クルルのおじさん 料理を楽しむ

『一休と一路』鯱城学園・9月25日

   

 本文とは関係ないのですが、この講座の翌日、名古屋城オペラの初日の公演に行きました。お世話になっている名古屋のMホールの代表さんが誘ってくれました。久しぶりに早めの夕食をご一緒してから黄昏時の舞台に。M代表さんのお陰で最前列の席を準備してくれていました。野外オペラ「蝶々夫人」。名古屋城天守閣前広場の特設ステージで。お城を背景にした舞台はかつて延岡の薪能に感動したことがありましたが、このオペラの舞台にも感動しました。長崎・日本を題材にした演目であることもこの舞台が似つかわしいことに繋がっていると感じました。2019年9月26日、撮影。

 

 

 

鯱城学園・二学期、二回目の共通講座です。引き続き、僕の備忘録として記載しますので、お付き合い頂ければ嬉しいです。今回のお題は『一休と一路』。「一路」の意味が不明でした。中国が提唱している「一帯一路」構想の「一路」と何か関係があるのか、それにしても一休さんと中国は接点は無さそうだが、と訝しく思いました。お題からいろいろと思いを巡らすことも頭の体操になって楽しいかと。結果は全くのハズレ、中国とは全く関係ありませんでした。

 

 

牧原一路さん。尺八奏者。名古屋にある尺八の会「吸江流尺八 一路会」の代表をされています。平成の虚無僧として修業を重ねられているそうです。また、一休さんの研究もしっかりとされていて「一休と尺八」をテーマにして講演活動を続けていらっしゃるとか。

 

 

第一部は「一休の生涯」と題して、尺八、琵琶、琴の演奏と語り、そして詩吟を加えて一休さんの生涯を描いたもの。「芝居形式で構成してみた」とおっしゃってましたが、芝居というよりは、詩吟を声楽のように受け止めるなら、日本風のオペラに近いような気がしました。尺八、琵琶、琴の演奏と詩吟、そして、歌劇のような抑揚をつけての語りが大迫力、素晴らしいコラボでした。

尺八=牧原 一路さん、琵琶=糸井 藍水さん、琴=林 鈴花さん、詩吟=沢田 千鶴香さん。皆さん、それぞれのジャンルではトップクラスの実力者の由。

 

 

とんちの一休さん、アニメの一休さんは誰でも知っていると思いますが、その実像についての知識はあまりないかと。僕はほとんど知りませんでした。実在していた方なのかどうかも自分では覚束ない状態でした。一路さんは一休さんの研究家で、自分なりの解釈も含め一休さんを”語って”いきます。以下、配布されたレジメを更に要約したものです。

 

 

時は、南北朝の騒乱の時代。一休さん北朝南朝の両方の高貴な方の血筋を引いて生まれた。南朝の忠臣であった楠木正成。彼の死後、その三男正儀は北朝に下ったそうです。その孫娘が北朝の後小松帝の寵愛を受けることになり、そして、生まれたのが一休さん。応永元年(1393年)1月1日の生まれとのこと。元年=1ですから、1-1-1。

 

 

天皇の子でありながら、母親が楠木の血筋ということで幕府の監視下に置かれ5歳のときに安国寺に。利発、聡明な子供であったとか。24歳の時、琵琶法師が「平家」を語るのを聞いた。その「祇王失寵」の段を聴いた一休さんは一晩泣き明かして悟ったと。そして、

 

有濾路(うろじ)より 無濾路(むろじ)に帰る 一休み 

                       雨降らは降れ 風吹かば吹け

 

という歌を詠んで、「一休」という名を授かったそうです。濾=穢れ・煩悩のこととか。一般的には「穢れや煩悩のあるこの世から、それらが無い=あの世に帰るまでの一休み」と解釈されているそうですが、一路さんの解釈は、もっと広く、深いもの。「一休」は一休みではなく、一切のものをやめる=解き放つという意味!と捉えています。父が天皇であるとか、母が楠木の血筋とか、その出自に拘り、悩み苦しんでいたことを、すべてきれいさっぱり忘れよう!、こだわりを捨てて「一休」という名前を名乗ることになったという解釈です。

 

 

「悶々として30年、淡々として30年」。60歳を過ぎてから、一休さんは輝きだしたと。応仁の乱が起こったのが、一休さん74歳の時。京都は焼け野原。一休さんが修行を積んだ大徳寺も焼失。盲目の女性「森女(しんにょ)」から大徳寺の再建を託され、81歳で同寺の住持(住職)に就任。6年の歳月をかけて大徳寺を再建、完成させたそうです。一休さんは、大徳寺が完成しても、そこには住まず、薪村の酬恩庵で森女と仲睦まじく暮らして、88歳の生涯を閉じられた由。

 

 

以上を単に言葉で説明するのではなく、舞台からは、四人の方が持ち味を存分に発揮して迫って来ます。 平家物語の「祇王失寵」の段では、琵琶の演奏と語り、更には、一休さんの歌を詩吟の方が朗々と歌い、琴と尺八の演奏を入れながら、一路さんが物語を熱く語る。今まで聞いたことも見たことも無いような、面白い組み合わせ・構成でありました。脚本・脚色もしっかり作られているものと思います。

 

 

そして、第二部は一路さんが「一休を語る」。

一休さんの禅は「こだわらず」「かたよらず」「とらわれず」。また、一休さんは虚無僧の元祖?という説も紹介されていました。寺も経典も教義も無く、ただ尺八を吹いて衆生を済度する。それが虚無僧の生き方=一休さんの生き方に繋がるとのことです。

 

有名な一休さんトンチ。「このはしをわたるべからず」に対して「橋の真ん中を堂々と歩いて渡った」という話も、一路さんの解釈では、もう少し深い意味があり。北朝南朝だにとらわれずに中道を歩め!ということではと。

 

 

ユーモアもたっぷりで、「一休さんが輝いたのは60歳を過ぎてから。森女とめぐり逢ったのは76歳の時。鯱城学園の皆さんも頑張ってください。いまからですよお!」と大変なエールを送って頂きました。会場の皆さんも大喜び、やんや、やんやの握手喝采。あっという間の一時間半でした。

 

一路さんはご自分のことを「平成の虚無僧」と紹介されていましたが、全くの違和感なし。一路さんが「”平成”から”令和”に修正する必要があろうか」とお話された時に「オオマイゴド、そや、いまは令和やった!」。瞬間、令和を忘れていた自分に気づいてかなり焦りました。

 

 

 

この日のお弁当。残り物を詰め込みました。ソーミンチャンプルーの残り。ナスの甘辛炒めの残り。トマトを添えて。オカズの量がソコソコあったので、大好きなのり弁はご飯の量を少なめにして。写真上のナスの炒めとトマトを入れてある容器、写真下にチラッと見えるお箸は、長女家族が誕生日のお祝いにプレゼントしてくれました。栗原ファミリー・ブランド。息子さんの心平ちゃん作の「こべんとう」セット。この容器と箸、それから「こべんとう」専用のレシピ本も入っていました。心平ちゃんはTV「男子ごはん」でも活躍中。僕は大変なフアンの一人でビデオを撮ってほぼ毎回見ています。2019年9月25日、料理と撮影。

 

 

 

午後は専門講座。今日の園芸学科は久しぶりに教室で。今、注目を集めている(らしい)「たねダンゴ」を教えて頂きました。たねダンゴ作りとプランターへの植え付け。

 

講師の先生は(公財)名古屋市みどりの協会からお二人の先生に来ていただきました。新しい緑化の手法として注目されているそうです。ダンゴ作りは面白い工作のようなものですから、子供達も喜んで手伝ってくれる。親子で一緒にダンゴ作りをして、一緒に植えて、それが発芽して、そして花が咲くことを一緒に楽しむ!。

 

今回は、秋播きのタネを5-6種類混ぜたものを作りました。数種類を混ぜることで、開花期が短いものでも開花のタイミングの違いでリレーのように次々と花を咲かせてくれるそうです。ダンゴ一つは、教室で早速にプランターに植え付け。一人当たり5-6個のダンゴを持ち帰り、各自、おうちのプランター・庭に植え付けしました。

 

  

たねダンゴの作り方。(公財)名古屋市みどりの協会の資料です。今日、隠れ家のプランターを見たら、ちゃんと発芽してくれていました。水やり、日に当てなきゃあ。来春が楽しみです。2019年10月3日、撮影。