クルルのおじさん 料理を楽しむ

大人の遠足

 木曾三川公園の展望タワーからの眺望です。展望タワーは360度の景色が望めます。この写真はタワーから南向きを撮影したもの。向かって右側が揖斐川、真ん中が長良川、左やや遠方に見えるのが木曽川。展望タワーは長良川揖斐川の合流地点に立っています。眼下、写真手前右側の林の中に治水神社があり、その先に千本松原が続いています。「宝暦治水」の最大の難工事=油島洗堰締め切り工事、完成後に薩摩藩士が松を植えたものだそうです。2019年8月4日撮影。

 

 

延期となっていた大人の遠足「木曽三川巡り」を8月4日・日曜日に実行することが出来ました。朝9時にドラゴン先生の事務所駐車場に集合、先生のレクサスに乗せてもらって出発。名古屋市内から30分程度のドライブで木曽三川公園センターの駐車場に到着しました。まだ駐車している車も疎らな状態です。まずは展望タワーに。開館は10時からでした(道理でまだ来場者が疎らでありました)。それでも係の方は親切に中に入れてくれました。一階は展示フロアーになっており、この地域の地形・地質、治水事業の歴史、木曽三川に生息する魚、鳥、昆虫、植物等々が紹介されています。展望タワーは地上65m。何も余分なものが置かれていない、ゆったりした気分で眺望を楽しむことが出来ます。”木曽三川雄大な流れ、輪中地帯独特の水郷の景観が360度、一望出来ます”=パンフの受け売り文句ですが、まさにその通りです。

 

 

川の流れの雄大なことに比べて、千本松原の堤防のなんと細いこと。長良川揖斐川を分流させる最大の難工事であったとのことですが、大型重機が存在しない時代に、人の手でよくやったものだと改めて驚かされます。

 

 

タワーから降り、治水神社、宝暦治水之碑に向かいました。以前のブログに記載した通りですが(『学園生活』(本年5月20日)、『円空さん』(同6月10日)をご参照ください)、宝暦治水之碑が建立されたのは明治時代になってから(明治33=1900年)。治水神社は昭和になってからです(昭和13=1938年)。正しい歴史認識というのは、時の政治体制により何時の時代も難しいものだと思いますが、こと木曽三川の治水事業に関しては薩摩義士の顕彰が行われることが出来て本当に良かったと感じております。明治の時に、それに尽力された西田家10代目の西田喜兵衛さんに敬意を表したいと思います。

 

  

治水神社は、林の中にひっそりと建っていました。 

 治水神社の薩摩義士の像です。立派な”薩摩武士”が、姿形は”人足”そのものです。これだけでも大変なことだったでしょう。治水の工法は当時でもイロイロな工夫がされており、その流儀も多数あったそうです。杭を打ち柵を作り蛇篭と言われる竹材で編んだ大きな籠に砕石を詰め込んだものを埋めていく、というのが基本の由。写真のような装備で荒れ狂う河川に立ち向かったのですから、その大変さは想像も出来ないですね。同じく8月4日撮影。

 

 

治水神社から千本松原を南に歩きました。車が通行できる片側一車線の道路(108号線)が通っています。僕たちは、炎天下、汗びっしょりになりながら松林をゆっくりと散策しました。右側に揖斐川が流れているのが見えます。左は道路。道路の位置が高くて、その向こう側にある長良川は見えません。15-20分ほど歩いて、宝暦治水之碑に。ここには道路からの車の駐車場もあり、碑の前に立つと左右を流れている長良川揖斐川を同時に見ることが出来ます。『学園生活』<木曾三川・今昔>の講義では、”濃尾平野は東高西低の地形で、木曽川揖斐川の水位の差は2.4mもある”ということでしたが、この碑の場所から長良川揖斐川を眺めるとそんなものではありません。”少なくとも5m、いや、10mはあるのではなかろうか”。これには流石のドラゴン先生も初めて実感して驚いた様子。「実際に足を運んで見ないと分からないものですねえ」と感慨深げでした。

 

 

碑の近くには「木曽三川治水の先駆者」として”平田靱負(ゆきえ)”と”ヨハネス・デ・レーケ”の肖像レリーフが一枚の台に並べて設置されていました。デ・レーケさんは、オランダ人の技師。31歳で来日して以降30数年間、日本の河川の治水事業に貢献された方、「治水の恩人」と言われています。宝暦治水の約150年の後、明治20(1887)年から明治45(1912)年の工事にて木曽三川の完全分流は完成したそうです。「明治改修」とか「明治治水」と呼ばれています。明治政府は当時の国家予算の12%を費やした由。まさに国家事業だったのですねえ。

 

 

全くの余談ですが、今回の遠足でタマタマ発見した面白いこと。極めてローカルな話題なので関心度は低いと思いますが・・・。

【問い】愛知県と岐阜県三重県が一か所で接しているポイントはあるでしょうか?。

【ヒント】岐阜県は内陸の県で、愛知県と三重県は伊勢湾に面している県ですから、当然、どこかで三県が一か所で接しているポイントがあるのですが。いままで余り考えたことがありませんでした(単に、関心が無かった)。

【答え】はい、答えは「あり」です。今回訪れた木曽三川公園センター~治水神社~宝暦治水之碑は、岐阜県です。岐阜県の最南端が「宝暦治水之碑」周辺となります。そして、この碑の長良川側のポイント、多分、川のど真ん中が県境になっていて、東側が愛知県、南側が三重県。という訳で、この長良川のど真ん中の一点で、三県は一つに接しています。(註;これは、僕が地図を見ていて発見したことなので、読み違えがあれば申し訳ありません。どなたか確認ください)。

ついでに、木曽三川の河口(=伊勢湾に注ぎ込んでいるところ)は、すべて三重県です。木曽川は、愛知県と岐阜県の県境を流れ、長良川揖斐川岐阜県を流れて伊勢湾に注ぎ込んでいますが、最後の伊勢湾に注ぎ込む地域は全て三重県となっています。きっと何か理由があるのでしょうが寡聞にして存じておりません。

 

 

お昼は休憩も兼ねてセンター内のレストランに。先生のお薦めもありナマズ料理を注文しました。この地域の名物料理の一つとか。”えっ、ナマズ!”と一瞬驚きましたが、薄れゆく記憶の中で”そういえば、昔、食べたことがある”ことを思い出しました。”あの顔形に似合わず淡白な上品なお味であった”。記憶の通り懐かしく美味しく頂きました。お昼の定食なので、ご飯も一緒に出されましたが、糖質制限法のドラゴン先生は当然の如くご飯にはほとんど手を付けず。僕は完食。汗をかいた後なのビールを飲みたいところでしたが、流石に遠慮しました。このころになると、沢山の来場者でレストランもほぼ満席の状態。家族連れが圧倒的に多い。おじさん二人で遠足に来ているのは僕達くらいであったことでしょう。

 

 

食後のコーヒーを飲みながら、おじさん二人は、これ以降の行動計画を真剣に検討しました。と言っても、ホームグラウンドかつ運転手の先生の意見がほぼ100%。”せっかく来たのだから”がキーワードです。近くにある、上げ馬神事、流鏑馬神事で有名な多度大社(三重県)、そして養老の滝(岐阜県)を回りました。更に話が弾み、琵琶湖を観に行こう!と。普段、名古屋では車を運転していない僕は距離感がピンときていないので、「琵琶湖までいくのは大変に長時間の運転になるのでは」と心配しましたが、先生は仕事の関係もあり、彦根あたりまで車での日帰り往復は全く当たり前の行動範囲になっている由。地べたの道を通り、関ヶ原経由、伊吹の山を望みながら、一路、琵琶湖に。僕も、この辺りは東名から名神の高速道路を何度も走行したことがありますが、一般道は初めて。関ヶ原の戦いの場所の風情が今でも残っている景色を堪能することが出来ました。

”ところで、なんで琵琶湖にまで?”。

更に異常な展開になってきました。なんと「名物チャンポンの店があるから早めの夕食を食べて帰ろう」とのこと。

お昼のナマズ定食でもご飯はほんの一口しか食べていない糖質制限法のおっさんが、突然「チャンポンを食べる」と言い出しました。”面白い。喜んで、お付き合いしましょう”。

滋賀県に入りました。琵琶湖の湖岸道路を走り、彦根城近くの鄙びたラーメン屋に。何、ラーメン屋、チャンポンとちゃうやん?!。 

 

 「ラーメン」の看板なのにお店のメニューはほぼ全てチャンポン。ラーメンは一種類のみ。「(近隣の方、人づてに教えてもらった方以外は)この店にチャンポンを食べに来る人はいない!。この店のチャンポンは絶品なのですよ」と。”そりゃそやろ、ラーメン屋にわざわざチャンポン食べにきまへんで。なんで看板を〈チャンポン〉にしないの”と思いますが、客が多くなり過ぎて味が落ちたり、売切れたりすることを懸念するフアン心理かと、沈黙を守りました。お薦めの、キムチチャンポンを。僕にとっては初めての経験。キムチとチャンポンとは!?。良く味があうことに驚きました。先生は一年ぶり(数年ぶり?)の麺類の食事の由。お昼のご飯はほとんど食べなかったのに、チャンポンは完食。意思は固い(固そうに見える)が、融通無碍・臨機応変。美味しいモノを楽しむ、食べたいものは(たまには)食べる、そういうアタリマエのカワイらしい人間性を確認できて大変に安心しました。

 

 

酒を飲まずに一緒に食事をしたのは初めてのことでした。お互いにアル中ではないことが証明されてなにより。もっとも、先生は最近、何もイベントがない時には、アルコールは飲んでいないとか。アルコールが無いから話が盛り上がった?会話が冴えていたのかしら。少なくとも僕はアルコール依存症ではなかったことを確認できて一安心でした。(註:その日、隠れ家に戻ってシャワーを浴びてスッキリした後には、やはり、ビールをグビッと飲んでしまいましたが・・・。美味しかった。)

 

 

 ラーメンとチャンポンは麺そのものが違うはずです。以前、一度調べたことがあるのですが全く頭に残っていませんでした。お店のおばちゃんに聞けば良かったかとも思いましたが”いやいや、そんな無粋な質問したらアカン”と思い直しました。もう一度、自分で調べてみようと思います。新しい発見があれば、その内に書いてみたいと思います。

 

 

来週は、もう五山送り火の時節です。今年もまた、ドラゴン先生の京都のマンションにお邪魔することに。恒例の行事になりつつあります。今回のツアーはアルコール無しでした。糖質制限法のおっさんがチャンポン食べたい!と言い出したのと同様に、送り火では今回のアルコール無しの反動がでてしまうのか・・・いまから、楽しみです。いつも冷静でキレイな先生のお嬢さまと、一緒に楽しくお酒を付き合って飲んでくれる旦那さんと再会出来ることも楽しみに。