クルルのおじさん 料理を楽しむ

1950年 生まれ

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新居の古るーいマンションの玄関先が寂しかったので花を植えました。これだけでも結構、癒されるものですね。2018年3月18日撮影。

 

米原万里さんのファンは今でも沢山いらっしゃると思います。二年前、2016年6月19日の新聞記事に「米原万里没後10年 7社共同でフェア・回顧展」という記事が掲載されていました。文藝春秋カドカワ講談社集英社、新潮社、筑摩書房中央公論社のビッグな7社が共通の帯を付けて文庫フェアをやる、という企画です。それぞれの出版社のかつての担当編集者=米原万里さんの人柄に魅了された編集者が協力して文庫フェアや展覧会などの催しをしていると。

皆さまご存知の通り米原万里さんは2006年5月に56歳の若さで急逝。ロシア語の同時通訳者でエッセイストとして大活躍されていました。彼女は1950年生れです。僕と同じ年の生まれです。今回は、若くして逝かれた同年配の万里さんを偲ぶ会です。

 

 

僕はずっと一方的な誤解をしておりました。その1.お名前。どういう訳か全く分からないのですが、”海原”万里さん、と思い込んでおりました。きっと、お父上が国際航路の船長さんで世界の各地を回っておられた。それで”万里”と名付けたに違いない。その影響でこれだけ日本の枠を飛び越えた迫力のある女性が生まれたのだと。我ながら大変な想像力だと感心するほどの誤解です。その2.生まれた場所。僕は絶対に関西・大阪生まれだと信じておりました。実際は東京の様です。お上(オカミ)に対して言いたい放題に言えるのは関西系の特質だと思っていますので、彼女の語り口の面白さ、切り口の鋭さは、これはもう間違いなく関西系、それも大阪か京都だと。

 

かなり前から何冊かの本は読んだことがあって、”同時通訳のオモロイおねーちゃんやなあ”位に思っていたのですが、改めて、認識するようになったのは僕の敬愛する「読書の達人・本の目利きの師匠」から紹介してもらってからです。紹介と言ってもご本人とお会いして名刺交換とか握手した訳ではありません。オモロイ「本」「作者」として紹介してくれました。この時には、米原万里に加えて内田樹も紹介して頂きました。たまたま偶然かと思いますが、この四人=有名なお二方、そしてその二人の本を紹介した方とされた方の四人すべてが1950年(昭和25年)生まれでした。その時に海原さんでは無く米原さんであること、プラハにあったソビエト国際学校でのロシア語での教育が海原さんのスケールの大きさの背景にあることがようやく理解出来ることになりました。

 

 

米原万里さんの同時通訳をテーマにしたエッセイは、単純・明快に面白くて好きです。

日本人が「他人のフンドシで相撲を取る」と言ったのを「他人のパンツでレスリングをする」と訳してしまったり、別な場面ではロシア人が「ベルトをキッチリ締めていかねば・・・」との発言を「フンドシを締めてかからねば・・・」と訳してしまった話とか。フンドシに拘った万里さんであったようです。

日本人のユーモアを交えた発言「失楽園じゃなくて豊島(年増)園でした」を如何に瞬時に通訳することが難しいかを説明・解説した話とか。

この二つのエピソードはご本人も印象深かったのか色んなところで出てきます。

読んでいて楽しいと同時に、結構、奥が深い。日本・日本人、言葉・言語というものを考えさせられるところが沢山あります。

下ネタも得意中の得意の分野です。「ガセネッタ&シモネッタ」というタイトルで本になるくらい。

 

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新居の古ーいマンションのお隣の一戸建ての植え込み。沈丁花が満開。朝の香りが最高です。2018年3月18日撮影。

 

 

食べ物に纏わるエッセイ集もあります。「旅行者の朝食」2004年10月第一刷。1998年10月から2002年5月初出を編集したもの。

このタイトルの「旅行者の朝食」というのが面白い。ソビエトロシアのお話。旅行者と熊さんのお話ですが、ソ連の国内事情、ロシア人であれば誰でも知っている不味い缶詰のことが背景にあるのでロシアの人々は大笑いするとか。一瞬、宮澤賢二の「注文の多い料理店」を思い出しました。童話・寓話はやはり怖い話が多いですねえ。

妹さんのお話も出てきます。姉妹ともに食べるのが大好きで食い意地が張っている。妹さんは料理の先生・料理研究家になった。ちなみに妹さん=ユリさんのダンナさんは作家・戯曲家の故井上ひさしさんです。二人が結婚する時に「ひさしさんは幸せ者だ。ユリの料理(確かチャーハンだったかと)を毎日食べさせてもらうことが出来るのだから」とのお祝いを述べていたように記憶します。姉妹仲が大変に良かったようです。ユリさんは2016年5月に「姉・米原万理」を刊行しています。 

 

 

「発明マニア」サンデー毎日、2003年11月から亡くなる直前の2006年5月の連載。2007年3月第一刷。イラストも、ご自身で描いています。別途ペンネームを付けてイラストレーターが登場。ペンネームは「新井八代」=あら、嫌よ。何やこれは、全身が駄洒落の塊ですね。尽きること無し。但し、この頃のエッセイには、時の政権への痛烈な批判が随所に出てきます。特に、ブッシュ・小泉両氏に対しては大変に手厳しいコメントとなっています。

 

   

「他諺(たげん)の空似 ことわざ人類学」2009年5月初版、2003年から2006年の初出。光文社。養老孟司さんが解説をしています。「とにかくエネルギーを感じる」と。そして万理さんの本の中では「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」が代表作だと思っていると。僕も同感です。僕はこの本=「嘘つきアーニャの・・」を読んで初めて同時通訳のオモロイおねーちゃんの域を超えた立派な思索家・文筆家なんだと認識を新たにしました。

米原さんの背景にあるのは、旧ソ連時代のプラハにあるソ連の国際学校。お父様の仕事の関係で9歳から14歳までをチェコプラハで過ごした。プラハにあるソ連大使館付属学校に入りロシア語での授業を受けた。お父様は日本共産党幹部で衆議院議員であった方、所謂、大変なエリートです。ちなみに祖父は鳥取県の議会議長、衆議院議員。同じ年生まれというのは面白いもので、万理さんの9歳から14歳というのは、僕も9歳から14歳ですから(当たり前や)時代環境はカラダで理解出来るはずなのですが、この場合、環境が違い過ぎて、別な世界の人のように感じてしまいます。

 

  

「心臓に毛が生えている理由」角川学芸出版。2008年4月初版。初出は1998年9月から2004年9月までのモノを纏めたもの。この中に「嘘つきアーニャの・・」を執筆した理由が書かれてます。NHKの取材がキッカケで旧友三人と再会、NHKの番組も大好評であった。しかし、アーニャの発言にひっかかりを感じてしまった万里さん。その番組のあと、それぞれ2回づつのインタビューを重ねて三つの物語を書くことになったとのことです。万里さんのファンの方でまだ「嘘つきアーニャの・・」を読まれてない方は是非ご一読をお薦めします。

  

 

「戦艦ヤマト」のドラゴン先生も大の万里さんファンです。確か、全作品を揃えようと奮闘していたはず。一度、蔵書を拝見しに行ってみたいものだ。僕も何冊かは読みましたが全くの乱読。亡くなられてから編集・発行されたもの等々。一度、オリジナルを時系列に読んでみたいように思います。

 

 

1950年(昭和25年)生まれ。区切りの良い年度です。50年経つと新しい世紀=21世紀が始まる。中学・高校の時にはどんな未来になっているのかあれこれ妄想したものでした。あっという間に時代の節目を通り越してしまいました。万里さんが元気に生きていれば、今の瞬間をどう切り取っているかしら。一刀両断。ユーモアと毒舌。読んでみたかったですねえ。

万里さんの話を書いていたら、渋谷のロシア料理のお店を思い出しました。「渋谷ロゴスキー」。兄の亡くなった奥様(僕の義姉)が大好きだったロシア料理屋。何回か両家族一緒に大人数で連れて行ってもらいました。ビルの建て替えで閉店したはず。銀座に店を移したとか。また皆んなで行ってみたいものです。義姉と万里さんを偲びながら楽しく会食できれば良いなあ。

 

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 2016年6月19日の新聞記事。日経かな。米原万里ベストエッセイ1.角川文庫、平成28年4月初版。これは1994年から2004年の間に各紙に掲載されたエッセイを集めたもの。この本のなかに新聞の切り抜きを挟んでおりました。今回、偶然に見つけました。