クルルのおじさん 料理を楽しむ

一学期の終了

名古屋市中区、大須の商店街の一角にある居酒屋「大須亭」。2019年7月8日、撮影。

 

大須の商店街は下町の風情を残しているところです。そして歴史があるところです。関ヶ原の戦いの後、徳川家康尾張徳川家の居城として名古屋城の築城を決定。それまでの長い間この地域の中心であった清州から、お城も含めて丸ごと引っ越しすることになったそうです。清州は交通の要衝ではありましたが、水害に弱いというのが移築の大きな要因の一つであったとか。ここにも「木曽三川」の影響があったのですね。1612(慶長17)年から移住は開始され、家臣、町民のみならず寺社仏閣まで徹底的なものであった由。この都市丸ごとの移転のことは”清州越え”といわれており、これが名古屋という都市の誕生だそうです。その時に、岐阜県羽島市大須にあった真福寺を移転したものが現在の大須観音。以降、その周辺地域は大須観音門前町として栄え”大須”と呼ばれるようになったと。

 

大須が本格的に賑わいを見せるようになったのは尾張徳川7代藩主の宗春さんの時代。江戸では8代将軍の吉宗さんが質素倹約の政治を行っていたのに対して、宗春さんは芝居や芸事を奨励して消費促進の開放政策を推進した。宗春さんが盛り場としての大須の源を築いてくれた。有名な大須演芸場の起源もこの辺りに遡るのかも知れませんね。以上、ほとんど大須商店街のホームページからの受け売りです。

 

 

前置きが長くなりましたが、この居酒屋さんに、飲み友達の”きっちゃん”と久しぶりに一緒しました。きっちゃんは「猪鍋」が切っ掛けで親しくなったお友達です。このブログの『子供食堂』(2019年2月20日付け)の一番最後のおまけの「猪鍋」の写真の説明で紹介した通りですが、もう15年以上の付き合いになります。

 

思い起こせば、きっちゃんとの最初の出会いは結構、衝撃的?なものでした。僕が名古屋に赴任してそれほど時間が経っていない頃。寒い冬の日、取引先にご不幸がありその葬儀・告別式に参列するために、北海道に日帰りで出張しました。土曜日でした。かなりハードな工程で、早朝の便で札幌に飛び参列後トンボ帰りで名古屋に。セントレアに到着したのはもう夕方になっていました。当時も僕は単身赴任。自分で料理してマンションで一人で食事をするなんてことは夢にも考えていない頃でした。セントレアからの帰路、当然のように地下鉄を途中下車。漸く一人でも出入り出来るようになった馴染みのお店に行きました。そのお店が「猪鍋」のお店。メンバーズクラブ、とはいっても気楽なスナックのようなお店(ママさん、スミマセン。居心地のよい家庭的なお店です)。店に入るや疲れていたのでドタッとソファに座り込んだのですが、ふと横を見ると丸顔の人の好さそうなおっちゃんがお店の人と2-3人で家族的な雰囲気で鍋を囲んでいました。”ふーむ、栄のメンバーズクラブで鍋?どうなってんのや?”。そうこうするうちに、そのおっちゃんが僕の方を手招きして「よかったら、一緒にいかがですか!美味しい猪鍋がちょうど食べ頃ですよお!」。それが”きっちゃん”でした。

 

きっちゃんは、僕よりもちょっと年長さん。猪鍋で出会った時は、お互いにまだ50歳代。本年、彼は目出度く70歳になった由。現役時代は真面目なエンジニアさん。卒業後は、趣味の写真撮影の腕・技を駆使してボランティアのカメラマン活動をされている。話題も豊富。調子に乗ると親父ギャグを連発します。口の悪い関西系おじさんからは”クサァー”と突っ込まれることがあります。

 

今回、飲んだ時ご本人が了承してくれたので記載しますが、きっちゃんの名前は「吉正」=よしまさ。何やら将軍さまか藩主さまのご末裔のようなお名前ですが、高校時代に、古典に詳しい国語の先生が「この名前は”きっしょう”と読むべきである」と主張されたそうです。”人の名前の読み方を勝手に主張するなよお”と思いつつ、語感が良かったので、それ以降”きっしょう”転じて”きっちゃん”が彼の通り名になった由。メルアドには、”きっしょう”=kissyou〇×△と書いてあります。”きっしょう”をローマ字書きする時は「kisshou」と「[kissyou」のいずれも使えますが、きっちゃんは「kissyou」と。茶化すのが大好な僕は「これ(=kissyou)は”kiss you”を縮めたのかいな!?」と冷やかしましたが、意外とシャイで真面目なきっちゃんはキチンと語源を説明してくれました。最近でも、2-3カ月に一度は二人だけであったり、お互いの友人を連れてきたりして飲み会を続けています。二人とも体力・気力を充実させて飲み会から脱落しないように。あと最低でも10年ほどは楽しく元気に飲み会を続けたいものです。

 

書いていて思い出しましたが、このお店のママさんは鹿児島出身の方。木曽三川の治水工事での薩摩藩士の話を最初に聞いたのは、このママさんからでありました。この薩摩藩士を追悼する行事は、名古屋・中京地域の鹿児島県人会の毎年恒例の一大行事の一つになっている由です。鹿児島の方々の繋がりはしっかりされていると感じますが、木曽三川が、ここでも繋がっていることを再認識しました。ドラゴン先生との大人の遠足「木曽三川」はいよいよ今月の末です。イロイロな繋がりを感じながら現地視察?を楽しみにしたいと思っています。

 

 

木曽三川」の講義から始まった鯱城学園の一学期が本日で終了しました。早いものです。4月からは鯱城学園での活動も加わったことで、お陰様で楽しく忙しい毎日を過ごせているように思います。

 

 

一学期最後の共通講義は「地域の福祉を考える~誰もが安心して笑顔で暮らす名古屋を目指して~」。社会福祉法人名古屋市社会福祉協議会、地域福祉推進部長の方のお話でした。現役の部長さんですから、やや硬いお話でしたが、行政の役割・考え方等々を丁寧に説明されていました。2016年の社会福祉法の一部改正、「ニッポン一億総活躍プラン;地域共生社会」の政策展開、等々、普段あまり説明を受ける機会が無い事項を分かりやすく丁寧にお話されていました。この方は個人的にも「ボランティアという生き方=人、社会のために動いてみる」ことを大変に大切なことと考えられていることが強く印象に残った講義でありました。

 

 

一方、夏休み期間中でも専門講座の農園実習は続きます。畑仕事には夏休みはありません(というほど、必死にやってる感、はありませんが・・)。全員参加の実習とは別に各班での水遣り登板もあります。また、各個々人で自分の作物を収穫する必要がある。”必要がある”というのでは無く、収穫を楽しめるようになりたいもんだ。先週後半には、班長さんからの連絡網で「そろそろトウモロコシの収穫が可能になっているから各自で注意する方が良い」とのアドバイスがありました。早速に日曜日の夕方に農園に。「まだ収穫にはやや早い」との意見もありましたが、余り頻繁に農園に足を運べる訳では無いので半分以上を収穫しました。初めてのトウモロコシの収穫。また、ナス、ピーマン、しし唐、トウガラシも収穫しました。トウモロコシは、カミさんが教えてくれた僕でも出来る超簡単料理=レン・チン3分、で食べました。小粒ながら、何も味を付けないでビールの美味しいつまみになりました。ナス等々は、以下の写真の通りです。

 

今日、班の皆さんと話したら「やはり収穫は朝が良い」との事でした。”朝穫り野菜は美味しい”と。言葉を知らないわけではありませんでしたが、実際に収穫する時には、全く、アタマにはありませんでした。無知蒙昧!どう反省すればよいものか?。次回以降に活かしたいと思います。

 

 

 

いつもの「のり弁」にナス・人参・ピーマン・しし唐・ソーセージの甘酢炒め煮をのっけ。南高梅を今回は師匠のコメントを忖度して、ややトップ目におきました。おかずは、トマトと玉子炒め、総菜のごまめ、ピーマンとじゃこの炒め煮、総菜のフライ。2019年7月10日、料理と撮影。

最近、この「なすの甘酢炒め煮」に凝っています。ケチャップを投入します。ナスに酢とケチャップが良く合う。他の野菜も加えたのですが、うまく馴染んでいるように思いました。美味しかった。

ナス、ピーマン、しし唐は農園で収穫したものです。今日で学園は夏休み、お弁当を作る機会が無くなってしまいます。残念なような、ホット一安心のような、やや複雑な心境であります。