クルルのおじさん 料理を楽しむ

カズオ・イシグロ

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神奈川の留守宅の平兵衛酢の苗木です。手前の永良部のユリが沢山大きく育っているので、やや分かり難いかも。当初50㎝程度の苗木でしたが、こちらでも順調に育ってくれています。新しい枝は既に20㎝程度伸びています。2018年5月21日撮影。

 

 

散歩の延長でプラプラと近くの図書館に入りました。特に何を探すでもなく本棚を覗いていたら カズオ・イシグロさんの本が置いてありました。ちょうど出張に行くタイミングだったので、あるだけ借りてきました。「浮世の画家」「わたしたちが孤児だったころ」「夜想組曲」の三冊。

 

 

イシグロさんのことは恥ずかしながら、昨年、ノーベル文学賞に輝かれた時まで、殆ど知りませんでした。辛うじて名前は聞いたことが有る程度の認識。ノーベル賞を受賞されてから、多くの記事を目にして、そして、興味を持つようになりました。単純な話がキッカケです。週刊新潮の記事に、戦前、イシグロさんの祖父が中国・天津に渡りお仕事をされていた時のことが記載されており、その時に勤務されていた会社が僕が務めていた総合商社であったというだけの話です。それだけのことで一気に距離を近く感じるようになりました。この週刊誌の記事は、イシグロさんを分かりやすく紹介していて好感の持てる記事であったと思います。

 

 

その記事を読んだ時には、僕はまだイシグロを一冊も読んだことは無い状態。ノーベル賞の受賞というのは大変なもので、すっかり、時の人になっています。新聞、雑誌、テレビの番組等々で、情報が勝手に入ってくる。一冊も作品を読まないうちに、その作家の周辺情報をこれだけ知ってしまうというのは、今までに無かったことかも知れません。

 

 

経歴がユニークです。1954年、長崎生まれ。僕よりも4歳年下です。父親の仕事の関係で5歳でイギリスに渡ることに。当初は短期間、例えば一年ほとで帰る予定で考えていたものが、父親のお仕事(=海洋学者さんです)が現地で評価されてイギリス滞在が長期化。そのまま英国に滞在を続け、英国籍を取得。一時は音楽家、それもロックスターを目指したそうですが、方向転換して作家に。本人もインタビューで答えている通り、日本人家庭で育ったものの、家庭の外では完全にイギリス人として育った。学校では日本人は一人もいない。イギリス人以上に完全なキングズイングリッシュを身に着けた方の由。

 

 

僕が彼に興味を持っていることに興味を持ってくれた知り合いが、テレビ番組のビデオを貸してくれました。今年の新春に放送されたNHKの番組「文学白熱教室」。再放送です。昨年、ノーべル賞を受賞されたのに伴いアンコール放映されたもの。この番組中で、ご本人が自分の年齢を「今、60歳」と仰ってましたから、受賞よりずっと前の2014年か2015年ごろの番組かと思います。

イシグロさんご本人が学生相手に「小説とは何か?、何故、小説なのか?」を語りかける形式で、学生さん(日本人が中心のようですが、欧米・アジア系らしき外国人も参加している。日本人と思われる方も英語を流ちょうに操っている。日本での番組と思いますが、これも面白い構成だと思いました。)からも自由に質問が飛び交って、それに真摯に受け答えするイシグロさんの姿勢に大変に好感が持てました。まず、表情と声が良い。お顔つきもなかなかにハンサム、気品のある顔と言って良いのではと思います。

 

 

最初の長編二作は日本を舞台にした小説。僕が借りた「浮世の画家」が二作目。1986年の発表ですから、30歳代前半の作品。ご本人の言葉によると「薄らいでいく記憶を保存しておきたい」という強い気持ちが執筆の源にあるとか。「戦前に一世を風靡した画家が、戦後、時代遅れになってしまう様を描いたもの」と淡々とコメントしていましたが、日本人以上に日本のことを瑞々しく描写していると大変に関心しました。イシグロさん自身が実際には知らない「日本という世界」のイメージは祖父の影響を大きく受けて出来上がっているとのことです。

原書は当然英語ですから、この本は翻訳されたものですが、この翻訳が素晴らしいと思いました。日本生まれで日本人の顔つき・風貌をした作家が英国で英語で書いた日本を舞台にした小説。それを日本人の方が翻訳して、僕が読んでいる。何やら不思議な感覚です。翻訳は飛田茂雄さん。飛田さんは巻末にコメントを記載されてますが、「人間の独善性に対する厳しい批判」そして「年じゅう自己正当化しなければ生きていけない弱い人間に対する深い同情」と多分イシグロさんが描きたかったことを簡潔に評価されています。飛田さんは2002年にご逝去。翻訳されたものは、イシグロさんのお母様がお読みになって、その翻訳の日本語が素晴らしいことをイシグロさんにお伝えになっていたとのことです。

また、イシグロさんの小説の各章には、その時の年月が記載されているのですが、この本の最後の章は、1950年6月。1950年が大好きな僕はこれも気に入った理由の一つになっているのかも知れません。

 

この翻訳された日本語の本を読んだ後で、英語で書かれている原書を読むことが出来れば面白いだろうなあと思いました。日本人の感性が表現されている小説だと思いますが、それをナマの英語で表現したら、どのように書かれているものなのかしらという興味が沸いてきております。

 

 

この日本を舞台にした二作がそれぞれ英国での権威ある賞を受賞してイシグロさんは英国で作家としての地位を確立されたのですが、ご本人は、”日本のことを題材にしている日本生まれの英国人の作家”という評価には不満があったそうで、ご自分としては、もっと普遍的なテーマを扱っていると自負されていたと。これが、第三作目の「日の名残り」につながっていくとのことです。この三作目で、英国文学の最高峰と言われるブッカー賞というのを受賞。”日本”という注釈無しの”英国人の作家”として最高水準の一人との評価を揺るぎないものにされたそうです。

ご本人に言わせると「小説の舞台は動かすことが出来る。ジャンルも変えることが出来る。アイデアの奥深いところに価値がある。」とのことです。この本も読んでみたいですね。

 

 

このテレビ番組でのご本人のお話「何故、小説なのか?」は大変に興味深いものでした。素直な真摯な語り口が大変に印象的な。「(曖昧な)記憶を通して語る」ことの小説の手法としての面白さもよく理解できるような気がしました(最も、昨今の日本の国会での答弁に出てくる「私の記憶のたどる限り」云々は全くシャレにならないと思いますが。蛇足です)。

 

図書館に返却に行き、また、本棚を覗いてみたら「忘れられた巨人」がありました。これは2015年の発表。借りてきました。今日からまた出張に出るので道中の読書が楽しみです。ちなみに出版社はすべて早川書房。何かの記事に、地道に翻訳出版を続け良質の海外の作家を日本のフアンに送り続けているハヤカワを評価するコメントが出ていましたが、全く、同感です。これからも良い作家を発掘・紹介して欲しいものです。感謝。

 

 

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名古屋のマンションの平兵衛酢の苗木。こちらの方が、生育が早い。新しい枝は50㎝程度に成長。前回掲載以降に虫が発生、葉っぱを食べられてしまいました。殺虫剤は一切使用せずに退治したらその後は発生していません。多分、苗木の土の中に卵が着いていたのかと。虫よけにミントの鉢を置いてみました。オマジナイ。2018年5月24日撮影。