クルルのおじさん 料理を楽しむ

日野原先生のこと

日野原重明先生が亡くなられました。2017年7月18日、都内のご自宅で亡くなられたそうです。105歳のご生涯。新聞各紙にも大きく報道されていました。生涯現役の日野原さん、肩書は「聖路加国際病院名誉院長」となっていました。

 

 主要新聞の報道の骨子です。

●医療の旧弊打破に挑む、チーム医療や予防医療の手法を定着させた信念の経営者。

●高齢になっても元気な姿でメデイアに登場、健康の尊さを訴えた。

●成人病を「生活習慣病」と言い換えるように提言。

●小中学生に命の授業を行い、命の大切さや平和の尊さを伝える活動に取り組んだ。

●2000年には75歳以上の元気で自立した高齢者の「新老人の会」を発足。

●多数の著書あり、「葉っぱのフレデイー」のミュージカルの脚本まで執筆。

などが日野原さんの業績として称賛されています。1970年に起きた「よど号ハイジャック事件」には乗客として遭遇。1995年3月の地下鉄サリン事件では、院長して陣頭指揮、同病院が救助の最前線となり多数の患者を収容された。ご本人も大変に数奇な経験をされており、とにかく「最後までパワフルに生きておられた」と言うことだと思います。

 

 このブログでも何回か登場して頂きました。もちろん、僕自身が日野原さんの大フアンの一人だからです。「新老人」!、面白い感性をされている、いい言葉ですよねえ。「愛し・愛される」、「創めること(はじめること、と読みます)」、「耐えること」の三つが新老人にはとても大切だと。この三つのモットーを基にして「子供たちに平和と愛の大切さを伝える」ことを柱にして実際に亡くなられる前までパワフルな活動をされていた。年齢的には、僕よりも40歳ほども年長の大先輩になりますが、日本人にこんな立派な方がいらっしゃって、その方と同時代に一緒に生きていたんだということだけでも本当に嬉しい限りです。とうとう直接お会いすることは出来ませんでしたが、素晴しい方だと思っています。日野原さん、万歳!です。

  

日野原さんは多くの著書を残されています。世代を問わず読者に支持されているとのことで死去された後、書店では追悼コーナーも設置されている由。僕は、申し訳ないことに著書は読んではいないのですが、訳本を一冊、大切に持っています。

 

『平静の心』・・・オスラー博士講演集。新訂増補版。

 

日野原重明・仁木久恵 訳。医学書院。1983年9月に第一版第一刷が発行され、2014年8月に新訂増補版第7刷が出ています。

 

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当時の書評によると、終戦直後、聖路加国際病院連合国司令部に接収されていた時、日野原さんは米軍の図書室で医学関連の文献を読み漁っていたそうです。そこの書籍でオスラー博士の存在を知り、大変な感銘を受けるところとなった。日野原さんは当時、司令部からの命令で幣原喜重郎首相の治療を担当していたそうですが、知り合いになった司令部軍医にオスラー博士の話をしたところ、バワーズという軍大佐が、オスラー博士の著書である『平静の心』を携帯しており、それを日野原さんに譲ってくれたと。その後、日野原さんは、このオスカー博士の考え方を日本の医学関係者にも広げたいと思われ邦訳を買って出られたものです。

1983年第一刷の 訳者 序 には、「私(日野原さん)が臨床医として生き、医学を研究し、医学を教える立場に立って働いていく上で強烈なインスピレーションと、今日の仕事に全力投球できる力を与えてくれたのは、この本に示されたオスラーの言葉である。〈中略〉日本における若い世代の医療専門職に携わる人々にも、文章となって遺されたオスラーの言葉と精神とが強い感化を及ぼすことを切望する。」とあります。大変に感銘を受けられたこと、および、それを日本の若い世代に伝えたいという強い思いがヒシヒシと伝わってきます。

この本は、日野原さんご自身による補足も含め600頁以上の大著です。僕がこの本に興味を持ったのは、勿論、日野原さんに関心があったからですが、もう一つは別な面からの興味もありました。医療専門家に携わる人々の矜持とは如何なるもの(であるべき)なのか。一覧して面白いと思うのは、この本は、医療専門職に携わる人々だけでは無く、広く専門分野を極めたい、専門性を高めたいと思う社会人=ほぼ全ての方々が読者の対象になるだとうと思います。訳者 序にも記載がありますが、実際に米国では「この講演集は、当時の(註、このオスラーさんの講演集が出版されたのは1904年のことです)医学生、看護婦、医師の心に強烈なインスピレーションを与え、医療の世界における専門医の生き方を示す。〈中略〉いわば聖書のような福音を当時の医療職者や学生にもたらし、一般人までがこれを愛読した」そうです。

 

巻末には、日野原さん自身による「ウイリアム・オスラー卿の生涯とその業績ならびに思想について」という纏めの章が掲載されています。こんな名著を数行だけ抜粋して良さを分かってもらうのは無理だとは承知しているのですが、

《オスラーが学生に示した人生指針》

●どんな環境の中におかれても、それに煩わされることなく、自己を抑制する習慣を養うこと。どのような状況にあっても、絶えず物事に集中できるという素晴らしい能力を養うこと。

●毎日繰り返すことを効率の良いシステム的な習慣とすること。

●物事を徹底して行う特性。

●謙遜の徳〈the  grace  of  humility)  を持つこと。

●絶えず勉強し続けよう。

《オスラーの人生訓》

●今日の仕事を精一杯やり、明日のことを思い煩うな。

●己の欲するところを人に施せ。

●悲しみの日が訪れたときには人間に相応しい勇気を持って事に当たることが出来るような平静の心を培う。

 

僕はキリスト教徒ではありませんが、宗教の心をバックボーンにこういう考え方を実践出来る人=先生が何年か何十年か、または、何百年のあいだには、一人、または、数人かは存在されるんですねえ。人間っていいなあ、と思います。日野原さんは凄い。そして、その日野原さんに、強いインスピレーションと仕事への力を与えたオスラーさんも凄い。

 

日野原さんは、胃ろうを含む延命治療を望まず、そして、在宅医療で。ご自宅で最後まで食事や水を口にされていたそうです。終末期医療の在り方についても、最後まで自分の生き様を貫き、主義主張を実践されているのが、多くのフアンがいる理由であると思います。 2015年11月ごろの雑誌インタビューでの日野原さん語録です。

「無理な延命治療は患者を苦しめ、家族や社会にも思い負担を強いている。〈中略〉医師の務めは、最後まで患者さんのクオリテイー・オブ・ライフを保ち、家族ときちんとした形でお別れをしてもらうことです。」

 

仲間うちで、日野原さんの話題になった時「生涯現役とは仰るものの、そして、尊敬する立派な方ではあるものの、この年齢になられたお医者さんに、実際に診てもらうのには抵抗があるわなあ。」などど嘯いたことがありました。大変に失礼なことを言いました。診てもらってお話を聴かせて頂く機会があったらよかったのになあ、と悔やんでおります。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

  

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輪島、朝市の通りに行く途中のお店で。7月末でも紫陽花が満開。初めての色でした。2017年7月末、撮影。