クルルのおじさん 料理を楽しむ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『ごみと日本人』

『食品ロス』『食品ロス、続き』で食べ残し、賞味期限について記載しましたが、その後も新聞を見ていると、この問題に対する世間の関心が高いことを反映した記事がよく出てきてます。

「残さず食べよう!30・10運動」(サンマル・イチマルと読みます)といって長野県松本市が提唱されている運動があります。2011年5月から活動されているそうで、趣旨を記載したコースターを居酒屋、宴会場に配っているとか。「乾杯してからの30分と宴会が終了する最後の10分は席に着いてチャンと料理を食べて下さい。宴会での食べ残しを無くしましょう。」という取り組みです。福岡県、厚木市佐賀市宮崎市など多くの自治体でも推奨されていると。(1月9日の中部経済新聞より抜粋)

宴会の幹事・進行役さんがキーのようです。幹事さんが運動の趣旨を説明して号令をかける!、効果は予想以上に高いそうです。海外では「ドギー・バッグ」が当たり前ですが、日本の宴会料理は生モノが多く持ち帰りには不適切のことが食べ残しの多い原因の一つになっていますから、やはり、出されてものはチャンと食べる、食べられる量を注文するというのを徹底する必要があるのでしょう。少なくとも、締めのご飯をちゃんと頂いておけば、宴会が終わって更に二次会の後に「小腹が空いた、ラーメンを食べに」行く回数も減るでしょうから、間違いなく健康にはプラスですね。

賞味期限のほうでは、従来の「年・月・日」表示から、「年・月」表示への変更をする動きが出ています。食品最大手の味の素さんは本年二月から段階的に「年・月」表示に切り替え、2019年には賞味期限が1年以上の全商品に原則導入する方針と。食品他社も追随する動きで、業界全体で取り組めば「食品ロス」を2%削減することに繋がるとの見方があるとか。メーカー・流通にとってはコスト削減効果も期待されるでしょうから、是非、その方向に進むと良いなあと思います。(これは、1月25日の日経記事より抜粋)

食品ロスには直接結びつかないかも知れませんが、「ジビエ料理」に人気が出ているのも面白いと思います。獣害は増える傾向にありますが、捕獲した野生動物の処理方法がまだ十分に確立されていない。お肉も下処理が難しいこともあり食用に使われるのが限られていた。 イノシシ、シカ等は生活環境の変化への対応力が強く頭数はどんどん増えていく傾向にあるとのことで、獣害駆除を進める必要はあるものの費用がかかることから対応が十分ではない。それが、ようやく処理業者・加工販売業者・調理する方が工夫して「旨い!」という食べ物になりつつある。ジビエ料理のフアンも増えてきているそうです。駆除された動物も、「美味しい!」と言って食べてもらえて、日本国の食料自給力の向上に役立っていると思えばさぞかし満足するのではと。ニンゲン様の勝手な思いです。

 

『ごみと日本人===衛生・倹約・リサイクルからみる近代史』、稲村光郎著、ミネルヴァ書房、2015年6月第一刷発行。「ごみの歴史はリサイクルの歴史、ごみ問題は、日本の近代化・産業発展と表裏一体の関係、『もったいない』は戦時用語?」等々の見出しが面白くて発行後すぐに読みました。面白いエピソードがたくさん紹介されてます。

●近代日本は、1859年(安政6年)米国、英国等との通商条約により横浜等の港を開港したころから始まるそうですが、日本では捨て値同然であった木綿のボロが西欧向けの輸出商品になったそうです。何故か?。答えは西欧で当時活発になっていた洋紙製造の貴重な原料となったから。その後、明治になり国内でも洋紙生産が盛んとなり、それまでさして需要の無かったボロに新たな需要が生まれた。ボロの値段が高騰し、屑買いの元締めは大儲けしたそうです。これが「ボロ儲け」。

●明治後半、廃物利用=リサイクルをしようとのキャンペーンが活発に。国民への倹約を説いて、特に女子教育の場で勤勉と倹約を促したそうです。これに猛然と反論したのが与謝野晶子さん。「廃物利用という世間受けする名目の下、女子を駆って疲労させ、その向上心と活動力の自発を鈍らせ、いつまでも男子の便宜に供しようとしている」と廃物利用キャンペーンを猛烈に批判。「廃物から非実用なモノを時間をかけて作る=時間と労力の経済を考慮しておらず時代錯誤」であると筋の通った批判を展開されたとか。

●昭和に入ると戦時回収です。1937年(昭和12年)7月の日中戦争と伴に戦時回収がはじまった。当時のパンフレット「愛せよ資源 活かせよ廃品」。今でも出てきそうなキャッチコピーかも。更に、鉄くずの回収と統制経済の時代に。永井荷風さんは父親の形見のキセル口金=金製品を「むざむざ役人の手に渡して些少の銭を得るよりは」と隅田川にひそかに捨てた由。世の中、国家の施策におもねる風潮に我慢がならなかったと。1941年(昭和16年)12月、太平洋戦争に。「決戦だ!残らず出そう鉄と銅」。大政翼賛会の標語「『もったいない』を生活実践に」。1943年(昭和18年)、東京市では「食品むだなし運動」。標語を眺めるだけで詫びしく、寂しく、情けないような。半面、笑ってしまうのもありますよね。かくして回収された金属も「実際には十分利用されないままに敗戦を」迎えたそうです。僕の生まれるせいぜい5年から10年前の日本の姿です。筆者は「ごみの歴史は、いわば歴史の裏通り」として、ごみと衛生、ごみと貧困、そして国家の関与に意識して豊富なデータを積み上げて淡々と書かれています。

 

とにかくモノが足らなかった時代にはそれを補う工夫があったんでしょうね。今でも懐かしく思い出しますが、小さい時、近所のほとんどの子供達は膝のところにツギ当てをしてあるズボンを履いていました。セーターの肘のところなんかも。よそのお家に遊びに行って靴を脱いだら靴下にボカっと穴が空いていて恥ずかしい思いをしたり。これは工夫のしようがなかったかしら。鉛筆が短くなると、金属の補助機器があってそれに固定して握りやすくして最後の2-3㎝くらいまで使っていました。短くなった鉛筆を自慢して見せびらかしていたような。ペットボトルは、飲んだ後の処理が大変なモノになってます。ラベルを剥がしてペタンコにしてから専用のごみ袋に入れてごみ収集の場所に持っていく。かつての時代にこんな便利な容器があれば、水筒の代用はもちろんのこともっと貴重な使われ方が考えられたのではないかと思ってしまいます。モノが溢れかえるというのは、ニンゲンをアホにすることなのかもしれませんねえ。

 

と思いつつ、冷蔵庫を見たら「飽食の時代」そのものでした。当分、食材を買ってくるのを控え、在庫を美味しく頂く工夫を楽しまなければと。「『もったいない』を生活実践に」して「食品むだなし運動」を国家の命令ではなく自分の矜持として励みたいなあと思います。

 

f:id:hayakira-kururu:20170306145626j:plain

 

 名古屋、名城公園の彫刻の庭。向こうの建物は名古屋能楽堂。春、もう少し。2017年3月5日撮影。この日、能楽堂では「名古屋伝統文化を楽しむ会」後援の名古屋華舞台、能「巻絹」と狂言「大般若」が上演されました。日ごろお世話になっているドラゴン先生が招待してくれました。風邪気味で薬のせいもあり、僕は気持ち良く幽玄の世界を彷徨っていました。