クルルのおじさん 料理を楽しむ

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ベガーチキン

ジョホールに駐在している時に、カミさんの両親が遊びに来てくれました。1994年8月のことです。孫たちの顔を見るためというのが一番の目的でしたが、それと同じくらいに、親父さんが”思い出の場所を訪問してみたい”という気持ちが強かったようです。『肉骨茶』でチョット書きましたが、親父さんは傷痍軍人です。戦争中、この地域での戦闘で重傷を負いました。お酒大好きおじいちゃんで僕たちが結婚してからは男二人で良くお酒を一緒に飲みましたが、お酒を飲んだ時でも戦争の話、特に、自分が重傷を負った話をすることはありませんでした。僕がジョホール駐在になるという話を聞いた時に初めて「自分が負傷したのはジョホールバツパハというところだよ」と言い出しました。

バツパハでの戦闘で右手首に銃弾が貫通する重傷を負いました。まだ、太平洋戦争の初期の頃であったのが幸いしたのではないかと推察しています。最悪は手首切断も止む無しと言う状態であったそうですが、それなりの治療を受けることが出来て、とにかく、生きて日本に帰ることが出来た。その後のリハビリは想像を超えるほどに大変であったそうです。死線を彷徨うような体験をした方はやはり何かが違うのでしょう。戦後、苦労して池袋にお店を構え、爾来、家族を養い、地域社会・業界にも大変な貢献をされました。立派なおじいちゃんです。2007年9月に89歳で亡くなりました。

池袋でお店を立ち上げた時の面白い話があります。戦後の混乱期。ヤクザ、愚連隊の類の連中が煩かったそうです。ある時、何人かが立ち上げたばかりのお店に来て嫌がらせをしてきた。頭にきたおじいちゃんが玄関に出て気合を入れて「お前ら、うるさい。出ていけ、ここは俺の店だ、嫌がらせはやめろ。俺はxxケイジ(彼の本名です)だ。」と大声で怒鳴ったところ、おじいちゃんの余りの剣幕の激しさと「刑事だ」と聞き間違えてすごすごと退散したとか。おじいちゃんは身長は175㎝くらい、眼光鋭い偉丈夫で、確かにテレビの刑事役でもすれば似合いそうな風貌ですから、そりゃあヤクザさんも恐れをなして退散したのであろうと。

 

バツパハというのは聞いたことが無かった地名でしたが、勤務先の会社でお世話になっている運送業者の社長さんがこの町出身の方でした。ソウさん。僕より2歳ほど年上です。中国系マレー人で、彼の親父さんの時代にマレーシアに移り住み事業を起こされた。ソウさんはイギリスにも留学経験があるエリートのインテリですが、偉そうな素振りは一切見せない。明るい、朗らかな、いい人。駐在の期間中、仕事でも私生活でも大変に楽しいお付き合いをさせて頂きました。

「うちのカミさんの両親が遊びに来る、カクカクシカジカ」と説明すると「昔、日本軍が攻めて来たときに町の郊外で川を挟んで激戦があったという場所がある。負傷を負われたのはそこかも知れない。自宅の近くであるから、ご両親を連れて遊びにおいで。」と誘ってくれました。

 バツパハ、英語のスペルは Batu Pahat  と書きます。ジョホールバルの家から120㎞くらい。愛車トローパに全員乗り込んで出発しました。この四駆は、後部の荷物を置くスペースを撥ね上げると簡易な椅子席に変わるように出来ていて、定員は7人乗り。まだ小さかった子供たちにはこの椅子席に座ってもらいました。道中、おじいちゃんから負傷を負った時の話を子供たちにも話してもらいました。おじいちゃんも少しづつ記憶が蘇るような気配でした。

 

町でソウさんと合流して早速郊外の川の近くに行きました。いかにも古そうな、しかし頑丈そうな土台の上に橋が架かっている。回りは灌木と畑。結構、見晴らしは良い。川の土手はあるものの身を隠すようなものは何も無し。ここで激烈な戦いがあったんだ。おじいちゃんは無口になってあちこち見渡していました。ポツリ「あまり、よく、分からないね」と。思い出したくなかったのかも知れません。

町に戻り、ソウさんが贔屓にしている中華料理のお店に行きました。これは立派な中国の料理屋さん。ビールを飲んで一息ついている時、ソウさんが一人のおじいさんを連れてきました。ソウさんのお父さん。彼も戦争中は大変に苦労をされたとか。親戚には犠牲になった方もいらっしゃる、またご本人も植民地時代には財産を没収されるなど嫌な経験をされている。この方がまた、大変に厳つい、怖い顔をされている。当時、シンガポールの大統領はリーカンユーさんでした。今でもお元気で、今では穏やかな好々爺然とした顔つきですが、当時はむちゃくちゃ迫力のある鋭い目つきをされていました。ソウさんの親父さんもその筋の顔です。ソウさんご夫妻と親父さん、うちの家族と両親で大きなテーブルを囲んで会食です。親父さんどうしは隣どうしに座ってもらいましたが、言葉の問題以上に、お互いに、話をしようとする気配が無い。≪これはヤバいかも知れない。お互いに昔の嫌なことを思い出して、喧嘩にならないかしら≫。ソウさんも心なしか心配そうな表情をしております。戦争の辛酸を知りつくしている強面のおじいちゃんどうし、一触即発の危機か。

お酒の力は有難いもので美味しいビールと紹興酒を飲むに連れ、お二人の表情も和み、言葉は通じないまま会話をしてくれるようになりました。最後の方では、うちのおじいちゃんの右手首の傷跡をソウさんのおじいちゃんが手を取って撫でてくれていました。涙は出てなかったと思いますが、”お互い苦労してきたねえ”、とあたかも戦友を称えているような。予想以上に内容の充実したバツパハ旅行でした。

 

 ジョホールバルの郊外に、ベガーチキンの店があります。バツパハから戻り落ち着いてから、おじいちゃん、おばあちゃんを連れて行きました。一羽丸ごとの鶏に香辛料を詰め込んで何かの大きな葉っぱで全体を包んだものをさらに泥、粘土で覆う。火で高温にしてある砂場の土の中に丸ごと埋め込んで蒸し焼きにする。

出来上がったモノはスコップで掘り出して手押し車に積んで運んできます。熱いから。粘土、泥はカチンカチンの状態。それをハンマーでガシャーッと叩き割って鶏を取り出します。まだアツアツ、ホカホカの状態。お皿に取り分けてくれます。お箸で簡単に崩せるほどのトロトロになっています。特有の芳ばしい香りがありますが、優しい味です。これがメイン料理。

副菜の一つに焼き魚が出てきます。一見、日本の秋刀魚みたい、皮に焦げ目がついている。これを箸で捌こうとすると感触が違う。最初は≪なんやこれは≫と思います。包丁を出してもらい、1-2㎝にキレイにカット。中身は蒲鉾状態になっています。蒲鉾を焼き魚に見えるように焦げた魚の皮のようなものまで付け成型して出してくる。お醤油のような出汁で頂きます。味はマアマア、こんなもんか、という感じ。

ベガーチキン(直訳すれば、乞食鶏です)というのは、昔むかし、貧乏な人達が料理する時に何も道具が無かったので、たき火をしていた土の中に鶏を入れて焼き芋風に焼いてみた、というのが起源とか。おじいちゃん、おばあちゃんには、見た目も面白く、鶏も柔らかく、味も優しかったので好評であったようです。また、孫たちが料理を説明するのが嬉しかったのでしょう。食事の最後に、おじいちゃんがしんみりした声で「バツパハに連れて行ってもらって良かったよ。いろいろなことを思い出したよ。」と言ってくれました。

 

ずっと後になってですが、おじいちゃんを偲ぶ会の時、一族・親戚の方が大勢集まってくれた時に、おばあちゃんから頼まれて、この時の話を紹介しました。おばあちゃんも「この時の旅行をおじいちゃんは大変に喜んでいました」と話しました。うちの子供たちも一人ひとり立ち上がって「ホントにいいおじいちゃんでした」と泣きながら挨拶してくれました。孫に慕われるおじいちゃんというのはなかなかにカッコ良いと思います。 

 

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 これ全てお菓子の材料から製作されたものです。4月25日、撮影。2017菓子博・三重、「お菓子の匠工芸館」にて。呼び物の一つであった「全国お菓子夢の市」は入場するのに待ち時間が1時間以上。入場者はお土産に買い物するのを楽しみにしているのにこれだけ待たせるのはいかがなものかと。興行的にも残念なことですね。菓子博は5月14日に閉幕。入場者総数は、目標の60万人に一歩届かずの58万人であったとのことです。

 

蛇足の補足、本文中「おじいちゃん」「親父さん」が入り乱れていますが、僕のカミさんのお父さんのことです。日経の俳句欄に心情的に分かる句が載ってました。

 

〇蕨餅いまだに妻をかあさんと  野田 哲士さん (4月29日、日経俳壇)