クルルのおじさん 料理を楽しむ

愛・地球博記念公園⇒「ジブリパーク」に

愛・地球博記念公園が「ジブリパーク」に生まれ変わる!。6月1日の新聞記事に出てました。地元名古屋の新聞のみの報道かも知れません。

愛・地球博愛知万博)は、2005年に開かれました。メインの会場は、愛知県長久手市にあった愛知青少年公園(1970年開園)です。その万博の跡地が、愛・地球博記念公園と呼ばれています。万博開催時にも人気が高かったスタジオジブリの「サツキとメイの家」は、その後も残されていて今も公園の一番人気、「となりのトトロ」に登場する昭和30年代の家を再現したものです。

5月31日に、愛知県の大村知事とスタジオジブリの鈴木プロデューサーが名古屋市内で会談して大筋合意したそうです。大村知事が「ジブリの世界観は、愛・地球博の理念を継承することに繋がる」と判断し、県の全面協力を決めたと。

ジブリパークは宮崎俊監督が描いた「となりのトトロ」の世界観を、四季折々の草花や木々に溢れる自然豊かな園内200ヘクタールで再現する。2020年代初頭のオープンを目指すとのことです。またジブリパークを作るために、木々の伐採等の新たな開発はしないというのがコンセンサスになっている由。

 

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愛・地球博記念公園にあるサツキとメイの家」です。6月23日撮影。炊事場、書斎等々、昭和30年代当時のママに保存されていて、古き良き時代を体験出来るようになっています。

 

クルルのおじさんは、この「ジブリパーク」を応援したいと思っています。コンセプトが愛知に合致しそうな気がします。 『名古屋の魅力』、『名古屋の不思議』で書いてしまいましたが、「魅力の無い街」「行きたくない街」をいかに返上するか、大変な課題になっている名古屋ですが、これが切っ掛けになって名古屋・愛知に対する評価が変わる可能性も秘めているのではないかと。

そもそも、観点をチョット変えると、名古屋・愛知は「住みやすい街」として大変に高い評価を受けています。名古屋・愛知から他都府県に移住するかたの比率が低い。大学を他都府県に行っても、また、この地域に戻ってくる。これは、トヨタさんを筆頭に産業基盤が強固、要するに働く場所がある、就職できる会社がある。風土的にはもともと親子一緒の生活を皆さん慣れ親しんでいる。結婚しても親と同居する。2世代、3世代が同じ地所に住んでいるのも珍しくない。都市型生活も楽しめ、また、周辺の豊かな自然環境にも癒される。東京には行ってみたいとは思うが、住みたいとは思わない。こんな有難い場所は他には無いという見方です。

大前提は、地元に立派な企業、経済圏があって、そこで働くことが出来る、生活することが出来る、ということだと思います。トヨタさんには益々頑張っていただかなければいけません。

因みに、愛知県の人口は今年初めて「自然減」になる可能性があるとのことですが、「社会増」の為に全体の人口はプラスを維持しているそうです。「自然増・減」というのは、生れた数から死亡者数を引いた人口の増減、「社会増・減」と言うのは、県外からの転入者と県外への転出者の差を言います。これまで愛知県は、東京都、沖縄県と同様に自然増、社会増の両方を維持している数少ない都府県の一つであった。2017年4月の統計見通しでは、年間では「自然減」になりそうとのことです。「自然減」になるのは、1956年の統計開始以来初めて。「社会増」の背景は、やはり、製造業を中心とした経済の好調さによるものと考えられています(5月10日、日経)。

 

ジブリパーク構想は、こんな名古屋・愛知の土地柄に合う、地元の方にも歓迎される、そして、かつ、街の魅力も高め、訪問してみたい街にも繋がるのではないかと感じるんですよね。 この発表のあと、何故もっと盛り上がりがないのかが不思議なくらい。まあ、まだ、県とスタジオジブリは合意したばかりで、今後、運営方法などを協議して企業の参画を募る予定だそうですから、今からの話かとは思いますが。

今年の4月、名古屋市の魅力を発信するためのキャッチコピー「名古屋なんで、だいすき」が公表されました。5月後半には、ロゴマークも披露されています。名古屋らしく?チョット斜に構えて「名古屋なんて」と言いつつ「だいすき」と落としているのはナカナカの出来栄えかと思います。これに愛知の「ジブリパーク」が加われば、魅力度が大幅にアップするものと期待したいところです。

 

愛・地球博記念公園、通称「モリコロ公園」=モリゾウとピッコロの公園、将来の「ジブリパーク」は、名古屋駅から地下鉄東山線で終点の藤が丘に行き、リニモに乗り換え(リニモというのは、リニアモータカーを縮めた愛称)、愛・地球博記念公園駅に。名古屋駅から45分ほどで行けます。公園の周辺も自然がゆったりと残されている。45分で自然がゆったりと残されてところが名古屋・愛知の魅力だと思います。

 

愛知万博の前に、日本で初めて万博を開催したのは、大阪万博。1970年のことです。僕はたまたま偶然ですが、この二つの万博の時には、開催場所の大阪、名古屋に住んでまして、地元の人間として見物に行きました。

1970年の大阪万博の時は、まだ大学生。謳い文句は 「EXPO’70、人類の進歩と調和!」 よく覚えています。それこそ高度経済成長を謳歌していた日本国の国威発揚の場であったような。岡本太郎さんの「太陽の塔」も斬新なものでした。ご自分の顔をデザインされたのかとビックリしました。アメリカ館の「月の石」の展示が爆発的な人気で何時間待つの分からなかったとか。関西人独特の突っ込みでミンナが「人類の辛抱と長蛇」とおちょくっていましたが、予想をはるかに上回る入場者数に達し大成功だったはずです。いま思えば、あれが、大阪のピークやったんかもしれませんねえ。

2005年の愛・地球博の時は、商社時代の東京生活からメーカー勤務の名古屋・碧南生活に移って暫くした時でした。「愛知」にかけて「愛・地球博」と命名。これはウマいと感心したのを覚えています。21世紀になって初めての万博で、万博そのものも従来の参加各国のお国自慢合戦とは趣を変えていたと思います。 

 

なんと大阪が2025年の万博に挑戦するそうです。 政府と大阪府による2025年万博の誘致活動が本格化しています。6月7日には、誘致委員会が誘致活動のシンボルとなるロゴを発表、絵文字でにっこり笑った人々の輪。「Expo2025 osaka-kansai/japan」。

6月13~14日の博覧会国際事務局の総会で、大阪府の松井知事が立候補国としてのプレゼンをやりました。これに先立ち政府は4月に立候補を閣議決定。他にもフランス、ロシア、アゼルバイジャンが立候補しており、開催地は、2018年11月の総会にて加盟国の投票にて決定される由。会場の予定地は市が開発を進める人工島「夢洲」。大阪再生のきっかけにと期待されているとか。(6月19日、日経)。

 

 2020年は東京オリンピックの開催が決まっていますが、これに続き、2025年に向かって大阪は再度、夢洲での万博の開催を志向し、一方で、愛知は跡地の公園の運営を民間中心にして2020年代初頭のオープンを目指すと。比較する意味はあまり無いかもしれませんが、今回は、愛知に軍配が上がるような気がして面白いですね。

 

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同じく愛・地球博記念公園、林床花園。6月23日撮影。