クルルのおじさん 料理を楽しむ

沖縄旅行、その3・番外編

f:id:hayakira-kururu:20171124091232j:plain

沖縄県立博物館・美術館を訪問しました。まずは外観に驚きました。2017年11月17日撮影。

 

 

『沖縄旅行』の後、2週間ほどで、沖縄出張の機会がありました。いつも通り、会社訪問、会食・ゴルフだけのトンボ帰りの予定であったのですが、人気の沖縄は訪問客が大変に多く、その為に、予定しようとしていた帰りのフライトを予約することが出来ませんでした。キャンセル待ちを入れてありましたが、これも最後まで取ることが出来ません。通常であれば、空港近くの食事処に行き、反省会と称して午後~夕方からアルコールを呑んで時間を潰すことが多いのですが、この時の僕は極めて素直に、

”これは、沖縄の神様が僕に時間をくれたのに違いない。「ニシムイ」を見に行かねば”

との啓示を感じ取りました。同行者、訪問先の方々に、その旨をお伝えして自由時間にしてもらいました。社内外の皆様方は、普段であれば酒飲みのお付き合いをさせられると覚悟されていたところに、「県立博物館・美術館に行きたい!」てな発言が出た訳ですから、”このおっさん、ついに頭でもブツケタのかなあ”とか、”昨晩、飲み過ぎたから今日はアルコールを見たくないのかしらん”とか言葉には出さないまでもキョトンとされておりました。 お一人現地に駐在されている方が「自分もまだ訪問したことが無いので、良い機会ですからご一緒させて下さい」と道案内をかって出てくれました。

 

 

冒頭の写真の通り、その外観に驚きました。この設計の由来は存じておりませんが、設計家の感じておられるところを強く反映された建物のように思います。「ニシムイ」のメンバーの年長で中心であった名渡山愛順さんの作品が何点か展示されていました。展示を一覧した後に美術館の事務所・閲覧室で「ニシムイ」のことをお聞きしましたら、親切にイロイロな資料を見せて頂けました。また「戦後70年特別企画展 ニシムイ 太陽のキャンパス」の記録集が販売されていました。僕は「太陽の棘」の印象が極めて強く、この記録集は大変に興味深く拝見しました。スタンレー・スタインバーグ軍医と玉那覇正吉との交流。時が流れ、2007年、カリフォルニアで弟子たちにより開催された「生きるために描く」絵画展。それがキッカケになり半世紀の時を経て里帰りを果たした「ニシムイ」の絵の数々。

  

 

『沖縄旅行(その1)』で、日経夕刊に記載されていた「玉陵石獅子」の復刻作業のことを紹介しましたが、そもそも、ニシムイの画家たちは、郷土の文化財を守るために修復や保存活動を積極的に行っていたそうです。その代表的な事例として「玉陵」(たまうどぅん、と発音するそうです)と名渡山愛順さんのことが記載されています。

 

1960年代初め、玉陵敷地の一部を売却しセンター・会館を建設する計画が行政から出されたそうです。重要文化財の逸失になると名渡山愛順を中心にして建設阻止の運動が展開され「玉陵を守る協議会」が設立された。行政は工事を強行したが、名渡山愛順自らブルドーザーの前に立ちはだかり工事を中止させた由。反対運動の盛り上がりでこの計画は白紙に戻されたとのことです。

 

1961年1月、玉陵の獅子を500年前の形に復元修理する玉那覇政吉さんと笹村良紀さんの写真が掲載されています。このニシムイの方々の思いが現在に繋がっているのだということが良く理解出来ました。

 

 

f:id:hayakira-kururu:20171124091419j:plain

●名渡山愛順さんの「首里の追憶」。今回、展示されていました。1946年の作品。この時期にこんなに穏やかな絵を描かれていたというのが驚きです。「ニシムイ・太陽のキャンパス 戦後70年特別企画展」の記録集から。以下の写真は同じくこの記録集から。2017年11月24日撮影。

 

 

f:id:hayakira-kururu:20171124091510j:plain

 ●原田マハさんの「太陽の棘」・文春文庫のカバーの写真が左下のもの。「スタンレー・スタインバーグ肖像」1949年の作品。原田さんは里帰りしたニシムイコレクションを見て、スタインバーグさんの処に取材に行き、その取材を基にニシムイを舞台にした玉那覇正吉さんとの交流を描いた。

 

 

f:id:hayakira-kururu:20171124092055j:plain

●玉那覇正吉さん作品(同上)。左下は1948年、右下は1949年の「自画像」。上は1954年の「老母像」。1948年の「自画像」が凄くインパクトがあります。これの現物を実際に見たかったのですが残念でした。

 

 

原田マハさんの本は、この「太陽の棘」がキッカケになり、何冊か読んでみました。「楽園のカンヴァス」、「独立記念日」、「ジヴェルニーの食卓」、「黒幕のゲルニカ」。全て近くの公立図書館で借りて読みました。絵画・画家を題材にした筆力は凄い!と思います。『沖縄=ゴーヤチャンプルー、その2.』(2017/10/30)で書いた通りですが、さすがに「本の目利き=読書の達人」のお薦めです。良い本を紹介されると本当に嬉しくなります。「キュレーター」という職業が今一つ理解出来なかったので、ついでに、長谷川裕子さん「キュレーション・知と感性を揺さぶる力」集英社新書も読んでみました。漸く「キューレーター」「キュレーション」の意味が理解出来たような気になりました。

 

 

 

 話があちこちの飛びますが、沖縄旅行の三日目のことを記載します。蛇足です。

最終日、快晴。朝ゆっくりとホテルのブッフェで朝食をとり、万座毛を観光して那覇市外に。この日は「首里城祭り」のパレードが国際通りで開催される日で、おばあちゃんが是非に観たいと言っていたものです。お年寄りが遠慮せずにやりたい事をはっきりと主張出来るのは素晴しいと思います。僕もこんな年寄りになりたいなあ。

義姉の知り合いの方が那覇近郊にお住まいで、お休みのところをわざわざ出てきて下さり、駐車場の手配、見学する場所の段取りを手際良くやってくれました。ムチャクチャ親切な方で、親切さが表情に表れている方です。こんな奥様のいらっしゃるご家庭は団欒に満ちているのであろうと感じます。

 

首里城祭りのパレードは、昔のお殿様、お姫様の行列、民俗舞踊が続きます。行列の後半に子供たちが中心に元気な踊りを披露する連が出てきました。子供中心と言っても、学芸会のレベルでは無く、由緒正しい舞踏団体で厳しい修行を重ねた、ほぼプロのレベルです。皆で掛け声をかけながら、生き生きとした表情です。「踊っているのが楽しいよ、一緒に楽しんでくださいね」という一人ひとりの表情です。

首里城の案内役のおじちゃん、親切にお付き合いしてくれた知り合いの方、生き生きと踊っている子供たち、「ニシムイ」の画家たち・・・喜びも悲しみに一緒に仕舞い込んで、皆さん、生き生きとされていました。

 

 

蛇足の蛇足になりますが、今回の出張で、僕は、相変わらず能天気に「ホーク卵おにぎり」と「ソーキそば」を美味しく頂きました。沖縄は、やはり青空が似合いますねえ。