭で展示した作品を掲載したいと思っています。 

 

 

おまけ(その1.)です。

10月30日のお弁当です。のり弁にレンコンのチリチリ焼きとシラスと豆苗炒めのっけ。オカズは、おからの炊いたん、ざーさい、ダイコンときゅうりのサラダ、シラスと豆苗炒めにエビを加えて味付けしたもの。ざーさい以外は自分で調理しました。この日以降は当分、弁当を持参する機会が無いのです。ホッと解放されたような、反面、(機会が無くて)寂しいような気分ですね。10月30日、料理と撮影。

 

 

 おまけ(その2.)です。

10月25日に収穫したサツマイモ。班の中で一番最後の収穫になりました。この週末までには収穫を完了しておく必要があり(次の作物の準備があるため)、次の日は大学のゼミの同期会に出かける日であったので、この日に一人で農園に行きました。事前に班長さんから収穫の手順を教えてもらいました。初めての本格的な収穫作業。既に収穫した班の方の話から”10個くらいは取れるかな”と思っていたのですが、写真の通りの大収穫。自分でもビックリ。サツマイモは、収穫後一週間ほどは寝かせておくのが良いそうです。翌週末に自宅に帰った際に、カミさん用、三人の子供たちの家庭用に新聞紙で包んで持って帰りました。一番最初に配った次女の家では早速に次男(=僕の四人目の孫)の離乳食に使ってくれたそうです。嬉しいもんですねえ。

 

同期会・2019年;”ヴォーリズさん、一柳満喜子さんとの出会い”

国宝「彦根城天守、附け櫓および多門櫓」です。彦根城以外で国宝の天守を有するお城は、姫路、松本、犬山、松江だけとのこと。昨年は姫路城に行きましたから同期会の催しで全国の国宝天守の2/5を訪問したことになります。お天気にも恵まれ絶好の観光日和り、修学旅行の生徒さん等多数の観光客が来場されていました。2019年10月26日、撮影。

 

 

今年も大学のゼミの同期会に参加することが出来ました。今年のテーマは「近江路へ」。この地域出身者が二名いたので、関東・関西から参加しやすい場所で、且つ、見どころ・テーマがあると思われる処としてみんなの合意で選びました。幹事が事前に立派な工程表を作成・配布してくれました。

10月26日・土曜日、13:00に彦根駅に集合。彦根城見学。その後、近江八幡駅に移動。お迎えのバスで近江八幡休暇村に。夕食と懇親。翌27日は八幡山城跡、一柳記念館(ヴォーリズ記念館)等々市内の史跡を見学。昼食の後、解散。というものです。今回は東西から合計7名が参加です。

 会社関係で地方に行くときには、得てして温泉・ゴルフ・食べ物に焦点が当たりがちで、その地域の文化・歴史に触れることは余りありません。気の置けない仲間とこういう機会にイロイロな処に行くことが出来るのは有り難いことだ、と楽しみにしておりました。

 

 

幹事さんからの工程表を見てハタと気づきました。”おおっ、彦根城といえばチャンポンではないか。13:00集合であれば丁度良い。早めに行って、お昼に再びあのチャンポンを食べることが出来る”。ご存知ドラゴン先生に連れてってもらった「らーめん本気」が頭に浮かびました。 

 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

”折角だから、参加する連中にも声をかけてみよう”と、幹事さんの連絡メールに返信する際に「お昼の企画・チャンポン」をご案内。早速に折り返しのメールが入りました。希望者が5名!。小さな店なのでイロイロ心配がありましたので、事前にお店に電話したのですが「予約は受け付けていない。土曜日は(混むから席に着くまで)外で並んで待ってもらうことになろう。注文とってから出来上がるまで時間がかかることもある。」と真面目で良心的ではありますが連れない返事。

 

 

当日、僕達グループはお店に12:00ごろには到着出来たのですが、すでに4-5人が順番待ち。久しぶりの再会なので近況報告をしていたら、待ち時間もあっという間でした。今回は、チゲあんかけチャンポンを注文しました。キムチチャンポン、野菜チャンポン等々皆さんイロイロな種類を頼みましたが全員ご満悦の様子。やはりこの店のメンは美味い!。チャンポン幹事としてはみんなが喜んでくれて何よりでした。

ちなみに「らーめん本気」は「らーめんマジ」と発音することが今回の訪問で分かりました。後日、ドラゴン先生にも詳細を報告。予想通り、羨ましがっている気配が濃厚な返事がありました。はいはい、これも大変に楽しいことです。

 

 

予定通りにスケジュールをこなし、翌日は八幡山城跡を見学後、市内のヴォーリズ学園ハイド記念館に。僕の知識ではヴォーリズさんというのはアメリカ人の建築家で神戸女学院の講堂を設計された方。何故覚えているかというと内田樹さんが著書のなかで、その講堂と設計したヴォーリズさんのことを絶賛していたから。本を読んでもすぐに内容を忘れてしまうことが多いのですが、この記述は大変に印象に残っています。ところが今回の訪問で僕はヴォーリズさんのことを全く理解していなかったことを痛感させられました。参加したこの地域出身者に言わせるとヴォーリズさんは、宣教師であり実業家であり教育者でありそして建築家でもあるというスーパースター。僕自分の知識がいかに狭く限られたものであったかと大反省でした。そして、それだけではなく、「ハイド記念館」では更に驚きと感動の発見があったのです。

 

 

僕達が当初、訪問したのは「ヴォーリズ記念館」。ところがここは見学するには事前予約が必要で、かつ、入場時間帯の制約もあり。入場は叶いませんでした。それでも応対してくれた方が大変に親切で「となりのハイド記念館で『一柳満喜子没50周年記念企画展』をやっているから、是非、足を運んで欲しい」と。この地域出身の二人も含め誰も「一柳某さん」がどんな方かも存じていないまま足を運びました。ハイド記念館は、旧近江兄弟社の幼稚園舎なのですが、その園長先生が自ら僕たちの案内役をして一時間以上お付き合い下さり丁寧に説明をして頂きました。

 

 

ヴォーリズさんという方は大変に敬虔なクリスチャンです。オランダ系のアメリカ人です。両親の影響もあり外国伝道を決意するのですが、通常の場合、外国伝道をする宣教師は専門の神学校を出て、その神学校から任命され支援を受けながら伝道活動をするそうです。それに対して、ヴォーリズさんは全く独立の開拓伝道者として日本に来たと。そして今まで宣教師が活動をしていない地域を自ら志願して、この近江に足を踏み入れたとのことでした。とにかく人望の大変に厚い方。内外を問わずキリスト教の奉仕・寄付の精神に基づいた支援者がヴォーリズさんの人柄に惚れて、寄付・支援の申し出をした。そのお陰を以てイロイロな事業を成功させることが出来たとのことです。

 

 

 僕達の世代の人は良く知っていると思いますが、傷薬「メンソレータム」の近江兄弟社。これはアメリカ企業のメンソレータムの創業者のハイドさんがヴォーリスさんに日本での製造・販売代理権を与えてくれたお陰で設立出来たものだそうです。近江兄弟社は教育事業、病院・療養所の建築等々に注力。全てはキリストの福音を近江の地に伝道するため。事業で儲けたお金は社会に還元する、人はみな兄弟姉妹との考え方です。近江兄弟社の”兄弟”というのはそういう意味だったのですねえ。今になってやっと理解することが出来ました。僕はキリスト教とは何の関係もありませんが、ここまで使命感を持って異国の地で活動されたヴォーリズさんには大変に感動しました。”畏敬の念”というのはこういう感情かも知れません。ヴォーリズさんは、1880年アメリカ生れ、1964年に近江八幡の自宅での療養生活の後に召天されたとのことです。

 

 

そして一柳満喜子さんの登場です。ヴォーリズさんの奥さんです。記念館の入り口に結婚された時の晴れやかな写真、後年のお二人の何とも言えない良い表情の写真が展示されています。所謂「徳」を積んだ方の表情はこんなに爽やかな美しいものかと驚かされました。お二人ともに美男美女であるのは間違いないのですが、表面的な美しさではなく、美しい心がそのまま表情に出ています。

一柳は「ひとつやなぎ」と読みます。子爵令嬢として1884年明治17年)東京生まれ、ミッション系の女学校に。神戸女学院音楽部のピアノ科の第一期生であった由。卒業後アメリカ留学、洗礼を受け、高名な女性活動家のアリス・ベーコンさんの助手に。帰国後、津田塾の講師として勤務。兄の邸宅の設計・建築に関わっていたヴォーリズさんと運命的な出会いがあったそうです。そして、ヴォーリズさんと結婚。華族籍を離れて、ヴォーリズさんに従い、ご自身生れて初めての地である近江八幡に移り住むことに。そして近江兄弟社の教育事業に一生を捧げられたとのことです。案内をして頂いた園長先生はじめ記念館にいらっしゃる方々は全て満喜子さんの大のフアン、この企画展で満喜子さんのことを世の人々にもっと理解して頂きたいと一生懸命の案内でした。満喜子さんは昭和44年(1969年)に召天。今年が没後50周年になります。そうなんです。脈絡は全くありませんが、僕たちが高校を卒業した年に召天されたことになります。

 

 

お二人が結婚したのは、1919年。ヴォーリズさん39歳、満喜子さん35歳の時。華族アメリカ人と結婚するというので当時の日本の社会的な大問題になったそうです。親交のあった広岡浅子さんからの励まし・力添えもあり結婚に踏み切れたとか。広岡浅子さんはNHK連続ドラマ「あさが来た」ですっかり有名になりましたが、この満喜子さん、そしてヴォーリズさんご夫妻の一生も次の朝ドラの有力な候補になっても不思議は無いと感じました。日本の激動の時代に大変な活動・事業を行ったお二人にエールを送りたいと強く思いました。

 

 

ちなみにヴォーリズさんは、アメリカとの関係が難しくなった1941年に日本に帰化。戦時中はお二人とも軽井沢に移住されていた由です。ヴォーリズさん、日本名は一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)。メレルは彼のミドルネーム。米来留は、アメリカ「米」から「来」て近江に「留」る、との意味を込めてとのことです。

 

  

学校法人ヴォーリズ学園の中庭です。有形登録文化財になっています。この右奥にハイド記念館(旧近江兄弟社幼稚園舎)があります。お話を伺った後、改めて見ると大変に感慨深い、風情のある佇まいであると感じました。2019年10月27日、撮影。

 

 

前夜は、近江八幡休暇村の大きな食堂で、近江牛のすき焼き・ステーキ・ローストビーフを堪能しました。お替り自由=食べ放題、大変にお値打ちの休暇村です。ラグビーW杯で、優勝候補のニュージーランドイングランドに敗れた夜でした。僕達のグループにもラグビーのフアンが沢山いて(僕も熱狂的なフアンの一人です)、夕食の間は試合のことを気にしてソワソワしていたのですが、結果が分かると腰を据えての飲み会となりました。

 

食後は例によって場所を変え、幹事部屋に移動。持参したウイスキー、焼酎を飲みながら。学生時代の思い出話、参加していない連中の近況を分かる限り報告し合いました。更に飲むほどに、学生気分に戻り、最近の天下国家、戦争を知らない僕たちの世代、日本国の憲法改正の是非について、深夜まで喧々諤々の楽しい会話に花が咲きました。やはり年のせいか、持参したウイスキー一本で十分に酔い、焼酎は手つかずのままでした。

 

来年は、淡路島に、大塚国際美術館巡りをテーマに行うことが決まりました。九州、四国在のゼミ生がいるので元気なうちに会える機会を増やそうと、出来るだけ皆が参加しやすいであろうところを選びました。

 

晴耕雨読のI君、料理教室のA君、ピアノ教室のD君、美術館巡りのK君、相変わらず皆さん自分の生活を楽しんでいるようです。そして、翌日の朝食時、今年で仕事を完全に卒業した㎅君からお孫さんの話。14歳でモスクワのボリショイバレイ学園に留学中とのこと。発表会のビデオを見せてもらいましたが、おじいちゃんとは体形が全く違う。舞台での表情が大変に豊かな、生まれながらのスターかと思わせる美少女。全員が「よかったねえ」と激励の言葉。

 

それに対して京都のY君からは嫁はん=奥さん話、60歳を過ぎてからクラッシクバレーを始めた、既に5年ほど継続している。減量にも努力して発表会にも出演するようになったと!。自宅の一部を改修してバレーの練習が出来るスペースを作っている。14歳の才能あふれるバレリーナは翅のようにふわりふわりと舞うだろうが、自分の嫁はんはドスンドスンと舞っていると。全員大笑いしながらも、60歳超でバレーに挑戦している嫁はんには拍手喝采でありました。来年、また、皆な元気に再会できて、自らの自慢話、孫自慢、嫁はん自慢に花を咲かせることが出来ます様に!。

  

 

 

おまけです。過去三年分の「同期会」の記事を埋め込んでおきます。ご一読頂ければ嬉しいです。 

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鯱城学園・共通講座、二題

鯱城学園、園芸講座。お題は「秋の山野草」、講師は園芸家の吉田篤さん。前回、6月26日「斑(ふ)入り植物の魅力」に続き二回目の登場です。夏の終わりから秋にかけて花をさかせる山野草のお話です。ご自分で育てられている鉢をたくさん持参して頂きました。ダイモンジソウ、ホトトギス、シャジン、野菊等々。今回も、珍しい貴重な品種にまつわる園芸業界の生々しい話を面白くお話して頂きました。次週の講座では、文化祭の時に出展することになる「苔玉の作り方」を教えて頂く予定になっています。2019年10月23日、撮影。

 

 

 

鯱城学園、共通講座のまとめです。僕の備忘録として記載していますが、毎回、その筋ではかなりレベルの高い先生の講義なので、一読して頂ければ面白い内容かと。

 

 

10月16日の共通講座です。お題は「老人語力を伸ばそうーー多世代共生の時代」、講師は成田徹男さん。専門は「言語学」。昨年まで名古屋市立大学の人間文化研究科の教授をされていた方です。講義の前に「ちょっと前置き」と「一つのお願い」がありました。今までの共通講座の経験からは、講義を離れての雑談の類の方が圧倒的に面白い。今回も何をお話されるのか興味深々です。

 

「ちょっと前置き」は成田教授の大学の話でした。名古屋市立大学は元々、医学・薬学・経済学の三学部からスタート、それに、人文社会・芸術工学・看護が加わり、さらに、総合生命科学が加わったユニークな市立大学とのこと。名古屋大学を”メイダイ”というように、名古屋市立大学も短縮形が使われる。メイシダイ=名刺の大きさか!?と笑いを取られました。笑いを取った後ホントに伝えたかったことは、この成田先生の人間文化研究科は「社会人向けに夜間も開講し長期履修が可能な制度を設けている。2年間の授業料で修士論文を仕上げるのに4年かけて良い(4年間、在学できる)。最高齢の方は78歳で入学された。鯱城学園も良いが是非”メイシダイ”にも来てほしい!」と。大うけでした。僕は大変に良い制度であると思います。 

 

「ひとつのお願い」は、英語表記でも日本人名は「姓」を先にしよう!との呼びかけ。中国、アジア圏の国々で苗字を先に記載・読み方している姓名に対して英米のニュース等では、その通りの記載・読み方をしているのに、日本人に対しては相変わらずシンゾー・アベと言われている。アベ・シンゾーと読んでもらいましょう。一致させましょう!という呼びかけです。僕は大賛成。英語で記載・話すときも、普段使っている通りの通りの姓・名の順で記載するほうが良いと思っています。先生の話では、最近の学生さんは既に「姓」を先に記載する方がかなり多くなっているそうです。

 

 

本題の講義の骨子は、以下のようなものでした。

●「言葉」は時代、場所、社会・職業・集団で変化する。変化することに抵抗するのは「むだな抵抗」と言われるが、決して「むだ」ではないはず。「あえて言葉の変化に”あらがおう”」というのが、この先生の主張です。

●そして、子供のころに使った言葉、「老人語」では響きが悪いので可愛らしく「じいじ語・ばあば語」を駆使して「言葉コスプレ」を楽しもう。「言語は伝達手段であると同時に、話し手の自己意識、自分らしさをかたちづくる」というものです。

 

 

「老人語」という言葉は辞典にチャンと載っているそうです。「すでに多くの人の常用語彙の中には無いが、高年の人には用いられており、まだ死後・古語の扱いは出来ない語」とのことです(三省堂の「新明解国語辞典 第七版」)。最近では「老人語」という用語は避けられており「ナニナニの古風な表現」とされているとか。先生のおっしゃる「言葉コスプレ」というのは、このような言葉をそのまま死語にしてしまうことが無いように、それを利用して「老人キャラ」を楽しもう、積極的に使って「老人語力をのばそう」というもの。古い表現を利用して、上品なおばあさま・おじいさまを演じる、ガンコじじい・文句ばばあを演じる、こだわり老人を演じる、頑張り老人を演じる。「じいじ語・ばあば言葉」を利用してイロイロな老人のキャラを演じて楽しむ。言葉の変化にあらがおう、との主旨です(だと理解しました)。

  

 

講義の流れ・先生の主張は100%は理解出来なかった様に思いましたが、随所に面白いお話がありました。「テクシー、アベック、ナウい、チョッキ、とっくりセーター、ウルトラC、等々」も古臭いし、すでに死語(の予備軍)だと。その通りですねえ。「ナウい」は、かつての若者のはやり言葉ですから敢えて復活させる意義は無さそうに思いますが、僕はいまでも「ナウい」と言ってしまう時があります。「その”ナウい”という表現はナウくないよ」と返してくれるのは同年配の方だけですね。

一方、NHKの「花子とアン」で復活した「ごきげんよう!」は、良い言葉だなあと思いました。当時、若い世代の方、娘達も真似して喜んでいたように思います。死語、古語、老人語、古風な表現、と言っても中身がイロイロとありそうですね。古語、古風な表現は、大切にしたいように思います。

 

 

慣用句の一部で、かつて誤用が多かったものが、本来の意味に理解されるようになったのもあるそうです。平成24年度(2012年)の文化庁国語に関する世論調査」では、「役不足」「流れに掉さす」「的を射る」等の言葉・表現が、平成14年に比較すると、正しい意味の回答が増えていたそうです。正解が向上した理由は「日本語ブーム」「クイズばやり」「マスコミの報道」「教師の努力」等々だそうですが、先生に言わせると、とにかく皆が「あらがった」からだと。僕は「日本語言葉クイズ」が影響しているのではと思いますが。

 

偶々ですが、10月30日の新聞に2018年の文化庁の同調査が掲載されていました。「天地神明に誓って」vs「天地天命に誓って」、どちらが正しいと思いますか?「砂をかむよう」「憮然」の本来の意味は?結構、難しいですね。この調査では残念ながら”誤用”が増加しているとのことでした。はい、僕ももっと自分自身で「あらがう」必要がありそうに思いました。

 

 

 

 次の共通講座は10月23日、「人生100年時代をどう生きるかーーー認知症を予防して健康寿命を伸ばそう」です。講師は、NPO法人「健康な脳つくり」理事長の西野仁雄さん。名古屋市立大学の元学長をされていた方。二週続いて「メイシダイ」の先生が登場です。

 

 

こちらは鯱城学園講座の「鉄板」テーマ(僕は「鉄板」という言葉の使い方を最近までピンと来ておりませんでした。これも何年かすると死語になるんでしょうかね)。西野先生は認知症予防の第一人者だそうです。認知症の予防=脳を活性化する=日ごろの生活習慣(食・運動・人との交流)に留意することが大切であると。そして一人暮らしで家に閉じこもりがちな人が増えてきていることに対して、地域=「町内会」の果たすべき役割の大切さを指摘されていました。

 

 

人間の脳は手・足・口をよく使うことにより発達したそうです。従って、普段から手・足・口をよく使えば脳は活性化される、ということです。そのためには、①食、②運動、③人の輪の中に入ること。①食についていえば、バランス良い食事、よく噛む、腹八分目がキーワード。②運動については、先生ご自身が歩くことに難しさを抱えられており、ご自身で開発協力した「高反発クッション」、「高反発グリップ」を紹介されていまいた。ハードな運動は必要なく、ゆっくりでも十分。三つの動作を同時にやることが、脳の活性化に効果的であると。足フミをしながら手でグリップして大きな声をシリトリ遊びをする。

 

 

そして、さらにより強くに脳を活性化するには、④好奇心・向上心を持つ。趣味を楽しむ、⑤感動する心、感謝する心を大切に、⑥よく眠る!。心の持ち方によって、脳を作り変えていくことが出来ることが解明されているとのことでした。途中、「30秒間、大きな声を出して笑う!」、ことを会場の全員でやりました。大変なエネルギーを費やした感があり、あとは爽快な気持ちになりました。ほぼ同じテーマの講演をこの共通講座で既に何回も聞いたように思いますが、こういう話は機会がある度に聞かせてもらうのが良いと思うようになっています。

  

 

 その日の園芸講座。冒頭の山野草に加えて、次週教えていただくことになる「苔玉」の鉢も見せて頂きました。果たして、こんな立派なモノを作ることが出来るのかしら?2019年10月23日、撮影。

 

 

 おまけ。当日のお弁当です。 

得意のノリ弁に野菜のてんぷらのっけ(レンコン、カボチャ、ナス)。おかずは、竹輪とアスパラのてんぷら、サトイモ、ザーサイ、大豆の揚げ炒め。のり弁ご飯には持参した出汁を掛けて食べました。てんぷら丼風になってなかなかに美味しかった。大成功です。2019年10月23日、料理と撮影。 

 

鯱城学園『体育祭』、そして次は『文化祭』!

鯱城学園【2019年度(第34回)体育祭】。体育祭のメインイベント!=二年生(33期生)と一年生(僕たち34期生)が混成で踊るフォークダンスです。二回に分けての演舞。この写真はその第一部、つまり参加者の半分の方々が準備を開始したところ。僕たちのクラスは第二部に出演。第二部終了後、予定には無かったようですが、全員で総踊りとなりました。広い会場が一杯になって皆さんノリノリ、参加者自らのアンコールで二回ほど繰り返して踊り続けました。踊りの曲はお馴染み、懐かしのオクラホマミクサーと炭鉱節。炭鉱節は荻野目洋子ちゃんのダンシングヒーロー曲版です。ちゃんと練習してきたクラスも、適当にやっていたクラスも、皆さん見様見真似か昔取った杵柄か、とにかく楽しんで笑顔で踊っていました。2019年10月10日、撮影。

 

 

いよいよ待ちに待った(?)『体育祭』です。10月10日(木曜日)、稲永スポーツセンターにて開催。場所は名古屋駅から「あおなみ線」で約20分の野跡駅から徒歩で15分ほどのところにある立派な体育館です。台風19号が接近中でしたが、幸いにまだ雨は降っていませんでした。9:00に集合しました。

鯱城学園の体育祭らしく、モットーは「明るく、楽しく、元気よく」、そして「ケガ・事故のない」体育祭を開催することが謳われています。健康保険証そして各自の常備薬を持参して、参加者全員が当日の朝「健康調査票」を提出してからの開催です。「睡眠はチャンと取ったか」「朝ごはんはチャンと食べてきたか」「今の体調は普段通りか」等の質問に答える形で、自分自身で体の状態を再確認しておくことが大切なんですね。

  

 

クラスごとに同じ色のT-シャツを着ています。僕たちの園芸クラスは「グリーン」(園芸だから”グリーン”らしい)。各クラス、一年生も二年生も同じ色のT-シャツです。観覧席はクラスごと学年ごとに設けられていてクラスの一体感がおのずとアップします。普段あまり接点の無い二年生とも同じ色のT-シャツを着ているだけで親近感が増してきます。この体育祭は学園としての公式行事ですが、運営は100%学生の自主企画によるもの。体育委員長さんの開会宣言、学生会会長さんの開会挨拶、学園側からは副学長さんが激励の言葉、そして学園のコーラスクラブが音頭を取って学生歌を全員で元気に合唱。

 

 

鯱城学園の学生は皆さん大きな声で挨拶します。歌も一生懸命に声を出して唄います。気取ったり変にカッコつけて黙ったりしません。声を出すこと、挨拶すること、歌を唄うこと=全て自分の健康に良いこと、そして、それが相手にも気持ち良く伝わるであろうことをよく理解されています。学生歌の歌詞もよく読むと味わい深いもの。「ふたたび学ぶ嬉しさを 共に喜び語り合う」、「還る年の輪 重ねしに 経ちて得し技 知恵の和を 共に与えて生かし合う」、「気は青春の真っ盛り 知識の糧を祉(しあわ)せを 共に伸ばして助け合う」等々。ストレート過ぎる表現て還暦以下の年齢であれば気恥ずかしく感じるかも知れませんが、この学園の学生は(もちろん僕も含めて)大きい声で歌っています。

 

 

いよいよ、競技開始!。と言っても競技は三種目のみです。輪投げ、ボール運びリレー、玉入れ。60歳代の方も、70歳代の方も参加可能な競技です。一種目につき、4ゲーム行われます。各学年に16クラスありますが、それを二つに分けて8クラスづつのクラス対抗戦になっています。二学年なので計4ゲーム。各ゲーム終了後に優勝クラスの結果発表がありますが、優勝のクラスには観覧席および競技参加の皆さんから盛大な拍手が送られます。

昨年は、各種目の獲得ポイントを合計して三種目全体での順位を競ったそうですが、盛り上がり過ぎて些細なことで言い争う事件(?)があった由。その反省を生かして、今年は実行委員会にて協議の結果、各ゲームごとに拍手で優勝クラスを称えることに修正したとのこと。反省すべきは反省し、すぐに修正して次の年度で実現・実行していく。大変に良いことだと思います。これが鯱城学園の伝統に繋がっていくのでしょう。

 

 

僕は輪投げとボール運びリレーに参加しました。輪投げは一人が三回、輪を2-3m先のボードに投げる。そのボードの上には棒が立っていて、その棒の中に輪を投げ入れる。夜店・遊技場の輪投げではボードの上の棒には難度に応じて点数が記載されていますが、鯱城学園のゲームではそんな細かいことは気にしない。棒の中に投げ入れることが出来ればそれでOK。気楽に真ん中の棒を狙って投げたら運良く三回とも成功。お陰様でチームのポイントゲッターになりました。仲間からはやんやの喝さい。成績発表では、なんと僕たち園芸一年生が第4ゲームの優勝チームになりました。会場からも大きな拍手を頂き、久しぶりに運動競技でヒーローになったような気持ちの高ぶりを覚えました。これだけの話なのですが自分で思う以上に興奮しておりました。面白かったです。

 

 

最後の競技種目、玉入れです。皆さん、真剣です。この頃になるとクラスの結束は一段と強くなっており、競技が始まる前には作戦会議。”玉を拾う係と投げる係を分けたらどうか”とか”背の高い人を前に配置せよ”とか、昔むかし幼稚園か小学生の時に必死になっていた時と同じ状態です。玉は50個ずつ各チームに配布されますが、全部、入れ切ったチームが複数出てきて、時間差で勝敗を決する展開に。益々一層の盛り上がりを見せていました。

 

 

   

 昼休みの後に披露されたリズム体操です。「三生リズムクラブ」の方々の演技。ほとんどの方が鯱城学園の卒業生=僕たちの先輩=多分、ほとんどの方が僕たちよりも年長さんです。一人ひとりが若々しく柔軟な動きをされていて、全体でも一糸乱れることが無い演技に現役の学生から拍手、拍手でした。写真で見ると中・高校生が体操しているようでしょう!(ちょっと褒めすぎかな)。

 

    

リズム体操の後、名古屋市消防音楽隊の演奏とカラーガード隊「リリーエンゼルス」の演技です。ネーミング・ライツ契約を行い、現在は地元の有力企業名を冠に「ポッカレモン消防音楽隊」の愛称で親しまれているそうです。名古屋市の諸行事に出場して、防火・防災の啓蒙活動に注力されています。テンポ速く行進しながら迫力のある演奏でした。

 

 

あっという間に閉会式です。体育委員長が閉会宣言。フォークダンスは初めての企画であった由。「纏まりがつくかどうか大変に心配していたが、皆さんの協力で予想以上の盛り上がりで終わることが出来た。感謝、感謝」と。目から涙も??。ご苦労様でした。こちらこそ、体育委員長、実行委員会の皆さんのご尽力に感謝、感謝です。お陰様で事故も無く無事に終了することが出来たようです。

他のクラスも同様の様子ですが、この体育祭のお陰で、僕たちの園芸クラスの纏まりも良くなりました。一体感が強くなったかと。班についても、もともとクラスのなかでも纏まりの良い班であったと思いますが、班の結束も更に強くなったように。班長さんが車で来ていたので、有志5人で近くのファミレスに移動して反省会=お茶会をしました。

 

 

次はいよいよ文化祭に向けての準備です。園芸クラスでは、作品の展示と来場者へのお土産に野菜の苗・その他を提供することになっています。「作品」というと大袈裟な感じがしますが、来週の園芸科の講座は「苔玉の楽しみ方」が予定されており、園芸研究家の吉田篤先生から苔玉の作り方・楽しみ方を教えて頂きます。教材としてクラス全員で作ることになる「苔玉」作品を中心にして文化祭の展示を行う予定になっています。

 

来場者へのお土産は、各班ごとに知恵を絞ってやることになっています。園芸クラスは約30人。一人当たり10個の野菜の苗・その他を準備する、クラス全体で300個。文化祭は三日間開催されるので、一日に100個のお土産を提供する。結構大変な準備!。

僕の班には、優しい班長さんを筆頭にプライベートでも畑をやっている方が何人かいらっしゃいます。皆さんイロイロと考え悩んでいたのですが、そのうちのお一人がアイデアを提供してくれました。「今年は自分でエンドウ豆を栽培して、来年用の種を取ってある。十分な数があるので、班の方に一人30個のタネを提供できる。一つのポッドに種を3個、合計10個のポッドに捲く。体育祭が終わるころのタイミングで捲けば文化祭の時には、ちょうど見栄えがする程度に育っているであろう」。何と素晴らしいアイデア、手間暇を惜しまない献身的な行為であることか。即、採用させて頂くことになりました。

この日の反省会の時には、種を提供してくれた奇特な同志から種の捲き方、育て方の極意を伝授して頂きました。このところの一連の流れとこの日の体育祭の盛り上がりのお陰でメンバーの人となりをお互いに理解・認識出来るようになってきています。この奇特な方はお上品な顔に似合わず、言いたいことをズケズケと言える。優しい班長さんを顎でコキ使う荒ワザを持っている凄腕の園芸家であることが判明。班長さんも負けじと反撃する場面もあり、全員で大笑いです。上辺だけのお付き合いでは無く、ボケと突っ込みを駆使した会話が弾むようになってきました。文化祭に向けての遣り取りが楽しみです。

 

 

   

 【文化祭】の案内葉書です。文化祭も勿論、100%学生による自主企画。体育祭と同様、今までのノウハウの蓄積があり、先輩の二年生がリードしてそのノウハウを一年生に引き継いでいます。34回の蓄積が鯱城学園の伝統になっています。素晴らしいことだと思います。

学園では専門クラスとは別に各学生は必ず何かのクラブに所属しています。体育祭はクラスごとの催しでしたが、文化祭では、クラスとは別に、各クラブでもホール行事・作品展示を行うことになっています=体育祭よりも忙しい!。僕のクラブのことは、まだ記載していなかったと思いますが、共通・専門講座の話とは別にクラブの活動についても、文化祭に向けて記載していきたいと思っています(書きたいことが多くなって、記載が追い付いていないです)。

葉書の通り、11月14日から16日の三日間、名古屋市中区の伏見ライフプラザ内、鯱城学園で開催されます。地下鉄伏見駅6番出口=「御園座」方面の出口から南に徒歩8分です。御園座を過ぎて一ブロックの便利な処です。是非、お立ちより下さいませ。 

 

 

「ご飯は最強の健康食」vs「糖質オフ!健康法」

愛知県安城市にあるデンパーク。安城市は日本のデンマークともいわれ酪農が盛んな地域。公園のなかにバーべキューハウス等々の施設があり家族連れで大賑わい。この日は、前に勤めていた会社の社友会行事で現役とOB/OG家族が一緒にバーべキュー。カミさんも毎年、神奈川から参加しています。昨年は台風のために中止になったのですが、今年は晴天に恵まれました。2019年10月6日、撮影。

今、10月16日の夜ですが、12-13日の台風19号で被害に遭われた皆様には心からお見舞い申し上げます。まだ、避難中で救助を待っている方もいらっしゃるなかで、今週末には、また、かなりの雨が懸念されています。大変な状況だと思いますが、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。

 

 

10月2日、鯱城学園の共通講座で「お酢」をテーマにした講義を聴きました。お題は『科学の目で見る酢の話』。お酢は、僕も大変に関心のある調味料です。講義を聴いた後で、隠れ家に戻って以前に書いたブログをザッと読み直してみました。2017年頃の記事です。当時は(その前からですが)、食事に大変に気を遣っていたことを再認識しました。素人なりに体のことを真剣に考えていた様子。血圧が高めであったこと 、そして食べ過ぎ・飲み過ぎが原因であろうと自分なりに分かっていたからだと思います。お陰様で、試行錯誤の結果、体重はこの数年で最大8㎏、平均で5㎏ほどは減少しています。血圧も通常血圧を維持していますが、白状しますと、血圧が下がったのはお薬を服用するようになったからです。今も継続して服用しています。カミさんからは「薬の飲んでいて”血圧が正常だ””と言っているのはおかしい」とムチを入れられております。おっしゃる通りです。体重が減ったのは、自分なりの努力の成果もちょっとはあったと思っているのですが。

 

 

僕のライバル?であるドラゴン先生が熱心な「糖質制限食事法」の実践者であり、反省会の度ごとにバトルを繰り広げていることは何回も書いている通りです。先生の理論武装に対して、僕はどちらかと言うと精神論、文化論、そして自分の経験・好き嫌いから反論しているだけ。不得意な理論武装をもう少しチャンと身に着けたいものと人知れず悩んでおりました。

 

 

 大体の悩みは読書で解決できるもの。例によって本屋さんでプラプラしておりましたら格好の本を見つけました。

 

「ご飯は最強の健康食」、加藤直哉さん著。祥伝社黄金文庫平成27年(2015年)10月初版第一刷。本の帯の紹介では「加藤さんは2000年に琉球大学医学部卒業。東京の「健康増進クリニック」副院長さん。東洋医学にも精通、食事・運動・精神までも治療に取り入れた統合医療を実践している方」と。本のタイトルを見たとたんに、”これや!これを熟読してドラゴン先生に対抗しよう”と。その時は冴えていて、”敵に対抗するためには、こちら側の理論を強化するだけではなく、敵方の理論を解析して突っ込み処を探るのが戦術的には必要なこと”と閃きました。そこで、本屋さんをもう一巡。見つけました。ドラゴン先生がその食事法を師事している先生の本。

 

「『糖質オフ!』健康法」、著者は江部康二さん。京都生まれ、京都大学医学部卒業、京都の病院の理事長さん。”うーむ、ドラゴン先生とは京都繋がりか。手強そうだ。ナント、生まれは1950年!。ヤバい、これだけで親近感を覚えてしまいそうになる”。この本はPHP文庫、2012年12月第一版第一刷、2013年9月第一版第11刷、よく売れています。カバーには「糖質制限食」の体系を確立した!と謳っています。

”まあ、この両方を読めば、相手がドラゴン先生といえども五分のバトルには持ち込めるやろ、次回の反省会が楽しみだあ”。

 

 

両方の本ともにモノ凄ーい説得力です。特に、糖質オフは、人類の歴史を紐解いて解説、ハラリさんも納得するような記載です。いわく「人類が誕生したのは約700万年前。穀物を得るまではずっと糖質オフの生活を続けてきた。農耕を始めたのはホンの約1万年前。人類の歴史のなかでは約0.1%程度でしかない。進化に要する時間の尺度は長く、人間のからだは穀物中心の食生活に対応していない!」というもの。僕はこういうモノの見方をする方は大好きなので、スーッとこの本に引き込まれそうになりました。

 

 

念の為にこの食事法のエッセンスを確認しておきますと「主食を抜けば生活習慣病は防げる」というものです。魚介、肉、納豆、チーズ等たんぱく質と脂質はたっぷり食べてOK。お酒も糖質を含んでいないモノ=蒸留酒=焼酎、ウイスキーはOK(それから赤ワインも△ながらOK)。また指導法も良く工夫されています。「プチ糖質制限食=一日一食だけ糖質オフ=主食を抜く=ご飯、パン、麺の類を食べない。スタンダード制限食=一日二食を主食抜き。スーパー制限食=三食全て主食をカット。徐々にハードルを上げていけばよい!」というもの。

何やら入っていき易そうで、良いことづくめ。糖質オフの効果、糖質オフの効能も医学的に解説してあります。この食事法の料理のレシピ、外食の心構え、生活パターンに応じた対応の仕方等々が丁寧に紹介されています。至れり尽くせり。この食事法をトライしてみよう、というフアンが沢山生れたことも理解できそうな。

 

 

一方の「ご飯は最強の健康食」。はじめに「お米の素晴らしさ、日本の食生活の素晴らしさを科学的にお話する」と説明があり、その後に「糖質制限における弊害もお話していきたい」と書いてあります。この二冊の本の出版のタイミングを見ると、この「ご飯は○○」の本は、それより先に出版されて人気が出た「糖質オフ○○」に対抗するために準備された本のようにも思えます。記載もどちらかというと一般的な内容。「日本人にとってお米は特別な食べ物」「銀シャリ(舎利=ブッダの骨)=銀色に輝く仏様の骨」つまり「日本人はお米を神に譬え、大切に敬ってきた」。情緒的ではありますが、僕は本来はこちらの見方・考え方の方が好みです。

第一章「ご飯を食べれば病気にならない」。ご飯食は肥満にならない、添加物がない、栄養素が豊富、風邪をひかない、等々を”科学的に”解説したあとに「糖質制限食の問題」として①から④まで4項目にわたり詳しく問題点を指摘・説明されています。アンチ糖質制限を強く意識されているのが明らか。

面白いのは第二章「ご飯はおかずが素晴らしい」以降。みそ汁、梅干し、卵かけごはん、納豆、ぬか漬けの素晴らしさを紹介。さらにご飯に合う飲み物、デザート。グルメの楽しみ方、まで。この本のエッセンスは、ご飯を中心にしたカロリーバランス!。それから、食べたときの満足感を味わえること。また、添加物摂取を減らす=ご飯を炊いて、ご飯とバランスの良い素晴らしいおかずを楽しむことが大切と。ご飯大好き人間の僕としては、自分の食事の正当性を確認しつつ、大変に面白く読むことが出来ました。

 

 この著者によると1971年当時の食事は、炭水化物60%、たんぱく質15-20%、脂質20-25%のバランス、つまり、ご飯6割、おかず4割であったそうです。そして、筆者の主張は、この割合が理想的で、最近はご飯の割合が減っているのが問題との指摘でした。

 

 僕は、ご飯大好きですが、おかずの割合がもっと高い中身になっています。特に夜の食事は、外で食べようが、家で一人で食べようが、カミさんと一緒に食べようが、お酒がまず間違いなく入ります。お酒を飲むと食べる量が減る方がいらっしゃいますが、僕は、飲んでも食べるタイプ。特に外食の時は、料理=ツマミを食べながらずっとお酒を飲んでいる=食べ過ぎ、飲み過ぎになる傾向があります。こういう時は、主食=ご飯はまず食べていません。主食(=糖質)以外は、どれだけ食べても大丈夫というのが糖質制限のエッセンスであれば、僕のお酒を飲みながらの食べ方は、立派なプチ糖質制限食事法になっているのかなあと。

 

お酒も、もともと日本酒大好きなのですが、日本酒を飲むと翌日の体重アップにつながっているのを感じているので、最近は、日本酒は控えめに、焼酎中心、たまには、赤ワイン。こうなると江部先生の言われる立派なプチ糖質制限そのものかと思うのですが、自分で思っているのは、糖質云々を意識しているのではなく、肝心なのは食べ過ぎ、飲み過ぎはいけないということ。

 

 

二冊を読破したあとですが、もともと天の邪鬼の性格なので、どちらかの食事法に軍配を揚げることはせずに、自分の道を究めようと思いました。「ご飯は○○」は、現在、ほぼ当たり前にやっていること。但し、ご飯比率は低いです。そして糖質制限のプチもたまにはやっていることと自分の食事の現状を確認しました。

やはり、一番大事なのは、どちらの場合も、食べ過ぎ・飲み過ぎはアカン。本来あるべきは、主食(=糖質)をとろうがとるまいが、腹八分目(ホントは腹六分目)を心掛けるべし!と。これが僕の結論。先日の「一休さん」の中庸の道ですね(都合のよい、エエとこどり、という声もあるかと思いますが・・)。

 

 

実は、糖質制限の食事法は、重大な問題を含んでいることに気がついてしまいました。「主食=ご飯、パン、麺、粉モン、イモを食べない。それ以外の、魚、肉、卵、豆・葉物野菜、きのこ、海藻を食べる。腹いっぱい食べて大丈夫」というのがこの食事法のエッセンスですが、分かりやすく、極端な例を取って問題点を考えてみます。

 

もし、全ての日本人がこの「主食を食べない」食事法をとった場合、どうなるのでしょうか!?

 

日本の食料自給率は既に40%以下になっていますが、ご飯・パン・麺・イモを食べなくなれば、自給率は壊滅的な水準に落ち込むでしょう。肉の生産には(穀物の生産に比較して)大変なエネルギーコストがかかっています。魚資源は枯渇するでしょう。水資源の確保が更に大問題になります。同じ畑で大豆だけを栽培し続ける訳にはいきません。

有事の際、食糧危機等の緊急事態にこんなアホな食事法をとって自給率を下げている国があるとしたら、そんな国に対して穀物の輸出国が支援してくれるでしょうか。

著者の冒頭の人類の歴史を例にとれば、今の日本の、そして世界の人口を維持していられるのは、農業のお陰、主食のお陰です。農耕が発達して、農業により主食=米、麦、イモを確保することが出来たからです。主食=糖質を食べないで今の地球規模の人口を維持できる訳がありません。

過激な言い方をすれば「日本は飽食の時代だから、こんな贅沢な食事法が流行る。経済学で言うところの”合成の誤謬”や。これはアカン。自分勝手な考え方や。日本人は自分だけよかったらよいと思う国民だと思われてしまう。これは『亡国の食事法』や!」ということになってしまうと思い至りました。

 

 

”健康法・食事法と食糧問題とは、問題の所在が異なる。それをゴチャマゼにした議論のための議論は意味が無い”という意見も聞こえてきそうで、また、自分でも肩に力が入って、やや筆が走り過ぎているかとも思うのですが、大事な問題につながるテーマだと感じています。やはり、毎日の食生活は、極端に走ることを避けて、先ほど記載の通り一休さんの「中庸の道」を模索するのが良いと改めて感じています。珍しく、ちょっと硬すぎる話になってしまいました。

 

 

長くなってしまいますが、お酢の話にもどります。以下、例によって僕の備忘録です。ご参考までに。

 

鯱城学園・10月2日、共通講座です。 『科学の目で見る酢の話』、講師は農学博士の藤森正宏さん。ミツカンさんの研究室でご活躍されていた方です。

この講義は、「お酢についての暮らしの知恵・言い伝え、お酢の効用は本当かどうか?を食品学の視点から科学的な根拠について考える」というもの。結論は、はい、お酢は有効な食品、調味料でした。五味のなかで、甘み(糖)・塩見(ミネラル)・うま味(アミノ酸)の三つを生命維持にかかわる味覚。残りの二つ、酸味は腐敗のサイン、苦味は毒物のサインと位置づけられています。

お酢は、人類が”作り出した”最古の調味料。お酒の種類と同じだけの種類があると。食欲増進=唾液・消化液が分泌される、お酢のさっぱり感で食が進む。減塩のお手伝い=お酢の香り・酸味で減塩時の味気なさを補う等々、素晴らしい効用を持つ調味料です。

 

最後の「お酢で健康;まとめ」のなかで「人気の健康情報にはすぐに飛びつかない。誤解・過信は禁物=食品には病気を治すほどのパワーは無い=薬ではない。期待する効果は、誰にでも当てはまる訳では無い。そして、悪い生活習慣のツケは食べ物だけで帳消し出来ない」ことを強調されていました。

「これさえ食べたら全て良くなる、これさえやめれば全て良くなる」、そんな食品はありませんと。健康に効く4つの生活習慣とは、①食う=バランスよく食べ、過食しない!。に加えて、②よく寝る、③よく動く、④人と社会とのつながりを持つ!、とのことです。大賛成、僕はやはりこの路線で行こうと再確認しました。

 

 

 この日のお弁当。唐揚げ、ミンチカツは評判のお店で買ったモノ。弁当用のソース入れが手元に無く、残念でした。今回で、農園で収穫したナスを全部使い切りました。2019年10月2日、料理と撮影。

 

この日の午後は、園芸の専門講座。先週に続き名古屋市みどりの協会から先生に来ていただいて「花壇づくり」の講義がありました。土づくりの大切さを教えて頂きました。僕たちの農園でそれなりの収穫が出来ているのも、土づくりを手間暇かけてやって頂いている裏方の先生方のお陰であることを再認識。先生方に改めて感謝です。

 

 

お酢」についての以前のブログです。お疲れでなかったら読んで下さいませ。 

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お医者さんと対立して、薬に頼らずに自分の体質改善を図ることで問題を解決したいと考えていた時期のことです。体重増加に歯止めをかけようと苦労し始めたころ。懐かしいなあ。 

 

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ミツカン・グループ企画の「世界に広がる日本の酢の文化」について記事にしています。著者は今回の講義の講師先生とは別な方でした。 

 

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よくこんな大それたタイトルを付けたと呆れますが「豆乳ベースのお酢ドリンク」は今でも続けています。毎日ではありませんが、体が飲みたいと言ってくるようになっているかも。僕には合っている飲み物です。

 

 

最後まで、目を通して頂いてありがとうございました。お疲れ様でした。料理すること、食べることを楽しんで生きていきたいと思っています。

 

高校卒業、半世紀!

名古屋市昭和区鶴舞公園。「鶴舞」の読み方は住所の町名、駅の名前等多くの場合「つるまい」なのですが、鶴舞公園の場合は「つるま公園」と読まれています。公園の敷地内にある図書館、隣接する小学校も「つるま〇〇〇」とか。先日の『名古屋の地名で遊ぶ』の講義でも触れられていましたが何やら由来があります。忘れました。春は桜の名所として有名な名古屋市の中心部にある大きな公園です。

今日は公園清掃のボランティア活動=鯱城学園の自主活動に参加しました。各区ごとに鯱城学園のOB/OG会があり、現役の学生は各区ごとの会に属して活動します。千種区は「鯱城はなみずき会」。僕よりも高齢の方がほとんどだと思いますが、皆さん、お元気に清掃活動をされていました。もっとも、もともとキレイに整備された公園で、多くの参加者がいらっしゃるので、ゴミを見つけるのにひと苦労の状態でした。2019年10月5日、撮影。

 

 

高校の同期会の集まりにワクワク・ドキドキ気分で参加してきました。僕の高校のことは、このブログでも何回も書いていますが、いま思い出しても良い高校でした。そう感じている卒業生が多いからでしょう。卒業後も毎年、春には花見、秋には食事会等々の集まりが継続しています。大阪府立の高校で大阪府庁のすぐ隣にあります。大阪城の正門の前です。春の花見は、大阪城西口公園内の決まった場所でやっています。場所は天守閣と母校を結んだ直線の上に決まっています。幹事さんのセンスの良さです。

社会人になった後は、東京に生活の場を移した方が大勢出てきたので東京でも同期会を開催するようになりました。僕が2003年に名古屋に移った時には、名古屋在住の同期生が歓迎会をやってくれて、それが切っ掛けになり名古屋での同期会が出来ました。それ以降、継続してやっています。メンバーは、いつも4-5名の参加で、数か月に一度、研修会と懇親食事会を続けています。研修会は毎回、真面目な企画です。陶器博物館に行って土を捏ねて焼き物を焼いたり、美術館で「ビュールレ・コレクション」、科学館で「スウイーツ展」を見たり、大須演芸場に落語を聞きに行ったりしています。

 

 

今年は、ナント、高校を卒業してから50年!の記念の年です。卒業して半世紀が過ぎたことになります。卒業時には想像も出来なかったことです。僕たちの年次は(これも何回も書いていますが)昭和25年(1950年)生まれで、昭和44年(1969年)の春に高校を卒業しました。50周年記念ということで、昨年来、幹事さんは念入りに準備して、北区中之島にある大阪で最も格式の高いホテルの一つで開催してくれました。

参加者は約130名に達しました。僕たちの学年は全部で9クラス。一クラスが約50名ですから、学年全体で約450名の卒業生。四人に一人以上の同期生が半世紀たって集まったことになります。幹事さんの呼びかけに感謝です。幹事さんも予想以上の参加人数にビックリ、感激していました。 

 

 

後日に、隠れ家の本棚にあった半藤一利さんの「昭和史・戦後編、1945-1989」に記載されている僕の高校時代前後の時代の章を読み直してみました。僕たちの世代は、「団塊の世代」と言われる昭和22年から昭和24年の一年後の世代になります。ベビーブーム=団塊の世代の時には、学校も収容能力が追い付かず一クラスが60名で教室にすし詰め状態。一学年が10クラス以上もあった由。その時にキャパを拡張してくれた後の世代ですから、10クラスx50名と言っても、結構、落ち着いた雰囲気であったように思います。今の中高校では考えられない状態ですね。

ちなみに僕たちが在学中の校舎はきれいに建て替えられ、当時の様子は忘却の彼方とか。奇特な方が有志の記憶を基に当時の校舎・教室の配置図を作成して配布してくれました。正門を入ったところにメタセコイアの大木があった場所、下駄箱の場所、図書館、体育館・プール等々、配置図を見せてもらうと蘇ってくるものです。こんな手間のかかる作業をよくやってくれたものと思います。感謝。

 

 

幹事さんの開会宣言でスタート。まずは物故者の方に献杯。数名の方が既に亡くなられています。仕切り直して「卒業・半世紀!」に乾杯。乾杯した途端に、会場は50年前にタイムスリップ状態。もう、エエ年のオッサンとオバはんが(ホントは”おじいちゃん”と”おばあちゃん”が正しいのですがサバを読んでいます)高校生のような盛り上がり。北海道、東京から、もちろん名古屋組も全員参加。シンガポール、米国にお住いの方も、この同期会の開催にタイミングを合わせ一時帰国しての参加です。

 三年の時のクラスは、大学進学に応じてクラス分けがされておりました。文化系が半分弱、理科系が半分強。文科系のクラスは相対的に女性が多く、理科系は男子が大多数。バンカラ(乃至はバンカラを気取った)生徒は多数いましたが、悪質な不良はいなかったように。陰湿ないじめは全く無かったと思います。先生と生徒の関係も概して良好であったかと。先生は生徒を、生徒は先生をある意味でレスペクトしていたのではないかと思います。大阪府でも有数の進学高校で、また”エエとこの子”が結構たくさんいらっしゃったことが要因かと思いますが。

僕のクラスは3年1組、この日は約20人が参加。二番目に参加者が多いクラスでした。数名の方とは卒業後も折に触れ会っていますが、かなりの方とは50年ぶりの再会です。一度も同じクラスになっていない方、部活等でも接点が無かった方は、全く初めてお会いするようなものですが、同じクラスの方とは面影がチャンと残っているものです。一言、二言、話をするだけで、懐かしい会話が蘇りました。

  

 

今までのブログで、高校時代のことや名古屋での同期会、1950年生まれの方々のことを記載したものを埋め込んでおきます。僕の備忘録です。ご参考まで。 

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『私の本棚』2016年9月18日。高校時代の友人から勧められた本のことを記載しました。名古屋での集まりの最初の時のイメージも。読み返すと懐かしいものです。このブログの原点の一つかと思います。

 

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八丁味噌』2017年6月30日。名古屋の同期会の社会科見学の模様を記載しました。

 

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『感謝;スピリッツを揺さぶってくれる方々へ』2017年12月31日。1950年生まれのお二人、米原万理さん、内田樹さんに影響を受けているのが良く理解出来ます。

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 『1950年生まれ、その2』2018年4月21日。東大入試中止をテーマにした本が出版されていることを記事にしました。著者は1950年生まれの方です。1960年代から1970年代のことを思い出して記載しています。

  今までの記事を改めてざっと読むと、自分が考えていた以上に、高校時代のこと、名古屋での同期会のこと、1950年生まれの方のこと何回も記載しているのに驚きました。自分自身、大変な影響を頂いていることが良く分かります。

 

 

僕たちの高校時代の最大の事件は、大学受験に際して「東大入試が中止」になった、ということかもしれません。受験生として当事者ですから直接・間接に大きな影響を受けた方が沢山いたと思います。また、特に1950年生まれとしては、結果的には、ちょうど時代の変わり目を象徴する事件であったようにも思えます。

ずっと続いていた高度経済成長の時代。昭和元禄と言われ天下は泰平。「巨人・大鵬・玉子焼き」です。一方では、アメリカはベトナム戦争で泥沼化、フランスでは「5月革命」、中国では文化大革命。日本では公害・環境問題が深刻化。産学協同が批判の対象となり、学生運動も先鋭化。そして東大紛争。「昭和44年(1969年)は東大安田講堂の攻防戦で年が明けたといってもよいほど(半藤さん)」。

その後(僕たちが高校を卒業してから)、半藤さんによれば、「昭和元禄」の最大の打ち上げといえるのが「大阪・万博」、昭和45年(1970年)。そして、沖縄の本土復帰が昭和47年(1972年)。半藤さんに言わせると「この沖縄返還で日本の戦後は一応、終わったとみていいのでは」と。

 

 

高校卒業から半世紀も過ぎましたが、逆に時代を遡ると、昭和25年(1950年)生まれの僕としては、僕たちが生まれるホンの5年前まで”日本は戦争をしていた”ということが信じれらません。僕たちは戦争を知らずに生まれて育った世代。政治・経済・社会の問題は多々あると思いますが、戦争の無い世の中をこれからも維持していきたいものです。

 

 

半藤さんの「昭和史」のなかで”東大・安田講堂”の件に面白い記述がありました。「学生運動はいろんな名言を生み出した。昭和43年11月の東大駒場済のポスター。

 

とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大 どこへ行く

 

後に作家となる橋本治さんが作ったもの」とのことです。そうだったんですねえ。橋本さん、このコピーで大変に注目されたのでした。当時、橋本さんのことは知りませんでしたが、このコピーのことはよーく記憶に残っています。改めてご冥福をお祈りします。

 

 

会は、ホテル内で場所を変え、二次会、三次会と続きました。僕は、次の日に朝早い予定があったので、名古屋のメンバーと次回の研修・食事会の開催を約束して二次会のあと隠れ家に向かいました。半世紀の壁をヒョイと乗り越えた大変に楽しい時間でした。

 

   

鯱城学園・園芸科の農場。サトイモの生育状況です。あと2週間ほどで収穫のタイミングになるらしい。写真で見ると雑草を除去していないのがミエミエで恥ずかしい限り。この日、熟練の方は試し掘りをされていました。サトイモは親イモの側芽に子イモ、子イモの側芽に孫イモがなるそうです。衣被は子イモ(乃至は孫イモ)のこと。「きぬかずき」または「きぬかつぎ」と読むそうです。モノの本によると、もともとは、ご婦人が外出時に頭から被る衣。転じて、子イモ(を皮付きのまま茹でて食べるもの)のこと。

この日は、ハクサイの苗を植え、ダイコン、カブの種まきを。また、ニンジンの間引きをやりました。大きく育つように密集しているところを間引きます。若芽はサッと揚げると美味しい、自分で栽培している人しか味わえない贅沢とか。持って帰るのを忘れてしまいました。悔しい、残念でした。2019年10月4日、撮影。