クルルのおじさん 料理を楽しむ

日本酒

今年の冬はよく日本酒を飲んでいます。外で食事する時、和食の場合には「とりあえずビール」の後、ほぼ間違いなく「やっぱり日本酒」を注文します。恰好つけてわざわざ「ぬるめの燗」と頼む時もあります。家で一人で食べる時も日本酒を燗して飲むことが多くなりました。湯豆腐をする機会を増やしました。要領が分かれば簡単に出来るので大変に重宝してます。豆腐一丁を一人で美味しく食べてしまいます。食事は風呂上りにしますから、食事の準備をしつつ、まず缶ビールを一本飲む。その後、湯豆腐を食べる時に日本酒をやや熱めの燗にして頂きます。湯豆腐はちゃんと作っているつもりです。専用の鍋もあり。腰のしっかりした絹豆腐を買ってきて、鍋に昆布を敷いて。ぐい飲みに刻んだしょうがとネギを入れ出汁醤油を加え、湯豆腐の鍋の真ん中に置いて熱くして。豆腐がフラフラしたところをハフハフ言いながら食べます。一人手酌で日本酒を飲んで、やや寂しいのもオツなものかと。

 

大学を卒業して社会人になった時、勤務地は東京、日本橋本町にありました。JR神田駅から歩いて10分ほど。以前書いた通り関西系の総合商社です。ムチャクチャ残業が多かった。最近は過労死云々が大変な問題になっていますが、当時はひと月に100時間くらい残業している連中が僕も含めゴロゴロいました。逞しい時代であったと思います。神田周辺には飲み屋さんが沢山ありました。地元出身、土地勘のある連中が安くて旨い一杯飲み屋をすぐに探し出して、ほぼ連日飲んでいました。残業が終わってからですから、飲みだすのが夜の9時、10時。とりあえずビールから始まり、後は、やっぱり日本酒です。当時は二級酒ながら人気の高い旨い酒があった時代です。終電の時間があっという間に来ます。短時間に集中して飲んで食って。会社・上司の悪口は当たり前、酒の肴です。でも根は真面目なのか?お酒が回っても結構マトモな話をしていたように思います。定番のツマミは、納豆豆腐でした。今これを書いていて懐かしく思い出しました。豆腐をさいの目に切った上に納豆をかけその上に卵の黄身を置いてネギ・削り節をかけたもの。出汁醤油のような特性のタレで食べたように思います。僕は関西・大阪ですが、納豆はどういう訳か大好きでした。ビールにも日本酒にも合うと思っています。

会社の寮は三鷹市にありました。一緒に飲んでいる連中のほとんどが三鷹の寮住まい、一人の先輩は三鷹がご自宅の方。一人は神田近くに自宅があり。みんなからNTちゃんとちゃん付けで呼ばれている人気者、僕とは同期の桜です。神田駅で一応解散するのですが、三鷹に帰るほぼ全員が「三鷹で飲み直すぞお。NTちゃんも一緒に行こうぜ。」と誘います。気のいい酒の大好きな彼は酔いも手伝い、しぶしぶながらも喜んで三鷹に付いてきます。三鷹の駅近くの、これも常連になっているおでん屋さんに行って楽しく気勢を揚げます。お開きになるのは深夜から早朝。翌朝は「もう二度と日本酒なんか飲むものか、頭が痛い」と言いながら遅刻もせずに、みんな何が何でも出勤したものです。若くて元気があったんですねえ。NTちゃんは「なんで俺が三鷹に泊まってるんだよう」といつも反省しておりました。当時の二日酔いは本当に酷くて、頭の中で釣鐘がゴーンゴーン、キーンキーンと鳴り響いているようでした。このメンバーの頭の中では午前中はいつも除夜の鐘が鳴っていたと思います。

 

「お酒はぬるめの燗がいい、肴はあぶったイカでいい」・・・八代亜紀の「舟歌」です。これは酒飲みにはジーンとくる唄でした。あの当時、八代亜紀さんは全盛期であったと思いますが、今でもその時の舞台姿が一体となって甦ります。

僕のカミさんの親父さんも日本酒大好き人間でした。池袋にある親父さんの会社事務所で飲むときには、まずはスルメと日本酒でした。カンペットという優れものの機械があります。日本酒をいれてスイッチ押せばお燗をしてくれる。一度に2合以上、燗をつけることが出来たと思います。料理が出てくるまでに調子に乗って飲んでしまい、結局一升瓶が空になっていた時もあったかと。まだ結婚する前です。酔っぱらって寮に帰る電車の中で寝込んでしまい降りる駅を通り越し、更に終点でも目を覚まさず往復して最初の乗車駅に着いてから気が着くとか、随分と無茶な飲み方をしていたものです。よく事故・事件に合わなかったことだと思います。改めて日本国が安全なことに感謝しないと罰が当たりそうです。結婚してからカンペットは我が家でも買いました。先日、長女のダンナと家で飲んだ時に使いましたが、ちゃんと動いてくれていました。この時は一升は飲んでないと思いますが。それにしても日本国の家電製品が何んと長持ちすることか、素晴らしいことだと思います。

 

「お酒はぬるめの燗がいい」の「ぬるめの燗」を有名にしたのは 上原浩さんだと思います。1924年生れの酒造技術指導の第一人者。残念ながら2006年に逝去されてました。「酒は純米、燗ならなお良し」の名言を残されています。何年か前に本を読んだことがあったので、本棚を探してみたら見つけることが出来ました。

20歳の時から酒造技術者として酒一筋に生きた方。著書も多数、酒造関係者向けの専門技術書からお酒好きの一般消費者向けの啓蒙書まで。「日本酒とは純米酒である。日本酒とは本来コメと水だけでつくるべき酒である。醸造用アルコールを添加した酒、ましてや三倍増醸酒等は、日本酒と呼ぶべきで無い。」という固い信念をお持ちです。「アルコール添加というのは、戦中戦後の緊急避難策であった。米不足の時代、当時はこれ以外に日本酒の命脈を保つ方法があり得なかった」「ところがコメが余って困る時代になっても、コメの価格は高くアルコールは安いものだからアル添は定着、更に糖類等も添加する三倍醸造も一般化している」ことを痛烈に非難。今日の日本酒ブームの基を作った方のお一人だと思います。技術屋さんらしい説得力のあるコメントがあります。「アル添酒というのは、醸造酒である日本酒に蒸留酒である醸造用アルコールを添加するもの。醸造酒に蒸留酒を混ぜること自体に違和感があろう。本来、日本酒はコメと水だけでつくるもの。これ以上ないほど安全、健康的な食品である。それをアル添により劣悪な酒というイメージに貶めた。」これは正にその通りで、文字通り僕の頭の中でも、日本酒というのは飲みすぎると悪酔い、二日酔い・頭痛に繋がるという悪いイメージが定着しておりました。「アルコール添加の量を減らした『本醸造酒』の登場、更に、高精米と低温発酵を生かした『吟醸酒純米吟醸酒』も加わり、日本酒はようやく食文化の顔を取り戻し始めた。」これらの特定名称が法制化されたのは1990年(平成2年)、級別制度が廃止されたのは1992年(平成4年)のことだそうです。

さらに上原さんに言わせると、「純米酒を燗にすると、ますます味は映える。アル添酒の場合、燗にすると香味のバランスが崩れる。劣悪なモノはアルコール臭が浮いてくる。吟醸酒の場合でも、アル添により吟香を補強しているから、冷や酒なら良いが燗にすると全然ダメになることが少なくない。 」とのことです。更に極めつけは、「燗は、ぬるめの燗がいい」と。「酒は純米、燗ならなお良し」の名文句の誕生です。これは言葉・言い回しとしても良いフレーズだと思います。この名文句を知ったうえで、純米酒を燗して飲むと旨さがアップするような気がします。とは言え、誰でもいつでも純米酒が飲めるわけではありませんし、時には熱燗の方が旨く美味しく感じるときもある。また、最近流行りのコメの40%-50%も削って作る芸術的なお酒は確かに「冷や」で頂く方が旨いようにも思います。 その時々の状況に合わせて自分が美味しい・飲みたいと思う飲み方で楽しめば、今となれば=これだけしっかりした日本酒が定着した訳ですから上原さんも喜んでくれるだろうなあと思う次第。

三鷹まで付き合ってくれていたNTちゃんは、2015年年初に病気のため若くして他界されました。若い時から家族付き合いをしていましたが、最後の一年以上は一緒に酒を飲む機会すら作れませんでした。通夜の席で奥さんから「もう一度ミンナで一緒に飲みたかったねえ」と言われ涙が止まりませんでした。今夜の杯はNTちゃんに献じたいと思います。

 

湿っぽいのが嫌いであったNTちゃんなので敢えて蛇足を入れますが、日本酒の輸出は7年連続で過去最高水準を更新しているそうです。所謂「和食ブーム」に乗り、海外の日本食レストラン中心に取り扱いが増えていると。海外の日本食レストランは 2006年には 24,000店であったものが 2015年には 89,000店に急増しているとか。和食と日本酒の組み合わせ、いいですよね。もちろん、和食と焼酎の組み合わせもいいと思います。日本人に生まれて良かったと思う瞬間の一つです。

蛇足の蛇足ですが、米国人男性がsake作りに挑戦し米国東海岸メーン州で米国産のコシヒカリと地元の水で純米吟醸を仕立てたそうです。米国地酒の純米吟醸!。それがロンドンで開催されたsake品評会で日本の老舗の銘酒とともに金賞を受賞したと。楽しい話題でお酒を美味しく頂けそうです。飲みすぎには注意しましょう。 

 

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名古屋でお世話になっている居酒屋、英(はなぶさ)さんの入り口。いい顔してますよねえ。家庭料理でちょいと一杯が最高に旨い。筑前煮、おから、飛竜頭なんで絶品です。

 

家にあった上原 浩さんの本です。

●「純米酒を極める」、光文社・知恵の森文庫。2002年12月刊行を文庫化、2011年1月初版。

●「純米酒・匠の技と伝統」、角川ソフィア文庫。2002年ダイアモンド社刊行を改題。2015年3月初版。