クルルのおじさん 料理を楽しむ

感謝;スピリットを揺さぶってくれる方々へ

f:id:hayakira-kururu:20171231134449j:plain

神奈川の自宅、えらぶのユリが元気に芽を出し始めました。2017年12月31日撮影。

 

 

今年もあと僅かになりました。イロイロな事があった一年ですが、何んとか平和で元気に年を越せそうです。ありがたいことです。

 

 

大好きな日野原先生と音楽評論家の湯川れい子さんの語り合いを纏めた「音楽力」(海竜社、平成16年10月第一刷、12月第4刷)という本を古本屋さんで見つけたので買って読みました。古本屋さんは、最近頓にお気に入りの場所となっていて定期的に通う店が出来ました(古本屋さんのことは別途書いてみたいと思ってます)。この本の第2章「芸術が持つ大きな力」、この中で日野原先生が「音楽は魂に直接働きかける力を持っている」と仰せです。先生はご存知の通りキリスト教徒ですが信仰者としての考えが基にあり、同時に、お医者さんとしての知識・経験を踏まえて「人は、心と体と魂の三つで成り立っている」とお考えです。そして「魂=スピリット、スピリチュアリティーが人をつき動かす」と。

 

前置きが長いですが、タイトルの『感謝;スピリットを揺さぶってくれる方々へ』の「スピリット」はそういう意味で使いました。最初は「頭を揺さぶってくれる方々」と書いてみたのですが、どうもニュアンスが違うなあ、暴力問題と誤解されるかも知れない。その次は「脳に刺激を与えてくれる方々」と書いたのですが平板過ぎるし。その時に、この日野原さんの”スピリット、魂”という言葉に 出会いました。ああ、そうか、僕の言いたいことは、「頭=脳=心」よりも「魂=スピリット」なんだわ。日野原さん、やっぱ良いこと言ってるなあと感心しました。まあ、カッコつけて難しい言い方をしていますが、平易に言えば「オモロイ方々への感謝」という意味です。

 

という訳で、感謝する第一番は日野原先生になるのですが、この一年の間にも、イロイロとスピリットを揺さぶって頂いた=オモロイ方々と接することが出来ました。

 

 

その1.11月の日経新聞私の履歴書」は文化人類学者の石毛直道さんでした。12月は野球の江夏豊さんでしたから、二ヵ月続いて所謂おエライ方の出番が無かった。これに載ることを期待して沢山の各界トップのOBの方が順番待ちをしていらっしゃるそうですから、イライラされているかも知れませんね。うがった見方をすれば、各界でイロイロな事件・トラブルが発生していますから、その影響があったのかも知れません。とにかく、読者の目からは、この二ヵ月は大変に面白い「履歴書」でありました。林真理子さんの小説と併せ、日経を最終頁から読んでいる読者が増えていると思います。

  

石毛さんは前から”オモロイおっさんやなあ”と思わせる方です。何がキッカケか定かではありません。「食いしん坊の民族学」等とにかく沢山の本を書いている学者さんです。

この石毛のおっさんは1937年の千葉市生れ。考古学をやりたくて二浪して京都大学に入学。民族学文化人類学に進路を変え、1970年代前半には、食の研究、食文化の研究にのめり込むことに。梅棹忠夫さんとか小松左京さんとか素晴らしい恩師、先輩、友人に恵まれた。京都の懐は深い、京都大学は面白いと感じさせます。最も、京都、京都大学には、その半面、変わったヤツも多いのは事実だと思います。

 

食文化研究の出発点として「人間は料理をする動物である」ことと「人間は共食(これは、キョウショク、と読みます。訓読みをすると気持ち悪くなります)をする動物である」という二つのテーゼを考えたそうです。いま読んでも面白い視点だと感心します。

 

 

その2.日経ビジネスの新春合併号の「家族を考える」特集記事に京都大学の総長さんが出てました。霊長類学者の山極寿一さん。この方も京都がおもろいなあ、と感じさせる方のお一人かと思います。

動物と人間の「家族の起源」を解明してこられた由で、曰く、人間は家族の外に共同体があり、緩やかに繋がっている。この二重構造(家族という単位とその外側にある共同体という二重の構造)は人間だけに見られる特徴だそうです。その理由が、共同の食事と子育て。「共食」によって家族と共同体という二重構造が成立したとの見方です。

その構造の中でお互いの共感を確認し、連帯感を高めるのを「音楽的コミュニケーション」と呼ばれています。音楽や祭り、儀礼を通じてお互いに繋がっている感覚。言葉が無くても、身体の五感、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚を最大限に使って繋がっていく。言葉以外のコミュニケーションを通じて人間は家族と集団を行き来するすべを獲得していったとの捉え方です。

観点は違うように思いますが、なにやら日野原先生のスピリットにも通じていきそうな考え方で楽しくなりますねえ。京都「共食」学派ですかね。大阪だと「食倒」文化になりますが。

   

 

その3.安藤のおっさん。安藤忠雄さん。この方も以前からお名前は良く存じておりましたが、きっかけはchaさんが薦めてくれた乃木坂の国立新美術館で開催された「安藤忠雄・挑戦」を見たこと。”あんな顔しとって、こんなキレイな絵・デッサンを描くんや”と感心しました。設計のコンセプトが凄いですが、アピール・宣伝も凄く上手い由。コンペで勝つためには言葉も必要だから本も面白いと、これはchaさんの受け売りです。安藤忠雄展が評判になっている時に「安藤忠雄の奇跡」なんて本の広告をちゃっかりとドーンと新聞に掲載してました。もっとも、これは出版社の編集本だから、おっさんがやっている訳ではないのですかね。もう少しお近づきになりたいと思ってます。

 

 

その4.米原万理、内田樹。このお二人は1950年生れ、僕と同じ年齢です。万理さんは早く逝ってしまわれて本当に残念なことです。このお二人を本格的に紹介してくれたのは、読書の達人=本の目利きの師匠からでした。また、鍋の「戦艦ヤマト」のドラゴン先生も万理さんの著書を片っ端から収集していた大のフアンです。

 

 

そうなのです。オモロイ方から、その方がオモロイと思っているオモロイ方々を紹介してもらって、それを自分もオモロイと共感出来るのは、大変な楽しみ、喜びです。

 

 

その5.そのほか、玉村豊雄、種村季弘、出井宏和。玉村さんは『料理って?』(2016/9/2)で書いた通り「料理の四面体」で存じていましたが、あとのお二人は古本屋さんで偶然に知り合いになりました。お会いした訳ではありません。古本を見つけただけです。確か内田樹が言っていたと思いますが、本屋で、その本が自分を読んでくれと呼び掛けてくる、ということは有り得ると思っています。

 

 

小山実稚恵さん・讃歌』(2017/12/10)で勢い余って「料理は芸術に昇華するものか?」なんて書いてしまいましたが、出井宏和さんが「食は三代・東西食文化考」(新潮文庫、昭和60年8月初版第一刷)の中で面白い言い方をされてました。曰く、

・・・「すべての芸術は全く無用です。無用であるからこそ美しい」とワイルドは言ってます。それに対して私はこう考えます。「食というものは有用である。だからこそ美しくなければならない」ーーこのことは、古今東西の人々が料理文化をひたする高揚させてきた思想の源泉です。・・・(註:ワイルドというのは、オスカー・ワイルドのことで、この一節は出井さんが耽美主義者ワイルドが1900年に没したホテルを訪ねた時のものです)

もう少し、出井さんを引用しますと、

・・・料理水準を高く保つためには、高い民度を保持していくのが条件です。それにはまず平和であることです。(中略)腹が一杯になればよい、文化などは何の経済的利益ももたらさないと考えている人々が戦争をするのです。・・・

著者の出井さんは関西割烹「出井」のご主人。パリ、香港、モスクワ等々で料理修行をされた由。本の解説(石原慎太郎さんでした)によると、「かつての若旦那も齢五十路にかかって先代の跡を立派にとった大旦那になっている」とのことです。引用を続けます。

・・・料理は文化です。(中略)一方、芸術的であるとかと煽てられ、必然性のない装飾過多の料理を作るのは文化を逸脱した行為です。私の考える料理文化は(中略)、音楽は音、絵画は色、彫刻は形であると同様に、味が大きな要素なのです。・・・

 

この表現は良いなあと感じてます。音楽は音、料理は味。達人がこのように受け止めているとすると、凡人は、きっと、音楽で感動し、絵画に魂を揺さぶられるように、料理にも驚きと感激を感じるかと。その時、料理は芸術に昇華している(かな)。

 

 

ちょっと捻じれる話かも知れませんが、石毛のおっさんが「食いしん坊の民族学」(中央文庫、昭和60年9月第一刷)のなかで、科学の観点から「文化と味の価値観」なる記載をされています。おっさん曰く、

・・・科学とは客観的な記述に耐え得るものについての考察である。形、色、音は映像とか録音とかという手段でなんとか記録にとどめることができる。しかし、味は記録することが出来ない。味は一回性の情報なのである。

・・・科学の軌道に乗らないモノで、現実の世界では意味をもつものはいくらでもある。味もそのような事柄である。味を普遍的な同じ目盛りの物差しを用いて科学として記述することが出来なくとも、文化としてとらえることは可能であろう。

 

 

結構イロイロな方々が、食べること・料理・味についての思索を真剣にされていると感じられて楽しくなります。今の時代の良い意味での豊かさに感謝したいと思います。

 

 

今年も大晦日の日になりました。ゆく年くる年。来年はどんな年になりますやら。クルルのおじさんにとっては今までの会社生活から完全に卒業する年になります。「会社離れ」がスムーズにいくかな?。ほぼ準備は出来ていると思うものの、人間、その時になってみないとどういう化学反応が起きるのか分からないとも言いますし、一方では、少し余裕が出来れば、オモロイ方々ともっとお近づきになりたいなあ、とも期待しています。とりあえずは、そういう方々への感謝、感謝で一年の締め括りです。

 

 

f:id:hayakira-kururu:20171231134905j:plain

 東京都心では初雪が観測されたとか。冬の空、冬の雲。それにしても電柱、電線が多いなあ。『COOL JAPAN』(2016/11/20)で書いた通りですが、「犬と鬼」のアレックスの指摘は鋭いなあと改めて感じます。神奈川の自宅周辺。2017年12月31日撮影。

 

 

f:id:hayakira-kururu:20171231134738j:plain

 気持ちだけでも締め飾りを。2017年12月31日撮影。

 

・・・・・・皆さま良いお年をお迎え下さいませ・・・・・・