クルルのおじさん 料理を楽しむ

餅つき

小さい時、物心がついて以降、年末になると餅つきが楽しみでした。毎年、暮れの30日だったと思います。その頃は、おじいちゃんが家で溶接工場(”こうば”と発音します)をやっていました。溶接技術を持っている下町の鍛冶屋さんというイメージです。その日のお昼まで仕事をして午後には仕事収め、大掃除。工場をキレイに方付けてから、餅つきの準備を開始します。しっかり者のおばあちゃんが総司令官です。貧乏な家の割には、随分と立派な餅つき道具を揃えていました。普段どこに仕舞っていたのか分かりませんが、どこからか白御影の石うすを持ち出し、木のしっかりした台の上に設置。一方では、鉄のかまどにマキを入れ火を起こします。このかまどはおじいちゃんの手作りであったと思います。昔の人は何かにつけ手慣れたものでした。セイロを4-5段は重ねてモチ米を蒸しにかかります。あっという間に準備完了。夕暮れ時になり、会社勤めをしている母親がニコニコ顔で元気に帰宅。ご近所では餅つきをするところは無かったようで、皆さんが通りすがりに暮れの挨拶もかねて声をかけてくれます。当時の年末というのは、”一年なんとか生活出来たなあ、無事に年を越せそうでお互いに何よりや”、というほっとした気配が強く漂っていたように思います。

 

兄と僕は、何の役にも立たず足手まといの状態。母親がセイロのお米の蒸れ加減をチェックする時に、一つまみ口に入れるのですが、これを分けてもらい食べるのが好きでした。ホクホクとして美味かった。

 餅つきは、おじいちゃんがモチをつく係。おばあちゃんと母親は割烹着を着て、手拭いを姉さん被りにして。交代でモチが杵にくっつかないように水を足したりモチを返したりするコネ係。お互いに掛け声をかけて、エッさホイさと元気よく。一ウス出来上がるたびに、これも極めて手際よく形を整えていきます。最初は、大きな鏡餅を作ります。二段か三段の鏡餅2セット分は作っていたような。その後はナマコに形を整えます。木の箱にドンドンと入れていく。その間にも、次から次に蒸しあがってくるので、おじいちゃんは一人でモチをつきっぱなしの状態。セイロ4-5段分を二回転ほどの量はついていたと思います。今から思えばよくあんなに沢山の餅をついていたものだと感心します。最後の一ウスか二ウスの餅は、小さくまとめ、その場で食べます。アンコか黄な粉をたっぷりとまぶして。近所のかたもよく心得たもので、この頃になると、また寄ってきて声をかけてくれます。おばあちゃんは皆さんにモチを大判振舞いするのが大好きでした。近所の人も一緒になって、みんなでワイワイガヤガヤ言いながら食べていました。特におじいちゃんは餅が大好きで、兄と僕に”モチを食べると元気になるぞ、もっと食べないと大きくならないぞ、食べろ!食べろ!”とうるさいほどでした。つきたてのモチは確かに旨いです。僕は黄な粉をまぶして食べるのが好きでした。意外とのどには詰まらないものです。ナマコ状の餅は、固まってから大きなカメに入れて水でヒタヒタに浸して保存していました。沢山作るのでかなり長い間、おやつに頂いていた。朝ごはんもモチだったのかも。火鉢でモチを焼いて、プーっと膨らんでくるのが面白かったです。焼いたモチはもっぱらしょう油をつけて頂いてました。

 

おじいちゃんが工場を閉じるまで、餅つきは毎年継続しました。最後の何年かは兄と僕が二人で餅つき係をしました。おじいちゃんは力は強かったのですが、流石に年のせいで腰が痛くなっていました。兄と僕に餅つきのコツを一生懸命教えようとしてくれました。小さい時は、大きく見えた工場ですが、閉鎖した後から振り返ってみるとると、よくこんな狭いスペースで溶接工場なんぞやっていたものだと驚くほどの狭さでした。

 

鏡モチというのは、年神様(歳神様)に対してのお供えだそうです。年神様がやってきて鏡モチに落着いてくれる。だから鏡モチには神様の魂が宿っているという受け止めかたです。鏡餅を小分けにするときは”鏡開き”と言います。切るというのは忌み言葉とのこと。小さくした餅を配るのがお年玉(年神様の魂、魂=玉、だからお年玉だそうです)。年神様の魂が宿っているから、家長さんがそれをみんなに配り、それを頂いたみんなは生命力が強くなると。お雑煮を頂くのも同様の考え方のようです。昔は、なかなか味のある行事があった訳です。

おじいちゃんは、大変に信仰心の篤い人でした。「餅を食べると元気になる、力が出る」と言っていたのは、ひょっとすると、心底、年神様の魂を信じていたからかも知れません。鍛冶屋仕事をしている割には、読書が好きで、かなり難しい人文科学系の本を読んでいたようです。

おばあちゃんは、前にも書きましたが、合理的な考え方の人でした。あれだけの量の餅つきをしていたのも、餅を沢山作り保存して食べるほうが、お米を買うよりも経済的だと考えていたからかも知れません。おじいちゃんがお餅大好き人間だということもあったのでしょう。とにかく、このお二人は良いコンビであったと思います。

餅つきは一人では出来ませんから、大騒ぎしながら、自ずとみんなで協力しあいます。餅を作り上げるというのは、自然に家族の連帯感を高めて、喜びを分かち合うことになっていたように思います。

僕の長男が幼稚園児の時に、幼稚園の餅つきの行事があり、それこそ昔取った杵柄で久しぶりに餅つきを手伝ったことがありました。今思い出しても、蒸されたコメが一突きごとにまとまって、ほどよい固まりになっていくのを体感するのは、やっていて大変に達成感があります。一つの快感ですね。確かに神様が宿ってくれそうな感じもします。

それにしても、家で使っていた餅つきの道具一式は一体どうしたんだろう。残しておかなかったのが今となれば返す返すも残念です。

 

9月からですが、読んで頂いて本当にありがとうございます。よいお年をお迎え下さいませ。来年もよろしくお付き合いのほど。

 

 

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 大好きな日向、その4。2016年10月撮影。クルスの岬から日向灘を望む。写真の左側(海側)から見ると「叶」という字に。この岬から願い事をすると「叶」うとか。よい年になります様に。