クルルのおじさん 料理を楽しむ

「俳句」のお話、その2.

 

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名古屋の隠れ家のベランダから見えるモクレン。朝、ふとカーテン越しに見ると満開でした。一瞬、ボケっと生きてると見過ごしてしまう、と反省しました。気が付いて良かったです。世の中、コロナ騒ぎで鬱陶しいですが自然は力強いですねえ。2020年3月25日、撮影。

 

 

前回の続きです。自分の俳句の”勉強”のつもりでまとめています。よちよち歩きの初心者にお付き合い頂ければ嬉しいです。金子兜太さん著「自分の俳句をこう作っている」の感想です。

 

 

兜太さんは怖そうなお顔に似合わず、後輩の指導に熱心・丁寧であったそうです。あの下重さんが言ってるのですから僕は素直にそう信じています。以前、兜太さんと故日野原さんとの対談の本を読んだことがありますが、その時も、年長の日野原さんをちゃんと立てて真摯な素直な対応をされていて、良い印象が残っていました。また、それ以前に、もっとズーッと前のことになりますが、何かの折に兜太さんの句、

 

  梅咲いて庭中に青鮫が来ている  兜太

 

を読んで大変に驚いたことを覚えていました。”へえー、こんなイメージの景色を俳句に読めるんだわ、凄いなあ ”とビックリして感心しました。その時の解説?には「前衛俳句、云々」と書いてあって、写真を見た時には(多分、その時が、兜太さんを初めて見た時だと思いますが)、”エライ強面のおっさんやなあ、とっつき悪そう””と感じたのですが、この句は僕のお気に入りとして兜太さんの名前とともに記憶に残りました。

 

 

この本の冒頭「文庫版まえがき」には、「いまの(兜太さんご自身の)句作のありのままを伝える気持ちで書いています---所謂、俳句の入門書とは違います」と記載されています。「五・七・五字(音)は、驚くほど強靭で不思議な詩形です。表現の喜びを、おおかたはささやかに、しかし、ときには大きく満たしてくれる”生きもの”でもあります」と。読んだ後には、これが兜太さんのありのままの気持ちなんだと感じるようになりました。例によって、目次を概括しておきますと、

第一章 「実感」を俳句に生かす

第二章 俳句は言葉をリズムで整える

第三章 写生と主観、作句法のあれこれ

第四章 喩え・もじり・なぞり

第五章 ありのままのこころを伝える

俳句の上級者の方が一覧されれば、兜太さんが何を言わんとしているか、これだけで理解出来るんじゃないかとも思います。

 

 

第一章の初めに「有季定型」についての兜太さんの考え方が記載されています。俳句の世界では大半の先生が「季語は『約束』以上の必要条件、五・七・五字の『定型形式』も同様(必要条件)、この二つのうちどちらがなくてもそれは俳句ではない」とおっしゃるそうです。

これに対して、兜太さんは「『有季定型』は俳句の伝統であり約束である、という意見に反対ではない。問題はその程度である。五・七・五字を必要条件とすることには賛成であるが、季語を必要不可欠(な必要条件)と決めてしまうことには反対。『約束』と言うのは、もう少し自由であるはず」とのご意見。

別途、稲畑汀子さんの「俳句入門」の感想も書きたいと思っていますが、確かに、こちらの本には「正しい俳句の条件とは『有季定型』を守ること」と明快に規定されています。イロイロあって面白いなあと思うのですが、兜太さんの記載で面白いのは、「季語は必要条件である」ということに反対しながらも「季語」を高く評価していること。曰く、

「季語には長い歴史がある、そこらにゴロゴロしている言葉より、ずっと味わいがある。季語を捨ててしまうというようなことは、もったいなくて出来ない。捨てるどころか大事に使いたい」との記載がありました。それを必要条件と縛ってしまう、規定されるのには反発されているのでしょうね。一方、兜太さんが「五・七・五字を必要条件とすることには賛成である」と記載しているのには、驚きました。僕が最初に接した兜太さんの青鮫の句!、”これのどこが「五・七・五字は必要条件」やねん。どう数えても五・七・七やないか”。後に記載がありましたが、兜太さんの考えは「俳句の基本は三句体=三つの区分け、と、奇数字(奇数音と言っても良い)」という事のようです。更に「自由律俳句」とか「口語俳句」も否定されている訳ではありません。

  せきをしてもひとり   尾崎放哉

  鉄鉢の中へも霰     種田山頭火

の句に対しても「三句体に読めて、奇数字中心だから、俳句の基本に収まっている。私(ご自身=兜太さんのこと)などは、九字(三・三・三)から二十一字(七・七・七)、時によっては、二十七字(九・九・九)も許容します。」とシャーシャーと記載されていますから、最初に記載があった「五・七・五字を必要条件とすることには賛成である」と言うのも、「五・七・五字を約束である」と理解するのが妥当かなあと。えらいエエ加減なオッサンのようにも思えますが、この方、憎めないですねえ。「有季定型」は俳句の伝統であり約束である(必要条件=規定ではない)、そして俳句の基本は三句体と奇数字(音)である、ということに煎じ詰まると理解しました。

 

「理屈よりも今の生活実感を大切に」、そしてその「実感」を情景の奥に秘める、具体的に「物」をつかむ、そして、その「実感」「物」を生かす言葉をさがす=「生活実感、物、言葉の三位一体」を忘れるな、とのことでした。

 

 

第二章以降では、俳句独特の表現方法について説明もされています。その説明の言葉使いが面白い。「切字」は「断定と余韻を持った省略!」であると。言葉に”キレ”があるなあと思いました。「説明にとどまることなく、響きを出す。言いたことをボンボンぶつけていって、それをリズムで整える」。

「二物衝撃」と言うのは、二つのモノをぶつけて、一つの世界を作り出す方法のことを言うそうです。これも「切字」が重要な役割を果たすと。例句として、僕の大好きな芭蕉の句を取り上げて説明がありました。

 

  荒海や佐渡に横たふ天の川   芭蕉

 

「『荒海』と『佐渡に横たふ天の川』の二つのモノが、切字『や』で結びつけられている。これは『ぶつけられている』と言う方が正しい状態である」と。この句は迫力のある句ですよねえ。これを生み出しているのが、切字「や」、であると指摘されると”なるほどなあ”と改めて感心・納得致しました。

 

 

おさらいになりますが「発句を独立させて、これを俳句と名付けたのが正岡子規」、そして、「その弟子の高浜虚子が十七字と季題という拘束を設けて、俳句は有季定型なりと規定した」と。「規定の良し悪しはべつにして」と兜太さんはよくよく拘束とか制約とかには反発されているようですが、虚子の功績は高く評価されていました。虚子が「十七字という定型の形式をはっきりさせたこと」に対しては最大級の評価。虚子がこれを現したのは大正3(1914)年のことだそうです。虚子の句、

 

  流れゆく大根の葉のはやさかな

 

について「この句こそ、十七字の形式なしには存在しない」と。季題の規定には強く反発しながらも、俳句の形式を明確にした虚子を高く評価されているようです。

 

 

さらに、「俳句は十七字を基準とした定型詩なり」=「俳句は韻文なり」との主張を強くされています。桑原武夫が昭和21(1946)年に「第二芸術ー現代俳句について」で俳句・俳壇を批判したことに関しても、「(俳壇に安住している)党派性に甘えている大家・中堅をこっぴどく叩いたのは有意義」と評価する一方、「この論文の最大の欠点は、俳句を散文扱いしたところにある」と厳しい指摘をしていました。

 

 

第三章は、いよいよ「写生」と「主観」について。 

子規が「何よりモノをよく見る、見たものを描き取る」と言ったこと、それを更に虚子が「写生」「客観写生の技」に昇華させたことを紹介して、「虚子のいう『客観写生の技』、私(兜太さん)の言い方では『描写』に熟達することが俳句の第一歩であり、俳句の基本である」と。

 

  桐一葉日当たりながら落ちにけり  虚子

 

を例にとり、「葉に日の当たるさまを見てとった」ところがポイントであることを「見るだけでなく見つける」、その客観性が素晴らしいことを説明しています。説明がお上手なので納得できるのですが、理解は出来ても自分で見つけられるのか大変に重く難しく感じてしまいますね。この辺り以降になると、読んでいて理解が正しく出来ているのか、分かったような気分になっているだけなのか、不確かになる件が多々出てきます。残念ながら、僕の今のレベルではついていけない話なのかも知れません。

 

兜太さんは、写生だけではなく主観を加えることを自然に、当たり前に大切なことである、と言っていると思うのですが、「物とか主観とか区別してあれこれ考えたりいじくったりしているうちは、まだ序の口です」と言われると、”いやあ、まさにその通りなんでございましょう”、としか突っ込めなくなります。

「景色に主観を加えようとするとき、それによって、景色がふくらみ変化しないといけません。逆に景色が縮んで小さくなるときは、主観そのものがつまらないものなのか、加え方に工夫がたりないのか、そのいずれかです。そこにご注意を。」と丁寧な(難しい)ご指導が記載されていました。下重さんが兜太さんのことを熱心・丁寧な指導者と言われるのはその通りだと改めて思いました。問題はその指導を理解できるか、自分のモノにできるかということなんでしょう。その人の技量と感性が問われることになるんでしょうねえ。

 

  

本題とは関係ないですが、面白いと思った件を紹介しておきます。第四章では「本歌取り」を「もじり」と「なぞり」に分けて説明されているのですが、中村草田男の句、

  降る雪や明治は遠くなりにけり  草田男

の本歌の一つが、

  獺祭忌明治は遠くなりにけり  

であることを紹介しています。読んだ後で”そういえば、昔、この話は聞いたことがあった”と思い出しましたが、獺祭忌は正岡子規の忌日で明治35年(1902)年9月19日のことだそうです。兜太さんがこの句を引用したのは、「本歌取り」の説明のためなのですが、僕は、この時にずっと疑問に残っていたことの一つが解決出来て、大変にスッキリした思いになりました。

 

今や、人気の日本酒「獺祭」ですが、もう何年も前このお酒が出回り始めた頃の話です。立派な料亭で会食の機会がありました。「今、人気のお酒です」と恭しく席にもってこられました。”難しい名前のお酒やなあ”と思いつつ”どこかで見た言葉やなあ”と思ったのですが記憶は蘇りませんでした。会食の席では「獺=カワウソが採った魚を川岸に並べる様を、先祖への供物と見立て祭儀になぞらえた」とのウンチクをお聞きして”なるほど”とそのまま理解しておりました。今回、再認識出来たことは、子規が自分のことを「獺祭書屋主人」と号していたのでした。そのことから、正岡子規の忌日は獺祭忌と呼ばれるようになっていた。お酒の「獺祭」はこれも掛けたネーミング、”そうやそうや、これやこれ”、昔のかすかな記憶の謎が解けた、大変にスッキリした思いでした。

 

 

第五章では、「俳諧」とは何か、について書かれています。「『滑稽』と言われたり、『意外性』と言われたり、『アイロニー(反語性)』などとも言われ、いまだに決定論が無い」とのことです。中国古辞書に「俳、戯也」「諧、和也」とあることを原義とすべきとの説があり、兜太さんもその説に賛成とのことで、兜太さんは「俳諧とは、戯れ和するための言葉の工夫=心情を伝えるための工夫のすべて」と受け取っているとのことです。

江戸期に入り、俳諧は二つの流れに。一つは、川柳への方向=世事風俗をそのままの姿で、面白おかしくとらえていく方向。いま一つは芭蕉の生き方。芭蕉は「俳諧」を「詩」として庶民の中に定着させる努力とした、との見方です。面白いのは、二つの相反した道の合流点に、兜太さんは「小林一茶の世界をおいています」と。

この本の最後は「俳諧は、自然に極まる、と言い切っても良いのです。いや、俳句を書くということの行きつく先もここにある、と言い切っておきたい」と締め括られていました。

 

 

文庫版150頁の小さな本なのですが、中身がテンコ盛りで、お腹がいっぱいになりました。早く消化しないと、句が出てきそうにありません。改めて、兜太さんって面白いオッサンやなあと思いました。やはり、俳句は奥が深い(当たり前か)。僕自身は、二つの流れの”面白おかしい世界”の方に行ってしまうのではと自分が心配になりますが、いま少し、努力を続けてみたいと思っております。自然体で楽しむことを大切にすれば良いはずですよねえ。

 

 

世の中、コロナ大騒動が続いています。山中先生の話では長期戦を覚悟して日常生活を設計していく必要があるとのことです。ワクチンが出来上がるまで、ダマシ騙しでも感染しない生活を維持していきたいものです。鯱城学園は3月に続き、4月いっぱいも休校となります。皆さまもくれぐれもご自愛のほど。

 

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名古屋市西区にある「ノリタケの森」公園。恒例の陶器市に行ったのですが、大騒動のお陰でこれも中止となっていました。残念。のんびりと周辺を散策して帰りました。洋食器で有名なノリタケ、創立100周年の記念事業として2001年にオープンした公園です。名古屋駅から徒歩で行けるところで、今、更に大規模な開発計画、テーマは「美しい名古屋の本命に!」が進行中のようです。2020年3月22日、撮影。