クルルのおじさん 料理を楽しむ

2020年、京都・五山送り火

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京都新聞に掲載された写真です。グーグル検索して借りてきました。六点の大文字。2020年の京都五山送り火です。今年だけの景色で終わりますように。2020年8月16日、京都市

 

 

今年も8月16日、京都五山送り火の日にドラゴン先生の京都のマンションにお邪魔してきました。夕方5時ごろに到着、汗が収まるのを待ってから、近所の小料理屋さんに。例年同様に、娘さんご夫妻も参加。僕たちが着いた時には、すでに到着されておりました。お二人ともにお元気そうで何よりです。

 

 

今年の京都は、コロナ騒ぎのため、三大祭りの全てが大幅な規模の縮小となっています。5月の葵祭では、王朝行列の「路頭の儀」が中止されました。7月の祇園祭でも、ハイライトの山鉾巡行、神輿渡御、宵山行事が全て中止となりました。それでも神事は執り行われたということですが、そもそも祇園祭は「疫病退散」がお祭りの目的であった由です。869年(貞観11年)、災疫の除去を願ったのが始まりであったとか。

三大祭の最後は時代祭。10月22日ですが、これも既に行列巡行を中止との決定がなされています。時代祭は、京都御所から平安神宮まで各時代の装束衣装に身を包んだ市民の方々が鮮やかに練り歩くのですが、三密を避けるためこの行列中止は止む無しとの判断。神事は執り行われます。

 

 

このような状況のなかでの五山送り火。イロイロな議論があったそうですが、三密を避けるというのはマストになっていますので、三大祭と同様に大幅に規模を縮小、点火を線から点に縮小しての実施となりました。如意ケ嶽の「大」の字は、中心と頂点・端の計6カ所に点火。「鳥居形」は上部2カ所だけ。左大文字は「大」の中心の一カ所。「船形」は頂点の一カ所。「妙」「法」は中心部の一カ所のみに点火するというもの。如意ヶ嶽の大文字がドラゴン先生の京都のマンションから良く見えるのですが、これが冒頭の写真のようになりました。

 

 

もともと送り火は、お盆に迎えたご先祖さんの霊を見送るためのものですから、本来の趣旨を思い起こして家の中で静かにお見送りする、というのも理に適っているのかと。やや優等性的な考えですかね。

 

 

京都(いや関西全般!)には「反骨」と「挑戦・創造」というのが気風として残っていると信じていますが、遡る8月8日の夜、この如意ヶ嶽に「大」の字が点灯していたそうです。例年通りの大きさの「大」の字を夜空に浮かび上がらせ翌未明には消えていたとか。LEDライトを丁寧に並べたのであろうとの解説もされています。TVの放送では、「何者かが人工的なライトを勝手に点灯した」、関係者・街の方への取材では批判的なものが大多数です。「神聖な行事に対して罰当たり行為」「度が過ぎた悪戯」と。

 

京都の面白いところは、表向きの批判の声とは別に、巷では”この時世だから余計に大事にせず許してやろう”という空気があるように感じられることです。もっと笑ってしまうのは「また京大生のいたずらちゃうの?」という声まで上がっているとか。「あれだけの大きさの『大』を浮かび上がらせがのだから、集まった人数も多いはず、準備に手間・金もかかっている」等々、その手際の良さを称賛しているようなコメントも。ご先祖の霊を送るという神聖な行事に対する冒瀆という意味では批判されて止む無しと思いますが、ナントも、京都の懐の深さを伺い知れる事件であったように感じました。

 

 

送り火が消えてからも、イロイロな話をしていると時間はあっという間に過ぎていきます。翌日お仕事のある娘さんご夫妻はお帰りに。今年の僕は、今までほどには飲み過ぎず、最後まで意識もしっかりと歓談出来ておりました(と本人は思っているのですが)。

食事の時に、娘さんの旦那さんが付き合ってくれたので、久しぶりに冷酒を十分に堪能していましたから、マンションに戻ってからは喉が渇いて美味しいお水を頂いていたからだと思います。

 

  

翌日は、月曜日でしたが、ドラゴン先生も休みを取っており、のんびりと大人の散歩。いつものイノダコーヒー本店で朝食。此処もコロナの影響でしょう、過去、何度か行った中でも、やはり一番空いていました。待ち時間無し。直ぐに奥のテラス席に案内してもらえました。ここは喫煙席です(註、僕は随分と前にタバコは止めました。もうお一人の方はまだ喫煙しています!)。サラダたっぷりの朝食を楽しみました。残念、写真を撮り忘れ。過去のブログを最後に埋め込んでおきます。お店の景色と朝食の写真が掲載されています。

 

 

散歩日和とは言えない猛暑日。おじさん二人はこの日の行動予定を真剣に打ち合わせ。朝食を食べながら、昼食は何を食べるかの相談です。遅めの昼食をとる処を決めてからそこに至る工程を検討。とは言え、アウェイの僕はホームのドラゴン先生の方針を追認するのみ。キーワードは”歩こう!”ということになりました。連日、熱中症云々が報道されている中で70前後のお年寄り二人の行動計画としてはイカガなものかと言わざるを得ません。これは暴挙かも。

 

 

歩きました、歩きました。イノダコーヒーから錦市場に。久しぶりに「有次」錦店に立ち寄りました。冷やかしです。此処もやはりお客が少ない。お店の方も手持ち無沙汰のようなのでドラゴン先生の刃物の講釈で盛り上がりました。

 

「はれま」のちりめん山椒と昆布を買いに京都大丸まで足を運びました。自分用のお土産に買いました。アツアツのご飯が大変に美味しく頂けます。

 

再度、岡崎方面に戻り、みやこめっせの伝統産業ミュージアムに。ここは入場料は無料です。伝統工芸品がたくさん飾られています。ご立派、お見事な作品です。独楽を回して、小さな鐘をついて遊んでいたら係の方が心配そうな顔つきで注視されているのが分かりました。僕達以外には見学者はいなかったと思います。その後、僕たちが館内に居る間中、その係の方の視線を感じておりました(註、ルール通りに見て回っていました。決して、触ってはいけないものを触ったりした訳ではありません、念のため)。

 

本屋さんに入り、一旦、解散。集合時間を決めて、それぞれ好きな本棚巡り。本好きのドラゴン先生は予め名古屋では買えない本を探すのを楽しみに来ており、何冊かをゲット。娘さんからは”本ばかり増やしてどないするのよ”といつも小言を言われている由です。本屋さんから外に出て、近くにある京都市京セラ美術館に。大規模なリノベーションを終えてリニューアルオープンしたのですが、ここにもコロナの影響が。すでに、お昼にいい時間になっていたのですが、お腹のほうは、少々遅くなっても大丈夫な状態であるので、入場できるものであればと入り口に行きましたが、案の定、「事前予約・定員制」となっており入館は不可。館内に入ることすら出来ない徹底ぶりでありました。

 

 

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仕方がないので美術館を一周。オープンスペースの日本庭園に「杉本博司」さんの作品が展示されていました。新館の「東山キューブ」の開館記念にこの作家さんの個展が開催されているところでした。個展のタイトルは「瑠璃の浄土」、この作品のタイトルは「硝子の茶室」。この茶室は2021年1月までの限定展示です。設置・撤去にも大変な費用がかさむことであろうなあ、とあらぬ心配をしてしまいました。杉本さんは、1948年生まれの現代美術作家、写真家。ほぼ僕たちと同世代の方。恥ずかしながら存じておりませんでした。”このガラスの茶室の中は、いったい何度cくらいの暑さになっているのであろうや?”とマタマタあらむ心配です。

 

 

昼食は、京大病院の横にあるカレー屋さん。聖護院さんのすぐ近くです。カツカレーが評判のお店。狭い店内はカウンター席のみです。ここにもコロナの影響。コロナ対応をしっかりとされているので、カウンター席をはぼ半減させており、一度に座れるのは4席程度に抑えられています。僕たちが到着した時にも、店内には3-4名のお客さんでしたが、店の方から”表でお待ちください”と言われました。対応が爽やかであったので、文句も言わず暑い外で気持ちよく待つことが出来ました。お若いご夫婦が二人で仕事をされています。馴染みのドラゴン先生が「おかあちゃんは今日はいないの?」と聞いていましたが、若奥さんが「コロナも心配ですし、それに、このあまりの暑さに休んでもろうています」とのことでした。エライ若夫婦さんです。ドラゴン先生はご飯を少なめに注文しましたが、僕はフツウ盛りを。ターメリックライスです。美味しかった。ですが、確かに、ライスの量は十二分にありました。少なめにすればよかった。場所柄、学生さん等若い方が多いのでどうしても量的に多めになるのでしょう。それでもチャンと完食しました。

 

 

昼食のあと、ゆっくりと先生のマンションに戻りました。朝、出発してからナント、 13,000歩。この炎天下、猛暑日に年寄り二人がロングウオーク。無事にマンションに帰れてよかった、よかった(ちなみに、適宜適切には水分補給、休憩はとっておりますので、ご安心くださいませ)。マンションで体をクールダウンさせてから、ゆっくりと名古屋に向かいました。本年も充実の五山送り火でした。

 

 

最近あったドラゴン先生との繋がり・縁(エニシ)の話です。僕の長男(=小雪ちゃんのパパ)は医者の卵ですが、来年から名古屋で勤務することが決まりました。この数か月、その準備のために名古屋に来て希望の大学病院の説明会に出たり、もっぱらネットで先生の面接を受けたり説明を受けたりしておりました。僕は、ドラゴン先生のもう一人の娘さんが、名古屋で同じく医学の分野で活躍されており、それが僕の長男が希望している専門分野であることを知っていましたので、その過程で、娘さん先生から何か参考になることでも聞ければ有難いなあと思い、ドラゴン先生に相談したことがあったのですが、そこでまた面白いつながりを見出しました。お互いに驚いております。

 

 

かつての記事です。長男が無事に医科大を卒業した時のモノです。親バカです。

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いつかのドラゴン先生との反省会の折に、僕の長男が希望している大学の専門分野の話をしたのですが、その医局の教授先生がドラゴン先生の旧知の方でありました。”公私ともに大変にオープンな先生で責任感も強い。自分の娘は直接の教えを受けたことは無いと思うが、人望も厚く、その分野での第一人者である”と。医局の教授先生というのはとっても”エライ”方ですから、長男はまだ面識はないだろうと思ったのですが、その日に隠れ家に戻ってからその話を伝えたところ、ナント、その時期に説明、面接等々でお世話を頂いているのがその教授先生その方でした。

 

その数日後には、長男から”内定のような通知を頂戴した”との連絡を受けたので、早速、ドラゴン先生にその旨を報告。大変に喜んで頂きました。

 

送り火の日も、娘さんご夫妻が帰られた後、最後に缶ビールを開けながら(註、僕だけです)、また、僕の長男とその教授先生の話になりました。

「そのうちに、名古屋でその教授先生を入れて反省会をやりましょう」と。名古屋が狭いところなのか、ドラゴン先生の顔とお付き合いの範囲が広くて大きいのか、良く分かりませんが、次から次に広がりが出てくるというのは面白いものなだあ、とお互いに感心したところです。

 

 

 おまけの一句です。

   

   六点を心がつなぐ大文字   孔瑠々  

 

 

以下、いままでの五山送り火のブログです。いつもながら自分でも懐かしいなあと感じます。五年間、あっという間ですねえ。振り返ってみても、間違いなく今年が一番暑かったと思います。来年はさらに!ですかねえ。コロナを凌いで、暑さにも負けずに、元気に来年の送り火を迎えたいものです。皆さまもくれぐれもご自愛のほど。

 

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