クルルのおじさん 料理を楽しむ

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単身所帯が>1/3!

国勢調査というのがほぼ5年に一度行われています。今年の10月26日に総務省が2015年度国勢調査の確定値を公表しました。国の最も重要かつ基本的な統計調査と言われてます。もっぱら人口、人口構造に関心が寄せられます。今回話題になったのも、総人口が(国勢調査としては)初めて減少に転じたこと、そして、お年寄り(75歳以上)の人口が子供(14歳以下)の人口を上回ったことです。新聞一面に報道されていました。高齢化社会がますます顕著になっていることが国勢調査でも確認されています。やはりそうか!、と思ったのは、総所帯数に占める単身所帯の比率が34.6%と1/3を越していること。一人暮らし=単身世帯とか単独世帯と表現されてますが、一人暮らしの性別の年齢分布では男性は25-29歳が一番多い。男性の単身世帯の四割を占めるそうです。一方、女性は80-84歳が最も多い。高齢の女性の一人暮らしが目立つようです。女性は平均寿命が長くダンナさんに先立たれて一人暮らしをするケースが多い。女性70歳代の19.6%、80歳代以上も19.0%に達するそうです。また男女を合わせても、男女65歳以上の6人に1人は一人暮らしとのことです。

 

改めて考えると、僕の母親も最後は大阪で一人暮らしでした。育て上げた息子二人(もちろん兄と僕のことです)は実家を離れ仕事中心に海外、東京での生活になり、その後、それぞれ東京、神奈川に自分の家を構えました。母親本人は住み慣れた大阪の家を離れることなど考えようともしなかった。自分が会社を定年退職した後は、近所のおばちゃん連中、趣味の会のお友達等々の地域のお付き合いに恵まれ、食事会、趣味の会、旅行、それも海外旅行を満喫していたように思います。行く先々で写真を撮りまくり、アルバムに一枚づつ丁寧に張り付け、感想をメモ書きして、我々が返るたびに自慢して喜んで解説してくれました。兄弟ともに話を聞かない男達ですから、「一生懸命話をしているのにちゃんと聞いてくれない」とよくぼやいていたように思います。申し訳ないことでした。旅行の話となると、大阪のおばちゃんは世界最強だと思います。特に群れた時の迫力は、話を聞いているだけで傍に近寄り難くなります。傍若無人、怖いものなし。大阪のおばちゃんは指一本で車を止める・・・これは関西の方にしか分からない表現かもしれませんが。行く先々での買い物、食事の度に添乗員の方は大変であったろうに、お店の方にも迷惑かけたやろなあ。僕の母親の時代が大阪のおばちゃんの全盛期かと思います。今では近隣の大国の爆買いの女性が凄まじく見えますが、あの時代の大阪のおばちゃんからするとカワイイものかと思います。

 

僕も家族を持ち子供たちも少し落ち着いてからは、毎年、大阪に里帰りして年末年始は大阪の実家で過ごすようになりました。この時だけは贅沢をして馴染みのお店にフグを食べに行く。カミさんと娘二人はよく母親の話を聞いてくれていたように思います。長男も意外に話に耳を傾けていたかな。うちのカミさんは結婚以来、母親と上手く合わせてくれていました。別々に住んでいて、日々一緒の生活ではなかったのが良かったのでしょう。但し、すき焼き鍋を囲む時だけは、ほぼ毎回ひと悶着ありました。味付けの仕方が大阪と東京とでは異なる。東京・池袋生れ育ちのカミさんは教えられた通りにやるのですが、母親はそれでも一言二言、苦言を呈します。鍋奉行の役を渡してしまうのが忍び難かったのか。いくつになっても息子の結婚相手に息子を奪われたと思うのか。そのうちに子供達もすっかり慣れて二人のやり取りをニコニコしながら眺めていたように思います。

 

母親が一回目に倒れた後も、医者先生の許可をもらい車椅子に乗せて、同じフグの店に行くことができました。お店の大将が気を利かせて車椅子でも席につけるように段取りをしてくれました。いつものように、母親は自分はあまり食べず子供たちに「たくさん食べなさいよお」と勧めてばかりでした。贅沢なご馳走は自分はさて置き子供・孫に食べさせようというのが食事の風景になっていました。この時には、カラダが弱っていて、実際にあまり沢山は食べられなくなっていたのでしょう。一回目は一人暮らしで家にいる時に倒れました。心原性脳塞栓症、いわゆる脳梗塞です。ご近所さんが発見して救急車を呼んでくれました。幸い意識はしっかりしていましたが、リハビリは大変であったようです。歩くのも大変、車椅子を操作するのも大変、手も不自由になり書くことが困難な状態に。半年かかって筆を持てるようになり、ほぼ一年で字が書けるようになりました。看護婦さんが回復ぶりに驚き、入院先の掲示板のポスター・催し物の案内状に字を書くことを勧めてくれ、母親も褒められたのが嬉しく喜んで時間をかけて字を書いていました。頑張り屋さんです。二回目に倒れた以降は、意識が無くなりました。施設も代りました。次女が婚約・入籍した年でした。年末に我が家のいつものメンバーに次女のダンナも加わり一緒にお見舞いに行ってくれました。彼が、意識の無い母親の耳元に大きな声で「彼女をきっと幸せにします!」宣言をしてくれました。反応がないはずの母親ですが、目元が緩んでうっすらと笑顔を浮かべたように見えました。僕が勝手に泣いていたからかもしれません。その晩は、母親を施設に残したまま、いつもの店にフグを食べに行きました。店の大将が話を聞いて「ええおばあちゃん孝行されはったなあ」と喜んでくれました。そして、おばあちゃんが一緒に来れないのを寂しそうにしてくれていました。それでもフグは美味しかったです。その翌年の2月に亡くなりました。享年90歳でした。

 

母親は一回目に倒れて以降は、リハビリ中、車椅子に乗って家の様子を見に行ったことはありましたが、結局、最後まで家に戻って生活することは出来ませんでした。人に迷惑をかけることを極端に嫌がっていましたから、倒れてからも子供たちと一緒に住んで世話になることは希望してなかった、考えもしなかったのでしょう。自分の家には帰りたかっただろうと思います。やはり自分の住み慣れた家で最後は過ごしたかったろうと思います。単身所帯が>1/3の話に戻りますが、やはりこれだけお年寄りの単身所帯が多くなっているというのは大変な問題だと思います。僕自身はまだ自分自身に対する介護力を高めていけると思っていますが、一人暮らしを維持できる仕組みを整えること、社会全体で言えば、食事・排泄・入浴の看護力のインフラを整備することは喫緊の課題かと思います。上野千鶴子さんの言う「在宅ひとり死」を実現するための仕組みの構築は貴重な提言だと思います。

そう言えば「おひとりさま」は今年の流行語大賞には選ばれなかったですね。予想が外れ残念です。まだ年寄りだけのテーマなのか、世間一般では関心が薄いのかとやや寂しい気がします。

 

 今夜ものんびりと一人メシを楽しみます。母親を偲んですき焼き鍋でもするかな、いやいやこれはやはりみんなで囲まねば。ここは池波正太郎さんの湯豆腐だ。久しぶりにぬるめの燗で一杯やろうっと。

 

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大好きな日向の景色、その2。大御神社の横にある洞窟の奥から入り口を見返ると昇龍が見える。2016年10月。