クルルのおじさん 料理を楽しむ

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3・11

2011年3月11日には千葉にいました。碧南・名古屋から出張で、会社の仲間と一緒に千葉港にある食品会社さんの工場を訪問しておりました。昼過ぎに工場に入り、会議室でお互いの挨拶を済ませ会議に入ろうとした時でした。地震。それもかなり大きな地震。いったん収まったと思った後も何回か大きな揺れが続きました。テレビのニュースで震源地は三陸海岸沖と知りました。来客用のヘルメットの配布を受け、屋外の避難場所に移動。その会社の社長さん自らが陣頭指揮され、ハンデイマイクを駆使して落ち着いて指示されるのを見ていました。工場の煙突も大きく揺らぎ、倉庫の壁の一部は崩落。千葉港の反対側の工場では大きな爆発音が聞こえました。我々も自分たちの工場のことが気になり手分けをして連絡を入れようとしていましたが、なかなか通じません。しばらくしてから、碧南の工場ではかなりの揺れはあったものの全て無事であることを確認出来ました。留守部隊が冷静に決められた通りの適切な対応をしているとの報告を受け一安心しました。日向の工場も無事でした。

避難場所での人員点呼、安全の確認をしてから、揺れが収まったので会議室に戻りテレビのスイッチを入れました。津波を目の当たりにしました。川が逆流している。田んぼ・畑を濁流が覆いつくしている。道路にいる車が飲み込まれたような。信じられないとしか言いようがない中継映像でした。時の経つのを忘れずっとテレビに釘付けになっていました。

千葉駅近くのホテルを予約していましたが、駅周辺でも一部は液状化が見受けられました。ホテルのロビーは解放されており、帰宅困難な方々が多数体を休めていました。エレベーターは休止状態。10数階の客室まで階段を上りました。翌日は、とにかく、名古屋に戻ろうと(留守宅の無事は確認出来ておりましたので)必死でした。交通機関は大混乱しておりましたが、なんとか無事に戻ることが出来ました。

 

東日本大震災の被害状況は、警視庁のまとめで、死者 15,893人。行方不明 2,553人。震災関連死 3,523人。避難 123,168人。仮設住宅での暮らしを余儀無くされている被災者は、1月末時点で岩手・宮城・福島の三県で約3万5千人。阪神大震災では5年で解消したが、いまだ解消の見通しは立っていないとのことです(日経、2017年3月11日)。地震津波、更には、原発事故まで加わってしまい、未曾有の災害となりました。あれからもう6年です。

 

地震発生の翌日、会社の仲間にはメールを発信しました。被災地、被災者の方々を真摯に思いやる気持ちを大切にして行動したい。春の社内行事の自粛・取り止め、義援金の取り扱いの仕方等々、離れていても何か出来ることがあるはずだと焦りを感じました。当たり前の日常がどれほど大切なことか痛いほど感じさせられました。

今、改めて振り返ってみると、結局は、必要最低限のことしかやっていなかったのでないかと忸怩たる思いが残ります。

 

福島第一原発(1F=イチエフと呼ぶそうです)が及ぼす影響は広範囲に亘っています。今でもそれが続いている。原発避難者(特に自主避難者)への支援の在り方、避難者へのイジメ、避難者のストレスへの対応。溶けた核燃料=デブリの実態把握が廃炉作業の第一歩とのことですが、サソリ型ロボットでも近づくことが出来ていないという現実。一方では、7,000人の作業員の方が暖かいランチを食べられるようになったのは、ようやく一昨年の3月からとか。昨年3月には休憩所にコンビニがオープン、甘いシュークリームが一番人気とのことです。そして、昨年から甲状腺ガンが増える時期に入り、検査の在り方、報道の在り方が改めて問われています。因果関係に関する専門家・研究者の意見に相違が見られる。立場の違いが意見の違いに繋がっているのか。それが被災者の方の不安・ストレスを更に高めてしまう。以上は中日新聞からの抜粋です。同紙は、「福島に寄り添う。忘れない。『何が本当のことなのか』を見極めて報道していく。」と社説に記載されています。

当時の政権の対応ぶりに対する絶望的な思いが今でも尾を引いているのか、行政への期待と失望。それでも行政に頼るしかないという歯がゆさ。もともと復興には時間がかかるものでしょうが、行政の怠慢がそれを助長させないように、行政の適切な対応で一日でも早い復興に繋がるように。マスコミ・メデイアの取り扱いのあり方は大変に重要だと痛感します。

 

この5年間で被害の大きかった宮城、岩手、福島の3県では総額7兆円の公共事業費が投入されたそうです。インフラ復旧が進み、遅れている高台移転や災害公営住宅の整備も本格化している。奇跡の一本松の海側には高さ12.5m、全長約2㎞の防潮堤がほぼ完成したとの写真記事も出ています(2017年3月11日、日経)。「記憶を風化されてはいけない」との注釈のような記載もありますが、資金を投入して復興が進んでいると言われると、なにやら政府広報の記事のような気がしてしまいます。

 

一方では、嬉しくて涙が出る、感動する話が沢山あります。こちらまでもが元気をもらえるような。『絆』が2011年の「今年の漢字」でしたが、この年の漢字の選考は本当に良い言葉を選んだと思います。

 

舘野 泉さん。ヘルシンキ在住のピアニスト。ヘルシンキでのリサイタル中に脳溢血で倒れられた。後遺症で今でも右半身に麻痺が残るが、大変な頑張りで67歳で左手のピアニストとして再出発された方です。この方は、震災以前から南相馬市民文化会館の名誉館長をされています。肩書だけの名誉館長ではありません。実際に現地に足を運ばれピアノ演奏活動を通じて被災者の方々にたくさんの生きる勇気を与えておられます。震災後の8月には、復興支援を目的としたチャリテイーコンサートをヘルシンキで開催。当初は、舘野さんの第二の故郷であるヘルシンキで演奏活動50周年記念イベントをやる予定であったもの。舘野さんの主旨に賛同した主催者、演奏者がボランティアでコンサートに協力、義援金をこの南相馬市民文化会館の復興に寄付されています。(舘野泉さんの本:『命の響き』・・左手のピアニスト、生きる勇気をくれる23の言葉。集英社。)

 

石巻市雄勝町に「雄勝ローズファクトリーガーデン」という庭園があります。ボランティア団体「雄勝花物語」の活動拠点となっているローズガーデンです。震災前、この場所は、この活動の代表理事をされている徳水さんの生まれ育った家があったところ。津波で周辺の家屋・建物も全て流され、徳水さんのお母さまを含め61名の方が犠牲になられた。徳水さんは震災から5か月過ぎた時にその土地に花壇をつくることを決意。「つながりの場所」を作りたかったと。「受け身で支援を受けていた時には前を向くことができなかった。このローズガーデンを作り始め、雄勝町の方々に喜んでもらえるようになって少しづつ元気になることができた」と記載されています。この活動には、日本だけでなく「9・11米国遺族会」、「together for 3.11 anniversary memorial (ニューヨークは忘れない!)」と世界中から励ましが届いています。被災者の心のケアに重点をおいた活動情報誌は地元(ご近所)出身の医学生のお嬢様が英訳されたものを小冊子にまとめられ感謝の気持ちを込めて関係者に配布されています。

 

僕の務めている会社では、震災後に非常食の備えを厚くしました。非常食にも賞味期限がありますから、その都度、買い直して更新備蓄します。期限切れの近いモノは無駄にするわけにはいきませんから、社内配布して各家庭で試食してもらいます。今日は、配布を受けた「大豆ひじきご飯」を頂きました。お湯か水を注ぐだけ。お湯の方が美味しいのでしょうが、それでは非常食の試食にならないから、水でやってみました。水だと60分かかりますが(お湯では15分)、十分に美味しく頂けました。日本の食品技術に感謝です。

 

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 『雄勝花物語』です。