NHK俳句、一月の纏めです。僕の備忘録として残しています。お付き合い頂ければ嬉しいです。
第一週、レギュラー陣がお元気に登場。司会は戸田菜穂さん、進行役は宮戸洋行さん、選者は小澤實さん。ゲスト「令和の新星」は藤井あかりさん。1980年、神奈川生まれのママさん俳人。今週の兼題は「春待つ」ですが、冒頭に藤井さんの句の紹介がありました。
羽もなく鰭もなく春待ってをり 藤井あかり (鰭=ひれ)
もう一句、小澤さんが”いい句だ”と紹介された藤井さんの句です。
冬河原独りになりに来てふたり 藤井あかり
「たんたんと書かれているように見えるが、句の中で大きく感情が動いている」という鑑賞がナルホドと感心しました。藤井さんが大切にしていることは「心を写生する」とか。小澤さんからは「内面陰影派」と評されていました。
特選三句です。
一席 間仕切りもマスクもいらぬ春を待つ
二席 鉛筆をげんこつ握り春待つ子
三席 待春やスーツケースの鍵四桁
コロナ禍が影響しているのでしょう。例年よりも「”春”を待ちたい」という気持ちが投句にも強く反映しているようです。一席は宮戸さんも取っていました。”このような気持ちを簡潔な言葉で的確に表現できると楽しいだろうなあ”と切に思います。特選には選ばれませんでしたが、面白いと思った句です、
春を待つ卒寿の母のストレッチ
僕のカミさんのお母さんが毎日、自宅マンションの屋上で熱心に楽しくウオーキングしている姿を思い浮かべました。カミさんのお母さんの方が年上です。
「卒寿は卒の略字=「卆」が九十と読めるから90歳のお祝い」(橋本さんの本から抜粋です)。相変わらず読書の毎日ですが、先日、久しぶりに橋本治さんの「九十八歳になった私」という小説を読みました。講談社、2018年1月第一刷。2015年末~2016年初めに「群像」に掲載された”30年後の近未来特集”への短編寄稿が評判良く、それが連載になり、そして単行本になったとか。一気に読めました---話がムチャ横道に入りますが、ご容赦下さいませ‐‐‐。ご本人のあとがきでこれは「近未来空想科学”私”小説」だそうです。こんなカタチで物語を書けるものかとホントに感心しました。橋本さんのボヤキ思想が詰まっているような。橋本流に言うと「70歳は古稀=古代稀なり、本来、ここで終わるものがその先を祝うようになってしまった。いわば、その先は駄洒落の世界。喜寿、傘寿、米寿、そして卒寿、なんと白寿まで、ぜーんぶ駄洒落」だそうです。
最終章は「”人生は消しゴムだ”の巻」。「いくら使っても消して行っても、使い切ることは起こらない」。肯定的な比喩かと思いきや「消滅はしない。(でも消しゴムの)かけらは消しゴムとして機能しないから”捨てられる”」。寂しいことを言ってるのに、この人が書いているとなんかホンワカしてきます。あとがきの時点で「2017年が終わった段階で私はまだ69歳です」と注釈がありました。橋本さんが亡くなったのは、2019年1月。この本が出版されてほぼ一年後に亡くなられたんですね。改めて、ご冥福をお祈りしたいと思います。
第二週です。司会は、武井壮さん、選者は対馬康子さん。ゲストには、またまた元宝塚のトップスター、早霧せいなさん。兼題は「氷る」。冒頭に、選者の対馬さんの句が紹介されていました。
いつもかすかな鳥のかたちをして氷る 康子
テクストには、「氷る」というのは物理現象ではあるが「俳句という世界では、それとは異なった詩的因果関係が存在します---人の心の奥底に働きかけて、イメージを呼び覚まし、現実の世界の中における感動を引き起こす」と解説されていました。<フーム、なるほど、難しい>。特選三句です。
一席 滝氷る華厳に音もなかりけり
二席 順番に氷る行進の靴音
三席 どの水も空にて美しく氷る
一席の句は「写実を超えて内面の心を表している」と高い評価でした。特選には選ばれませんでしたが面白いと思った句です。
アに濁点イにも濁点声氷る
ゲストの早霧さんも取っていました。早霧さんは大変な寒がりだそうです。寒い時に自分で「さ”ぁ”むぅい”ぃ”」と濁点付けて言葉を出している自分を思い浮かべたと。分かるように思います。
第三週です。司会は岸本葉子さん、選者は西村和子さん。ゲストには俳優の小倉一郎さん。小倉さんは西村さんと長く吟行に同行している間柄だそうです。兼題は「寒」。冒頭に西村さんの句が紹介されていました。
大寒や心尖れば折れやすく 和子
入選三句です。
一席 カツカツと板書ひびけり寒の朝
二席 寒の水硯に垂らすとき砕け
三席 鋼鉄の畳に立つや寒稽古
面白いと思った句です。
のほほんと志ん生聞いて寒の内
「寒」というイメージは”厳しい季節”となるところ、このようなノンビリとした景色を詠んだのが面白いとの西村さんの評でした。冒頭のご自分の句が”刺々しい”のと極めて対照的と。もう一句、
ぎくしゃくと健康体操寒に入る
西村さんも「歳取ってからはこの”ぎくしゃく”が大変に良く理解出来る句です」(彼女は僕よりも2歳年長さんです。表情がホントにお若いですね。)と喜んで評価しておられました。
二席の句は、ゲストの小倉さんが取っていましたが、小倉さんも「硯」を詠んだ句を番組の中で披露されていました。
擱筆や寒の硯の海しずか 蒼蛙(小倉さんの俳号です)
擱筆(かくひつ)、書き終えること=筆を置くことだそうです。あとで調べて知りました。勉強になります。ついでに、硯の墨汁を貯めておくところが”硯の海”=硯海(けんかい)というそうです。知識と教養が詰まった句ですねえ。
この第三週のテーマは「ようこそ句会へ」。今週は吟行の準備のお話でした。西村さんが吟行に行くときに準備しているモノの紹介がありました。吟行七つ道具。そもそもリュックを利用しているそうです。両手をフリーにしておけるから。転ぶかも知れないことを心配している由。よく理解出来ます。リュックの中には、
句帳と筆記用具、電子辞書そして電池の予備(電池は肝心な時に切れる、だから予備は必須と。説得力がありました。)、晴雨兼用の傘(「俳句にあいにくはない」とのこと、多少のことでは吟行は中止にはならないそうです)、ポリ袋(野外でチョット腰を下ろす時に便利とか、また、吟行先で土筆、ワカメ、ジュンサイ等々を採ったり、貰ったり、買って帰る時に便利とか)、靴下カバー(暖房用。冬、お寺さんで靴を脱いで板の間に上がる時に必須)、夏は日焼け止め、虫よけスプレー、等々を入れていると。いずれも「何のための吟行支度かというと、季節との出会いを準備不足のために逃がしたくないから」。
舞台裏の話が披露されていました。初めての吟行で一番の気がかりは、果たして吟行の場で時間の制限の下で句を読むことが出来るかどうか。本来は、事前に作っておく「孕み句」は原則禁止ながら、不安を恐れる余り参加しないことを考えると、その季節の句を準備して作っておいてもよいでしょう、との優しいお話がありました。先生からそう言ってもらえると安心して参加される方が増えるかと思います。プレッシャー強すぎるのは良くないですよね。ゲストの小倉さんもやや恥ずかしそうに「そういう経験はあります」と話されていました。
第四週です。俳句さく咲く!。櫂未知子先生とレギュラー陣が元気に勢ぞろい。いつもの通り宿題の結果発表から。今月の宿題季語は「春隣」「雪」「寒の水」「寒卵」「白鳥」「竈猫(かまどねこ)」「蜜柑(みかん)」、そして自由。「竈猫」は「へっつい猫」「かじけ猫」と同意(のよう)です。「かまど」なんて漢字、書いたことがないかも。生徒さんの力量が伯仲してきてトップ争いが激しくなってきました。面白いと思った句です(いずれも8点をもらっていました。10点満点の8点です)。
名を呼ばれ耳だけ動くかじけ猫 いとうまい子
新たなる店の看板春隣 塚地武雄
笑む母の遺影に日差し春隣 田中要次
窓辺から子供のこゑや春近し 櫻井紗季
いとうさんと塚地さんが同点一位、田中さんと櫻井さんが同点三位でした。その後、授業では「おいしいものを少し」というテーマで正月に食べたものを詠んでいました。櫂先生が参考にあげた句は、
大根が一番うまし牡丹鍋 右城墓石(うしろぼせき)
「大根も牡丹鍋も両方とも冬の季語。本来は脇役の大根を中心に詠んでいるのが面白い、単純な句ではあるが納得できる」と。<なるほど、そういうものか>。テクストを見ていたら有名な句が掲載されていました。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
櫂さんに言わせると名句中の名句として名高い一句であると。<なんか分からないようにも思いますが、良い句ですね。>
この後は「縄跳び」(縄飛び)を生徒さんが実際にやってから「縄飛」の句を詠んだり---縄飛は冬の季語だそうです---そして、最後は「春待つや」を上五においてのミニ句会。久しぶりに櫻井紗季さんが特選に選ばれました。
春待つや自転車の砂埃拭く 櫻井紗季 (砂埃;すなほこり)
投句の俳句大賞の句です。兼題は「寒卵」。
この空は母校へつづき寒卵
橋本さんの本のあと、長谷川櫂さんの『俳句の誕生』(筑摩書房、2018年3月第一刷)を読みました。僕の俳句の既成概念を揺さぶってくれるようなかなり衝撃的な内容でした。俳句というと・・・「写生」、目の前にあるものを言葉で写しとる。その為には、対象への凝視、精神の集中が必要・・・という捉え方をほぼ全面的に否定していました。櫂さんの受け止め方は全く逆で、「”ぼーっ”とする時、心が自分を離れて果てしない時空をさまよう時、言葉によって失われた永遠の世界を探る言葉が現れる」と。「ぼーっとする時=心を遊ばせる時」を大切にして句を詠むことの楽しさを語られている本でした。
分かり易くて納得できる考え方でしたが、それに至る考察が凄いこと。「俳句の誕生」というタイトルの通り、この本は「日本になぜ俳句という短い詩が誕生したのか」を遥か昔の言葉と詩歌の発生から遡って考察したものです。櫂さんの芭蕉の句の鑑賞は有名ですが、確かに大変に面白く読むことが出来ました。
古池や蛙飛こむ水のおと 芭蕉
この誰でも知っている句に対して数十頁に亘り詳細な考察がなされていました。「芭蕉のこの句については、これまでに二度書いた」、だからこれが三度目の「古池論」になるそうです。一言で言ってしまえば、この章のタイトルである「切れの深層」ということなのでしょうが、歴史的、文化的考察がとにかく凄いです。そして面白い。飽きることなく一気に読めます。
芭蕉の後の江戸時代後半の”大衆社会”の捉え方も秀逸なものだと感心しました。近代化を西洋化という観点からではなく”大衆化”の観点から読み解いていく辺りは、俳句を根底にした”日本近代社会学”的な面白さかと。
「近代大衆俳句を超えて」の章では、虚子について語られていますが素晴らしい見立てだと感心しました。曰く「虚子は俳句を詠むとき、自分が唱えた『客観写生』『花鳥諷詠』という標語に束縛されること無く、心を自由に遊ばせて句を詠んだ。魔法使いの魔法にかからないのは魔法使いだけである」。
長くなり過ぎるのでこの辺りで話を切り上げますが、今月のNHK俳句でも選者の先生達が「内面(の心)」を表現することの大切さを述べられていたように思います。俳句って、やっぱ、面白いものなんですねえ。
クルルの駄句です。
湯豆腐や千秋楽となりにけり 孔瑠々
湯豆腐や窓のガラスは曇りおり 孔瑠々
湯豆腐のぐらりと揺らぎ香り立つ 孔瑠々
今回はオマケの料理と写真は無しです。ドタバタ続きで写真を撮る余裕がありませんでした。情けない。次回は是非、掲載したいと思います。皆さま、引き続き、くれぐれもご自愛下さいますよう。