クルルのおじさん 料理を楽しむ

4月からの生活

 大阪環状線天満駅、北側の商店街に渋ーい呑み屋が立ち並んでいる一角がありました。昭和の景色が残っている、これぞ大阪!。僕の原風景かも。学生時代の体育会クラブの同期の集まりです。僕はこの一角にあるお店に入りたかったのですが、もう少し先のビルの一角にあるもっと上品なおでん屋さんに行きました。卒業後、小学校の先生になった同期のかつての教え子さんがやっているお店。”教師と教え子の関係もなかなか良いモノであるなあ”と嬉しくなりました。おでんも勿論美味しかったです。2019年3月12日、撮影。

 

 

長男が医科大を卒業しました。医師の国家試験にも無事に合格。4月からは所謂、研修医として母校の大学病院勤務になります。1980年生れの長男、普通の卒業生とは一回り以上も年長の新米医師の誕生です。

 

 

数年前、突然「医者になるためにもう一度大学に入り直したい」と言い出されたときは正直ビックリしました。その時点ですでに学業生活とはかなりのブランクがあった年齢です。そもそもが高校・大学一貫校育ちの所謂「文系」畑です。大学受験のしんどさを味わったことはありません。医者になる以前の問題で、医学部入学そのものが、30歳を超えている”おっさん”にとってチャレンジして実現可能なものなのか?!。

  

 

本人も十分に自分のポジションを自覚しているらしく、僕に言い出す前にイロイロと調べ十分に覚悟した上でのコトのようでした。かなり以前から医学部受験のための勉強はやっていたようで、学力的にはそれなりの自信をもっている様子。年齢的な問題が一番のネックの様に感じているようで、僕もそれが心配でした。受験資格にダメとは明文化されていないもののイロイロと内規がありそうな気配です。はっきりしたことは分らないのですが、そのような制約が無い大学もあるとのことを信じるしかありませんでした。一方、卒業後の国家試験の受験資格には年齢の制限は無いことは確認が出来ました。

  

親=僕に対しての要望は「自分なりに入学後の6年間の学費は蓄えた。この年になって申し訳ないが学生生活を送る上で今までと同じように食事と部屋をそのまま提供続けて欲しい」との事でした。”一応、言ってることに筋は通っている。それまでの中途半端な生活(彼は堅気な仕事についていた訳ではなく、ナント、世に言うパチプロで稼いでいたのです)を続けるのに比べると雲泥の差がある。なんでもっと早い時期にそう思ってくれなかったのか”とは感じましたが、”思い立ったが吉日、考えこめば出る時は無し”です(本来の意味とはかなり違いますが)。本人が真面目にチャレンジしようとすることに異議があろうはずは無く賛成して激励しました。

 

 

一人だけでの受験勉強には苦労していた様子でした。話合った結果、予備校にも通うようになりました。あっという間に入学試験。国公立大学の試験では筆記は通過したものの面接で厳しいことを言われて悔しい思いもしたようです。幸い、今の大学に無事に合格することが出来ました。一学年が110名程度、歴史のある医科専門の大学です。ノンビリした校風、スキンシップを大切にしているような雰囲気に助けられてか、年の差も気にすることなく同級生とも親しい仲間になり、傍から見ていても勉強もクラブ活動等も一生懸命にやっている様子でした。自分と同じ年くらいの先生に教えてもらうような場面もあったそうです。楽しくかつ真剣に人生二回目の学生生活を過ごしていたように思います。

 

 

最大の、そして最高の嬉しい誤算は、在学中に今の嫁さんに出会えたことでしょう。彼女も同じ医科大の学生、長男より4歳の年下ですから他の学生と比較すると長男と同様にかなりの年長さんになります。但し、長男とは違ってそれまでのキャリアは素晴らしいものです。そのキャリアを一旦横に置いて、ある強い決意のもとに医学を志した。縁が有って長男と知り合い、あれよあれよという間にゴールイン。いい歳の二人ですが文字通りの学生結婚。大学から数名しか参加できない一か月ほどのアメリカ研修に二人揃って参加することが出来て、周りからは”新婚旅行を兼ねて海外研修に行った初めてのケースだ”と祝福されていました。昨年一月には「小雪」ちゃんにも恵まれ、学業と子育てを両立しながら、明るく楽しい家庭を築いているように思います。

  

 

卒業の式典に、親バカ振りを発揮してカミさんと一緒に参加してきました。卒業式は大学の講堂で。夜は、帝国ホテルで謝恩会が行われました。やはり医科大は派手なのでしょうか。

卒業式では、成績優秀者の対象となって表彰を受けていました。長女を授かってからは、パパ、ママともに学業と育児を両立させるのに大変な苦労をしていたので、”最終年度にかけては成績が下がってしまった”とボヤいている場面もありましたが、6年間を通算しての成績をベースにした表彰とのことで立派な銀杯を頂いていました。第二席とのことです(書いていて、自分でも全くの親バカの極致だと思うのですが、嬉しくて記載しています)。

 

 

一旦、マンションに戻りお弁当の昼食。嫁さんママは朝から実習の授業で不在。小雪は、嫁さんのお母さんが面倒を見てくれています。小雪に卒業証書を見せたり、表彰の銀杯を見せたり、長男パパが抱っこしている写真を撮ってやったり。小雪も、周りが喜んでいることが分かるのか、いつも以上に上機嫌でパパに笑顔を振りまいていました。長男パパも、おしめの取り換えを慣れた手つきでやっています。”こいつは立派にちゃんとイクメンをやってるんだなあ、エライ”。僕は三人の子供に対して全くやったことがありませんでした。

嫁さんママは臨床実習の授業から帰宅したと思ったら、小雪の保育園のことで、すぐに外出。二人は卒業式の様子を話し合う時間も無い程です。”こいつら、よお、やってるなあ”と改めて感心しました。両方のお母さんも慣れたもので、阿吽の呼吸でそれぞれの役割を大変にスムーズに熟してくれていました。ご苦労様です。ありがたいことだと思います。

 

現在の嫁さんママの最大の悩みは小雪ちゃんとのスキンシップに十分な時間を取れないこと。朝、まだ小雪が寝ている間に登校。夕方~夜に帰宅するときには、すでに休んでいることもある。小雪の笑顔を見れない、話が出来ないのが寂しい由です。

  

4月以降、嫁さんママはいよいよ5年生、長男パパは研修医。ママが卒業するのに、そして、パパが一人前のお医者さんになるのに、あと二か年はかかります。それぞれ、学業・仕事と子育てを両立していく大変ハードな生活が続きます。小雪は両方の母親が入れ替わり泊まりこんで長期戦で孫育てをすることにしているそうです。パパ、ママ、両方のお母さんの協力で長丁場を乗り切ってほしいなあ。小雪の笑顔がパパ、ママ、みんなの活力源になっている様子。とにかく健康で、元気で、明るく頑張ってほしいなあと思います。戦力外の僕はただただ祈るばかりです。

 

 

夜の謝恩会では、長男が総合司会をやっておりました。多分、卒業生のなかで最年長さんだから。先生方、来賓の方々のご挨拶のあと、改めて卒業式で表彰を受けた卒業生の挨拶もありました。司会者の長男も登壇して挨拶。結構、マジに自らのことを話し、無事に卒業できたことについて皆さんへの感謝の言葉を述べ、そして最後に、かなり取って付けたようにではありましたが、両親への感謝の言葉を話してくれました。やや眼鏡が曇るように思いましたが、嬉しく携帯のカメラ機能を駆使して写真を撮りまくっておりました。カミさんもべそをかきながらニコニコしていたように思います。何時まで経っても親は親、親ばかは永遠です。

  

 

続・地元再訪。オオカンザクラが満開です。前回掲載のカンザクラはすでに葉桜になっていました。神奈川県大和市の泉の森公園・ふれあいの森。2019年3月16日、撮影。

 

追伸;

戦力外の僕は、4月から週に二日ほどお仕事を再開することにしました。また、鯱城学園という年寄り大学の講座を受講してみようとも思っています。いずれも隠れ家をベースにして。自宅と隠れ家を行ったり来たりの生活がまだまだ続きます。料理と本を楽しんで、秘かにピアノのレッスンにも精を出して励みたいなあと。そのうちに隠れ家生活について記載したいと思っています。