クルルのおじさん 料理を楽しむ

東名走破

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 東名高速のパーキングエリアで。ちょっとした公園があって山々の向こうに良い角度で富士山を展望出来る。薄曇りのお天気がチト残念でした。2018年4月29日撮影。

 

 

4月末に、カミさんと一緒に東名を走破しました。自宅から出発して横浜町田🆋で東名高速に入り名古屋のマンションまで。毎日もっと長い距離を走っている遠距離のドライバーさんがいらっしゃいますから「走破」というほど大袈裟なものではないのですが、僕にとってはかなり久しぶりの長距離ドライブ。時間をかけてよいので、ひたすら安全運転を心掛けました。

運転は僕だけです。カミさんも免許書は持っているのですが、そして「交代で運転しようか」と言ってくれるのですが、今までほとんどずっとペーパードライバー。今更、運転を再開して、万が一・・・。やはり、事故が怖いので運転はご遠慮して頂いています。僕が一人で運転できなくなった時にどうするかが問題かも知れませんが、まあ、それはその時に考えればよかろうと。

 

車はホンダのCR-V、日向時代からの自慢の四駆です。もう12年選手。既に何世代も前のモデルです。最近のクルマが全般的に何やら劇画的にゴテゴテしているのと比較すると、かなりスマートだと評価しています。僕が日向から名古屋に戻った時から、このホンダは留守宅に留めてあります。長男がたまにドライブしたり、僕が帰った時に買い物に行くか、ほんの偶にゴルフに行くときに利用する程度。バッテリーが上がらないように注意が必要な使用頻度です。

 

 

 大型連休前半の二日目なので渋滞の程度が心配でした。自宅から横浜町田🆋に入るまで16号線の渋滞が心配でしたが、数年前に途中の246号線との交差点が高架に整備され、昔の酷い渋滞はなくなっていました。車が空いていれば10分程度で行ける距離なのですが、ここは渋滞が当たり前で1時間以上かかることがよくありました。道路整備の効果が出ています。感謝。東名に入ってから厚木🆋辺りまでは、相変わらず車が多かったですが、ナントか流れている。40~60~80㎞程度のスピードで走れたように思います。最初は、とにかくゆっくりと安全に運転しようと思っていた僕にとってはちょうど良い混み具合でありました。

 

 

その後は大変にスムーズな流れになりました。僕の場合、安全運転とは車間距離を十二分に保つこと。もともと、前後の車との距離を詰めるのも詰められるのも嫌いです。制限速度をチョット超えたくらいで、走行車線中心で、そして休憩を多くとって運転しました。

 心なしか、一昔前に比べて、皆さんの運転が大人しくなったように感じました。昔は、やや混んでいる時には、隙あらば追い抜かそうとカリカリした運転をしているドライバーがいたり、空いている時は、後ろから凄いスピードで詰めてきてドケドケと威嚇するような運転をする人が大勢いらっしゃったように思いますが、心なしか少なくなったように思いました。走行車線をのんびりと運転していたからそう思ったのかも知れません。

 

ゆっくりノンビリ運転を続けてお昼は静岡辺り休憩。急ぐ旅ではない、安全第一なのですが、昔のイメージでいえば、もう名古屋の近くに着いていてもおかしくない時間が経過しています。人の体は面白いもので、ゆっくり安全に運転していれば、それほど疲れを感じることは無いだろうとイメージしていたのですが、久しぶりに運転席で固まって運転している訳ですから、それだけで十分に疲れてくる。 ”ゆっくり運転するというのも却って疲れるもんやなあ”と。

運転に慣れてきたというのもあってか、それ以降は、それなりのスピードで、追い越し車線も頻繁に走ってメリハリをつけた運転に切り替えました。但し、車間距離だけは十二分に保って。その方が心地よい緊張感を感じることが出来て、却って、体が楽に感じました。やはり、自分なりの楽なペースというのがあるのですかね。

 

 

 名古屋でのメインイベントは、名古屋でお世話になっている方の結婚式・披露宴。この席に僕たち夫婦で出席するように声をかけて頂いたので。新婦さんはプロのピアニスト。演奏活動を続けながら、ピアノの教室を開いていらっしゃる方。出席しているお友達もほとんどが音楽家の方々です。披露宴は、簡潔なご挨拶のあとは美味しい食事を頂きながらの演奏会という感じでした。とりわけ、新婦さんの弟さんのピアノの演奏が素晴しかった。彼は本格的にピアノを習っていたのは幼年期のみということなのですが、この日のために練習を重ね、堂々とした熱演ぶりでありました。いわゆるアマチュアの方の演奏は彼一人であったと思いますが、その日、一番の拍手を浴びていました。ご家族の結婚式・披露宴の席で男の子(彼は立派な成人男子です、念のため)がお祝いのピアノ演奏を披露するというのは良いもんですねえ。 

 

 

二番目のテーマは、カミさんに名古屋の新しい住居の住み心地をチェックしてもらうため。ついでに、車があるので各種の買い物。

カミさんが滞在中は、基本的には私が料理を作りました。といっても、前回紹介した「炭水化物系主食のみ但し野菜は結構沢山摂っている」料理であることに変化はありません。朝はトースト・レタスサンド、または、ご飯と納豆・豆腐定食。夜はもちろん「戦艦ヤマト」の各種チャーハン。隠し味=レタス・サンドにワサビ、チャーハンにはショウガ(これは隠し味とは言わないのかしら)は結構、評価が高かった。この2か月ほどの自分の料理に対してちょっとは自信がつきました。

 

 

家のなかで毎食ずっと同じ系統のものを食べると当然ストレスが発生しますから、近隣の散策を兼ねて、普段一人では行かない近くの食堂にも足を運びました。といっても二軒だけですが。到着した日の夜は、そば屋さん。名古屋は美味しいそば屋さんがあちこちにあるわけではないと思います。また、名古屋では麺類と言えば、蕎麦よりも”きしめん”、乃至は、味噌煮込みうどん、カレーうどん等々”うどん”の方が有名かも。このそば屋さんでも、冬は味噌煮込みうどんが人気メニューの由。”ええっ、そば屋でうどん系も出すのかいな”と思いつつも、随分と繁盛しているお店でした。開店早々に行ったのですが、ほぼ、満席の状態。ボクの経験からは、混んでいるそば屋は旨い→旨いそば屋の酒とつまみはほぼ間違いなく美味しい。ここもアタリでした。気持ち良くほろ酔い気分になりました。

 

もう一軒は、レトロなたたずまいの洋食屋さん。NHKの朝ドラの舞台になりそうな昭和の香りがするお店。近くの人が食べていたのが美味しそうに見えたので「あれと同じもの頂戴」と注文したら、大きなお皿にオムライス、メンチカツ、サラダが一緒盛りされて出てきました。このボリュームでこの値段はお値打ちである。オムライスを外で食べるのは久しぶりでしたが、やはりプロの味。美味しかったです。おなか一杯になりましたが、残さないで全て食べてしまいました。次回は好きな本を持参して単品料理とコーヒーを注文して、のんびり喫茶店代わりに利用させて頂ければありがたいなあと思いました。

 

 

あっと言う間に帰る日に。帰路は、最初から自分のペースで運転しました。初めて、新東名を通りました。清水を過ぎた辺りだったと思いますが、また富士山がキレイに見えました。尾根沿いに雪が残っている。北斎の版画のような景色です。往路と同様にやや曇り空ですが、富士の裾野のキレイなこと。普段、新幹線から見る景色とはまた違った風情がありました。これは残念ながら写真を撮ることが出来ませんでした。

僕の車のナビは古いバージョンのものなので新東名の一部は検索できない状態でした。画面のなかでホンダが道無き道を走っている。ナビが行先の修正を叫んでナント煩いことか。これは早めに最新のにアップしておく方が良さそうですね。また、新東名はトンネルが多いことを実感しました。運転していて景色を楽しめないというのは寂しいですね。

復路は、最初から、それなりにスピードを出して運転し休憩も短時間で済ませたので、ずいぶんと早く留守宅に帰り着くことが出来ました。事故なく往復できて何より、何より。

 

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留守宅に戻って。愛車ホンダCRーV。走行距離はまだ7万キロ程度。燃費は良くないですが運転していて安定感があります。このモデルはCR-Vの二代目(のはず)。購入時、三代目の発売が迫っていましたが、デザイン的にはこちらの方が完成度が高いとのディーラーさんの話に納得して買ったもの。今でもこのデザインは好きです。飽きが来ません。2018年5月4日撮影。

  

 

7月以降、月に何度かは、名古屋ー横浜を往復する生活をするつもりをしてます。カミさんも移動する機会が増えそう。二人分の交通費を考えると、やはり、新幹線よりも車のほうがコストセーブになるようです。コスト面だけでなく、安全面と、疲れ具合も考えないと。それから、やはり、何か面白いこと、楽しいことに出会えるかどうか。新幹線は本を読めるから良いですが、乗っているだけでは何も面白みはありません(よね)。時間の制約が少ないというのが、面白いことアップにつながるようにならないかなあ。

車か新幹線かと考えていましたら、バス、という選択肢もあることを聞きました。ボクの頭にはバスという発想はありませんでした。高速バス、時間はかかるが値段は安い。結構、快適であると沢山のフアンもいらっしゃるそうです。安全面は?。そりゃ大丈夫なんでしょうねえ。一度トライしてみようかしら。

 

秋口には、公式行事で夫婦で宮崎・日向に出かける予定があります。今回の東名走破でホンダもまだまだ頼りになることが確認できましたし、僕の体力、運転技術もまだ一応は対応できそうなので、神奈川から名古屋経由で、どーんと日向まで、愛車を駆使して行ってみようかとも。関西、四国の知り合いを訪ねながらの気楽なドライブをやってみるのもオモロそうですね。

 

 

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玄関横の鉢植えの数が増えました。花が咲いているというのはナカナカに良いもんです。改めて気にいっております。2018年5月6日撮影。

 

 

 

新しい住いでの生活・諸々

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 3月末に植えた平兵衛酢の苗木が順調に生育しています。新しい枝が沢山出てきました。植えてから20㎝以上伸びていることになります。2018年4月27日撮影。

 

 

2月に引っ越しをしてから早いもので二か月以上経ちました。2月28日付け『平昌オリンピック』で書いた通り引越し当初はお湯が出ない生活を余儀なくさせられましたがお陰様ですっかり落ち着いてきました。玄関には花を鉢植えしたり、室内でも、今まで使っていなかった壺を引っ張り出して花を活けてみたり、ベランダには、ご存じ、平兵衛酢の苗木を植えました。冒頭の写真の通り、文字通りスクスクと育っているようです。いまは、食べるためのバジルを鉢植えして楽しんでいます。古いマンションとは言え新しい住まいでの生活をスタートしたことによるものかと思います。

 

 

もっぱら使っているのは居間・台所と書斎兼寝室。それ以外の部屋はまだ荷物置き場になっています。段ボールの一部はそのままの状態。ひょっとすると開けることのないままに次の移動を迎えることになるのかも。和室だけは早めに整理整頓しておかねば。今は孫の世話で大変な(と言いつつ、結構、喜んでやっているように思いますが)国許からの査察がいつ何時入るかも知れません。

 

 

一番の環境の変化は、駅・繁華街・買い物をする場所から遠いこと。僕はこちらでは日常生活に車は使っていませんので買い物等々には自分の足だけが頼り。この場所を選んだ時には、

”通勤で地下鉄の駅に行くのも、ちょっとした買い物に行くのも、やや遠めの不便な場所である。歩くしかないがそれも健康に良かろうから、ちょうど良い場所だと考えよう”

と思って決めたものでした。以前のマンションは、逆に言えば便利過ぎるほど便利な場所。地下鉄の駅まで徒歩2分、周辺にはスーパー、コンビニ、クリーニング屋さん、本屋さん、喫茶店・食堂・飲み屋さん、日常生活に必要なモノは何でもほぼ5分の距離圏。

 

 確信犯でこの場所に引越しした訳ですが、やはり、遠いモノは遠い。特に、引越し後、生活資材を買うのに最寄りのホームセンターに何度か足を運びましたが、そこそこ重くかつカサのある荷物を持っている時の駅までの距離が遠いことの大変さを実感しました。”こりゃ、大変やわ。僕はこの場所で生きていけるのかしら。”と珍しく弱気になってしまいます。

 

また、料理に費やする時間が短くなりました。ないしは、新しいメニューに挑戦(オーバーな表現ですが)する機会が減ったように思っています。以前は、新聞、雑誌、ネットの料理記事を見て、面白そう=美味しそうと思ったら、気持ちに余裕のある暇な時には、すぐに近所のデパート・スーパー・八百屋さんに食材を買いに走ったものでした。「思い立ったが吉日」です。近かったから全く抵抗がありませんでした。

 

 

食事・料理というのは自分の生活・気分が反映して面白いものだなあ、と感じています。

引っ越し当初は、荷物の整理が出来ていなかったので、そこにあるモノを食べて飢え?を凌いでいました。お米の在庫があるのはナント有難いことかと。ご飯だけは当初から炊きました。断捨離の不得手な性格が幸いしてか、引越し荷物のなかに、たくさんの缶詰、レトルト食品、即席麺があったので大変に重宝しました。これはこれで美味しいのですが、やはり、連日食べると飽きる。フレッシュなモノを食べたいなあと。ニュアンスはやや違うのですが、作り立てを食べたいなあと。野菜と肉を買ってきて、チャーハン生活が始まりました。少し余裕ができてからは、焼きそばも定番メニューとなりました。「戦艦ヤマト」は大活躍しております。IHではなく、ガスコンロの火力の強さがこの中華鍋の威力を更に発揮させているように思います。更に、ラーメン・ちゃんぽんモドキの麺類もかなりの頻度で登場するようになりました。

朝食は、ごはん+納豆と豆腐をベースにした和定食。乃至は、トースト(1/8カットのもの)にワサビとマヨネーズ、キュウリの薄切りを乗せ、ハムエッグを置き、その上から大量のレタスでカバーして包丁で二切れにカット=トースト・レタスサンドの出来上がりです。大きい口を開けてガブリとかぶりつくと旨いです。レタスが安くなったのが大変に嬉しく思いました。

 

という訳で「炭水化物系主食」を中心とした食生活をしております(野菜は大好きなので、たくさん加えるようにしています。また、どういう訳か、ビール・日本酒・焼酎・ウイスキーの類が品切れしたことはありません)。

要するに、おかず、つまみの類が無い食事です。そして、つまみが無くてもサケは飲める、ということが改めて分かりました。

 

自分の料理の実力がよく分かります。一々レシピを見て作らないといけない料理は今は邪魔くさいから全然手がつかない。 ボクの料理のレベルでは”これを作って食べたいなあ”と思うときには、よし、つくるぞ!と気合を入れて買い物に行って材料を揃えて、そして料理を作る(買い物に行ったついでに余分なおつまみもついつい買ってしまいます)。今の新生活では、まだ、料理以外にやりたいこと、やらなければならないことが沢山あるので、身に着いていない料理をやってみようというガッツが沸いてこない。更に、買い物に行くのに遠くて時間がかかるから、ついつい億劫になってしまう。買い物に行ったときには、想像力が欠如していて”アレをつくるからコレを買っておこう”なんて知恵は出てこない。いつもの豆腐、納豆、各種野菜等々を買うだけ。これが「炭水化物系主食のみに近い但し野菜は結構沢山摂っている食生活」の説明になるかと思います。

 

 

とは言うものの時間が経過するに連れ、慣れとは面白いもので、ようやく最近になり駅までの歩く時間・距離が気にならなくなってきました。往路はやや下りなので散歩気分で気持ち良く歩ける。復路は当然登りです。「チトしんどい。疲れている時、荷物を持っている時、それから、チョット飲んで気持ち良くなっている時、これは辛い」と感じていたのですが、人間の頭と体というのは、よく出来ているようで、それなりの対応が出来てきているように感じます。自然にゆっくりと時間をかけて歩くようになったり。今年の春は特に暖かい、いや暑いですから、復路では汗をかく、嫌だなあと思っていたのですが帰ってからすぐにシャワーを浴びるようになりました。暖かくなってきたからシャワーも気持ちが良い。うまく出来ているものです。車の無い生活で荷物運びの大変さを感じさせられましたが、最近は、山歩き用にではなくリュックの便利さがよく認識できるようになりました。

また、街の通りを歩く時間が長くなると、いろいろな景色も見えてくるようになりました。この通りにはこんなに沢山のハナミズキが植えられていたのか、とか、ツツジがキレイにさいておるねえ、とか。はたまた、街中の公園で小さな子供達が元気に遊んでいるのをに出くわして”おー、結構たくさんの子供たちが(この辺りには)おるんや”と楽しくなったりとか。

 もともと歩くのは好きですが、更に一歩進んで、もっと歩くのを楽しめるようになれればいいなあと。逆に言えば、駅までの往路、復路を歩けなくなったら、この場所での生活をギブアップするときなんでしょうねえ。

 

今の時代から改めて思えば、水道・ガス・電気が無い時代の昔々の人にとっては、炊事・料理は大変な作業だったんでしょうね。水汲み、火を熾す。炊事、家事だけで一日が過ぎてしまっていた。とは言え、その時代ではそういう生活が当たり前だから不便を感じてなかったんでしょうかね。いずれにしても、今の生活をもっと楽しんで「楽しんで料理、楽しんで街歩き」をしたいものです。

 

 

そろそろ、国許からの視察もありそうです。連れ合いも孫の世話のお手伝いで大忙しながら、やや落ち着いてきた様子。5月の連休には名古屋で公式行事の予定もあり。久しぶりに車を運転して神奈川から一緒に名古屋に来てみようかしら。  

 

f:id:hayakira-kururu:20180501070039j:plain 4月25日に愛知県の大村知事が「ジブリパーク」の基本デザインを発表。「ハウルの動く城」「もののけ姫」などの作品をモチーフに愛・地球博記念公園内に5つのエリアを整備する方針。2022年度中の開業を目指すそうです(2018年4月26日、日経新聞)。

 

ジプリパーク構想は順調に進んでいる様子です。引き続きエールを送りたいと思います。この時まで元気に歩ける状態を是非、維持していたいものです。新しい住まいでは寝室を「サツキとメイの家」の書斎のような部屋にしたいなあと思っています。

 

訃報二件。高畑勲さん。4月5日ご逝去、享年82歳。後輩の宮崎駿さんとスタジオジブリを創設。「火垂るの墓」は凄いとしか言いようがないアニメでした。加藤廣さん。4月7日ご逝去、享年87歳。ナント75歳直前に「信長の棺」で小説家デビュー。「信長の棺」ほか本能寺三部作はいずれもベストセラーに。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

 

1950年生れ、その2.

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 雨上がりの平和公園。新しいマンションから公園の入口まで徒歩5分。最初の坂を登ったお気に入りの場所。今日は会社をお休み。用事が午前中に早く終わったので、昼からのんびりと散歩。引っ越ししてから初めて平和公園ウオーキングです。名古屋市千種区。2018年4月19日撮影。

 

 

面白い本を紹介してもらいました。

「東大入試中止1969、ある受験生カップルの軌跡」、大坂谷吉行さん著。ご本人が発行者、いわゆる自費出版の本です。

 

僕が昔務めていた会社(=関西系の総合商社)の同期会のネットワークがあります。皆さん会社務めから引退・解放されて悠々自適の生活?を送っている方々がほとんど。一部の方はまだ現役生活をされています。同期会として飲み会、ゴルフ会を数か月に一度は催しています。幹事がいわゆる自然体の方で、彼の存在がこの会が上手く運営出来ている大きな要因だと思っています。懇意にしている友人からこのネットワークでこの本の紹介がありました。

 

僕たちの年次は昭和48年入社なのですが、この年に大学を卒業した方々のほとんどが大学入学した時=昭和44年=1969年が「東大入試中止」の年です。この本はこの東大入試中止をテーマで書かれている小説です。時代環境がまさに自分達そのものですから件の友人からは「きっと懐かしみを覚えながら読める」本との紹介のコメントが添えられていました。

 

早速、注文しようとしたのですが、これは自費出版されている本。ネット注文でも引っかからない、行きつけの本屋さんでも取り扱っていない。紹介してくれた友人に聞いて著者のメールアドレスを教えてもらいました。こんな注文の仕方は初めての経験です。

 

メールの返信が無かったので手に入れるのは難しいのかと諦めかけていたら、数日経ってから本が郵送されてきました。結構、簡単・便利なものです。自費出版という出版のやり方もネットの利用が便利になったおかげで、もっと、盛んになるかも知れませんね。但し、支払いは本を受け取った後で銀行振り込みにて行いましたが、発行者からすると代金回収のリスクというのは覚悟しなければならないのでしょうね。

 

 

著者は、大坂谷(おおさかや、と読みます。珍しいお名前です。)吉行さん。当然、1950年生まれです。札幌市生まれで、札幌市立美香保中学校、札幌南高校を卒業。大学入試の時に「東大入試中止」となり進路を大きく変更して北大建築工学科に。卒業後に東大大学院都市工学課程に入り修士および博士課程を修了。現在は、室蘭工業大学名誉教授、工学博士。自ら”バイリンガル作家”と謳われていました。

 

著者がこの本を書いたきっかけは、学生さんとの会話のなかで、ほとんどの学生がかつて東大入試中止があったことを覚えていない、乃至は、かなりの学生がそもそもそんな事があったことすら知らなくなってきている。そう感じているときに、後輩に当たる東大の学生との会話で「東大入試中止は、東大の公式HPに記載されていない」という事実を知ってしまった。著者なりに思うところがあって、東大本部広報課に「意図的な隠蔽ではないか?」と厳しく問い合わせたと。

結果、2018年1月19日から、東大のHPの「沿革」欄に、「昭和44年1月 昭和44年度入学試験の中止を決定」との一行が挿入されたとのことです。 著者としては、この入試中止を自分なりに書いたもので残しておきたいという気持ちでこの小説を自費出版された由。

 

 

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この本の表紙です。何ともセンスを疑ってしまうような表紙ですが。昭和の時代の貸本屋にあった三文漫画を思い出すような。そうなんです。思い出しましたが、僕たちの小学生のころ町には貸本屋さんがありました。貸本屋さん専門の漫画・小説が置いてあって大変に繁盛していました。同世代人が持っているこのレトロ感を狙ったのかしら。もちろん、この本は漫画ではなくて小説です。

 

 

ストーリー自体は、まあ平板なものです。 本のタイトルの通り「ある受験生カップルの軌跡」=青春純愛小説です。主人公は、著者ご本人のように感じられますが、とにかく、秀才中の秀才で、中学時代から高校入試、更には、大学=東大入試を見据えての物事の組み立て方が凄いの一言。同時代にこんな風に考えながら中学・高校時代を生きていた同世代のヤツがいたのだなあ、と感心しました。受験を軸にした「カップルの軌跡」も小説としてそれなりに面白いのですが、やはり、同世代人としては、その時々の出来事が取り上げられているのが何んとも懐かしい。ちなみに、この主人公は、高校時代からススキノで飲む習慣があったそうです。これには完敗・脱帽です。

 

1963年11月22日、米国テキサス州ダラスでのケネデイ大統領暗殺。1964年10月、東京オリンピック。1969年7月、アポロ11号、人類初めての月面着陸。1970年、大阪万博。1973年10月第四次中東戦争=第一次オイルショック、1974年にかけての日本での狂乱物価、等々。これらの出来事がカップルの軌跡と共に記載されており、僕自身の同じ年の記憶を辿りながら忘れていたことも思い出して懐かしく、切なく、また、楽しくなりました。(全くの余談ですが、僕の長男の誕生日が11月22日です。)

  

ご存知「愛と死を見つめて」。マコとミコの二人の文通を書籍化したもの。映画は、1964年9月公開。吉永小百合さん、浜田光男さんが主演。当時の中学・高校生は皆涙して感激した。小百合ちゃんが国民的なスターになった作品の一つかと思いますが、この本の主人公の見方が面白い。「マコさんはこの本がベストセラーになって大金を手にした。まだ若いのであるから、いつまでも、亡くなってしまったミコさんを引きずらないほうが良いと思う。」てなことをカップルの会話のなかで話している。ナント冷静な。当時の僕とは大違いだ。

 

この本には出てこなかったと思いますが、僕の学校で「堀江謙一太平洋ひとりぼっち』」という映画(1963年の公開)を校内で上映して生徒に感想文を書かせたことがありました。大多数は「困難を克服してやり遂げた、凄い日本人だ!あっぱれ!」と称賛したものでしたが、一人だけ「失敗して救助を求めるケースとか、その場合は世間に迷惑をかけていまう、また、親兄弟の心配ぶり等々を本当に充分に考えたのかしら」と批判的な感想を述べた生徒がいました。当時、”ほかの大多数の当たり前の感想とは異なる意見を持って、それを堂々と主張している面白いヤツがいるなあ”と感心しました。「愛と死をみつめて」のクダリで何故こんなことを思い出したのか不思議ですが何かにつけて懐かしい事々でした。

 

「愛と死を見つめて」とか「太平洋ひとりぼっち」とか、「東大入試中止」と一緒で今では知らない方の方が多いのでしょうね。

 

 

 後日、会社の同期会のネットワークで、僕たちの会社の同期の一人が、この本の著者と高校の同期生、同じテニス部で一緒に活動をしていたことが分かりました。著者さんは最近もお元気にススキノで飲んでいらっしゃるようです。世の中、広いようで狭いものです。とにかく、この年になると元気にオサケを楽しめることに感謝ですね。1950年生れの大坂谷さんの益々のご活躍にエールを送りたいと思います。

 

 

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 平和公園ウオーキング・続き。青空の下、ユーカリの木。東山動物園のコアラのためのユーカリの植林のはずです。古い枝をいったん落として新しい枝・葉の成長を促している。晴天。平日の午後ですが、結構、散歩・ウオーキング・ジョギングしている方が沢山いらっしゃいました。はい、やはりお年寄りの方が多いです。

 

 

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同じく平和公園。青空を撮るときに電線、鉄塔が視野に入らないことは良いことだと思います。猫洞池の近くの芝生広場の木。公園に至る街並みにはハナミズキの花が咲いています。ツツジはもうピークを過ぎつつあるのかなあ。あっという間に梅雨、アジサイの時節になるのでしょうね。

 

 

ビックリ仰天

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 三月にシンガポールに行きました。二泊+機中泊の旅。ホテルの部屋でハウスキーピングの方が洒落た対応をしてくれたのでメモで褒めたところ翌日お返しのメモを添えてくれました。タオルが象さんになって出されていました。なかなかの技ですよね。もちろん相手の方にお会いした訳ではありませんが、筆談でもコニュニケーションが出来たというのが何やら楽しく感じました。3月24日撮影。

 

 

 

ラソンの賞金に一億円!?ビックリ仰天しました。ご褒美というには桁が違い過ぎる金額。たまたま平昌オリンピックが閉幕したタイミングでメダリストへの報奨金のことが記事になっていたこともあり、その金額の差の大きさに何やら釈然としないものを感じてしまいました。

 

注目のマラソンは、2月25日の日曜日に行われた東京マラソンでのこと。設楽悠太(ホンダ)選手が日本新記録をマークして日本勢最高の二位となりました。16年ぶりの日本新記録ということでマスコミ・新聞各紙も大きく報道しておりました。彼は箱根駅伝のスター選手ですから僕もニュースを見て「よくやった、あっぱれ」とエールを送りました。その時は賞金一億円は知りませんでした。翌日の新聞記事で賞金一億円を初めて知って、ビックリ仰天。

 

”誰がそんなお金を出すんや!。国民の税金が使われているんと違うんかいな。そもそも誰がそんなことを勝手に決めたんや!”。というのが第一印象。別に設楽選手に文句を言う筋合いは全く無い話ですが、貰った選手にまで変な印象を抱いてしまう。やっかみなのでしょう。賞金を出すのが悪いと思う訳では無いのですが、金額の妥当性とか他の競技とのバランスとかイロイロなことを考えないと不公平な印象をもってしまうと強く感じました。皆の納得を得られないと折角の日本新記録を素直に喜べなくなってしまうような気がしました。僕の狭量のなせる気持ちかも知れません。

 

 

日本実業団陸上競技連合」という社団法人が2015年3月の時点でマラソンの記録に対して褒賞を出すことを発表していたそうです。この法人は1964年の東京オリンピックに先立つ1957年に結成されており「選手の育成・強化を通じて日本の陸上競技会の発展に寄与することを目的」とした歴史のある由緒正しい団体のようです。少なくとも国民の税金がこの褒章に使われている訳ではなさそう。企業の協賛・寄付が原資になっているような印象を受けます。なんとなくホッとしました。

 

設楽選手はこの日本新記録褒章の一億円に加えて、主催の東京マラソンから二位賞金四百万円、同じく日本新記録ボーナス五百万円をゲット。”2時間6分11秒”で一億九百万円を得たことになるようです。おまけに所属するチームに対しても「監督・チーム賞」が準備されていてホンダチームには五千万円。更に、この大会で5位に入った選手にも日本記録挑戦奨励賞として一千万円、同じく監督・チーム賞が五百万円与えられたと。ナントも手厚いご褒美かと思いました。

 

 

ちなみに平昌五輪メダリストへの報奨金は、新聞報道によると、金メダルに対してはJOC日本オリンピック委員会)から五百万円、日本スケート連盟から五百万円、合計で一千万円になります。団体追い抜きとマススケートで二つの金メダルを獲得したスピードスケートの高木奈那選手が合計で二千万円をゲットしたそうです。これが全選手のなかで最高金額のはずです。四年に一度の大会で見事に日の丸を挙げた選手に対してのご褒美という意味からは、誠に抵抗のない、違和感のない金額水準でなかろうかと感じます。

一方では、僕の大好きなカーリングでは報奨金の規定がないそうです。練習場の確保に苦労しつつも、今回、多くの日本人に夢と感動を与えてくれたチーム・選手を考えるとやや不憫な気になってしまいます。もちろん報奨金目当てに頑張った訳では無いでしょうが、比較してしまう対象が表面に出てくると人間の心理というのは微妙なところがありますよね。

 

 

陸上競技に話を戻すと、男子100mで何時誰が10秒の壁を破るか、というのは大変な関心事であったと思いますが、何でマラソンにだけこれだけ手厚い報奨金を制度化しているのですかね。それとも僕が知らないだけで、10秒を切った桐生選手はそれなりのご褒美をゲットしているのかしら。ゲスの勘ぐりになってしまったり。嫌らしい。

まあ、2015年に褒章制度を発表してから三年間、一億円の対象者がいなかった訳ですから、”やっと制度の効果が出てきた”、という意見・見方が大勢を占めているのかも知れません。

設楽選手のお父様は「うれしい反面、胡坐をかいてしまわないかと心配だ。」とおっしゃったそうです。親父の気持ちはよく分かりそうに思います。

 

天の邪鬼の僕は、次回また彼が日本新記録を更新したら世論的にどういう反応が出るのか心配になります。一回に一秒づつ記録を更新してオリンピックまでのマラソンで複数回も日本記録を更新したら、もう、悪役扱いにならないかしら。はたまた、この褒章金制度の資金が底を着いたから、”はい、もう報奨金は出ません”、という時が来たら、これはこれで不公平の極致になったりしないかとも。更には、一億円、いや、何億円単位の褒章を出したはいいが、肝心のオリンピックでメダルを取れなかった時には、誰かの責任問題になったりしないのですかね。

 

カーリングのように褒章制度がない競技の選手で日本で初めての金メダルを取ったりしたら、その選手は何か割り切れないモノを感じてしまうかもしれませんね。

 

唯一、分かり易いだろうなあと思うのは、ビルゲイツさんくらいの大金持ちが全くの個人の好みで、例えば自分が大のマラソンフアンだから「よっしゃ、俺が賞金だしたるから、気張って走れや。いつまで賞金を出すかは分からへんで。一戦ごとの勝負や。俺の気分次第や。」というような漫画的なノリのほうが理解しやすいように思います。誰も何も文句言えないでしょうね。

  

 

僕らの世代=前の東京オリンピックを知っている世代は「オリンピックは参加することに意義がある」と真面目に刷り込みされています(いました)。アマチュアスポーツマンシップが大切なことなんだと。改めて考えるとプロスポーツ選手とアマの選手の違いは何なのでしょうかね。分かりそうで分からないような気持ちになっております。

 

 

米大リーグ、エンゼルス大谷翔平選手が大活躍です。打者として三試合連続のホームランを打った後、4月8日には本拠地アナハイムで先発出場して7回を一安打無失点、なんと毎回の12三振を奪って開幕2連勝。9日には米大リーグの週刊MVPを受賞したことが発表されました。彼は昨年の11月にポステイングシステムを活用して大リーグ挑戦を決めたそうですが、前年に大リーグ機構のルールが改訂されており26歳未満であることからマイナー契約に甘んじるしかなかったそうです。松坂選手、ダルビッシュ選手、田中選手に比較すると一桁違う金額での移籍ですが、それも止む無しと判断したと。お金のことを考えれば移籍のタイミングはずらした方が有利であったのに、当時すでに現地のマスコミで「金ではなくて夢の実現の為に」と評価されていたそうです。モチベーションはお金だけで左右される訳ではない。

設楽選手のお父さんのご心配、もっともなことと思いますが、この際、いっそのこと東京オリンピックまでプロ宣言して日本新記録の更新とオリンピックでの金メダルを目指すと言い切る方がフアンが増えるかも知れませんね。モチベーションももっと高くなるかも。大谷選手の顔が晴れ晴れとしているのが大変に印象的です。

 

 

全くの蛇足ですが、本当のビックリ仰天は、スポーツの世界では無くて、最近の財務省の「森友」「加計」、自衛隊の日報問題のほうでした。残念ながら、こちらはビックリ仰天を通り越して、開いた口が閉まらない状態になり、今では、公文書の改ざんや隠蔽に驚きすら感じなくなってしまったような。こんなことに慣れてしまいつつあることが本当に怖いことだなあと感じている今日この頃です。政府・行政そのものが税金の無駄遣いに思えてくるとやはり日本はヤバいですよね。ああコワっ。

 

その瞬間、感動を与えてくれるスポーツ・芸能・芸術の世界は益々大切にしなきゃあ、と痛感します。もちろん、お料理も。 

 

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 シンガポールマーライオン公園。プロジェクションマッピングで新しいマーライオンが浮かび上がってます。この海側に有名なマリーナベイサンズホテルがあります。僕たちが駐在していた時にはこんな景色は無かった。全て新しく埋め立て造成された地区です。相変わらず国を挙げての開発には目を見張ります。SFの映画に出てくるような光景です。

到着した当日の夜です。このベイ沿いのオープンハウスのレストランで久しぶりにチリクラブを頂きました。陽が陰るとそれなりに過ごしやすくなり、タイガービールが大変に美味かったです。大満足でした。昨年末にシンガポール駐在になった甥っ子にも会う機会を持てて充実の二泊+機中泊でした。3月22日撮影。

 

 

 

 

平兵衛酢の苗木

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桜が満開です。名古屋の気象台は3月27日に名古屋市内で桜の満開を発表、平年より7日、昨年より10日早いそうです。近所の散歩コースの小学校。桜が似合う風景、やはり、お城と学校ですかね。2018年3月26日撮影。

 

 

平兵衛酢の苗木を植えました。新居の古いマンションのベランダで鉢植えにしました。確か昨年の初夏のころ、収穫されたへベスの実を頂いた時に、ふと自分でも育てられないモノかと思い立ち、日向にいる友達に問い合わせたところ苗木の配布会が行われていることが分かりました。これは良かった、植えてみよう!。

この友達に”すぐに送って頂戴”と気安く頼んだのですが、苗木のことですから、年中、手配できるものではなく、また、苗木として適したものだけを配布する必要があることから、年に一回だけの配布会で、年末に申し込みを締め切って翌年開けに準備して発送するというものでした。苗木が十分に準備出来なくて、申し込みの本数に全ては応じ切れない時もあるとのことでした。

 

年明けに日向の友達から連絡があり、8本の苗木を頂けることとなりました。三月下旬に配送の連絡が入りました。名古屋の単身生活マンションに一本、留守宅に一本、レモンの木を育てている兄きのところに一本。「戦艦ヤマト」のドラゴン先生が”俺も植えてみたい”と強い希望があったのでドラゴン先生に三本。残りの二本を会社の仲間に。サトウキビの収穫体験会を頑張ったトウナル役員、それから、日向出身の元気印のエキプロくんに一本づつ。みなさん喜んでくれて、それぞれお庭に地植えしたり、鉢植えしたり。育て方を説明したものが意外となく、件の友達には聞いてみたのですが、「庭に植えて普通に育てておけば勝手に身を付けてくれますよお」と気のない返事。多分、よく出来た彼の嫁ハンがキチンと管理・育成されているのでしょう。また、かつて碧南から日向に単身赴任していて今は岐阜の自然のなかでの生活を楽しんでいる山男クンに以前に問い合わせたことがあるのですが、彼は「岐阜の山奥でも冬の寒さにやられることなく育っています」とのことでありました。

 

近年は、名古屋市内でも雪が積もる時が結構ありますから、寒さ対策、雪対策にやや心配なところが残っていますが、今からの半年ほどでしっかりと根を張って、まずは、順調に生育していることを確認したいところです。どれくらいの時が経てば、実をつけてくれるものか、楽しみと不安が交差するところです。

 

 

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新居の古ーいマンションのベランダに鉢植えしました。身の丈、約60㎝。2018年3月29日撮影。

 

 

平兵衛酢=へベスは日向市の特産です。僕が愛飲しているへベス果汁のボトルに書いてありますが「平兵衛酢とは宮崎県日向市富高で発見された柑橘類の果実」。江戸時代の末期に富高村の長曾我部平兵衛さんが自生するへベスを発見して自宅庭先で栽培したのが始まりとされています。平兵衛さんの酢=平兵衛酢=へベスと呼ばれるようになったと。ちなみに「富高」は今でも日向市の中心部の地名で残っており、富高高校は日向市の中でも優秀な高校として誉れが高い。いま開催されている選抜甲子園野球大会に初出場したはずです。日向の僕たちの会社・工場にも多数の卒業生が働いてくれています。

 

 

へベスを初めて口にしたのは日向に赴任したその日のことでした。夜、件の友達の馴染みの居酒屋に連れていってもらいました。お酒大好きの二人、とりあえずのビールを飲んでから「次はサケにしましょうか」とのお薦めに、「はい、よろこんで」と答えました。出てきたのは、焼酎。「いやいや、ちゃうちゃう、サケゆうたら日本酒やんか、日本酒ちょうだい」と言ったところ、ここの大将がオカミさんに「おーい、このお客さん、日本酒、ていうとるよ、日本酒あったかねえ」と大声で聞いています。「なんでやねん、居酒屋やったら日本酒置いてないわけがないやろに」。

「いやいやxxさん(僕のこと)、日向ではサケと言えば焼酎ですよ」との友達の一言に、郷に入れば何とか、というよりも、お酒であれば何でもおいで、の僕は全く躊躇なく焼酎を頂きました。そこでいきなり出てきたのがへベスでした。「紅茶にレモンは分かるが、焼酎にカボスとか入れるのかいな?」。「カボスとちゃいますよ。これは平兵衛酢=へベスといいます。焼酎に合いますよ」。

 

 

なるほど、よく見ると、この柑橘は皮が凄く薄いのです。とってもジューシー。焼酎の味を損なうことなく柔らかく飲み易くしてくれる。これは危険、飲み過ぎそう。その通り、よく飲みました。二人で中ビンを軽く一本以上は開けたかと。驚いたのは、出てくる料理にもへベスを絞って汁をかけて頂く。お野菜に良し、焼き魚にも良し、唐揚げにも良し。同じく食材の味を損なうことなく食味をよくしてくれるような。

この飲み会ですっかり日向に愛着が沸いたわけですから、お酒飲みは本当に幸せな人種であると思います。母親に感謝です。この居酒屋には家族が日向に遊びに来た時もお邪魔しました。家族も全員、大変に喜んでおりました。日向のお気に入りのお店になって、その後も何回も行きました。楽しい思い出が一杯あります。

 

 

赴任後、結構早めに、九州各地のお客さんへの挨拶回りしました。挨拶回りの最後は同じ宮崎県の日南市のお客さんを訪問しました。楽しく歓談して日向に戻ってしばらくしたら、宅急便の不在通知が届いていました。平日は時間帯の都合がつかず受け取ることが出来きません。週末の土曜日か日曜日の夕方に漸く受け取ることが出来ました。ナント、日南で有名な一本釣りのカツオがまるまる一本。”ぎゃあ、こんなもん、どないしたらええんや”。当時は、まだ、自分では全く料理をしていない時ですから、自分で捌くなんてことは考えもしない(情けないですが、もし今いただいたとしても、自分で捌く技はありません)。件の友達に相談したら、いとも簡単に「あの大将に頼んだら良いですよ」と。その日お店は休みだったと思うのですが、嫌な顔一つせずに店を開けて調理してくれました。日向の人は優しいのです。

 

カツオ一本、さあ捌いて料理することは出来るようになりましたが、”ちょっと待て、誰が食べるんや?食べるのを手伝ってくれるヤツを探さねば”。とは言え、時すでに皆さんご家庭で夕餉の支度が出来上がっている時間帯。”迷惑な話やろなあ”と思いつつも、友達に手伝ってもらって電話をかけまくりました。一人でボチボチやっているとポツリポツリと結局4-5人が苦笑いしながら集まってくれました。家の晩御飯を食べてから顔を出してくれたヤツもいれば、夕食を途中抜け出してわざわざ参加してくれたヤツもいました。刺身から、煮物、揚げ物、カツオ尽くし。へベスもかけまくり。結局は週末の大宴会になってしまい、唐揚げはお土産にお持ち帰りに。大将とオカミさんには大変にお世話になりました。会社の仲間とも突然のサプライズの懇親会が出来て、親しみが一気に増しました。有り難いことでした。

 

普通、一度にこれだけ食べてしまうと、美味しいものでも嫌いになることがあるのかもしれませんが、幸いなことに、いまでもカツオは好きですし、へベスはそれ以来、大のフアンになっています。

 

 

平兵衛酢の木、『体質改善』2017年8月12日、に写真を掲載しましたが、2m程の高さに育てて剪定して枝張りを広げると実が良くなり、収穫も便利に出来るようです。今までの記載の中でも紹介した通りですが、おじや、雑炊、お粥、湯豆腐、稲荷納豆、黄身乗っけナットドーフ、もちろん、焼酎にも大変に良く馴染みます。最近は、冷奴、各種サラダにも、要は何にでも使っています。自分が育てたへベスで食事を頂ける、焼酎を飲めるというのは楽しいだろうなあと。各所で植えられたへベスがちゃんと育って沢山の実をつけて欲しいものです。

 

 

3月23日の日経に「野菜の高値一服、レタス卸値、前年比2割安」との記事が出ていました。「昨秋から続いていた葉物野菜の高値が一段落した。東京・大田市場のレタスの卸値は年初の5分の1に下落、一年前に比べて2割安い。キャベツ、白菜も前年並みに戻った」と。”実感が無いなあ。とにかく、この冬は鍋物を味わう機会を逸した。レタス、キャベツは高値の花のような存在であった”と感じていましたが、昨日、久しぶりにスーパーの食品売り場に行ったらレタスが一個88円で売られていました。迷わず一個買いました。当分、「1/8カットトースト+マスタード&マヨネーズ、ハムエッグきゅうり乗っけ、上からたっぷりレタスでカバー」サンドを楽しみたいと思います。

 

 

日向のお店はその後10年ほどしてから店仕舞いされました。 

 

 

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古いマンションのベランダからの景色。春や春。モクレンがほぼ満開。花が咲いて急に景色が艶やかになりました。2018年3月27日撮影。

 

 

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オマケ。大須観音の梅(これ梅ですよね)。一つの木に白梅、紅梅が咲き誇っていました。見事な枝ぶりです。2018年3月29日夕方撮影。

 

 

 

1950年 生まれ

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新居の古るーいマンションの玄関先が寂しかったので花を植えました。これだけでも結構、癒されるものですね。2018年3月18日撮影。

 

米原万里さんのファンは今でも沢山いらっしゃると思います。二年前、2016年6月19日の新聞記事に「米原万里没後10年 7社共同でフェア・回顧展」という記事が掲載されていました。文藝春秋カドカワ講談社集英社、新潮社、筑摩書房中央公論社のビッグな7社が共通の帯を付けて文庫フェアをやる、という企画です。それぞれの出版社のかつての担当編集者=米原万里さんの人柄に魅了された編集者が協力して文庫フェアや展覧会などの催しをしていると。

皆さまご存知の通り米原万里さんは2006年5月に56歳の若さで急逝。ロシア語の同時通訳者でエッセイストとして大活躍されていました。彼女は1950年生れです。僕と同じ年の生まれです。今回は、若くして逝かれた同年配の万里さんを偲ぶ会です。

 

 

僕はずっと一方的な誤解をしておりました。その1.お名前。どういう訳か全く分からないのですが、”海原”万里さん、と思い込んでおりました。きっと、お父上が国際航路の船長さんで世界の各地を回っておられた。それで”万里”と名付けたに違いない。その影響でこれだけ日本の枠を飛び越えた迫力のある女性が生まれたのだと。我ながら大変な想像力だと感心するほどの誤解です。その2.生まれた場所。僕は絶対に関西・大阪生まれだと信じておりました。実際は東京の様です。お上(オカミ)に対して言いたい放題に言えるのは関西系の特質だと思っていますので、彼女の語り口の面白さ、切り口の鋭さは、これはもう間違いなく関西系、それも大阪か京都だと。

 

かなり前から何冊かの本は読んだことがあって、”同時通訳のオモロイおねーちゃんやなあ”位に思っていたのですが、改めて、認識するようになったのは僕の敬愛する「読書の達人・本の目利きの師匠」から紹介してもらってからです。紹介と言ってもご本人とお会いして名刺交換とか握手した訳ではありません。オモロイ「本」「作者」として紹介してくれました。この時には、米原万里に加えて内田樹も紹介して頂きました。たまたま偶然かと思いますが、この四人=有名なお二方、そしてその二人の本を紹介した方とされた方の四人すべてが1950年(昭和25年)生まれでした。その時に海原さんでは無く米原さんであること、プラハにあったソビエト国際学校でのロシア語での教育が海原さんのスケールの大きさの背景にあることがようやく理解出来ることになりました。

 

 

米原万里さんの同時通訳をテーマにしたエッセイは、単純・明快に面白くて好きです。

日本人が「他人のフンドシで相撲を取る」と言ったのを「他人のパンツでレスリングをする」と訳してしまったり、別な場面ではロシア人が「ベルトをキッチリ締めていかねば・・・」との発言を「フンドシを締めてかからねば・・・」と訳してしまった話とか。フンドシに拘った万里さんであったようです。

日本人のユーモアを交えた発言「失楽園じゃなくて豊島(年増)園でした」を如何に瞬時に通訳することが難しいかを説明・解説した話とか。

この二つのエピソードはご本人も印象深かったのか色んなところで出てきます。

読んでいて楽しいと同時に、結構、奥が深い。日本・日本人、言葉・言語というものを考えさせられるところが沢山あります。

下ネタも得意中の得意の分野です。「ガセネッタ&シモネッタ」というタイトルで本になるくらい。

 

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新居の古ーいマンションのお隣の一戸建ての植え込み。沈丁花が満開。朝の香りが最高です。2018年3月18日撮影。

 

 

食べ物に纏わるエッセイ集もあります。「旅行者の朝食」2004年10月第一刷。1998年10月から2002年5月初出を編集したもの。

このタイトルの「旅行者の朝食」というのが面白い。ソビエトロシアのお話。旅行者と熊さんのお話ですが、ソ連の国内事情、ロシア人であれば誰でも知っている不味い缶詰のことが背景にあるのでロシアの人々は大笑いするとか。一瞬、宮澤賢二の「注文の多い料理店」を思い出しました。童話・寓話はやはり怖い話が多いですねえ。

妹さんのお話も出てきます。姉妹ともに食べるのが大好きで食い意地が張っている。妹さんは料理の先生・料理研究家になった。ちなみに妹さん=ユリさんのダンナさんは作家・戯曲家の故井上ひさしさんです。二人が結婚する時に「ひさしさんは幸せ者だ。ユリの料理(確かチャーハンだったかと)を毎日食べさせてもらうことが出来るのだから」とのお祝いを述べていたように記憶します。姉妹仲が大変に良かったようです。ユリさんは2016年5月に「姉・米原万理」を刊行しています。 

 

 

「発明マニア」サンデー毎日、2003年11月から亡くなる直前の2006年5月の連載。2007年3月第一刷。イラストも、ご自身で描いています。別途ペンネームを付けてイラストレーターが登場。ペンネームは「新井八代」=あら、嫌よ。何やこれは、全身が駄洒落の塊ですね。尽きること無し。但し、この頃のエッセイには、時の政権への痛烈な批判が随所に出てきます。特に、ブッシュ・小泉両氏に対しては大変に手厳しいコメントとなっています。

 

   

「他諺(たげん)の空似 ことわざ人類学」2009年5月初版、2003年から2006年の初出。光文社。養老孟司さんが解説をしています。「とにかくエネルギーを感じる」と。そして万理さんの本の中では「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」が代表作だと思っていると。僕も同感です。僕はこの本=「嘘つきアーニャの・・」を読んで初めて同時通訳のオモロイおねーちゃんの域を超えた立派な思索家・文筆家なんだと認識を新たにしました。

米原さんの背景にあるのは、旧ソ連時代のプラハにあるソ連の国際学校。お父様の仕事の関係で9歳から14歳までをチェコプラハで過ごした。プラハにあるソ連大使館付属学校に入りロシア語での授業を受けた。お父様は日本共産党幹部で衆議院議員であった方、所謂、大変なエリートです。ちなみに祖父は鳥取県の議会議長、衆議院議員。同じ年生まれというのは面白いもので、万理さんの9歳から14歳というのは、僕も9歳から14歳ですから(当たり前や)時代環境はカラダで理解出来るはずなのですが、この場合、環境が違い過ぎて、別な世界の人のように感じてしまいます。

 

  

「心臓に毛が生えている理由」角川学芸出版。2008年4月初版。初出は1998年9月から2004年9月までのモノを纏めたもの。この中に「嘘つきアーニャの・・」を執筆した理由が書かれてます。NHKの取材がキッカケで旧友三人と再会、NHKの番組も大好評であった。しかし、アーニャの発言にひっかかりを感じてしまった万里さん。その番組のあと、それぞれ2回づつのインタビューを重ねて三つの物語を書くことになったとのことです。万里さんのファンの方でまだ「嘘つきアーニャの・・」を読まれてない方は是非ご一読をお薦めします。

  

 

「戦艦ヤマト」のドラゴン先生も大の万里さんファンです。確か、全作品を揃えようと奮闘していたはず。一度、蔵書を拝見しに行ってみたいものだ。僕も何冊かは読みましたが全くの乱読。亡くなられてから編集・発行されたもの等々。一度、オリジナルを時系列に読んでみたいように思います。

 

 

1950年(昭和25年)生まれ。区切りの良い年度です。50年経つと新しい世紀=21世紀が始まる。中学・高校の時にはどんな未来になっているのかあれこれ妄想したものでした。あっという間に時代の節目を通り越してしまいました。万里さんが元気に生きていれば、今の瞬間をどう切り取っているかしら。一刀両断。ユーモアと毒舌。読んでみたかったですねえ。

万里さんの話を書いていたら、渋谷のロシア料理のお店を思い出しました。「渋谷ロゴスキー」。兄の亡くなった奥様(僕の義姉)が大好きだったロシア料理屋。何回か両家族一緒に大人数で連れて行ってもらいました。ビルの建て替えで閉店したはず。銀座に店を移したとか。また皆んなで行ってみたいものです。義姉と万里さんを偲びながら楽しく会食できれば良いなあ。

 

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 2016年6月19日の新聞記事。日経かな。米原万里ベストエッセイ1.角川文庫、平成28年4月初版。これは1994年から2004年の間に各紙に掲載されたエッセイを集めたもの。この本のなかに新聞の切り抜きを挟んでおりました。今回、偶然に見つけました。

 

出産読本

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根津神社の鳥居。最近、特に外国人観光客、中でも中国からの方々に神社の鳥居が大人気だそうです。京都の伏見稲荷は連日観光客で一杯だとか。2018年3月11日撮影。

 

 

長男夫婦の長女=僕とカミさんにとって初めての女の子の孫、のお宮参りに行ってきました。生れた日が何年ぶりかの大雪の日でしたので、お宮参りも大荒れの天気にならないか密かに心配していたのですが、やや風はあったものの穏やかな良いお天気でした。彼らの住まいの近くにツツジの名所でも有名な根津神社があります。そこでお宮参りの参拝儀礼も執り行って頂けることが確認出来たので長男が予約をしてみんな揃って出かけました。大きな神社なので何組かを纏めてのものになるのかと思いましたが、日曜日にも拘わらずそれほど混雑していなかったからか一組づつ丁寧に執り行って頂けました。僕たち夫婦、長男の嫁ハンのお母様が参加。孫は、出産後、検診のために病院に行く以外は初めての外出ですが父親に抱かれて気持ち良さそうによく眠っていました。

 

 

この二週間ほど前に長男が母親に「この本、面白いから読んでみい」と言って本を一冊持ってきました。『嫁ハンをいたわってやりたい ダンナのための妊娠出産読本』。荻田和秀さん著、講談社+α新書。著者は1966年、大阪府生れのお医者さん。産科医にしてジャズピアニストという異色のキャラクターで人気の「週刊モーニング」連載漫画「コウノドリ」の主人公である鴻鳥サクラのモデルとなった医師です。長男は嫁ハンの妊娠中に読んだそうです(長男のお嫁さんのことを”嫁ハン”と書いているのは、早速にこの本の影響です)。留守宅のテーブルの上に置いてあったので、イントロを拾い読みして見たのですがこれが面白い。というか「なるほど、そうや」という記述が多々ありました。今さら僕が読んでもこの本の主旨には合致しないと思いつつ、今までの反省の気持ちも是有りで読んでみました。

 

 

「はじめに」のところでググッと読者=奥さんがご懐妊された男性諸氏の気持ちを引き付けます。曰く、

「日本に限らず多くの地域では古くから妊娠出産は男子禁制みたいになっていて、代々嫁ハンが何んとかするもんや、みたいな感覚で現代まで来ました。ところが最近になって急に何かしないといけないような雰囲気になって・・・」

「挙句に”イクメン”などと持ち上げられて啞然としていると”役立たず””アホたれ”などと叱られて・・・、世話を焼き過ぎると仕事に支障は出るし嫁ハンには鬱陶しがられるし・・・」。この本は、

「そんなダンナさんが妊娠した嫁ハンとの距離感を測れるようにするために・・・」「良い頃合い、ちょうど良い距離感」これが「本書のコンセプトの一つです」と。

 

 

 僕たちの世代は全くその通りで、嫁ハンが妊娠しても慌てず騒がず何もせず、動じないのが男の姿なんてカッコ付けていた気配があったように思ってます。

最近、と言っても数年前ですが、次女が妊娠・出産した時の次女のダンナの対応を見て大変に感動させられました。同時にえらく反省しました。

 彼は全くの自然体で素直に喜びを表して出産にも当然の如く立ち会いました。この本のなかで何回も記載されていますが「何をするかという中身では無く”嫁ハンとの距離感”がうまく取れていれば、イクメン」であると。次女のダンナは、あっぱれイクメン一号でした。

 

イクメン一号の影響もあったと思うのですが、長女のダンナもイクメンです。見事なイクメン二号です。尤も、長女の場合、余りにも出産がスムーズであったために、ダンナは立ち会いの機会を逸しています。責任感の強いダンナは、長女を病院に連れて行った後、お医者さんに”まあ、今日の夜になるでしょうね”と言われて、いったん、学校の様子を見に帰った(彼は小学校の先生です)のですが、戻ってくるまでに無事出産していたという訳でした。余談ですが、イクメン二号は料理の達人です。彼の「豚の角煮」は絶品。先日、作り方を教わりました。そのうち挑戦して紹介します。

 

今回、長男ダンナも出産に立ち会いました。荻野先生はどうしようか迷っているダンナから聞かれた時には「立ち会い出産」を薦めているそうです。産科医療の現場としてはダンナの立ち会いは「めっちゃ邪魔」だそうですが、それでも赤ちゃんのためには「そばにおってもらう方が良い、というのが分かっている」からだそうです。

出産後すぐに話をした時、長男ダンナは神妙な顔をして「いやあ大変だわ。こんなに出産が大変だとは思わなかったわ。立ち会って良かったと思う」と言っておりました。ちょっとは父親の顔になっていたと思います。お宮参りのあと彼らのマンションに戻りお茶を御馳走になっている時におしめ交換タイムとなりました。二回目は長男ダンナが一人でおむつ交換をやっていました。(本人は「俺はもともと器用である」と言うのですが)僕の目からは昔から余り器用でない方だと思っていたのですが、意外と手際よくやっておりました。イクメン三号の誕生です。

 

ちなみに、荻野先生によれば、立ち会っているダンナのなかには極く稀れに失神するとか号泣するダンナさんもいるらしいですが、ほとんどは「シンプルに固まっている。何もできずにただただ圧倒されている」状態だそうです。そうだろうなあと思いますが、僕は弱い方なので、もし立ち会っていたとすれば極稀に属していたかも知れません。

 

 

それにしても漫画の力は凄いですねえ。「コウノドリ」の作者は、奥様がご出産の時に荻野先生にお世話になったそうです。荻野先生ご自身が医師で、かつ、ジャズピアニストであり、この作者=鈴ノ木ユウさんが荻野先生をモデルにしてこの漫画を描いたそうです。コミック「コウノドリ」がヒットして、それを原作にしたTBSドラマまで生れたと。既に二回に亘ってシリーズとなった由。

 荻野先生の本は、2015/10/21が第一刷。ちょうど一回目のドラマが始まったころに出版されたとのことです。この本は関西弁がベースになっています。重い内容の本ですが、関西弁の柔らかさで随分と読みやすくなっているように思います。お宮参りの翌日、近所のbook offでコミックの第一巻、二巻を買って来ました。確かに公衆の面前では読まない方が良いですね。泣けます。コミックは大阪弁で無かったのがやや残念なように思いました。 

 

 

長男夫婦の許可が下りたので孫の名前を紹介します。

小雪

大雪の日だから小雪。僕のイメージはsnow whiteならぬsnow prettyですね。目もパッチリ、エクボも可愛い。良く食べるので今はホッペが膨らんで△山のおむすび姫のようですが。とにかくカワユイ。今回は、全くの爺バカの話でした。

 

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桜も開花。これは梅ではなくてもちろん桜ですよね。春ももうすぐ、かな。根津神社、2018年3月11日撮影。

 

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都内のど真ん中でもこれだけ広い境内です。静かな落ち着いた環境です。都会にある神社仏閣の存在は有り難いですね。同上。