クルルのおじさん 料理を楽しむ

同期会・2019年;”ヴォーリズさん、一柳満喜子さんとの出会い”

国宝「彦根城天守、附け櫓および多門櫓」です。彦根城以外で国宝の天守を有するお城は、姫路、松本、犬山、松江だけとのこと。昨年は姫路城に行きましたから同期会の催しで全国の国宝天守の2/5を訪問したことになります。お天気にも恵まれ絶好の観光日和り、修学旅行の生徒さん等多数の観光客が来場されていました。2019年10月26日、撮影。

 

 

今年も大学のゼミの同期会に参加することが出来ました。今年のテーマは「近江路へ」。この地域出身者が二名いたので、関東・関西から参加しやすい場所で、且つ、見どころ・テーマがあると思われる処としてみんなの合意で選びました。幹事が事前に立派な工程表を作成・配布してくれました。

10月26日・土曜日、13:00に彦根駅に集合。彦根城見学。その後、近江八幡駅に移動。お迎えのバスで近江八幡休暇村に。夕食と懇親。翌27日は八幡山城跡、一柳記念館(ヴォーリズ記念館)等々市内の史跡を見学。昼食の後、解散。というものです。今回は東西から合計7名が参加です。

 会社関係で地方に行くときには、得てして温泉・ゴルフ・食べ物に焦点が当たりがちで、その地域の文化・歴史に触れることは余りありません。気の置けない仲間とこういう機会にイロイロな処に行くことが出来るのは有り難いことだ、と楽しみにしておりました。

 

 

幹事さんからの工程表を見てハタと気づきました。”おおっ、彦根城といえばチャンポンではないか。13:00集合であれば丁度良い。早めに行って、お昼に再びあのチャンポンを食べることが出来る”。ご存知ドラゴン先生に連れてってもらった「らーめん本気」が頭に浮かびました。 

 

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”折角だから、参加する連中にも声をかけてみよう”と、幹事さんの連絡メールに返信する際に「お昼の企画・チャンポン」をご案内。早速に折り返しのメールが入りました。希望者が5名!。小さな店なのでイロイロ心配がありましたので、事前にお店に電話したのですが「予約は受け付けていない。土曜日は(混むから席に着くまで)外で並んで待ってもらうことになろう。注文とってから出来上がるまで時間がかかることもある。」と真面目で良心的ではありますが連れない返事。

 

 

当日、僕達グループはお店に12:00ごろには到着出来たのですが、すでに4-5人が順番待ち。久しぶりの再会なので近況報告をしていたら、待ち時間もあっという間でした。今回は、チゲあんかけチャンポンを注文しました。キムチチャンポン、野菜チャンポン等々皆さんイロイロな種類を頼みましたが全員ご満悦の様子。やはりこの店のメンは美味い!。チャンポン幹事としてはみんなが喜んでくれて何よりでした。

ちなみに「らーめん本気」は「らーめんマジ」と発音することが今回の訪問で分かりました。後日、ドラゴン先生にも詳細を報告。予想通り、羨ましがっている気配が濃厚な返事がありました。はいはい、これも大変に楽しいことです。

 

 

予定通りにスケジュールをこなし、翌日は八幡山城跡を見学後、市内のヴォーリズ学園ハイド記念館に。僕の知識ではヴォーリズさんというのはアメリカ人の建築家で神戸女学院の講堂を設計された方。何故覚えているかというと内田樹さんが著書のなかで、その講堂と設計したヴォーリズさんのことを絶賛していたから。本を読んでもすぐに内容を忘れてしまうことが多いのですが、この記述は大変に印象に残っています。ところが今回の訪問で僕はヴォーリズさんのことを全く理解していなかったことを痛感させられました。参加したこの地域出身者に言わせるとヴォーリズさんは、宣教師であり実業家であり教育者でありそして建築家でもあるというスーパースター。僕自分の知識がいかに狭く限られたものであったかと大反省でした。そして、それだけではなく、「ハイド記念館」では更に驚きと感動の発見があったのです。

 

 

僕達が当初、訪問したのは「ヴォーリズ記念館」。ところがここは見学するには事前予約が必要で、かつ、入場時間帯の制約もあり。入場は叶いませんでした。それでも応対してくれた方が大変に親切で「となりのハイド記念館で『一柳満喜子没50周年記念企画展』をやっているから、是非、足を運んで欲しい」と。この地域出身の二人も含め誰も「一柳某さん」がどんな方かも存じていないまま足を運びました。ハイド記念館は、旧近江兄弟社の幼稚園舎なのですが、その園長先生が自ら僕たちの案内役をして一時間以上お付き合い下さり丁寧に説明をして頂きました。

 

 

ヴォーリズさんという方は大変に敬虔なクリスチャンです。オランダ系のアメリカ人です。両親の影響もあり外国伝道を決意するのですが、通常の場合、外国伝道をする宣教師は専門の神学校を出て、その神学校から任命され支援を受けながら伝道活動をするそうです。それに対して、ヴォーリズさんは全く独立の開拓伝道者として日本に来たと。そして今まで宣教師が活動をしていない地域を自ら志願して、この近江に足を踏み入れたとのことでした。とにかく人望の大変に厚い方。内外を問わずキリスト教の奉仕・寄付の精神に基づいた支援者がヴォーリズさんの人柄に惚れて、寄付・支援の申し出をした。そのお陰を以てイロイロな事業を成功させることが出来たとのことです。

 

 

 僕達の世代の人は良く知っていると思いますが、傷薬「メンソレータム」の近江兄弟社。これはアメリカ企業のメンソレータムの創業者のハイドさんがヴォーリスさんに日本での製造・販売代理権を与えてくれたお陰で設立出来たものだそうです。近江兄弟社は教育事業、病院・療養所の建築等々に注力。全てはキリストの福音を近江の地に伝道するため。事業で儲けたお金は社会に還元する、人はみな兄弟姉妹との考え方です。近江兄弟社の”兄弟”というのはそういう意味だったのですねえ。今になってやっと理解することが出来ました。僕はキリスト教とは何の関係もありませんが、ここまで使命感を持って異国の地で活動されたヴォーリズさんには大変に感動しました。”畏敬の念”というのはこういう感情かも知れません。ヴォーリズさんは、1880年アメリカ生れ、1964年に近江八幡の自宅での療養生活の後に召天されたとのことです。

 

 

そして一柳満喜子さんの登場です。ヴォーリズさんの奥さんです。記念館の入り口に結婚された時の晴れやかな写真、後年のお二人の何とも言えない良い表情の写真が展示されています。所謂「徳」を積んだ方の表情はこんなに爽やかな美しいものかと驚かされました。お二人ともに美男美女であるのは間違いないのですが、表面的な美しさではなく、美しい心がそのまま表情に出ています。

一柳は「ひとつやなぎ」と読みます。子爵令嬢として1884年明治17年)東京生まれ、ミッション系の女学校に。神戸女学院音楽部のピアノ科の第一期生であった由。卒業後アメリカ留学、洗礼を受け、高名な女性活動家のアリス・ベーコンさんの助手に。帰国後、津田塾の講師として勤務。兄の邸宅の設計・建築に関わっていたヴォーリズさんと運命的な出会いがあったそうです。そして、ヴォーリズさんと結婚。華族籍を離れて、ヴォーリズさんに従い、ご自身生れて初めての地である近江八幡に移り住むことに。そして近江兄弟社の教育事業に一生を捧げられたとのことです。案内をして頂いた園長先生はじめ記念館にいらっしゃる方々は全て満喜子さんの大のフアン、この企画展で満喜子さんのことを世の人々にもっと理解して頂きたいと一生懸命の案内でした。満喜子さんは昭和44年(1969年)に召天。今年が没後50周年になります。そうなんです。脈絡は全くありませんが、僕たちが高校を卒業した年に召天されたことになります。

 

 

お二人が結婚したのは、1919年。ヴォーリズさん39歳、満喜子さん35歳の時。華族アメリカ人と結婚するというので当時の日本の社会的な大問題になったそうです。親交のあった広岡浅子さんからの励まし・力添えもあり結婚に踏み切れたとか。広岡浅子さんはNHK連続ドラマ「あさが来た」ですっかり有名になりましたが、この満喜子さん、そしてヴォーリズさんご夫妻の一生も次の朝ドラの有力な候補になっても不思議は無いと感じました。日本の激動の時代に大変な活動・事業を行ったお二人にエールを送りたいと強く思いました。

 

 

ちなみにヴォーリズさんは、アメリカとの関係が難しくなった1941年に日本に帰化。戦時中はお二人とも軽井沢に移住されていた由です。ヴォーリズさん、日本名は一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)。メレルは彼のミドルネーム。米来留は、アメリカ「米」から「来」て近江に「留」る、との意味を込めてとのことです。

 

  

学校法人ヴォーリズ学園の中庭です。有形登録文化財になっています。この右奥にハイド記念館(旧近江兄弟社幼稚園舎)があります。お話を伺った後、改めて見ると大変に感慨深い、風情のある佇まいであると感じました。2019年10月27日、撮影。

 

 

前夜は、近江八幡休暇村の大きな食堂で、近江牛のすき焼き・ステーキ・ローストビーフを堪能しました。お替り自由=食べ放題、大変にお値打ちの休暇村です。ラグビーW杯で、優勝候補のニュージーランドイングランドに敗れた夜でした。僕達のグループにもラグビーのフアンが沢山いて(僕も熱狂的なフアンの一人です)、夕食の間は試合のことを気にしてソワソワしていたのですが、結果が分かると腰を据えての飲み会となりました。

 

食後は例によって場所を変え、幹事部屋に移動。持参したウイスキー、焼酎を飲みながら。学生時代の思い出話、参加していない連中の近況を分かる限り報告し合いました。更に飲むほどに、学生気分に戻り、最近の天下国家、戦争を知らない僕たちの世代、日本国の憲法改正の是非について、深夜まで喧々諤々の楽しい会話に花が咲きました。やはり年のせいか、持参したウイスキー一本で十分に酔い、焼酎は手つかずのままでした。

 

来年は、淡路島に、大塚国際美術館巡りをテーマに行うことが決まりました。九州、四国在のゼミ生がいるので元気なうちに会える機会を増やそうと、出来るだけ皆が参加しやすいであろうところを選びました。

 

晴耕雨読のI君、料理教室のA君、ピアノ教室のD君、美術館巡りのK君、相変わらず皆さん自分の生活を楽しんでいるようです。そして、翌日の朝食時、今年で仕事を完全に卒業した㎅君からお孫さんの話。14歳でモスクワのボリショイバレイ学園に留学中とのこと。発表会のビデオを見せてもらいましたが、おじいちゃんとは体形が全く違う。舞台での表情が大変に豊かな、生まれながらのスターかと思わせる美少女。全員が「よかったねえ」と激励の言葉。

 

それに対して京都のY君からは嫁はん=奥さん話、60歳を過ぎてからクラッシクバレーを始めた、既に5年ほど継続している。減量にも努力して発表会にも出演するようになったと!。自宅の一部を改修してバレーの練習が出来るスペースを作っている。14歳の才能あふれるバレリーナは翅のようにふわりふわりと舞うだろうが、自分の嫁はんはドスンドスンと舞っていると。全員大笑いしながらも、60歳超でバレーに挑戦している嫁はんには拍手喝采でありました。来年、また、皆な元気に再会できて、自らの自慢話、孫自慢、嫁はん自慢に花を咲かせることが出来ます様に!。

  

 

 

おまけです。過去三年分の「同期会」の記事を埋め込んでおきます。ご一読頂ければ嬉しいです。 

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