クルルのおじさん 料理を楽しむ

直島

直島・宮浦港に展示されている「赤かぼちゃ」草間彌生さんの作品。かぼちゃというよりもてんとう虫のお化けか仮面ライダーの怪物のように思えますが、見ていて全く飽きない、印象に残る作品です。つつじ荘の方には同じく草間さんの作品「南瓜」が展示されています。こちらは渋い黄金のナンキンです。2018年12月4日撮影。

 

 

直島に行って来ました。瀬戸内の「アートの島」です。安藤忠雄(のオッサン)さんがマスタープランを作成して、美術館を設計したことで有名なところです。安藤のオッサンの大フアンで本の目利きの師匠から以前に紹介されたことが頭に残っておりました。今回、カミさんと二人で宮崎・日向・博多・長崎を訪問する機会がありましたので、その帰路、思い切って直島に立ち寄ることにしました。

 

 

博多から新幹線で岡山に。ローカル線を乗り継いで宇野駅、5-6分歩いて宇野港に。それからフェリーに乗って。それぞれ乗り継ぎの待ち時間があるので岡山から直島には約二時間ほどかかりました。外国人の多いこと。それも欧米人風の、年配の方も、若い世代も。どことなくアートの気配を漂わせているカッコよい人たちが多数いました。もちろん、近隣の韓国、中国、台湾の方も沢山。ハイ・シーズンでは無いので空いていたと思いますが、それでも結構な人数の訪問客です。その半分以上が外国人。

 

直島は岡山県からの方が場所的に近いですが、所在は香川県です。香川県香川郡直島町。島の南側がアートの地域。町長さんと地元地域出身の実業家の方が協力して1989年ごろから安藤のオッサンのマスタープランに沿って「人と文化を育てる」島作りを目指した由です。

 

 

宮浦港に近い旅館を予約しました。博多を早く出たので、昼前には旅館に到着。荷物を預けられれば良いと思っていましたが、案内のお兄ちゃんが親切な人で”部屋は空いていますから”と快く中に入れてくれたので軽く休憩することが出来ました。島の地図をもう一度確認して、早速、島巡りに。運良く一日一本だけの「地中美術館」行きのバスに間に合いました。一番のお目当ての美術館に直行。

 

地中美術館の入口手前の歩道沿いの景色。美術館に展示されているモネの作品を期待させてくれます。美術館では入口のゲートを一歩入ったところから撮影は一切禁止。館内にあるカフェでも撮影禁止。徹底されています。

 

展示されているのは、クロード・モネ、ウオルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの作品と安藤忠雄設計の建築。これだけです。これらが”恒久設置”されています。作品と建築が一体となった美術館です。今から行かれる方のために詳細は記載しません。これだけの美術館ですが、素晴らしいの一言。僕はタレルの空間に度肝を抜かれました。カフェのサンドイッチも美味しかったです。

 

 

直島の南部を時計の文字盤に置き換えると宮浦港は10時くらいのところにあります。7時くらいのところに地中美術館を初めとする美術館、5時くらいのところにつつじ荘のバス停、1時くらいのところが本村エリア=家プロジェクト。普通は宮浦港からは時計回りにバスが運行しているのですが、この一日一回の便は逆時計回りに地中美術館に直行してくれます。地中美術館の後、近くの李兎換(Lee Ufan、カンは火偏です)美術館まで歩いて行きました。その後、つつじ荘のバス停からバスで移動するつもりでしたが、待ち時間が30分ほどあり。曇り空で雨の気配もあるものの旅館で借りた傘もあり、過去数日間の食べ過ぎ・飲み過ぎを少しでも解消させようとノンビリとバス路線に沿って歩いて行きました。

 

本村エリアには焼杉の黒い外壁の家が沢山残っています。風情ある街並みです。街の景観を損なわない様に配慮しての「家プロジェクト」。この写真のお題は「角屋」。この家のほかに5-6か所の作品があります。お題「南寺」はまたまた安藤のオッサンとタレルさんの作品でした。この空間にも感心させられました。面白い!。別途、「ANDO MUSEUM」もあります。オッサンさんの作品が紹介されています。”何回見ても、このオッサンのスケッチ、デッサンの線はホンマにきれいやわ。なんであの顔からこんなにキレイな線が出てくるのやろ”と不思議に思います。

 

 

本村エリアのバス停=役場前で休憩、この町役場がまたまたレトロな建物。これも家プロジェクトかと思うほどですが、これは本物。中ではちゃんと皆さんお仕事をされていました。島を紹介・展示するコーナーがあり。金の採掘、銅の精錬所等々が説明されていました。漁業とアートの島かと思っていたので、やや驚きました。

 

結局、バスの時間が中途半端なので、歩いて宮浦港の旅館に戻りました。これで島の南部地域のオヨソ3/4を歩いたことになります。歩いた時間は延べ1時間45分ほど。旅館のお風呂で汗を流してから夕食に。鯛のお頭付きの活き作りをそれぞれに出してくれました。お腹も空いていたので沢山出されたお料理を夫婦共に完食。”このお値段でこの料理は嬉しいなあ”。到着時の親切なお兄ちゃんがこの宿の若旦那でした。お客の接待から、料理、片付けまでほぼ一人でやっている由。”料理人を目指していたがこの旅館の跡を継ぐことになった。古い、設備の悪い旅館なので、せめて料理で喜んで貰おうと努力している”とのことでした。爽やかな好青年。美味しかったです。これからも頑張ってください。

 

旅館の食堂の壁に李美術館のLee Ufanさんの直筆がさり気無く掛けてありました。Leeさんもここに泊ったのか、食事に立ち寄っただけなのか聞けず終いでした。美術館にはこの絵のタッチのような彫刻、置物、絵が屋外、屋内に展示されています。

 

 

翌朝はのんびりと島を後にしました。フェリーから島を見ていると中部を過ぎて北部の辺りになると山のなかの煙突から白い煙が棚引いていました。土砂か鉱物かを貨物船に積み込んでいるところも。家に帰ってから島の歴史を調べてみると、土壌は農業には適さないところで漁業以外の産業もなく貧困で人口減少に悩まれていた由。「アートの島」を目指された先達の皆さんのご苦労を知りました。

 

 

(オマケ)に、例によって料理の写真、今回は、小雪鍋・part-II=「牡蠣の小雪鍋」を載せようと思ったのですが・・・撮影に失敗。湯気のためボヤケてしまいました。鍋は美味しかったです。今回は直島訪問記でした。