クルルのおじさん 料理を楽しむ

琵琶湖疎水、踏破

「琵琶湖疎水を歩く」に挑戦しました。昨年の12月に「京都一周トレイル」を完結して以来、久しぶりのウオーキングです。新年は僕がコロナ感染して動けなかったり、天候不順で延期したり、ドラゴン先生が期末にかけて多忙になることもあり日程の調整に時間が掛かりました。漸く3月18日から19日に実行しようということになったのですが、生憎、3月18日(土曜日)はお天気が良ろしく無さそう。いつもとは順序を逆にして、3月18日に前夜祭(事前の反省会?)をして翌3月19日に琵琶湖疎水を歩くことにしました。結果的にはこれが大成功。これ以上ないだろうと思われる春の最高の天気を満喫しながらウオーキングを堪能することが出来ました。

 

以前、琵琶湖疎水のことを書いた記事を埋め込んでおきます。ブラタモリの「京都東山」で紹介されていたものです。京都は水に乏しい処だったんですね。京都東山に点在する別荘、その見事な庭園もこの琵琶湖疎水のお陰で発展したと言えそうです。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

琵琶湖疎水は、1890年(明治23年)に完成した第一疎水と1912年(明治45年)に完成した第二疎水の二つで成り立っています。あとで出来た第二疎水はほぼ全線がトンネルと埋め立て水路(暗渠)となっています。水道水源として利用するにあたり汚染を防ぐために全線暗渠となった由です。疎水歩きは水の流れを見て楽しむことが出来る第一疎水に沿って歩きます。

 

3月19日(日)、朝食後、ドラゴン先生の岡崎マンションを出発。歩いて蹴上駅に。琵琶湖疎水記念館を横に見て、すっかり馴染みになった「ねじりマンポ」を通り越し地下鉄の蹴上駅に。ここから滋賀県浜大津駅に行くのですが京都市地下鉄と京阪電車とが相互乗り入れしており乗り換えなしで行くことが出来ます。これほど便利だとは思っていませんでした。

 

前夜はドラゴンマンションにて家飲みでした。ドラゴン先生の長女さんご夫妻も参加してくれての前夜祭。名古屋から持参した手羽先、味噌串カツを大変に喜んでくれました。僕はお二人が買って来てくれた京都のたこ焼きがすっかり気に入ってビールを美味しくいただきました。糖質制限に拘らなくとも体調管理が出来るようになったドラゴン先生も糖質リッチなおつまみに手を伸ばしていました。気がつくとドラゴン先生の秘蔵のワインが二本も開けられておりました。翌日が日曜日ということもあり長女さんご夫妻も普段以上に長い時間、お付き合いしてくれたように。ドラゴン先生も僕もすっかりといい気分になり翌日のウオーキングのことはすっかり頭から抜け去っていたように思います。

 

 

浜大津駅から直ぐの大津港。琵琶湖に面して建っている高層マンション、その前の港にはヨット、ボートの係留。綺麗な琵琶湖の水、青い空。リゾート別荘地の風情です。青い空を見ていると遥か日向の風景を思い出しました。

すぐ近くに琵琶湖疎水の取水口があります。右の写真が取水口です。”これが京都につながっているのかいな?”と驚いてしまいます。水は写真の手前から向こうに流れていくのですが写真の通り取水口の向こうには小高い山が屹ています。”山に向かって水が登っていくのかいな?”。

 

この取水口を出発点として約14㎞のウオーキングコースが始まります。第一疎水沿いに歩くのですが、道中、トンネルが四か所---第一トンネル、諸羽トンネル、第二トンネル、第三トンネルがあります。第三トンネルを出たところが蹴上の船溜まり、蹴上インクラインになります。

ドラゴン先生の解説を聞いて漸く理解しましたが、同時に大変に驚きました。この取水口と第三トンネルを出たところ=蹴上との高低差はなんと僅か3.4mしか無い!。疎水の距離は約9㎞とのことですが、それでも何千分の一程度の緩い下りの勾配を維持して京都市まで水が流れるように疎水が出来ている。

写真に見える小高い山は「小関越」と呼ばれています。東海道の逢坂越えを”大関”と呼ぶのに呼応して”小関”と呼ばれている難所とのこと。小関越のピークは190mの登りになっています。この関を超えて水を流すために第一トンネルが通されています。日本の近代水路はオランダ人等々のお雇い外国人の指導に依ったとのことですが、琵琶湖疎水は日本人のみで完成されたとのこと。第一トンネルを通すため山の両側から掘り進むと同時に「竪坑」(たてこう)という坑道を山の上から垂直に掘り下げて、そこからも両側に掘り進めて工期の短縮と完成後の通風を狙ったとか。この「竪坑」は深さが47m。ほぼ全てが手掘りのもの。工事に関わる殉職者も多数出たそうです。

 

第一トンネルの入口(東口)に向かって登っていくと、疎水は下りの勾配を流れていますからドンドンと高低差が大きくなっていきます。この地形を見ていると”よくぞこの琵琶湖の水を京都にまで運ぼうと思ったことだわい”と改めて感心してしまいます。明治の時代の空気=ナントか日本を力強い国にしていきたい、目標が明確な時の日本人の力強さがここでも発揮されていたように。僕の世代の人間はやはり感激、感動してしまいます。蹴上の公園にはこの工事による殉教者への慰霊碑が建てられているそうです。

 

  

小関越えのあと第一トンネル西口以降はなだらかな傾斜の道が続きます。疎水沿いはキレイに整備された散歩道。サクラが今にも開花しそうな状態、あと数日遅く来ていたら花見の人混みに巻き込まれていたのではなかろうかと思われる様なサクラの散歩道。

右の写真で疎水のイメージが分かり易いかと。水は山の中腹に沿って流れています。左側、山科の市街が前方下に見下ろせます。途中には山からの小川が疎水とぶつからない様にわざわざ疎水の下にトンネルを設けて流れるようにされている処も何か所かありました。

 

第二疎水の入口(東口)。各トンネルの出入り口には扁額があります。ここには井上馨の揮毫「仁以山悦智為水歓」がありました。「揮毫でたどる琵琶湖疎水」という説明の看板が置かれていました。

 

  

第三トンネル入口(東口)の手前にある日本最初の鉄筋コンクリートの橋。わざわざ「本邦最初鉄筋混戯凝土橋」の大きな碑が建てられていました。橋は今も使用されていて歩いて渡ることが出来ます(鉄骨で補強されています)。

 

歩き始めてから三時間半。無事に蹴上まで帰ってくることが出来ました。そもそも最初は琵琶湖の水が京都にひかれていること自体が驚きでありました。また琵琶湖から京都までを”歩いて行く”という発想は全くありませんでした。春の爽やかな清々しい一日が最高であったと思います。久しぶりのウオーキングを堪能しました。

と言えばカッコ良すぎですが、最後は二人とも”歩き疲れ”状態。概してなだらかな道をただ歩いていることのアホらしさ。キツイ山道を短時間で踏破するのが楽しいか、はたまた、なだらかな道をノンビリ時間をかけて歩くのが面白いか、ボヤキながらの議論が果てしなく続きましたがとにかく無事に帰り着きました。

ドラゴン先生が考えていた昼食のうどん屋さんは観光客が順番待ちをしている状態。めげることなく方針変更して国立近代美術館内のレストランに。ビールとパスタを注文して今回の打ち上げ会としました。一杯のビールの美味しかったこと。

”明治の時代イロイロあったことであろうが琵琶湖疎水を作ろうとした明治の人びとはピカピカに輝いていたのであろう”ということで意見は一致しました。


”話が横道”ですがNHK俳句です。三月第二週、司会は武井壮さん、選者は井上弘美さん。ゲストはフリーアナウンサー笠井信輔さん。兼題は「野遊」。「長い冬が去って、ようやく春がきた喜びを野に出て楽しむ」という意味の季語だそうです。テキストにはこの季語を「家族」という視点で詠んでみてはどうか、という提案がされていました。テキストに掲載されていた句です。

 茣蓙の上の母を標や野に遊ぶ  不破博 (茣蓙=ござ、上=「へ」、標=しるべ)

 野遊びの軋みて曲がる縄電車  栗林浩

 野遊びや籠にあまたのゆで卵  坂本宮尾

 

今週の特選三句です。

一席   子の結びくれし靴紐野に遊ぶ

二席   野遊びや松葉相撲の勝ちは母

三席   一本のフォークギターや野に遊ぶ

 

春の良き日の琵琶湖疎水歩きも「野遊び」であるかしら。

   野遊びや琵琶湖疎水を二人して   孔瑠々

 

第三週です。選者は星野高士さん、ゲストは僕の大好な戸田菜穂さん。今月の「会いたい俳人」は星野立子。高士さんのおばあちゃんになります。高士さんと戸田さんは2018年のNHK俳句で「星野立子」を取り上げた時の選者と司会であった由。立子の句がたくさん紹介されていました。

   なぜ泣くやこの美しき花を見て   立子

虚子没後数日の句だそうです。

   雛飾りつゝふと命惜しきかな   立子

番組では虚子から送られた雛人形が飾られていました。立子の忌日は偶然ですが三月三日とのことです。

   行人にかゝはり薄き野菊かな   立子

高士さんが俳句と本格的に関わるきっかけになった句とのことでした。立子の句は虚子から大変に高く評価されていたそうですが、高士さんは「瑞々しい(みずみずしい)感性」と表現していました。納得出来そうに思います。

今週の兼題は「雛(雛祭)」。特選、三句です。

一席   部屋中に色のあふるる雛祭

二席   カステラを分厚く切りて雛祭

三席   雨音に耳澄ますなり古雛   (古雛=ふるひいな)

 

戸田さんが一番影響(衝撃)を受けたという句を紹介していました。

   お天気がよすぎる独りぼっち   種田山頭火

真面目でそして面白い方です。

 

 

オマケです。これが本当はこの日のメインイベントかもしれません。

 

京都御苑の枝垂れサクラです。2023年3月19日、夕方撮影。

 

レストランで打ち上げ会をしてドラゴンマンションに帰還。不死身のドラゴン先生もソファーに倒れ込んで休息、僕は荷物の整理をして名古屋に戻る準備を。ドラゴン先生が娘さんに無事に生還したことをラインで報告したところ、間髪いれずに”京都御所の枝垂れサクラが満開である”との返信が届きました。この時点でドラゴン先生の万歩計はまだ三万歩に届いておらず。歩き疲れたとは言え、まだ達成感が若干不足している状態です。僕の方は京都駅に出る途中で京都御所方面に向かいますから気楽に考えていました。

”行きますか”、”行きましょう”。二人ともノリが良いので数分の休憩のあと京都御所まで枝垂れサクラを見に行くことになりました。ナントそれも「歩いて」行くことに。

”えへっ?。歩いて行くのん?、バス乗らへんの?”

尽きることの無い探求心を持ってる方の発想はオモロイもので、瞬時の計算が働いたようです。”ここから御所まで歩いて行けば軽く三万歩越え。もう少し工夫すれば、自身の新記録達成の三万六千歩越えも夢ではない”。

人間というのは仲間がいるとかなりのことに対応出来る生き物のようです。ほんの少し前まで”もう歩けまへんわ”と言っていたモノが新しいターゲットを見つけるとホイホイと元気?に歩き始めました。御所は広いのですが、勝手知ったるドラゴン先生。京大医学部を抜け京都府医大を横切り御所の枝垂れサクラに。かなりの見物客が訪れていましたが、むちゃくちゃな混雑ぶりではなくほぼ満開の枝垂れサクラを鑑賞することが出来ました。

帰路は北側、同志社大学側に回って地下鉄の駅に向かいました。ドラゴン先生は最後の踏ん張りで適宜歩いてマンションに帰ることに。僕の一日の歩数は推定で三万三千歩、ドラゴン先生はナント三万八千歩に。共に新記録の更新です。お天気に恵まれて春を心から楽しむコトが出来た一日になりました。仲間に感謝、感謝です。

 

 

追記です。昨日、ドラゴン先生からご指摘がありました。

「あの後マンションに戻り、真如堂を偵察したら4万歩到着」とのことでした。大幅な記録更新を心よりお祝い申し上げたいと思います。また、「市美術館」⇒「国立近代美術館」、「京都府大」⇒「京都府医大」が正しいとの指摘もあり。こちらは先ほど本文を修正させて頂きました。

謹んでお詫びと御礼を申し上げます。以上、3月22日に追記と修正です。ありがとうございます。