クルルのおじさん 料理を楽しむ

長島愛生園歴史館・見学ツアー

9月17日(土)、岡山県瀬戸内市にある長島愛生園歴史館の見学ツアーに参加して来ました。昨年も参加しようと思っていたのですが、残念ながらコロナで中止。今年も中止になることを心配していたのですが、ドラゴン先生からメールが入り今年は実施されることの確認を頂きました。最初のキッカケとなった立命館大学での展示会でお世話になった「T女史」、それから神谷美恵子さんの次男さんの奥様=神谷永子さんも毎年このツアーに参加されているのですが、ドラゴン先生が皆さんが参加する日程に合わせて参加申し込みをしてくれました。神谷永子さんにお会い出来るのが神谷美恵子さんフアンの僕にとっては大変に楽しみなことでありました。

 

三連休の初日ということもあり新幹線はかなり混んでいました。僕は名古屋から、前夜に京都に入っていたドラゴン先生は京都から乗車。姫路駅で合流して山陽本線に乗り換え、更に播州赤穂駅赤穂線に乗り換え、「日生(ひなせ)」というローカルな駅で下車しました。ここから船に乗って長島愛生園に向かいます。T女史、神谷永子さんグループとも無事に合流できて、T女史が永子さんをドラゴン先生に紹介してくれました。そして、ドラゴン先生が僕を紹介。「この人(僕のこと)は神谷恵美子さんの大のフアンなんですよー」と。船を待つ時間、それから乗船して長島を一周するクルージングの間、永子さんは我々二人と一緒にいてくれたので、予想以上にたくさんお話をお聞きすることが出来ました。

僕の方からも立命館での展示会がきっかけで神谷恵美子さんを知る処となったこと、本をたくさん読んだこと、ご子息兄弟と僕の兄弟がほぼ同じ年代なので勝手に大変な親近感を持ったこと(ともに二人兄弟で兄が同じ年生まれ、弟さんは僕よりも一つ年長さん)を話しました。永子さんも喜んでくれて「それでは私とxxさん(僕のこと)は同じ年!」と言ってくれたので親近感が更に増しました。

 

この日は台風の影響で風が強く曇り空。雨の予報は無かったのですが、船から降りる時には雨模様となってきました。愛生園の職員さんの親切な引率で島を案内して頂きました。港では入所者代表の中尾さんが車椅子ながら元気にお出迎え、挨拶を頂きました。87歳になられるそうです。「歴史館」にて職員さんから「ハンセン病、および、長島愛生園の歴史」についてレクチャーを受けビデオを見ました。

その後、雨は降っていましたが、史跡巡りに。長島愛生園は1930(昭和5)年11月20日に初めての国立療養所として開設されたものです。「収容桟橋跡」;入所時、家族などの付き添いはこの桟橋までしか入れなかったそうです。入所者にとっては家族、社会との別れの場所。「収容所(回春寮)」;入所者は現金など所持品は全て取り上げられ(逃走させないための措置)、消毒風呂に。社会との完全な隔絶です。「監房」;懲戒権は園長に与えられていた。ほとんど裁判は行われていない。逃走した者が多く収監されたそうです。そして「納骨堂」;職員さんから「普通、療養・病院施設に墓は隣接していることはありません」「ハンセン病に対する偏見、差別の目は患者だけでなく家族にも及んでいたため、遺族が遺骨を引き取ることも困難なことであった」と説明がありました。2002(平成14)年に再建された立派な納骨堂でした。

 

歴史館二階にある復元された園長室の一角には神谷恵美子さんの写真と直筆のカルテ、手紙が展示されていました。以前、読んだ神谷美恵子さん日記のことを思い出しました。

「生きがい」の原稿がほぼ出来上がったころの日記。「N(旦那さん)が(原稿を見て)oKとしてくれた。それをT(次男クン)に話したら『女は自己陶酔するからイカン、そこが問題だ』と言って、私の頭を何遍もつついてくれた」。これほど正確に思い出したわけでは無かったのですが、次男クンが自分の頭を「つついてくれた」という表現が頭に残っていました。

帰りの船でもT女史、永子さんと四人で一緒に座ることが出来たので、この日記を思い出したことを話してしまいました。この次男クンの突っ込みと美恵子お母ちゃんの受け止め方が大変に印象に残ったので読んだ後で調べたのですが、この日記は1965年(昭和40年)で、次男クンはまだ高校生だったはず。永子さんに「高校生坊主がよくぞこんな生意気なことを言ったもんだ」とついつい喋ってしまいましたが、永子さんも甚く同感してくれて「全く。きっと生意気盛りだったんよねえ」と(ホントは自分のダンナを捉まえて勝手なことをいうオッサンやなあ、と思われたかもですが)。

立派な医者、教授、翻訳家、執筆家でありますが、それ以上に良き妻、良き母親であられたことが神谷美恵子さんの大きな魅力であることを改めて感じました。そして良いご家族であったのだなあと永子さんとお会いして改めて確認することが出来た様に思いました。

 

過去の神谷さん関連のブログです。思った以上にいろいろ記載していました。

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立命館大学で「長島愛生園」の展示イベントを見学した時のことです。この時に初めて「神谷美恵子」さんの存在を知ることになりました。

 

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神谷美恵子さんのご子息、兄弟お二人が我々兄弟とほぼ同じ年代であることを発見して、勝手に親近感を抱いたことを記載しておりました。

 

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すっかり神谷さんのフアンになって家族にも紹介しまくっている時です。ドラゴン先生がこの年の見学ツアーに申し込みをしてくれました(結果は、コロナで中止でした)。

 

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京都のドラゴン先生のマンションでT女史さんにお会いした時のことです。東山コースを完走した時だったんですねえ。懐かしい。

 

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神谷さん繋がりで『鶴見俊輔伝』を読んでいました。すっかり忘れていましたが、鶴見さんは新婚旅行の際に「長島愛生園」を訪問されていました。

 

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この年(2021年、昨年ですが)のツアー中止が決まった時のものです。山頭火の句は読み返してもやはり面白いです。

 

 

  「歴史館」正面です。

   「収容所(回春寮)」の一室。ぽつんと一台だけベッドが残されていました。

   「納骨堂」。ちょうどお彼岸の準備をされていました。お線香を手向け手を合わせました。いずれも9月17日、撮影。

 

瀬戸内市では世界遺産登録をめざすプロジェクトに取り込んでいるそうです。ハンセン病の歴史を後世に伝えたい!と。その活動資金として「ふるさと納税」で寄付を募集されています。「後世に伝えたいハンセン病の歴史プロジェクト」で是非、検索してください。




NHK俳句です。相変わらず僕の備忘録として書いています。お付き合い頂ければ嬉しいです。9月第二週、司会は武井壮さん、選者は井上弘美さん、ゲストはお笑い芸人の桃沢健輔さん。桃沢さんは今回が三回目、最後の出演です。今週の兼題は「花野」。冒頭、いつもの様にクイズ形式で「花野」のイメージの確認がありました。「花野」は、とにかく人の手が加わっているものではない。自然のものを云う。

手元の俳句歳時記を見ると「秋の草花が一面に咲き乱れる広々とした野原。次の季節には枯野になる寂しさもあわせ持つ」と説明されていました。「『花』は春の季語=桜を指すが、『花野』は秋の季語で草の花を前提とする」そうです。

 

今週の特選三句です。

一席   カルデラの湖を一周花野道   (湖=うみ)

二席   大花野むかし遊覧飛行場

三席   花野原振る手のあれば振り返し

 

テキストの巻頭名句にいいなあと思ったの句がありました。

   岐れてもまた岐れても花野みち   富安風生   

テキストの第二週の欄にも味わいのある句がありました。

   君を訪ふて雨の花野を帰りけり   徳田秋声

井上さんの「俳句ナビ」、桃沢さんの句は省略です。

 

第三週です。司会は武井壮さん、選者は星野高士さん。ゲストは実業家でタレントの黄さん。黄さんは東京在16年の中国の方。今週の会いたい俳人有馬朗人さん。物理学者として政治家として高名な方ですが俳人としても句集「黙示」で「蛇笏賞」受賞とか。今週の兼題は「天高し」、有馬さんの句が紹介されていました。

   天高し分かれては合う絹の道   有馬朗人

   いづこにも龍ゐる国の天高し   同  

 

二句目は中国を訪問した時の句。生涯に有馬さんは中国を60回以上訪問していたそうです。黄さんも「日中の架け橋になりたい」旨、話していました。今週の特選三句です。

一席   角のなき石に座りて天高し

二席   十方へひびく梵鐘天高し

三席   天高し跳ね橋見ゆるところまで

ゲストの黄さんが初めての俳句を披露していました。

   うねうねと龍の近づく天高し   黄

 

選者からも司会者からも「これが初めての句ですか!?」と絶賛されていました。大変なタレントだと感心しました。

 

 

鯱城学園の二学期が始まりました。9月16日(金曜日)、共通講座と園芸科。園芸科では名古屋城菊花大会への出品も視野にいれた「山菊」盆栽に挑戦しているのですが、恥ずかしながら僕が育てていた鉢はことごとく枯れてしまいました。真面目に水遣り等々をやっていたと思うのですが。最初の根の固定が不十分であったのだろうと反省しております。

この日は皆さん、育てている山菊を持参して先生から手入れ指導を受けるのですが、僕は持っていくものが無かったので顔だけ出して退席しようかと思っていました。四班の仲間から「終わってからコーヒーに行こうよ」と励まされて寂しく授業に出ていたら突然に名前を呼ばれて「xxさん(僕のこと)、この鉢を進呈します」と先生からキレイに育てられた一鉢を頂戴してしまいました。嬉しいやら、恥ずかしいやら。気合を入れ直して化粧鉢への植え替え作業をやりました。”今度、この鉢を枯らすことになったら除名、退会処分もんやなあー” と内心ではビクビクものです。週末、東山公園を散策して「苔」を採取。化粧鉢に植え付けしました。

 

  果たして無事に育ってくれるものかしら。仲間と一緒に「第75回名古屋城菊花大会」に出品する予定です。「参加することに意義がある、出品することに意義がある」精神ですね。10月23日から11月23日まで名古屋城で開催されます。

 

 

  アラタくんが育てている「おじぎ草」、二回目の花が咲きました。お見事!。アラタくんママ(長女)が撮影、9月14日。



誕生日

  

名古屋市地下鉄東山線覚王山駅に貼ってあるポスターです。改札を出て地上に向かう階段の横・奥にあるので余り目立ちません。普段、通っていて気がつきませんでした。インパクトのあるポスターです。「タバコ⇒危険ドラッグ⇒大麻覚醒剤、それは地獄への片道切符だった」。デザイン、構図、配色も良く出来ていると思いました。愛知県千種警察署、千種区少年補導委員会、それと菊里高等学校(地元の高校です)の連名になっているのも面白い。もっと枚数を増やして、もっとよく見えるところに掲示すれば良かろうにと思いました。2022年9月4日撮影。

 

 

1950年(昭和25年)9月3日。僕の生まれた年と誕生日です。このブログでも何回か書いていると思いますが1950年は五黄の寅年。36年に一回の組み合わせで本年2022年が二回目、すなわちナント72歳になってしまいました。有難いことに元気で誕生日を迎えることが出来ています。

 

高校時代の四人組とラインで交信している時に僕の誕生日の話をしたら、一人から「自分は9月6日だ!」と返信がありました。そして台風の話を思い出させてくれました。1950年(昭和25年)9月3日はジェーン台風が大阪を襲った日なのです。この友達のお母様は大きなお腹を抱えてお腹の中がピクピクしていたそうです。僕の方は母親が避難のため実家の押し入れの上段で横になっており(実家は平屋です)、祖父母が浸水を防ぐために土嚢を積んだり大騒ぎをしていたとよく聞かされました。幸いに大阪の実家は浸水することなく僕は台風の最中に無事に生まれたようです。

いい機会なので(懐かしくなって)調べてみたら、この台風は同日8:45に室戸岬沖を通過、正午に淡路島南端を通り13:15神戸付近に上陸。14:45には若狭湾に抜けたと。大阪湾の満潮の時間とほぼ同じであったため大阪湾の沿岸地域中心に浸水による大被害が発生。大阪府では浸水家屋27万戸。死者240人、負傷者21,215人、行方不明者16人、合計21,471人の罹災者を記録する大災害となったそうです(国土交通省淀川河川事務所HP)。

この台風の名前は「ジェーン台風」というのですが、僕はかなり最近まで「じえん台風」と理解していました。家族、近所の方々から「xxちゃん(僕のこと)が生まれた時は台風で大変やったんよ」とよく耳にしていましたが、皆さん、コテコテの大阪の方で「ジェーン」と発音していた人は一人もいなかったように思います。「じえん台風」。僕の頭の中では「室戸台風」に匹敵する「じえん台風」。勝手に「慈円台風」とか「慈縁台風」とかの漢字をあてていたような気がします。

ジェーン台風の「ジェーン」はアメリカの女性の名前ですが、ハリケーンとかタイフーンに女性の名前をつけるのがアメリカ式。日本での台風の名称は今では台風xx号と番号で呼ばれていますが、それまではアメリカ式の女性の名前で呼ばれていたのです。日本式に台風番号で呼ぶことが出来る様になったのはサンフランシスコ講和条約が発効後の1953年とのこと。サンフランシスコ講和条約は1951年9月8日に調印、1952年4月28日に発効。1950年に「ジェーン台風」というアメリカ式の台風の名前が使われていたのは、その時点では日本はまだ独立国家ではないという位置づけの国であったから。改めて、僕が生まれたのは終戦後のアメリカ軍占領状態のもとであったという認識を新たにしました。

 

僕が高校時代の四人組に誕生日の話をしたのは全く能天気な話題で「9月3日生まれの有名人は誰でしょうか?」というもの。答えは「ドラえもん」なのです。僕も今まで全く知らなかったのですが、ドラえもんの誕生日は2112年9月3日という設定になっているそうです。9月3日(乃至はその翌日)TVでは「ドラえもん”誕生日”スペシャル」という番組が放送されているそうですから知っている人は知っているのでしょうが、同じ誕生日でありながら全く気づかずにおりました。別な友達が教えてくれたのですが、知ってしまった以降は自分の誕生日の話になる度に同じ話、同じ質問をするようになってしまいました。さすがに9月3日がドラえもんの誕生日だと知っている方はまず居ません。結構、みんな新鮮に喜んで聞いてくれていました。ところが・・・、知っている人はいるものです。

 

9月3日はピアノレッスンの日でありました。事前の練習を真面目に励み(いつもそうですが)、通常通りレッスンを受けました。この前週は(前回のブログで記載した通りですが)先生の演奏会後の打ち上げで飲み過ぎて大反省をしたばかりなのですが、その以前から僕の誕生日祝いの食事会をやろうと言って頂いていたので、恐縮しながらも(レッスンを早めに切り上げ)楽しく食事会に臨みました(心の中では”今日は飲み過ぎない様に”と少しは注意していました)。ご夫妻と僕の三人。乾杯をしてから「ところで、9月3日生まれの有名人は?」の質問をしたのですが、10秒ほど考えた後「ドラえもん!」とご名答。”何でそんなこと知ったはるんですかいな?、余程のドラえもんフアンですか?”と思ったモノの、理由は極めて自然なことでした。ご夫妻のお嬢様が僕と同じ誕生日。すなわちドラえもんの誕生日と同じ。お嬢様が小さい時には「自分の誕生日はドラえもんと一緒」ということが楽しい話題になっていたそうです。この日は同じ誕生日のお嬢様からも世界のクラフトビールセットをプレゼントしてもらいました。決して飲み過ぎることなく(と思う、多分)楽しく歓談することが出来ました。

 

「誕生会」のお品書き。嬉しいですねえ。2022年9月3日、撮影。

 

翌日は長男宅に遊びに行きました(冒頭の写真を撮ったのはこの時です)。小雪チャンがオモチャのピアノでハッピィバスティトゥユーを弾いてくれました。一人で練習したそうです。うまく弾いていたのでパパとママが僕以上に喜んでいました。

そして、この日のメインはナント「たこ焼き」!。二週間前に次女宅で「たこ焼き」パーテイーをしましたが長男宅でも出てくるとは。小雪チャンも大喜び。面白いのは、家庭でのたこ焼き器の存在は関西人(特に大阪人)には当たり前のことだと思うのですが、長男の嫁さんとそのお母さんは東北は宮城県石巻市。「家でたこ焼きを作る(焼く)のは始めてだあー」と我々以上に喜んで興味深々ぶりでありました。

 

 

NHK俳句です。9月第一週。司会は武井壮さん、選者は高柳克弘さん。ゲストにはお笑い芸人のレイザーラモンRGさん。ラモンさんは「野鳥の会」会員歴16年とか。今週の兼題は「啄木鳥(きつつき)」なので鳥繋がりのようです。テキストに面白い(分かり易い)解説が記載されていました。

●一つの季語にはたくさんの情報が入っている。「秋風」を例に取れば「冷たさ」「寂しい気分」は「秋風」のなかにすべて入っている。(だから)あえて「冷たき秋風」「さびしき秋風」という必要はない。「吹く」ということも含まれているので「秋風が吹く」と言わなくとも(意味は)伝わる。

●「啄木鳥」は樹木を叩くドラミングの音が特徴(中に入る虫を食べるためにつついている)。故に「音」「叩く」「打つ」といった言葉は使う必要が無い。

ナルホド、納得です(実際に句作するときには重複させていると思いますが--)。

 

季語「啄木鳥」の代表句として紹介された句です。

   啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々   水原秋櫻子

ゲストの野鳥の会のラモンさんによれば「啄木鳥は年中いる鳥(渡り鳥ではない)」。何故、秋の季語なのか選者の高柳さんからは「あの音が秋の心地よさを感じさせるから」と説明があったように思いましたが、あまり明確では無かったような気がしました。

また、この秋櫻子の句の「落葉」は冬の季語ですから、この句は「季重なり」になっています。「これは、秋と冬の境目の『晩秋』を表現していて『季重なり』によって季節のうつろいを表現していると。『季重なり』はタブーではない」と記載されていました。難しいですね。

今週の特選三句です。

 

一席   啄木鳥やつつき散らしてつんと立つ

二席   ザック生乾きの朝や啄木鳥   (けらつつき)

三席   森ゆれる啄木鳥みなで森ゆらす

 

いいなあと思った句です。

   啄木鳥や駅長室の双眼鏡

   啄木鳥やチタンカップのみづ清ら

 

俳句と映像(お題動画)等々は省略します。

 

 

英国のエリザベス女王が9月8日に死去されました。96歳。在位は70年、歴代君主で最長とのことです。英国は9日から服喪の期間に入ったそうです。「国葬」は死去の10日後をめどに執り行われる由。

少し前になりますが8月30日にゴルバチョフソ連大統領が死去、葬儀は9月3日に営われたそうです。「国葬」では無かったと(日経、9/4)。

安倍元首相の国葬は9月27日の予定ですが、その時点では亡くなってから二カ月半以上も経過しており、もはや葬儀ではなく「偲ぶ会」だろうとの意見も出ている様です。国会審議を経ないまま閣議決定で開催を決めたことも含め今回の「国葬」というのは理解しづらいですね。

 

 

9月中旬から鯱城学園の二学期が始まります。9月17日にはコロナで延期されていた長島愛生園見学ツアーに参加する予定です(もちろん、ドラゴン先生もご一緒)。コロナを凌いで引き続き元気な生活を続けたいものです。高校時代の四人組の一人からお互いを鼓舞するメッセージが来ていました。

「年をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年をとるのだ(バーナード・ショー)」。

 

おまけの料理です。

    

外で食べてばかりいるように思われるでしょうが、チャンと内で料理もやっております。夏野菜、大好きです。左、ナスとニンジンの挽肉炒め。焼き肉屋さんで頂いた秘伝のタレを使いました。旨っ!。中、イワシのオイル煮、マイタケ、シメジを加えて。塩を強めにしました。グッ!。横は長いもの焼いたん。右、ゴーヤとナスの挽肉炒め。ナスと挽肉は最強ですね。ゴーヤも合う!。ゴーヤが美味しい。9月1日から9日にかけて、料理と撮影です。

 

 




 

八月の終わりに

 

NHK俳句からです。前回、記載しなかったので三週間分が溜まってしまいました。簡潔に記載します。僕の備忘録として残しています。お付き合い頂ければ嬉しいです。司会は全て武井壮さんです。

 

8月第二週、選者は井上弘美さん、ゲストは引き続きお笑い芸人の桃沢健輔さん。桃沢さんは学生の時、井上先生の俳句講座を受講していたそうです。その時(20歳の時)に詠んだ句を井上先生が披露していました。素直な良い句だと感心しました。

   元旦や祖父の二十歳は兵として   桃沢健輔

今週の季語は「秋澄む」。テーマは”五感を研ぎ澄まして”。今回もクイズから。次の言葉で季語はどれでしょうか?、というもの。「山澄む」「水澄む」「空澄む」「風澄む」「音澄む」。答えはまた末尾に記載しておきます。桃沢さんはお見事、100点満点でした。

今週の特選三句です。

一席   金継ぎの碗に汲む白湯秋澄めり   (きんつぎ、わん、くむ、さゆ)

二席   山彦は子の声が好き秋澄めり

三席   見返りの鹿の埴輪や秋澄めり

「秋澄む」というのはいい季語ですね。いい句が多かったです。

 

第三週、選者は星野高士さん、ゲストは日本文学研究者のロバート・キャンベルさん。キャンベルさんは星野さんの俳句の弟子だそうです。

今週の「会いたい俳人」は杉田久女さん。女性の俳句進出はご存知、高浜虚子の「ホトトギス」で始まった。女性の身近にあった「台所俳句」から出発したとか。

   鯛を料る俎せまき師走かな   杉田久女

番組とテキストに記載されていた久女の代表句です。

   花衣ぬぐやまつわる紐いろゝ   杉田久女

   谺して山ほととぎすほしいまゝ   杉田久女  (こだま)

 

僕は、久女の代表句は

   足袋つぐやノラともならず教師妻   杉田久女

と思っていましたがこの句は記載されていませんでした。久女が「ホトトギス」を除名(破門)された理由もスッキリしません。残念でした。

今週の兼題は「朝顔」(傍題は「牽牛花」)。特選三句です。

一席   住み込みの窓は小さし牽牛花

二席   空はまだ汚れておらず牽牛花

三席   この露地はぬけられません牽牛花

 

鯱城学園の園芸科の宿題で育てていた名古屋朝顔は上手く開花させることが出来ませんでした。残念、寂しい限りです。仲間からのラインには立派に咲いた朝顔の写真が送られてきています。色とりどりでキレイなモノです。見ていて改めて情けなく思いました。

 

第四週、選者は堀本祐樹さん、ゲストはお笑い芸人のエハラマサヒロさん。エハラさんは俳句の経験は全く無しということでしたが、オモシロイ楽しいコメント(感想)を述べていました。お笑いの方はやはり独特な高さの感性を持っているのでしょうね。今週のテーマは「家族」(を秋の季語で)。能村登四郎のほのぼのとした句が紹介されていました。この句、いいですね。

   子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま   能村登四郎

 

入選句にも面白い句がたくさんありました。

   稲架掛けやほいのほいのと子が父へ   (稲架=はさ)

   柚子坊に負けじとご飯ほほばる子

   秋蝶や百年分の母の皴

   唐黍を今年も取りに来いと父

今週の特選句です。

   父母は互ひを杖に花野道

 

「稲架」=はさ。よく見うけられる”刈った稲を掛けて乾燥させるための木組み”のことですが、このような言い方をするとは知りませんでした。

「柚子坊」=ゆずぼう、芋虫のこと。秋の季語「芋虫」の傍題とのことです。これも知りませんでした。

ついでに「花野」は秋の季語で草の花を前提とするそうです。普通「花」はサクラで春の季語ですが「花野」は華やかさとともに次の季節には枯野となる寂しさも併せ持つとのことです(角川・歳時記)。

「唐黍を」の句は良いなあ、と思いました。

   

 

8月21日(日)、久しぶりに横浜市の次女夫婦のマンションに遊びに行きました。タカト君、サクト君と会うのは今年の三月の池袋以来5カ月ぶり。二人とも一回り以上大きくなっているように思います。タカト君は4月から二年生、サクト君は幼稚園の年少組の一つ年下のクラスに通うようになっています。部屋の壁一面にタカト画伯の作品が展示されていました。許可を得たので一挙掲載します。

 

 

作品名「もりもり」。一年生の最後の作品、大作です。

 

 

「ラジオ体操」。色合いがキレイに描けているなあ、と感心してます。

 

  

まだ「楽」という字は習っていなかった時の作品とか。よくぞ「楽しむ」という言葉を書いてくれたもんだ!。嬉しく思います。

 

 

この絵が最新作。お題は「街」(多分)。

 

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歩行者用の信号。スイッチを入れると光が点滅する。

 

表側 裏側

タカト特製「つめたいソーダ」ラベル。一瞬、どこかのメーカーの新製品かと勘違いしてしまいました。裏面に材料名を記載しているのがオモシロイ。

いやはやイロイロなことを発想して表現するものです。驚きます。創作することを、そして何より「楽しむ」ことをずっと大切にしてくれたら嬉しいなあ。

 

この日は次女のダンナが「たこ焼きプレート」でたこ焼きを焼いてくれました。大きなプレートで一面が6個Ⅹ(5~6)列あるのが二面繋がっています。一度に60~70個焼き上げることが出来る訳です。この日は、片側ではタコを入れた基本のたこ焼き、もう一面ではランチョンミート・スパムとピザ用チーズを入れた創作たこ焼き(タコは入れない)を手際よく焼いてくれました。最寄りの駅前に「から揚げの天才、テリー伊藤のこだわりの玉子焼き」のお店があるのですが、ここのから揚げと玉子焼きは確かに旨い。みんな大好きです。プライドポテトも併せ持参して、これらをつまみに昼からビールで乾杯(次女のダンナは全くアルコールは飲みません)。談笑している間にあっという間にたこ焼きが焼き上がりました。これだけ一度に焼き上げることが出来るのは素晴らしい!。見ている側も楽しめるし、作る側も一度やれば十分な量が出来るのでゆっくりと談笑することが出来ます。スパムとチーズのたこ無しタコ焼きも美味しかった。大喜びで大好きなたこ焼きを頬張っていましたら、すっかり写真を撮っておくことを忘れていました。京都の「ゴーヤチャンプルー」に続いての失敗です。食い意地が張っているためなのか、未だこの年齢になっても心に余裕が無いようです。

 

 

孫の作品、その二です。アラタくんの育てているおじぎ草です。学習教材のセットなのですが、育成の仕方が詳しく記載されているそうです。その指導の一つだと思うのですが”水を遣る時には声をかける”。アラタくんは応援歌を作って「元気に育て、『ビラタ』育て」「元気に育て、頑張れ『ビラタ』」と歌っているとか。ビラタというのはアラタくんが命名したこのおじぎ草の名前。面白いですね。ちなみに小雪チャンも同じものを育てているのですが名前は「ぺこりん」だとか。2022年8月30日、カミさん撮影。

 

 

ロシアのウクライナ侵攻から早くも半年が経過してしまいました。混迷が続いたままです。コロナ感染も相変わらず。収まる気配は見えていません。「慣れ」て油断をしないように十分に注意しながらですが、ナントか日常を取り戻そうと努力して行動するようにしています。周りでも同じ様に考える方が増えてきているように思います。

 

ピアノの先生の演奏会が開催されました。今回はお友達の先生と二人でピアノデュオ。お二人での連弾の演奏会はコロナの影響を受けてずっと中断されていたのですが、悩んで考えて二人で相談した結果、今般、再開することにしたそうです。規模も更に小さくして日程も短くしようと思っていたそうですが、いざ案内を出したら直ぐに席は埋まってしまったそうです。「演奏する側も、聴きたいと思っている側も同じだった。やはり皆さんが日常を普通に楽しみたいと思っている」。その通りだと思います。

最終日の最終回にドラゴン先生と二人分の席を予約させてもらいました。最終回に行くのは、終わった後に「打ち上げ」をご一緒に出来るから。感染対策に万全を期して開催されました。今回のプログラムの一曲目は久石譲の「人生のメリーゴーランド」でした。感激。この曲は先生からレッスンを受けた二番目の曲です。弾ける様になるのにほぼ一年ほどかかった曲でした。連弾の演奏を聴いて大感激。一人でいつも以上に盛り上がっていました。プログラムの曲もアンコールの曲も良く知っている名曲で大変に楽しめたピアノデュオでした。

 

終了後、一段落してからお楽しみの打ち上げ。先生ご夫妻、飛騨市神岡からいつも来ている先生のお友達(この方もピアノの先生)と我々二人。例によって大盛り上がりでした。ドラゴン先生は当初は仕事があるので早めに帰ると言っていましたが結局は最後までお付き合い。気がつけば夜はすっかりと老けておりました。いつも以上に、そして自分で思った以上に飲み過ぎ状態であったようです。翌朝、大反省。ドラゴン先生とピアノの先生には「(昨晩)無事に帰ったこと。飲み過ぎてご心配かけた(かもしれない)ことのお詫び」をラインで送りました。ドラゴン先生はその夜も事務所に戻って一仕事、この日は朝から飛び回っていたそうです。”僕よりも年長サンなのに、自分は恥ずかしい限りだ”と思いました。全く反省ばかりです。そのうち「自省録」ならぬ「反省録」を書かねばならなくなりそうです。

 

 

クイズの答え;「山澄む」「水澄む」「空澄む」「風澄む」「音澄む」の中で季語は「水澄む」「空澄む」の二つだけ。他は季語ではありません。

とのことでしたが、僕の持っている歳時記では「空澄む」というのは掲載されていませんでした。難しいですね。

 

 

明日から九月です。鯱城学園の二学期も始まります。「反省」の言行一致を目指してゆるりと活動していこうと反省してます。皆さま方もくれぐれもご自愛下さいませ。

 

 

 

『送り火』

三年ぶりの全面点火です。京都「五山送り火」。「大」の字がくっきりと!。すっかり恒例になりましたドラゴン先生の京都岡崎マンションでの「送り火」。2022年8月16日、ドラゴン先生が撮影。

 

夕方5時半過ぎにドラゴン先生のマンションに到着。まだ雨は降っていませんでしたが曇り空。夕方から夜にかけてはかなり激しい降雨が予報されていました。どんよりとしたお天気で移動するには助かりました。名古屋駅の百貨店で「名古屋メシ」のツマミを仕込んで持参しました。マンションではすでにドラゴン先生が受け入れ準備を完了させており到着するや否やビールで乾杯(註;手洗い、うがいをすることは忘れませんでした)。テーブルの上にはお手製のニンジンのタラコ炒め、茹だだちゃ豆が山盛り。さらにゴーヤチャンプルーの下拵えもされていました。こちらは追って長女ご夫妻が到着してから料理すると。ビールを飲みながら持参した名古屋ツマミを皿に盛り付け。世界の山ちゃんの幻の手羽先、矢場とんの串カツ、牛スジのどて煮等々(これ全部分かる方は名古屋通です)。ビールが進まないはずは無い。娘さんご夫妻も到着して更に盛り上がり、ドラゴン先生はゴーヤチャンプルーの調理に入りました。この辺りから心配された通り雨が酷くなってきました。ベランダの戸を開けるとザアーザアーと雨音が響くほど。さらに雷鳴りも。僕は既に心地よく酔っていましたが、さすがにこの雷雨は予想以上かと、果たして点火が出来るモノか心配になってきました。

 

お見事なゴーヤチャンプルーが出来上がって改めて乾杯。8時になりましたが、まだ、大文字を観ることが出来ません。テレビも付けてみましたがやはり遅れが生じている様子でした。待つこと10数分。雨も小降りになったようです。ようやく「大文字」が浮かび上がりました。

 

テレビの中継も混乱している様子。通常は8:00に「大文字」が点火、続いて5分ごとに「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居型」となるのですが、雨が激しかった「大文字」「妙法」は点火時刻を遅らせ、8:10過ぎに「大文字」と「船形」が点火して、少しづつ定刻よりも遅れて「妙法」「左大文字」「鳥居形」が点火したようです。雷雨に見舞われましたが、とにかく「五山」全ての「送り火」が全面点火出来て何よりだったと思います。

雨で混乱した今年の「送り火」でしたが、いつも以上にイロイロと話も盛り上がりました。ドラゴン先生が奥様を亡くされた時の模様を話してくれました。皆でシンミリとしながらも「送る」気持ちは一つになった様にも。最近の長女ご夫妻のコロナとの闘いの話でも大盛り上がり。「そう言えば以前にも雨で送り火が見れなかった年があった」「そもそもいつ(何年前)からこういう形で送り火を観ているのかしら」。すっかり酔ってしまって思い出すことが出来ませんでした(酔っているからではなく記憶力が落ちているからでしょうが)。

 

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いま記載しながら昔の記事を遡ってみると2017年の送り火が第二回目でした。その前年の2016年が雨のため途中で打ち切られた年でありました。僕のブログは2016年9月から始めましたから、ドラゴン岡崎マンションでの「送り火」とほぼ軌を一つにしていることを発見しました(それにしても毎回、同じ反省を繰り返していることに呆れます)。

 

翌日のお昼は京大病院横のカレー専門店「ビィヤント」に。ドラゴン先生に合わせて「カツカレー、辛口、ご飯(サフランライス)少な目。サラダをつけて」を注文。昨日は調子に乗って飲み過ぎてしまい今朝は反省、反省の連続。ゆっくりと起きて反省会をしてコーヒーを頂いてから15分ほど散策してこのお店に来ました。また雨が降っており開店早々であったので行列は出来ていませんでした。早めの昼食。注文を済ませた後で、昨晩の食事、料理の写真を一枚も撮っていなかったことに気がつきました。せめてゴーヤチャンプルーだけでも撮っておきたかった。少し酔っていたとはいえ薄味めでしっかりと調理されていて大変に美味しく頂きました。お世辞抜きで旨かった。

「ドラゴン先生の料理の写真を取り忘れたからこの店のカレーの写真を撮っておきます」と話していたのですが、いざお皿が出て来たら、すでに写真を撮ることを忘れていました。横から厳しいツッコミが入り慌てて携帯を取り出しました。一口食べてしまったところを分からないようにして撮影(したつもり)。

 

このお店はドラゴン先生が学生の時からずっと通っているお店。今は二代目のご夫婦がやっていますが、この日は珍しく先代の女将さん(二人のお母さん)が店を手伝っていました。仕事の邪魔にならないようにドラゴン先生が昔話をして花を咲かしていました。94歳になるそうですが顔立ち・姿勢、そして話し方もシャキッとされている魅力的な大女将さんです。

 

 

8月18日、水曜日。池袋の大おばあちゃんを囲んで昼食会の機会を設けることが出来ました。僕のカミさんの母上、99歳になります。さすがにもうお店のお手伝いはしていませんが、まだまだお元気。つい先日、熱を出したということでみんなが大変に心配したのですが、すぐに元気を取り戻しました。この日は、僕の長男一家が夏休みを利用して東京に出て来ていましたので、久しぶりにみんなで集まって食事をしようということになったもの。予定を決めたのは第七波でコロナの感染者が急拡大する前の時点でしたので、食事会を実施するかどうかを再度、慎重に協議しました。”大おばあちゃんが僕の長男に会いたがっている”、”長男の子どもたち(彼女の曽孫たち)に会いたがっている”ということが最大の決め手になり実行することにしました。当初は、大おじいちゃんのお墓参りをしてから昼食会を考えていましたが、あいにくと朝から大雨。予定を修正して食事会をしてから、その後に、お天気の様子を見てお墓参りをすることに変更しました。

 

食事の場所はいつも利用しているホテルの中華料理店。お店のほうもイロイロと配慮してくれ風通しの良いオープンスペースで他のお客さんが入らないようにほぼ貸し切り状態の席を設定してくれました。

遡ること10日前、小雪チャン(長男の長女)にとってこの夏休みは初めての一人お泊りをする機会になりました。いつも一緒に生活しているおばあちゃん(長男の嫁さんのお母様)の帰省に合わせて宮城県石巻市雄勝のおばあちゃん宅に一緒に遊びに行くことに。長男の嫁さんの兄弟の子どもたち(=小雪ちゃんのいとこたち、年長さんのお姉ちゃん達です)が一緒におばあちゃん宅にお泊りに来てくれるということで、いとこのお姉ちゃん達と一緒に遊ぶことを楽しみにしておばあちゃんと一緒に帰省したそうです。

普段一緒に生活して面倒をみてくれているおばあちゃんと一緒とは言え、両親は何かと心配していたようですが、小雪チャンは絶好調。いとこのお姉ちゃんとの交流を楽しんでいたそうです。とは言え帰る前日辺りには、パパ、ママに会いたいようと泣きべそをかいていた由。おばあちゃんから内緒に教えてもらいました。この食事会の時も待ち合わせ場所で合流した時にはベッタリとパパに抱き着いたまま。宴もたけなわになった辺りで漸くパパ、ママから離れて、大おばあちゃんとも会話が弾み、周りのみんなにも雄勝での自慢話をしていました。小雪チャンも大変に有意義な経験をした夏休みだったようです。

 

昼食後、幸いに雨も上がり近くにある大おじいちゃんのお墓参りに。逆に日差しが強くなっってきたのでお墓の掃除は簡単に切り上げさせてもらって、一人ひとり大おじいちゃんに手を合わせました。”そう言えば大阪のおばあちゃんのお墓参り、しばらく行っていないなあ” と反省です。

 

 

旅行等で移動する機会が増えるときには楽しく読書出来る本を持参出来ているかどうかが重要だと痛感しています。今回は(その意味では)大変に充実した時間を過ごすことが出来ました。ちょうど芥川賞発表の文藝春秋が発売された時でしたし、たまたま面白い本を見つけることが出来ておりました。その名も「暇と退屈の倫理学」。國分功一朗さん著。初版は2011年10月、増補版が出版されたあと文庫版に。新潮文庫2022年1月発行、5月第9刷。初版の発行時、大きく話題にされていた記憶がありましたが、すっかりと忘れておりました。(自分にとって)面白い本を(偶然、たまたま)見つけられる本屋さんというものがある、と最近、思うようになっているのですが、この本は「自省録」を買った本屋さんで見つけました。タイトルを見た時に”微かに記憶があるなあ”と思ったので、パラパラと頁を捲って「文庫版あとがき」のところを見たら「初版が発売されたのは2011年10月---震災から約半年が過ぎた時期であった」と記載されていて微かな記憶が一寸だけ蘇ったような気持になりました。

文庫版で500頁を超えるモノですが、一気に読み終えることが出来ました。予想した以上に面白い本でした。パスカルからハイデッカーまで先達が書き残している人間の生き方、生き様についての考察を基にして、「暇」「退屈」という人間の満足、幸福について「哲学」している本。最近、僕は縄文時代について興味を持っていますが、この本の中でも「定住と食料生産」の件が出て来ているのも関心を深くした理由の一つかも知れません。著者の國分さんは1974年生れの学者さん。僕たちから見ると子供世代の方ですが興味深い考察をされています。

前回のブログで中井久夫さんご逝去のことを記載しましたが、長男が「精神科医」の立場から関心を持っていました。「精神科医」の世界ではそれほどに大きな存在感のあった方だと思うのですが、「倫理」「哲学」の分野と結びついているのが中井さんの大きな魅力であろうと推察します(僕は神谷美恵子さん繋がり以外の中井さんの著作を読んだことはありません)。長男にはこの「暇と退屈の倫理学」を推奨図書として紹介しておきました。

 

題67回の芥川賞は「おいしいごはんが食べられます様に」。著者は高瀬隼子さん、1988年生まれの方。ちゃんと最後まで読み通すことが出来ました。「職場」「食べ物」をベースにして人間の心模様をうまく表現されているように思いましたが、相変わらず最近の小説を読み終えるには努力が必要だわいと感じています。

 

おまけの料理です。

神奈川の自宅で久しぶりに料理しました。ナスとひき肉炒め焼きそば。隠れ家で農園で収穫したナスの料理をイロイロとやっていたのですが、レシピも尽きて最後にエイヤアーでやってみたモノ。見た目は美味しそうに見えないと思いますが簡単、手早く出来て旨かった。ナスとひき肉は合いそうです。カミさんからは「油っぽいけど美味しいよ」とコメントがありました。2022年8月19日、料理と撮影。

 

8月20日(土)はアラタくんに会いに長女宅にお邪魔をする予定です。21日(日)は久しぶりにタカトくんとサクトくんに会いに次女宅に。孫たちの成長は観ていて楽しい。99歳の大おばあちゃんも元気だし、年長さんと年少さんの両方から楽しい刺激を与えて貰って嬉しい限りです。

 

 

今朝の新聞では8月19日付けのコロナ新規感染は過去最多を更新しています。ワクチンと感染を両方経験したことによる免疫を「ハイブリッド免疫」と呼ぶそうです。海外に比べて日本では今まで感染者が少なかった分、この「ハイブリッド免疫」を持っている割合が少ない。それが第七波の急拡大の背景にあるとか(日経、8月20日)。一見、ハイブリッド免疫の必要性を訴えているのかと誤解しましたが、記事の主旨はワクチンの追加接種には大きな意義がある、追加接種を進めていこう!ということでした。引き続き、『凌ぎ』きっていきたいものです。皆さまもくれぐれもご自愛下さいませ。

暦の上では・・・

久しぶりにドラゴン先生からメールが入ってきました。「8月1日から新事務所で業務開始している。事務所からの眺めはなかかなのもの」とのこと。段ボール700箱の引越しが終わり、今から中身の整理に取り掛かるそうです。陣中見舞い(=冷やかし、です)と事務所からの眺めを楽しみにお邪魔することにしました。モチロン、そのあとの ”軽くイッパイ” も楽しみにして。今までの事務所も名古屋市の官庁街、オフィス街の便利なところにあったのですが新事務所はもっと名古屋の中心部。言わば名古屋のど真ん中。名古屋のシンボルと言えば「名古屋城」だと思うのですが、地元の方々にとっては「テレビ塔」がより名古屋のシンボル的存在なのかも知れません。まさに街のど真ん中にあるからでしょう。名古屋市の中心を南北に走っているのが久屋大通。その大通りの中には公園があり、その公園にテレビ塔がそびえています。東側には愛知県文化センター、美術館・劇場ホール、NHKビルがあり、西側はオフィス街、繁華街が広がっています。錦三丁目=錦三=「きんさん」と呼ばれる地域です。ドラゴン先生の新事務所は久屋大通に面するビルの最上階、9階にあります。確かに景色は良さそう。

 

手ぶらでお邪魔するのもやや気が引けるし、とは言え、高価な鉢植え等々はたくさん届いていることであろう。焼酎の一升瓶でも下げていこうかと思いましたが、普段から「頂きモノのお酒が山ほどある」と飲み屋にも持参してくれるほどですから、これもやはり芸が無い。あれこれ悩んだ末に、挿し木して育てている「金の成る木」の鉢植えを持っていこうと思い立ちました。この木はもともとは鯱城学園の園芸科の先生から頂いたもの。「丈夫で手間もかからない、挿し木をすれば簡単に増やせる」から園芸の知識の乏しい僕でも育てることが出来るであろうとのご配慮から下さったものと思っています。「表面が乾燥したら水を遣る、肥料も数カ月に一度程度で十分。逆に水のやり過ぎは良くない」。まあ、確かにずぼらな僕には適した植物かと思います。今年の春に何本かを挿し木しました。これらも枯れないで新芽が出てくれて順調に育ってくれています。一鉢は長男宅にプレゼントしました。先日覗いたら順調に育っている様でした。

「挿し木をして育てたモノでも枯れることは無さそうだ」。プレートに「金の成る木」と書いて鉢に挿しておこうと思ったのですが、この名前は縁起が良さそうに思うものの品が無さそうにも感じられて。チョット捻って「徳の成る木」と命名しました。

 

先生に「金の成る木」の鉢植えを持参するとメールを入れたら「(鉢植え)ありがたいです。成った金も大歓迎です」と返信がありました。

 

夕方、5時過ぎに新事務所に。予想通りたくさんの胡蝶蘭が並べられていました。公園内のタイ料理のお店で「軽くイッパイ」。すっかりご馳走になってしまいました。

 

   

左、6時50分ごろの景色。右、7時にライトアップされます。「青の洞窟」、なかなかお洒落ですね。タイ料理店の店先から撮影、2022年8月5日。

 

   

左、テレビ塔正面から。この日は「世界コスプレサミット」の初日でしたから、それらしき方々が多数、写真撮影をしていました。この公園の東側「オアシス21」が会場の一つになっています。右、ドラゴン先生の事務所、窓際の先生の席から。真下に久屋大通公園(=セントラルパークと呼ばれています)が一望出来ます。

 

 

京都トレイルはもう少し涼しくなってから再開することにしました。五山送り火・食事会はドラゴン先生の強い意志で例年通りに京都ドラゴンマンションでやることになっています。この日(8月5日)から愛三岐では「BA5対策強化」が宣言されています。夏休みピーク、お盆の時期を控えて、更に一層、個々人が注意して凌いでいく必要が強くなっています。9月には長島愛生園のクルージングツアーに二人で参加を予定しているのですが、これもどうなることやら。またまた不明確な状況になってきました。

 

僕なりに神谷美恵子さんを偲んでいたら、今日、8月10日の新聞に中井久夫さんご逝去の記事が掲載されていました。8月8日、肺炎のため。88歳であったと。精神科医神戸大学名誉教授。たくさんの著書を残されていますが「神谷美恵子さんについて」もたくさん書かれています。中井さんは神谷さんを書き表す時---「神谷先生」と書くのは違和感がある、「神谷美恵子」(これは「呼び捨て」ではなく「言い切り」の表現と理解していても)と書くのは抵抗がある、やはり『神谷美恵子さん』がもっともおさまりがよいと。「ついに未見の方、20年近い先輩」で、同じ精神科として「今なお、神谷さんの臨床から謙虚に学ぶものがあると私は秘かに感じている」との記載が印象的でした。

 

 

猛暑のかたわり、8月3日あたりから東北や北陸では記録的な大雨で河川の氾濫が相次いでいました。そんな中で8月6日、広島。8月9日、長崎。それぞれ77回目の原爆の日厚生労働省によると被爆者手帳を持つ方は本年3月末で11万8935人だそうです。平均年齢は84歳(日経、8月9日、夕刊)。ロシアのウクライナ侵攻で例年以上に関心が高まっていたと思いますが、「被爆者の声」「証言活動の大切さ」を改めて感じました。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

 

 

本年は、8月7日(日)が「立秋」です。暦の上では「秋」になりました。暑さは全く変わりません。「暦の上では・・・」って変な言い方ですよね。改めて感じています。「旧暦では・・・」というのが正しい言い方と思うのですが、普段使っているの暦・カレンダーがあるのにわざわざ「暦の上では・・・」と言うとは。日本語は難しいと思います。

 

NHK俳句です。8月第一週、選者は高柳克弘さん、司会は武井壮さん。ゲストは女優の釈由美子さん、登山にハマっていると。この日は8月7日の立秋、「暦の上では」秋です。兼題は「秋の雲」。釈さんが登山して空の雲が美しい写真が映されていました。冒頭で紹介された句ですが、テキストにはクイズ形式で、

   ねばりなき空に○○や秋の雲   丈草

○○に入るのは①流る、②進む、③走るのどれでしょうか?。「動かない」言葉、置き換えできない言葉はなんでしょうか?という質問でした。答えはまた末尾に記載しておきます。

今週の特選三句です。

一席   やすらはずうつりゆきけり秋の雲

二席   スケボーの廻す地球や秋の雲

三席   藍深む速吸瀬戸秋の雲   (速吸瀬戸=「はやすいのせと」、愛媛と大分の間の海峡とのことです)

面白いと思った句。

   アイロンの手かげん秋の雲かげん

   バレー部のカレー百円秋の雲

テキストには水原秋櫻子の句が紹介されていました。「さまざまな対比の構図」「印象的な風景画」を作った俳人と。

   鰡はねて川面くらし蚊喰鳥   水原秋櫻子   (蚊喰鳥=かくいどり、コウモリのこと)

   高嶺星蚕飼の村は寝しづまり  同   (たかねぼし、こがい)

   金色の仏ぞおはす蕨かな   同

秋櫻子は師であった虚子の「客観写生」に違和感を表明して”主観”により自然の風景を再構築する作り方を提唱したそうです。

下重暁子さんの「この一句---108人の俳人たち」の当該の頁を見ると「秋櫻子のホトトギスへの批判は、若い俳人たちの同意を得て大きく発展---俳誌『馬酔木(あしび)』を中心に加藤楸邨石田波郷などの俊秀も育てた」とのことでした。また、秋櫻子は若山牧水与謝野晶子斎藤茂吉などの影響を受けて短歌も詠んでいたそうです。面白いですね。

 

 

久しぶりにおまけの料理です。

   

左、農園で収穫したピーマン、ピーナッツかぼちゃ(バターナッツかぼちゃ)のピリ辛炒め煮。油揚げ、豚肉・ハムを加えて。豆板醤でピリ辛に。2022年8月5日、料理と撮影。右、イワシのソテー、ピーマン・玉ねぎ甘酢炒め乗っけ。スーパーで安く売られていたイワシを見つけてついつい買ってしまいました。安くて新鮮なイワシ、イイですねえ。2022年8月9日。

このお皿、ピアノ模様の愛用のお皿なのですが、二学期の陶芸クラブの自由作品でこれらしい模様のお皿が出来ないモノかと。思案中です・・・。

 

 

俳句クイズ、答えは③走る。①は平凡、②は重さを感じてしまう=夏の雲が相応しい、とのこと。僕は平凡な答えしか浮かびませんでした。

『梅原猛』をもう一度

名古屋市円頓寺商店街の第65回七夕まつり。昨年、一昨年はコロナのために中止でしたが、今年は開催されています。ここにきてコロナの新規感染は過去最高を更新する広がりを見せてはいますが公式な行動制限措置は取られていないことから、主催者側は開催に踏み切ったものなのでしょう。円頓寺商店街名古屋市西区那古野にある名古屋でも古い商店街の一つです。2022年7月30日(土)、午後3時半ごろに撮影。

   

商店街の店主それぞれが手製の張りぼてや七夕飾りを作って祭を盛り上げるそうです。写真左が愛知県知事賞を取った作品。親近感が持てますねえ。写真右は商店街の入り口=円頓寺交差点に置かれている秀吉の像。愛知県では信長、秀吉、家康はいまでも絶大な人気で「三英傑」と呼ばれています。商店街は東西に広がっています。交差点には四つの角がありますが、北東の角が信長、南東の角がこの写真の秀吉、北西の角が家康の像が置かれています。面白いのがもう一つの角。ここに誰の像が置かれているのか?。知っている方はかなりの名古屋通でしょう。回答はまた末尾に記載しておきます。

 

この界隈のことを「那古野」というのですが、最初、名古屋に来て説明を受けた時にはこの「那古野」が「名古屋」の元々の地名である、読み方は「なごや」で使う漢字が時代と伴に変化した、と聞いたことを記憶しているのですが、この界隈では「那古野」は「なごの」と読みます。那古野と名古屋は関連が無いという説もあれば、いや、やはり那古野が名古屋の元の地名で「那古野村=なごやむら」であったが大きくなって町になった時に「那古野町=なごのちょう」になったとか諸説あるようです。まあ、ほとんどどうでも良い話ですが「那古野」という地名は何か風情があって好きですね。

 

僕のピアノの先生のご自宅=ピアノ教室がこの界隈にあります。商店街を東に進むと「四貫道(これで「しけみち」と読みます)という南北の道に交差します。この「四貫道」は知る人ぞ知る名古屋の人気スポットなのですが、昔ながらの狭い道沿いにオシャレなお店、人気の料理屋さんが並んでいます。ピアノ教室はその一つ手前の筋にあります。ピアノサロン「心音」=僕のピアノ教室です。8月末にはピアノ演奏会を予定されているのですが感染拡大にかなり気を揉んでらっしゃる様子。今のところ予定通り開催するつもりで準備を進めているようですが・・・。いちげんのお客さんはほぼいなくて友達・知り合い繋がりですから安心感があるとは思うのですが、逆に主催者側は余計に気がかかるところなのでしょう。無事に開催出来ることを祈っております。

 

 

今、梅原猛さんの「縄文」関連の本を読んでいます。「縄文」の本は以前このブログでも紹介しましたし、梅原さんのことも書いたことがあるのですが・・・自分の整理のために昔のブログを埋め込みしておきます・・・、

 

梅原さん、その1.

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梅原さん、その2.

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「縄文」関連、その1.

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「縄文」関連、その2.

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「縄文」関連、その3.

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梅原さんが「縄文」のことを書いた本をきちんと読んだことが無かったかと。例によって千種図書館で「日本の深層---縄文・蝦夷文化を探る」「縄文人の世界」「梅原日本学講座、君は弥生人縄文人か」等々を借りて来て読んでいるところです。また本棚にあった「ユリイカ」の(追悼)「特集号」を引っ張りだして当該のところ(「縄文」関連の記事)を探して読んでおります。

興味を持ってしまったのは(単純な話なのですが)、例の陶芸クラブでは二学期の自由作品のデザインを考えておくのが夏休みの宿題なのですが、図書館で陶芸乃至は陶芸デザインの本を探している時に、ふと「縄文」のデザインはオモロイなあと頭に浮かんできたのです。こういう繋がりが出来ることをオモシロイと感じる方なので「縄文」を考えるのであれば、これもついでに、折々に気になっていた”梅原さんの『縄文』を読んでみよう”ということになった次第。

 

合計6冊の本を借りているのですが、千種図書館が大幅な改修工事のために8月上旬から11月ごろまで長期の休館となることを知りました。耐震改修工事だそうです。借りた本の返却は近隣の別な図書館で返却出来るとの事ですが、オモシロイのは、次の別な方から貸し出し希望が出ていない書籍については、申請をすれば工事が完了する11月までずーっと借りていることが可能である!とのことでした。

今日の午前中にパソコンで延長申請をやってみました。有難いことに11月16日まで借り続けることが出来てしまいました。焦らずにじっくりと読むことが出来ることになりました。夏休み、ゆっくりと宿題を考えてみたいと思います。とは言え、借りた本の半分はもう読み終えたので不必要に滞留させないで最寄りの図書館に返却しておこうと思っています。

 

梅原さんの「縄文」考、面白いです。「縄文文化=日本の基層文化」との考え。考古学者ではなくて哲学者として「縄文時代の世界観」「精神生活」を考えていること。従来の伝統的な考古学との軋轢、批判・非難はここでもありそうですが、それが「梅原日本学」と言われる由縁なんでしょう。改めて梅原さんの「縄文」のことを書いてみたいと思っています。

 

 

NHK俳句です。相変わらず僕の備忘録として残しています。お付き合い頂ければ嬉しいです。7月の第四週。選者は堀本祐樹さん、司会は武井壮さん。ゲストはモデルでタレントのはなさん。今週のテーマは「故郷」。テキストに掲載されていた句です。

   ふるさとや親すこやかに鮓の味   正岡子規

   帰省子に腹ばふ畳ありにけり   生田恵美子

今週の入選句で面白いと思った句です。

   タクシーの訛親しき帰省かな   (訛=なまり)

   レット・イット・ビー弾く帰省子の黙   (黙=もだ)

   故郷に蛇振り廻す其奴ゐる   (其奴=そいつ)

今週の特選句です。

   何もなき故郷涼し何もせず

ゲストのエピソードを選者が句に詠むコーナー等々は省略です。

 

今月は日曜日が五回ある月ですから、最終第五週は「歳時記食堂---おいしい俳句いただきます」。店主が星野高士さん、女将が岸本葉子さん、常連客がビビる大木さん、お客ゲストは明治大学教授の齋藤孝さん。

一品目

   淋しさが目鼻つきぬけ夏蜜柑   橋本多佳子

二品目

   更くる夜を上ぬるみけり泥鰌   芥川龍之介

芥川の紹介が面白かったです。田端の自宅で木登りしているところ、息子達と遊んでいるところのフィルム映像が映されていました。次の句は芥川、九歳!の時の句だそうです。

   落葉焚いて葉守の神を見し夜かな   同上

自殺する二年前、雑誌投稿のため俳句50句を認めた自筆の原稿が紹介されていました。端正な字です。

   木枯や目刺にのこる海のいろ   

   木の枝の瓦にさはる暑さかな

店主の星野さんが選んだ芥川の一句です。  

   水洟や鼻の先だけ暮れ残る   (水洟=みずばな)

可笑しみのある句も紹介されていました。

   青蛙おのれもペンキぬりたてか

芥川は昭和2年(1927年)に服毒自殺。命日の7月24日は「河童忌」と呼ばれています。

三品目

   「あなたのは」とばかり訊く妻サクランボ   小山正見

お客のお二人からは「夫婦仲が良い」「おのろけの句」との鑑賞がほとんどでしたが、この句を詠んだ背景を作者の小山さんにインタビューした映像が紹介されていました。小山さんは一般の方でインタビュー時74歳の方。奥様は認知症で雨の日に植木に水を遣ったり、食事中に何度も同じことを聞く状態であったそうです。小山さんはイライラして暴力を振るってしまいそうになることも。当時、こんな句も詠んだそうです。

   身代りの風船数多数多割る   (数多=あまた)

”このままでは自分も壊れてしまう”と思うようになったが、ある時、何度も何度も同じことを聞くのは自分のことを気遣ってくれているのか!と感じたそうです。そして「かわいいな」と思ったと。愛している云々ではなく認知症の妻を「かわいくて」「抱きしめてやりたい」と思ったそうです。掲句はその時に詠んだ句とのことでした。インタビューに淡々と答えながらも小山さんの目は潤んでいるようでした。

この「歳時記食堂」は良い番組ですねえ。次回、第五週があるのは10月になろうかと思いますが今から楽しみにしております。

 

コロナの新規感染者は連日20万人を上回っています。身近な友達にも感染者が出てきました。但し、ワクチン・薬のお陰で重症化した方はいません。来週、予定していた鯱城学園、園芸四班の暑気払い会は延期することにしました。残念ですが現状、やむを得ないと思っています。皆さま方もくれぐれもご自愛ください。

 

 

おまけの「豆の話」です。

      

    

山形の「秘伝豆」を頂きました。ゆっくりと時間をかけて戻すとふっくらと大きくなります。それを茹でてご飯に混ぜると「豆ご飯」の出来上がり。ご飯は豆の茹で汁で炊きます。塩をチョット加えるだけ。茹でた豆に塩をふればビールのおつまみにも。

昔(今でもかな?)、大手の航空会社の機内サービスで「ドライ納豆」をつまんで美味しかったので探したのですが、その会社の通販でしか売っていませんでした。最近、カミさんが人気の珈琲豆のチェーンで売っているのを発見。それ以降、愛用しているのですが、それを友達に紹介したら「大豆は体にいいよねえ。こんなのもあるよ」と。「秘伝豆」なんて大そうな名前なので驚きましたが美味しいです。スナックをつまむ癖があるので、お酒を飲む時はスナックは止めて当分「秘伝豆」にしようと思っています。

 

円頓寺交差点の四番目の像は「水戸黄門」です。「三英傑」とどういう関連があるのか恥ずかしながら不案内です。最後までお付き合い頂きありがとうございました。

 

陶芸作品(自慢)です

7月12日(火)、陶芸クラブの一学期の最終日です。今日は、作った作品が焼き上げられているはず。”どんな具合に出来上がっているものやら?!”、期待と不安を胸にして何時もよりもやや早めに隠れ家を出発しました。以前に紹介しましたが、陶芸クラブは「楽陶館」で行っています。名古屋地下鉄、東山線の本郷駅からバスに乗ると二駅の便利なところ。僕は往く時は歩いて行くようにしています。本郷駅からは緩やかな上り坂で10-15分くらいかかります。春に再開された時には歩いて行くと調度、気持ち良い距離だと感じていましたが最近は汗でびっしょりになります。水分補給には十分に注意しながら歩きました。結局、一学期の往路は毎回全部歩いて行ったことになります(帰路は仲間とオチャをしてからバスで一緒に駅に移動しています)。仲間には”健康のため”などと言っていますが、どうやら惰性で歩いているような(一人勝手に意地を張っているところもありそうな)気がします。

 

陶芸クラブの紹介のブログです。参考までに埋め込んでおきます。

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今日の陶芸クラブの活動は「作品鑑賞と二学期のガイダンス」。いつもの陶芸作業は無し。入口の棚台車に完成した全作品が載せられていて、その一部を先生が鑑賞・講評してくれました。どんな釉薬を使用しているか、施釉をどう工夫したか、何故うまく色が出ていないか、うまくいかなった原因は何か等々。聞いていて全て理解出来る訳では無いのですが、この講評は大変に勉強になります。その後、各自の作品を自分の席に持っていき自分自身で作品を鑑賞、仲間とも意見交換、先生を交えての作品鑑賞・講評。

 

     初めての作品、その1です。ひも作りの壺。上部は「青化粧」「黄化粧」、下部は「鬼板」。「透明」の釉薬を掛けて「織部」を垂らしました。

 

    その2,タタラ作りの鉢(皿)。「白マット」「黒マット」に浸けただけ。

 

    その3,タタラ作りの筒花生。「壺」と同様に、上部は「青化粧」「黄化粧」、下部は「鬼板」。ひまわりの花は「鬼板」と「黄化粧」。「透明」の釉薬を掛けて茎と葉のところに「織部」を。

 

初めての作品にしては満足の出来栄えでした。”我ながらうまく全体のバランスがとれている”。施釉は全て先生の指導のおかげです。自分のイメージと色を説明したら、瞬時に的確なアドバイスをしてくれました。

壺と筒の上部はウクライナの国旗をイメージしたんです。筒の「ひまわり」はもちろんウクライナのシンボルです。全面、ひまわりの模様にしましたが、ホントはひまわりと小麦を入れたかったのですが、準備が十分に出来ず時間の制約もあり、全てをひまわりにしました。結果的にはゴタゴタしないで却ってよかった様に思います。

皿には、ピアノと楽譜の模様を入れてあります。「黒」と「白」の釉薬のあと楽譜と鍵盤にラインの色を加えたかったのですが、まだそこまでのワザは無理のようで先生から「それは二学期以降のテーマにしましょう」と慰められました。因みにこのような左右、上下の文様を異なったものに仕立てることを「片身替わり(かわみがわり)」と呼ぶそうです。作品の写真を家族と仲間に送ったのですが、仲間の一人、件の師匠から「片身替わり」と言う言葉を教えてもらいました。楽譜は「太陽がいっぱい」の実際の最初のフレーズを入れたのです。芸が細かい!のですが、細かすぎて全く分からない。さらにお皿の表面に凸凹をつけるのはやはり実用性からはバツ!ですかね。料理のお皿には使わずに、今はもっはらツマミのスナック、おかきの類を入れて使っています。

 

二学期の陶芸クラブは9月20日から始まりますが、二学期からは「自由作陶」になるそうです。前半は11月に開催される鯱城学園の文化祭への出品作品を制作する由。各自それぞれ少なくとも三作品を制作。上級者はロクロを駆使しての作品作りを自由にやってよい、初心者は一学期の復習を兼ねて作品作りをするのが良かろう、ということでした。初心者のロクロは二学期の後半、さらには三学期に勉強することになりそうです。先生からは夏休みの宿題として「作品の構想をしっかりと考えてくるように!」とのアドバイスがありました。約二か月間、ゆっくりと構想?を練りたいと思います。

 

同期(僕は転入一年組なので同期の方々は全て先輩、師匠になります)の仲間の作品を鑑賞しましたが、比較してみると一つひとつの工程を丁寧に仕上げていることがよく分かります。キメが細かい。自分の作業はやはりかなり(極めて)ズサンであるなあ、と思い知らされました。釉薬も僕が使っていない(使えなかった)「天目」「黄瀬戸」「鉄赤」「御深井(おふけ)」等々を使って渋い作品を作っていました。今回の自分の作品には満足しているのですが、先輩・師匠の作品と改めて比較するとマサに素人と玄人の差がありそうです。釉薬というのはキット奥が深い世界なのでしょう。ハマっていく人が多いというのが理解出来そうな気がします。

 

 

NHK俳句、7月第三週です。選者は星野高士さん、司会は武井壮さん。ゲストにはモデル・女優の上西星来(じょうせいせいら)さん。上西さんはNHK俳句さく咲くで三年間、武井さんと一緒に俳句を勉強した間柄とか。

今月の会いたい俳人は森田愛子。森田愛子は1917年、福井県三国の生まれ、若くして結核になり鎌倉の病院に。入院していた伊藤柏翠(高浜虚子の弟子)と出会い俳句を詠むように。虚子は俳句を生きがいとする二人を思い、度々、三国を訪れたそうです。虚子が愛子に送った句。

   虹たちて忽ち君の在る如し   高浜虚子

   虹消えて忽ち君の無き如し   同

愛子も虹の句を残しています。

   虹消えてすでに無けれどある如く   森田愛子

愛子は1947年に29歳で他界。虚子の墓所鎌倉市寿福寺にあるそうですが後日そこに愛子の墓石が添えられ置かれているそうです。自身に生きがいを与えてくれた虚子と俳句に対する感謝であろうと解説されていました。それにしても明治~大正~昭和にかけて結核という病気の恐ろしさを改めて感じます。

 

今週の兼題は「虹」、特選三句です。

一席   朝虹や泣かぬと決めたはずなのに

二席   束の間の夕虹立ちぬ無人

三席   少年の勇気のやうに虹立てり

上西さんも「虹」の句を披露していました。オモシロい句ですね。

   ああそうかそうだとしたら虹なのか   上西星来

 

 

おまけの写真です。

7月14日(木)、司くん(長男の長男。小雪チャンの弟)、一歳の誕生日。週末に誕生日の食事会をするというのでカミさんも神奈川から来名。お昼に長男のマンションで会食しました。長男の嫁さんのお母さんの誕生日が一日違いの7月15日。食事が終わって一段落した時に小雪ちゃんがおばあちゃんへ誕生日祝いの花束を贈呈してくれました。うちのカミさんの誕生日は6月27日なのでちょっとずれているのですが、気を遣ってカミさんにも花束を準備してくれました。カミさんは一緒に花束をもらって大喜び。隠れ家に帰り、早速に自慢の筒花生に飾りました(・・・花生に花の模様は合わないのかなあ?)。

 

この日の午後は小雪ちゃんのピアノのレッスン。長男は週末の当直があるので最後まで付き合うことが出来ないと言うので、帰りは僕が連れて帰ることにして三人で一緒にレッスンに行きました。長男のマンションから歩いて10分ほどの場所、閑静な住宅街の中にあります。レッスンは最近始めたばかりで一回30分ですが、先生との1:1の相対のレッスンを無事に受けることが出来るのかどうか。長男パパは全く気にしていませんでしたが、爺のほうが心配でドキドキしておりました。結果は30分間、全く集中を切らすことなく、先生の言うことをよく聞いて練習していました。受け答えもしっかり出来ていたように思います。脱力の練習も教えてもらっていて、何回目かには”オバケの手の形、ストーン!と打鍵出来ていたように思いました。爺バカです。”ムムッ、僕よりも覚えが良さそうだわ”。楽しくレッスンを受けているのが何よりでした。

 

 

コロナの新規感染は7月16日に全国で11万6百人に達し、2月1日以来、一日あたりで過去最高となったそうです。ワクチンの追加接種のペースが鈍いことが心配です。”自分の身は自分で守らないといけない”ということですが、今から8月にかけて旅行、帰省で人の動きが多くなる時期、重症者の増加がますます心配になってきます。皆さまもくれぐれもご自愛下さいます様に。