クルルのおじさん 料理を楽しむ

読書の秋、その2.

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名古屋市千種区平和公園、いつもの散歩道。紅葉がキレイになってきました。2020年11月8日、撮影。


その後も、千種区図書館で借りた本を読み続けています。メールで追加の貸し出し予約の申し込みをしたら「三冊の準備が出来ました。取りに来てください」という案内を頂きました。最近に出版された本は順番が回って来るのに時間がかかりますが、数年前のモノは比較的に早く準備してもらえます。ハードカバーが三冊、貸出期間は二週間です。読めそうで、なかなか、時間が取れないものですねえ。期限内に読了できるか、やや、焦ります。”返却期日を意識しながら読むというのも面白いものかな”と何とか読み終えました。引き続き、”食べ物・料理”関連の本です。僕の備忘録です。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

今回の一冊目、『人類はなぜ肉食をやめられないのか・・・250万年の愛と妄想のはてに』。筆者はマルタ・ザラスカさん、ポーランド系のカナダ人の方、サイエンス・ジャーナリストでフランスとアメリカを活動拠点にしている方。訳は小野木明恵さん、翻訳家。発行は、インターシフト社。2017年6月第一刷。

 

原題は、「MEATHOOKED--The history and science of our 2.5-million-year obesession with Meat」。タイトルから想像するに「人間には肉食を止めることが出来ない理由があるのだから、肉食を避けようとする試みは難しいこと(無理なこと)であるよ」という趣旨の本かなと思っていたのですが、全く逆で、筆者は「そんな固定観念を捨てて、もっと、野菜、穀類、果物、豆にウエイトを移した食事に転換していくべきだ」という至極もっともなことを人類250万年の歴史を紐解いて述べている本でした。

 

問題提起としては「(読者の対象をアメリカ人中心に捉えていると思いますが)アメリカ人は肉を食べ過ぎであること、それにより癌、糖尿病、心臓疾患が増加している。健康に悪いことは周知のことのはずなのに、肉を食べることを止めない。一方では、人類に肉食を提供し続けることは、すでに地球を痛めつけることに繋がっている。また、別の観点から肉食には動物愛護、倫理的な問題も孕んでいる。それでも、人類は肉を手放せない。何が人類を肉に駆り立てているのか?そもそも、何故、肉を食べたくなるのかを知らずして、肉食を断つのは難しいだろう。」というものでした。

 

人類250万年の食の歴史は面白いです。「最初は、種子、木の実の味を覚えた。石の道具を発明、その道具が動物(死んだ動物)の処理を可能にした。肉食への転換が進んだ」。250万年前には、動物の肉を解体していることが分かっているそうです。「脳が大きくなるためには、別な臓器が小さくなる必要がある。肉食により少量で栄養・カロリー豊富な食を取ることが出来るようになり、その結果、腸は短くなり、脳が大きくなることに繋がった」。「火」を調理に使うようになったのは79万年前とのことですが、とにかく、調理により肉食が進んだ由。当時の気候変動(雨量の減少)も大きな要因であったそうです(木の実等が十分に育たず、採取だけでは生きていけなくなった)。

 

当時から、特に大きな獲物を狙っての”狩り”は単に食料を確保するだけの理由では無かったそうです。自己顕示・駆け引き・セックス等々、社会生活との繋がりが大きな理由であったとか。人類がそもそも「肉食動物」であったのかというと、そうではない。典型的な「雑食動物」。・・・「雑食動物のジレンマ」という本もありましたよね。・・・それにもかかわらず「肉飢餓」ということがあるそうです。他の食べ物が量的にも栄養的にも十分にあるにもかかわらず、肉を食べたくなる。肉食を止めることが出来ない。舌と鼻が肉の虜になっているのかとの問題提起です。

 

「惹きつけられる味の秘密」の章では、池田菊苗さんが「うまみ」成分を発見した話、その後、鈴木三郎助さんと「味の素」を生産・発売する話が記載されています。欧米の科学者が「うまみ」成分に懐疑的であったこと、「うまみ」が第5番目の基本的な味として認められるまで約1世紀かかったこと。「肉をおいしくする方法」の章では、「神戸牛=霜降=おいしさ」と神戸牛の育て方を説明されていたり、「もっともっと欲しくなるように」の章では、アメリカでの「夕食はビーフ‼」キャンペーンや、「肉食を控えよう」との動きには牛肉業界団体の圧力が凄い、とか。それぞれの利害関係者の努力、工夫、圧力により肉食から逃れられない仕組みが出来上がっていることが細かく記載されています。

 

牛は「カウ」ですが、牛肉のことは「死んだカウ」とは呼ばず、「ビーフ」という全く違く名前を当てていること(豚も同様「ピッグ」と「ポーク」)で、死んだ動物のことを楽に忘れることが出来ていることを指摘し、イメージで肉食を減少させようとするならば、ジョージ・バーナード・ショーが提案したように、肉を「動物の焦げた死体」と呼べばよい、そうすれば肉を喜んで食べる人が減るのではないか、とか。

18世紀の日本で、馬の肉を「さくら」、鹿の肉を「もみじ」、猪の肉を「ボタン」と言い換えていたのも、同様に、死んだ動物のことを楽に忘れられるように、との指摘がありましたが、これはチョット意味が違うように感じました。

 

筆者の捉えている、人類の食のステージの説明があります。

「最初は収集(狩猟と採集)、第二ステージに気候変動に伴う飢饉、三番目が農業の改善による飢餓機会の減退、第四ステージが欧米型の食事。肉が中心で豊富にあり、肉の取り過ぎによる疾患が多い。この第四ステージに、日本をはじめ中国、インドが近づきつつある。そして、第五ステージは、栄養転換の最終ステージであるべきで、地球規模で持続可能な発展のためには、肉をもっと減らして、野菜、穀類、果物、豆を取る食事に行動を変革していくべきだ」というものです。

 

ご尤もな主張だと思うのですが、この本を読んで、その主張される方向に向かって行動を変革するという説得力は残念ながら感じられませんでした。個々のお話は面白かったのですが、『雑食動物のジレンマ』の方が、農業そのものから紐解いて納得できそうに思います。『雑食動物‥』の本は、全米での「炭水化物恐怖症」の広がりが切っ掛けになって書かれた本でしたが、「肉食」で悩んだり「炭水化物」を忌み嫌うようになったり、アメリカ社会も「飽食の時代」なのでしょう(端折って言ってしまえば、彼の地の方々は、”食べ過ぎが問題や”、と言いたくなりますがね)。

 

以前の記事「雑食動物のジレンマ」を書いたブログを埋め込んでおきます。 ご参考まで。

kururupapa.hatenadiary.jp

 

 

 

二冊目です。タイミングよく、一冊目がアメリカ社会での”食べ過ぎ”をテーマにした本であったのに対して、日本の食生活、食文化を自画自賛している本です。

 

『「和の食」全史・・・縄文から現代まで 長寿国・日本の恵み』。著者は永山久夫さん、1932年生まれ、食文化史研究家、長寿食研究所所長。古代から明治時代までの食・復元の第一人者として活動されている方。河出書房新社。2017年4月初版発行。

 

「全史」とある通りで、縄文時代から現代に至る日本の食事、料理を総覧した大著です(全362頁)。筆者の「和の食」の捉え方は、「主食はコメのご飯であり、ご飯+味噌汁+漬物の三点セットが基本である。そして、米(ご飯)の食味に合致することが和食料理の原則である」と明解です。日本人が食べている食材の数の多さは世界でトップクラスであり、栄養のバランスのとれる食事につながっており、その結果、世界でも一二を争う長寿民族(国家)になっていると「和の食」を称賛されています。

 

縄文時代の記述が面白いです。約1万3千年前の縄文人。それ以前の料理法は、「焼く」「天日干し」「燻製」しかなかったものが、「煮込む・茹でる」「スープを取る」方法を確立していた由。筆者に言わせると「一大料理革命!が起こった」。約1万年前の縄文土器胴長の深鉢で、これは「世界最古の煮炊き用具」であったそうです。当時の貝塚からはシジミ、アサリがたくさん発掘されていますが、当時から「うまみを理解して、うまみ成分を楽しんでいた」=縄文グルメ時代と。この頃から、採取・狩猟・漁労の三本柱=「雑食性」による食材の多さは驚異的で、また、季節ごとに旬のモノを味わうことが健康管理につながっていたそうです。

また、ハマグリ、カキなどの養殖をやっていた痕跡も残っており、ストーン・ボイリング法(底を粘土で固め水を張り、そこに貝を入れて、焼いた石を投入して加熱処理する)で水産加工の工場まで持っていたとか。保存性の高い干し貝は貴重な交易品であったそうです。

稲作が普及するまでのカロリー源は主として木の実類であり、日本の山は再生産能力が高かった。ところが、縄文後期に気温が下降、木の実の採取量が減少した。大陸から農耕、水田耕作・米作りが伝来し広がっていくことに繋がっていくそうです。3千年から2千400年前の時代のこと。

 

そして、弥生時代水田稲作が普及し、主食の「米」と縄文系の食材=副食が合わさり、和食の原型が確立された。いわゆる「ご飯とおかず」が確立した時代。

 

時が移り、天武天皇の時代。675年に「肉食禁止令」、一義的には仏教伝来の影響らしいですが、これ以降、江戸時代末期まで約1200年続くことになるそうです。肉を補うために魚と大豆加工食品が重宝されたことに繋がります。

 

長屋王天武天皇のお孫さん、当時の最高実力者)は、美食家で風流人であったことでも有名だそうですが、牛乳を煮沸殺菌し煮詰めて「蘇(乃至は、トリヘンに禾)、”そ”」を作って食べていたそうです。筆者は古代食の再現で有名な方ですので、同じ作り方で「蘇」を再現したところチーズケーキかミルクキャラメルのような美味なものが出来たとか。

牛乳加工は平安時代にはさらに発達して「酪」と呼ばれる乳の粥も作られていたそうです。高貴な方のみが口にできる健康食、医薬品・滋養強壮食です。

 

鎌倉・室町を端折って、戦国時代に。戦国時代、武士が参戦する時には、三日分の兵糧を持参する慣わしであったとか。「打飼袋(うちかいぶくろ)」に握り飯・米・味噌・梅干し・鰹節を入れて肩に括り、竹筒・瓢箪の水筒を下げて、更には「芋の茎縄」(芋ガラ縄、ズイキ縄)を腰に巻いていたと。この「芋の茎縄」というのは、サトイモの茎を乾燥させて紐状にして味噌で煮込んで更に乾燥させて縄にしたもの。戦国時代の代表的な野戦食(レーション)ですね。しっかり乾燥出来ていれば何年ももつそうです。筆者は30年前に作った「芋の茎縄」を執筆時に食べたそうですが、「スルメの味がする珍味」であったそうです。

前回の『戦争がつくった現代の食卓』では欧米の戦闘糧食=レーションのお話でしたが、日本の野戦食の歴史も面白いと感じました。それから、こちらの本の翻訳の方、「戦闘糧食」なんてこなれていない言葉でなくて「野戦食」の方が分かり易いと思いました。

 

別な読み物で知った話ですが「へうげもの」という漫画では、山崎の合戦に敗れた光秀が家臣と最後の食事をするシーンで、この「芋の茎縄」が出てくるそうです。最後の時に、利休の言葉を思い出した光秀がワビの極致を極めるシーンに繋がるとか。今年のNHK麒麟がくる」の最後のシーンはどうなりますやら。「芋の茎縄」の味噌汁がでてくるかな。

また、この本の中で「信長は、湯漬け飯、焼き味噌が好物」「秀吉はドジョウと豆味噌大好き」そして秀吉の有名な「中国大返し」の時には、「道筋で飯を炊かせて手づかみで喰って」取って返したと記載されていました。これらのシーンも「麒麟がくる」で出てくるかもしれませんね。この本も大変な長編力作でしたが、肩の凝らない、気楽に読める本で助かりました。

 

三冊目は『性食考』。著者は赤坂憲雄さん。岩波書店、2017年7月第一刷。筆者は1953年生まれ、民俗学・日本文化論の研究者で、発刊時は学習院大教授。「東北学」を提唱されて有名な方とか。岩波HP「歴史と民族のあいだ」2014年10月から2016年2月を基に加筆されたもの。

「性食」というのは筆者の造語です。最後まで読み終えるのに苦労しました。「食べちゃいたいほど可愛い」という言葉、俗な言い回しをヒントにして、「性」と「食」を結ぶ「いのち」「内なる野生」の再発見の試みとか。ご本人も大変な思索家ですが、柳田国男折口信夫レヴィ・ストロース河合隼雄、各氏の捉え方もたくさん披露されています。大変な力作です。民話、神話、民俗学に興味、感心ある方にはお薦めです。内容は、端折ります。僕の好みに合いませんでした。

 

長くなりましたが最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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 神奈川の留守宅にホトトギスがたくさん咲いています。これもベランダ改修の効果かしら。ご近所さん、お友達に切り花をお届けしたら喜んで頂けたそうです。2020年11月2日、撮影。

 

おまけの料理の写真を載せようと思ったのですが、上手くいかず。今回は、バーミキュラ鍋で「豚のオレンジ煮」、それと「ピザのように見えるお好み焼き」を作ったのですが、残念でした。次回以降に再度トライしてみます。