クルルのおじさん 料理を楽しむ

「大豆」のお話

エンドウ豆の苗木が成長して花を咲かせています。鯱城学園「文化祭」園芸4班で皆さんに配布した苗木、二鉢を手元に残して隠れ家のベランダで育てています。背丈は1mほどになりました。無事に実を付けてくれるかな?。2020年3月5日、撮影(「大豆」のお話なので「豆」つながりで)。

 

 

「大豆」の本を読みました。『大豆と人間の歴史』、クリスティン・デュボワさん著、和田佐規子さん訳、築地書館、2019年10月31日初版発行。376頁のハードカバーです。

 

 

「大豆の会」というのがあるのです。昔むかし仕事で「大豆」に関与していた方の集まりです。メンバーは、総合商社=丸の内の二社と青山にある商社。鎌倉河岸にある製粉・製油メーカー、日本橋穀物問屋、大阪の業界誌等々、各社OBの集まりです。最年長の長老さんは85-86歳くらいかと思います。1950年生まれの僕が最年少。古本屋街で有名な神田神保町の中華料理屋で四半期に一度ほど集まって旧交を温めています。皆さん、お元気でお酒大好きの人が多い。商社マンの平均寿命は各社とも低くて60歳プラスだと思います。若死する方が多いことが原因と言われていました。逆説的に言えば、それを乗り越えた方は通常の方よりも元気な方が多いかと、僕の持論です。まだまだ現役の活動をされている方が何人かいらっしゃいます。長老の方が海外出張も含めて活動範囲がいちばん広いように思います。いまだに世界を飛び回ってらっしゃる。

 

 

本年度初めての集まりを今月(3月)末に予定していたのですが、コロナ大騒動で中止・延期になりました。残念なことですが、お元気とはいえ皆さんの年齢を考えれば適切な判断だと思います。落ち着いたら、また、改めて日程のすり合わせをやらねばと思っています(僕が日程の連絡調整役をやっています、”若手”だから)。

 

 

前回の集まりは、昨年の11月でした。皆さん、大変なキャリアの方々ですから話題は豊富です。国際情勢、政治経済、スポーツ・芸能、健康・病気。話好きな方が多いので、あっという間に時間が過ぎてしまいます。この時、ちょうどこの大豆の本が出版された時で皆さんの話題になりました。「大豆」には特別な思い出を持っている方々の集まりですから、当然、関心は高いようでした。自分たちが経験した歴史的な出来事も記載されているのではないかと。

 

 

1972年から1973年にかけて、日本では「大豆パニック」と言われる大騒動があったのです。その遡る数年前から、世界の穀物・油糧種子の需給が逼迫、旧ソ連による穀物・油糧種子の大量買い付けが引き金となり、大豆・穀物相場が暴騰。”日本で必要な大豆を輸入することが出来なくなる、豆腐が食べられなくなってしまう”と、1973年の初めには「豆腐騒動」が起こりました。商社・問屋が原料の大豆を売り惜しみをしていると悪者扱いされて、国会で各社のトップが参考人質問に立たされてしまうほど。1973年6月には米国ニクソン大統領が大豆の輸出規制を行うなど、とんでもない混乱が広がった時代だったのです。僕が入社したのが1973年ですから、ちょうど入社前後の話ですが、周りが大騒ぎしているのは理解していましたが、その仕事をしている当事者としての実感は全くありませんでした。この「大豆の会」に出席されている先輩諸氏にとっては大変な毎日であったと思います。皆さん、当時、大変に苦労された方ばかりです。

 

 

この会の時点では、まだ、この本を読んだ方はいなかったようでした。僕も注文はしていましたが、その後、届いた後も本棚に積んだままにしておりました。この2月後半以降、コロナ大騒動で会食等の集まりの大半が中止・延期となっています。僕も不要不急の移動を止めるようにしています。我が家のヘッドクォーターであるカミさんから、新幹線乗車も避けるようにとの「要請」が出されました。すでに3週間ほど隠れ家での単身生活を続けることになっています。幸か不幸かまさに晴耕雨読の毎日です。料理を楽しみ、ピアノの練習も出来て、畑に行く回数も増えました。そして、読書の時間もたっぷり。本棚で寝ていたこの本を読みました。

 

 

著者は、ジョンズ・ホプキンズ大学の大豆プロジェクト前研究部長とのことです。年齢不詳です。目次を一覧すると本の内容を概括できると思いますので、以下に記載しておきます。 

 

序章  隠された宝

第一章 アジアのルーツ

第二章 ヨーロッパの探検家と実験

第三章 生まれたばかりの国と古代の豆

第四章 大豆と戦争

第五章 家畜を増やす飼料となって

第六章 大豆、南米を席巻する

第七章 大豆が作る世界の景色

第八章 毒か万能薬か

第九章 大豆ビジネス、大きなビジネス

第十章 試練の油---大豆バイオディーゼル

 

第九章辺りになると、元商社マン・大豆担当、実務を知っている人間として、邦訳に注文を付けたくなる(突っ込みたくなる)件がたくさん出てきます。表題の通り「大豆ビジネス」は本当に「大きなビジネス」で、カバーする範囲も多岐に亘っています。畑から消費地までの物流のダイナミックさ。伝統的な豆腐等の食用大豆としての消費需要があれば、片方では油と粕を採るための製油会社向けの需要があります。大豆油と大豆粕に分ける製油工場での工程の流れ、価格(相場)体系の指標となる商品先物市場の仕組み等々、この業界の専門知識・専門用語が沢山出てきます。翻訳の方も大変に苦労されたこととと思いますが、餅は餅屋ですから、「大豆」業界の方に業界専門用語を相談されればよかったのにと思うところが散見されました。

 

 

以下、知らなかったこと、面白かったことを中心に抜粋します。例によって僕の備忘録として記載しています。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

この本の副題には「満州帝国・マーガリン・熱帯雨林破壊から遺伝子組み換えまで」と記載されています。日本人にとっては、昔から、豆腐、納豆、味噌(それから枝豆も)に親しんでいるお陰で、作物のなかでは最も身近なものの一つと思いますが(これは我々世代の思い込みなのかも知れませんが・・)、世界の方々、特に欧米の方々にとっては新しい作物であったようです。戦争が切っ掛けで、大豆の価値=タンパク質リッチな食品であり、油と飼料となる粕を採れる重要作物であることが広く認識されたようです。

 

 

序章の一行目から、いきなり日露戦争「1904年、203高地の攻防」の話が出てきたのには驚きました。「(満州の)大豆は紛争の火種となった」と。そして、西洋世界が大豆の有用性に出会ったのが日露戦争だという見方です。

大豆の栽培が新大陸(アメリカのこと)で盛んになるのは20世紀に入ってからのことですが、第一次世界大戦(1914年~1918年)前後には既に栄養失調の子供たちに豆乳を与えようとの研究が進んでいたとも。

 

自動車王のヘンリー・フォード自動車産業だけでなく「農産化学」の分野でも革新的な事業を展開していたそうです。1934年のシカゴ万博では、大豆由来の発明を展示して100万人をこえる入場者を記録した由。当時は、牛乳が結核・その他のバクテリアの温床だと考えられており、フォードの研究チームは豆乳の生産向上を目指す研究を行っていたとのことです。また、大豆油を自社製自動車の塗料製造に利用するとか、大豆プラスチック製のギアノブ、アクセルペダルを作ったとか。1936年にはタイム誌はフォードを「大豆の親友」と呼んでいたそうです。フォード社の工場は、アメリカが戦争に入ると全て軍需製造に転向して、大豆を利用する仕事からは手を引いた。その研究、大豆加工の設備・製法は他社に売却され、フォードは大豆との関係を終わらせた訳ですが、国全体でみれば、これが(大豆産業の)大きな始まりにつながったとのことでした。全く、知らなかった話でした。

 

 

第六章の「大豆、南米を席巻する」には、大豆パニックが切っ掛けとなって、日本がアメリカに代わる供給国としてブラジルでの大豆栽培、調査研究に支援を行ったこと書かれています。1972年から1973年にかけてのペルーでのアンチョビ不漁、アメリカ政府の大豆輸出を中止したことが記載されていますが、旧ソ連穀物・油糧種子の大量買い付けの記載はありませんでした。やや片手落ちではないかと思っています。「大豆の会」の先輩諸氏が読まれれば、”いやいや、そうではない。ここは間違ごうとる。あれは、こうやった”と議論百出かと思われます。

 

とにかく、南米での大豆生産は急速に増加。日本の協力支援とブラジルの努力により、1970年には(たった)150万トンだったブラジルの大豆生産量は、2015年には(ナント)約1億トンにまで増加したとのことです。 

 

以前、マイケル・ポーランが「雑食動物のジレンマ」の中で大規模単作農業に警鐘を鳴らしていることを紹介しましたが、この本でも、南米での大豆の生産拡大によりアマゾン流域を中心とする熱帯雨林の破壊に繋がっていることに厳しい指摘がなされています。「人間の最も破壊的な活動、さまざまな生命体に最も有害な活動は『普通の農業』(大規模単作農業のことですが)なのだ」との記載もあります。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

さらに大豆については、遺伝子組み換え作物であることの懸念が多々指摘されていることについても詳細な記載があります。大豆は作物のなかでも遺伝子組み換え(以下、GE)種が作付けされている割合が最も大きく(2016年、世界の大豆の作付け面積の約80%はGE種)、また、大豆は世界中のGE作物の作付面積の最大の作物(2016年には50%)とのことです。著者は科学者の立場から、指摘されている懸念に真摯に向き合い、逆に科学的でない言いがかり的なモノには厳しく反論をしています。フェアな記述を心掛けていることが感じられます。

 

 

栄養価の高い大豆を救助物資として利用する、所謂、「支援プロジェクト」についても、「支援プロジェクトにより、極度の貧困による劣悪な栄養状態を大豆の栄養価により和らげることが出来る」としながらも、一方では、食料・大豆の継続的な援助は、その地域の農業そのものをダメにしてしまう恐れがあること。また、その土地で大規模単一作物が広がれば小規模農家は追い出され、自給自足の多種の作物の栽培を継続することが難しくなり、結果として貧困層の食料の安全が脅かされる懸念についても丁寧に説明をしています。

 

 

著者は大学で大豆プロジェクトの部長をしていた方ですから、決して、大豆に対して否定的な見方をしている訳では無く、科学者としてのフェアな見方に立って記述していると感じられます。熱帯雨林の破壊の問題点を、もっぱら北半球・先進諸国が指摘することに対して、「何故、南米にばかり環境保護を押し付けるのか」とか「アメリカ中西部を元のバイソンが動き回っていたような環境に戻そうという努力をしないのか」という視点からの記載もあります。大豆の生産の拡大(がもたらす問題)という観点からは、「食肉になる動物の飼料として使わない方法、すなわち、大豆という作物を人間が食料として消費すること」を考慮すべき、という考え方も紹介しています。

 

大豆に対する筆者の基本的な捉え方は「単一栽培、遺伝子組み換え、有害な化学肥料の使用、地表の浸食、淡水の枯渇、気候変動等々、現実的、潜在的な問題が提起される。--中略--しかし、これが大豆の宿命だとするのは検討違いである。農業が及ぼす破壊的な効果はていねいな研究と創意工夫により軽減されうる。--中略--問題は我々が自然界を保護するためにどれだけの努力を行うかにかかっている」ということのようです。

 

 

いやいや、昔むかしお世話になった「大豆」のお話でしたが(原書のタイトルは「The Story of Soy」でした)、懐かしく楽しく読めたところ以上に、重たい記述が随所にありイロイロと考えさせられる読み応えのある本でした。コロナ大騒動のなか時間が十二分に取れて、読書する体力・気力があったから一気に読むことが出来たのかも知れません。改めて表紙の帯を見ると「大豆が人間社会に投げかける光と影、グローバル・ビジネスと社会・環境被害の実態をあますところなく描き出す」と書かれていましたが、その通りの内容の本でした。 

 

 

そう言えば、1973年10月には「中東戦争」が勃発して、石油パニックも起こりました。改めて、大変な「大騒動」の年だったと思います。当時、スーパーの店頭からトイレットぺーパーが完全に無くなりました。供給は十分なはずなのに、消費者の買いだめが原因と解説されていました。

昨日も今日も、散歩がてら近くのスーパーに立ち寄った時、店員さんに”トイレットペーパーはどこに置いているのか”と尋ねたら、”売り切れ状態です、次の入荷はいつになるか分りません”との返事でした。一部では「買占め」の動きも出ているそうです。僕がノンビリし過ぎなのかもしれませんが、半世紀ほど経過すると、社会の学習効果は持続するのが難しくなってくるのかも知れません。

 

 

平和公園を散歩している時に。シラサギ君??が疎水を遡りながら一生懸命にエサをつついていました。僕が近づいても全く意に介していない。よほど腹が減っていたのか、それとも、この地は安全だと決めつけているのか。何となく”春が近いなあ”と感じます。2020年3月1日、撮影。

 

 

おまけです。お題は「味噌もやしラーメン」(=「大豆」繋がり)なのですが、春菊、ネギを大量に投入したら、もやしの存在感が薄くなりました。インスタントラーメンをベースにして好きな味噌を加え、野菜炒めをのっけて食べてます。ラー油と擦りゴマも加えて。春菊がラーメンに合うことを発見して大喜び。2020年3月7日、料理と撮影。盛り付けが下手(下品)で美味しそうに見えませんが・・・残念。