クルルのおじさん 料理を楽しむ

読書日記・温暖化のお話

備忘録の読書日記です。相変わらず、千種図書館で本を借り続けています。珍しく、最近の本=本年に第一刷が発行された本を読みました。

 

『温暖化で日本の海に何が起こるのか』---水面下で変わりゆく海の生態系---、著者は山本智之さん。2020年8月第一刷、講談社BLUE BACKSです。山本さんは1966年生まれ、科学ジャーナリスト朝日新聞記者、編集委員の方です。

 

近年、異常気象は頻繁に起こっていますから、もはや「異常」ではなく、これが当たり前の状態と覚悟して対応するしかないと思っていますが、一方では、あまり物分かり良くなり過ぎないで、”おかしい”ものは、おかしいと受け止める感性は必要かと。この“異常”な状態を「当たり前」と了解してしまうことも怖いなあ、と感じております。

  

たまたまですが、12月3日の日経記事に「世界気象機関(WMO)が、2020年の世界の平均気温が史上三位以内の高さになるとの予測を発表」したことが報じられていました。「世界各地で温暖化の加速、異常気象による山火事や干ばつが深刻になっている」と。

2020年1月から10月の平均気温は産業革命前の平均から約1.2度上昇しているそうです。ちなみに、2016年が観測史上最高で、次で2019年が二番目に高い。今年は、本来、海面水温が平年より低くなるラニーニャ現象が発生したにもかかわらず、記録的な暑さになったのが大きな特徴と言われています(ラニーニャ現象が起こっていなかったら過去最高になっていた?)。 

 

更に12月6日の日経記事では、地球温暖化による自然災害の増加が『アジアに脅威』と報じられていました。異常降雨などにより経済活動が停止する恐れのある場所の経済規模を世界全体で試算したところ、中国、インド、インドネシアを中心にアジアの危険地域が世界全体の半分を占める、というものです。世界資源研究所(WRI)が公表している世界の水害リスクの約5割がアジアに集中している由。水害の被害は、経済損失をともなう自然災害のうちの4割を占めるそうです。

 

 

という訳で、地球温暖化に伴う異常降雨や自然災害のことが報道されているのは良く目にするのですが、意外と『海』そのものの変化に警鐘を鳴らしているものが少ない。この本は、科学ジャーナリストでありご自分でも海に潜り取材を重ねてきた山本さんから『海に何が起こっているか』についての警鐘です。

 

日本人の食生活と海の産物は切っても切れない関係と思いますが、山本さんの観点も大変に分かり易いです。「だし文化」の基になっている昆布---日本の昆布が激減していること。「秋の味覚」=サンマ---サンマの旬が冬にずれ込む可能性・危険性等。これらを指摘しつつ「海」の問題=「温暖化」と「酸性化」を分かり易く説明されています。

 

日本近海の平均海面水温は、産業革命以前と比較して約1.1度上昇しているそうです。世界平均を上回るペースでの上昇だそうです。”北半球の中緯度にある”という地理的なことが最大の原因の由。

(「産業革命以前との比較」というのがこの本にも日経記事にも「温暖化」問題の記述の際によく出てきます。産業革命というのは、イギリスを中心に18世紀半ばから19世紀にかけて蒸気機関の開発と動力源の刷新=石炭の有効利用!が急速に進んだ時代、ジェームス・ワットが蒸気機関を改良したのが1765年、1800年代には蒸気船、機関車、1850年代には主要国で鉄道網が整備されたそうです。「温暖化」の文脈の中では、1850年~1900年の期間を指しているようです。たったの100年から150年の期間で地球が大きく変わってしまったというのはやはりショックですねえ)。

 

海の中で起こっていることは普通は目に見えませんが、分かり易い例として指摘されているのが、サンゴの分布が北上していること。”「美ら海」からの警鐘”という言い方で、石垣・西表の石西礁湖での「白化現象」を取材報道されています。

 

サンゴ礁は生態系の観点からは「海の熱帯雨林」と呼ばれるそうです。生物の多さ、種の多様さ、複雑な生態系が形成されています。このサンゴ礁に「白化現象」が急速に進んでいる。「サンゴ」そのものはイソギンチャクと同じ「刺胞動物」だそうで、その体内に「褐虫藻」が住んでいる。この藻が光合成で栄養を作りサンゴに供給して共生しているのですが、温暖化による水温の上昇によりこの「褐虫藻」が激減し、サンゴ礁の「白化現象」が進み、大切な「海の熱帯雨林」が急速に失われているとのことです。

この褐虫藻シャコガイ等の二枚貝とも共生をしており、決してサンゴだけの問題ではない。また、温暖化の影響はサンゴの天敵であるオニヒトデの大発生を頻発させたり、また、サンゴの病気である感染症も広がっているそうです。

 

温暖化の影響として、海水面が上昇していることの問題も指摘されています。温暖化により、北極海等の氷が解ける。また、温度が高くなることで海水そのものが膨張する。海水面が上昇するということは、海の上層と下層が混ざり難くなることに繋がるそうです。何が問題かというと、下層が「貧酸素」の状態になってしまうと。生物が暮らしにくい状態です。

 

また、温暖化の進行が黒潮の流れを加速しているそうです。温暖化の進行により偏西風が強くなり、黒潮を駆動する風力が強まっていると。黒潮の流れが速くなることで、回遊出来ていない回遊魚が増えている(神奈川県立の博物館の調査)。「死滅回遊魚」とか「片道切符の旅」と説明されていますが、ナントも寂しい、怖い話だと思います。京都大学水産実験所が定点観測をして「魚の分布中心緯度」の調査をしているのですが、南方系の魚の分布は30年で300㎞以上、北上しているそうです。前述のサンゴの北上のスピードは平均的な陸上の生物に比べて二倍以上速いと。

  

 

気が滅入る話が続きますが、「海」を取り巻くもう一つの難題が「酸性化」。世界の海の表層海水のpH(水素イオン濃度指数)は、㏗8.1の弱アルカリ性だそうですが、「酸性化」が進んでいることが懸念されています。

 

大気中の二酸化炭素濃度、産業革命以前は約278ppmだったものが、近年は約400ppmに上昇していると。このままの状態が続けば、今世紀末には800ppm、来世紀の半ばには1200ppmになることを想定しての実験結果が紹介されています。

 

二酸化炭素が海に溶け込むことによる影響としては、植物プランクトンのサイズが小型化するそうです。海の「食物連鎖」というのは大変に複雑なシステムとのことですが、単純化すると「植物プランクトン→動物プランクトン→小型魚→大型魚」となり、基底として植物プランクトンの変化は連鎖の構造を根底から変えてしまう恐れがあると(短絡的に言えば、大型魚類が成長しにくくなる。また、炭酸カルシウムの殻、骨格を持つ生物(ウニ、アワビ)が暮らしにくくなると)。

 

 すでに2012年の時点で、二酸化炭素の排出がこのままのペースで進行していけば、海の「温暖化」と「酸性化」により、2070年代には日本近海のサンゴは全滅するとの調査報告も出されていた由。

 

「どうなる未来のお寿司屋さん!。海は地球の表面積の7割を占めている。陸上の変化と同等以上に、海中での変化にも注意が必要である。待ったなし!」。”待ったなしで対応が必要です!”、NHK的纏めではつまらないと思いますが、”旬が無くなる、季節感が失われる、俳句の季語はどうなるのかしら”などと、のんびりしたこと言ってる時では無いのかも知れません。普段、問題意識の乏しいモノにとっては大変に刺激を受ける啓蒙の書でありました。

 

気が重くなる中で、面白い記述がありました。大阪のことを指す「なにわ」という言葉ですが、「難波」「浪花」「浪速」等々と表示されていますが、「魚庭」と言うのが語源だという説があるそうです。魚の庭=魚が多く取れる場所。大阪湾は魚介類の豊富な海であったことを示すのだそうです。面白いですね。筆者の見立てでは、今後、鱧(ハモ)は増えるが、アナゴは減るとか。僕は両方とも美味しく頂けますから、アナゴも負けずに頑張って欲しいものです。

 

 

菅首相の初めての所信表明演説が10月26日の臨時国会でありました。成長戦略の柱の一つとして「経済と環境の好循環」を挙げ、「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボン・ニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言する」と謳いました。

 

演説自体は、首相指名から41日目という「異例の遅さ」であったとか、日本学術会議の会員任命(の拒否)問題に触れていない等々の批評・批判がありましたが、演説のなかではこの項目が目玉であったと思います。

演説の骨子は(NHKニュースの抜粋です)、1. コロナ対策と経済の両立、2.デジタル社会の実現、3. グリーン社会の実現、4. 活力ある地方を創る、5. 新たな人の流れを作る、6. 安心の社会保障、7. 東日本大震災からの復興、8. 外交・安全保障、9. おわりに。となっていました。

 

「2050年(温室効果ガスの排出量を実質)ゼロ目標」は、すでにEUをはじめ多くの国・地域で目標に掲げられていますが、今まではっきりした方針が無かった中で、遅ればせながらもスタート時点に立ったと。「今回の発表は日本経済の転換点となりえる」と評価する声も多くありました。

 

12月8日の臨時閣議では追加経済対策が決定され、この温暖化ガス排出「実質ゼロ」や官民のデジタル化に全体の7割を投じると報道されています。2030年には水素を主要燃料にするとか、また、政府発表を受けて東京都は早速に、”2030年までに都内販売の新車は全てHVかEVなどの電動車に切り替える方針”を発表とか、動きが活発になってきました。

 

政府・行政のやることにはカネも時間もかかりそうな気がします。新聞論調を見ても「コロナ危機を受けて兆円単位の予算がまかり通るようになった」「巨額の国費が”賢い支出”につながるか継続的に検証する必要」等々の危惧が強くなっているかと。政府の大方針に伴い、民間企業も動き出しています。やはり、民間企業の取り組みに期待したいものですねえ。

 

ちなみに、企業の環境対策を調査している報告書があるのですが、最新の報告書では、最高評価「Aリスト」に日本企業は66社が入り、国別では2年連続して最多になっているそうです(朝日新聞、12/9記事)。ロンドンに本部のある国際環境NGOがやっている調査ですが、「企業に気候変動、水、森林の三分野での取り組みに関する質問」を送り、「8段階で各付けして公開している」ものです。機関投資家が投資判断の材料として使い、企業側もアピール材料になるとの認識です。「Aリスト」にはトヨタ自動車花王などが選ばれている由。

 

 

2030年には僕は80歳、2050年は100歳。そもそも生きているかどうかが問題になる年齢ですが、元気に家族と一緒に馴染みのお寿司屋さんに入って「大将、いつものやつ、握って頂戴」なんて注文出来ていれば楽しいでしょうね。その時の「いつものやつ」にマグロも、ウニも、アワビも(アワビは歯が心配かな)、サンマも(寿司屋では無理か)、今、食べることが出来ているお魚が出てきてくれることを期待したいものです。

 

 

 おまけの料理です(僕の料理は「海の幸」を使っていないなあ。再認識しました)。

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左、トリ手羽先、サトイモ、ニンジンのごまみそ煮。柚子の皮を刻んで。サトイモ、ニンジンは鯱城学園・園芸科の畑で収穫したもの。柚子は班長さんからお裾分けで頂いたもの。柚子の香りがごまみその味と想像以上によく合って旨かったです。2020年12月6日、料理と撮影。

右、豚の角煮、ニンジンと煮タマゴ。タレの出汁をかけないで撮影しました。失敗。もう少しトロトロに見えたはずなのに。残念。ゆで卵の作り方(皮の剥き方)は、ドラゴン先生のワザに加え、師匠からの指導もあり”つるりと剥ける快感”を会得出来ました。2020年12月7日、料理と撮影。

 

 

 

11月のNHK俳句

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 くろ谷金戒光明寺にいらっしゃるアフロヘアスタイルの仏様。ドラゴン先生のお気に入りです。2020年11月15日、撮影。

 

 

11月のNHK俳句のまとめです。引き続き、僕の備忘録として記載しています。お付き合い頂ければ嬉しいです。 

 

11月第一週、司会は戸田菜穂さん、選者は小澤實さん。今週の兼題は「インバネス」です。いきなり、前回に続き吉本興業宮戸洋行さんがインバネスを羽織って登場しました。インバネスとは明治時代に流行った、男性が和服の上に着る、ゆったりとした袖なしの外套です。宮戸さん、なかなか良く似合っていました。ゲスト「令和の新星」は西村麒麟さん(男性です)。西村さんの「インバネス」の句が紹介されました。

 

  インバネス死後も時々浅草へ   西村麒麟

 

小澤さんはこの句の主人公を「文豪永井荷風を思い出す」とイメージされましたが、西村さんからは俳人の八田木枯さんを描いた句とのお話がありました。西村さんが俳句にハマるきっかけになったのは、山頭火の句とのこと。

 

  どうしようもないわたしが歩いている   種田山頭火

 

小澤さんが好きだと言う西村さんの句です。中国の故事を踏まえた句とか。

 

  へうたんの中に見事な山河あり   西村麒麟

 

西村さんは俳句の勉強のために原稿用紙に句を書き写しているそうです。作者ごとにまとめてあり、もう何十枚(もっとかな)にもなっている由。小澤さんに言わせると書き写すというのは”自分の体のなかに(その句が)沁み込んでいく”ことになり、勉強には大変に良い方法だそうです。

 

今週の特選三句です。

 

三席   このインバネスなら質草になるか

二席   パビナール依存斜陽をインバネス

一席   インバネス脱ぎ給え酒飲み給え

 

一席の選者評、”酒飲みが友を迎え早く一緒に飲もう!という願望が表されているのが面白い”。選者、お酒大好きの小澤さんの願望ですかね。ゲストの西村さんもこの句を取っていました。戸田さんも同様で、”中原中也がイメージされる”と想像を膨らませていました。この方の感性もなかなかのモノです。特選以外の面白いと思った句です。宮戸さんが取っていました。熱海の海岸の像が写されていましたが、笑ってしまいました。 

     インバネスの貫一よ足蹴はだめでせう

 

この後、ゲストの西村さんの奥さんがオンライン音声で登場。西村さんは「俳人の系譜」を奥さんに毎日レクチャー続けているとか。また、奥さんは毎朝、兼題を出して(お題は、昨晩の料理とか日常のモノが多いそうです)西村さんが必死になって作句しているとか、大変に仲の良さそうな気配が伝わってきていました。益々のご活躍をお祈りします。

 

 

第二週は、司会が武井壮さん。選者は対馬康子さん。ゲストに、DAPumPのKENZOさん。武井さんとは大変な仲良し、武井さんの後輩になるそうです。対馬さんの今年のテーマは「こころを詠む」ですが、今月は「心と体」。冒頭、KENZOさんから「ダンスはもともと言葉でなく、身体で表現するもの」との話が出て盛り上がっていました。今週の兼題は「手袋」。特選三句です。

 

三席   狐火や手袋買いに来たりしか

二席   手ぶくろへ蕾のやうに手のかたち

一席   鳥の抜け殻として拾う手袋

 

三席は「狐火」「手袋」が”季重なり”ではあるが許される範囲であると対馬さんから説明がありました。この辺りの”範囲”というのが初心者にはなかなか理解し難いところです。二席はゲストのKENZOさんも取っていました。パフォーマンスの時、手の形はいつも大切に注意しているそうです。一席は「鳥に”抜け殻”は無いが、そう詠んだことで喪失感が表現されていると感じた」と。対馬さんらしい選句のように感じました。対馬さんの兼題句が紹介されました。

 

     手袋の五指恍惚と広げおく   対馬康子

 

これをスタジオでKENZOさんがダンスで表現。また武井さん、KENZOさんが「心と体」をテーマに詠んだ句の披露がありました。

     鞍越しの鼓動尖りて冬来る   武井壮

     秋の声体に問いかけ夢に舞う   KENZO

     ジャンパーを脱ぎ捨てて立ち夢に舞う   KENZO

 

対馬さんも「体を通じて、身体を動かして感じ取る。そんな表現を教わりました」と高く評価していました。お二人とも、大したもんだと感心します。

 

 

第三週は、司会が岸本葉子さん。選者は、西村和子さん。そしてゲストはあのレスリングの浜口京子さん。京子さんは二年前ほどから俳句を楽しんでいるとのことで、ご自分の俳句ノートを持参、披露されていました。一頁に句と絵が書かれて(描かれて)います。先生に付かれて句会、吟行にも参加されている由。絵を描くのは小さい時から大好きだったとか。句との構図もよく色彩感覚にも秀でていると思いました。今週の兼題は「茶の花」ですが、京子さんの句です。 

   茶の花や子のとき食べし菓子に似て   純気

 

純気というのは京子さんの俳号で、「純粋」と「気合!」とのことです。京子さんはいかにも純粋・素直・無邪気・穢れの無い(ナント表現すれば良いのか悩みますが)メルヘン調の語り口でした。今週の特選三句です。

 

三席   白き猫茶の花垣に消えにけり

二席   茶の花や赤児を抱いて姉戻る

一席   茶の花や舞妓の下駄の軽やかに

 

一席の句についての選者の評。「省略が良く効いている、場所、時を説明していないがその情景がパッと見えてくる」と。西村さんによると、この場所は栄西さん開山の京都建仁寺、「舞妓の下駄」から夜では無い、お昼の景色というのが良く分かるとのことでした。

特選に選ばれませんでしたが、面白いと思った句です。

     茶の花や先ずは天気の話など

 

今週の「ようこそ句会へ」は「袋回し」の紹介でした。前回のブログで「探題」のことを先走って書いてしまいましたが、改めて「探題」というのは「詩歌や俳句の会で、いくつかの題を出し、各人がクジで探り取った題によって詩歌を詠むこと。”さぐりだい”」。「袋回し」というのはこの「探題」の名残、変形と言われるもの。

 

このお三方にあと二人の方が加わって、実際に「袋回し」をやっているのをビデオ放送されました。

各自がそれぞれ封筒一枚に題を書く。季語でも良いし、名詞でも動詞でも漢字でもカタカナでも良い。その題で、出題者が一句作り短冊に書いて封筒に入れて、他の人には題が見えない様にして、次の人(右隣の人)に回す。回された人はその封筒に書かれている題で句を作り短冊に記載して封筒に入れ、更に次の人に回す。これの繰り返し。五人いれば、一つの題に対して五句が封筒に入れられて最初の人のところに戻ってくる。それを清記する。あとは選句、披講と句会が進んでいく、というもの。

回って来た時に、題を声に出してしまうのはご法度。平然と寸時考え、さらさらと短冊に記し、袋に入れて隣に回す。これを3-4分で熟す。放送でもそうでしたが、ベテランが右隣にいて、回すのが遅くなったりすると「暇だなあ!」とかプレッシャーの言葉がかかってくるそうです。西村さんに言わせると「速く作ることを楽しむ」「集中力を高めることが出来る、作句の訓練になる」そして「苦し紛れに詠んだ句にろくなものはない、と思うかも知れないが、袋回しで咄嗟に詠んだ句が今でも愛着の句になっている」と大変に効用が多いことを紹介、やってみることを薦められていました。僕は残念ながら、全くの不得意分野かと感じてしまいました。封筒ため込んで「やーめた、パス」なんて言いそうです。

 

 

第四週です。櫂未知子先生の「俳句さく咲く‼」。生徒サンはレギュラーの四人が出席。宿題のお題は、「冬めく」「初時雨」「枯野」「蒲団(ふとん)」「熊手」「鴨」「山茶花(さざんか)」それと自由三句。前回同様、8点を頂く句が増えてきました。生徒さんの勉強の成果ですね。<羨ましい>。いくつか紹介します。塚地さんの”冬めくや”がいいですねえ。

 

  冬めくや鍋底の焦げ落としたり   塚地武雄

  たそがれの枯野を歩く子が一人   塚地武雄

  冬めくや犬の遠吠え轟ぬ      いとうまい子

 

今週の学習テーマは、「ほんの少し、文語」。俳句は文語が基本ですが、櫂先生に言わせると”現在の俳句は文語と口語が混然一体になっている句が多い”と。櫂さんが文語を支持する理由はいくつかあるそうですが、着地がキレイ、切れ字に馴染む、文語は「音数を節約できる」。それから「成功した口語表現は一回しか(使用)できないが、文語は繰り返し用いられてきたので、作者皆で共有しやすい」というものでした。「口語は一回性、文語は繰り返し」とテクストに記載がありました。<なるほど>。

 

この後、番組ではお馴染みになった「吟行」に。体育館のようなところで「竹馬」に挑戦。竹馬の先生が歯医者さんの方だとかで、竹馬で縄跳びをしたり、竹馬に乗ってトロンボーンを吹いたり。トロンボーンの曲は「焚火」でした。「竹馬」「縄跳び」「焚火」全て、季語だそうです。吟行「竹馬」の句は省略します。最後はミニ句会、お題は「冬ざれ」。塚地さんが特選に選ばれ、今週は二冠達成。塚地さん、急速な上達ぶりです。

   冬ざれにつめたき門を閉めにけり   塚地武雄

 

今週の投句の兼題は「人参」、大賞に選ばれた句です。

   人参や地平線にも齢あり

面白いと思った句です。鯱城学園の園芸科の畑で体験したことを思い出しました。

   人参を抜く穏やかな大地より

 

櫂先生の句です。テキストに掲載されていました。

 

   ゆるゆると人参洗ふ日なりけり  未知子

 

この句、いいですねえ。

 

テクストの櫂先生の添削コーナーにドキっとするような記事がありました。9月号の兼題は「玉蜀黍(とうもろこし)」でしたが、”取り合わせ”の(陳腐な)例の説明です。

 

   ○○○○を吹くように食む玉蜀黍

   唐黍を○○○のごと喰ふ少年

   唐黍を食ぶ○○○○を吹くように

更には、

   玉蜀黍〇ー○○〇の如吹いてみる

   玉蜀黍〇ー○○吹くやうに食べ

 

〇〇〇〇の答えは「ハモニカ(ハーモニカ)」。投句のなかに100句近い類句があったそうです。他の楽器との取り合わせは無し。「”自分がハモニカを思いついたぐらいなのだから、他の人も”と思ってください。人の発想にはそれほど差はありません」と(厳しい指摘がされていました)。僕がハモニカを取り合わせた訳ではありませんでしたが、”有り得るなあ”、と感じた次第です。怖い、怖い。

 

11月号のテキスト表紙に掲載されていた句です。

 

   跳び箱の突き手一瞬冬が来る   友岡子郷

 

テキストを買って表紙を見た時に、作者を正岡子規と勘違いしておりました。”子規さん、現代的な句を詠んでたんやねー”、”あの時代にも跳び箱普及してたんやあー”と思い込んでいたのですが、今、書き写して見ると自分の思い違いに苦笑い。子規さんにも、友岡さんにも大変に失礼いたしました。小澤さんのおっしゃる通り”書き写す”というのは大変に効果があると思います(意味が違うかも知れませんが)。

この句に櫂さんが選・鑑賞を書いていました。「『冬に入る』でもなく『冬来る』でもなく、『冬が来る』。俳句が一瞬を切り取るものだとするならば、まさしくその句はそう。躍動的で忘れがたい作品となった」。おっしゃる通りだと思います。

 

おまけの句です。櫂さん宿題の「冬めく」という季語が良いなあと思ったので。

  冬めくやあと一枚を重ね着て   孔瑠々

  冬めくやさはさりながらぬる燗で   

  冬めくやタコ焼なんぞ久しぶり

吾ながら駄句ですねえ(恥ずかし)。

 

 

おまけの料理です。 

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最近、焼きそばに凝っています。野菜をたくさーん入れて。味付けは麺にお酢と醤油・お酒で下味をつけておいて、フライパン(鉄鍋、もちろん、自慢の「戦艦大和」で)で炒める時にウースターソースを投入する。あっ、忘れました。油揚げも刻んで投入しています(豚肉も適当に)。野菜、油揚げと麺がうまく混じり合って美味しく頂いてます。2020年11月26日、料理と撮影。
 

 今回も、アップする最後の時に、”COOKIE"云々が表示されてナカナカに苦労しました。当初からお世話になっているエキプロさんにメールで教えてもらってなんとか更新することが出来ました。感謝、感謝です。

京都一周トレイル・東山コース、その2.

京都一周トレイルの二回目です。今回は、前回の東山コースの続き、北白川からケーブル比叡までのコースを歩きました。これで、京都一周トレイルのなかの東山コースの2/3程を歩いたことになります。

 

11月14日・土曜日、早朝、名古屋を出発、京都に向かいました。”一日目に山歩きを行い、その夜は、ゆっくりと反省会をして、翌日は京都市街を散策してから解散しよう”とのアイデアが出てきて、”それならば、京都に二泊して前日は前夜祭をやろう”、との盛り上がりを見せたのですが、幸か不幸か、お互いそこまで時間に余裕はなく、前回同様に一泊二日での挑戦に落ち着きました。

朝、まだ暗いうちに名古屋の隠れ家を出発。朝の早いのは一向に気になりませんが、前回よりも寒さ対策を十分にやっておかねばと、どうしても荷物が大袈裟になります。今年はとにかく風邪を引きたくないので、少々、荷物が重たくとも寒さで”ブルっ”とする瞬間をなくすように心がけています。例年、冬になると一回か二回、風邪を引いてしまいますが、いつも風邪を引くのは「油断して薄着をしていて”ブルっ”と感じた時」に引いていると分析しています。重ね着をしておいて、暑く感じる時には順々に脱いでいけばよい、と慎重に対応しようと。

 

ドラゴン岡崎マンションに7時半ごろに到着。ドラゴン先生、普段の朝食=ゆで卵とパン、野菜サラダとコーヒーが準備されていました。手際の良いこと。ゆで卵がキレイに向かれた状態で出てきたのにビックリ。作った時、熱いうちに水で冷ましながら皮を剥いてしまうのが極意とか。ゆで卵には(にも)一家言あり、ゆで卵作りには(にも)大変な自信を持たれています。

前回よりも今回のコースのほうが長くてキツイであろうとのことで、準備を整えて早めに出発。「京都一周トレイル」の回り方・歩き方の解説資料・本はたくさーん出ていますが、ネットで検索できる京都府山岳連盟トレイル委員会という大変に権威のありそうなガイド資料によれば、今回のコースの起点は、北白川仕伏町バス停前ということになっています。ここに向かって”くろ谷さん”から銀閣寺町経由して歩いたつもりだったのですが、チョット道を間違えて、白川沿いの近江神宮滋賀県)への道を登ってしまいました。無理してこのルートを進む手もあったのですが、二人とも基本に忠実な性格なので(?)間違いを素直に認め元の道に取って返しました。ガイド資料にある「仕伏町バス停」でコースに入る脇道のポイントに気づくのが難しいということが良く分かりました。指標・方向指示の目印が全く無し。京都は景観を大切にしようと看板の類を限りなく少なくしているそうですが、さすがのドラゴン先生も「ここには標識があってもよいなあ」と。

 

ドラゴン先生が「白川」を解説をしてくれました。「白川夜船」(=行きもしないで京見物をしてきたと称する人が、白川のことを聞かれ「夜船でぐっすり寝ていたので覚えていない」と答えて嘘がばれたという故事から、ぐっすり寝込んで何も覚えていないことをいう---ガイド資料より)の白川は確かに船が浮かぶような川ではありませんでした。ドラゴン先生はもっとイロイロと説明してくれていたのですが、その時にはちゃんと理解して聞く余裕がなく、右から左に通り抜けていました。

後日調べてみましたら、なるほど、イロイロな意味があるような。「白河夜船」とも「白川夜船」とも書くようです。「白河」はもっぱら地域の名前(=鴨川の東、岡崎を中心にして北白川から東山、南は栗田口)を指すようです。一方の「白川」は川の名前。比叡山~如意ヶ嶽の水が川となり北白川で京都盆地に入り最後は鴨川に合流している川。故事に出てくるおっちゃん(おにいさん、かな)は地域の「白河」を川と間違え、更に「白川」が船が浮かぶような川では無いことも知らず、二重の間違いをしたことになるのかと。このことわざの解釈も「熟睡していて何も覚えていない」という意味と「知ったかぶりをすること」の二通りあるとか。京都の諺は奥が深い?。

また、北白川は「白川岩」の産地として有名な地域でもあり、白色中粒の黒雲母花崗岩が容易に取ることが出来たことが京都の景観に寄与しているそうです。---これ以上続けると「知ったかぶり」の白川夜船になってきそうですので、この辺で”物知り話”は止めておきます。

 

この後は、標高300mほどの瓜生山から標高400mほどの石鳥居にかけて、ほぼずっと「登り」ながらも尾根筋をゆったりと歩く道が続きました。おじさん二人ともに予想より楽に気持ちよく歩けるコースに大満足。”このコースはちょうど良い!、いくらでも歩けそう!”。

交叉点・分岐点では別なところから登ってくる人ともすれ違います。気持ちよく歩いていますから声も出ます。関西のおばちゃんの大群(といっても10人から15人ほどですが)と出会いました。皆さん、お疲れなのか意外と物静か。すかさず、ドラゴン先生がエールを送り(チャチを入れて)「もう少しだよー、もぅちょっとだよー、頑張ってー」、息を吹き返したおばちゃんから「ホンマかいな、みなさん、そない言ワハルけど着かしませんわ」と苦情が飛んできました。

 

関西のおばちゃんを冷やかした祟りか、石鳥居を越したところから登り下りの繰り返し。それもかなりの急坂、丸太の橋を跨いで三本の沢を超すことに。これでかなり体力を消耗しました。僕はそろそろ膝が不安になってきました。

最後の登り。距離は大した事無さそうですが、200m弱の登り。ほぼ一本調子の登り。これが辛い。この辺りで実力差が明らかに。若い人、年寄・年配の方でもいかにも山歩きに慣れている方にドンドン追い越されました。追い越される時には、それでも見栄をはり「こんにちはー」とニコヤカに声をかけましたが、ホントはもうフラフラ状態。元気に活躍していたウルトラマンが残り三分を切ってゼイゼイと息を切らせている気分です。体力低下、”もうあきまへん”と思った時に、電波塔の一部がチラリと覗けました。”おぉ♪、もう目と鼻の先”、途端に元気回復。一歩一歩を踏みしめながら、最後の見栄を張り、余裕のポーズで悠然と展望ポイントに到着することが出来ました。助かった。お疲れ様でした。

 

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ケーブル比叡駅手前の展望場所から。京都市街が一望出来ます。更に遥か先には生駒・葛城・金剛山らしき山並みが見えました。案内版には、大阪のビル群も見えるとの記載があり、注意して目を凝らしたら、確かに大阪市内の高層ビル群、そして左側、やや離れたところにはひときわ図体のデカい阿倍野ハルカスも見ることが出来ました。

 

今回もかなりフラフラになりながらの山歩きでしたが、気が楽であったことは、下山には叡山ケーブル叡山電鉄を利用する予定であったこと。もともと下りが不得意な僕には願ったりかなったりのコースでありました。

 

叡山ケーブルに乗車すると、叡山駅から麓の八瀬駅まで約9分で下山出来ます。「何時間もかけて登ったところをたった9分で降りてしまうとは、ナント、勿体ないことか!」との声も聞こえてきましたが、僕にとっては大変に有難いことでした。

八瀬駅に1時半ごろに到着、約5時間ほどのトレイルを無事に終了することが出来ました。因みに叡山駅と八瀬駅の高低差は561m、ケーブルカーとしては日本最大とのことです。

東山コースの次のコース、北山東部コースは、このケーブル叡山駅がスタート地点になっています。残念ながら、このケーブルカーは冬季は運休されています(正月の三が日だけは初詣のお客さんように運行するとか)。北山コースは来年の楽しみですかね。

 

比叡山山頂には、ここから更に叡山ロープウェイを利用して登ることが可能です。2018年の五山送り火の時には、仲間の車で延暦寺・東塔地域に立ち寄り、改修中の根本中堂を見学したことを懐かしく思い出しました。かつての記事を埋め込んでおきます。

 

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 その日の夕食には、ドラゴン先生の娘さんご夫妻も参加。楽しく歓談出来ました。お二人とも山歩き(山登り)大好き人間、「京都一周トレイル」はすでにすべてのルートを二人して完走された由。我々が多分来年、北山コースに挑戦する時には「都合付けてご一緒します」と嬉しいことを言ってくれました。

 

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翌朝、11月15日・日曜日、京都散策。朝食をイノダ珈琲店で楽しんだ後、錦市場で買い物したり、本屋さんを覗いたり。この日も元気に歩きまくりました。写真は、ドラゴン岡崎マンションの北側にある真如堂。紅葉がキレイでした。

 

 

名古屋の隠れ家に戻り、軽い夕食の後、お酒を飲みながらNHK麒麟がくる」を見ていたら、信長が叡山の僧兵に悩まされる時代局面になってきていました。宗教の力は大変なものだと思いますが、あんなに険しい山の中を飛び回っていた僧兵というのは体力的にも凄かったんであろうと推察します。

 

「因みに」のおまけです。延暦寺の根本中堂から修学院離宮への最短コースは「雲母坂」と呼ばれる山道です。有名な千日回峰行の行者道だそうです。今回のトレイルでも途中に交差するポイントがありました。「都から見ると夕雲が覆って雲が生じるように見える為」というのが名前の由来だそうですが、一説には「花崗岩の砕けた地質で土砂に雲母が含まれるため」だそうです。いずれにしても読み方は「きらら坂」です。「うんも坂」とは読みません。「うんも坂」と言った時に厳しい突っ込みが入ったことを、今、思い出しました(行者が走り回っていたにしては「きらら坂」なんてカワイ過ぎるかと思いますがね)。

 

 

おまけの料理です。 

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農園で収穫したサツマイモを中心に。煮込み料理なのですが、バーミキュラ鍋で水分を少なめにして弱火で時間をかけて。蒸し料理にようになりました。野菜の自然の甘みが美味しい。今回は、写真貼り付け等々の作業の調子が良いのがうれしいです。11月17日、料理と撮影。

 

 

11月18日・水曜日。ドラゴン先生と反省会を兼ねて会食。今回は久しぶりにモッタさんも参戦。コロナ禍で騒がしい中ですが、コロナ対策を真剣にされて営業を続けているお店に。気持ち的にはお店への陣中見舞いも兼ねての会食です。

京都トレイル、次回は東山コースの起点、伏見桃山から伏見稲荷、さらに伏見稲荷から蹴上までになりそうです。これを歩けば、東山コースは全て走破(歩破)することになります。概してなだらかな起伏のコース、名所旧跡がたくさん楽しめるコースのようです。「因みに」が増えるかも知れません。

 

おまけの一句、

 

   比叡駅ケーブル待ちの小春かな   孔瑠々

 

この日は春を思わせる麗らかな日で寒さ対策の衣類はほぼ不要でした。嵩張った荷物は無駄になりましたが、気持ちよく歩くことが出来ました。引き続き油断しないで凌いでいきたいものです。

 

最後までお付き合いありがとうございました。コロナがまた騒がしくなってきています。皆さま、くれぐれもご自愛のほど。

 

読書の秋、その2.

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名古屋市千種区平和公園、いつもの散歩道。紅葉がキレイになってきました。2020年11月8日、撮影。


その後も、千種区図書館で借りた本を読み続けています。メールで追加の貸し出し予約の申し込みをしたら「三冊の準備が出来ました。取りに来てください」という案内を頂きました。最近に出版された本は順番が回って来るのに時間がかかりますが、数年前のモノは比較的に早く準備してもらえます。ハードカバーが三冊、貸出期間は二週間です。読めそうで、なかなか、時間が取れないものですねえ。期限内に読了できるか、やや、焦ります。”返却期日を意識しながら読むというのも面白いものかな”と何とか読み終えました。引き続き、”食べ物・料理”関連の本です。僕の備忘録です。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

今回の一冊目、『人類はなぜ肉食をやめられないのか・・・250万年の愛と妄想のはてに』。筆者はマルタ・ザラスカさん、ポーランド系のカナダ人の方、サイエンス・ジャーナリストでフランスとアメリカを活動拠点にしている方。訳は小野木明恵さん、翻訳家。発行は、インターシフト社。2017年6月第一刷。

 

原題は、「MEATHOOKED--The history and science of our 2.5-million-year obesession with Meat」。タイトルから想像するに「人間には肉食を止めることが出来ない理由があるのだから、肉食を避けようとする試みは難しいこと(無理なこと)であるよ」という趣旨の本かなと思っていたのですが、全く逆で、筆者は「そんな固定観念を捨てて、もっと、野菜、穀類、果物、豆にウエイトを移した食事に転換していくべきだ」という至極もっともなことを人類250万年の歴史を紐解いて述べている本でした。

 

問題提起としては「(読者の対象をアメリカ人中心に捉えていると思いますが)アメリカ人は肉を食べ過ぎであること、それにより癌、糖尿病、心臓疾患が増加している。健康に悪いことは周知のことのはずなのに、肉を食べることを止めない。一方では、人類に肉食を提供し続けることは、すでに地球を痛めつけることに繋がっている。また、別の観点から肉食には動物愛護、倫理的な問題も孕んでいる。それでも、人類は肉を手放せない。何が人類を肉に駆り立てているのか?そもそも、何故、肉を食べたくなるのかを知らずして、肉食を断つのは難しいだろう。」というものでした。

 

人類250万年の食の歴史は面白いです。「最初は、種子、木の実の味を覚えた。石の道具を発明、その道具が動物(死んだ動物)の処理を可能にした。肉食への転換が進んだ」。250万年前には、動物の肉を解体していることが分かっているそうです。「脳が大きくなるためには、別な臓器が小さくなる必要がある。肉食により少量で栄養・カロリー豊富な食を取ることが出来るようになり、その結果、腸は短くなり、脳が大きくなることに繋がった」。「火」を調理に使うようになったのは79万年前とのことですが、とにかく、調理により肉食が進んだ由。当時の気候変動(雨量の減少)も大きな要因であったそうです(木の実等が十分に育たず、採取だけでは生きていけなくなった)。

 

当時から、特に大きな獲物を狙っての”狩り”は単に食料を確保するだけの理由では無かったそうです。自己顕示・駆け引き・セックス等々、社会生活との繋がりが大きな理由であったとか。人類がそもそも「肉食動物」であったのかというと、そうではない。典型的な「雑食動物」。・・・「雑食動物のジレンマ」という本もありましたよね。・・・それにもかかわらず「肉飢餓」ということがあるそうです。他の食べ物が量的にも栄養的にも十分にあるにもかかわらず、肉を食べたくなる。肉食を止めることが出来ない。舌と鼻が肉の虜になっているのかとの問題提起です。

 

「惹きつけられる味の秘密」の章では、池田菊苗さんが「うまみ」成分を発見した話、その後、鈴木三郎助さんと「味の素」を生産・発売する話が記載されています。欧米の科学者が「うまみ」成分に懐疑的であったこと、「うまみ」が第5番目の基本的な味として認められるまで約1世紀かかったこと。「肉をおいしくする方法」の章では、「神戸牛=霜降=おいしさ」と神戸牛の育て方を説明されていたり、「もっともっと欲しくなるように」の章では、アメリカでの「夕食はビーフ‼」キャンペーンや、「肉食を控えよう」との動きには牛肉業界団体の圧力が凄い、とか。それぞれの利害関係者の努力、工夫、圧力により肉食から逃れられない仕組みが出来上がっていることが細かく記載されています。

 

牛は「カウ」ですが、牛肉のことは「死んだカウ」とは呼ばず、「ビーフ」という全く違く名前を当てていること(豚も同様「ピッグ」と「ポーク」)で、死んだ動物のことを楽に忘れることが出来ていることを指摘し、イメージで肉食を減少させようとするならば、ジョージ・バーナード・ショーが提案したように、肉を「動物の焦げた死体」と呼べばよい、そうすれば肉を喜んで食べる人が減るのではないか、とか。

18世紀の日本で、馬の肉を「さくら」、鹿の肉を「もみじ」、猪の肉を「ボタン」と言い換えていたのも、同様に、死んだ動物のことを楽に忘れられるように、との指摘がありましたが、これはチョット意味が違うように感じました。

 

筆者の捉えている、人類の食のステージの説明があります。

「最初は収集(狩猟と採集)、第二ステージに気候変動に伴う飢饉、三番目が農業の改善による飢餓機会の減退、第四ステージが欧米型の食事。肉が中心で豊富にあり、肉の取り過ぎによる疾患が多い。この第四ステージに、日本をはじめ中国、インドが近づきつつある。そして、第五ステージは、栄養転換の最終ステージであるべきで、地球規模で持続可能な発展のためには、肉をもっと減らして、野菜、穀類、果物、豆を取る食事に行動を変革していくべきだ」というものです。

 

ご尤もな主張だと思うのですが、この本を読んで、その主張される方向に向かって行動を変革するという説得力は残念ながら感じられませんでした。個々のお話は面白かったのですが、『雑食動物のジレンマ』の方が、農業そのものから紐解いて納得できそうに思います。『雑食動物‥』の本は、全米での「炭水化物恐怖症」の広がりが切っ掛けになって書かれた本でしたが、「肉食」で悩んだり「炭水化物」を忌み嫌うようになったり、アメリカ社会も「飽食の時代」なのでしょう(端折って言ってしまえば、彼の地の方々は、”食べ過ぎが問題や”、と言いたくなりますがね)。

 

以前の記事「雑食動物のジレンマ」を書いたブログを埋め込んでおきます。 ご参考まで。

kururupapa.hatenadiary.jp

 

 

 

二冊目です。タイミングよく、一冊目がアメリカ社会での”食べ過ぎ”をテーマにした本であったのに対して、日本の食生活、食文化を自画自賛している本です。

 

『「和の食」全史・・・縄文から現代まで 長寿国・日本の恵み』。著者は永山久夫さん、1932年生まれ、食文化史研究家、長寿食研究所所長。古代から明治時代までの食・復元の第一人者として活動されている方。河出書房新社。2017年4月初版発行。

 

「全史」とある通りで、縄文時代から現代に至る日本の食事、料理を総覧した大著です(全362頁)。筆者の「和の食」の捉え方は、「主食はコメのご飯であり、ご飯+味噌汁+漬物の三点セットが基本である。そして、米(ご飯)の食味に合致することが和食料理の原則である」と明解です。日本人が食べている食材の数の多さは世界でトップクラスであり、栄養のバランスのとれる食事につながっており、その結果、世界でも一二を争う長寿民族(国家)になっていると「和の食」を称賛されています。

 

縄文時代の記述が面白いです。約1万3千年前の縄文人。それ以前の料理法は、「焼く」「天日干し」「燻製」しかなかったものが、「煮込む・茹でる」「スープを取る」方法を確立していた由。筆者に言わせると「一大料理革命!が起こった」。約1万年前の縄文土器胴長の深鉢で、これは「世界最古の煮炊き用具」であったそうです。当時の貝塚からはシジミ、アサリがたくさん発掘されていますが、当時から「うまみを理解して、うまみ成分を楽しんでいた」=縄文グルメ時代と。この頃から、採取・狩猟・漁労の三本柱=「雑食性」による食材の多さは驚異的で、また、季節ごとに旬のモノを味わうことが健康管理につながっていたそうです。

また、ハマグリ、カキなどの養殖をやっていた痕跡も残っており、ストーン・ボイリング法(底を粘土で固め水を張り、そこに貝を入れて、焼いた石を投入して加熱処理する)で水産加工の工場まで持っていたとか。保存性の高い干し貝は貴重な交易品であったそうです。

稲作が普及するまでのカロリー源は主として木の実類であり、日本の山は再生産能力が高かった。ところが、縄文後期に気温が下降、木の実の採取量が減少した。大陸から農耕、水田耕作・米作りが伝来し広がっていくことに繋がっていくそうです。3千年から2千400年前の時代のこと。

 

そして、弥生時代水田稲作が普及し、主食の「米」と縄文系の食材=副食が合わさり、和食の原型が確立された。いわゆる「ご飯とおかず」が確立した時代。

 

時が移り、天武天皇の時代。675年に「肉食禁止令」、一義的には仏教伝来の影響らしいですが、これ以降、江戸時代末期まで約1200年続くことになるそうです。肉を補うために魚と大豆加工食品が重宝されたことに繋がります。

 

長屋王天武天皇のお孫さん、当時の最高実力者)は、美食家で風流人であったことでも有名だそうですが、牛乳を煮沸殺菌し煮詰めて「蘇(乃至は、トリヘンに禾)、”そ”」を作って食べていたそうです。筆者は古代食の再現で有名な方ですので、同じ作り方で「蘇」を再現したところチーズケーキかミルクキャラメルのような美味なものが出来たとか。

牛乳加工は平安時代にはさらに発達して「酪」と呼ばれる乳の粥も作られていたそうです。高貴な方のみが口にできる健康食、医薬品・滋養強壮食です。

 

鎌倉・室町を端折って、戦国時代に。戦国時代、武士が参戦する時には、三日分の兵糧を持参する慣わしであったとか。「打飼袋(うちかいぶくろ)」に握り飯・米・味噌・梅干し・鰹節を入れて肩に括り、竹筒・瓢箪の水筒を下げて、更には「芋の茎縄」(芋ガラ縄、ズイキ縄)を腰に巻いていたと。この「芋の茎縄」というのは、サトイモの茎を乾燥させて紐状にして味噌で煮込んで更に乾燥させて縄にしたもの。戦国時代の代表的な野戦食(レーション)ですね。しっかり乾燥出来ていれば何年ももつそうです。筆者は30年前に作った「芋の茎縄」を執筆時に食べたそうですが、「スルメの味がする珍味」であったそうです。

前回の『戦争がつくった現代の食卓』では欧米の戦闘糧食=レーションのお話でしたが、日本の野戦食の歴史も面白いと感じました。それから、こちらの本の翻訳の方、「戦闘糧食」なんてこなれていない言葉でなくて「野戦食」の方が分かり易いと思いました。

 

別な読み物で知った話ですが「へうげもの」という漫画では、山崎の合戦に敗れた光秀が家臣と最後の食事をするシーンで、この「芋の茎縄」が出てくるそうです。最後の時に、利休の言葉を思い出した光秀がワビの極致を極めるシーンに繋がるとか。今年のNHK麒麟がくる」の最後のシーンはどうなりますやら。「芋の茎縄」の味噌汁がでてくるかな。

また、この本の中で「信長は、湯漬け飯、焼き味噌が好物」「秀吉はドジョウと豆味噌大好き」そして秀吉の有名な「中国大返し」の時には、「道筋で飯を炊かせて手づかみで喰って」取って返したと記載されていました。これらのシーンも「麒麟がくる」で出てくるかもしれませんね。この本も大変な長編力作でしたが、肩の凝らない、気楽に読める本で助かりました。

 

三冊目は『性食考』。著者は赤坂憲雄さん。岩波書店、2017年7月第一刷。筆者は1953年生まれ、民俗学・日本文化論の研究者で、発刊時は学習院大教授。「東北学」を提唱されて有名な方とか。岩波HP「歴史と民族のあいだ」2014年10月から2016年2月を基に加筆されたもの。

「性食」というのは筆者の造語です。最後まで読み終えるのに苦労しました。「食べちゃいたいほど可愛い」という言葉、俗な言い回しをヒントにして、「性」と「食」を結ぶ「いのち」「内なる野生」の再発見の試みとか。ご本人も大変な思索家ですが、柳田国男折口信夫レヴィ・ストロース河合隼雄、各氏の捉え方もたくさん披露されています。大変な力作です。民話、神話、民俗学に興味、感心ある方にはお薦めです。内容は、端折ります。僕の好みに合いませんでした。

 

長くなりましたが最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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 神奈川の留守宅にホトトギスがたくさん咲いています。これもベランダ改修の効果かしら。ご近所さん、お友達に切り花をお届けしたら喜んで頂けたそうです。2020年11月2日、撮影。

 

おまけの料理の写真を載せようと思ったのですが、上手くいかず。今回は、バーミキュラ鍋で「豚のオレンジ煮」、それと「ピザのように見えるお好み焼き」を作ったのですが、残念でした。次回以降に再度トライしてみます。

 

 

10月のNHK俳句

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岐阜県可児市にある花フェスタ記念公園に行きました。あほぎり会の集まりで。世界最大級のバラ園「秋のローズウイーク;今年の秋は広いバラ園で”ゆったり”心地よく」とのポスターに誘われて。残念ながら、入口の辺りには一面のバラが咲いていましたが、あとは養生中のところがほとんどでした。”看板(ポスター)に偽りありやあ”、期待外れでした。2020年10月22日、撮影。

 

 

NHK俳句、10月のまとめです。一か月分を纏めて一度に記載しています。相変わらず、僕の備忘録として残しています。かなり端折ってありますが、お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

10月第一週。選者の小澤實さんはリモート出演。ゲストで宮戸洋行さん(吉本興業所属で、以前「俳句さく咲く」で小澤さんから指導を受けた由)が加わり、司会の戸田菜穂さんと番組進行。令和の新星、今月は、鶴岡加苗さん。1974年生まれのお母さん俳人。今月の兼題は「運動会」ですが、鶴岡さんの句が冒頭に紹介されました。

 

   千人にまぎれぬ吾子よ運動会  鶴岡加苗

 

ご自分で親バカ全開の句と評されていました。お子さんの成長を丹念に詠み続けていらっしゃる由。もともとは「千人のなかの吾子や」と詠んだそうですが「これではタダの報告(の句)」になってしまうので、親バカ全開で「まぎれぬ」としたそうです。こういう風にご自分の添削される過程を説明して頂けるのは面白いなあと感じます。有季定型を大切に句作を続けているとのことでした。今月の特選三句を紹介します。

 

三席  空に投げ勝利のバトン運動会

二席  靴下の黄色が我が子運動会

一席  フライングにピストル連射体育祭

 

戸田さんが小澤さんに一席の句の「フライングに」の「に」の要否、可否を質問していましたが先生の答えは「『に』が効いている、(字余りになるが)この『に』は必要です。走者がフライングしたことが目に浮かぶ」とのことでした。鶴岡さんもこの句を取っていました。

 

面白い句として、

    クラブリレー畳がバトン柔道部

ゲストの宮戸さんが「この句には季語が無いですが‥」と質問していましたが、小澤さんは「クラブリレー、バトン、柔道部の言葉が十分に運動会、体育祭を表しているものとして取った」との解説でした。有季定型を大切にしつつも句の全体を見て捉えることが大切である、というのが勉強になります。<難しい>。

 

番組ではこの後、鶴岡さんの小学6年生のお嬢様が登場。わざとらしくない、自然な受け答えで好感が持てました。すごくシッカリされている。鶴岡さんもややウルウルの気配。「二人分ドキドキしました」と良い親子の風景でありました。

 

 

第二週の司会は、武井壮さん。選者が対馬康子さん。ゲストには五輪競泳メダリストの松田丈志さん。松田さんは宮崎県延岡市の出身。日向の知人から聞いた話ですが、松田さんの練習環境はあまり恵まれたものでは無く、天井にはビニールハウスのビニールが張ってあるプールで一生懸命にトレーニングに励んだと。地元ではまさに英雄です。

今週のテーマはスポーツ゚を詠む。松田さんをゲストに迎えての対馬さんの句です。対馬さんらしい句です。

 

   告白を始める息をして泳ぐ   対馬康子

 

松田さんが準備してきたスポーツを詠んだ句、 

   熱狂と無音を行き来バタフライ   松田丈志

 これを対馬さんが添削 

   熱狂と無音を行くやバタフライ   対馬康子さんの添削

 

「スポーツは”一期一会”」との話も出たり、対馬さんと松田さんの対話は大変に面白いモノでした。松田さんのしっかりした話ぶりに感心しました。素晴らしい五輪メダリストです。

 

今月の兼題は「十月」、特選三句です。

 

三席   海峡を馬食む風も十月ぞ

二席   十月のみなみのうをはさびしけれ

一席   十月の声歌垣の遠つ声

 

特選には選ばれませんでしたが面白いと思った句です。

     十月の遠心力を持て余す

 

 

第三週、司会は岸本葉子さん、選者は西村和子さん。ゲストは写真家の浅井慎平さん。浅井さんは写真と俳句を組み合わせた「ハイク・グラフィー」活動の創始者とか。ご自分の句集も出している由。岸本さんが紹介していましたが、豪華な装填で一頁に一句のみ。西村さんから”自分達もこんな贅沢な句集を出してみたい”と羨ましがられていました。この週は投句を丁寧に鑑賞・解説して頂けます。特選三句です。

 

三席   新酒一舐め蘊蓄を一齣(しんしゅひとなめうんちくをひとくさり)

二席   あらばしり勢いもってつがれけり

一席   集うこと叶わぬ年の新酒かな

 

西村さんの一席の句の評、「この句は今年だからこそ出来た句。いい句だと思います」。同感です。三席の句は、難しい漢字を使って詠んでいますが、書くと纏まりよく五字二行に収まっています。西村さんは「この表現もなかなかのもの」と評されていました。

三席の逆パターンの句も取られていました。

     新酒酌むうんちく語るなどは野暮

句の巧拙は別にして、僕はこちらの方の気配が好きですね。

 

今週のテーマは「題詠」。題詠とはもともと和歌の用語だそうですが、決められた題によって歌を詠む創作方法。俳句の句会では題の出し方によって「兼題」「席題」「探題」などの方法があるそうです。ゲストの浅井さんは「兼題」を準備しないで参加することが多い由。その場で一気に詠みきることで集中力・瞬発力が高くなると。また、困ったときは誰かに成り切って、その人のつもりで句を作る=なりきり俳句、を紹介していました。お三方でなりきり俳句を試しにやって盛り上がっていました。割愛します。

(「探題」とはどういうやり方か知りませんでしたが、調べてみたら、句会でいくつかの題を出し、各人がクジで探り取った題を詠む方法のようです。)

 

 

第四週は「俳句さく咲く」。先生は櫂未知子さん。生徒さんは、塚地武雅、桜井紗季、いとうまい子田中要次の四名(敬略)。今週の宿題の季語は「暮の秋、菊日和、秋色、山粧う(やまよそおう)、夜学、鮭、柿」それと自由。先生から8点を頂いた句が出てきました。いくつか紹介します。だんだんと生徒さんの実力がアップしているような<羨ましい>。

 

   信号の点滅待ちて暮の秋   櫻井紗季

   打鐘鳴る競輪場や天高し   同

   バス停に恩師の姿菊日和   塚地武雅

 

今週の学習テーマは、切字「けり」。これで「や」「かな」「けり」=切字三兄弟を全て勉強したことになります。先生の句、

 

   塩鮭の塩ぼったりと落ちにけり   櫂未知子

 

先生ご自分で、この「ぼったり」が面白いと解説していました。<確かに>。今週のミニ句会の兼題は「冬隣」。特選に選ばれたのは、いままで劣等生であった(失礼)田中要次さんの句、

   かはたれに寄り添う猫や冬隣    田中要次

要次さんなりに工夫して「かはたれ」という言葉を見つけ出したそうです。”明け方”、”朝方”、という意味だとか。知りませんでした。先生もその努力を高く評価。後で調べたら、「かはたれ=彼は誰」朝方を意味する言葉で、「黄昏(たそがれ)=誰そ彼」が夕方とか。面白いですね。いのこり授業に選ばれた(?)句は、

   糠床に旬を入れるや冬隣   いとうまい子

他の生徒のなかにはこれを取った人もいたほど、僕も”イイね”と思ったのですが、先生の説明では「『旬』という言葉は使わない、季語が『旬』そのものだから」。この句の添削が面白かったです。

   糠床にかぶらにんじん冬隣   櫂未知子先生の添削

蕪、人参も(冬の)季語ですが、「冬隣が大きな季語だから許される使い方。ひらがな書きで柔らかくしてはいかが」と。<むーっ、なるほど、難しい>。

 

今週の投句の兼題は「栗」、大賞のみ紹介しておきます。

 

   おほぞらの果たての兄よ栗拾う

 

 

 

 おまけの料理です。

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あほぎり会の仲間が、「豚のオレンジ煮」の作り方を教えてくれました。バーミキュラ鍋で豚を鶏モモに変えてやってみました。サツマイモが美味しく頂けます。仲間の料理の写真も載せようとしたのですが、最近、操作が上手くいかないことが多くなっています。断念しました。2020年10月25日、料理と撮影。

 

 

大事件発生。ラインの画面が全て消えてしまいました。朝、突然に。何が起こったのか分からず、子供たちに救助を仰いでイロイロとやってみました。一瞬、復旧出来たように思えたのですが、ナント、過去の履歴が全て消えていました。ラインでの交信の記録が全て無くなった!。しばし茫然、予想以上にショックでした。バックアップを取っておく必要を強く感じております。

 

オマケの句です。

 

   陽だまりが心地良い日や金木犀   孔瑠々

 

朝晩、寒い!と感じるようになってきました。今年は特に風邪など引かないように注意したいものです。ご自愛くださいませ。

 

 

 

 

京都一周トレイル

珍しくドラゴン先生の方から連絡があり、”「京都一周トレイル」挑戦”のお誘いがありました。今年の大文字で京都岡崎のマンションにお邪魔した時に、この「京都一周トレイル」の案内本、パンフレットをたくさん見せて頂きました。資料を集めて周到な準備をしている様子でした。京都は盆地で周辺にはそれほど高くは無い手ごろな感じの山々に取り囲まれていますから、季節の良い時期に散策するのは気持ちが良さそうに思います。特に、昨今のコロナ禍のもとでは外に出る機会が間違いなく少なくなっていますから、 良い企画であると。一も二もなく賛同しておりました。

 

10月17日、土曜日の夜に、ドラゴン岡崎マンションに集合。じっくりと作戦会議をしてから早めの就寝。というのは言葉遊びで、例によってドラゴン先生が全て完璧に設定してくれていますので、僕はその計画に対して”うんうん”と頷いているだけです。翻訳すると”普段よりはチョットお酒の量を少なくして、ボケとツッコミの会話を楽しだ”ということでしょうか。また、この夜は、ドラゴン次女様も京都に来られており、三人での食事会となりました。ドラゴン先生との会食で女性が加わるのは、ドラゴン長女様についでお二人目。場が華やかになるのが分かります。いつも以上に楽しい食事を楽しめました(次女様は、会食後に名古屋に戻られました)。

 

翌18日、日曜日。早朝から出発、といいたいところですが、のんびりと8時ごろにマンションを出発、近くにあるコーヒー店に。京都で最初のサイフォンコーヒーを提供したという老舗の珈琲店です。ここで優雅に朝食を取ってから、8時半ごろから歩き始めました。コンセプトは「安全第一、のんびりと。途中、寄り道・ルート離脱も有り」です。

 

「京都一周トレイル」というのは、「京都の自然を満喫できるトレイル」「5つのコースがあります。東山コース、北山東部コース、北山西部コース、西山コース、京北コース」(京都市観光協会HPから抜粋)。同協会がパンフレット、公式ガイドブックを整備してアピールしています。「東山コース」は、伏見駅-伏見稲荷大社を出発点として清水山に登り、蹴上まで下りてきて、再度、大文字山に登り、銀閣寺に下りてきて、更に、一乗寺林道方面からケーブル比叡山駅までの約25㎞のコースです。一番ポピュラー、人気のあるコースかと。今回、二人で挑戦するのはこの「東山コース」の1/3弱ほど。蹴上から大文字山山頂に、その後、大文字火床を経由して銀閣寺に下りてくる、全工程、約4時間の山歩きです。「大人の遠足・木曽三川」のときもよく歩いたとはいえ、二人で山登り(山歩き)をするのは初めてですから、お互いの脚力の力量チェックも兼ねてドラゴン先生が設定したもの。

 

京都には有名な地名が多いですね。今までに行ったことが無くとも、何かしら昔に耳にしたことがある処がたくさんあります。地名を辿って歩くだけでも楽しく思います。

朝食を取った珈琲店から蹴上方面に向かいました。リュックを背負った方がたくさん歩いています。南禅寺の境内周辺には昔ながらの著名人の別荘、邸宅が静かに並んでいます。「蹴上」というのは優雅な名前ですが、ここは「インクライン」と「ねじりマンポ」が有名です。あちこちに寺社仏閣だけでなくイロイロな歴史遺跡が残されています。いちいち説明していると山歩きの話なのか、京都史跡めぐりの話なのか訳が分からなくなりそうですが、それでも面白かったので簡単に記載します。

 

明治初期、京都は東京遷都に伴い政治的にも経済的にも地盤が大きく沈下、活力が乏しい状態に陥っていたそうです。第三代の府知事さんが京都に活力を取り戻すために考えたのが琵琶湖疎水。京都としては長年の夢であったそうですが、琵琶湖の水を京都に引いてくる疎水を建設する。疎水の水力で新しい工場を起こし、船で物資の往来を盛んにしようと。大学を卒業したばかりの青年、田邉朔朗氏を土木責任者に任命。明治18年(1885年)に着工して5年間かかり明治23年(1885年)に完成。20年後には第二期の工事も行われ、灌漑、上水道、水運が整備されました。そして、水力発電を実現させたお陰で、新しい工場が出来て、市内の路面電車も走り出したそうです。まさに近年の京都の街つくりの基礎が出来上がった事業とのこと。琵琶湖疎水は、今でも、琵琶湖の水を京都に供給し続けているそうです。大変な事業だったんですねえ(以上、ほとんど京都市土木局HPの受け売りです)。

 

この琵琶湖疎水に関連して「インクライン」と「ねじりマンポ」が出てきます。インクラインというのは傾斜鉄道と説明されていますが、斜面を移動する箱が無いオープン型のエレベーターをイメージすれば分かり易いかと。何のために使うのか、にわかには理解出来ませんでした。台車の上に船を載せて上下させるのに使います。運河で水位に落差がある場所に船を通行させるための方式の一つです。パナマ運河では、ロック方式で、前後の水門で水の高さを調整して船を進ませますが(これは分かり易い)、インクライン方式というのは、水位の違う運河から運河に船そのものを持ち運ぶ(台車に載せて上下させる)方式。比較的、小さな船に適用可能な方式のようです。その名残がそのまま残されています。インクラインの両側は桜並木で季節になると花見の名所だとか。

 

そして「ねじりマンポ」。言葉を聞いただけで理解する方は皆無であろうと思います。マンポとはトンネルの古い言葉だそうです。このトンネルの上は、インクライン方式で台車に載った船が行き交うルートになっています。大変な重さのものがトンネルの上を通過する訳ですから、その重さに耐えられるように設計されたのが「ねじりマンポ」です。トンネル内壁にレンガが敷かれているのですが、これが斜めに巻かれています。そしてトンネルはインクラインとは直角ではなく斜めに掘られているとのことです。全ては重さに耐える強度を持たせるための工夫とか。言葉で説明しても分かり難いと思いますので取った写真を添付しておきます。

 

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蹴上の「ねじりマンポ」「インクライン」を過ぎると登山道になります。途中には「日向大明神」があり隠れた紅葉の名所とか。天照大御神を祀り「京の伊勢」と言われている由。懐かしの宮崎・日向=ひゅうが、を思い出して、「”ひゅうがだいみょうじん”ですねえ」と大きな声を出したら、途端に、ドラゴン先生から「これは、『ひゅうが』ではありません。『ひむかい』と言います」と然り気無い突っ込みが入りました。やはりよそ者には京都は住み難い処かも知れません。

 

 

大文字山は465mの山なのですが、途中に神明山218mというポイントがありました。たかが200mチョイの山、丘に毛が生えた程度だと(文字通り)高を括っていたのですが、この前後が急斜面の連続。久しぶりの山歩きであったこともあり、緒戦で大きく躓いてしまいました。体力を大消耗。ドラゴン先生も「予想以上の急勾配であったわい」と息を切らせているものの、その実、あまり疲れた様子も無し。休憩して水分補給をして身支度を整えて---僕は、用心のために二本のステッキを持参していましたので、それを装備して---一路、大文字山山頂を目指して歩き始めました。

 

僕が全くの素人ながらたまには仲間と山歩きしていることは、以前、ドラゴン先生に話したことがあるのですが、逆に、先生と山との接点が如何ほどのモノか全く存じておりませんでした。それとなく話題を振ったところ、またまた、驚きの発見がありました。ドラゴン先生は中級から上級の登山家でありました。学生時代、その筋の部・サークルに所属はしていなかったものの、山は大好きであった。経験者の仲間たちと南アルプスを中心にして登山を楽しんでいたと。山小屋に泊まることを潔しとせず(多分、カネが無かったからと推察しますが---)、テントを担ぎ飯盒炊飯を基本にした山歩き(いや、山登り)を繰り返していた”山”大好き青年であった由でした。何かにつけてレベルの高い方なのですが、またまた、山歩きでも僕よりも数段上の上級者であることが判明してしまいました。全く何の話題になっても上のクラスの面白くて頼りになる方です。

 

この前日は雨が降っていましたから、低い山とは言え、急斜面で岩肌が露出している箇所では注意をしていないと靴底が滑ります。幸いに二人ともそれなりにしっかりした靴を履いていましたが、それでも滑る。元々、僕は特に下り斜面が大の苦手です。足首が固く膝に余裕がないからかも知れません。神明山からの下りのあと大文字山に向かう道は、幸いにして極端に歩き難い処は少なかったので正直、助かりました。最初にハードな斜面に出くわすと、それなりに心の準備が整うからかも知れません。気持ちを萎えさせるほどの難路の繰り返しは幸いなことに有りませんでした。

 

 

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途中、京都市街が一望出来るポイントがありました。しんどい時にぱあっと素晴らしい景色に出会うと疲れが飛びますね。山歩きの楽しみの一つだと思います。この後、携帯の電源切れ。肝心の大文字の写真を撮ることが出来ませんでした。悔しいこと、残念でした。

 

 

大文字山山頂に到着。465mです。山頂には比較的ゆったりとしたスペースがあり、たくさんの登山客で賑わっていました。「密」とまではなっていませんが、かなりの人数の方が遅い朝食か早めの昼食を取っていたり、仲間どうし、または、親子・家族で、ワイワイガヤガヤ楽しそうに。気持ちの良い季節、清々しいお天気に恵まれ、京都の街を一望できる景色を堪能しました。雲海ですね、遠くの山々は雲の海に島の様に浮かんでいました。

 

この山頂から半分ほど麓に下りた処に、五山送り火の大文字の火床があります。下山道が「大」の字の一番上のところに出てきます。その「大」の字の頂点から下を見下ろすとこの斜面は驚くほどの急な勾配です。急斜面には階段が整備されていますが、階段が無ければ、送り火の時の資材の運搬するのが難しいと思うほどの急斜面。階段を下りていくと「大」の字の中心点である要のところに弘法大師堂・石窟があります。送り火の時の点火が始まるポイントです。この数年間、欠かさず見てきた五山送り火「大」文字の要のところに立った訳です。感慨もひとしおでありました。

 

石窟の前にキャンプ用の椅子に腰かけている地元のおっちゃんがいました。相手に話をさせるのがお上手なドラゴン先生との会話を聞いていると、ナントこの方は毎日お昼ごろにここに登って来て、持参した自分の椅子に座って京都の街を眺めながらお昼を食べているとか。「下ではやることがないからねえ」とオシャレな登山着に身を包み、良く拝見すると僕たちよりも年長さんのような気配。”僕が初めての登頂で感激してるって言うてるのに、このオッサン、毎日来てるてかぁ”とやや興ざめな気分にもなりましたが、悟りを開いた表情なのか、寂しさと憂いに満ちた表情なのか、なかなかに味のある表情のおっちゃんでした。

 

僕が初めての登頂であることを知ったおっちゃんが面白い説明をしてくれました。「『大』の字の横棒は直線では無い、山の斜面に沿って大きく上向きに湾曲している、市街から見た時に横棒が直線に見える為には、湾曲させておく必要があるのだ」。何でも知ってるドラゴン先生は我が意を得たりの表情「その通り!。全ては京都御所から見た時に一番美しくなるように設計されているから」とのことです。また、「大」の字の右ダレが左よりもかなり長いのですが、これも同じ考え方によるものだと。御所から見て一番きれいな書体になっているからとのことです。

 

このおっちゃんの話を聞きながら、急勾配を目の当たりにしていると、「こんなことするのは京大の学生さんでしょう」と言われた今年の送り火の悪戯事件を思い出しました。 

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このブログに記載した通り、”送り火の行事に対する冒瀆”と非難する声があった一方で、”あの手際の良さは凄い”と賞賛する声もありましたが、改めて、現場を拝見するに、これはまさに凄いことを実行・実現したものである、と感心してしまいました。麓の銀閣寺からの登り、かなりの部分は階段が整備されているとは言え、険しい登りも多々あります。登山道を上って来たら、次は、火床に向かっての急斜面。照明はLEDライトと言われていますが重い照明器具を担いで、ヒトの目に触れないように注意しながらの展開はさぞかし苦しい、危険を伴う作業であったに違いない。人数にしても10人程度では間に合わないかと。30人、40人規模の人員が必要ではなかったか。事故なく(多分)撤収した統率力、個々の集中力!。これはやはり大したもんだ、と称賛したくなりました。僕が気にしないでも、毎年、送り火の季節になると言い伝えられることになるでしょうかね。

 

余談ですが、「如意ケ嶽の大文字」と言われますが、如意ヶ嶽は大文字山とは別な山です。大文字山から更に東側1.3㎞にあります。高さは474mとのことで殆ど差はありません。京都市街からは見ることは出来ないそうです。古くは、大文字山と如意ヶ嶽を同一視することが多く、また、この辺りの山並みを如意ヶ嶽と総称していたことから「如意ケ嶽の大文字」と呼ばれているとか。現在でも同一視する向きもいらっしゃるそうです。僕が知っている限りでは、「大文字山の大文字」、という人はいないようです。

  

 

 下山後は、銀閣寺から京大方面に。先生が学生時代に長年通っていた中華そば屋に行きました。ラーメン屋ではなく中華そば屋と言います。以前にも記載しましたが、ドラゴン先生は”糖質制限の食事法云々”という割には、間違いなく麺類大好き人間です。かつての大人の遠足を思い出しました。あのチャンポンは美味しかったなあ。今回は、チャーシュウ麺。僕は、固麺の大盛り、ネギ沢山を注文。先生は並み盛り。濃厚なスープが旨かった。またまた大ヒットでした。マンションで休憩してから名古屋には先生の車に乗せてもらって戻りました。次回のトレイルをどうするか、あーだこーだ、喋りながら。第二回に続く!?ことをご期待ください。充実の二日間でした。

 

 

おまけに、懐かしの「大人の遠足」のブログ記事を埋め込んでおきます。これが一回目の「大人の遠足」ですから、今回のタイトルは「大人の遠足、その2.」ですかね。くどいですが、チャンポン、美味しかったです。

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 蛇足の言い訳。作成している途中で、下書きの更新がスムーズにいかなくなりました。写真の掲載も出来なくなって。諦めてやり直ししたら、回復してくれました。時間が随分と無駄になってしまいました。仕組みを理解出来ていないのが、悔しいなあ。

  

 

 

 

 

 

 

読書の秋

今年の夏は(も)暑かったから、秋の爽やかさを例年以上に心地よく感じることが出来ると思っていましたら、台風14号の接近と共に気温は急低下。冷たい雨が降り、あっという間に寒さに対する警戒が必要な季節になってしまいました。まだまだ、ブレが大きなお天気が続くのでしょうが、気持ちの良い期間が短くなっているのが残念です。

 

 

9月末に、”読書の秋!”と気合を入れて図書館で読みたかった本の購読の申し込みをしました。一回に6冊まで申し込み可能です。名古屋市立の図書館に蔵書があれば、それを探し出してくれて、申し込みをした人の最寄りの図書館で貸し出しが出来るように手配してくれます。僕の場合は、名古屋市立千種図書館。6冊のうち、3冊が準備出来た旨の連絡を頂きました。最近、出版された本に対しては申し込みが多数あるようで、かなりの順番待ちになっていましたが、数年前に出版された本は図書館で寝ていたのでしょう。申し込みをしてからほんの数日で、千種図書館で貸出し準備が出来た旨の連絡を頂きました。全てネット交信で、簡単・便利で有難いことです。 

 

 

農業、食品関連の本が二冊です。例によって僕の備忘録として記載してます。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

『トラクターの世界史』。藤原辰史さん著、中央新書。2017年9月第一刷。”人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち”という副題が付けられていました。著者は1976年生まれ、当時、京都大学人文科学研究所の准教授の方です。発行された時に新聞の書評欄で、”トラクターという特異な切り口から(特に近代の)歴史を読み解いた”面白い本と紹介されていました。このブログでも何回か書きましたが、僕は、昔、食料関係の仕事をしていてアメリカ農業にも少し携わったことがありましたので興味を持っていました。以前のブログ記事を埋め込んでおきます。ご参考まで。

 

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日本でトラクターというと歩行型の耕運機をイメージしがちですが、アメリカの大規模農場のトラクターというのは本当に凄い大きいモノです。運転席に載せてもらったことがあるのですが、中二階くらいのところにある座席からデッカイ戦車を運転するようなイメージです。この 本によるとトラクターは”19世紀末にアメリカで発明・開発された”そうです。”苦役から人類を解放”、”農作物の大量生産を実現”、”近代文明のシンボル”、というのがプラスの側面。

 

僕が仕事で関与し始めたころは、ある意味ではアメリカ農業の最盛期であったのかも知れません。---見渡す限りの大豆・トウモロコシ畑、そこを戦車の如きトラクターが一気に収穫作業を進めていく。農家のおっちゃんは運転席で悠々と煙草を吸って音楽を聴きながら、その日の農作物の相場をチェック、収穫した作物を何時売ろうかと考えている。---こんな景色が当たり前の時代でした。

 

筆者がこの本で指摘していますが、そして考えてみれば当たり前のことでしょうが、作物を育てるには土壌を掘り耕すことが必要で、そしてそれは大変な労力で、そして牛馬を使い犂耕すことにより食物連鎖が活性化されていた訳ですが、トラクターの登場で農業は様変わり。苦役からは解放され大量生産が実現したものの、一方では、耕作作業の牽引力が家畜から石油に変わった。食物連鎖が途切れ大量の化学肥料の投入が必要になった。土壌圧縮とか土壌侵食とか表土流出とかいろんな表現がされますが環境変異が生じることに繋がっていると。これが近代農業のマイナスの側面。

 

アメリカで大型機械化と化学肥料の抱き合わせで一気に農業の近代化が進んだ=プラスの側面が脚光を浴びた時代には、その影響を受けて旧ソ連でも社会主義計画経済を目指し農業集団化を進めるためトラクターが導入されたそうです。それもアメリカ製のトラクターを輸入して。さらに女性の解放・社会進出をアピールするため女性トラクター運転手が宣伝された。まさにトラクターが共産主義のシンボルになっていたと。残念ながら、当時のトラクターには故障が多く、また、当時の農民の心情的な反発もあり成功しなかった由。またナチスドイツでも、フォルクスワーゲン(民衆・大衆車)計画と共にフォルクストラクター構想もあったそうです。この計画の実現にヒトラーから開発任務を受けたのが有名なポルシェ博士とのこと。

 

1929年は、アメリカ・ウオール街での株価大暴落でその後の世界恐慌、更には、第二次大戦へのキッカケになった年次ですが、1930年代はアメリカ農業にとっても苦難の時代。農産物価格が低迷する中、中西部・穀物地帯ではダストボールの発生。ダストボールは開墾により発生した砂嵐ですが、トラクターと化学肥料の投入がその大きな原因の一つとされています。この時期、零細農家は放逐され土地の集積・大規模化が一気に進みます。この本にも記述されていますが、当時を生き抜く零細農家を描いたのがジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」です。1939年に出版され喧々諤々、社会問題化した由。

 

読んでいる時に、ふと思い出して本棚のDVDストックを探してみたら、映画『怒りの葡萄』のDVDがを見つけることが出来ました。随分前に買ったまま封も切らずに積んであったもの。この映画は1940年製作で、中学か高校時代に上映されたものを見た記憶はあるのですが、ほとんど覚えておりませんでした。冒頭、トラクターが登場します。土地の大規模化を謀る資本家の象徴として、まるで悪魔の機械です。地平線から2-3台のトラクターが列をなして小作人の住んでいる小屋に向かってきます。立派な大型の乗用車に乗った横柄な男が小作人に明日までの立ち退きを要求しており、見せしめに空き家になっている小屋をトラクターで押し潰す。”トラクター一台で、小作人14所帯分の仕事をこなす!”と。小説が発表された時には、描き方が一方的に反資本主義過ぎると非難されたそうですが、片方では、これが零細農家の本当の姿だと擁護する意見も出たそうです。働きたくても(当然、肉体労働ですが)職が無い。貧しくて食べるものが無い。ひもじい思いでほとんど何も入っていないような鍋を家族全員でつついている。アメリカ社会、アメリカ農業・農家にもこんな時代があったんだなあ、と改めてショックを受けました。映画はジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演。スタインベックの小説は所謂、社会主義小説ですが、映画の方は家族愛を織り交ぜた家族ドラマ仕立てにもなっています。ときおり背景に流れる主題歌「レッド・リヴァー・ヴァレー」がなんとも切ない懐かしさを感じました。

 

話を本に戻しますと、トラクターを切り口にしてその功罪、プラスとマイナス面を歴史的に記述して大変に面白い本でした。日本のトラクターにも触れられています。日本でも1918年に歩行型のトラクターが輸入されたそうですが、春の水田は畑地よりも負荷が大きく耐えられなかったそうです。1920年代から、農林省の要請を受けて小松製作所が国産第一号を開発。その後も、ホンダ、更には農機具メーカーのクボタ、ヤンマー、イセキが乗用型トラクターの開発も進めた由。ヤンマーの面白いお話です。ヤンマーを創業したのは山岡さん、滋賀県の貧しい農家出身の方。苦労して1923年に山岡発動機製作所を創業。その時、商標を「トンボ印」にしようと考えたそうです。親父さんが「トンボが沢山飛び回っている年は豊作だ」と言っていたので。ところが既に商標権は設定されており使用不可。知り合いのアドバイスで、それならトンボの親分の「ヤンマ」にしようということで「ヤンマー」にしたとか。僕らの世代にはお馴染みの「ヤン坊マー坊天気予報」は1959年6月から放送されたそうです。懐かしいですね。

 

アメリカ農業について以前に書いたブログです。ご参考まで。

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残念ながら、この「大豆の会」は中止した状態がずっと続いたままです。「恨めし、コロナ」です。

 

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アメリカ農業を抉ったマイケル・ポーランの『雑食動物のジレンマ』です。これも面白い本でした。

 

 

二冊目の本の話です。簡単に紹介します。

『戦争がつくった現代の食卓』。著者はアナスタシア・マークス・デ・サルセドさん、アメリカ・ボストン在のフードライター。訳は田沢恭子さん、翻訳家。白楊社、2017年10月第一版第三刷。副題に「軍と加工食品の知られざる関係」と。原題は『Combat-Ready Kitchen』、2015年の出版です。 

 

日本で発行当時、結構、話題になっていた本でイロイロな書評欄に紹介されていました。たまたま残していた書評記事を見たら「トラクターの世界史」の著者の藤原さんが書評を書いていました。肩書は農業史研究者となっていました。面白い偶然です。

 

アメリカのボストン郊外にある陸軍「ネイテイック研究所」を著者が訪問取材するところから始まります。ここは米国陸軍の「戦闘糧食=コンバット・レーション」の技術開発・研究を行っている機関。著者は、ここが戦闘糧食に留まらず、米国の食品業界が推進すべき技術の方向性を決めて、加工食品産業そのものを動かす中枢機関になっていると指摘して、その観点からイロイロな事例を記述しています。訳本ハードカバー全380頁の力作。

 

本題に入る前に、レーション(戦闘糧食)の歴史をたどっていますが、こちらの方が面白かったような。古代シュメール・エジプト軍のタンパク補給のレーションは魚の塩漬けであったとか、ギリシャ軍は穀類・酢・玉ねぎ・チーズを準備していたとか、更に、ローマ帝国になると豚肉を活用、ベーコン、ソーセージに加えてプロシュート(=燻製せずに乾燥させたハム)が力の源泉であった由。美味しそうに感じますね。

 

長い歴史上の期間、食品の保存法は、乾燥・塩漬け・燻製・発酵であったが、大革命はナポレオン戦争期に開発された缶詰!。ちなみに、コンバット・レーション(戦闘糧食)というのは、兵士が駐屯地で食べる給食と区別して戦闘時に食べることが出来る糧食を意味するそうです。生きるか死ぬか、勝つか負けるかの戦闘時の食べ物ですから、持ち運びが出来て保存が効いて、かつ栄養が補給出来て、そして少しでも美味しいと感じるものを提供しようと軍が必死になるのも当然のことでしょう。

 

科学技術には軍事用にも民生用にも使える(=デュアルユース、と説明されています)モノがあり、どこまでが軍事研究なのか線引きが難しいそうです。軍と食品産業が協同する食のデュアルコースを、著者は、女性を台所から解放するものとしては評価する一方で防腐剤など添加物質の安全性に対しては懸念を述べています。沢山の事例が紹介されています。宇宙食になったフリーズドライ保存食、骨から外したカット肉、くず肉を整形加工した肉やソーセージ、劣化しないパン、高温と長期保存に耐えるプロセスフーズ、溶けにくいチョコバー等々。軍で基礎研究がされて、食品産業がその応用加工を行った事例です。著者は、自称「アメリカのフードライター界の悪女」と言い、訳者さんの紹介では「食品産業の欺瞞を暴く記事」が得意?の由ですが、この本では、ややどっちつかずの平凡な主張であったかも知れません。軍産協同による食の産物をどう評価しているのか、当たり前のことを指摘しているだけのように。戦争や戦闘糧食と離れ、現在、氾濫している加工食品とどう向き合っていくのかを記述したかったのかも知れません。暴露が得意技であれば、もっと、軍と特定企業との癒着を糾弾した方が良かったのかとも。やや辛口のコメントです。一方、本にある沢山の事例は面白かったので、そう割り切って読めば面白い本です。辛口コメントを補うために興味深かった事例を紹介します。

 

フリーズドライ技術の開発と活用。戦場での兵士の死は失血死が最大の割合を占めていたそうです。そして、それを回避するためには全血の血液を投入しなくても血漿を注入すればよいことが分かった。ちょうどその時期、大規模なフリーズドライの実験が成功しており、この技術を利用すれば血漿を粉末状に出来る。それは何千キロも輸送して、かつ、何カ月も保存した後で、水に戻せば投与することが可能である。一時期は、失血死を減少させる戦場医療、救急医療の新時代が到来したと脚光を浴びたそうです。但し、残念ながら、後日、この方法では血漿に入り込んだウイルス(B型肝炎HIVウイルス)も保存されてしまうことが判明して、多数の供血者から集めた血漿の使用は1968年に中止された由です。今のコロナ禍でこれを読むと、緊急時には、安全性が二の次になり、目先の対応を優先して使用してしまうことの怖さに重なるかも知れません。

 

 

三刷目の本は、趣がガラッと変わります。『いきと風流』、著者は尼ケ崎彬さん。日本、日本人の生き方のスタイル、生活の美学を考察した面白い本です。長くなり過ぎますので、また後日に書きます(多分)。

 

オマケの一句です。

 

   茶の花や合の名人岳父の忌   孔瑠々

 

「合組」=ごうぐみ、というのはお茶のブレンドのことです。お茶屋さんは、世界で一つだけの自慢のお茶を作りだしています。端折って「合」(=ごう)とも言うそうです。カミさんの親父さん(義父)の命日に。合掌。

今回、写真、料理(の写真)は無しです。また、次回に向けて準備しておきたいと思ってます。最後まで、ありがとうございました。