クルルのおじさん 料理を楽しむ

平成最後の日々に「梅原猛」を想う

高尾山山頂から富士山がキレイに見えました。何回も登山している方の話でも”これ程キレイに見えるのは滅多にない”とのこと。ラッキーでした。昨年、1月以来の高尾山です(2018年1月29日付けの『高尾山』をご参照下さい)。今回はカミさんと二人で行きました。前日そして結果的には翌日も季節外れの寒さと雨であったので、思い切って行ってよかったです。下山はケーブルカーでのんびりと。低い山ですが、このケーブルカーの勾配は日本で一番急な傾斜角度だそうです。2019年4月28日、撮影。

 

 

昨年12月末に『平成最後の・・・』(2018年12月31日付け)を記載しましたが、アッという間に4月末、退位の儀式の日を迎えています。 昭和から平成になった時は昭和天皇がお亡くなりになった時ですから、追悼の気分が極めて強く、その前後は派手なことは控えようとの気配が濃厚であったと思い出します。今回は、所謂、生前退位ということでお元気ななかでの退位、そして即位ですから、お祝い気分での改元という感じですね。テレビの番組でも「ゆく時代くる時代」等々、お祭りムードでの放送が予定されているようです。

 

皇位継承儀式で中心となるのは「三種の神器」のうち剣と璽(じ=勾玉)を受け継ぐ儀式だそうです。「剣璽等継承の儀」です。5月1日の10:30から行われます。因みに、三種の神器とは、

鏡=八咫鏡(やたのかがみ)・・・本体の安置場所は「伊勢神宮」、

剣=草薙剣(くさなぎのつるぎ)・・・同じく「熱田神宮」、

璽=八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・・・同じく「皇居・御所」、

の三つです。”璽”と”八尺瓊勾玉”というのは読めませんでした。 

 

天皇の政治関与等の観点から政治・思想的にはイロイロな議論があったようですが、僕はゆっくりと時間をかけて時代の代替わりの時を迎えるというのもなかなか良いモノだなあと感じています。おまけに(今の僕には余り関係ありませんが)10連休で世の中も少しはのんびりしているようですし。お陰様で、今まで積んであった本を読む時間を心に余裕を持って楽しむことが出来ました。

 

 

 梅原猛さんは今年1月12日に亡くなられました。”93歳、大往生だった”そうです。ユリイカから追悼の臨時増刊号が出されていました。懐かしくなって買いました。しばらく積んだままになっていたのを取り出して読みました。

 

今までに読んだ梅原さんの本の中では「歓喜する円空」が一番印象的でした。名古屋に移ってからのことだったと思います。あの素朴な円空仏、それも数え切れないほど沢山の彫刻群。岐阜城に登った帰りに”これは民家ではないか”と思うような博物館・展示館にぎっしりと並べられているのを見て驚いたものです。それまで円空さんというのは認識があまり無かっただけに大変に新鮮な気持ちで接することが出来たように思いました。

日向で仕事をしている時には、宮崎空港の書店で「天皇家の”ふるさと”日向を行く」を見つけて興味深く読みました。高千穂の天孫降臨の地に足を運んだばかりの時だったので、これも大変に臨場感があり感動したことを覚えています。(この本は、平成から令和に代替わりする時、もう一度、目を通して見ようかと思っています。)哲学者というよりも実際に現地に足を運んでモノを見て日本の歴史を掘り下げた方という受け止め方をしておりました。

 

 

この特別号には息子さんが追悼の文を寄せられています。お父上=梅原猛さんは婚外児であったことを淡々と記載されています。事情があり実父の兄=本家にひきとられたそうですが、本家は愛知県知多郡内海町の名士であったことを初めて知りました。「孤独の深さ」を幼少の時から感じて育ち、中学生の時には養父から出生の真実を知らされたそうです。”「そうだと思っていたことがそうではなかった」という少年の深い傷。出産後すぐに帰らぬ人となった実母は「真理」の探究にたえず参照すべき(そして)知りえない原像として心の奥に鎮座することになったであろう”こと等々。

猛烈な勢いで本を書かれたそうです。その集中力はすさまじかったと。孤独に自閉しているどころか「人たらし」と評した人もいたほどだったと。また「泳げないのに飛び込んでいく人」と譬えた人もいたとか。息子さんの表現では「父は、そう、闇どころか、まったくポジテイブな人であった。・・。自己肯定感の強い、無邪気な人であった。」由。

上の写真はこの増刊号の表裏の表紙ですが、特に、裏表紙のお若い頃の笑い顔を見ているとまさしく息子さんの追悼の言葉を実感できるように思いました。

 

 

梅原さんは、歌舞伎、能にも大変に造詣が深い研究者です。「スーパー歌舞伎」「スーパー能」を創作したことも良く知られています。著書の中に「授業」シリーズというのがあって、その中の一つに「梅原猛の授業 能を観る」というタイトルの本があります。この本は以前に読んだ(見た)ことはあったと思うのですが、全く、記憶に残っておらず。ぶらりと古本屋さん巡りをしていたら、ビンゴ!置いてありました。おまけに、すぐ隣に「小林秀雄対話集 直観を磨くもの」という本もあったのでこれも一緒に買いました。

 

話が横道にそれますが、小林秀雄の「美しい”花”がある。”花”の美しさというようなものはない」という言葉は能「当麻(たえま)」に寄せられた批評文の一節だと思うのですが、それについてこの本のなかに何か書かれていないかなあと期待したのです。この批評文は高校の現代国語の解釈問題で結構使われていた文章であったと記憶するのですが、何やら分かるようでよく分からない。白洲正子さんの本にも記述があったと思います。分かりやすい解釈を求めたのですが、残念ながらこの本の中に記載はありませんでした。梅原猛さんの授業にも「当麻」は記載されていませんでした。改めて、現本を読み直してみようと思っています(「モーツアルト・無常という事」に収められているはず?)。

 

梅原さんの「能を観る」は大変に面白く読むことが出来ました。こんな授業を聞いたうえで、能の舞台を観ることが出来ればモットもっと能のフアンは増えるだろうと思いますね。

 

 

 増刊号のなかには、「奇人たちの遊興」と題して、梅原猛さんと白川静先生とのお付き合いのことをインタビュー記事にしたものの再録が掲載されていました。梅原さんが30歳くらいの時に知り合った由。有名な「道」という字の解釈(=異民族の生首を持って歩くという意味)を例にとり、白川さんが「漢字学」を通して新しい大きな世界観を開いたこと、フィールドワークを大切に、実証することの面白さを語られています。

自分ご自身のことについても「(酒も食事もテレビ(野球と相撲以外は)も特に楽しくない。本を読んで、考えて、そして、ものに書くというほどの楽しみはない」と語っています。僕たち凡人からするとやはり大変な人だったんですねえ。

 

 平成から令和に代替わりの日々に、日本的なモノ、天皇家、伝統・古典芸能に面白い見方を与えてくれた哲学者、梅原猛さんを偲びつつ、ややシンミリと読書を楽しんでおります。それにしても”京都”というところの面白いこと。梅原さんの「京都発見シリーズ」を読みながら、また、ブラリと散策したいものです。

 

おまけです。「上皇」の英語表記の記事が残っていました。『ボヘミアン:ラブソデイ』のアカデミー賞受賞の記事の上部に掲載されていました。日経新聞、多分、本年2月26日の記事だと思います。