クルルのおじさん 料理を楽しむ

お酢の話、その2.

そういう訳で、今度は、お酢の本を手当たり次第探して読んでみました。

『健康!酢タマネギ』(宝島社) は通勤途上の駅のコンビニの書棚で見つけて買いました。2016年10月、第三刷発行。これは、結構、早い時期に買ったと思います。そもそもは玉ねぎの食べ方をもっと知りたいと。酢との組み合わせというのが当時の僕には新鮮でした。レシピも掲載されていたので重宝しています。この酢タマネギを活用して料理を作れないかとイロイロなレシピを研究(?)したあげく自分なりに工夫して到達したのが『中華鍋』で写真を掲載した鰯の料理でした。楽しかったのでクックパッドの「クルルのおじさんのキッチン」に「僕でも出来る 鰯のエスカベッシュ風」として載せました。命名は料理の師匠のchaさんです。今回、この本をざっと見直したら、なんと、「イワシの酢タマネギ エスカベッシュ」というレシピが掲載されていました。自分が見落としていたのを棚に上げ、自分の創意工夫を否定されたようでショックでした。作り方もほほ一緒なので余計にがっかり。世の中には努力が報われないことも多くあるものなんだと滅入りました。全く、大げさなことです。なんとか、気持ちを立て直して、僕の心の中では、この料理は自らが工夫した料理なんだと言い聞かせて、その後も機会あるごとに作っております。もちろん鍋は「戦艦ヤマト」です。結構、美味しいです。

 

f:id:hayakira-kururu:20170717103939j:plain

 

本箱で眠っていた本に「お酢」がテーマのものがありました。

『世界に広がる 日本の酢の文化』。奥村彪生さん監修、岩崎信也さん著、ミツカングループ企画。2003年1月初版。これは随分前に、多分、2004~2005年ごろに同社の方から頂いた本です。ミツカンさんは、昔風に言えば尾張之国は知多郡半田村にある、今では調味料と納豆を中心とする大手の食品メーカーさん。もちろん「お酢」がミツカンさんの事業の原点です。「お酢」に焦点を当てつつ「おすし」についての考察が大変に分かりやすく面白い読み物になっています。例によって興味深いところを抜粋します。

●お酒とお酢は、発酵食品の原点。平城京跡から出土した木簡に、すでに「酢」の文字が出てくる。酒があれば酢も造られる。・・・この辺りは、内堀さんの「酢は酒から作る、と書きます」という言い回しと同じで面白いですね・・・ヴィネガーは、ヴァン(=ワイン)とネーグル(=酸っぱい)の複合語であると。酢はワインが酸っぱくなった=酸敗したものを示すものと言う意味が表現されている。

 

・・・以下、中国の発酵食品について解き明かし、「おすし」との関わりを詳細に記載しているところが大変に興味深かったです。

●「醤」は、鳥獣・魚の肉を叩き潰して、塩と酒を混ぜて壺につけこんで発酵させたもの。醸造調味料。紀元前三世紀=前漢初期の文献によると、紀元前10世紀ごろには100種類以上の醤があった由。

●その「醤」とは別な発酵食品として、「鮨」は=魚の塩辛。醤油とは違い原料の形状をある程度は残したもの。

●さらに、別なモノとして「鮓」がある。「鮓」は、貯蔵した魚とのことで「鮨」とは区別されている。三世紀ごろの辞書に「『鮓』は、魚の漬物。塩と米とで醸す。馴れたら食べる」との解説があり。古代の「すし」として知られる「なれずし」の初出と。「なれずし」とは、米飯などのでんぷんの乳酸発酵を利用した塩蔵発酵食品。この乳酸性の酸味を伴うところに最大の特徴がある。

 

・・・その後、中国では「鮨」と「鮓」は同義と混同されることになってしまったそうです。もともと「鮓」は、東南アジア山地民の保存食、ないしは、同じく東南アジアで水田耕作を行う平地民の食べ物が起源とのこと(最近は、後者の説が有力とか)。中国の辞書の記載で両者を混同したのは、輸入された外国の食べ物のため、編者自身が「鮓」を知らなかった(見たことがなかった)からと考えられています。

・・・日本では、奈良、平安の時代は、酢は自家製がほとんど。戦国時代に酢造りが重要な地位を占めるようになり、業としての「酒造」「酢造」の言葉が出てくるようになった由。技術革新=酒造において火入れ(加熱処理)技術の実用化がそのきっかけになったそうです。

 

 ●すしは、古代・中世の「なれずし」(酢を使わない発酵すし=魚の保存方法、漬物の一種。おそらく飯は食べなかった)から、江戸時代に入って、酢を使う「早やすし」に変わってきた。

・・・そこに「握りすし」が誕生。大ブレークしたそうです。そして、この握りすしにぴったりの酢が「粕酢」。尾張の粕酢が江戸で大評判となり、ミツカンさんの「山吹」が握りすし用の酢の市場シェアのほぼ大半を押さえた。この「山吹」は日本でのブランド・マーケティング成功の第一号事例と言われています。

●寿司(寿し)は、江戸時代末期に生まれた和製漢字。平安時代には、鮓=酒志(スシ)、鮨=須之(スシ)と読んでいたと。

・・・すしの語源は、味がすっぱいから「すし」。すし=酸っぱい、新井白石さんの研究でも「スは酸なり、シは助詞なり」との記載があるとか。これは分かりやすいですね。さらに、鮓と鮨をつなげて鮓鮨として読むと「サシ」になり、それが、なまって「スシ」になったとの説もあるそうです。

・・・「なれずし」=乳酸性の酸味を伴う塩蔵発酵食品、飯は食べない。⇒「なまなり」(生成)。酢酸発酵による酸味も受け入れ、飯を食べるようになった。料理において酸っぱい=「酢」が重視されることに。⇒酢を使う「早やずし」、そして「握りすし」へと。従来の発酵食品、保存食品と完全に縁が切れた。まったく違う食べ物の誕生!!との記述が説得力があります。

 

 

ミツカンさんは尾張ですが、お隣の三河に「南三河食文化研究会」という地元の醸造業(白醤油、味醂、日本酒、味噌)の方が参加されている研究会があります。2015年4月28日付けの中部経済新聞に紹介記事が掲載されていました。キーパーソンは、お二方。碧南市、小伴天の長田社長と高浜市、おとうふ工房いしかわの石川社長。

長田社長は、愛知大学のオープンカレッジで愛知の食をテーマにした講座を継続されています。また、2015年2月には地元食材を使って地元ならではの料理を提供しようと、同じ碧南市に”小伴天はなれ「一灯」”をオープンされています。 三河の食文化を後世に伝えたいという思いが込められた料理を味わうことが出来ます。

石川社長は、首都圏で愛知県産品の販売に注力。いしかわの店舗でテーマを決めて地元食材を楽しむ会を開催。南三河食文化研究会の代表。「醸造業でこれだけの業種が一か所に集まっているのは全国的にも珍しい」とのことで、この地域の食文化の発信、地域の食文化を守ろうと地元の醸造業の社長さんや地元の食に携わる方との交流を深めていらっしゃってます。

ちなみに南三河とは、旧東海道より南側の三河を指している。主な食材としては、碧南のニンジン、タマネギ。魚介、ちりめんじゃこ、アサリ。一色のウナギ、西尾の抹茶が有名なところ。

僕は、すっかり、お酢メーカーの方も参加されていると思っていたのですが、記載されていません。今度、参加して何故なのか聞いてみたいですね。

 

 「鮨 そのほか」新潮文庫阿川弘之さんの随筆・随想です。平成27年9月発行。すし=鮨、と書かれてますね。貰いもののすしを駅の浮浪者にあげた人物の味わいのある回想です。今の時代の作家の方には描けないストーリーでしょうね。阿川さんは2015年没。娘さんの佐和子さんのご結婚の報道には、彼の地で素直に喜んでますかね。

 

僕の大好きな「きょうの料理 ビギナーズ」2017年7月号。10周年、特別企画第二弾が「ちょっと すっぱい酢」です。即買いしました。料理の本はクセになりますね。次々と買ってしまいます。

 

 

お酢を使った料理のレシピを含むウンチクを書こうと思っていたのですが次回以降に改めます。次回の高校同期会の社会科見学は、半田のミツカンさんの酢の博物館と碧南の一灯さんでの会食にしようかしら。

 

f:id:hayakira-kururu:20170717104150j:plain

 血圧・血管に関する本、図書館にも多くの本が置かれてます。「薬に頼らず!、薬を飲まず!血圧を下げたい!」という願望は強いですね。どちらの道に進むにしても無理をしてはいけないのでしょうね。これらの本の中には、これは面白い・きっと効果があると思った運動、マッサージがありましたので、これも、次回以降に記載を心掛けます。