クルルのおじさん 料理を楽しむ

『凌ぐ!』2020年5月の日常、その2.

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リトルスノーの花。二年ぶりに咲きました。小雪ちゃんが生まれた年の「母の日」のお祝いに長男(小雪ちゃんのパパ)がカミさんに送ってくれたもの。その時の花が終わった後もカミさんが丁寧に世話していました。咲くとは思っていなかった。エライ!。2020年5月15日、カミさんが撮影。

 

 

文藝春秋はたまに買って読んでいる雑誌です。「芥川賞」の発表の時には全文掲載されますからほぼ間違いなく買って読んでいます。それ以外の時でも面白そうな特集を組んでいる時には買います。6月号も、先月に続きもコロナ特集「総力特集、緊急事態を超えて」で山中さんと橋下さんの対談記事が掲載されていましたので買って読んでみました。 

 

 

お二人は以前から居酒屋で気楽にお酒を飲む間柄だそうです。もっぱら、橋下さんが酔って話するのを山中さんが聞き役になっている由。文藝春秋5月号の記事のことは、4月27日のブログに書いた通りです。

kururupapa.hatenadiary.jp

 

今月号では、山中さんのコメントが大変に興味深く感心して読みました。この記事の時点で、山中さんが気になっているのは「日本の感染拡大が欧米に比べて緩やか」なこと、そして(科学者の目からは)そこには「絶対に何か理由があるはず」と考えているとのことです。今は分からないこの理由を山中さんは「ファクターⅩ」と呼んでいて、認識を共有している研究者間で情報交換しその理由を解明しようとしているそうです。当初から、東アジア、日本で感染拡大が緩やかなことはイロイロな説(かなりのガセネタも含め)が流布していましたが、信頼に足る科学者の方が真面目に研究・解明しようとしていると聞くと何やら安心出来るように思います。頑張って是非とも解明して頂きたいものです。

 

 

もう一つエライと思うのは、橋下さんが「(政治家が)『家にいよう』というメッセージを発してそのまま平気でいることが出来るのは、犠牲となっている方々への共感力が低い」(この橋下さんのツッコミもいいコト言ってますよね。今回の件では、彼を見直しています)と発言しているのに対して、山中さんが冷静に「僕は、被害者は五種類いると思っている」と、大変に分かり易く整理して話をしていることでした。

 

山中さんが分類している被害者とは、①患者さん、②医療関係者の方々、③ずっと社会インフラを支えている職業の方々(警察官、バスの運転手、宅配業者、等々)、④自粛要請で今までの仕事・生活を犠牲にしている方々、⑤同じく、本来受ける治療・看護が受けられない方々(高齢者、等々)、教育の機会を奪われている子供達。「これらの方々をどうやったら守れるのかという話をもっと盛り上げていかないと」との指摘でした。

特に④、⑤については、どこまで政治・行政が関与すべきか難しいところがあると思いますが、なおざりにされる懸念が強いと思います。TVで垣間見る政府・行政の方々のお話は、どうもポイントが明瞭でない、と感じます。是非、論点を明確にしてアクションに移して欲しいものです。

 

 

さらに、山中さん、「この五種類のどれにも当てはまらない人は、自粛すると同時に、この五種類の困っている人のために何かできないかを考えて欲しい」と訴えていました。この対談の帰路、山中さんは「馴染みの居酒屋がテイクアウトをやり始めたので買って帰ろうと思っている」とのことです。チョットしたことでも今だからこそ「利他の気持ち」を大切にする必要がありますよね。今、この瞬間、自分が出来ることを一つでも、二つでも!、実際にアクションですね。 

 

 

名古屋市の宗次ホールさん。コンサートは軒並み中止、延期の状態が続いています。ホール自体も大変な経営環境に陥っていると思いますが、活動が出来なくなって苦境に立たされている演奏家さん達を支援する活動を開始されています。 

munetsuguhall.com

4月15日の演奏家応援企画第一弾です。過去に開催したコンサート、生演奏のDVDを返礼品にして演奏家さん達への支援を募集されているものです。若手演奏家さんがイロイロな場所で行ったライブ演奏が収録されています。こういうライブ演奏のDVDって珍しいかと。僕の知ってる演奏家の方は出てなかったですが、のんびりお酒飲みながらDVDを見る(いや、聴く!)のも乙なものです。皆さま、是非、応援してあげて下さいませ。

 

 

5月14日には、愛知県を含む39県で非常事態宣言が解除されました。同21日には、関西三県(大阪、京都、兵庫)も解除され、残るは、北海道、首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)となりました。

 

  解除後もなぜか家飲み五月かな   孔瑠々

 

川柳みたいかな?、反省。ソロリと日常への回復が進みそうではありますが・・・。五月末から六月初めの景色はどうなっているでしょうか。

 

 

 

5月のNHK俳句ですが、前回、記載した通り、コロナ禍で収録が出来なくなり過去の再放送が続いています。

5月第一週は、昨年5月5日の再放送。

5月第二週は、昨年6月2日の再放送。

5月第三週は、昨年7月7日の再放送。

全て、選者は宇多喜代子さん、司会は小林聡美さん。NHKが宇多さん好みなのか、他の週の選者の方の番組は再放送が出来ない取り決めになっているのか、全く訳が分かりませんが、このままでは季節がドンドンずれていくばかり。宇多さん、聡美さんのお話は面白いので僕は楽しく見ておりますが、折角の再放送ですから、もう少し工夫すればよいのにと大変に残念に思います。勉強を兼ねて宇田さん特選三句を中心に記載します。

 

 

2019年5月5日、兼題は「八十八夜」 

 

一席  八十八夜納屋の扉に農事歴

 

二席  銀座にも八十八夜の雨が降る

 

三席  八十八夜一木一草声を出す

 

投句とは別に宇多さんの好きな句の紹介がありました。

 

    逢いにゆく八十八夜の雨の坂   藤田湘子

 

八十八夜は立春から88日目、5月2日か3日ごろ。雨になることが多い日だそうです。春の季語です。

 

 

2019年6月2日、兼題は「豆飯」

 

一席  豆飯や家族の顔が丸になる

 

二席  夕風ややはらかく盛る豆ごはん

 

三席  まめ光りめしつぶ光る豆御飯

 

特選には選ばれませんでしたが、僕が良いなと思った句。孫を思い出しました。

 

    幼子のあのねそいでね豆ごはん

 

選者の宇多さんの句。

 

    手に馴れた箸よ茶碗よ豆ごはん  宇多喜代子

 

食べ物の句は楽しいですね。

 

 

 

2019年7月7日、兼題は「団扇(うちわ)」

 

第一席  足元へ胸へ顔へと水うちわ

 

第二席  おぐたび海豚(いるか)の跳ねる団扇かな

 

第三席  団扇より蕪村の一句香りたつ

 

やはり季語俳句はその季節に味わうのがよろしいようで。

この年度の宇多さんのテーマは「昭和のくらし」です。毎回、昭和の香りがする道具が登場します。宇多さんがご自宅から持参されているものが多いようです。「ちゃぶ台」が出てきたり、「おひつ」を紹介したり、はたまた、電気が無い時代、ブロック氷で冷やして使う「冷蔵庫」の使い方を説明したり、僕たち世代にはなんとも懐かしい景色。昭和も遠くなりつつあるのでしょうね。

 

 

 

鯱城学園は、5月11日付けのお知らせ葉書では、6月以降も登校禁止、再開の時期は未定となっています。それでも園芸科では、先生と農園近くの有志の方が春播きの種まきをやってくれていて、水遣りだけは順番に各班のなかで日程を決めてやることになりました。生育中の玉ねぎの収穫も6月上旬には行うことになりそうです。

 

 

 

おまけです。

偶にはいつもの平和公園ウオーキングコースから離れ、近隣の歴史散策コースを開拓しようとしています。城山八幡宮、旧末盛城跡に行きました。織田信行の居城です。たまたまですが、前回のNHK大河ドラマ麒麟がくる」で、信行(TVでは信勝)が登場していました。信長暗殺を試みて失敗、逆に信行が打ち取られてしまいました(この出来事の舞台は、末盛城ではなく、信長の那古野城でのことです)。この番組もコロナの影響で撮影が中断されており、とうとう6月14日からは放送中止となるそうです。戦国歴史モノは面白いですね。地元が登場するのも楽しいものです。久しぶりに毎回見ているのにホントに残念なこと。

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名古屋市千種区にある末盛城跡。看板は「末森」表示ですが、案内には「末盛」が使用されています。近隣の住所も「末盛」です。城跡は、明治になってから城山八幡宮となり、近隣の複数の神社が合祀されたそうです。右は御神木の「連理木(れんりぼく)」、一度分かれた幹が再び連なって成長しています。名古屋市内では最大のアベマキ。

 

 

隣にある謎の洋館。 

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末盛城跡、城山八幡宮の社の西側にある何やら由緒のありそうな立派な建物。帰ってから調べたら、関東大震災のあとの昭和3年(928年)に建てられた「昭和塾堂」とのことでした。末盛城の二の丸辺りの場所。青年教育の場として建設された由。満州事変の直前の時期ですが、軍国主義、軍事教育とは一線を画した青年教育のための施設。建物の形は上から見ても横から見ても「人」の文字の形になっており「人づくり」を象徴するものであったと。戦後は、一時、市庁舎、県庁者としても利用されていたそうです。現在は立ち入り禁止になっています。