クルルのおじさん 料理を楽しむ

京都一周トレイル

珍しくドラゴン先生の方から連絡があり、”「京都一周トレイル」挑戦”のお誘いがありました。今年の大文字で京都岡崎のマンションにお邪魔した時に、この「京都一周トレイル」の案内本、パンフレットをたくさん見せて頂きました。資料を集めて周到な準備をしている様子でした。京都は盆地で周辺にはそれほど高くは無い手ごろな感じの山々に取り囲まれていますから、季節の良い時期に散策するのは気持ちが良さそうに思います。特に、昨今のコロナ禍のもとでは外に出る機会が間違いなく少なくなっていますから、 良い企画であると。一も二もなく賛同しておりました。

 

10月17日、土曜日の夜に、ドラゴン岡崎マンションに集合。じっくりと作戦会議をしてから早めの就寝。というのは言葉遊びで、例によってドラゴン先生が全て完璧に設定してくれていますので、僕はその計画に対して”うんうん”と頷いているだけです。翻訳すると”普段よりはチョットお酒の量を少なくして、ボケとツッコミの会話を楽しだ”ということでしょうか。また、この夜は、ドラゴン次女様も京都に来られており、三人での食事会となりました。ドラゴン先生との会食で女性が加わるのは、ドラゴン長女様についでお二人目。場が華やかになるのが分かります。いつも以上に楽しい食事を楽しめました(次女様は、会食後に名古屋に戻られました)。

 

翌18日、日曜日。早朝から出発、といいたいところですが、のんびりと8時ごろにマンションを出発、近くにあるコーヒー店に。京都で最初のサイフォンコーヒーを提供したという老舗の珈琲店です。ここで優雅に朝食を取ってから、8時半ごろから歩き始めました。コンセプトは「安全第一、のんびりと。途中、寄り道・ルート離脱も有り」です。

 

「京都一周トレイル」というのは、「京都の自然を満喫できるトレイル」「5つのコースがあります。東山コース、北山東部コース、北山西部コース、西山コース、京北コース」(京都市観光協会HPから抜粋)。同協会がパンフレット、公式ガイドブックを整備してアピールしています。「東山コース」は、伏見駅-伏見稲荷大社を出発点として清水山に登り、蹴上まで下りてきて、再度、大文字山に登り、銀閣寺に下りてきて、更に、一乗寺林道方面からケーブル比叡山駅までの約25㎞のコースです。一番ポピュラー、人気のあるコースかと。今回、二人で挑戦するのはこの「東山コース」の1/3弱ほど。蹴上から大文字山山頂に、その後、大文字火床を経由して銀閣寺に下りてくる、全工程、約4時間の山歩きです。「大人の遠足・木曽三川」のときもよく歩いたとはいえ、二人で山登り(山歩き)をするのは初めてですから、お互いの脚力の力量チェックも兼ねてドラゴン先生が設定したもの。

 

京都には有名な地名が多いですね。今までに行ったことが無くとも、何かしら昔に耳にしたことがある処がたくさんあります。地名を辿って歩くだけでも楽しく思います。

朝食を取った珈琲店から蹴上方面に向かいました。リュックを背負った方がたくさん歩いています。南禅寺の境内周辺には昔ながらの著名人の別荘、邸宅が静かに並んでいます。「蹴上」というのは優雅な名前ですが、ここは「インクライン」と「ねじりマンポ」が有名です。あちこちに寺社仏閣だけでなくイロイロな歴史遺跡が残されています。いちいち説明していると山歩きの話なのか、京都史跡めぐりの話なのか訳が分からなくなりそうですが、それでも面白かったので簡単に記載します。

 

明治初期、京都は東京遷都に伴い政治的にも経済的にも地盤が大きく沈下、活力が乏しい状態に陥っていたそうです。第三代の府知事さんが京都に活力を取り戻すために考えたのが琵琶湖疎水。京都としては長年の夢であったそうですが、琵琶湖の水を京都に引いてくる疎水を建設する。疎水の水力で新しい工場を起こし、船で物資の往来を盛んにしようと。大学を卒業したばかりの青年、田邉朔朗氏を土木責任者に任命。明治18年(1885年)に着工して5年間かかり明治23年(1885年)に完成。20年後には第二期の工事も行われ、灌漑、上水道、水運が整備されました。そして、水力発電を実現させたお陰で、新しい工場が出来て、市内の路面電車も走り出したそうです。まさに近年の京都の街つくりの基礎が出来上がった事業とのこと。琵琶湖疎水は、今でも、琵琶湖の水を京都に供給し続けているそうです。大変な事業だったんですねえ(以上、ほとんど京都市土木局HPの受け売りです)。

 

この琵琶湖疎水に関連して「インクライン」と「ねじりマンポ」が出てきます。インクラインというのは傾斜鉄道と説明されていますが、斜面を移動する箱が無いオープン型のエレベーターをイメージすれば分かり易いかと。何のために使うのか、にわかには理解出来ませんでした。台車の上に船を載せて上下させるのに使います。運河で水位に落差がある場所に船を通行させるための方式の一つです。パナマ運河では、ロック方式で、前後の水門で水の高さを調整して船を進ませますが(これは分かり易い)、インクライン方式というのは、水位の違う運河から運河に船そのものを持ち運ぶ(台車に載せて上下させる)方式。比較的、小さな船に適用可能な方式のようです。その名残がそのまま残されています。インクラインの両側は桜並木で季節になると花見の名所だとか。

 

そして「ねじりマンポ」。言葉を聞いただけで理解する方は皆無であろうと思います。マンポとはトンネルの古い言葉だそうです。このトンネルの上は、インクライン方式で台車に載った船が行き交うルートになっています。大変な重さのものがトンネルの上を通過する訳ですから、その重さに耐えられるように設計されたのが「ねじりマンポ」です。トンネル内壁にレンガが敷かれているのですが、これが斜めに巻かれています。そしてトンネルはインクラインとは直角ではなく斜めに掘られているとのことです。全ては重さに耐える強度を持たせるための工夫とか。言葉で説明しても分かり難いと思いますので取った写真を添付しておきます。

 

f:id:hayakira-kururu:20201020141455j:plain

 

蹴上の「ねじりマンポ」「インクライン」を過ぎると登山道になります。途中には「日向大明神」があり隠れた紅葉の名所とか。天照大御神を祀り「京の伊勢」と言われている由。懐かしの宮崎・日向=ひゅうが、を思い出して、「”ひゅうがだいみょうじん”ですねえ」と大きな声を出したら、途端に、ドラゴン先生から「これは、『ひゅうが』ではありません。『ひむかい』と言います」と然り気無い突っ込みが入りました。やはりよそ者には京都は住み難い処かも知れません。

 

 

大文字山は465mの山なのですが、途中に神明山218mというポイントがありました。たかが200mチョイの山、丘に毛が生えた程度だと(文字通り)高を括っていたのですが、この前後が急斜面の連続。久しぶりの山歩きであったこともあり、緒戦で大きく躓いてしまいました。体力を大消耗。ドラゴン先生も「予想以上の急勾配であったわい」と息を切らせているものの、その実、あまり疲れた様子も無し。休憩して水分補給をして身支度を整えて---僕は、用心のために二本のステッキを持参していましたので、それを装備して---一路、大文字山山頂を目指して歩き始めました。

 

僕が全くの素人ながらたまには仲間と山歩きしていることは、以前、ドラゴン先生に話したことがあるのですが、逆に、先生と山との接点が如何ほどのモノか全く存じておりませんでした。それとなく話題を振ったところ、またまた、驚きの発見がありました。ドラゴン先生は中級から上級の登山家でありました。学生時代、その筋の部・サークルに所属はしていなかったものの、山は大好きであった。経験者の仲間たちと南アルプスを中心にして登山を楽しんでいたと。山小屋に泊まることを潔しとせず(多分、カネが無かったからと推察しますが---)、テントを担ぎ飯盒炊飯を基本にした山歩き(いや、山登り)を繰り返していた”山”大好き青年であった由でした。何かにつけてレベルの高い方なのですが、またまた、山歩きでも僕よりも数段上の上級者であることが判明してしまいました。全く何の話題になっても上のクラスの面白くて頼りになる方です。

 

この前日は雨が降っていましたから、低い山とは言え、急斜面で岩肌が露出している箇所では注意をしていないと靴底が滑ります。幸いに二人ともそれなりにしっかりした靴を履いていましたが、それでも滑る。元々、僕は特に下り斜面が大の苦手です。足首が固く膝に余裕がないからかも知れません。神明山からの下りのあと大文字山に向かう道は、幸いにして極端に歩き難い処は少なかったので正直、助かりました。最初にハードな斜面に出くわすと、それなりに心の準備が整うからかも知れません。気持ちを萎えさせるほどの難路の繰り返しは幸いなことに有りませんでした。

 

 

f:id:hayakira-kururu:20201020225201j:plain

途中、京都市街が一望出来るポイントがありました。しんどい時にぱあっと素晴らしい景色に出会うと疲れが飛びますね。山歩きの楽しみの一つだと思います。この後、携帯の電源切れ。肝心の大文字の写真を撮ることが出来ませんでした。悔しいこと、残念でした。

 

 

大文字山山頂に到着。465mです。山頂には比較的ゆったりとしたスペースがあり、たくさんの登山客で賑わっていました。「密」とまではなっていませんが、かなりの人数の方が遅い朝食か早めの昼食を取っていたり、仲間どうし、または、親子・家族で、ワイワイガヤガヤ楽しそうに。気持ちの良い季節、清々しいお天気に恵まれ、京都の街を一望できる景色を堪能しました。雲海ですね、遠くの山々は雲の海に島の様に浮かんでいました。

 

この山頂から半分ほど麓に下りた処に、五山送り火の大文字の火床があります。下山道が「大」の字の一番上のところに出てきます。その「大」の字の頂点から下を見下ろすとこの斜面は驚くほどの急な勾配です。急斜面には階段が整備されていますが、階段が無ければ、送り火の時の資材の運搬するのが難しいと思うほどの急斜面。階段を下りていくと「大」の字の中心点である要のところに弘法大師堂・石窟があります。送り火の時の点火が始まるポイントです。この数年間、欠かさず見てきた五山送り火「大」文字の要のところに立った訳です。感慨もひとしおでありました。

 

石窟の前にキャンプ用の椅子に腰かけている地元のおっちゃんがいました。相手に話をさせるのがお上手なドラゴン先生との会話を聞いていると、ナントこの方は毎日お昼ごろにここに登って来て、持参した自分の椅子に座って京都の街を眺めながらお昼を食べているとか。「下ではやることがないからねえ」とオシャレな登山着に身を包み、良く拝見すると僕たちよりも年長さんのような気配。”僕が初めての登頂で感激してるって言うてるのに、このオッサン、毎日来てるてかぁ”とやや興ざめな気分にもなりましたが、悟りを開いた表情なのか、寂しさと憂いに満ちた表情なのか、なかなかに味のある表情のおっちゃんでした。

 

僕が初めての登頂であることを知ったおっちゃんが面白い説明をしてくれました。「『大』の字の横棒は直線では無い、山の斜面に沿って大きく上向きに湾曲している、市街から見た時に横棒が直線に見える為には、湾曲させておく必要があるのだ」。何でも知ってるドラゴン先生は我が意を得たりの表情「その通り!。全ては京都御所から見た時に一番美しくなるように設計されているから」とのことです。また、「大」の字の右ダレが左よりもかなり長いのですが、これも同じ考え方によるものだと。御所から見て一番きれいな書体になっているからとのことです。

 

このおっちゃんの話を聞きながら、急勾配を目の当たりにしていると、「こんなことするのは京大の学生さんでしょう」と言われた今年の送り火の悪戯事件を思い出しました。 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

このブログに記載した通り、”送り火の行事に対する冒瀆”と非難する声があった一方で、”あの手際の良さは凄い”と賞賛する声もありましたが、改めて、現場を拝見するに、これはまさに凄いことを実行・実現したものである、と感心してしまいました。麓の銀閣寺からの登り、かなりの部分は階段が整備されているとは言え、険しい登りも多々あります。登山道を上って来たら、次は、火床に向かっての急斜面。照明はLEDライトと言われていますが重い照明器具を担いで、ヒトの目に触れないように注意しながらの展開はさぞかし苦しい、危険を伴う作業であったに違いない。人数にしても10人程度では間に合わないかと。30人、40人規模の人員が必要ではなかったか。事故なく(多分)撤収した統率力、個々の集中力!。これはやはり大したもんだ、と称賛したくなりました。僕が気にしないでも、毎年、送り火の季節になると言い伝えられることになるでしょうかね。

 

余談ですが、「如意ケ嶽の大文字」と言われますが、如意ヶ嶽は大文字山とは別な山です。大文字山から更に東側1.3㎞にあります。高さは474mとのことで殆ど差はありません。京都市街からは見ることは出来ないそうです。古くは、大文字山と如意ヶ嶽を同一視することが多く、また、この辺りの山並みを如意ヶ嶽と総称していたことから「如意ケ嶽の大文字」と呼ばれているとか。現在でも同一視する向きもいらっしゃるそうです。僕が知っている限りでは、「大文字山の大文字」、という人はいないようです。

  

 

 下山後は、銀閣寺から京大方面に。先生が学生時代に長年通っていた中華そば屋に行きました。ラーメン屋ではなく中華そば屋と言います。以前にも記載しましたが、ドラゴン先生は”糖質制限の食事法云々”という割には、間違いなく麺類大好き人間です。かつての大人の遠足を思い出しました。あのチャンポンは美味しかったなあ。今回は、チャーシュウ麺。僕は、固麺の大盛り、ネギ沢山を注文。先生は並み盛り。濃厚なスープが旨かった。またまた大ヒットでした。マンションで休憩してから名古屋には先生の車に乗せてもらって戻りました。次回のトレイルをどうするか、あーだこーだ、喋りながら。第二回に続く!?ことをご期待ください。充実の二日間でした。

 

 

おまけに、懐かしの「大人の遠足」のブログ記事を埋め込んでおきます。これが一回目の「大人の遠足」ですから、今回のタイトルは「大人の遠足、その2.」ですかね。くどいですが、チャンポン、美味しかったです。

kururupapa.hatenadiary.jp

 蛇足の言い訳。作成している途中で、下書きの更新がスムーズにいかなくなりました。写真の掲載も出来なくなって。諦めてやり直ししたら、回復してくれました。時間が随分と無駄になってしまいました。仕組みを理解出来ていないのが、悔しいなあ。