クルルのおじさん 料理を楽しむ

沖縄旅行

11月3日から5日まで二泊三日で沖縄旅行に行きました。既に何回も書きました通り、平均年齢70歳の五人組(正確に計算したら本当にピッタリ70.1歳でした。おばあちゃんの94歳が光っています)の珍道中です。3日の朝、羽田空港に集合。東京・神奈川では朝晩は随分と寒く感じるようになっていましたから、皆さん結構な厚着です。くれぐれも風邪をひいたり事故に遭わないように注意して、健康・安全一番の旅行にすることを確認し合いました。

 

前日、沖縄県立博物館・美術館に電話を入れて下調べをしてみました。「ニシムイ・コレクション」のことを確認したかったのですが、最初に応答された方は全くご存知ありませんでした(ややショック)。交代して応対してくれた方が丁寧にお話をしてくれました。僕はこのコレクションは常設されているものと思っていたのですが、そうでは無く、普段はニシムイの代表的な画家の作品が数点は展示されているだけとのこと(これでかなりテンションが下がってしまいました)。僕の気配を察してか、その方は親切に「11月3日は文化の日で無料開放していますから是非に足を運んでください」と言ってくれました。よく出来た方だと感心しました。

空港で5人組で行動予定を打ち合わせ。チームリーダー格の義姉さんが、かなり欲張ったスケジュールを作成していました。サラリと「ニシムイ・コレクション」の話をしたところ、予想通り全く反応無し。却下されたも同然に。まあ、僕の気合が当初ほど入っていないこともあるから止む無しか。今回は、おばあちゃんが楽しめるように、行きたいところを案内する係に徹しようと腹を括りました。

 

 

空港でレンタカーをして、まずは首里城公園に。駐車場の確保が大変でしたが、運よく首里城に最短距離の場所に駐車。交通整理のおじさん、首里城公園の案内のおじさん、皆さん沖縄の伝統衣装で案内してくれます。威厳のある顔付き、とっつきにくいような風貌です。ところが話をすると大変に愛嬌があり親切。厳つい表情と何とも言えぬ可愛いところのギャップが面白く好感が持てます。女性=おばちゃんにはムチャクチャ優しい。特に、おばあちゃんはモテモテ状態。

 

三連休で観光客が多くて大変そうなので車イスを利用させてもらいました。見学のコースは大変に良く整備されており車イス対応はほぼ完璧に出来ています。段差が少ないことはもちろんエレベーターだけでなくリフト・昇降機の段取りよく準備されています。普段あまり車イスに乗ったことが無いおばあちゃんは「楽ねえ」と感激しておりました。本人は歩いて回る覚悟をしていましたので余計にそう感じたのでしょう。よかった、よかった。

 

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 ●首里城、書院・鎖之間(さすのま)庭園。庭園を観ながら王朝時代の伝統菓子を頂けます。書院は国王の執務室で、中国皇帝の使者(冊封使)を接待するときにも使用する。鎖之間は、王子・側近の控え所、兼、会議室。2017年11月3日撮影。

 

 

首里城の中には沖縄文化、琉球王朝の歴史が展示されています。第二次大戦で沖縄は文字通りの焼け野原となり、大半の文化財も消失、破壊されました。後日の日経記事で知りましたが、16世紀初頭に琉球独自の様式で作られ首里城そばの玉陵(王の陸墓)を見守る「玉陵石獅子」の石彫の復刻作業が進んでいるそうです。県立博物館・美術館が地元の彫刻家に依頼して行っているが、当時を知る人や伝統工芸品の後継者が減り、復元はますます難しくなっていて、戦前の写真が頼りの由。戦争の記憶を忘れないようにと沖縄戦の傷痕をあえて残そうとする活動もあるそうです(11月6日、日経夕刊文化)。

 

この旅行の前には、英国一家のマイケル君の本、原田マハさんの「太陽の棘」、それとウンチク本の「沖縄の神と食の文化」を読んだことは前に記載した通りですが、その後、アメリカ人ジャーナリストによる「大日本帝国の興亡」を読みました。全5巻の大著。その完結編です。著者は1912年生れのジョン・トーランドさん。この本で、1971年度のピュリッツァー賞を受賞されています。沖縄戦の詳細が記載されていますが、やはり悲惨とか言いようがありません。この時の国政を担うトップの思考経路が残念ながら全く国民ファーストではないことが確認されます。いつの世の中もそうなのでしょうかねえ。「三か月の沖縄戦で、米軍の死者・行方不明者は1万2千人、太平洋戦争における最大の犠牲者であった。日本側の死者・行方不明者は18万5千人。民間人の死傷者が空前の比率であった。しかも彼らの犠牲は何の役にも立たなかった」と記述されています。

 

沖縄衣装のおじさん。一見、強面ながらも、おばあちゃんの車イスを世話して昇降機を操作してくれる時など、顔をクシャクシャにしておばあちゃんに愛嬌を振りまいてくれている。”このおっさん達の親御さんやご親戚にもきっとイロイロな歴史があるんやろうなあ”と思い、威厳に満ちた顔が、悲哀に満ちているかのようにも見えてきました。

 

 

おばあちゃんのお兄さんが戦死されたのは「牧港」というところです。首里城公園から北西に12㎞ほどの距離にある港。当時、既に米軍は沖縄に上陸しほぼ沖縄全土を制圧していて首里での攻防が激しさを増していた時。首里を死守しようとしていた日本軍を支援するために広島から海路はるばる駆けつけたものの残念ながら上陸することさえ出来ず。現在の嘉手納基地方面からの米軍の圧倒的な砲撃で無念の戦死をされた由。

 

やや肌寒く感じる午後、牧港の漁港の岸壁にレンタカーを停めて、皆でお祈りしました。家族と一緒に撮影したお兄さんの威風堂々の軍服姿の写真を持参していました。線香を焚いてお経を読んでご供養。この写真には、何故かおばあちゃんは写っていない。ご両親と男の兄弟のみ。おばあちゃんは自分が写っていないことを悔しがっていました。

 

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●牧港漁港。肌寒かったですが、穏やかな景色でした。2017年11月3日撮影。

 

 

ホテルに入ったのは、既に暗くなってからでした。良く動いた一日で、お昼も軽く食べただけだったので、おばあちゃんも含め全員腹ペコ状態。ご供養の時、シンミリしていましたが食べるモノの話になると何んともかしましいこと。食欲があるのは健康の証拠だ。いよいよ、長寿の秘密に迫れるか。気合をいれてホテルのチェックイン担当の方に食事の相談をしたところ、何んと、ホテル内のレストラン、食事処は既に予約で一杯!ホテルでは食事をすることが出来ない!。

 

その2.に続きます。