クルルのおじさん 料理を楽しむ

元気回復!

お陰様で体はすっかりと元気を回復しました。今週に入ってからは外に出て人様との接触の機会も徐々に持つようにし始めています。D-7の隔離期間が解除され、さらにD-10の人様に感染させる期間を過ぎてからも自主隔離の生活を続けていました。まるまる一週間は人様との接触の機会を出来るだけ控え、会話はしない生活を続けてました。自分なりのコダワリから念には念を入れての対応を心掛けています。

 

前回の「コロナ感染記」からの抜粋です。

「・・・僕の場合、発症したのが1月1日、その日をD-0として7日間が隔離療養期間となります。D-7=1月8日までが隔離期間で、その間、症状が軽快して24時間が経過する場合、D-8=1月9日から隔離は解除可能となります。「症状が軽快する」というのは「解熱剤を使用せずに解熱して、呼吸器症状が改善傾向である場合」を言います。但し、10日間(D-10)が経過するまでは感染(させる)リスクは残るそうです。・・・」。

これが厚生労働省からの指針(対応方針、ルール)ということになっています。感染したことは検査の「陽性」で分かりますが、このルールでは7日間の隔離期間で症状が軽快していれば隔離期間が解除されることになります。その際に改めて検査をして「陰性」を確認することは求められていません。早く隔離解除されたいと思う感染者が考えることでは無いのでしょうが、この説明を読んだ時には「陰性」の確認をしないで隔離解除されるということにやや違和感を覚えました。

 

「陽性」で隔離を義務付けるなら「陰性」を確認してそれを解除する、というのがスジというものではないのかしら。

 

ウエブではコロナ関係のQ&Aが充実していますから、療養期間中に神奈川県の当該サイトに質問をしていましたら、以下の回答を頂きました。


療養期間の解除は、療養期間の経過(発症日を0日目として7日間)をもって判断されるものであるため、通常の生活に戻られるために、最終日に検査をして陰性の確認を行う必要はなく、職場等に陰性証明を提出する必要もありません。
療養解除後は、普段どおりの生活を送っていただき、少しでも症状が出てきた場合には、外出を控えるなど徹底した感染対策をお願いします。
厚生労働省によると、発症の2日前から発症後7~10日間程度は、他の人に感染させる可能性があるとされておりますが、発症日から10日間経過した後は、ほぼ起こらないことから、感染予防策を実施する期間は10日間と定められているものであり、療養期間は7日間としていただいて問題ありません。

神奈川県健康医療局、医療危機対策本部室)。

 

理由は記載されていないですが、とにかく「最終日に検査をして陰性の確認を行う必要はない」ということです。D-10期間のあと、お世話になった病院に医療費の精算に伺った際「まだ喉がやや痛い、夜の咳も続いている」ことをお話したら診察をしてもらえるということだったので、再度、診察して頂きました。追加5日分の喉・咳のお薬を処方して頂けました。丁寧な親切な先生でした。有難い限りです。問診中にしつこく同じ疑問をぶつけて見たのですが、同じような答えを頂きました。専門家の方にはどうも愚問のようでした。

理屈っぽい僕としては「コロナ感染後、症状軽快の場合、”コロナウイルスは7日間以内に死滅することが確認されている”から隔離期間は7日間で良い。念のため10日間は感染リスクがあると考え注意して行動すること」等の説明が欲しいなあと感じるところです。自分で釈善としない気分が残っていたので、冒頭の通り追加一週間は自主隔離を心掛けました。

 

感染の時にお医者さんに診てもらえただけでナント安心感が高まったことか。余分な心配をしないでお薬飲んで休養すればキット良くなる。気持ちの持ち方一つで随分と助けられるものだと思います。説明責任ってやはり大切ですよね。納得出来る、腑に落ちる説明を頂ける時の安心感。逆にそうでは無い時の不安感、不快感。まさに「病は気から」かも。

 

今日の日経夕刊トップ記事に「コロナ、今春にも『五類』に」「首相指示」「公費負担縮小へ」の見出しが踊っていました。医療行政もイロイロな観点からの検討が必要なのでしょうが、より根本的な施策の転換に繋がるものでしょうから十分な「説明」がされることを切に期待したいと思います。

 

 

ピアノのレッスンも再開しました。2月には「おさらい会」です。ドラゴン先生は早速に「社会復帰記念の反省会」をやってくれました。「出所後の酒はこれぞ極楽であろう」と。今日は鯱城学園の三学期最初の授業でした。皆さんお元気。再会を楽しめました。鯱城学園もあと8回(今日も入れて)の授業で終了、卒業となります。

 

驚いたことに隠れ家の「山菊」が新年に咲いてくれていました。留守の期間が長くなっていたのにビックリ仰天。今日の授業の時に園芸・四班の仲間に話をしたら皆さんも一緒になって喜んでくれました。嬉しいサプライズです。2023年1月12日、撮影。

 

鯱城学園の卒業式は3月23日。園芸科も陶芸クラブも最後まで充実した時を過ごしたいものです。

 

 

NHK俳句です。

新年第一週。司会は武井壮さん、第一週の選者は高柳克弘さん。ゲストはりんごちゃん。ものまねタレントさんです。迫力のある声でサザンの桑田のものまねを披露されていました。そう言えば大晦日の紅白、桑田率いる五人組「時代遅れのRock'n'Roll Band」は良かったですね。加山雄三「海その愛」と合わせてこの二つが大変に楽しかったです。僕たちの世代だからでしょうね(大晦日は、まだ、コロナ感染の気配が無かったし)。

今週の兼題は「氷」、特選三句です。

一席   太陽の抜け殻閉ざしたる氷

二席   朝には氷張るべと地蔵様  (朝=あした、氷=しがこ)

三席   氷紋の玻璃を見つめて母を待つ  (玻璃=はり)

二席の「氷=しがこ」は「はーるになれば”しがこ”もとけてどじょっこだーのふなっこだーの」の”しがこ”です。東北の方言とのこと。

三席の(玻璃=はり)はガラスのこと。「ガラスに氷の結晶が出来ている」情景と。

これ以外にも(特選には選ばれませんでしたが)、興味ある言葉が使われている句が多数ありました。「覚束無(=おぼつかな)」「氷面鏡(=ひもかがみ)」「桃花色(=ときいろ)」。日本語は難しいですが面白いですねえ、キレイですねえ。

この日の映像には「フロストフラワー」「ダイアモンドダスト」に加えて「ペコちゃんのブログ」のペコちゃんさんの動画が放映されていました。凍っている川に石を投げた時の不思議な音。武井さん、高柳さんがそれぞれ句を詠んでいました。

 

第二週です。司会は武井壮さん。選者は井上弘美さん。ゲストはタレントの山崎玲奈さん。冬の行事の紹介がありました。「なまはげ」「かまくら」そして今週の兼題「左義長」。特選三句です。

一席   昨夜の雪踏んで河原のどんど焼き   (昨夜=のべ)

二席   手から手へ左義長の火へ還すもの

三席   左義長の月あぶり出す炎かな

山崎さんは今回が最後の出演。俳句を「信頼の文学」と表現して井上さんから三カ月の研修の卒業を祝福されていました。

 

日経新聞「春秋」の記事です。2023年1月17日。全文、掲載します。

阪神忌」は冬の季語である。阪神大震災が起きた1月17日を指す。3年前の日経歌壇にこんな句が載っていた。「残しある崩れし埠頭阪神忌」(広田祝世)。遺構として保存される神戸港メリケン波止場を詠んだのか。6千人超が亡くなった震災から28年がたった。

▼駆けつけた被災地で目の当たりにした光景は忘れがたい。倒壊した高速道路やマンション、見渡す限りが焼失した市場の跡。携帯電話はまだ普及しておらず、公衆電話の前には不安げな顔が延々と続いていた。年月を経て神戸は美しい港町のたたずまいを取り戻した。が、目をこらせばあちこちに古傷が残っているはずだ。

▼発生時刻の午前5時46分に合わせ、被災地は鎮魂の祈りに包まれることだろう。「忌」の字を上と下に分けると「己の心」と読める。それぞれが自身の胸のうちに抱えている悲しみや追慕の念、悔悟と向き合い、未来への誓いをあらたにする。忌日とはそんな時間ではないだろうか。2カ月ほど後には「東北忌」が控える。

▼季語には地名を冠さない「震災忌」もあり、これは秋である。9月1日。近代以降の日本で最悪の人的被害をもたらした関東大震災から、ことしでちょうど100年となる。「ぢぢばばがわがこと語る震災忌」(山口青邨)。子から孫へと受け継がれてきた災禍の記憶と教訓を次の世代につなぎ、備えの強固な礎としたい。

 

災害の記憶は次の世代に繋いでいきたいものだと思います。亡くなられた方々のご冥福を改めてお祈りしたいと思います。

 

 

久しぶりに小雪チャンのお迎えに行きました。幼稚園の校庭で遊んでいる時のこと、雲の後ろに太陽が隠れたからだと思いますが不思議な景色が見えました。小雪チャンが発見して教えてくれました。写真を撮るとこのような薄暗い景色になりましたが、実際は大変に良いお天気、青空でした。2023年1月18日、午後3時ごろ、撮影。