クルルのおじさん 料理を楽しむ

子供食堂

青山墓地(東京都港区)の夕暮れ。むかーし、この辺りでよく花見をやったものでした。夕方、会社を終えてからが多かったですが、それ以前には、平日のお昼にやったことも。豪快なボスがいらっしゃって、お客さんにも参加してもらい、お昼から飲めや歌えやの大宴会。昭和の古き良き時代のことです。昔は周辺には、さほど大きなビルは建ってなかったのですが、いまはナントかヒルズとかタワービルが周りに立ち並んでいます。景色は随分と変わりました。桜はまだでしたが、梅が咲いていました(これ、梅ですよね?)。2019年2月18日、撮影。

 

久しぶりに長い期間、神奈川の自宅で過ごしました。昔の会社の友達との飲み会があったり、子供たちの家具の移動を手伝ったり、カミさんと映画を観にいったり、兄と食事したり。四月からイロイロと忙しくなりそうなので、今のうちにノンビリしておこうと(この一年はほぼずっとノンビリしてるんですが、スミマセンね)。その中で今回のメイン・イベント!です。

 

子供食堂」のお手伝いに行ってきました。地元、大和市には4か所か5か所の「子供食堂」活動をしてらっしゃるグループがあるそうですが、そのうちの一つに。運営されている方とカミさんが顔見知りであったので、紹介してもらいました。地元で保育園を経営されている方が中心になって、保育士さん、管理栄養、衛生管理のプロの方々、料理と子供大好きなボランテイアおばちゃん等々、錚錚たる女性陣です。お一人若いお兄ちゃんがいらっしゃったのでややホットしたのですが、彼は事務局的役回りで部屋の外にいて受付・整理を担当。結局、マンションの部屋の中に男性はボク一人。改めて、”これは軽はずみに大変な場に来てしまった。プロ集団の中で役立たずの木偶の坊が一人の構図”と身が縮む思いがしました。しかし、そこは皆さん、さすがにプロ。木偶の坊の扱いにもなれてらっしゃるようでお客様扱いすることなく「あれやって、これやって」と適宜適切な指示を出してくれました。

 

子供食堂」は、”当たり前に家で食事が出来ない子供たちに無料で温かい食事を提供する場”と理解していましたが、この子供食堂の運営のコンセプトは”地域の子供たちが集まって、楽しく一緒に食事をすること”というふうに考えられています。食事に困っている子供たちとそうでない子供たちを見分けることは大変だし、そもそも子供たちを区別しない方が良い。柔軟に対応しよう。温かい食事を一緒に楽しんで食べる場を提供することが大切だ、との考えです。100%賛成です。

 

場所は地元の小学校から徒歩数分の便利な場所にあるマンションの一階。3LDKのスペース。月に一回の開催です。行政から食材費相当の支援はあるものの、運営されている皆さんは、食材の安全・安心、栄養バランスにこだわりを持たれて運営されているので、持ち出しになるケースが多いとか。それでも地域のネットワークに支えられて活動を継続出来ているとのことです。もちろん、全員がボランティア活動として参加されています。

 

本日の献立は、炊き込みご飯、お雑煮、ホウレンソウのごま和え、果物(文旦)。それとは別に、「おにぎりコーナー」。3時頃には皆さん集合されてテキパキと準備開始。毎回、次回の献立をどうするか打ち合わせを行い役割分担を決めて当日までの準備・段取りをしているそうです。5時に開場するのですが、10-15分前には、ドアの前には子供たちが既に列をなして待っています。順番・整理の仕方にもイロイロ工夫されています。お兄ちゃんが一人ずつに整理券を配る。合言葉は「フェアに」。ズルをしてはいけない、させてはいけない!。子供たちは大人が思う以上に頭が回転しますから順番待ちの仕組みに欠陥があると、例えば、一人を席取り役にして並ばせておいて、並んでいない子供があとで横入りするやり方を考案してしまう。そんなことを考えさせないように「フェアに」。

 

5時の開場とともに元気な挨拶をしながら子供たちが続々と入ってきます。食事する場所は、3LDKの奥にある二間続きのスペース。これを一つにして小さなテーブルを6っ程並べてあります。それぞれに4-6人ぐらいが車座に座れるように配置してある。すぐに全席満席に。これでほとんど足の踏み場も無いくらいの状態です。それぞれの席に食事を運ぶのは運営者側の女性陣。参加者が少ない時は、子供たちが自分で台所に行ってそれぞれの料理を運んで席で食事する方法をとっていたのだそうですが、人数が多くなり満席の状態になると、給仕・配膳をする方がスムーズ・効率的だから。子供たちは、結構、行儀よく配膳されるのを待っています。”いただきまっーす!”の元気な声。食事が配られて一瞬の間は食べるのに集中するのか静かになりますが、ものの10分もしないうちに、また元気な声「お代り、くださっあーい」「お前、残すんじゃあねえヨ」とか楽しそうな声が聞こえてきます。

 

そして「おにぎりコーナー」。一番小さなテーブル席を「おにぎりコーナー」にしてあります。子供たちが自分でおにぎりを握って食べることが出来るように。小さなお皿にラップを敷いて塩を振ってご飯を乗せてラップでくるんで整えて食べる時にノリを巻く。係の大人が一人は席についていて、小さな子供には手伝って一緒におにぎりを作ってやり、大きな子供にはラップを切って渡してあげる。それだけの単純業務。女性陣は追加の料理と相変わらず配膳作業で大忙しで、この役回りが僕に振られてしまいました。

 

何を隠そう、恥ずかしながら不特定多数の子供たちを相手にするというのは全くの不得意分野。ベテランの女性にやり方を指導して頂き席を交代して僕が座ると、順番待ちをしている子供たちも一瞬引いたような気配が。”そりゃ、そうだろう、木偶の坊っぽいオッサンが目の前によいしょと座ったら怖いよなあ。こちらも緊張してるのが伝わるんだろうなあ”。自宅からエプロンは持参していましたが鉢巻用の手拭いは忘れたのでスカーフ(バンダナ)をお借りしました。やはり衛生管理が第一ですが、誰が見ても全く様になっていない。子供たちが引けてしまうのも無べなるかな。

 

しかし、そこはやはり、おにぎりの力!、です。会話が無いまま、ラップを切って渡したり、小さい子にはご飯をよそってあげたりしていると場も落ち着いてきました。「もっとご飯を入れて」とか「ノリを巻いて下さい」とか可愛い注文も。そのうちには「ノリが無い」「サケを出して」「梅干し、ください」とかの要求も出てきました。それでも概してみんなゼントルマン(&ウーマン)。これが大阪の子(悪ガキのイメージです。大阪のよい子たち、ゴメンね)であれば、「おっさん、やること遅いなあ」と間違いなく相手を見透かして突っ込みを入れてくるに違いない。大和市の紳士淑女の子供たちに感謝でした。

この子供食堂は夕方の5時から7時まで(最大7時半程度までの延長もあり)ですが、この夜は、その間にほぼ三回転。子供50人強、大人10数人の合計70人程度の入場者であったそうですが、5時半ごろに交代してから終了までの間、おにぎりコーナーは途切れることがなく子供たちがおにぎりを楽しんでくれていました。

最後のほうでは、サケのフレークは品切れとなり、ノリも底を着き始めました。炊飯器はフル回転。最初は大きなボールにご飯を移して(火傷しないように)冷ましてからおにぎりコーナーに持ってきてもらっていたのですが、「ご飯、まーだ?」コールに負けて、炊き立てのアツアツのご飯を届けてもらいました。子供たちも「あつい!あつい⁉」と大騒ぎ。火傷させないようにだけは十分に注意しましたが、アツアツのご飯をみんなでフーフー言いながら、おにぎりを握るのも子供たちにはキット楽しくて良い体験になったに違いない。ご飯は結局、この夜、4升分を消化したそうです。1升は10合で、約1.5㎏(炊飯前ベース)ですから、約6㎏のお米。味付け(の具)にはお塩以外にも、サケのフレーク、梅干しを準備されていましたが、一番シンプルなご飯にお塩、それを握ってノリで巻くおにぎりが一番人気でした。おにぎりは最高の団欒ですね。日本の食生活の象徴だと感じました。

お米の消費が減っていることがイロイロな面で問題にされていますが、こんなに楽しくおにぎりの味を楽しんだ子供たちが元気に育ってくれれば、お米の未来も明るいと思います。ご飯、おにぎりは日本人のDNAにしっかと組み込まれているのだと実感しました。

 

終わった後はササッとあと片付けをして、そして、キチンと反省会をされていました。スペース・人員に余裕があれば、食べた食器を自分で洗うようにしてもらうとか、お箸の持ち方を楽しく教えてあげるとか、小さい子供への配慮を自然に出来るように席を工夫するとか、前向きな意見が沢山出ていました。近い将来には、もう少し大きくて便利なスペースを利用出来る可能性が出てきているとのことです。益々の皆さんのご活躍、ご発展をお祈りしたいと思います。

 

 

 青山やぶ蕎麦。2018年9月10日付けの『知の巨人vs全41巻』でも掲載しましたが、お店の佇まいに全く変化なし。この日は早く到着したので、冒頭の写真にある懐かしの青山墓地を散策しました。今回も四人が集まり楽しく歓談。女将さんも相変わらずお元気でした。約二人は痛飲。一人は僕のことです。反省。2019年2月18日、撮影。

 

 おまけ;『猪鍋』です。鹿児島の猪を地元の猟師さんがご自分で捌いて送ってくれたもの。切り口のなんと鮮やかなこと。名古屋の繁華街のど真ん中、錦三丁目(錦三=キンサン、と呼ばれています)にあるメンバーズクラブで。土曜日にプライべートの食事会として特別に料理してもらっています。お味噌は滋賀県の特製「とりやさいみそ」を使用。もう15年間、継続しています。この日は、約6名が参加。第一回目の時はみんな50代でありました。月日の経つのは早いモノです。あと少なくとも10年は継続したいと念じております。2019年2月9日、撮影。