クルルのおじさん 料理を楽しむ

読書の秋

今年の夏は(も)暑かったから、秋の爽やかさを例年以上に心地よく感じることが出来ると思っていましたら、台風14号の接近と共に気温は急低下。冷たい雨が降り、あっという間に寒さに対する警戒が必要な季節になってしまいました。まだまだ、ブレが大きなお天気が続くのでしょうが、気持ちの良い期間が短くなっているのが残念です。

 

 

9月末に、”読書の秋!”と気合を入れて図書館で読みたかった本の購読の申し込みをしました。一回に6冊まで申し込み可能です。名古屋市立の図書館に蔵書があれば、それを探し出してくれて、申し込みをした人の最寄りの図書館で貸し出しが出来るように手配してくれます。僕の場合は、名古屋市立千種図書館。6冊のうち、3冊が準備出来た旨の連絡を頂きました。最近、出版された本に対しては申し込みが多数あるようで、かなりの順番待ちになっていましたが、数年前に出版された本は図書館で寝ていたのでしょう。申し込みをしてからほんの数日で、千種図書館で貸出し準備が出来た旨の連絡を頂きました。全てネット交信で、簡単・便利で有難いことです。 

 

 

農業、食品関連の本が二冊です。例によって僕の備忘録として記載してます。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

『トラクターの世界史』。藤原辰史さん著、中央新書。2017年9月第一刷。”人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち”という副題が付けられていました。著者は1976年生まれ、当時、京都大学人文科学研究所の准教授の方です。発行された時に新聞の書評欄で、”トラクターという特異な切り口から(特に近代の)歴史を読み解いた”面白い本と紹介されていました。このブログでも何回か書きましたが、僕は、昔、食料関係の仕事をしていてアメリカ農業にも少し携わったことがありましたので興味を持っていました。以前のブログ記事を埋め込んでおきます。ご参考まで。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

日本でトラクターというと歩行型の耕運機をイメージしがちですが、アメリカの大規模農場のトラクターというのは本当に凄い大きいモノです。運転席に載せてもらったことがあるのですが、中二階くらいのところにある座席からデッカイ戦車を運転するようなイメージです。この 本によるとトラクターは”19世紀末にアメリカで発明・開発された”そうです。”苦役から人類を解放”、”農作物の大量生産を実現”、”近代文明のシンボル”、というのがプラスの側面。

 

僕が仕事で関与し始めたころは、ある意味ではアメリカ農業の最盛期であったのかも知れません。---見渡す限りの大豆・トウモロコシ畑、そこを戦車の如きトラクターが一気に収穫作業を進めていく。農家のおっちゃんは運転席で悠々と煙草を吸って音楽を聴きながら、その日の農作物の相場をチェック、収穫した作物を何時売ろうかと考えている。---こんな景色が当たり前の時代でした。

 

筆者がこの本で指摘していますが、そして考えてみれば当たり前のことでしょうが、作物を育てるには土壌を掘り耕すことが必要で、そしてそれは大変な労力で、そして牛馬を使い犂耕すことにより食物連鎖が活性化されていた訳ですが、トラクターの登場で農業は様変わり。苦役からは解放され大量生産が実現したものの、一方では、耕作作業の牽引力が家畜から石油に変わった。食物連鎖が途切れ大量の化学肥料の投入が必要になった。土壌圧縮とか土壌侵食とか表土流出とかいろんな表現がされますが環境変異が生じることに繋がっていると。これが近代農業のマイナスの側面。

 

アメリカで大型機械化と化学肥料の抱き合わせで一気に農業の近代化が進んだ=プラスの側面が脚光を浴びた時代には、その影響を受けて旧ソ連でも社会主義計画経済を目指し農業集団化を進めるためトラクターが導入されたそうです。それもアメリカ製のトラクターを輸入して。さらに女性の解放・社会進出をアピールするため女性トラクター運転手が宣伝された。まさにトラクターが共産主義のシンボルになっていたと。残念ながら、当時のトラクターには故障が多く、また、当時の農民の心情的な反発もあり成功しなかった由。またナチスドイツでも、フォルクスワーゲン(民衆・大衆車)計画と共にフォルクストラクター構想もあったそうです。この計画の実現にヒトラーから開発任務を受けたのが有名なポルシェ博士とのこと。

 

1929年は、アメリカ・ウオール街での株価大暴落でその後の世界恐慌、更には、第二次大戦へのキッカケになった年次ですが、1930年代はアメリカ農業にとっても苦難の時代。農産物価格が低迷する中、中西部・穀物地帯ではダストボールの発生。ダストボールは開墾により発生した砂嵐ですが、トラクターと化学肥料の投入がその大きな原因の一つとされています。この時期、零細農家は放逐され土地の集積・大規模化が一気に進みます。この本にも記述されていますが、当時を生き抜く零細農家を描いたのがジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」です。1939年に出版され喧々諤々、社会問題化した由。

 

読んでいる時に、ふと思い出して本棚のDVDストックを探してみたら、映画『怒りの葡萄』のDVDがを見つけることが出来ました。随分前に買ったまま封も切らずに積んであったもの。この映画は1940年製作で、中学か高校時代に上映されたものを見た記憶はあるのですが、ほとんど覚えておりませんでした。冒頭、トラクターが登場します。土地の大規模化を謀る資本家の象徴として、まるで悪魔の機械です。地平線から2-3台のトラクターが列をなして小作人の住んでいる小屋に向かってきます。立派な大型の乗用車に乗った横柄な男が小作人に明日までの立ち退きを要求しており、見せしめに空き家になっている小屋をトラクターで押し潰す。”トラクター一台で、小作人14所帯分の仕事をこなす!”と。小説が発表された時には、描き方が一方的に反資本主義過ぎると非難されたそうですが、片方では、これが零細農家の本当の姿だと擁護する意見も出たそうです。働きたくても(当然、肉体労働ですが)職が無い。貧しくて食べるものが無い。ひもじい思いでほとんど何も入っていないような鍋を家族全員でつついている。アメリカ社会、アメリカ農業・農家にもこんな時代があったんだなあ、と改めてショックを受けました。映画はジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演。スタインベックの小説は所謂、社会主義小説ですが、映画の方は家族愛を織り交ぜた家族ドラマ仕立てにもなっています。ときおり背景に流れる主題歌「レッド・リヴァー・ヴァレー」がなんとも切ない懐かしさを感じました。

 

話を本に戻しますと、トラクターを切り口にしてその功罪、プラスとマイナス面を歴史的に記述して大変に面白い本でした。日本のトラクターにも触れられています。日本でも1918年に歩行型のトラクターが輸入されたそうですが、春の水田は畑地よりも負荷が大きく耐えられなかったそうです。1920年代から、農林省の要請を受けて小松製作所が国産第一号を開発。その後も、ホンダ、更には農機具メーカーのクボタ、ヤンマー、イセキが乗用型トラクターの開発も進めた由。ヤンマーの面白いお話です。ヤンマーを創業したのは山岡さん、滋賀県の貧しい農家出身の方。苦労して1923年に山岡発動機製作所を創業。その時、商標を「トンボ印」にしようと考えたそうです。親父さんが「トンボが沢山飛び回っている年は豊作だ」と言っていたので。ところが既に商標権は設定されており使用不可。知り合いのアドバイスで、それならトンボの親分の「ヤンマ」にしようということで「ヤンマー」にしたとか。僕らの世代にはお馴染みの「ヤン坊マー坊天気予報」は1959年6月から放送されたそうです。懐かしいですね。

 

アメリカ農業について以前に書いたブログです。ご参考まで。

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残念ながら、この「大豆の会」は中止した状態がずっと続いたままです。「恨めし、コロナ」です。

 

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アメリカ農業を抉ったマイケル・ポーランの『雑食動物のジレンマ』です。これも面白い本でした。

 

 

二冊目の本の話です。簡単に紹介します。

『戦争がつくった現代の食卓』。著者はアナスタシア・マークス・デ・サルセドさん、アメリカ・ボストン在のフードライター。訳は田沢恭子さん、翻訳家。白楊社、2017年10月第一版第三刷。副題に「軍と加工食品の知られざる関係」と。原題は『Combat-Ready Kitchen』、2015年の出版です。 

 

日本で発行当時、結構、話題になっていた本でイロイロな書評欄に紹介されていました。たまたま残していた書評記事を見たら「トラクターの世界史」の著者の藤原さんが書評を書いていました。肩書は農業史研究者となっていました。面白い偶然です。

 

アメリカのボストン郊外にある陸軍「ネイテイック研究所」を著者が訪問取材するところから始まります。ここは米国陸軍の「戦闘糧食=コンバット・レーション」の技術開発・研究を行っている機関。著者は、ここが戦闘糧食に留まらず、米国の食品業界が推進すべき技術の方向性を決めて、加工食品産業そのものを動かす中枢機関になっていると指摘して、その観点からイロイロな事例を記述しています。訳本ハードカバー全380頁の力作。

 

本題に入る前に、レーション(戦闘糧食)の歴史をたどっていますが、こちらの方が面白かったような。古代シュメール・エジプト軍のタンパク補給のレーションは魚の塩漬けであったとか、ギリシャ軍は穀類・酢・玉ねぎ・チーズを準備していたとか、更に、ローマ帝国になると豚肉を活用、ベーコン、ソーセージに加えてプロシュート(=燻製せずに乾燥させたハム)が力の源泉であった由。美味しそうに感じますね。

 

長い歴史上の期間、食品の保存法は、乾燥・塩漬け・燻製・発酵であったが、大革命はナポレオン戦争期に開発された缶詰!。ちなみに、コンバット・レーション(戦闘糧食)というのは、兵士が駐屯地で食べる給食と区別して戦闘時に食べることが出来る糧食を意味するそうです。生きるか死ぬか、勝つか負けるかの戦闘時の食べ物ですから、持ち運びが出来て保存が効いて、かつ栄養が補給出来て、そして少しでも美味しいと感じるものを提供しようと軍が必死になるのも当然のことでしょう。

 

科学技術には軍事用にも民生用にも使える(=デュアルユース、と説明されています)モノがあり、どこまでが軍事研究なのか線引きが難しいそうです。軍と食品産業が協同する食のデュアルコースを、著者は、女性を台所から解放するものとしては評価する一方で防腐剤など添加物質の安全性に対しては懸念を述べています。沢山の事例が紹介されています。宇宙食になったフリーズドライ保存食、骨から外したカット肉、くず肉を整形加工した肉やソーセージ、劣化しないパン、高温と長期保存に耐えるプロセスフーズ、溶けにくいチョコバー等々。軍で基礎研究がされて、食品産業がその応用加工を行った事例です。著者は、自称「アメリカのフードライター界の悪女」と言い、訳者さんの紹介では「食品産業の欺瞞を暴く記事」が得意?の由ですが、この本では、ややどっちつかずの平凡な主張であったかも知れません。軍産協同による食の産物をどう評価しているのか、当たり前のことを指摘しているだけのように。戦争や戦闘糧食と離れ、現在、氾濫している加工食品とどう向き合っていくのかを記述したかったのかも知れません。暴露が得意技であれば、もっと、軍と特定企業との癒着を糾弾した方が良かったのかとも。やや辛口のコメントです。一方、本にある沢山の事例は面白かったので、そう割り切って読めば面白い本です。辛口コメントを補うために興味深かった事例を紹介します。

 

フリーズドライ技術の開発と活用。戦場での兵士の死は失血死が最大の割合を占めていたそうです。そして、それを回避するためには全血の血液を投入しなくても血漿を注入すればよいことが分かった。ちょうどその時期、大規模なフリーズドライの実験が成功しており、この技術を利用すれば血漿を粉末状に出来る。それは何千キロも輸送して、かつ、何カ月も保存した後で、水に戻せば投与することが可能である。一時期は、失血死を減少させる戦場医療、救急医療の新時代が到来したと脚光を浴びたそうです。但し、残念ながら、後日、この方法では血漿に入り込んだウイルス(B型肝炎HIVウイルス)も保存されてしまうことが判明して、多数の供血者から集めた血漿の使用は1968年に中止された由です。今のコロナ禍でこれを読むと、緊急時には、安全性が二の次になり、目先の対応を優先して使用してしまうことの怖さに重なるかも知れません。

 

 

三刷目の本は、趣がガラッと変わります。『いきと風流』、著者は尼ケ崎彬さん。日本、日本人の生き方のスタイル、生活の美学を考察した面白い本です。長くなり過ぎますので、また後日に書きます(多分)。

 

オマケの一句です。

 

   茶の花や合の名人岳父の忌   孔瑠々

 

「合組」=ごうぐみ、というのはお茶のブレンドのことです。お茶屋さんは、世界で一つだけの自慢のお茶を作りだしています。端折って「合」(=ごう)とも言うそうです。カミさんの親父さん(義父)の命日に。合掌。

今回、写真、料理(の写真)は無しです。また、次回に向けて準備しておきたいと思ってます。最後まで、ありがとうございました。