クルルのおじさん 料理を楽しむ

庖丁

図らずも、前回の『中華鍋』に続き料理道具編、その2.『庖丁』です。昨年の9月のブログ『料理って』『続、料理って』で書きましたが、火=料理というのが西洋料理の基にある考え方。かたや、日本料理の神髄は、割烹。すなわち、『割』=切ること、割ること、『烹』=火を用いて煮たり焼いたりすること。つまり、日本料理では「いかに切るか」ということが「いかに火を入れるか」ということと同等以上に重要視されています。この文脈から言えば、僕も最初に『庖丁』を書いてから、その後で『中華鍋』を書く方が良かったのかしらと反省しております。

確かに、日本では家庭で料理をしなくなっている状態を「庖丁の無い家庭」とか「マナ板が無い台所」とか表現してます。切ることに使う道具が、日本では料理・台所・家庭を象徴しているのかも知れません。その流れで言えば、欧米は火がベースだから同じことを表すのに「コンロの無い台所」なんて言ってるのかも知れませんね。電子レンジで全て対応して食生活を送っている方もいらっしゃるような気がしてきます。

 

その庖丁ですが、僕は何の変哲もない、いわゆる、三徳庖丁を使っています。肉、魚、野菜、全てに対応できる「三徳」=万能庖丁という意味だそうです。僕は、野菜大好き人間ですから、庖丁を使っているシーンを振り返ると圧倒的に野菜を捌いているところが出てきます。玉ねぎのみじん切りは最初は手間と時間がかかりましたが今では得意技の一つになりました。キャベツの千切りも楽しい作業かと。雑誌か本で栗原はるみさんが「ただひたすらにキャベツを千切りにするのが大好きです云々」という表現をされたことを覚えていますが、その気持ちはよく分かるように思います。

キュウリの輪切り、トントントンと切るのも楽しいと思います。秘密の技ですが、マナ板の上でトントントンと切るのではなく、空中で、左手にキュウリを持ち、右手に包丁を。手首を柔らかくしてグリップだけで包丁を動かしキュウリを輪切りにすることが出来ます。上手くいけば3-5㎜程度には均一にカット出来ます。問題点は、切ったキュウリの輪切りが流しのなかに散らばってしまうこと、および、やはり危険なことです。よい子の皆さんはマネをしないでください。最近は庖丁を使わず、1.5㎜程度の輪切りが簡単に出来るスライサーを使っています。便利な道具があるものです。

レタスを丸ごと買ってきて保存する技も覚えました。単に半分にカットしてそれぞれの芯のところに庖丁を入れて芯を取り除くだけです。レタスですから庖丁が気持ちよく入ります。それをラップまたはビニール袋に入れて冷蔵庫に。最低1週間は新鮮、パリパリ状態が維持出来ます。その他、大根、ニンジン、ジャガイモ、かぼちゃ(ちょっと硬いか)等々、野菜を庖丁で切るということには、何か「快感」が伴っているかも知れません。スパッと切れるから。僕が野菜料理大好きなのは、切るのが気持ち良いというのも影響しているかと思うくらい。

 

庖丁は、右手の親指と人差し指で刃元の腹をしっかりと握ります。人差し指を庖丁の峰に添えたりしない。残りの三本で柄を握る。これはゴルフのパターの握り方と一緒なので気にいっています。構えは、まず、まな板に正対。右足を半歩後ろに、そうすると体の面がまな板に45度の角度になります。これは自分で編み出したスタンスだと自負していたのですが、残念、その筋の本には、同じ説明が随所に見られました。皆さん同じようなことを考えるものだと感心しました。左手の指は、第一関節を柔らかく垂直に落として食材を軽く押さえる=横から見れば庖丁の刃と並行になっている。安全第一を心掛けています。

 

「有次と庖丁」という本があります。江弘毅さん著。新潮社。2014年3月初版。思い出してザアっと読み返してみました。最初に読んだときには全く記憶に残っていませんでしたが、改めて読むと面白いことをたくさん再発見しました。

僕が使っているのは「三徳庖丁」ですが、この庖丁は、両刃の牛刀から派生したものだそうです。意外と最近になって出来たもので、洋食が家庭に入り込んだ高度成長期に日本で作られたものだそうです。その基になっている牛刀というのは、文明開化で西洋化が進んだ東京で(牛・豚の肉料理に対応するために)肉を切るため両刃の新しい庖丁を東京・横浜の鍛冶屋、包丁屋が作ったものだとか。それまでは、庖丁と言えば「和庖丁」だった訳ですね。

「有次」というのは京都・錦市場でただ一軒、庖丁・料理道具を取り扱っているお店、和庖丁の老舗です。ご当主は何んと18代目になられるとか。このお店は藤原 有次という方が刀鍛冶として永禄三年=1560年に創業されたそうです。明治から大正にかけて包丁が主要な品目となり、鍛冶屋さんから包丁屋さんに。その時に、堺の鍛冶屋さんである沖芝一門の「打刃物」「本焼き庖丁」を取り扱うようになった。この沖芝一門も元々は村上水軍の刀鍛冶で広島・京都・堺の世界で有次さんと深い繋がりに。刀匠の伝統的な鍛冶仕事、鉄を打って鋳造する打刃物が今や世界的にも高い評価を得られている由。ちなみに、洋庖丁、三徳庖丁のほとんでは、抜刃物=鋼をプレス機で型抜きするものとのことです。

このお店、ここの包丁が凄いと思うのは、お客さん(プロの料理人、素人の個人を問わず)と包丁一本で何十年ものお付き合いを続けられていること。京都の歴史と伝統そのものが支えてくれているのかとも思います。庖丁に対する日々の”お世話”と定期的な”研ぎ”の重要性そして喜びをお客さんと共有されている。当主さん「大げさに言えば、よい鋼の庖丁は人の性格をも一変させる。ずぼらな人が良い庖丁を使うことによって、お世話することが好きになる。そうすると道具が喜んで役に立ってくれるから、余計にまたお世話したくなる。それを見ている子供たちは当然素直ないい子に育ちます」(註:原文は京都言葉で書いてあり、もっと味わいがあります。)

この考え方(思想ですね)を基に、更に更に、深く和包丁の世界を知ってもらうために「有次」のお店では、包丁研ぎ、魚のおろし方、料理、の三つの教室を開いていると。どれも予約がずっと先まで埋まっているそうです。古い割烹の料理人さんは、有次の柳刃庖丁を三十年以上使っており、「研いで研いで、ちびてちびて」そして、ぺテイナイフになっても使っているとか。

 

昔むかし「庖丁一本さらしに巻いて」と言う歌詞の歌謡曲がありました。「月の法善寺横丁」、歌は藤島恒夫さん。昭和35年=1960年発売。大阪では結構流行っていて子供の頃に訳も分からず歌っていたのを覚えていますが、今回、初めて時代環境と「庖丁」の重みが理解出来ました。「庖丁」は花形職人のシンボルだった。大正後半から昭和初めの時期、大阪や京都で対面式の板前割烹の料理屋スタイルが確立していたそうです。それまでの料理店、料亭では、料理人は奥の厨房で料理する。それを仲居さんが座敷に運んできて座敷のお客さんにだすというスタイルですが、板前割烹、上方割烹では、客の目の前で包丁を握り、その切れ味と腕前を披露する。割=庖丁方、烹=煮方とに分かれていたらしいですが、やはり、庖丁方が花形であり、庖丁方の板前にとっては、打刃物・本焼き庖丁は大変なステイタス・シンボルであったと。お客さんの前で魚を捌き刺身を引く。出来上がった皿の上の料理を鑑賞する以前に、板前の庖丁捌き・調理プロセスを目の当たりに出来る。日本刀様の刃紋を持つ庖丁の腕と技があれば男一匹カッコよく生きていけた時代。この本の表紙の帯のコピーには「有次===包丁こそ和食である。」と書いてありますが、なるほどと納得させられたような気がしました。

 

ここで漸く気が着きました。そうか、僕が全く頓着しないで三徳庖丁を使っているのは、やはり、魚を捌くことをほとんどしていないからだ。「割」の基本は、魚を捌く、刺身を引く。僕には、まだ、出刃庖丁、柳葉(刺身)庖丁を使う場面がないから気にならないでいたのか。料理の奥も深いなあ。いつの日か、京都に行って、庖丁を買いたいと思うようになるかしら?

 

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 留守宅の永良部のゆりが満開。これだけ咲いてくれると豪華です。2017年6月11日撮影。

 

おまけ

数年前、名古屋のマンションの近くにあるカウンターのステーキハウス(板前割烹ステーキハウスだ!!)で、メインデッシュのあとですが、チーズを出してくれました。ワインとチーズの組み合わせは、僕が大好きなものの一つなので。普段は、バゲットを普通に切って、それにチーズをのせて頂いていましたが、このお店ではホントに薄く(3㎜程度のイメージ)切って、ちょっとオーブンで炙ったものを添えて出してくれました。チョット炙ったバゲットは蝶々の葉模様のように美しく。もの凄く美味かったです。それこそ目の前で切ってくれましたが、あの時のナイフ(庖丁)捌きは神業に思えました。パン・バゲット切り用のギザギザのついた刃の長いナイフではなかった。今思えば、刺身庖丁のような鋭い刃の細身の長い庖丁のように思えます。マンションの台所でやってみても上手くカット出来ませんでした。バゲットが違うのかと思っていましたが、庖丁が違ったのかしら。大将にイロイロと教わっておけばよかった。このお店は、数年前に急に引っ越しされてしまいました。残念。