クルルのおじさん 料理を楽しむ

「令和」の時代、スタート

久しぶりに碧南の会社を訪問しました。社友会=OB/OG会に出席。現役の役員・管理職も加わり楽しい時間を過ごしました。有難いことです。会社正門へのアプローチ横の花壇に植えられている”クルル・マーク”が例年以上に鮮やかに満開の状態でした。「クルルのおじさん」の原点です。嬉しくて涙が出そうになりました。2019年(令和元年)5月10日、撮影。

 

 

 

 「令和」の時代がスタートしました。4月30日に天皇陛下が退位され上皇に。5月1日00:00をもって「令和」の時代となり、皇太子さまが同日、新天皇に即位されました。テレビ等での街の様子では、”今年は、年末年始が2回あるようだ”とか、”年越しそば、ならぬ、元号越しそばが大賑わい”とか、「令和」を刻印した記念の和菓子、キャンディーがたくさん準備されていたり、深夜の新元号カウントダウンも派手に行われていました。10連休の影響もあり、歓迎ムード・お祭り騒ぎの中での新しい元号への移行となったと嬉しく思っています。

 

 

上皇様の天皇としての最後のご挨拶も簡潔かつ分かり易いもので「支えてくれた国民に感謝」という言葉を素直に受け止めることが出来ました。上皇様、上皇后様は、5月1日以降は、すべての公務から退かれるとのことです。明治以来では初めて、天皇上皇のお二人が存在することになるので「二重権威」を避けるための配慮がされているとのことです。ややこしい話は別にして、特に、上皇后美智子様には、一国民・一フアンとして、ゆっくりと骨休みをして頂きたいと思います。

 

 

日経新聞5月1日の記事に「令和」の解説が紹介されていました。新元号の考案者とされる中西進さん(大阪女子大名誉教授)が、「令和」の「令」は「うるわしい」という概念であると解説しています。「善」と並び美しさの最上級の言葉であると。「これと「和」を組み合わせることで、ぼんやりとした平和でなく、”うるわしい平和”を築こうという合言葉になる」とのことです。出典の万葉集の「梅花の宴の序文」は、太宰府長官の大伴旅人の作とのことで、当時、左遷され太宰府にいた旅人の「権力者にあらがいはしないが屈服もしないという気概が見て取れる」「不如意のときの見事な生き方を示している」とのことです。「令和」とともに太宰府は大変な人気で連日たくさんの方が訪れているそうです。

 

 

これ以前の4月26日の記事には、改元と新元号「令和」の意味についての海外での報道ぶりが掲載されていました。そもそも西暦とは別に元号を用いるのは日本だけだそうです。外務省が、新元号が決まった4月1日に世界各国に対して通知した文章では、元号にあたる英語は「Era(時代)」が使われているそうです。新元号の漢字の意味までは伝えなかったので、海外メディアの中で素早く報道した英BBCは「令=命令=order、それと、和=平和=peace、または、和=調和=harmony」と解説したと。

これは初めて聞いたときの僕の印象と同じでした。普通の日本語の解釈をする人の一般的な受け止め方として決しておかしくないと思います。令=うるわしい、というのはもう少しよく考えて、”そうか、令息、令嬢の令のことか”、と辿り着けばその意味が理解できるのでしょう。

政府筋は、海外での受け止められ方として「命令」という意味が強調されるのは宜しくない、という観点から、追加の説明として「令和の意味はbeautiful harmony=美しい調和」と発信した由。一定の日本語能力を持つ海外の記者さんも、この「令和」の意味は最初に耳にした時には分かり難かったでしょうね。発表から1か月、ようやく馴染んできたかと思っています。

 

 

 5月1日の即位の日は、当然ですが、新天皇、新皇后にスポットライトが当てられていました。特に、新皇后の雅子さまの表情が明るく晴れやかであったこと。車の窓から満面の笑みで手を振られていたのが大変に印象的でした。無理をして作っている表情では無かったと思います。順調に健康を回復されている証しで何よりのことだと思います。

天皇は、1960年2月23日生まれ。59歳。僕よりも10歳(学年では9歳)年下。若いといってよいのか、エエお年というべきなのか。記録が残っている8世紀後半以降の天皇では、歴代2番目の高齢即位とのことです。ちなみに平成天皇がそれまでの2番目の高齢即位=55歳での即位であった由。8世紀以降であれば、平均寿命も大きく変化しているでしょうから、これくらいの年齢での即位は全く違和感無し、問題なしと思います。

  

 

5月1日、10:30からの 「剣璽等継承の儀」には、成年・男性の皇族のみが参列。前回=平成の時と同様とのことで、女性皇族は参列されていませんでした。皇位継承の証である神器等を引き継ぐ場に女性皇族が出席すれば「女性・女系天皇の容認に転じたととられかねない」との見方があるからだそうです。成年ではない秋篠宮さまのご長男=悠仁さまは参列していなかったので、皇位継承の資格者の数の少なさが逆に浮き彫りにされたように感じました。継承の有資格者は三人のみ。平たく言えば、おじさん=常陸宮様、弟=秋篠宮様、甥っ子=悠仁さまの三人だけ。これ程少ないのは皇室典範天皇の地位は男系男子が継ぐと定められているからです。

  

 

天皇の地位の継承のことを考えていたら、うちの家のお墓のことが頭に浮かびました。お墓の継承。僕の母親の親=僕のおじいちゃんは長男ではありませんでした。当時の慣習では、その一族のお墓は長男が継承し、長男以外の男子は新しくお墓を建てるのが当たり前であった訳です(女子は結婚して婚家のお墓に入れてもらうのが筋であった)。おじいちゃんはその慣習に従い立派な墓を作りました。子供は女子二人であったため、長女(=僕の母親)には婿養子縁組をして家を継がせました。自分が建てた墓を継がせる、家系を大切にするというのが大きな理由であったかと思います。その後、イロイロあり、母親はお墓を改葬。おじいちゃん・おばあちゃんの遺骨も移しました。現在のお墓は神戸の六甲山の一角にある霊園にあります。神戸は百万ドルの夜景と称されていますが、まさにそれはそれは素晴らしい見晴らしの良い場所です。(ちなみに、改葬の手続きは僕が手伝いましたが、これは大変な作業です。二度とやりたくないと思っています。)

 

 

嬉しいことに=故人も喜んでくれていると思えて嬉しいのですが、僕の家族も、兄貴の家族も機会を捉えては墓参りに行っております。改葬した時、母親は”みんなが墓参りに来て近況を語りかけてほしい”と願っていましたが、今のところその願いは叶えられている状態。幸いに兄の子供は男子が二人、さらに、その子供=兄の孫が4人いて、そのうち3人が男子。兄が天皇とすれば、天皇の地位の継承方式を採用しても、僕の継承順位は6番目になりましょうか。当分の間は、墓参りを含め、お墓の継承も問題なさそうな布陣となっています。

 

もっとも、お墓の継承=祭祀財産の相続は、祭祀継承者というらしいですが、法律上の決まりは無いとのこと。慣習として長男が引き継ぐが、①使用権者の遺言・意向、②一族・地域の慣習、③家裁の調停で決めることが出来る。祭祀財産というモノの性質上、複数で分割するものではなく一人に引き継がれるものとされています。

そして、その墓には使用権者と管理者の同意があれば、誰でも入れてもらえるとのこと。僕は次男ですから、昔の流儀であれば自分でお墓を建てることになるのですが、新しく自分のお墓を建てようなどとは全く思っていません。母親が希望していたように一緒のお墓に入れてもらうか、しかるべき時までに周りに迷惑をかけないように決めておきたいと思っています。

天皇の地位の継承ほどの制約は無いですから気楽で結構であると思います。家族のみんながやりやすいようにしていくのが良いのでしょうねえ。まあ、年に一度くらいは、故人を偲び、先人に思いを馳せる時間を持つということは良いことではないかしら、と思っています。少なくとも、大きな負担をかけるものではないでしょう。

 

 

改めて思えば、この二日間は、皇室が話題の中心でありました。生前退位による改元というのは滅多にないことですから、たまには皇室の事をチョットは真面目に考えてみるにはちょうど良い機会であったと感じております。僕の年のせいかも知れません。日本国の有り様を皇室をベースにしてあれやこれや考えてみるのも決して悪くはなかろうと思っています。昭和から平成を経て、その間の天皇ご自身の努力もあって”国民の象徴”という言葉もすっかりと馴染んだように思います。皇室はこれからも継続されるべき存在だと思います。継続することを前提に、その為の問題点をクリアーに、ルール作りの議論をオープンにして。少なくとも、女性天皇は認めるべきではないかしら。真摯な立場での議論であれば国民の理解は得られるだろうと思うのですが。

 

 

 鯱城学園・園芸学科。「令和」とともにいよいよ専門講座がスタートしました。園芸学科講座の実質、初日です。初日から畑での実習。ピーマン、トウガラシ、しし唐、ナス(2種)を一畝に。かぼちゃ、とうもろこしをそれぞれ一畝に、それぞれの苗木を植えました。写真は2年生が育てている場所。僕たち一年生はこの写真の奥にあるまだ何も植わっていない畑を使います。ここは体験農園”アグリパーク南陽”というところです。名古屋市港区西茶屋、イオン名古屋茶屋の南にあります。撮影、2019年(令和元年)5月8日。

 

 

園芸学科のなかでは”班”単位の活動になります。僕たちの班は9名。一人当たり約0.9mx1.8mの畝を合計7-8畝を使って農園野菜を育てることになります。班全体では、0.9mx17mx7-8畝となり予想以上に広い面積!という印象です。初日に第1畝、第5畝、第7畝に植え付けをしました。写真は第1畝にピーマン、とうがらし、しし唐を植えたところ。班で協力しながら水遣り等々を行うことになります。果たして秋には??。同じく、2019年(令和元年)5月8日、撮影。