クルルのおじさん 料理を楽しむ

料理こと初め

料理を初めて自分ひとりで作ったのは 55歳 を超えてからでした。

2006年夏、僕は、宮崎県の日向市で単身生活を始めました。もっとも、その前の名古屋時代も単身でしたから、単身生活を始めたことがイコール料理を始めたことに、即、結び付く訳ではなかったと思います。

もともと、お酒が大好きで、仕事の後は誰かを誘って一杯やりにいく。お客さんとの懇親・交流という名目でドンドン会食の予定を入れていく。先方からのお誘いも沢山くる、喜んでそれを受ける。仕事も大好き、お酒も大好き、お酒を飲みながらイロイロな方との交流を深めるのが大好き、要するに、昭和の高度成長期の典型的なビジネスマン・サラリーマンであります。

 

日向市のお仕事では、何と地元にはあまりお客様が居なかったのです。社内での懇親を重視することにしましたが、だれでも誘える訳ではない。特定の人ばかり誘うと依怙贔屓云々となる。そもそも、いい年のおじさんと仕事の後で付き合ってくれるほど皆さん暇ではあるまい。それに、いつもご馳走するわけにもいかないし・・・。

 

ある日、近くのスーパーに入り(普段は、ビール、焼酎、それと酒のツマミを買うぐらいでした)、生鮮売り場をふらふらと見て回りました。

お魚コーナーに切り身の刺身が並べてある。何やら、美味しそうな予感。赤身と白身の最小量のパックを一つづつ買いました。

 

家に帰り、ご飯を炊きました.ご飯を炊くのはそれほど抵抗はなかった。何回かやったことはある。待ち時間は、洗濯物を片付け、シャワーを浴び、汗を流して気持ちよくなって、テレビのスイッチを入れた頃に、ご飯が炊きあがり。買ってきたスーパーのお刺身をオカズにして一人家メシです。

 

これが、予想以上に美味しかった。

 

もともとストライクゾーンの広い味覚を持っているとはいえ、一人で、家で、店やモンで、食事をして満足を得られるとは!。素直に感動しました。

これは料理をするしないの以前の話ですが、僕の場合は、家で一人で食べることで満足を得られたということが、この時の大変に大きな収穫であったと感じています。

 

それ以降、一人メシへの抵抗も無くなり、というよりも、「一人でノンビリと」のコンセプトにやけにハマってしまいました。スーパーに立ち寄る回数も増え、新鮮な野菜るを見るにつけ、少しづつ「これらの食材を自分で捌いてみたい」という気持ちが強くなったかと思います。

 

本屋に行くのは、もともと大好きです。ある日、立ち寄った本屋さんで、今までは覗いたこともない、料理コーナーを見てビックリ。何と沢山の料理本、料理雑誌が存在することか。

僕らの世代は、教科書に沿って勉強するのに慣れている世代ですから、イロイロな料理本を立ち読みするにつれ、---これは自分でも出来るーーーという訳の分からない確信を持ってしまいました。おじさんの思い込みは恐ろしいモノと思います。

 

とはいえ慎重、かつ、臆病な僕は、どの本を買ったらよいのか分からず、留守宅のオカアサン・・・カミさん=女房のこと、何故、オカアサンと言うのかは、後で、ずっと後になるかと思いますが、後で、触れたいと思います・・・に相談。大物の彼女は、「どれでも良いよ。NHKのが分かりやすいんじゃないの」と。それで買ったのが、「今日の料理、2007年4月号」。これが、その後、クルルのおじさんが料理を楽しむようになるキッカケとなった記念すべき料理本の第一冊目です。

 

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忘れもしない「清水 信子先生」、すべて先生ですね。清水信子先生の「炒り豆腐」が、僕の手料理第一号です。最初から、「炒り豆腐」に兆戦というのは、後から考えると結構背伸びしたのかと思いますが、まあ、結果は大成功。自分には寛大な性格からか、よく途中でボツにせず、とにかく、食べられるものが出来た。それだけで感激したようなものです。

とにかく自分一人で料理が出来た。一人だったのが良かったのだと思います。これが、オカアサンが横にいると、間違いなく声をかける。あれがない、これはどこだと大騒ぎ。挙句の果ては、手伝わせる、放り投げる(自分で作るのを諦める。モノを投げるのでは無いですよ)、容易に想像が出来ます。

 

単身生活は人を磨く。料理は人を豊かにする。

 

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 2016年7月13日、久しぶりに料理---結構、サマになっている?。

 

 

 

料理って?

欧米では、料理とは、とにかく「火」を使うこと、という考え方がベースになっているそうです。「料理とは外部のエネルギー(火のことです)を使って、体に代わって咀嚼と消化を行うこと」、と言い切る人もいます。

「火で料理して消化しやすいものを食べることが出来るようになったので、その分、余裕が出来たエネルギーで人間の脳は大きくなることが出来た。ヒトが人間になったのは「料理」が出来たからである。料理で文化が生まれた。」(註ー1)

 

 「火を使うことを覚えたことが、ヒトを人間にした」というのは、よく耳にする説得力のある説明かと思います。それを食べたものを消化するエネルギーの観点から、料理で消化が楽に出来るようになったお陰で、ヒトの脳は大きくなり、ヒトは人間になり、そして文化が生まれた、という指摘は、目から鱗でした。改めて、肉食獣が動物を食べるのを見ると、それはそれは、消化するのには大変なエネルギーがかかりそうだ、これでは頭(脳)まで何も行かないわ、と思います。納得できる表現だと感心したものでした。

 

一方、天の邪鬼な観点からは、「それでは日本の刺身はどうなるのか。火を使わないから料理ではないと言うのか。そんなばかな。」となってしまいます。かなり長い間、この問題をどう整理すればスッキリするのかと悩んでいました。

 

 フランス語で料理のことは、キュイジーヌ、と言うそうです。語源は、加熱する、とのこと。料理=火、というのが言葉の中に含まれている。フランスでは、オードブルの生牡蠣を扱うのは料理人(キュイジニエ)の仕事ではない。わざわざ、殻剥人(エカイエ)と区別して呼ばれているとか。

 

 最近、出会った本のお陰で、この問題が僕なりにはスッキリとしました。いわく、

「日本の(料理の)哲学は正反対です。日本料理では、いかに切るか、ということが、いかに火を入れるか、ということと同等もしくはそれ以上に重要とされている。包丁=料理人であり、切ること、そして、盛り付けることが大切なこととされている。割烹の「割」は、割り・切ること。「烹」は、火を用いて煮たり焼いたりすること。これが日本の料理である。さらに、日本料理では、添え物との取り合わせ、器の選択、飾り付けが味覚の重要な部分とされている。」

 

これは、玉村富男さんの「料理の四面体」より抜粋です。この著者は1945年生れで、僕とはそれほど年齢差はないのですが、この本を最初に刊行されたのは、1980年の時。著者35歳の時にここまで洞察をされていたことに驚きました。この本は最近改めて評価され復古版として再発刊されたとか。「四面体」なんて変わった表題ですが、内容は、切ることvs加熱すること、に留まらず、イロイロと面白い観点からの充実した考察、論説です。巻末に、有名なシェフの日高良美さんが解説を書かれていますが、「最初、刊行された時に読んだ。おもろいんやでど、だからそれで何なんやろう、と思った。」とありますが、まさに同感です。「改めて読み直して、含蓄のある著書であると確信した。料理は人類の進化の源である。生きていくだけの食事から、料理を通して食べる喜びを知ることが出来るように。」と締めておられるのも全くその通りと感じました。 

 

次回からは、料理、レシピも記載する予定です。

 

(註ー1):「人間は料理をする」上巻、マイケル・ポーラン著、野中香方子訳。著者は1955年生れ。上巻で「火」と「水」、下巻で「空気」と「土」をテーマに。

 

  

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2016年8月27日、上高地大正池から河童橋散策

 

 

 

 

はじめまして

こんにちは、クルルのおじさんです。

65歳でいわゆる第一線を退きました。企業社会人として、ずっと、「食」・・・食料、食べ物・・・に携わってきました。食べることが大好きで、自分で料理をすることを楽しむようになりました。とは言っても、料理をすることに興味を持ち始めたのは55歳になってからです。随分と遅咲きの料理大好きおじさんです。

 

食べることへの興味から、料理すること、そして、食べ物の歴史、食の文化、食の安全・安心、食と健康 に関心を強く持つようになりました。仕事を通じて、また、一企業社会人として、「食」について感じるところを綴ってみたい。食、食材=食べ物、料理を通じて、日本の文化に触れてみたい。まだまだ新しことに挑戦してみようと、このブログを立ち上げようとしています。

  

単身の生活をされている方・・・単身赴任、やもめ、独身、離婚された方、別居中のおじさん・・・には、絶対に役に立つ料理のコンセプトとレシピをお伝えしたいと思っています。お付き合い頂ければ大変に嬉しく思います。

 

「クルルのおじさん 料理を楽しむ」 のはじまり、はじまり、です。

 

  

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 2016年8月19日、沖永良部島、和泊町立国頭小学校