クルルのおじさん 料理を楽しむ

おばあちゃんとは呼ばせない

日本老齢学会と日本老年医学会が新春1月5日に「高齢者の定義を『75歳以上』に引き上げるべきである」とする国への提言を発表しています。新聞各紙でも結構大きく報道され話題になっていました。公的機関が行う人口調査では「65歳以上」が高齢者と区分されていますが、「心身共に健康なこの年齢層の方が増えているため、65~74歳は社会の支え手として捉え直すべきだ」、高齢者ではなく「准高齢者」にしようとの趣旨だそうです。支えられる側から支える側に回る。電車に乗った時にも席を譲る側になるべきだということなのでしょう。「高齢者」は10歳引き上げて75~89歳とする。更に、平均寿命を超えた90歳以上を「超高齢者」と呼ぶのが妥当であるとの提言とか。

 

そもそも高齢者の定義については統一的な基準というものは無く、歴史的な慣習というのが正解のようです。日本をはじめ欧米先進国が65歳以上を高齢者としているのは、19世紀後半のドイツ帝国の宰相ビスマルクが65歳以上に年金支給したのが始まりらしいとか。1956年、国連が高齢者を65歳として以来、世界に広まったとか(この辺りは、2月4日付けの日経記事の受け売りです)。身近なところでは、公的年金の受給資格が65歳以上なので、これが「高齢者」の定義と認識されているかと思います。医療保険制度では65歳以上74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と区分しています。前期・後期の区分、特に「後期」のニュアンスの悪さから一時は大きな問題になっていました。自動車の運転の場合は70歳以上が高齢運転者で、身体機能に低下懸念があれば、もみじマーク(通称、枯葉マーク)の標識を付けるようにと。

僕はまだ自分が元気だと思っていますから「元気なヒトは頑張って世の中の為になって下さい」という単純な話と受け止めれば、この提言に何ら異論はありません。2016年9月の推計では、65歳以上は人口の約27%を占めていますが、75歳以上であれば約13%と半分になるそうです。支えられる人が三割近く占めるというのと、その半分の一割強であるというのは、随分と受けとめる印象が違ってくると思います。

ただし、新聞でも多くの指摘がありましたが、これは単に何歳からを高齢者と呼ぶのかという定義の話では収まらないかと懸念します。年金制度(受給資格の時期)、医療保険制度にも大きな影響が出て来るでしょうし、一方では、企業の定年制・雇用の延長、はたまた、年寄りが若者の仕事を奪うのかとの議論も出てきそうです。何歳であろうが元気な人は元気だし一括りには議論出来ないですから難しいことが多そうですね。

 

 「元気なヒトは頑張って世の中の為になって下さい」という趣旨の提言であれば、(昨年の9月22日付けの『台所』でちょっと記載しましたが)日野原先生の提案に勝るものはないと思います。たまたまですが地元中部の新聞で2月1日から「新老人の生き方もよう」という連載が開始されています。日野原先生が「新老人運動」を提案したのは、2000年6月だそうです。もう20年近く前になるわけです。この運動は、三つのモットー、すなわち、①愛し愛されること、②創める(はじめる)こと、③耐えること。それと、一つの使命「子供たちに平和と愛の大切さを伝えること」を柱にされています。行動目標として ①自立、②世界平和、③自分の健康情報の研究活用、③会員の交流、④自然に感謝、を掲げ現在の会員は約1万人で全国の支部でそれぞれの地域に根差した社会貢献活動を展開されているとのことです。素晴らしいとしか言いようがないです。ちなみに会員の年齢制限は無いとのこと。僕も今年で67歳になります。孫も二人います。元気なオジーチャンとしてこういう活動にも参加してみたいなあと思います。この会に入れば僕はきっと若手の会員!になるのでしょう。

 

前にも書きましたが、『日本のかなりのご家庭では家族の一番年下さんの目線で、家族を呼称することが多い。長男をつかまえて「オニイチャン」と言い、長女は「オネーチャン」となる。自分の親は「オジーチャン」、「オバーチャン」。我が家では、子供に恵まれて以降、ずっと、カミさんは「オカアサン」です。』(9月22日「台所」から抜粋)。僕の母親は、孫に囲まれて「おばあちゃん」と呼ばれるのを間違いなく喜んでいました。カミさんの亡くなった親父さんも同じでした。僕達の子供たちが初孫でしたから、まだまだ眼光鋭い怖い顔が孫から「おじいちゃん」と呼ばれると目じりが垂れ垂れでした。カミさんの母親は、今も健在。こちらも、みんなから「おばあちゃん」と呼ばれて抵抗無し。喜んでくれていると思います。

ところが、うちのカミさんから、過日、爆弾宣言がありました。我々にとっての初孫は、次女夫婦の長男で昨年12月に二歳の誕生日を迎えました。このお正月に会った時には、結構、言葉を発するようになっています。ついに、我々も「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれる瞬間がくるのかしらと話をしている最中、カミさんから「おばあちゃんと呼ばれるのは嫌だ、自分は気持ちを若く保ってイロイロなことに取り組んだり、地域活動もやっている。おばあちゃんと呼ばれて自分が老け込むような気持になるのが嫌だ。おばあちゃんとは呼ばせない」と。なるほど、おっしゃることは筋が通っているように感じます。気の持ちようというのは大切ですから。それにしても、その時には、孫はオバアチャンを一体何んと呼ぶようになるのでしょうかね。

 

確かに言い方、呼び方というのは、大事なことなんでしょう。僕は孫からオジーチャンと呼ばれることには抵抗ないように思いますが、高齢者、特に後期高齢者なんて呼称は嫌ですねえ。日本語にピッタリくる言葉が無い時は英語で逃げるのが常套手段かと思いますが、新老人を英語で言えば、ニューオールド。訳が分からない言葉で面白いかもですね。ゴルフ他のスポーツでは、シニア、更に、グランド・シニアと言いますが、このシニアの語感は良さそうに思います 。シルバー、シルバー人材は「いぶし銀」からきたんですかね。僕はあまりピンと来ません。

日本語でも、相撲の世界での年寄り、親方という呼び方は良い響きがあると思います。江戸時代の老中、若年寄なんてのもオツなものかと。爺(じじ、じい)の語感もそれ程悪くないように感じます。ふと考えると、このブログのタイトルは「クルルのおじさん 料理を楽しむ」でした。本能的にカッコ付けて「おじいちゃん」を避けたのかも知れませんねえ。

 

漸く風邪からも(完全)回復、こってりしたものを食べたくなってきました。体重はサクタイ・マイナス4㎏をキープしています。これは維持したいなあ。メタボ系の僕は出来ればもう少し体重を減らしたいと思っているのですが、逆に、高齢者で必要な栄養を摂取できていない「低栄養」の人が増えてきているとか。2015年度の厚労省の調査では、65歳以上の高齢者の2割近くが低栄養傾向とされているそうです。「メタボ症候群にならないために小食がいいとの意識が強まりすぎた」と指摘されています。さらに、低栄養に陥りやすいのは、独居や夫婦だけの所帯とか。食べ過ぎも良くないが、小食すぎるのも問題ということのようです。何かにつけてバランスの良い生活、クルルの家訓『しっかり食べる、美味しく食べる、楽しく食べる』を心掛けたいものです。

 

雑炊と豆腐とスマシに明け暮れば今宵は恋しあつきステーキ   孔瑠々

 

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 えらぶのゆり。背丈が伸び過ぎかと心配。栄養のバランスが悪い?。2017年2月9日撮影。