クルルのおじさん 料理を楽しむ

和食ブームと昭和の思い出

2013年に和食(日本料理)がユネスコ無形文化遺産世界遺産)に登録されました。海外でも日本食がブームになっていると多々報道されています。昔から有名な、お寿司、天ぷらをはじめ、鰻、焼き鳥、蕎麦、うどん、丼モノまで。当然、日本酒も。海外での日本食レストラン、日本の食材も大人気の由。「割烹」は世界に通じる最強の料理だと嬉しくなります。

世界遺産の登録に際し評価された点については新聞、雑誌でよく解説されていますが、改めて整理すると、①旬の食材を大切に使っている。季節感がある、②食材そのものの自然の美味しさを大切にしている、③健康面から見ても栄養バランスが良い、④日本の伝統行事と結びついており食が日本の文化そのものになっている、ということかと思います。和食と日本料理は同じなのか違うのかという議論もあるようですが、感覚的に言えば、和食というと質素なイメージ、日本料理は豪華なお値段の高いお料理かと。和食=一汁三菜、かなり前の経団連の会長をされた土光敏夫さんがお家で食事風景の取材を受け、めざし、菜っ葉、みそ汁、玄米ご飯がTVに放映され話題になったのを思い出します。放送当時、ああ、経済界の偉い方でも本当に質素な食事をしてるんだなあと感慨深かった。あのイメージが和食=一汁三菜にピッタリかと思っています。但し、後付けの解説では、あの放送は、当時、行政改革を引っ張っていた土光さんが計算づくで世論を味方に付けるためにやった、とも言われています。普段ずっと質素な一汁三菜ではなかったのかも知れません。土光さんの風貌とめざしが似合っていた、絵になっていたので印象深く残っているのでしょう。

 

僕は昭和25年生れですが、幼い時の思い出は、この時に放映された土光さん宅の食事風景のイメージに近いものでした。僕の家も慎ましい暮らしをしていましたが、日本全体が貧しい時代でした。小さな暗い土間。七輪で魚を焼いていた。冷蔵庫は密閉された箱に氷を中に入れて室温を下げるという代物でした。そのための氷を氷屋さんが売りに来ていました。ご飯もかまどで炊いていた。ご飯と味噌汁、お魚は焼き魚か煮魚、野菜の炊いたん、おひたし、あえもの。海藻なんかもよく出てきたような。お肉はハレの日にすき焼き鍋をして食べさせてもらえるだけ。そうそう、お豆腐。豆腐屋さんが「とーふ、とーふ」と声を出し自転車・リヤカーに乗せて町内を回って売っていました。今から思えば本当に貴重なたんぱく源、僕は大好きでした。美味しかった。僕のおばあちゃんは豆腐屋さんが通り過ぎて行ってしまわないように、買いたいときには目印の旗を立てて豆腐屋さんに知らせるようにしていました。祝日に国旗を立てる筒に、豆腐の旗を立てていた。そのうちに旗が立っていなくとも豆腐屋さんが「おばあちゃん、今日は旗立てるの忘れてるんちゃうか」と声をかけてくれるようになっていました。大変なアイデアばあちゃんであったと感心します。合理的な考え方をする人だったようです。恐かったけど。食事は狭い部屋でちゃぶ台を囲んでみんな一緒に食べていました。一家団欒という気配ではなかったと思いますが、とにかく、一緒に食べていました。食事の準備、後片付けが大変であったからでしょう。ラジオの時代でした。外で暗くなるまで遊び、腹ペコになり家に帰る。いつも同じような食事に文句ばかり言っていたように思います。「またこれやあ!」。でも、ただただ空腹を満たす食事が十分に美味しかった。

 

その頃の日本は、ほとんどの人が暮らし向きが日々向上していることを実感していた時代であったと思います。いつ頃からか、台所は板の間に改修されステンレスの流し台になっていました。ガスも普及した。練炭はもう使われなくなった。氷を入れる必要の無い電気冷蔵庫が出てきた。氷売りのおじさんは仕事を変えたのでしょう。

この頃からか、食事の風景も少しづつ変わってきたと思います。八百屋さん、魚屋さん、たまにはお肉屋さんから食材を買ってきて、失礼な言い方をすればワンパターンの和食を作っていたおばあちゃんですが、コロッケとか、カツとかを総菜屋さんから買ってきて食卓に乗せるようになりました。会社勤めをしていたお母ちゃんが見様見真似で自分で作るようになりました。カレーライスも登場。すっかり人気のメニューになりました。街には、ハンバーグとかスパゲッテイ(パスタでは無い!)のお店もポピュラーになっていました。」

 TVが普及しました。皇太子殿下と美智子様の結婚式、ケネデイ大統領の暗殺、東京オリンピックの開催、あっという間に高度成長の時代に雪崩れ込んで行ったような。NHK の今日の料理は2007年が50周年ですから、大体、辻褄があうように思います。暮らし向きがよくなり、台所もキレイに道具・器具も便利になった。一汁三菜に象徴されるワンパターンの和食ではなく、新しい材料も豊富になり、少し手間をかけ工夫した日本料理、一方では、和食に対する洋食が人気を集めるようになりました。そして相変わらずすき焼き鍋はご馳走でした。鍋を囲んでテレビのお笑い番組を見ながら一家団欒らしさも楽しめるようになりました。お肉はまだ贅沢品で、いつも兄と争奪戦をしておりました。

 

おばあちゃんの味、世に言うおふくろの味も、世の移り変わりで変化していくのでしょう。僕も遅まきながら自分で料理に興味を持って以来、日本の料理の良さを大事にしたいなあと感じる時があります。

ちゃんと出汁を取る・・・と言いながら滅多にやっていません。旬を大切にする・・・季節感がある日本と日本の食事は素晴らしいと思います。バランス良い食事にする・・・これはかなり心がけているつもり。行事とヒモツク料理であれば楽しいなあ・・・そういえば、うちの長男が中学生の時、試験か試合かで仲間と一緒に弁当持参で臨んだとき、みんなの弁当が全てカツ=勝!だったと。母さん連中が示し合わせてカツにしてくれた。これは母さんにやられた!と喜んでいました。これも立派な日本の文化だと思います(ダジャレ文化かな)。

 

和食は洋食に対するもので、和食という言い方がされるようになったのは明治以降に海外との交流が深くなってから。意外と近年のことだそうです。「洋」が広まったお陰で、もともとあった「和」を意識したものとか。いかにも日本人的な捉え方で面白く思います。日本・日本人は新しく入ってくるモノを上手く消化して、借り物ではなく自分のモノにしてしまう。カレーライスは絶対に日本の料理だと思います。既に日本の食事に定着した洋食、もともとの和食、両方が合わさったその全てが日本の料理、日本の食かと。最近は更にアジア・アフリカ等々のお料理も日本の料理・食になってきていると嬉しくなってきます。

少し前の新聞記事に結婚についてのアンケート調査結果の解説記事が出てました。「小学生までに人間的な触れ合いをする機会が多いほど適齢期になった時に結婚願望が強くなる。よって少子化対策の一つとして家族行事、地域活動に参加させ人間的な触れ合いを体験できる環境作りを!」と随分と理屈っぽい記事がありました。そんな体験をすることが出来ない環境で暮らしている子供たちがいることが問題なんやろう、と言いたくなりますが、確かに、小さい時に一家団欒を経験していたら、いい年になったら自然と自分の家庭を持ちたいなあと思うことでしょう。「鍋を囲む」なんてのは最高の触れ合いの場だと思います。家族はもちろん、仕事でも、友達とでも。そのうちに「日本の料理の素晴らしさ=鍋を囲んで少子化に歯止めをかけた素晴らしい民族とその料理」なんて評価をされることに繋がると楽しいですね。

 

追伸・・・池波正太郎さんのエッセイでは、「小鍋だて」でお銚子を一本、渋い男の一人鍋の晩酌風景が描かれています。囲んでも良し、一人でも良し。やはり、日本の食はクールですね。うん?鍋はホットかな。・・・。

  

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 2016年10月、大好きな日向の景色。大御神社から日向灘を望む。この後ろの山側に君が代に歌われる「さざれ石」の巌がある。